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毎日寒い。これで4日間、雨だ。
なぜか、25日、このわたしのブログは、一日のアクセスが700を超えた。
大阪の広告代理店、新生企業(伸生)の社長が逮捕された。第3種郵便物の不正だ。120円の料金を8円で発送していた。100億円以上の利益をあげていた、という。昨年の11月8日のわたしのブログで、朝日新聞の記事を引用して、博報堂が、この新生企業からの提案で、大手家電量販店のDM、1100万通を、障害者団体の郵便物と擬装して差額を儲けている、と伝えた。弱小の代理店は捕まり、大手の博報堂には手も足もでないのか? なさけない。
クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンClarence "Gatemouth" Brown のことを調べていると、60年代には音楽をやめて、ニューメキシコ州で保安官補になった、とある。おもしろい。70年代になって、白人の若者たちにブルースが注目されて復興するまで、黒人ブルースマンたちのなかには、音楽だけでは食っていけなくて、ラジオのDJになったり、肉体労働をやって暮らす人たちもいた。しかし、保安官とは、ブルースマンとかロッカーとは一番遠い仕事のようで、おかしい。(保安官になったミュージシャンより、保安官に捕まったミュージシャンのほうが圧倒的に多いだろう)。
ルイジアナ&テキサス・ブルースのクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンは、70年代にアメリカ政府がスポンサーになって、アメリカ音楽大使official ambassador for American musicとして世界ツアーにでた。「大使」とは、元保安官のブルースマンにふさわしいのかもしれない。
60年代後半から70年代、日本では、クリームやポール・バターフィールド・ブルース・バンドや、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドのセッションや、オールマン・ブラザーズ・バンドやジョニー・ウインターなどでブルースを知った人たちが多いだろう。そして、ルーツの黒人ミュージシャンを聴きこむ若者たちがでてくる。わたしのレコード屋で、ブルースのレコードを、毎日のように熱心に聴いていた若者たちの、ひとりひとりの顔を、いまも思い出すことができる。
クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン Pressure Cooker http://www.youtube.com:80/watch?v=xZ40kVRvcdk&feature=related
保安官補になったケースとまったくちがうが、ニューオリンズ・ジャズのクラリネットの名手、ジョージ・ルイスは、突然、音楽界から引退する。1942年ころのはなしだ。女性関係のトラブルで、バンドメンバーがステージの上で射殺された。その現場にいて、ショックをうけて、クラブの仕事に嫌気がさした。という説もある。スイング全盛、モダンジャズも始まろうとしていた。ニューオリンズ・ジャズでは、もう食っていけなかったのが現実かもしれない。
港湾労働者になって港で荷下ろしをやっていた。その作業中に肩に大怪我をする。この療養中にクラリネットの練習を再びはじめてなければ、音楽シーンに復帰することはできなっただろう。バンド仲間が楽器をもって見舞いにきて、セッションをやり、ジャズ研究家のウイリアム‘ビル’ラッセルは、ポータブルのレコードプレーヤーを見舞いに置いていく。そうして、リハビリのあいだに、ジョージ・ルイスの代表的な曲 Burgundy Street Bluesがつくられた。この曲をウイリアム‘ビル’ラッセルがレコーディングしてジョージ・ルイスは復活した。美しい曲だ。
ジャズ研究家のウイリアム‘ビル’ラッセルや熱心な愛好家の支持で、ニューオリンズ・ジャズのリバイバルがやってくる。ここでも、ブルースの場合とおなじように、白人のインテリのマニアックなファンが、忘れられかけた音楽を世界に紹介してよみがえらせたのだ。ジョージ・ルイスのバンドは、アメリカはもちろん、ヨーロッパと日本でうけた。63年、64年、65年と来日公演をやっている。
わたしは、中学生のとき、帯広市民会館でジョージ・ルイスのバンドをみた。クラリネット、トランペット、トロンボーン、バンジョー、ウッドベース、ドラムスという編成だった。そのたのしさに心底感動した。労音が主催だった。
ジョージ・ルイス Burgundy Street Blues http://www.youtube.com/watch?v=4Ie0CNf33zE&feature=related
ジョージ・ルイス Old Rugged Cross http://www.youtube.com/watch?v=eH2HQTMSVo4&feature=related