Ommo's

古い曲が気になる

平成29年‥‥‥辛い一年が終わる

2017-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

平成29年‥‥‥辛い一年が終わる。

5年近く介護していた父親を、3月20日、看取った。喪主として葬儀を行い、たった一人、ひと月がかりで父と母が暮らした家の家財道具、衣類、そして遺品を整理した。この遺品の整理に時間がかかった。じつに疲れた。祖父の時代からの膨大な数の写真や日記など、残して置くべきかと思う物はスキャンするのだが、数がすさまじい。これに何日もかかった。そして、衣類、着物やスーツなど‥‥古着を回収にきてくれる業者がいないのだよ、帯広には。これも2週間かけて燃えるゴミに出した。燃えるゴミ、燃えないゴミ‥‥あの帯広市のクソ高いゴミ袋に数万円使った。

小さい家具類などは、市に回収してもらい(もちろんこれも有料、安くない)、ベッドやソファー、タンス、食器棚など大型の物の始末は、リサイクル業者にけっこうな金を払った。

外にあるプレハブの物置と灯油のホームタンクは、業者に依頼して、ユニックで吊り上げてトラックに載せた(物置とホームタンクが1万円で売れたのだ)。エアコン、ファンヒーター、大型冷蔵庫2台、テレビ2台、DVDプレイヤー、Blu-rayプレイヤー、洗濯機、電子レンジ、ガスレンジなど家電類は、電気屋の叔父がトラック満載にして運び出してくれた。手伝いの人を連れてきて作業をしてくれたのだが、「八重ちゃんの供養だから‥‥‥」と、料金を受け取らなかった。(八重ちゃんとは、亡くなった母のこと、つまり、電気屋の叔父のお姉ちゃん)。壁からエアコンを外したり、屋根のBSアンテナを外したり、大変な作業だ。そして、大型冷蔵庫2台‥‥あれもリサイクル業者に処理させたら、かなりの料金を請求されただろう。(母は電気店の娘で、弟が家業を継いだ現役の電器屋さんのせいか、老いた父と母ふたり暮らす家のなかは、最新とはいわないが、びっくりするほど新しい家電があって、驚いた。)

最後の日、祖父の青銅製の胸像を発送して、家の中は完全にカラになった。水道を落とし、ガスの元栓を締め、電気のブレーカーを落として、5年暮らした両親の家をあとにした。こうして、4月28日、東京にもどってきたわけ。

 

 


ヘレン・シャピロ

2017-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

  ヘレン・シャピロ  You Don't Know  https://www.youtube.com/watch?v=5I2cG-ed6hw&list=RD5I2cG-ed6hw&t=15Don't 

悲しき片想い~ベスト・オブ・ヘレン・シャピロ
ワーナーミュージック・ジャパン
 

小学生のとき、深夜のラジオで聴いたヘレン・シャピロが好きだった。

(北海道・帯広でも深夜になると東京のラジオ放送が聴けた。ザーザーという空電のノイズの奥から、わずかに聴こえてくるイギリスやアメリカのポップスを子守歌に毎晩、寝た。枕元のソニーのトランジスタ・ラジオ。そのソニーのトランジスタ・ラジオの前は、手製のゲルマニウム・ラジオだった。クリスタル・イヤフォンを耳に入れたまま朝まで寝ていた。)

  ヘレン・シャピロ Treat Me Like A Child   https://www.youtube.com/watch?v=iR1p1_iZByw 

  ヘレン・シャピロ Waking Back To Happiness  https://www.youtube.com/watch?v=NuQlpFnlIBE

このヘレン・シャピロの ”Waking Back To Happiness” をあらためて聴くと、「これもブルーアイズ・ソウルだな………」と感心する。(和田アキ子さんは、このあたりが原点じゃないだろか?)

 


Play Misty for Me 恐怖のメロディー

2017-12-26 | 日記・エッセイ・コラム

 

今日、29歳のストーカーの女が逮捕された、というニュースがあった。

 

クリント・イーストウッドの監督デビュー作が、Play Misty for Me (恐怖のメロディー 1971年)。クレージーなストーカーの女に、穏やかな生活を破綻させられていくラジオDJの話。

田舎町のラジオ局、夜のジャズ番組のDJがクリント・イーストウッド。毎晩毎晩、”Play Misty for Me” と、エロール・ガーナーの ”Misty” をリクエストする女がいる。

   エロール・ガーナー Misty https://www.youtube.com/watch?v=Ap3P8Fpqay4 

ある晩、DJは、バーで出会った女と一夜をすごす‥‥‥美女の恋人がいるのだが‥‥。そのバーの女こそ ”Play Misty for Me”  と、毎晩毎晩リクエストの電話をかけてきたMisty女なのね。そうして恐怖の日々がはじまる。Misty女、それはそれは執念深い。

