節電に関して、過剰な自動販売機の数を批判する、石原慎太郎・東京都知事の意見には、共感できる。石原知事は、自販機を全否定しているわけでない。その論の本意は、普通の大人の良識なら、わかる。
東京には、そこらじゅうに飲み物の自販機がある。ある、どころじゃなく、ずらっと並んでる光景はめずらしくない。
自由経済だ。競争がなりたつなら、さまざまな缶コーヒーの自販機が、ずらっと並んで商売するのは勝手だ。
だが、しかし、東京電力の原発が爆発した。原子力発電所が、爆発したんだ。いま、しばらくは、爆発まえのようには、電気をジャブジャブ使えないのじゃないか、と、慎太郎知事はいっている。老害じゃない。正論だ。
わたしの、最初の飲料・自動販売機体験は、オレンジ・ジュースがコップにそそがれる、というやつだ。ブーとかビーとか、ブザーの音が鳴った。もうずいぶん年になっていた。大人ではないが、小学生や中学生ではなかった。(わたしが、小中学生のとき、飲み物の自動販売機なんてものは、この世になかった)。
札幌大学に入ったとき、学食にコカ・コーラの自販機があった。きっと、わたしがはじめて見た、コーラの自販機だ。いまから思うと不思議な自販機だった。魚を冷凍保存するような形で、ふたをヨイショと開けると、瓶が並んでる。コーラとオレンジ・ファンタ、グレープ・ファンタの3種類だ。
もちろん、コーラは、瓶だ。(缶コーラが発売になったのは、ずっと後なのだ)、学食の不思議なシステムの自販機は、瓶を取り出し口まで、ガイドにそってじぶんで持ってくる。そこでコインを入れると瓶1本だけぬける。ファンタにするか、コーラにするか、その首をもって、取り出し口というか、そこまでもってきて、コインをいれるわけ。むかし話だ。
宮崎県で、口蹄疫感染を疑われる牛がみつかった。なぜか日本のマスコミは、まったく報道しないが、韓国の口蹄疫は、終息するどころかますます拡がっているのだ。その韓国との物流も、人の出入りも、まったく規制がないのだから、日本のどこでも、また口蹄疫が発症しても、何の不思議もない。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110425/dst11042519280034-n1.htm
2月のニュージーランド震災のときは、ニュージーランド政府が、韓国の救助隊派遣を断っている。畜産が主産業のニュージーランドは、韓国の口蹄疫を恐れた、と伝えられる。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110224/dst11022421210032-n1.htm
東京都の目黒区議会選挙で、田村信之氏が落選した。55人の候補中、42位、893票だった。国務大臣・蓮舫のダンナだ。現職大臣の身内だから、落選したのか。マスコミがどんなにかばってみても、これが現実だ。いま、国民の、民主党政権の評価なんてのは、こんなものだ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110425-OHT1T00084.htm
朝いちで選挙に出かけた。市議会議員選挙だ。民主党と社民党でなければ、だれでもいい。のだが、無所属というやつらは、ウサンクサイので、ブナンに自民党公認候補に投票した。
このまえ、4月10日の千葉県議会選挙では、市川市選挙区は6議席だが、民主党は、だれひとり当選しなかった。落選した民主党候補たちの得票数もひどいものだった。いま、それが、日本の普通の良識というものだ。九州・四国はみごとだ。民主党ゼロという県はなかったが、自民・公明・みんなの党と比較すると、どこの県議会も、民主党は限りなくゼロに近い。
地方選挙といえ、権力の中枢にある、政権与党の公認候補が、まったく市民・国民の信頼を得てないのだ。その現実を、テレビ・新聞は、正確に伝えなくてダメだ。まったく、伝えてない!
