Ommo's

古い曲が気になる

ノスタルジア、アンドレ・タルコフスキー監督

2013-11-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

  一昨日のブログで、わたしは、ノスタルジアという言葉をつかった。その言葉をキーボードに打っている瞬間から、タルコフスキー監督の映画『ノスタルジア  Ностальгия』をみたくなった。

(北海道・帯広では、もちろん劇場封切りにならないから、ビデオテープ(まだDVDの時代ではない)を買って、なんどもなんども、何度もみたものだ。そのテープも、放浪しているあいだに失くしてしまった‥‥‥が‥‥)

ノスタルジア [DVD]

 

  深夜、近所のtutayaにいったが、もちろん、無い。アマゾンをみると、DVDも品切れだとある。残念。

  だが、ネットの時代だ。映像がかならず見つかると検索していると、あった。なんと、『ノスタルジア』のメーキング映像をみつけたのだ。わたしの最も尊敬する映像作家、憧れの、アンドレ・タルコフスキー監督自身の姿がそこにある。タルコフスキー、若い。こんな若いときに亡くなったのか‥‥‥‥。

  (この映像の、最初の2分40秒くらいは、無視してほしい)

 

     映画『ノスタルジア』のメーキング映像 http://www.youtube.com/watch?v=RrVaVAdM3T4

  わたしが大好きなクリント・イーストウッド監督作品が、大衆小説としたら、アンドレ・タルコフスキー監督の作品は、純文学だろうか。動く映像の作品で、これほど美しい映画をつくった監督はいないだろう。映像と、美しい音のセリフ。そして、静かな音楽。現代の、贅沢な、最高の詩集だ。

 

  先週、北海道立帯広美術館で、写真家・戸張良彦さんのモノクロの作品をみて、その美しさに圧倒された。アンドレ・タルコフスキー、戸張良彦さん、こういう真の職人芸をきわめた人たちがつくる、創造的な、"アートな"世界には、心の底から感動する。


ベルト・ケンプフェルト、Strangers in The Night

2013-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

Strangers in the Night

  いま、ピンクのトヨタ・クラウンのテレビCMに使われている曲は、フランク・シナトラが歌う『夜のストレンジャー Strangers in The Night』だ。

  フランク・シナトラ  Stranger in The Night  http://www.youtube.com/watch?v=hlSbSKNk9f0

 

  だが、この1966年に大ヒットした曲のオリジナルは、ドイツの作曲家で、ドイツ・ポリドール・レコードの名プロデューサー、バンドリーダーの、ベルト・ケンプフェルトのインストルメンタルの曲だ。

  このドイツ人ベルト・ケンプフェルトこそ、ビートルズのロックバンドとしての魅力に最初に注目したプロデューサーなのだ。ドイツ・ハンブルグのナイトクラブに出稼ぎに来ていた、イギリス・リバプールの無名バンド、のちのビートルズをトニー・シャリダンのバックバンドにつかって、ドイツ・ポリドールでLPレコードを制作した。これがビートルズ最初のレコーディングだ。1961年のこと。(ビートルズとしてのメジャーデビューは、その2年後、1963年)。

 

    ベルト・ケンプフェルト・オーケストラ  Strangers in The Night http://www.youtube.com/watch?v=Jkz72ev9qeY

  フランク・シナトラの大ヒット曲をカバーしたのではなく、こっちがオリジナル。映画のサントラのために、ドイツ人の作曲家、ベルト・ケンプフェルトが作ったインストルメンタルの、この曲 Strangers in The Night に、アメリカ人が英語の歌詞をつけてフランク・シナトラが歌った。

Live in London

 

  ナット・キングコールの歌でヒットして、いまも日本のテレビCMによくつかわれる曲、『L-O-V-E』もまた、ベルト・ケンプフェルトが作った曲だ。

       ベルト・ケンプフェルト&シルビア・ブレトハムメル  L-O-V-E http://www.youtube.com/watch?v=SRtKAMzNmyE

 