 

ともかく、映画に使われたエロール・ガーナーの「PLAYS MISTY」は、名盤だ。ぜひ聴いてほしい。わたしは、このジャケットが好きだ。

ミスティ
エロール・ガーナー
ユニバーサル ミュージック

  ロバータ・フラックの「愛は面影の中に The First Time Ever I Saw Your Face 」は、この映画の挿入歌だ。映画館を出た客がレコード店に殺到した、という逸話がある。レコードは、この映画の2年前の発売。発売当時ヒットした曲ではない。だが、クリント・イーストウッド監督が映画のなかで使う。で、「愛は面影の中に The First Time Ever I Saw Your Face 」は、1972年4月16日、ビルボード・ナンバー1になる。

    ロバータ・フラッグ The First Time Ever I Saw Your Face https://www.youtube.com/watch?v=r9jmusgMgro

恐怖のメロディ [DVD]
クリント・イーストウッド,ジェシカ・ウォルター,ドナ・ミルズ,ジョン・ラーチ,ジャック・ギンク
ジェネオン・ユニバーサル

 

「恐怖のメロディ」のことは何度か書いたような気がする。が、今日の「29歳のストーカー女逮捕」のニュースで、またクリント・イーストウッド監督デビュー作を想いだしたわけ。

やさしく歌って
ワーナーミュージック・ジャパン
 

クリフ・リチャードを知ってますか?

2017-12-25 | 日記・エッセイ・コラム

リンゴ・スターがナイトの称号を授与されるらしい。

  https://rockinon.com/news/detail/171241

ポール・マッカートニーは20年前にSirになり、トム・ジョーンズもロッド・スチュワートもSir。そして、クリフ・リチャードはずっと前から、Sir クリフ・リチャードだ。

ビートルズの大ブームの前、1959年に登場したクリフ・リチャードは、イギリス・ポップスのスーパースターだった。

イケメンで美声、後の70年代日本のポップスに大きな影響を与えたはずだ。つまり、野口五郎とか西城秀樹、郷ひろみ、フォーリーブスなどジャニーさんの美少年路線のグループ。

スーパーベスト
EMIミュージック・ジャパン
 

   クリフ・リチャード Living Doll https://www.youtube.com/watch?v=Kit9bmAYCq4

        クリフ・リチャード&シャドーズ Do You Wanna Dance https://www.youtube.com/watch?v=HBRK9v840gg

   クリフ・リチャード The Young Ones   https://www.youtube.com/watch?v=BxNohANhJiA

         クリフ・リチャード Summer Holiday  https://www.youtube.com/watch?v=-DxqdIA75sc

わたしがレコード屋になった1968年には、もうロックの時代でクリフ・リチャードは過去の人だった。しかし、中学生のとき、ラジオの深夜放送で聴いたクリフ・リチャードに、心、踊った。


方南通り、ゴミ拾い

2017-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

『毎日、ご苦労さまです。ありがとうございます」と、犬を散歩させているおばさんに声をかけられた。

じつは、この方南通りの清水橋交差点から熊野神社交差点まで、歩道のゴミを拾い歩いている。(わたしを知って人には信じられないことだろうが‥‥‥)

というのは、この西新宿に移ってきて、夕方の散歩がじつに退屈だった。タワーマンションが並び、東放学園や東京工芸大学、伊藤園やロッテの東京本社ビルがある、学生さんとサラリーマン、ビジネスマンの街だ。同じ東京でもすこし前にいた下町の浅草・入谷とはまるで違う。ジジイのわたしにはまったくふさわしくない。

しかし、一日最低1時間は歩きたい。両親の介護のために戻った北海道の5年、凍てついた冬道を恐れて、近所のスーパーの往復だけでほとんど歩かなかった。東京に戻ってきて、足の衰えを痛烈に自覚する。

銀座から東京駅を通って、大手門から皇居東御苑に入って江戸城天守閣跡をみて、日本武道館前、そして靖国神社に参拝する。帰りは九段坂を下って神田神保町の書店街を歩く。これが東京に暮らしているときの好きな散歩コースだった。だが、5年ぶりにこのコースを歩くと、途中でふくらはぎと太ももにひどい疲労を感じる。(ただ5歳老いたのだろうが‥‥‥)