テレビ・新聞がやる世論調査ほど、ウソくさいものもない。朝日新聞のサンゴ写真のようなものだ。捏造そのものだ。
いま、日本国民は、菅直人という不幸を、耐えている。
花が散って、実ができる。いま、小さい緑のサクランボができている。このために、桜の、あの華麗な花があった。
これからしばらくは、桜の若葉が、美しい。
元キャンディーズの田中好子さんが亡くなった。春だというのに、悲しいニュースばかりだ。
キャンディーズのファンというわけではない。だが、ファンの人と、また違う思いがある。キャンディーズがレコード・デビューしたとき、わたしは、北海道・帯広の駅前の、7坪の小さいレコード店の店長で、仕入れ担当だった。
キャンディーズのデビュー曲は、『あなたに夢中』、1973年(昭和48年)の発売だ。その前の年は、札幌オリンピックが開かれ、あさま山荘事件があって、沖縄返還があった。そんな時代だ。キャンディーズがデビューした昭和48年は、第一次オイルショックがあった年だ。夜は、街のネオンが消え、5時でガソリンスタンドは閉まり、深夜のテレビ放送は無くなった。
キャンディーズの曲を聴くと、あの時代のいろんなシーンや出会った人々を思い出す。ミヤタ・ミッちゃん、アミ、ケイコ、マッちゃん。若かった店のスタッフの顔を思い出す。毎日店にやってくる人たち。お客さんで、サポーターで、友だちだ。ミヤサカ・ボク、キヨタカ、ツカヤ、イソベ、ミツクニ、笹島正司くん、佐藤英光。みんな若かった。
わたしのレコード屋は、ロックとジャズ、そして国内盤では、フォークソング(あとでニューミュージックといわれるジャンル)という、当時のレコード商売の主流の歌謡曲に背をむける商品構成で、苦戦していた。そんなとき、CBSソニーの邦楽(洋楽に対して、日本国内制作盤という意味)が、わたしの店でよく売れた。キャンディーズの売上で生活をささえてもらったのだ。
創業間もないCBSソニー(いまのソニー・ミュージック)にとって、キャンディーズの貢献は大きいのじゃないかな。
キャンディーズ、最後のシングルは、『微笑がえし』、1978年(昭和53年)の発売だった。ソニーのウォークマンが発売されたのは、キャンディーズが解散した、次の年だ。
解散後、女優になって、『アイドルでも頂点をきわめた人は、さすがだな』と、わたしは、いつも感心していた。演技力は抜群で、可愛く、そして、凛として美しかった。病というのは、残酷なものだ。
キャンディーズ 『微笑がえし』 http://www.youtube.com/watch?v=wommkJBaMfU&feature=related
電力総連の子飼いの蓮舫が、節電啓発担当大臣とやらなんだから、笑ってしまう。パチンコ屋の顧問の海江田万里とか、こんなやつらが、原発事故対策をやっているんだ。国民が、このクソ政権を選んだ。すばらしい国じゃないか。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110420/plc11042020430026-n1.htm
『松島や ああ松島や 松島や』というのは、松尾芭蕉作ではない。芭蕉とはまったく関係ない。江戸末期の狂歌が元だ。相模の狂歌師、田原坊の『松嶋や さて まつしまや 松嶋や』がオリジナルではないか、といわれてる。
だいたい、芭蕉は、こんなクダラン、駄作を作らないし、発表しない。季語がないから、俳句ですらない。
それに「奥の細道」で、芭蕉は、松島の絶景に感動して、名文を残しているが、俳句はつくらなかった。そう書いて、曽良(そら)の句を紹介している。名句だ。
松島や 鶴に身を借(か)れ ほととぎす 曽良
「こんなに美しい松島だ。白いツルになって、優雅に、この松島の空を飛んでみてはどうだい、ホトトギスくん」と、曽良は詠んだ。ホトトギスは、夏の季語。松も鶴も、長寿を象徴する縁起もの。
ホトトギスは、カッコウの仲間。ほかの鳥の巣に託卵する鳥だ。じぶんで子育てしない。したたかな鳥だ。
ホトトギスの鳴き声 http://www.youtube.com/watch?v=q_jYW_CZrMI
河合曽良(そら)は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅に同行した高弟。蕉門十哲のひとり。伊勢の長島藩につかえた、元武士。もちろん松尾芭蕉も、元武士だ。