  さまざまなアーティストにカヴァーされた『スパニッシュ・アイズ』も、元の曲は、ベルト・ケンプフェルトのインストルメンタルの曲 Moon Over Naples だ

       ベルト・ケンプフェルト Moon Over Naples http://www.youtube.com/watch?v=hSUwbfGc_mQ

      ベルト・ケンプフェルト・オーケストラ&シルビア・ブレトハムメル Spanish Eyes http://www.youtube.com/watch?v=MVCNLlFT27w

 

What a Wonderful World

   アメリカ・カントリーの巨匠と、スペインのスーパースターが歌う、ドイツの作曲家の曲。この二人が歌う Spanish Eyes は、カントリーのヒットチャートで、なんと8週間ナンバーワンだったのだ。

      ウイリー・ネルソン&フリオ・イグレシアス  Spanish Eyes http://www.youtube.com/watch?v=CJdUAdnbpMI

 

  日本でもヒットしたハープ・アルパートの『マルタ島の砂』も、オリジナルは、ベルト・ケンプフェルト・オーケストラ。

     ベルト・ケンプフェルト The Maltese Melody http://www.youtube.com/watch?v=bpLJ_W299Z8

 

 

  ブレンダ・リーが歌った『ダンケ・シェーン』もまた、ベルト・ケンプフェルトの曲。

     ブレンダ・リー Danke Schoen  http://www.youtube.com/watch?v=H1BKxYyJJJ4

 

  イギリスからビートルズなど続々と登場して、ロックバンド・ブームになる前のこと、のちにムード・ミュージックとかイージーリスニングと呼ばれるようになる、インストルメンタルのフルオーケストラの音楽が流行っていた。ジャズのビッグバンドやタンゴバンドやクラシックのオーケストラが、ポピュラー・ソングのカヴァーやスクリーン・ミュージックを演奏していたのだ。

  もちろん、オリジナルを世界ヒットさせているオーケストラもたくさんあった。ベルト・ケンプフェルト・オーケストラは、日本でもヒットした『Wonderland At Night  (邦題  星空のブルース)』で世界に知られるようになる。1960年のことだ。

      ベルト・ケンプフェルト  Wonderland At Night  http://www.youtube.com/watch?v=5u6i2MJ9lwA

  いま聴くと、このゆったりしたテンポと、トラペットが奏でる明確で美しいメロディーが、なんとも新鮮で心地いい。ノスタルジアだね。わたしが、まだ小学生のときのヒット曲だ。

  ムード・ミュージックとかイージーリスニングというジャンルは、日本では死語になってしまったが、また復活してほしいね。このライト・クラシックとでもいう音楽は、"欧米"では、いまも盛んだ。

星空のブルース~ベルト・ケンプフェルト・ベスト・セレクション

 

 

 

  ※ ずいぶん前にもベルト・ケンプフェルトのことを書いたような気がするが、今夜、テレビCMでフランク・シナトラを耳にして、なんだか、また再び、ベルト・ケンプフェルト・オーケストラを聴きたくなって、ユーチューブであれこれ探していた。

 

 

  ベルト・ケンプフェルトがプロデュースした、ビートルズ初期のレコードがこれ。ドラムスは、まだリンゴ・スターじゃない。ピート・ベストだ。メインのヴォーカルはトニー・シャリダン、ビートルズはバックバンド "ザ・ビート・ブラザーズ" だ。

     トニー・シャリダン&ザ・ビート・ブラザーズ  My Bonnie http://www.youtube.com/watch?v=-GNrVb-HtZ4

My Bonnie

Beatles With Tony Sheridan: First Re

 


ロシア語の文法書を買った

2013-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

  ロシア語の本を読んでいて、遅々として先に読み進めず、もどかしくて、『基礎からもう一度、集中して、徹底的に勉強し直したほうがいいな』と思っていた。(ネット上の翻訳ソフトは、メチャクチャで不快だから、使わない)。

 

  まず、城田俊先生の『現代ロシア語文法』を買った。入門書だ。'いまさら'だが、外国語の再訓練は、この基礎レベルをきちっと、再びおさえた方がいい。と、いうのは、わたしだけの考えだろうが‥‥‥‥。