元帯広三条高校山岳部のわたしとしては、”歩けなくなる”ことは、”終わり”だ。

毎日1時間以上は歩きたいが、この街はあまりに退屈だ。引っ越して数週間、嫌々歩いていたとき、閃いた。この歩道にこぎたなく散乱する、タバコの吸い殻やコンビニお握りの包装などなど、「これを拾って歩こうか‥‥‥‥」。

以来三ヶ月、雨の日以外毎日、ゴミ拾いの散歩だ。

この写真は、11月はじめ、いま通行人の服装はダウンジャケット。写真の犬を連れている女性が、今日、「毎日、ご苦労様です」と声をかけてくれた人。今日の犬は、サンタクロース風の衣装を着ていた。

 


クリスマス‥‥エルビス・プレスリー、Amazing Grace

2017-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

クリスマス‥‥‥エルビス・プレスリーのゴスペルを聴く。

  エルビス・プレスリー Amazing Grace https://www.youtube.com/watch?v=B3XdXEJEI4E

エルビス・プレスリーは、敬虔なクリスチャンだ。クリスマス・アルバムとゴスペルのアルバムを発売している。

 
 
 

  エルビス・プレスリー Santa Claus Is Back In Town & Blue Chrismas  https://www.youtube.com/watch?v=WgLpMwkfOgw

 

  

 


なぜか今夜は、レス・ポール‥‥スリープ・ウォーク

2017-12-22 | 日記・エッセイ・コラム

7、8年前だろうか、元キャデラックスリムのテツヤくん、敦賀くんと渋谷スクランブル交差点のTSUTAYA前で待ち合わせて、3人で渋谷の小さい映画館でレス・ポールのドキュメンタリー映画を観たことがある。すぐにDVDが発売になったが、日本で初公開ということだった。

レス・ポールは、もちろん ”レス・ポール”モデルのギターを創った人だが、自ら8トラックのテープレコーダーを開発し、多重録音の曲を大ヒットさせた最初の人だ。そして、何より素晴らしいギタリストだ。

   
レス・ポール&メリー・フォード(CDベスト・ナウ)
EMIミュージック・ジャパン
 

 レス・ポールは、94歳で亡くなるまで現役で、ニューヨークのクラブで演奏していた。

 

今夜、西新宿の高層ビル街を散歩していて、なぜか、あのドキュメンタリーのレス・ポールが弾く”スリープ・ウォーク Sleepwalk” が心にうかんだ。

   レス・ポール Sleepwalk https://www.youtube.com/watch?v=W2lnd0Jf9y0

 

”スリープ・ウォーク Sleepwalk” のオリジナルは、サント&ジョニー兄弟、1959年9月21日ビルボード・ナンバー1の曲だ。

   サント&ジョニー Sleep walk  https://www.youtube.com/watch?v=2rwfqsjimRM

 

   ジェフ・ベック Sleep walk https://www.youtube.com/watch?v=5vyu7jAnwZs


キャロル・キングの I Feel the Earth Move

2017-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

ビオレu のCMに流れる ”I Feel the Earth Move” のカバーがとてもいい。検索してみると日本のバンドだ。松尾レミと亀本寛貴、男女2人のユニット、GLIM SPANKY(グリムスパンキー)。

  ビオレu  CM  https://www.youtube.com/watch?v=qR_82maCp4o

愚か者たち
Universal Music =music=
 
BIZARRE CARNIVAL(通常盤)
松尾レミ,亀本寛貴,亀田誠治
ユニバーサル ミュージック

 

キャロル・キングの I Feel the Earth Move は、1971年(昭和46年)のヒット曲。歴史的名盤「つづれおり Tapestry」のA面1曲目。シングル盤は、It's Too Late とダブルA面で発売され、1971年6月19日ビルボード・ナンバーワンになった。

 

つづれおり(完全生産限定盤) [Analog]
SMJ
 

アルバム「つづれおり Tapestry」は、じつに15週にわたって1位を続け、4部門でグラミー賞を獲得し、なんと全世界で1,500万枚の売り上げを記録した。(今、ウキペディアをみると全世界で2,500万枚以上の売上とある ”over 25 million copies sold worldwide”。1971年の発売以来2,500万枚以上売れたというのだ。凄いね

わたしがレコード屋になって間もないときのリリースで、わたしにとって思い出深い、最も重要なアルバムだ。

 



関東国際高等学校

2017-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

夕方、地下鉄駅にむかう制服姿の高校生たちとすれ違う。その学生さんの話してる言葉が気になった。中国語、英語だけでなく、ロシア語かウクライナ語かスラブ語っぽい言語で話す子たちもいる。ヒジャブで頭を被ってる子もいる。「いったいこの学生さんたちは、何?」と、思った。

散歩の途中でわたしの疑問は溶けた。町内に、関東国際高等学校があった。

    関東国際高等学校  http://www.kantokokusai.ac.jp/


ノイマンのカッティッグマシーン

2017-12-18 | 日記・エッセイ・コラム

ソニーがまたアナログのレコードを制作して話題になっている。しかし、最近の記事で驚いたのは、CDの時代になってアナログ・レコードの制作をやめたとき、CBSソニーは(ソニー・ミュージック・エンターテインメントになっていたのか)、ノイマンのカッティッグマシーンを廃棄した、という。驚きだ。”えッ? 捨てた?”

