Ommo's

古い曲が気になる

エイジア、ジョン・ウェットン逝く

2017-01-31 | 日記・エッセイ・コラム

 

エイジアのジョン・ウェットンが亡くなった。

http://nme-jp.com/news/33031/

 

  ジョン・ウエットン オフィシャルサイト http://www.johnwetton.com/

詠時感~時へのロマン~
ユニバーサル ミュージック
 

       エイジア  Heat Of Moment (Fantasia-Live In Tokyo)       https://www.youtube.com/watch?v=b35x2Q3pUAw

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キャロル・キング、最初のシングル

2017-01-31 | 日記・エッセイ・コラム

地獄の介護から解放され、一人の生活になった。

外は零下の吹雪。

敬愛するシンガーソングライターのキャロル・キングの自伝を読み直しながら、YouTubeで古い音源をみつけて聴いている。(いい時代だ。どんなに古くても、レコードなら音源がみつかる)

 

キャロル・キング、最初のレコードは、ABCパラマウントから発売された「ベイビー・シッティン/アンダー・ザ・スターズ」。1958年(昭和38年)のこと。キャロル・キングは16歳、ニューヨーク・ブルックリンのジェイムス・マディソン高校の学生だった

このシングルは、ドン・コスタがプロデューサーだったが、まったく売れなかった。(50年代60年代、ポップス、ジャズなど広いジャンルで活躍したプロデューサー&アレンジャーのドン・コスタは、1957年、カナダの若者ポール・アンカの「ダイアナ」を世界ヒットさせていた)。

キャロル・キングは自伝で最初のレコードにふれてこう書いている。「1958年に発売された私のシングルは、世間に知れ渡ることがないまま過ぎていった。プロモーション活動を行ったとしても助けにはならなかっただろうが、私は自宅で大学受験の準備に専念できて十分幸せだった。シングル・ヒットが出れば嬉しいが、その反面、私はアーティストとしてツアーに明け暮れる生活を両親ほど望んではいなかった」。


           キャロル・キング   Baby Sittin'  https://www.youtube.com/watch?v=dyxAVXDKtmQ

                               キャロル・キング オフィシャルサイト http://www.caroleking.com/

 

キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン
松田 ようこ
河出書房新社

 

 

 1961年リリースの名盤「Sinatra and Strings」、ドン・コスタのアレンジ&指揮なのだ。

     フランク・シナトラ     Stardust https://www.youtube.com/watch?v=yc0gVEdYEiE

 

今日も日暮れに雪道を散歩する。


カレーパン、雪の散歩だ

2017-01-30 | 日記・エッセイ・コラム

午後四時。北国の昼はあまりに短い。外はもう薄暗い。

真っ暗になる前に散歩にでる。(格好は、第一次南極越冬隊ね)

 後ろから来たわが帯広三条高校の後輩、ふたりの元気な高校生に道をゆずると、アッという間に引き離される。「”勝者三条、覇者三条”だぞ、頑張るんだ! 若者!」

 

 今日の散歩の目的、megaドンキーの中のパン屋、サンヴァリエ(Cent Varie)のカレーパンを買って外に出ると、暗い。

 

 

 


ショッカーの皆さんは、元気かな

2017-01-28 | 日記・エッセイ・コラム

浜田省吾の音楽と映像だけのバー、ブルースハープ。そこのお客さんで結成された浜省カバー・バンドが、ショッカーだ。

きのう、スタバのレジでユリユリさんに肩叩かれ挨拶して、ひさしぶりにショッカーを想った。(この一年、とくに壮絶な介護の日々に疲れ切って、帯広の中心街に出かける元気がなかったのだ)

ショッカーの皆さんだけでなく、浜省を歌って楽しむ人たちに出会ったのは、2013年の6月2日、ブルースハープの花見に招待されたグリーンパークだった。

 

 

下の写真は、2014年の”浜省誕生パーティー”のショッカー。直樹くんの後ろにいるひろしくんは転勤になったそうだが、新しい任地で元気で活躍されていることだろう。

 

 熊ちゃんが歌う浜田省吾、これがまた、じつにいい。

 

 


ああ、Here Comes the Sun だ

2017-01-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

雪雲の間から陽が差してくる。

「ああ、Here Comes the Sun だ」

      ビートルズ Here Comes the Sun  https://www.youtube.com/watch?v=bgiQD56eWDk

アビイ・ロード
EMIミュージックジャパン
 

 

