Ommo's

古い曲が気になる

レナード・コーエンの ″ハレルヤ″

2013-06-29 | 日記・エッセイ・コラム

 
 
 
Various Positions

 6月19日にトゥーツ・シールマンスのことを書いて、トランペットのクリス・ボッティが演奏する、Hallelujah の映像を貼った。それ以来、散歩をしていると、レナード・コーエンの「ハレルヤ」が耳の奥からはなれない。

 

  レナード・コーエン Hallelijah http://www.youtube.com/watch?v=YrLk4vdY28Q

 

Songs from the Road

Live in London [DVD] [Import]

 

      レナード・コーエン Sing Another Song, Boys (1970年 ワイト島ロック・フェス)http://www.youtube.com/watch?v=m-QBJbSs4xU

LIVE AT THE ISLE OF WIGHT 1970 [DVD]

     レナード・コーエン Suzanne (1970年 ワイト島)http://www.youtube.com/watch?v=wddETTefajQ

  レナード・コーエン Suzanne (2008年 ロンドン)http://www.youtube.com/watch?v=7eJL4KA94t0

Songs of Leonard Cohen

     レナード・コーエン The Stranger Song (1967年) http://www.youtube.com/watch?v=RLq7Aqd_H7g


29日は、ドイツ戦

2013-06-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 なでしこジャパン、29日はドイツ戦だ。キックオフは、日本時間、日曜日の午前0時45分。すでに4万枚のチケットが売れているというから、ドイツはもう、親善・強化試合のノリではないな。打倒・世界ナンバーワン・日本、だね。

 ドイツは、2011年のワールドカップで、日本に敗れて、ロンドン・オリンピックの出場権を逸した。憎っくきジャパン女子なのだ。日本は日本で、そのまえ、北京オリンピックで、ドイツに負けてメダルを逸して、第4位に甘んじた。ワールドカップでは何としてもその雪辱をはらさねばならんかったのだ。

 この、ワールドカップのドイツ戦もすさまじいゲームだった。90分では0-0で勝負がつかず、延長後半3分、澤さんが上げたロングパスを丸山桂里奈が追って、ゴールラインぎいぎりから奇跡的なゴールを決め、ドイツの猛攻を耐えぬいて勝った。最後の最後までけっして諦めない、なでしこジャパンの面目躍如たる、みごとな勝利だった。そしてドイツは、この敗戦で、オリンピック出場権を失ってしまったのだ。

    2011 女子ワールドカップ 日本vsドイツ http://www.youtube.com/watch?v=pv9T4YcmsqI


同志社大学の母、新島八重

2013-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 大河ドラマ『八重の桜』は、いよいよ30日(日曜日)、鶴ヶ城、籠城のシーンになる。会津戦争は、武士だけでなく、武家の女も、子供も、老人も、新政府軍と戦って死んだ、戊辰戦争最大の悲惨な戦闘だ。そして、会津藩の武家の人々の気概を、みごとにみせた戦いでもある。

 

 慶応四年(1867年)8月23日、鶴ヶ城(会津若松城)に籠った会津藩士と、女性、老人、子供たちは、城を包囲した新政府軍(3万とも4万人ともいう)を相手に、なんと、9月22日まで戦いぬいた。主君・松平容保から降伏命令がでて、無念にも、城に3本の白旗をあげたのだ。(この30日の長き籠城を防御総督として指揮したのが、若干24歳の山川浩だ。山川浩は、のちに陸軍少将・男爵・貴族院議員となった)。

 

 女たちは、握り飯を作り、負傷した藩士たちの看護をした。しかし、山本八重は、夜は男たちと城の外にでて夜襲をかけ、明るいときは、城のなかから狙撃した。銃の名手で、刀、薙刀の使い手でもあったのだ。

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 ドラマの主役・綾瀬はるかさんとすこし違って、実際の山本八重さんは、ぽっちゃりと太目、骨太で、十代のときに米一俵(60キロ)を4回も持ち上げた、という剛力の女性だったのだ。きわめて男性的な性格で、行動力もあったという。(ドラマはドラマだから、容姿は、綺麗な女優さんでいいのだ)。

