Ommo's

古い曲が気になる

ホワイトアルバム

2016-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

 ”うらほろ 太郎”さん、コメントありがとうございます。最初にビートルズの『ホワイトアルバム』を買っていただいた、とのこと、誠にありがとうございます。

 (レコードを買うために、農作業のバイトをしてる高校生を想像するだけで、涙がでます。ジジイなので、ひどく涙もろいこともありますが、

 あの1968年(昭和43年)発売のアルバム『The Beatles (いわゆる、ホワイトアルバム)』は、2枚組4000円でしたか。当時ではとんでもなく高額のアルバムでした。(このアルバム発売の前年、わたしの札幌の下宿は、二食付き一月5000円‥‥‥如何にLPレコードが高かったか‥‥‥高卒の初任給は、たしかまだ1万円までいってないはず‥‥7000円とか8000円くらいではなかったろうか?)

 ですから、あの『ホワイトアルバム』、じつは発売当初、ビートルズの新譜としては期待したほど売れなかったのです。当時の洋楽好きの少年少女にはあまりに高額でした。レコード屋になったばかりのわたしとしては、「ビートルズのニューアルバムだぜ!」と、当然ドッと仕入れたので苦戦しました。しかし、ビートルズは解散直前、再びブレイクします。アルバム『アビー・ロード』『レット・イット・ビー』が大ヒットして、以前のアルバムすべてが再び売れだすのです。

 わたしは、1972年1月9日、帯広市民会館で、ビートルズの35ミリ劇場映画4本『ヤー!ヤー!ヤー!』『ヘルプ』『イエロー・サブマリン』『レット・イット・ビー』を一挙に上映しました。このイベントを契機に、サウンドコーナーではビートルズの60年代のアルバムすべてがよく売れました。

 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『マジカル・ミステリー・ツアー』『ラバー・ソウル』『リボルバー』『ヘルプ!』『イエロー・サブマリン』『ビートルズ・フォー・セール』『ハード・デイズ・ナイト』『ウイズ・ザ・ビートルズ』『プリーズ・プリーズ・ミー』、そして2枚組の『ホワイトアルバム』も、過去のアルバムすべてが、それはそれはガンガン売れだすのです。ビートルズのすべてのアルバムが店の基本在庫、それは70年代から80年代ずっと続きました。

 『ホワイトアルバム』は、今聴いても、じつにいいですね。

White Album (Dig)
 
 

 


最近、何故か再び、ビージーズ

2016-11-24 | 日記

 

     ビージーズ Please Please Please Me  https://www.youtube.com/watch?v=b04dU_8500M

  この映像は1963年頃だろうか? だすると、長男のバリー・ギブは、17歳。ロビンとモーリスは、14歳だろうか? ロビンとモーリスは、もっと幼い感じがするが‥‥‥‥。

 もっと若いギブ兄弟の動画もある。バリーが14歳、ロビンとモーリスは、まだ11歳。

   ビージーズ 1960 https://www.youtube.com/watch?v=aQrvo50eTrg

 

 この数週間、酒に酔うと何故かビージーズの動画をみる。

 少し前のこと。バリー・ギブのインタビューで、弟たちのことを話して涙ぐんでいる映像をみた。その動画をみて思わずもらい泣きだ。幼い時からいっしょに歌って、ともに人生を切りひらいてきた双子の弟モーリスとロビンは、53歳と62歳の若さで癌で亡くなった。ソロでデビューした12歳年下の弟アンディー・ギブも、1988年、30歳の若さで死んでる。弟たちはみんな死んで、長男のバリー・ギブだけが、老いた今も、レコードディングをし、ライブツアーをやっている。お兄ちゃんとしては、とんでもなく不条理で悲しいだろ。その悲しみがひしひしと伝わる誠実なインタビューだ。みていてつらい。泣いた。

 

 ビージーズの日本でのデビュー曲、『ニューヨーク炭鉱の悲劇』が発売になったのは、1967年。わたしが、札幌大学外国語学部ロシア語学科の一年のときだ。ラジオの深夜番組で聴いた。そのソニーのトランジスタ・ラジオは、電気店をやっていた祖父が、大学の入学祝にプレゼントしてくれたラジオだった。そして、大学二年の冬。わたしは、札幌から東京に出て、蒲田・蓮沼のアパートに住んで、ロシア語の専門学校・日ソ学院に通った。銀座のACB(アシベ)に行った時、日本のいわゆるグループサウンズのバンドどれもが、ビージーズの『To Love Somebody』を好んでカバーしていた。

