1970年、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター・ボージャングル」を、ニッティー・グリティー・ダート・バンドがカバーしてヒットすると、当時のアメリカの大物アーティストがこぞってステージで歌い、レコーディングした。
それは、留置場で出会った“ミスター・ボージャングル”と呼ばれる、タップダンスがうまいホームレスのおっさんの話が、ヒューマンで心温まる、ということじゃなく、この曲が、実在した偉大な黒人タップダンサー、ビル“ボージャングル”ロビンソン へのオマージュだからだろう。
黒人公民権運動の先頭にたっていたハリー・ベラフォンテやニーナ・シモンがいち早くレコーディングしている。
ハリー・ベラフォンテ Mr.Bojangles http://www.youtube.com/watch?v=poYHe54Dyfc&feature=related
ニーナ・シモン Mr.Bojangles http://www.youtube.com/watch?v=tJs3ooeQDYY
ビル“ボージャングル”ロビンソンは、天才的なタップダンサーで、白人社会にも認められた、超高額なギャラの最初の黒人エンターテイナーということだけではない。実質的なハーレムの市長、といういわれるほどニューヨークの黒人街での信望があった。
1949年に亡くなったときの葬儀の映像がある。沿道で葬列を見送った人々は、3万人を超えていたといわれる。
ビル・ボージャングル・ロビンソンの葬列 http://www.youtube.com/watch?v=Qy30vnq0Pdc&feature=related
“ミスター・ボージャングル”、ビル・ロビンソンは、第一次世界大戦のとき、ニューヨーク・ハーレムの黒人青年たちの志願兵で編成した部隊、369歩兵連隊のライフル兵だった。ナイトクラブのショーやブロードウェイで大金を稼ぐ、人気のタップダンサーだったが、志願して黒人部隊に入隊するのだ。
このニューヨーク・ハーレムの志願兵部隊は、フランス国防軍の指揮下にはいって、フランス軍の軍服を着て戦った。
“Harlm Hellfighers”(ハーレムの地獄の戦士)といわれ、勇猛果敢で恐れられたのだ。すこし前まで奴隷制があった、そのアメリカというの祖国ために戦う黒人部隊は、黒人の地位向上に大きな役割をはたした。ニューヨークのハーレムの黒人たちには、369歩兵連隊“Harlm Hellfighers”は、誇りなのだ。
タップダンサー、“ミスター・ボージャングル”・ビル・ロビンソンは、この“Harlm Hellfighers”の隊員だ。ニューヨークの凱旋行進では、先頭をいく音楽隊のドラマーだった。(この369歩兵連隊の音楽隊は、ジャズ史では大きな存在だ。そのことは、またいつか書こう)
ニューヨークを凱旋行進する、369歩兵連隊音楽隊。
サミー・デイビス・ジュニア Mr.Bojangles http://www.youtube.com/watch?v=NvYmL5KsvYA&feature=related