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 藩主・松平容保の命令で降伏した日、山本八重は、城の壁に、かんざしで歌を刻んだ。無念が伝わる、胸にせまる歌だ。

   明日よりは何処(いづこ)の誰か眺むらん なれし御城(おしろ)に残す月影

 

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 ライフル銃をもって戦った山本八重は、会津戦争のあと、明治の時代、兄のいる京都で、クリスチャンの新島襄と再婚する。新島襄が創立した同志社英語学校をともに発展させて、夫の死後、その遺志をついで、今の同志社大学の基礎をつくった。

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 新島八重と新島襄。

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 すごい女の人もいるもんだ(なぜか最近、わたしは、すごい男より、すごい女に心ひかれる)。この晩年の写真でも、両刀をさし、右手にはスペンサー銃をもっている。老いて、残すべき写真を撮るというのなら、戦士であった会津の女の姿を残したい。鶴ヶ城を守りぬいた、会津魂だな。

  同志社大学HP  新島八重と同志社 http://www.doshisha.ac.jp/yae/index.html

 

 わたしの父方の祖父母は、ふたりとも福島県双葉町の出身。生母の父は、転勤で北海道にやってきて、帯広の隣町、音更町の郵便局長のときに病死したが、福島県相馬の人だ。わたしの福島に対する思いは強い。福島に親戚も多い。

 伯母(父の姉)太田光子は、彫刻家の夫、太田良平と福島市に疎開して、ふたりは、そのまま福島市で暮らし亡くなった。歌人だった伯母は、長く福島の歌壇で活躍した。その娘(つまり、わたしのいとこ)、詩人の槇さわ子もまた、福島県の文壇で注目される存在であった。

 そんなわけで、わたしの福島に対するシンパシーは強力なのだ。そういうココロで、会津の人、山本八重の物語『八重の桜』をみている。昨年夏、亡くなった母の名も八重だ。

 

 

 わたしの恩師、考古学者の石附喜三男先生は、同志社大学の大学院を卒業した。貝塚研究の第一人者でもあった、酒詰仲男教授の門下生だ。わたしは、石附先生の最初の弟子で、酒詰先生の孫弟子ということになる。たいへん名誉なことだ。


やっぱり、サッカーが好きだ

2013-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

 

 なでしこジャパン vs イングランドは、好ゲームだった。十分楽しめた。

 わたしはテレビで、日本男子サッカーをみるとき、ビールやワインを飲みながらみる。だが、なぜか、女子日本代表の、なでしこジャパンや、なでしこリーグのゲームは、酒を飲まず、素面でみる。なぜか、冷静にみたい。日本女子が、あまりに真摯なプレイヤーたちだからかな。ゲームが終わってから、酒を飲む。いろいろ、思いだし、ウダウダ、そのゲームを考えながら‥‥‥‥。

 きょうのイングランド戦も、まったく酒を飲まずにみていた。「終わってから、飲もう」と思って‥‥‥。

 

 子供のときから、サッカーをやるのが好きだった。今では信じられないだろうが、当時、わたしが通った、北海道・帯広の中学にも、高校にも、サッカー部はなかった。だから、つくった。

 帯広三条高校で、帯広北栄小学・帯広一中の、子供のころからの草サッカー(雪サッカー)仲間たち(ルールもよく知らない、指導者なんてのはいない)とサッカー同好会をつくった。三条高校では、同好会を3年やらないと、部として生徒会の予算がつかん、という。ボールもネットも、ユニフォームにも、金がいる。試合に行くにも、旅費がいる。

 なら、おれらが、まず、はじめないと、3年後の後輩に予算がつかんな。と、帯広三条高校サッカー同好会を、仲間の1年生だけでつくった。大昔のことだ。もう逝ってしまったやつも、何人かいる。

 


26日は、イングランド戦

2013-06-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 女子サッカー日本代表、なでしこジャパン、26日はイングランド戦だ。2011年のワールドカップでは負けている。