  アマゾンで買った本は、中古本だったので、最初の方のページに、カラーの蛍光ペンで書いたアンダーラインや、ボールペンの訳語が書いてあって、おもしろい。この本の前の所有者は、かなり初期の段階でロシア語学習を断念したようだ。じっさい、語学を独習するのは、大変なことだ。とんでもない努力と忍耐が必要だ。

  挫折した屈辱で、その言語を嫌いになる危険をさけるために、わたしは、だれかに習うという、ごく常識的で、古典的な学習方をおすすめする。学校にいく、教室にいく、塾にいく。あるいは、その言語を母語とする人から個人レッスンをうける。そういう普通の方法だ。

 

(わたしは、札幌大学でロシア語を、超一流の言語教育法のスキルをもっている先生たちに教わった。ただ、それから40年以上、ロシア語とはまったく無縁の仕事をしてきた。情けない不肖の弟子だ。先生たちには、ほんとうに、申し訳ない)。

 

  本気で外国語を取得しようとすると、お金は多少かかる。だが、なにかを手にいれるためには、それなりのコストがかかるものだ。(しかし、通販で売っている教材で、外国語をマスターすることは、決してできない)。

  とくに外国語の習得には、金の力がものをいう。切ないが、そういうものだ。その国に住むか、かってのロシア貴族のように、子供たちのフランス語教育のために、フランス人・個人教授を自宅に住まわせる。

 

(それにしても、CDをただ、聴いているだけで、外国語をものにすることは、不可能だ。そんなムシのいい話は、この世にない。外国にもいけない、フランス人美女教師(この場合、フランス人教師とは、滝川クリステルのイメージね)も雇えない、わしら貧乏・ブ男の、語学の習得は、ひたすら努力と訓練、それだけだ。)

現代ロシア語文法


直樹さんと熊代弘法先生の個展をみた

2013-11-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

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  浜省・熱唱グループ・ショッカーの直樹さんと、熊代弘法先生の個展にいった。

 

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   先生の展覧会は、12月1日(日曜日)まで、帯広百年記念館で開かれている。1958年から2013年までの作品、66点の力作が展示されていて、じつに圧巻だ。先生もいらっしゃるから、お話を聞くこともできる。ぜひ、訪ねてほしい。(入場はもちろん無料だ。)

        帯広市百年記念記念館 http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/

 


北海道米、'きたくりん' を買う

2013-11-22 | 日記・エッセイ・コラム

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  北海道を出て、首都圏で25年いじょう暮らしているあいだ、買う米は、ほとんど北海道米だった。

  人と会うとき以外、基本的に外食はしない。三食じぶんで作る。そういう生活を長くやっていた。手を使って、なんでも作るのが好きだ。ゲルマニウム・ラジオにはじまって真空管のアンプ制作やら、なになら、料理も好きなのだ(料理といえるもんじゃないが、ともかく、じぶんの飯を、じぶんで作ることが、好きだ。

  じぶんで撃った鳥の、内臓をとって、羽根をとり、焼いて食う。鍋にする。じぶんで釣った魚をさばいて食べる。そういうことも、好きだ。

 

  大手ゼネコンの建設現場で、日当8500円の警備員のおっさんをやっているときも、昼の弁当は、じぶんで作っていた。朝4時に起き、シャワーを浴びて、弁当をつくる。そして、5時の地下鉄東西線の始発に乗る。現場には、6時まえに着ける。朝礼は、8時。だが、それまで新築ビルの現場を囲む歩道、すべてを掃く。

  もちろん、午前6時から8時までは、日当にはカウントされない。勝手に、わたし'警備員さん'がやっているサービスなのだ。だれに指図されてやってるわけじゃない。わたしの勝手だ。

  しかし、この無給の奉仕は、'警備員おっさん'わたしにとって、けっこう大きな意味がある。

 

  そのことは、また書こう。

 

  北海道米だ。弁当、握り飯‥‥‥冷えても、いまの北海道米は、じつに、うまい。

  首都圏のスーパー、米屋でも、'ななつぼし'と'きらら'は、だいたい、いつでも買えた。でも、なぜか全然みあたらない時があるのだ。町内の、ときどき行く米屋さんに「北海道米は、ないですか?」と、たずねた。