十数年前から ”欧米” でアナログ・レコードがブームになっていて、日本の若いアーティストもその流行りに乗って制作している。で、ソニーは、今年からまたアナログのレコードを作りだした。

ソニーは、カッティッグマシンを廃棄していたので、実働するノイマンのマシンをアメリカで見つけて、解体して日本に輸送して組み立てるのが大変だった、という記事があった。

(CDの時代になったから)、ノイマンのカッティッグマシンを ”廃棄した”‥‥‥‥驚愕だわな。

アナログのレコード時代、CBSソニーのクラシックやジャズのLPの帯には、”ノイマンのなんちゃマシン"でカットしたとか自慢たらたらのコピーがあった。しかし、CDの商売になるとすぐに、そのドイツ製のノイマンのマシンは捨てられ‥‥‥カッターと呼ばれるプロフェッショナルな職人(この人たちがアナログのレコードの音を創る)は、くびにしたのかね?

ずっと一途に、アナログレコードを作りつづけている会社がある。

    東洋化成 http://www.toyokasei.co.jp/ 

これがノイマンのカッティッグマシン。

 

 

 

 


「サバの女王」、グラシェラ・スサーナ、菅原洋一さん

2017-12-16 | 日記・エッセイ・コラム

  グラシェラ・スサーナ  サバの女王 https://www.youtube.com/watch?v=L2UYjUlkIDA

レイモン・ルフェーヴルの「シバの女王」は日本語の歌詞がつけられ、これもヒットした。歌ったのは、アルゼンチンのグラシェラ・スサーナ。

菅原洋一さんがブエノスアイレスで出会い、日本でデビューさせたという。菅原洋一さんは、歌謡曲を歌う前はタンゴ・バンドの歌手。

 

アドロ・サバの女王
EMIミュージック・ジャパン
 

わたしは、グラシェラ・スサーナとそのダンナのマネージャーと三人で列車の旅をしたことがある。北海道・道東のコンサートツアーのプロモーターだったのだ。札幌・ミューズ・コーポレーション木之内社長が、北海道全域のプロモーターで、「グラシェラ・スサーナ、帯広と釧路、北見‥‥やってくれない?」という依頼だった。バンドは無い。一人ギターを弾いて3時間歌い続けるステージ。スペイン語しか話せないからMCはまったくない。舞台ソデで見ていて感動した。

あるイベントで、菅原洋一さんとビッグバンドの、そのライヴの舞台監督みたいなことをやった。リハーサルで菅原洋一さんが歌いはじめたとき、その生の歌を聴いたとき、「凄い! 凄すぎる、なんて、歌がうまいんだ!」と感動した。ショックだった。わたしがそれまで出会ってきたアーティストは、フォークソングやニューミュージック、ロックの人たち‥‥‥‥歌唱をきわめた”歌手”ではない。「いやあ‥‥‥凄い‥」と、言葉を失った。

   菅原洋一 カミニート  https://www.youtube.com/watch?v=7x9tChnHWhc

   菅原洋一 知りたくないの https://www.youtube.com/watch?v=3TXzukfjGfw

 

ゴールデン☆ベスト 菅原洋一 シングル・コレクション[スペシャル・プライス]
USMジャパン
 

 


スーさんから酒の肴届く

2017-12-16 | 日記・エッセイ・コラム

夕方の散歩からもどるとマンションの入り口で宅配屋さんがしゃがんで伝票を書いている。「その荷物、わたし宛じゃないかな?」と尋ねた。「よかった! ドアホンを鳴らしても誰も出ないので、荷物を持って帰るところでした」と宅配屋さん。(東京にもどって、あらためて感心したことの一つが、宅配の配達員の愛想のいいことと洗練された応対だ。リヤカーを押して街を走り回る、とんでもないハードな仕事なのに、お客には笑顔でじつに丁寧な話し方をする。)

やはり荷物は、札幌の鈴木雄三さんから送っていただいた酒のつまみであった。さっそく、アンチョビの缶を開けてクラッカーの封を切り、ワインの栓をぬいた。