 

 先日のニュージーランド戦では、中国人審判の不可解なジャッジで、宮間あやが二枚のイエローカードで退場になり、後半は10人で防戦いっぽうの苦戦をしいられた。結局、1点を入れられ、1-1のドローに終わってしまった。

 ワールドカップ予選開戦前夜というべき大事な時期に、親善試合とはいえ、国際試合の審判に、子供のときから徹底した反日本教育をうけている中国人たちをつかうなど、まったく愚なことだ。ワールドカップのための、親善・強化試合の意味がない。この試合では、主審も、ラインズマンも、3人全員、中国人の女たちだった。オフサイドの判定も、まるでデタラメだ。反日という、それ以前に、審判としての能力が皆無の中国人たちだった。

(あえて無能な女子審判をつかうくらいなら、男の審判をつかうべきではないかな? ひと試合で2枚のイエローカードをだす、あるいは、レッドカード一発で退場させる、というのは、チームにも、選手個人にも、重大で、深刻な意味がある。冷静で、ごくプロフェッショナルな判断力が必要なのだ)。

 

 

 中国人審判の不条理な二枚のイエローカードで、ニュージーランド戦の前半でキャプテン宮間あやが退場になった。退場になれば、そのゲームでプレイできないだけでなく、次の試合も出場できない。だから、26日のイングランド戦に、宮間あやは出場できないのだよ。

(澤穂希さんは、ニュージーランド戦で痛めた左足首の不調でこの試合にはでない。近賀ゆかりさんは、まだ昨年末の負傷から完全に回復していない。澤さん、宮間さん、近賀さん不在で闘わねばならん。イングランド戦、なかなか厳しい試合になりそうだ)

 26日(水)のイングランド戦は、テレビ放送がある。TBS系(北海道では、HBC)、NHK-BS1。21時45分から。

    なでしこジャパン公式サイト http://nadeshikojapan.jp/national_team/2012/nadeshiko/blog/post_134.html

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しっかり、この帯広に住む

2013-06-24 | 日記・エッセイ・コラム

 ネットで、天丼てんやが大阪に出店するという記事を読んで、むしょうに食べたくなった。こういう東京の安い食べ物がひどく懐かしくなるときがある。それなり美味い天丼が、500円で食べられるのだよ。貧乏人にはなかなか重宝なのだ。(わたしが長く住んでいた近所に、250円ラーメンの店があって、これがなかなか美味かった。餃子一人前、150円だった)。

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 娘たち、孫たちが住む、東京は懐かしいが、しかし、わたしは決心した。この帯広に住む。そう決めた。

 母の供養にために、大嫌いな父親の介護をしていた。

 8月末、母の一周忌法要をやって、父に施設に入ってもらって、冬になる前に、東京に帰る。と、思っていた。だが、できるだけ、父の介護を自宅でやる、と決めた。

 いくつかの施設を見学してきた。今の父の自由気ままな生活スタイルでは、とても適応できない。タバコを離せない、チェーンスモーカーの父は、喫煙室までの歩行もつらいだろう。(ばくばくタバコを吸って健康に影響ない人もいるのだ、驚きだが‥‥‥わたしは、タバコが嫌いだが‥‥‥)

 そんなわけで、わたしの体力、気力がつづくかぎり、この帯広で、父の介護をして生きていこう、と決心した。もちろん、糞を投げつけるような状態になって、わたしの手に負えなくなれば、すぐに病院に叩きこむが‥‥‥。

 わたしが、こう決心したのは、写真家の戸張さん、ブルース・ハープのユカさん、そして、ショッカーズの人たち、帯広の元気な人たちと再会したことが大きい。(ショッカーは、帯広の浜田省吾ファンクラブのなかでも、さらにコアな人たちのグループらしい。こういう人たち、大好きだな)。