松尾芭蕉が、絶句した松島の絶景、その宮城県は、震災で大きな被害をうけた。その宮城県の民謡で好きなのがある。長持歌は、いろんな地方にあるが、宮城の長持歌もじつにいい。
長持唄は、婚礼、結婚式の歌だ。めでた祝い歌だが、可愛い娘を手放す親の、寂しさ悲しさ不安が歌われ、せつない別れの歌でもある。「今度会うときは、孫をつれてきてね」と、娘をおくりだす親の、別れの歌だ。
今日は 日もよし 天気もよいし
結び 合わせて 縁となる
蝶よ 花よ と育てた娘
今日は 晴れて 嫁になる
さぁさ お立ちだ お名残おしい
今度来る時 孫つれて
宮城の長持唄 http://www.youtube.com/watch?v=rMtOhXMUSGw
漁業が大きな被害をうけた。仙台・宮城で、大漁を願い、祝う歌がある。だれもが知ってる、斎太郎節だ。震災にあったすべての人たちに、このユーチューブの映像を送りたい。
2009年、四国の合唱フェスの映像のようだ。わたしは、泣いた。
全四国男声合唱フェス アンコール 「斎太郎節」 http://www.youtube.com/watch?v=RVDMfybrxFQ&feature=related
とうとう、内閣内部から、公然とカン・直人批判がでた。
桜井財務副大臣 「首相交代当然」http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110420/stt11042002580001-n1.htm
福島第1原発2号機が、ますます危機的状況に陥っているようだ。だが、政府と東電は、きのう、収束への日程という作文を発表した。3ヶ月ごとに段階的に終息していくそうだ。そして、9ヶ月後には、平和な、“この世の楽園”がやってくる。
現場で作業をしている人たちは、まったく根拠がない日程だ、といってる。
カンだの革マル・枝野の、社会主義者らしい。5ヵ年計画だの、こいつらアカは、実現できない、願望の日程が大好きだ。
革マル・枝野は、原発は「メルトダウンはしてない」という。革マル・枝野の話は、おもしろいね。
地震と津波で、外部電源も自家発電もアウトで、冷却水の水位が下がり、核燃料棒の一部が露出して溶けだしている、と3月11日に発表されていたのじゃないのかな? 露出した燃料棒が高熱をだして、水素爆発が起こったのじゃないのか?
それをメルトダウンというのだろう。炉心融解だ。
福島では、炉心融解が起きた。それが止まらず、いまも進行しているのが現実だろう。
北朝鮮のパチンコ屋から、おこづかいをもらっているやつが、首相で、コリアン・レフトの“過激派”革マルから、銭と票をもらっているやつが、官房長官だ。すばらしい国になったもんだよ。
この、革マル官房長官は、妻子をシンガポールに避難させているのだから、また、笑える。革マル・枝野は、原発事故の放射能が怖くて妻子を国外にだしたのか? あるいは、クーデターを恐れたのかな?
「安全だ」「ただちに健康に……」、うんぬんのウソの大本営発表をしている本人が、妻と子供を外国に避難させている。社会主義者らしいね。歴史的に、社会主義とか共産主義が看板の偽善の政治家ってのは、こういう卑劣な行動をする。じつに、セオリーどおりだね。笑える。(でも、ほんとかね? 妻子を外国に避難させる? いくら革マルから金もらってるやつでも……)
官房長官・枝野が、妻子をシンガポールに避難させてる、と暴露したのは、民主党の議員だ。事実かどうかわからない。デマかもしれない。だが、同じ党の議員からこういう話がでる、その政権とは、国民のためになるのかね?
しかし、いくらなんでも、内閣官房長官が、いま、このとき、妻子をシンガポールに避難させてる……なんてことはないだろう。と、わたしは、思ったりするのだが……。
大畠国交相の「合板が不足して、仮設住宅が建たない」は、ウソだった。民主党得意の、無能を隠す言い訳だ。
日本合板工業組合連合会は、「加盟6社が津波で被災したのは事実だが、他の工場の増産ですでに穴埋めはできている」と言っているのだ。7万戸や8万戸の需要に、合板は十分足りている、と業界が発表しているのに、民主党政府は、輸入枠を拡大する、という。朝鮮、中国から輸入しようというのか?