窓の外の雪景色を眺めて、「還暦過ぎて雪国にもどって、5年の壮絶な介護の日々‥‥‥われながらよくやった!」のでないだろうか、などと思ってみる。

壮絶な‥‥老老介護‥‥5年‥‥‥‥‥それも終わった‥‥‥‥‥。 "It's All Over Now,Baby Blue” かな。

    ボブ・ディラン It's All Over Now,Baby Blue     https://www.youtube.com/watch?v=6xEpIgFAPGQ

      

 


スタバで、ショッカー、ユリユリさんと出会う

2017-01-27 | 日記・エッセイ・コラム

帯広三条高校・山岳部、山田勝三先輩(ホテル福井社長)と、数か月まえ近所に開店したスターバックスコーヒーに入った。

オーダーをしている山田さんの後ろで、ぼんやりしていた(山田さんが余命幾ばくかのわが老父の病室を見舞ってくれた、その帰りだった)。

「お元気でしたか?」と、明るい声で肩を叩かれた。なんと、ユリユリさんだ。

 

ユリユリさんは、ワッタの奥さん。二人とも超熱烈・浜省ファンで、帯広の浜田省吾ファンの聖地”ブルースハープ”の常連。ワッタとユリユリご夫妻は、浜田省吾カバーバンド"ショッカー”のメンバーなのだ。ワッタはベース、転勤したひろしくんに代わってユリユリさんがサックスやっている、と今日スタバで聞いた。アルトとテナーを買ったというではないか。ワッタのベースもずいぶん腕を上げた、とユリユリさんがいう。聴いてみたい。

 

 

 


BORN TO BE BLUE

2017-01-26 | 日記・エッセイ・コラム

九州・熊本の森本裕二くんから映画のチラシが届いた。

「LPレコードのジャケット同様に映画のチラシもまた、映画の内容を見事に表現したアート作品ではないでしょうか」と、森本くんは言う。同感だ。

そんなわけで、熊本の劇場で公開される映画のチラシを送ってくれた。

チェット・ベイカーがモデルの「ブルーに生まれついて BORN TO BE BLUE 」は、熊本・Denkikan で1月14日から公開中だが、あす27日で終了。

   Denkikan    http://www.denkikan.com/

 

         ブルーに生まれついて  公式サイト http://borntobeblue.jp/ 

    

    チェット・ベイカー  My Funny Valentine    https://www.youtube.com/watch?v=jvXywhJpOKs

チェット・ベイカー・シングス
ユニバーサル ミュージック

   
 
 

Crying

2017-01-24 | 日記・エッセイ・コラム

 ロイ・オービソンの Crying も1961年(昭和36年)のヒット曲。だが、ラジオで聴いたことがなかった。はじめて聴いたのは、祖父の経営する要籐電気店のレコード売り場だった。

    ロイ・オービソン Crying       https://www.youtube.com/watch?v=cQrgeeS_qbo  

Very Best of Roy Orbison
Sony UK
 

ベルケン「星空のブルース」

2017-01-23 | 日記・エッセイ・コラム

小学6年生の孫娘が、難関の中高一貫校に合格してホッとしている。

志をもって土日はもちろん、正月も塾に通っていた孫娘。無邪気なわが小学6年生の日々。

帯広北栄小学校のグラウンドでボールが見えなくなるまで野球。腹ペコで走って帰ってナイターをみながら夕飯。飯のあと、離れの部屋にこもってソニーのトランジスタラジオにかじりつき、ノイズのかなた微か聴こえるニッポン放送や文化放送、FENにあわせた。北海道のラジオ局で洋楽の番組は、S盤アワーとL盤アワーだけだ。

FEN(駐留米軍のラジオ放送 Far East Network)は、千歳か稚内の米軍基地の放送が帯広でも深夜になると鮮明に聴こえた。

 

小学6年生といえば‥‥1961年(昭和36年)、ベルト・ケンプフェルト・オーケストラの「星空のブルース Wonderland by Night 」が、ビルボード1月のナンバーワンだ。

   ベルト・ケンプフェルト    星空のブルース Wonderland by Night    https://www.youtube.com/watch?v=NnU_nMYb0C4