   ビージーズ To Love Somebody(1967)    https://www.youtube.com/watch?v=QHtGu0OGEpc 

ビー・ジーズ・ファースト(紙ジャケット)
 
 

      ビージーズ To Love Somebody(1997)  https://www.youtube.com/watch?v=dFhMP65W92g


ジョージ・ハリソンを聴く

2016-11-19 | 日記・エッセイ・コラム

 ビートルズが解散して、それぞれソロで発売したアルバムのなかで、ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』が好きだ。

 もちろんわたしは、このアルバムが発売になった時、北海道・帯広の駅前でレコード屋のあんちゃんをやっていた。仕入れ担当者どころか、狭い売り場に店員はわたしだけ、という小さい店だ。それが、『オール・シングス・マスト・パス』が発売になったころ。

 朝10時から夜9時まで、年中無休の店で、たったひとりの売り子だ。トイレは、ビルの地階の喫茶「ラタン」と共用のところに走る。飯、腹がへる。その当時は、20歳・21歳・22歳、いつも腹ペコだ。

 毎日のように店にきてくれるロックファンの中学生、宮坂寿文くんや加藤光邦くんに、「ちょっと店番してね」と言って、立ち食いそばか、インディアンカレーに走ったものだ。

 

オール・シングス・マスト・パス ~ニュー・センチュリー・エディション~
ジョージ・ハリスン,ボブ・ディラン,マーティン&コールター
EMIミュージック・ジャパン

 『オール・シングス・マスト・パス』、当時、みごとに売れなかった。当然だろ。2枚か3枚組だか忘れたが、4800円と5000円とか、忘れたがなんとも狂気の値段だった。

 


トランプが勝ったので

2016-11-17 | 日記・エッセイ・コラム

 他国の国家元首の選挙だから、どうでもいいのだが、アメリカ大統領選挙、共和党トランプが勝ったので、

アメリカの、保守の論客アン・コールターの著書『Treason リベラルたちの背信(アメリカを誤らせた民主党の60年)』(栗原百代訳 草思社 2004年)を引っ張り出して読み返してる。

 


悲しいことばかりだ

2016-11-16 | 日記・エッセイ・コラム

 りりィが先週11日に亡くなった、と知った。

  http://www.jprime.jp/articles/-/8509 

 わたしは、1972年に東芝レコードからデビューしたりりィの、北海道でのコンサート・プロモーターで、札幌・旭川・北見・釧路・帯広など一緒に旅をした。バンドは『バイバイ・セッション・バンド』だった。


スーパームーン

2016-11-14 | 日記・エッセイ・コラム

 夜空は薄雲に覆われて、残念なスーパームーンだ。その雲を透して確かに巨大な満月が輝いている。

 深夜、雲は流れ、スーパームーンが西の空に輝いている。明るい!

 「あの輝く月も、やがて地球を回る軌道からブっ飛んでいく。いつか‥‥‥‥何憶万年後かな‥‥‥‥」と、思いながら輝く月を眺める。じつに美しい月だ。

 

 


レナード・コーエンが亡くなった

2016-11-12 | 日記・エッセイ・コラム

 レナード・コーエンが亡くなった。悲しい。

 カナダでは国葬になるのではないか? 

 レナード・コーエン Hallelujah  https://www.youtube.com/watch?v=YrLk4vdY28Q

 レナード・コーエンのファーストアルバム "Song of Leonard Cohen" の国内盤は、わたしがレコード屋になった年にCBSソニーから発売になった。

 

 先月発売になった最新盤がこれ、"You Want It Darker" 。なんとも死を覚悟したタイトルのような気がする。覚悟というよりさらに、死を受け入れ、望んだ、と。

ユー・ウォント・イット・ダーカー
SMJ
 

 

 昨夜はレナード・コーエンの小説『嘆きの壁 Beautiful Losers』(大沢正佳訳 1970年 集英社)を読み返した。

 

 レナード・コーエンの名曲「ハレルヤ」を聴くには、ブログ『およげ!対訳くん』の和訳と解釈がとても参考になる。

   『およげ!対訳くん』 http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2014/03/hallelujah-leonard-cohen-jeff-buckley.html


