やっと春。
![568_2 568_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/45/9601e1791398a7b7ced57f2fa9978b3f.jpg)
近所の庭の桜にメジロがやってきて、花の蜜を吸っている。立ち止まって眺めていると、ベビーカーを押した若い夫婦に話しかけられた。
「これ、桜でしょうか?」と、奥さんが尋ねる。「木の幹は桜みたいですね?」と、旦那さん。
「早咲きの桜ですね」と、わたしはこたえた。
「河津桜という種類かしら? その向こうの花は何ですか?」
「梅ですね。派手な花びらの梅ですね」
「桜と梅が、いっしょに咲くんですね」
「桜の花の蜜を吸いに、メジロも来てますよ」と、わたしは教えた。
「ほんとだ。はじめて実物をみました。ほら、あすこ、メジロだよ」
「あら、なつかしい。子供のとき、田舎の裏山でよく見たわ。可愛い鳥ね」
そうして、「どうも」と、わたしが言い、若い夫婦も、「どうも」と言って、わたしたちは別れた。
こうして見ず知らずの人に話しかけられるようになったのは、大震災以降ではないだろうか? あの大地震を体験し、壮絶な大津波の映像を繰り返しみて、突然亡くなったたくさんの人々の悲しい話しに涙をながし、放射能におびえて暮らす、この大都会の人の心に、何か決定的な変化があったのではないだろうか?
旧江戸川の遊歩道に立ち止まって、川面の水鳥をみていると、「何という鳥です?」ときかれる。以前はこんなことはなかった。わたしは、話かけるには恐ろしい人相の老人なのだ。
「あれは、バン(鷭)です」と、わたしは答える。
血のように真っ赤な肉で、焼いて食べると、すごく美味いんですよ、と、そこまでは話さないが………。バンは、絶滅危惧種にちかい希少種になってしまったが、むかしの北海道では狩猟鳥だった。何羽か撃って食べたことがある。美味い。クイナの仲間で、動きはチョコマカしていて愛らしい。
日本の芸人が、カンボジア国籍をとって、ロンドン・オリンピックにマラソンで出場するという。醜悪な話だ。広告代理店とテレビ局と芸能プロダクションが書いた臭いシナリオだろうが、ロンドン・オリンピックの汚点だね。
カンボジアにはこの芸人より記録のいい選手がいるので、カンボジア陸連は選ばないだろう、と思っていたが、札束で右の頬を叩かれたから、左の頬もだしたのかな。
貧しい国で、金ばらまいてオリンピック出場権を手にする。それで、お涙ちょうだいの臭いスポコン・ドキュメンタリー番組に仕立てる。じつに醜悪だ。こういう番組にスポンサーがつくところが、いま日本がどうしようもなく劣化しているところだろうな。誇りも、倫理観も、他国の人々への思いやりもまるでない。金儲になりゃ、どんな汚いことも、ふざけたことも許される。
どうしてこんな恥ずかしい国になっちまったのかね。カンボジアの人々に、失礼じゃないか? と報道しているマス・メディアはあるのか? オリンピックを冒涜してないか? と疑問を投げかけて報道しているテレビはあるのか?
カンボジア側からオファーがあった、というようなことを芸人が言っている、とスポーツ紙にあるが(図書館で読んだ)、そんなことあるわけがない。デタラメだろ。何のために、住んでもいない芸人の外国人に国籍を与えて、貴重な税金をつかって、自国の選手としてオリンピックに派遣しなくてはならない? それも、スポーツ選手でもない、芸人を?
もし仮に、貧しい国の貴重な税金をつかって外人部隊を雇うなら、優勝を狙える本物のアスリートを選ぶだろう。(「7人の侍」を雇った農民のように、貴重な金を使うんだ。最高に腕のたつサムライをさがすはずだ)。
他国の芸人に、「わが国のために、オリンピックにでてくれないかい?」と、普通の知能の役人や政治家が提案するわけがない。発覚すれば国民の反感をかい、自分の政治的立場を失う。命さえ危ない。
カンボジア国民に対して礼を欠いた、日本として、こんなみっともない話もない。(あの芸人はカンボジアに帰化して、もう日本人ではないから、日本の恥ではもうないか………、しかし、どうしていまも日本に住んで、日本で記者会見するのだ? カンボジアに帰って、カンボジア国旗を背に、カンボジアのプレスの前で、「カンボジア人としてオリンピックに出場します。カンボジア国家の名誉のために優勝します」と、カンボジア国旗のエンブレムを胸に、カンボジアの国語・クメール語で、記者会見するべきだろう)
国際オリンピック委員会(IOC)は、このカンボジアのマラソン選手の出場を拒否するべきだろう。この日系カンボジア人は、マラソンを愚弄し、オリンピックを冒涜している。おぞましい話だ。オリンピックも安っぽくなったものだよ。
これで、ロンドン・オリンピックの、男子マラソンをテレビでみることはないな。貧乏な国から金で代表権を買ったやつが走る、うす汚いレースになってしまった。
日本のテレビは、浮かれて無批判に報道しているが、このオリンピック・マラソン問題は、カンボジア国内に、大きな禍根を残すことになるだろう。政治問題にも発展しかねない。カンボジア陸連は、国民が期待していたカンボジア人の長距離選手を外して、合理的な理由もなく、少しまえに国籍を取得した日本人を選んだ。国民は黙っちゃいないだろう。
(あの国が政治混乱に陥ると激しいよ。なんといっても、クメール・ルージュ=カンボジア共産党がやりたい放題、大暴れした国だ。キリングフィールドの国だ。数百万人の自国民を、子供たちに命じて、棍棒で撲殺した凶悪な共産主義者たちを生んだ国だ。
大虐殺があったのは大昔のことじゃない。つい最近、ビートルズが解散したあとの時代のことだ。日本の若者がソニーのウォークマンをつけているころ、カンボジア共産党軍は、自分の国の国民を殺しつづけていた。
医者、看護婦、学者、教員、作家、音楽家、画家、アスリート、大学生、そのほかあらゆる知識人、そして、熟練した職人を皆殺しにした。共産党を批判して、権威を脅かす可能性のある人間を殺しつづけた。その犠牲者は、200万人以上とみられている。
もともと人口の少ない国だ。これだけの人を失うと、戦乱が終息沈静化しても、人材がいない。どの分野でも、指導的立場の人々がことごとく共産主義者に殺されてしまっていた。これは国家の再建に大きな痛手だ。スポーツの分野でも同様だろう。
そういう苦しみながら国家再建をしている国が、カンボジアだ。自国民の虐殺者・カンボジア共産党軍を鎮圧したベトナム軍が撤退して、まだ20年くらいなのだ。そういう悲しい歴史の、貧しい再建途上国につけこんで、よくもまあ、こんな恥ずかしいことができるものだよ。ロンドン・オリンピックで、カンボジアが持っている男子陸上競技の出場枠は、たった一つなのだ)。
※ 日本のマスコミは、カンボジアで200万人を超す自国民を虐殺した犯人たちを、"ポルポト派"と書くが、この表現は欺瞞だ。虐殺の実行犯は、カンボジア共産党、通称クメール・ルージュ(赤いクメール)と正確に書くのが、報道機関だろう。