  すると、米屋のおばさんは「北海道の米くらいの(安い値段の)米なら、ほかにありますよ、これは‥‥‥」と、いうではないか。

  だから、わたしは、こう言った。

「北海道は、とても寒いんですよ。寒いから、除草剤や殺虫剤の量が、少なくてもいいんですよ。

  つまり、残留する、かも、しれないさまざまな農薬の使用量が、北方と南国では、違うんですよ、おばさん。

  (北海道は、昆虫にも寒い。植物にも寒い。あらゆる、菌糸、細菌にも寒い。だから、やつらの数は少ない。だから、防虫、殺虫、防菌、そのほかの薬剤を畠に撒く量が、本州とはちがって少ないはず。そして、雑草の種類も量も、亜熱帯北限の稲作地帯と、北海道のような亜寒帯ではちがう、除草剤の量も‥‥‥と、わたしは、勝手に思っているかもしれないが‥‥‥ともかく)

  北海道米、いつ? はいります?  電話、くださいね」

 

  'ななつぼし'やら 'きらら397'を求めて、東京メトロ東西線沿線のスーパーを歩いたこともあった。北海道の米が、食いたい‥‥‥

  それは、もちろん、よろしく哀愁、よろしく郷愁のココロでもあったのだ‥‥‥

 

   北海道の米は、ほんとうに美味くなった。

 

【精米】 ホクレン 北海道産 農薬節減米 白米 きたくりん 5kg 平成25年産

' きたくりん ' を近所のスーパーでみた。買った。食べてみたかったのだ。わたしの場合、まず、じぶんで握った、塩おにぎりかな、熱々の‥‥

 

 

 


道東アートファイル2013

2013-11-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

  写真家の戸張良彦さんから、北海道立帯広美術館で22日から開催される、道東アートファイル2013の招待券をおくっていただいた。異種格闘技とでもいうような、ジャンルが違うアーティストたちの美術展らしくて、以前に話をきいたときから楽しみにしていた。

  24日は、この展覧会、そして前日、23日は、百年記念館の熊代弘法先生の個展を、ショッカーの直樹さんとみることにした。先週のブルースハープでの、まっちゃんライヴにつづいて、今週も熱い週末になりそうだ。楽しみだ。

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スィート・キャロライン

2013-11-18 | 日記・エッセイ・コラム

 

  JFKの娘さん、キャロライン・ケネディ駐日米国大使が来日した。あすは、皇居で天皇陛下へオバマ大統領の信任状を手渡すという。

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  ニール・ダイアモンドの名曲『スィート・キャロライン』は、父・ジョン・F・ケネディを亡くした、幼いキャロライン・ケネディを慰め、励ますためにつくられた、といわれる。

       ニール・ダイアモンド  Sweet  Caroline http://www.youtube.com/watch?v=1vhFnTjia_I

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    エルビス・プレスリー Sweet Caroline http://www.youtube.com/watch?v=Y00vd5HM_08


わが、親愛なる…

2013-11-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

  わが、親愛なる老父が、いつまでたっても起きてこない。午前零時、わたしは寝た。そうして、いつものように悪しき夢にうなされていると、なにやら階下で人の気配がして、つらい夢から目覚めた。ほんものの悪夢が待っていたのだ。

  階下で響くのは、すさまじいテレビの音だ。わが父が起きてきたのだ。下におりると、大画面のテレビのまえ、ソファに座ってわが父は、左手にテレビのリモコンを握ったまま、タバコをふかしている。テレビ大好きの、ヘヴィースモーカーなのだ。

  父に関して、タバコが健康に影響するとか、ガンの遠因になるとか、まったく無縁な、ただの学説、ただの仮説にすぎない。毎日毎日、一日ふた箱ちかくタバコを吸いつづけ、もう少しで90歳。風邪もひかず元気いっぱい酒を飲みつづけて生きている。

「腹がへった、飯にしてくれないか」と、父はいう。いま何時? 午前2時だろ。わたしは、鮭を焼き、エビフライを揚げて、バカ殿御膳をつくり、晩酌の、焼酎&アップルジュースの用意をしてやる。完了、午前3時、02分。カンベンしてくれ、おとッつァん!