スーパームーン

2013-06-23 | 日記・エッセイ・コラム

 見事なスーパームーンに見惚れてしまった。明るさもすごい。きっと本が読める。部屋の明かりを消して、窓を開けて、ずっと眺めていた。「やがていつか、地球の引力から解放されて、宇宙の彼方へ飛んでいくのか? あるいは、地球の引力に負けて、ついには引き寄せられて、激突するのか?」などと、どうでもいいことを考えたりしながら‥‥‥‥。

 スーパームーンは、楕円軌道で地球を回る月が、最も地球に接近するときと満月が一致した、大きな月のことだ。一年に一度の現象だが、晴れているとはかぎらないので、こんなに綺麗に見えることは稀だ。

 フォトグラファーの戸張良彦さんが、この見事なスーパームーンを撮影した。

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  戸張良彦さんのHP http://www.y-tobari.jp/topics/?ct=1 


The Promised Land

2013-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

  トゥーツ・シールマンスは、アメリカに渡って活躍しているが、ベルギーの人だ。ハーモニカが、ウィーンで発明され、ドイツで盛んに生産されたことが背景にあるのか、ヨーロッパから名プレイヤーがでてくる。リー・オスカーは、デンマーク・コペンハーゲンの人だ。18歳のとき、ハーモニカをポケットに、無一文でアメリカに渡った。

 6歳のときに、親戚の人からハーモニカをプレゼントされて、夢中で練習して、17歳のとき、あこがれのレイ・チャールズがいるアメリカに行って、世界トップのハーモニカ奏者になる、と決心した、という。それを18歳で実行し、そして、その夢を実現する。こういう人が好きだな。

 

 日本でもヒットした、リー・オスカーのLP、Lee Oskar は、その自分自身の物語を表現した自伝的なアルバムだ。貧しい少年が、ただ自分の未来を信じて、たった一人で大西洋を渡って、約束の地、アメリカに来た、というストーリーのアルバムなのだ。(これもひとつの『アトランティック・クロッシング』かな)

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 Kumiさんがコメントのなかで言っていた「The Promised Land 」は、このアルバムのエンディングの曲だ。リー・オスカーの達成感が伝わる、リズミックで、かつノスタルジックで、そして、開放感があって、じつに美しい、いい曲だ。

 なぜかYouTubeで完全な音源が見当たらない。資生堂のテレビ・コマーシャルの短い映像があるので、きっとこの曲を思い出すことができるだろう。

 

   資生堂 CM アイカラーバリエイション(1977年)http://www.youtube.com/watch?v=CdVbQEYom5E

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キャロル・キング

2013-06-20 | 日記・エッセイ・コラム

  ジェームス・テイラー&キャロル・キング You've Got a Friend (1971年)http://www.youtube.com/watch?v=Q7RPCFfudmU

 九州の森本裕二くんに、キャロル・キングとジェームス・テイラーの、トルバドールでのライヴDVDを送っていただいた。

 わたしは、森本くんが送ってくれた、トルバドールでのライブ(2007年のようだ)DVDをスタートさせて、2曲目の So Far Away をみていて、不覚にも、泣いた。涙がとまらない。(ジジイだ。涙もろいのだ)。若いときの So Far Away もいいが、60代になったキャロル・キングの、この So Far Away に、なにか、泣く。

 

   キャロル・キング So Far Away http://www.youtube.com/watch?v=KEY3Kgfm9ec

トルバドール・リユニオン(DVD付)

  キャロル・キング So Far Away (1971年) http://www.youtube.com/watch?v=eBI669Ac3cg

 

 アマゾンに注文した、『キャロル・キング自伝』(松田ようこ訳 2013年 河出書房新社)と、原書の『 A NATURAL WOMAN a memoir CAROLE KING 』(April 2012  Grand Central Publishing )も届いた。

 日本の単行本・文庫本も、洋書も、ネットの古書店(アマゾンに出店している)で、びっくりするほど安く買うことができる。そして、北海道の帯広まですぐに届く。中古本といっても、これがびっくりするほど新品同様のきれいな本なのだ。カバーに多少スレがあったりするが、まったくページを切った形跡がない。つまり、一度も、だれも読んでない本だ。そのスレありカバーも、書店の店頭に並んでいる本よりきれいだったりする。本の流通システムがよくわからないわたしは、宅配が届いて、梱包をあけるたびに驚く。