7万2千戸の仮設住宅が必要だ、といわれているが、このアホウ政権は、震災から1ヶ月いじょうたつのに、なんと、陸前高田に36戸を建てただけなのだ。72,000戸が必要なのに、36戸? 国民をナメてるのか? カン・直人、民主党、こいつら、無能以外、なんだ!
仮設住宅用「合板不足」に業界反発 政府の「批判かわし」の声も http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110417/biz11041706380001-n2.htm
テレビ・ニュースにあった、『仮設住宅完成、喜ぶ住民』の絵は、この陸前高田の36戸なのだ。あとはない。それは報じない。テレビ報道なんての、そんなものだよ。
仮設住宅が必要な、72,000世帯のうち、『たった36世帯が仮設住宅に入っただけだ』、と報道しているのか! いまも、130,000人いじょうの日本国民が、震度6の余震におびえ、体育館や集会所の、冷たい床で寝ているんだ、と報道しているのか?
いままた、千葉県南部のわたしのところも、きつい縦揺れの地震あった。震源は、東北から、どんど拡散している。ここが震源になり、東京都心が震源になるのも、ちかいかな。それもまた“自然”だ。
ドナルド・キーン教授が、日本国籍をとる手続きをとったという。日本人になる……震災にあった日本人へのシンパシーの、じつに具体的な行動だ。
ドナルド・キーンさん、日本永住へ http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110416/dms1104161540008-n1.htm
ドナルド・キーン・コロンビア大学名誉教授は、日本文学研究者。三島由紀夫や川端康成を世界に紹介したのも、ドナルド・キーン教授の功績だ。たくさんの著書があるが、『日本文学の歴史』、全18巻の大著がある。英語で書かれたものを日本の4人の翻訳者が翻訳している。じつに読みやすい。戦後日本の、文学者の、妙な左翼イデオロギーがないから、客観的だ。日本文学の通史としては、じつに優れた著書だ。
近世篇は、文庫本になってる。知らなかった。
桜は、葉桜。葉桜がまた、美しい。
桜花 散らば散らなむ 散らずとて ふるさと人の 来ても見なくに
これは『古今集』、惟喬親王(これたかのみこ)の歌。
3・11の震災いらい、北海道・十勝で地震活動が活発だという。その震源が、丸山だと北海道新聞にある。
高校3年の夏、ウペペサンケ山と二ペソツ岳を縦走した。(顧問教師にも言わず、高校生4人だけで、5日間、東大雪山系の、ろくに登山道のないヤブを歩いた。考えてみると、あのころの親は、放任だったのか、子供を信じていたのか、寛大だった。心配なんだろうが、行くな、とは言わなかった)
ウペペとニペの間に、ふたつのピークがある。東丸山と丸山だ。丸山は、活火山だった。山頂の西側が大きく噴き飛び、そこに火口があった。白い煙が噴きだしていた。(丸山が活火山だということは、あまり知られてなかった。帯広に一番近い活火山ではないだろうか)。
火山ガスが怖いので、火口までは行かなかったが、火口にそって途中まで下りた。鹿の足跡があったからだ。だれの足跡もない、堆積した火山灰のなかの、一筋の鹿の足跡は、なんだか不思議な、静けさがあった。その足跡は、十勝川源流の急な沢に消えていた。
きっと、夏の丸山に立った登山者は、あまりいないと思う。いま、二ペソツは人気の山のようだが、山頂からオオダイラ側に下る人は少ないだろう。オオダイラ(大平)から丸山頂上までは、熊笹のヤブがつづく。きついブッシュこぎが必要だ。
それとも、この40年のあいだに、きれいな登山道ができていたりするのだろうか? 大登山ブームだというから……。
十勝で地震活動活発化 丸山周辺 大震災以降98回 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/286484.html
ネットで山の地図をみるには、国土地理院の『ウォッちず 地図閲覧サービス』が便利だ。http://watchizu.gsi.go.jp/
松尾芭蕉が住んでいた深川の芭蕉庵に近い、大横川の桜。正面にみえるのは、東京スカイツリー。大横川は、江戸時代に掘られた運河だ。
40数年ぶりに野毛先生と話した。都内のお宅に電話をしたのだ。
すこしまえから、『大学生のとき、野毛孝彦先生に、芭蕉の「奥の細道」の講義をうけた』と、ブログに書こうと思っていた。それで、先生に、「お名前を出しますので」と連絡して、許可をもらいたかった。しかし、いま、どこにお住まいなのか?