 

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  きのうは雨、外に 出なかった。これは一昨日の帯広川河川敷。昭和枯れススキだ。

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    なぜか、きょうも、わたしはジョン・フォガティなのだ。

     ジョン・フォガティ  Born On The Bayou http://www.youtube.com/watch?v=GAu1GWbL5ds

 


IT断食

2013-11-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

  数日、パソコンが不調で使えず、部屋にじっとして、なぜか、なんだが心地がいい。本が読める。ひさびさ、手書きで文章を書いてみる。これが、キーボードを打っている時より、すらすら言葉がうかぶ。なぜだか………?

  以前、東京(というか、千葉・地下鉄東西線沿線)にいて、NTTの光回線が配線されるまで一か月以上ネットにつなげず、パソコンは、ただの電気タイプライターだったことがある。そのときは、ネットに繋げないことが、けっこう苦痛だった。

  きっと、パソコンやスマートフォンの電源を切って、あらゆる情報を無視して、車を捨てて、歩き、遠くに行きたいときは、馬の背に乗っていくと、もっと創造的な何かをつくれる、だろうな。と、思った……パソコンが故障しているあいだ………。

 

 

  なぜか、ここで、わたしが大好きなジョン・フォガティを……… 聴いてくれ!

      ジョン・フォガティ Run Through the Jungle http://www.youtube.com/watch?v=mbkQt3h1p08


まっちゃんは、ナッツ、そして中小企業オーケストラ

2013-11-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

  あす、帯広・ブルースハープで、ひさしぶりのソロ・ライヴをやる、まっちゃんのシンガーとしてのキャリアは、長い。

  わたしが、40年くらい前、最初にまっちゃんの歌を聴いたのは、ナッツというバンドだった。まっちゃんは、まだ十代だったか。

 

  大昔のことになってしまうが、わたしは、『ペニーレイン&ナッツ・コンサート』というイヴェントを開催した。ペニーレインとは、のちにキャデラックスリムと名を変え、フォーライフ・レコードからメジャーデビューした帯広のバンドだ。

  おもしろいね。このナッツのリードギター、テツヤくんが、キャデラックスリム(ペニーレイン)に参加してくれて、アッチ(藤野敦志くん、肺がんで亡くなってしまった)とのツインギターは、あのバンドがメジャーになる、強力な武器になった。(もちろん、最後にキャデラックスリムに参加してくれた、超イケメンのツルガくんは、まさに、水爆的だったが………)

 

  帯広畜産大学の環境植物、美濃先生のゼミを卒業して、故郷・九州に帰る、森本裕二くんのために、わたしは『森本裕二くん、卒業記念コンサート』を開催した。会場は、帯広市勤労者福祉センターだ。

 

  この帯広市勤労者福祉センターという、ダサい名称のホールを、わたしはよく使った。380席のキャパで、ちょうどいい、使い勝手がいい規模だった。ここ以外は、大きなホールの、帯広市民会館大ホールしかなかった。

  浜田省吾も、荒井由実(ユーミン、松任谷由実)も、浅川マキも、北海道での最初のコンサートは、この帯広市勤労者センターだった。じつは。

  それら、この"オビヒロ・キンプク"といわれたホールのことは、また書こう。

 

 

  話が飛んでしまった。すまん。まっちゃんとナッツだった。

  帯広市のキンプクでわたしが主催した、森本裕二くんの卒業記念コンサート、そのバックを、まっちゃんたちナッツがやってくれたのだ。『森本裕二&ナッツ』だ。

  まっちゃんがギターとヴォーカル、マサルくんがベース。ドラムスは、佐助くん、そして、リードギターが、テツヤくんだ。

 