今夜は、Ball And Chain 考

2016-11-12 | 日記・エッセイ・コラム

 ビッグ・ママ・ソートンのことを検索していて、エタ・ジェームスが歌う ”Ball And Chain" を聴いた。凄い。

 わたしはまず、1967年のモンタレー・ポップ・フェステイバルの映画で、ジャニス・ジョプリンが歌う ”Ball And Chain" を観た。「凄い! ジャニス!」と、以来ジャニス・ジョプリンは、神だ。

 そしてレコード屋になって、ジャニスが歌った ”Ball And Chain" のオリジナルは、ビッグ・ママ・ソーントンと知った。これがまた凄まじい。

    ビッグ・ママ・ソーントン Ball And Chain  https://www.youtube.com/watch?v=1jXM1OEP5os

Jail
Vanguard Records
 

 

 外は、雪。大雪になるだろう。


白鳥は凄い

2016-11-08 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日(11月6日)のこと。日が暮れて、三日月が綺麗なので、月と星を見ながら散歩をしていると、背後の上空から聞き慣れた鳴き声がする。「今年もやって来たか!」、振り向くと、みごとなV字編隊のオオハクチョウの群れが南西に向かって飛んでいく。

 三日月と星の夜空、その夜空を飛ぶ白鳥の群れは、じつに美しい。あのまま夜を飛び、2000メートル超の日高山脈を越え、300キロ向こうの苫小牧のウトナイ湖まで行くのだろうか。あるいは、近場の帯広川上流部か、芽室の美生川あたりに降りるのだろうか。

 それは、11月6日の午後6時半くらいのこと。なんと、昨年、11月7日に同じようなことを書いていた。夜空を飛行する白鳥の群れを見た、と。つまり、去年と今年、11月7日と6日一日しか違わず、ほとんど同じ時間午後6時30分、おそらく同じ群れの白鳥が、同じ方向に向かって飛んで行った。

 この白鳥の一家は、アムール川よりさらに北のシベリアの湿原を10月の初め頃に飛び立って、樺太を経由して北海道にやって来た。北海道か東北の凍結しない川や湖沼で越冬するためだ。

 

 これは今年の1月、近所の、帯広三条高校の北側を流れる小川で越冬している白鳥。

 

  

 

   


また雪だ

2016-11-05 | 日記・エッセイ・コラム

 またまた雪。

 予想したとおり、今年の冬は凄まじいことになりそうだ。

 春も夏も、今年は雨ばかり、すっきり晴れた日は数日だった。そして、秋。かっての ”十勝晴れ” の日などまったくなく、雨と曇天ばかり。このまま冬に突入か、と悪い予感がした。きっと、東北や北陸の、日本海側のような深い雪の冬になるだろう、と。

 台風が立て続けに直撃したように、北海道の気候は確実に変わっていく。北海道に関して ”温暖化” の心配はないようだ。明らかに寒冷化している。ひょっとすると小氷河期に向かっているのかな? 地球は生きてるね。

 今日のわたしの ”趣味の雪かき” は、1時間45分だった。


ボリス・パステルナーク

2016-11-04 | 日記・エッセイ・コラム

 

  二月だ インクをとって泣け!
  泣きじゃくりながら二月について書け
  さんざめく霙の雨が
  黒い春となって燃えているあいだに

     ボーリス・パステルナーク  1912年(工藤正廣 訳)

 

 二月じゃないのに、なぜか雪かきをしながら、このパステルナークの詩句が頭に浮かんだ。霙のなかの雪かきだったせいかな。

 きっと、ボーリス・パステルナークのことを思ったのは、ノーベル文学賞が話題になっていることもある。

 パステルナークは、1958年、ノーベル文学賞受賞が決定されたが、ソ連政府の圧力で辞退した。

 ソ連で発禁になった、小説『ドクトル・ジバゴ』の原稿は、密かにイタリアに持ち出されて出版され、世界的にヒットした。1957年のことだ。

 この小説は、ハリウッドで映画になり大ヒットした。日本で封切りになったのは、わたしが高校生のとき、1966年、昭和41年だったろうか。

 高校生のわたしは、ラーラを演じたジュリー・クリスティの美しさ、そして、モーリス・ジャールの音楽にシビれたものだ。

    ラーラのテーマ  https://www.youtube.com/watch?v=4Yd2PzoF1y8