大学の1年間講義をうけただけで、いらい40数年お会いしてない。ネットで検索する札幌大学の資料で、先生の名前はみつからなかった。ずいぶん前に退職したのか?
しかし、インターネットというは、便利だ。
明治大学の関係者のブログで、“芭蕉の研究者、野毛孝彦教授”という記事をみつけた。『野毛先生は、明大にもどっていたのか』
そして、東京都内の、あるスポーツ・クラブのホームページで、“会長に野毛孝彦さんが就任”という記載をみつけた。この“野毛会長”が、野毛先生に違いない、と思った。40年いじょう前の記憶だが、たしか、スポーツマンらしい、しっかりした体格の青年で、ラグビー部かなにか体育会の顧問をやられていたはずだ。
そのスポーツ・クラブのある地区の電話帳で、先生の番号をさがした。ネットで個人の電話番号は調べられないが、図書館には、日本じゅうの電話帳がそろってる。
さいしょ電話には奥さんがでた。40数年前のことですが、と、じぶんの説明をした。札幌大学の一期生で、野毛先生に芭蕉を教わった者です、と。野毛先生が電話にでて、突然の話に驚いて、そして、喜んでいただいた。
先生は、明治大学の大学院を卒業して、はじめて札幌大学で教壇に立ったという。わたしたちが、先生の最初の弟子だったわけだ。先生は、札大で2年教え、明大にもどっていた。ネットで調べる範囲の、札大のデータで先生の消息を調べられなかったわけだ。
わたしが大学を中退したその年に、先生は札幌から東京にもどっていたのだ。そして2年前まで明治大学で、芭蕉を講義していた。
はじめて教壇に立った、あの札幌の2年間は、先生にとっても心に残る日々だ、という。
日本橋茅場町、其角の家の跡。宝井其角(きかく)は、蕉門十哲のひとり。蕉門とは、松尾芭蕉の門弟。この其角の家の隣に、荻生徂徠の塾があった。そのことが、其角の句にある。
梅が香や 隣は 荻生惣右衛門
いま日本橋茅場町は、株屋さんの街だ。兜町の東京証券取引所がすぐそこだから、街じゅう証券会社のビル群だ。何百社か何千社か、株屋が集中している。
荻生徂徠(おぎゅう そらい)は、江戸時代の思想家。松尾芭蕉や井原西鶴と同時代、元禄を代表する人物のひとりだ。徳川幕府の政治に大きな影響力があった。
赤穂浪士の討ち入りがあったとき、全員の切腹を幕府に進言した、と伝えられる。同情論が圧倒的だったとき、荻生徂徠の論は明快だ。
“主君の仇討ちは、理解できる。だか、私事だ。わたくしごとのために大義を曲げてはダメだ。サムライらしく切腹、それを許可する。それがいいだろうね”というわけだ。
同情論で、ヒーロー視して、無罪放免が大勢をしめているとき、荻生徂徠の“法をつらぬけ”という主張はみごとだ。幕府は、この進言を実行する。尖閣諸島に侵入した中国人をアイマイに放免した民主党政府とはかなり違う。
江戸時代の武士には、徳川幕府が決めた、武家諸法度という絶対的な法があった。私闘を禁じている。それに、仇討は、申請すれば許可されることがある。合法的な仇討もあったのだ。赤穂の武士たちの仇討が、許されたかわからないが、幕府の許可のない違法な仇討だったわけだ。そのことも、荻生徂徠はふれている。
とにかく、国政は、雰囲気、感情に流されて、義をまげてはダメよ、といっているわけ。