  いまも、もちろんナッツは、中小企業オーケストラとして帯広で音楽活動をしている。ドラムスの佐助くんとベースのマサルくんは、長いあいだ東京で、レコーディング・スタジオやライヴで仕事をしてきた、ほんもののプロフェッショナルなミュージシャンだ。わたしのケースのように、年をとって故郷に帰るには、さまざまなわけがあるのだろう………。

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中小企業オーケストラ


わが日本の国旗、日の丸だ。

2013-11-15 | 日記・エッセイ・コラム

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  この胸熱くなる絵は、巨大台風の被害に苦しむフィリピンの人たちに援助の手を差し伸べている国への、感謝をあらわすポスターだ。「フィリピン政府とフィリピン国民から 『ありがとう』を………わたしたちは、(あなたたちの支援を)決して忘れません」、フィリピン国旗の手に、差し伸べる手の、中指の先端は、わが日本の国旗、日の丸だ。


16日は、ブルースハープ

2013-11-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

  16日(土)は、帯広・ブルースハープで、まっちゃんこと松井さんのソロ・ライヴがある。

 

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  (まっちゃんの写真は、佐助くんから拝借した)

 

 

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  16日は、まっちゃんライヴをサポートして、ショッカーのみっちゃんも歌う、という。まっちゃんの歌を聴き、みっちゃんを応援するために、ショッカー全員集合ではないかい?

 

 

 

 

 

 


ハードディスクを新調する

2013-11-13 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

  日曜日、早朝のこと。パソコンを立ち上げると、電源が入るだけで、まったく先に展開していかない。明け方、長い大きな雷鳴が聞こえていたが、まさか、その影響だろうか? PCを使っていないときでも、雷で過電流が流れたりするのだろうか?

  なんど試みても、ダメだ。素人のわたしでは、もう手に負えない。プロに診断してもらうことにした。

  月曜日、昨年OCTVの光ケーブルを引いたとき、セットアップに来てくれた方に電話して、パソコンをみてもらった。結局、ハードディスクの不具合(壊れている)という診断だったので、WDの新しい2テラバイトのHDに替えてもらった。じつに快適な 8.1になった。

  昨夜は、セキュリティーソフトやら、プリンターのアプリなどなどインストールして疲労困憊で、酒も飲まずに寝てしまった。

 

 

 


遅くなってしまったが………

2013-11-08 | 日記・エッセイ・コラム

 

  先月の、帯広・ブルースハープでのバースデー・ライヴでは、浜田省吾を熱唱するみなさんの写真を撮った。だが、その写真をブログにアップしようと、あれこれ選んでいるあいだに身内の不幸があったり、カンフル罪をみるため札幌に出かけたりして、何十枚も撮った写真を選ぶ時間がなかった。

 

  しかし、じつは、そのあいだも、何度かあの日の写真を選ぼうとしたのだ。だが、なぜか、あのバースデーの写真のファイルを開くと、きまって階下でクレイジー・ダディの起きる気配がする。テレビのスイッチが入り、突然、すさまじい音が二階まで響いてくる。

「なんだ、なんだ何だ? こんな時間に起きたのかいな! あァーあッ……飯の支度をしてやらんと………きょうは、なぜ? なぜ、こんな早くから起きだすの?」と、階下におりて、毎回毎回、10月11日の写真を選ぶ作業を中断させられた。

 

  クレイジー・ダディは、起きてすぐに、空腹だ、飯を早くしてくれ、といってみたり、あるいは、「起きたばかりだ、飯は、胃がうけつけないだろ」とか言っては、大音量のテレビのまえのソファーで、タバコをふかし、テレビのリモコンを握ったまま居眠りをし、4時間も5時間も、朝飯を食わずに、テレビ爺になっていることもある。(まあ、それが、ほとんど毎日だが)。

 

   オクトーバー・バースデー・ライヴの写真、遅くなって、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

  そんなわけで、もう、ひと月前のことになってしまったが、今夜は、ブルースハープのオクトーバー・バースデー・ライヴの写真を……全世界に公開する。(すまん。とんでもなく遅くなってしまった。ずっと気になっていたんだ)。

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  もちろん、歌うのは、浜田省吾の曲だ。

  たくさんある、この続きの写真は、あしたのココロかな。