 

キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン

 

 

 

 シュレルズの Will You Love Me Tomorrow がヒットしたのは、1961年(昭和36年)。わたしは、まだ、小学生だった。アメリカン・ポップスの偉大な作曲家、キャロル・キング、18歳のときの作品だ。(何度か書いたが、わたしの母の実家は電気店だ。その電気屋のレコード売り場に、ガキのときから入りびたりだった。ラジオ放送で洋楽があまり聴けない北海道・帯広で、わたしは、小学生のときから、アメリカのポップスの、新譜を聴いていた)。

 17歳で、作詞家志望の若者ジェリー・ゴフィンと結婚したキャロル・キングは、すぐに子供ができ、若いふたりは生活に窮した。日々を生きぬくために、ふたりは、曲を書いては音楽出版社に売った。その中の一曲 Will You Love Me Tomorrow は、その若く貧しいソングライター夫婦の、最初の全米ナンバーワン・ヒット・ソングなのだ。

    シュレルズ Will You Love Me Tomorrow    https://www.youtube.com/watch?v=W2khQJGdnFE

 このヒットを契機にふたりは、大ヒット曲を量産していく。若いが、アメリカ屈指のソングライター・コンビになっていった。

 リトル・エヴァのThe Loco Motion が、日本でも大ヒットしたのは、1962年(昭和37年)。これもキャロル・キング、十代のときの作品だ。

  リトル・エヴァ The Loco Motion https://www.youtube.com/watch?v=C5OoQadZTPk

 この曲は、1970年代にグランド・ファンク・レイルロードがカバーしてリバイバル・ヒットさせた。その後もさまざまなミュージシャンがカバーしてきた。数年まえには、日本のSMAPが歌って、テレビCMにつかっていた。

 1959年(昭和35年)、ニール・セダカの Oh! Carol がヒットした。この”キャロル”とは、キャロル・キングその人。十代のニール・セダカとキャロル・キングは、恋人同士だったのだ。キャロル・キングは、返歌 Oh! Neil を書いてニール・セダカに捧げている。

  ニール・セダカ Oh! Carol https://www.youtube.com/watch?v=aHm7PnCCd4E   

A Natural Woman

 ビートルズが1963年にカバーした Chains も、キャロル・キングの作品。1963年、キャロル・キングは、まだ21歳だ。

   ビートルズ Chains https://www.youtube.com/watch?v=aG9pvAUBKlU

 


トゥーツ・シールマンスは91歳、現役だ。

2013-06-19 | 日記・エッセイ・コラム

 
90 Yrs. [CD+DVD] [輸入盤]

 先週金曜日、浜田省吾だけをかけるラジオ番組でまた話をさせていただいた後、ブルース・ハープでビールを飲んだ。店のオーナーのユカさんと、いろいろハーモニカ奏者の話をしていると、なんだかむしょうに、トゥーツ・シールマンスとリー・オスカーの曲が聴きたくなった。そんなわけで、この数日、二人のハーモニカの名手を聴いている。

     ツゥーツ・シールマンス(at The Boston Pops)  Midnight Cowboy Theme http://www.youtube.com/watch?v=Eu0hO3BpFpg

    トゥーツ・シールマンス オフィシャルサイト http://www.tootsthielemans.com/

 トゥーツ・シールマンスは、ベルギー出身のハーモニカ奏者だ。ギターも弾く。ヨーロッパのジャズ・シーンで活躍したあと、50年代初頭、アメリカに移住して、ジャズ、ポップス、クラシックなどのビッグ・アーティストと共演して数々のアルバムを発表している。映画音楽でも活躍している。日本でのファンも多い。

 現在91歳。現役だ。オフィシャルサイトをみると、2013年、今年後半もライヴ・スケジュールがはいっている。

 