星空のブルース~ベルト・ケンプフェルト・ベスト・セレクション
ベルト・ケンプフェルト
   
 
 

 

ベルケンことベルト・ケンプフェルトは、ドイツ・ポリドールレコードのプロデューサー。自身が作曲・指揮したオーケストラのレコードが、ドイツ、アメリカ、そして日本で大ヒットした。

ベルト・ケンプフェルトは、自ら全米ナンバー1のアーティストであり、ビートルズの最初のレコードのプロデューサー。

そして、フランク・シナトラ、1966年(昭和41年)ナンバー1ヒット「夜のストレンジャー」は、ベルケンの曲に英語の歌詞をつけたのだ。

    フランク・シナトラ  夜のストレンジャー Strangers in the Night https://www.youtube.com/watch?v=hlSbSKNk9f0

マイ・ウェイ/夜のストレンジャー フランク・シナトラ・ベスト
フランク・シナトラ

   
 
 

産経新聞をとる

2017-01-22 | 日記・エッセイ・コラム

父親が入院したので、父が購読していた北海道の新聞を止めた。

デスクトップのパソコンで産経新聞電子版は見ているのだが、飯を食いながら、ベッドで寝ながら、産経新聞を読むことにした。(紙の新聞を購読するのは、20年ぶりだろうか。)

ところが‥‥しかし‥‥‥‥北海道・帯広に産経新聞の販売店がない。

北海道新聞の販売店が取り扱っている、という。航空便で空輸されてくるので夕刊として配達される、と産経新聞北海道支社の案内だったが、ここ帯広では、夕刊ではなく翌日の朝刊のときに配達される。つまり、前日の朝刊を(すでに古新聞かな)購読するわけ。

しかし、べつにニュースを知りたいわけじゃない。ネットで世界中のニュース・メディアのサイトにアクセスできる。

”産経新聞”を読みたいのだ。

そんわけで、一日遅れの産経新聞を楽しんでいる。愉快じゃないか。

 

ひどく寒いと思っていたら、雪。大雪になりそうな降りだ。

雪の降る、こんな道を散歩して、一日遅れの産経新聞を読む今日であった。


やはり、今夜は、キャロル・キング

2017-01-20 | 日記・エッセイ・コラム

 数日ぶりにインターネットがつながって、なんだか、難破してオホーツク海を漂流して、たった一人漂着した北の絶海の孤島から、やっと救い出された、ような、ホッとした気分で、ワインを飲みながら、肴はまず、糠さんま。

 キャロル・キングの『つづれおり Tapesty 』(1971年)は、人類音楽史に永遠に残るアルバムだろうな。 

 今夜、インターネット復旧を祝って、まず、YouTubeで『つづれおり』を聴いている。

つづれおり
SMJ
 

     キャロル・キング 『つづれおり Tapesty 』   https://www.youtube.com/watch?v=8NdEIt-W6E8


PC、2階から1階へ

2017-01-20 | 日記・エッセイ・コラム

 二階から階下にデスクトップのタワーパソコンを下した。

 これが簡単ではなかった。光ケーブルの配線工事は、雪が積もる屋根は避けて配線し直さなくてはならない。二階に引いてるケーブルを、「下の一階の壁面から室内に入れてちょうだいな」という単純なことでなかったのだ。屋根から雪が落ちるときケーブルを切断してしまうのだ。さて、どうするか? 

 けっこう大工事だ。(屋根から雪が落ちて配線した光カーブルを切る!! 真冬でも、露地でほうれん草や小松菜を栽培していた、千葉・浦安に長く住んでいたわたしはもう、ここが雪国だ、という認識が希薄なんだね。故郷なのに、情けない。簡単な工事だと思っていた)

 16日、工事屋さんに来てもらった。そのお兄さんのアドバイス、「ルーターを使って無線で二階から下に飛ばしてはいかがでしょうか? バッファローの5000円くらいのルーターで十分だと思います」(光ケーブルを電柱から屋根の反対側へ引き直すと、けっこうな費用がかかる工事になります、それより、ずっと安上がりですよ、と、口に出して言ってないが目で言ってる。じつに的確なアドバイスなわけだね)

 そんなわけで、近所の”百万ボルト”でNECのルーターを買ってきて、本日、やっとインターネットがつながった。