 ハーモニカは、ホーナー社のクロマティックをつかう。

 

      クインシー・ジョーンズ&トゥーツ・シールマンス Eyes of Love http://www.youtube.com/watch?v=IA36Anlf1bw

アフィニティ

ライブ・アット・ル・シャピト オペラ・ドゥ・リエージュ 2012 (Live at le Chapiteau, Opera de Liege, May 17, 2012) [日本語帯・解説付] [輸入DVD]

     トゥーツ・シールマンス Ne Me quitte pas http://www.youtube.com/watch?v=7BszILnzsv4

 

 

 

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 Midnight Cowboy (真夜中のカーボーイ)は、ジョン・ボイドとダスティー・ホフマンが主演した、1969年封切りのアメリカ映画。アカデミー賞・作品賞、監督賞、脚色賞を受賞している。悲しい青春映画だ。原作は、ジェームズ・レオ・ハーリヒーの小説。http://www.imdb.com/title/tt0064665/

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 映画『真夜中のカーボーイ』の原作者、ジェームズ・レオ・ハーリヒー(1927~1993)。高校生のときに、海軍に志願して入隊したが、すぐに終戦になり、除隊後、ふたつの大学で芸術(とくに演劇と文学)を学び、ボストンの劇団に入団してプロのキャリアをスタートした。小説を書き、脚本も書いたが、舞台俳優でもあったのだ。後年は、大学で演技と小説・脚本を教えた。

 

 

 ボストン・ポップス・オーケストラは、アメリカ・マサチューセッツ州ボストンを本拠にするクラシックの名門オーケストラ、ボストン交響楽団が、ライト・クラシック、ポピュラー・ミュージックを演奏するときの名称だ。メンバーは、ほとんどボストン・シンフォニーのプレイヤーなのだ。現在の指揮者は、キース・ロックハート。

  クリス・ボッティ ボストン・ポップス 指揮キース・ロックハート Hallelujah http://www.youtube.com/watch?v=C2d0TT8jCjw

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     クリス・ボッティ スティング ジョシュ・グローバン ボストン・ポップス 指揮キース・ロックハート Shape of My Heart http://www.youtube.com/watch?v=DpYYJgvgDmo

Chris Botti in Boston (W/Dvd)

  ジム・ベルーシ ボストン・ポップス 指揮キース・ロックハートhttp://www.youtube.com/watch?v=YaEujsjRKgM

Runnin' Wild

   ボストン・ポップス・オーケストラ オフィシャルサイト http://www.bso.org/#

       ボストン・シンフォニー・オーケストラ http://www.bso.org/Home#

       クリス・ボッティ オフィシャルサイト http://www.chrisbotti.com/us/home

 


遠遠メガネ

2013-06-18 | 日記・エッセイ・コラム

 遠近メガネではなく、老眼鏡の二重焦点のやつをつくった。デスクトップのパソコン・モニターを見るとき、+1.5くらいの老眼鏡が必要だ。そして、手元の資料や本を読むときは、+3くらいのメガネがないと、ダメだ。

 一日何時間もパソコンのまえに座っている。ふたつの老眼鏡をもって、かけ替え、かけ替えて作業している。これが、けっこうめんどうだ。

 

 父親のメガネを新調したとき、そのメガネ屋さんに相談して、検眼してもらった。そして、つくった。遠遠メガネだ。これが、なかなか快適だ。レンズの上部が、+1くらい、下が+2.5だ。

 

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 散歩道で草の穂をみて、『これも、花だな!』と、気づいた。『なんで今まで、そんな、あたりまえのことに気づかなかったのだろ』とも思った。

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 道端は、花だらけだ。そのほとんどは、北海道在来の植物ではない。人によって鑑賞用に庭に植えられ、そして、野に土着した。

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 これは鑑賞用ではなく、羊などのエサの牧草として植えられ、今、北海道のどこにでもある草だ。なかなか可愛いらしい花ではないかい?

 

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ショスタコーヴィチのワルツ

2013-06-17 | 日記・エッセイ・コラム

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 ソビエト時代の、ロシアの大作曲家、ドミトリー・ショスタコーヴィチの膨大な数の作品のなかに、美しく、ノスタルジックなワルツがある。

   ショスタコーヴィチ Waltz No.2 http://www.youtube.com/watch?v=mmCnQDUSO4I

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 そのショスタコーヴィチのワルツNo.2 をいろいろさがしていて、YouTubeでおもしろいチェロのユニットを発見した。Cellostada というらしい。Cracow Opera House(クラクフ歌劇場)でのライブとあるから、ポーランドのチェリストたちだろうか?

  Cellostrada  Waltz No.2(ショスタコーヴィチ)http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=jOSnOuIVsBE


バカ殿ご膳

2013-06-16 | 日記・エッセイ・コラム

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 毎日わたしが作っている、父親の夕飯。秘かにわたしは、『バカ殿ご膳』といっている。父は、ビールと焼酎を飲みながら、このバカ殿ご膳を一晩中かけて食べる。三軒先の家まで聞こえるような大音量で、テレビをがんがんかけながら‥‥‥タバコをばくばく吸って‥‥‥石油ストーブをがんがん焚いて(室温を30度超にする)‥‥‥。

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 昨年6月、わたしが帰郷したその日まで、母は台所に立って、このバカ殿ご膳を作っていた。末期ガンで、余命宣告をうけた激ヤセした体で、56年作りつづけた父の夕食を作っていた。(食べることが大好きな母は、すこし太目で、60キロ以上あった。でも、わたしが帯広に帰ってきたとき、もう体重は、38キロしかなかった。)

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 父のために作る、母のおかずは手作りのものだったが、わたしは、カツを揚げたり、魚や肉を焼くだけで、あとは買ってきたものを切ってなら並べるだけだ。しかし、それでも、けっこう時間がかかる。

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 左下の不気味なものは、めんつゆに温泉卵を入れたものだ。父の好物らしい。わたしは作るだけで、食べようとは思わない。(人には、いろいろ気持ちの悪い好みがあるんだね‥‥‥)。この温泉卵を作るだけでも、けっこうな手間がいる。卵の大きさなど素材にも左右されるので、日によって出来、不出来があって、なかなか悩ましいのだ。

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 わたしは、この『バカ殿ご膳』を、きょうで一年365日作りつづけている。(浜田省吾さんに会うために、札幌にいった一日だけ休んだが)。父の食事だが、父のためじゃない。わたしは、母のため、母の鎮魂のために作っている。


ゲンちゃんの店、B♭M7 で朝まで、飲む

2013-06-15 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、浜田省吾だけかけるラジオ番組(DJは、水まま、と、ユカさん。ミキサーは、やぎちゃん)にでたあと、ユカさんのお店、ブルース・ハープで飲んで、となりのビルの、ジャズの店にいった。B♭M7 だ。http://www.genbass.com/

 

 ゲンちゃんと会うのも30年ぶりだろうか? 上手で、センスのいいベースを弾く、ロック少年のゲンちゃんは、ウッドベースを弾く、ジャズミュージシャンになっていた。

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 古村敏比古さん、古川望さん、清岡太郎さん、三人のユニット『古川村太郎』のライブをやるのは、このゲンちゃんの店 B♭M7 だ。

 サックスの古村敏比古さんは、20年以上、浜田省吾のサポートメンバーだ。

 

  B♭M7 でのライブは、7月27日、28日。

   問い合わせ先は、furukawamura2013@yahoo.co.jp


ロシア語キーボード制作

2013-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ロシア語キーボードをつくることにした。買うと、高いのだ。

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 いままでは、普通のキーボードでロシア語を打っていた。ジジイだ。しっかり覚えられなので、モニターの上の壁に、手書きの変換表を貼って、ときどきそれを見ながら打つ。これがけっこう面倒だ。

 シートがあることを、最近知った。これをキーボードに貼って、パソコンの言語の設定をロシア語にする。古いパソコンをロシア語専用にすることにした。