先週土曜日のこと、ずいぶんひさしぶりに帯広の街にでた。
3百メートルほど離れたスーパーから遠くにいくのは、3月9日の”まっちゃん・げんちゃん”ライブをみるため、ブルースハープに出かけて以来のこと。わたしの鬱症、ひきこもりが、いかに重症か、ということでもある。
30年くらい前、この町に住んでいたときは、毎晩毎晩、街のなかで夜明けまで飲んだくれていたものだが、いまは、まったく飲みに出ない。行きたいところがない。ただ、ゆかさんのお店ブルースハープだけ、愉快に過ごせる。去年の花見で知りあった、素敵な人たちと会えるのも、ブルースハープのたのしみだ。
土曜日も、常連のおふたりと、たのしい時間を過ごすことができた。不思議なことに、その日の夕暮れ、その二人と話をしたいな、と思っていた。今夜、ブルースハープで会えたらいいな、と思ってもいた。
その夜、父親の夕飯がずいぶん遅くなった。老父の夕飯は、いつもデタラメな時間だ。なるべく暖かいうちに食べてもらいたいから、食べる態勢を察知して、キッチンに立ってバカ殿御膳の支度をはじめる。きょうは、ブルースハープに行けないな、と諦めかかったのだが、突然、父の病的なコロコロが終了した。
父親は、好きだった散歩ができないので(すこし家から離れただけで、方向を失って帰ってこれない)、代わりにコロコロをはじめた、と母がいっていた。そのコロコロは、常軌を逸している。一階の部屋全部をコロコロする。ときどきソファーで休んで、タバコをふかして、お茶を飲んで、テレビを大音響でみて………。
長いときで7時間、短い日で、3時間くらいコロコロをしている。居間のジュータンも半分づつはがして、ジュータンの下のフローリングをコロコロする。『敷物の下だぞ、一日でどれほど汚れるんだよ………きのうも、そこ、何度もやってたろ!』と、わたしは見ていてイラつくのだが………やめろ! とは言わない。
『しかし、あんなダンディーだった男が、こうなるかね』と、わたしは、その父のコロコロ姿をみていて、なんだか悲しくなる。
つい最近まで、「俺は、女にモテるんだ」と、恥ずかしくもなく口にするやつで、たしかに、わたしより10センチ以上背は高く(終戦直後のむかしでは、長身だ)、若いときは、たしかにハンサムだった。わたしの弟が、比較的、父の風貌をついでいるかな。わたしは似ても似つかぬ、ハンサムとは遠くはなれた異形だが………祖父・祖母によく似ていると伯母たちにいわれたが………まあ、ともかく、わたしは、明治の人たちの体型、人相なわけだよ。
老父の話にもどろう。週に2度も散髪にいって、テーラー沢田で仕立てたスーツでビシッときめて、鏡のまえで服装を確認してから外にでる。仕事をリタイアするまで、そういう男だった。若いときは、大きなバイクに乗っていて、そんなに自家用車というものを持っていないときに車を買った。毎朝、出勤するまえに、その車を水洗いして、セーム革で車体の水滴を拭きとる。そうして、仕事にでていった。
その ”俺は、女にモテるんだ” のダンディー男は、わたしが25年ぶりに故郷にもどったとき、ボロボロに崩壊していた。
白髪の長髪は、肩まであって、まったく櫛をいれないからグチャグチャだ。(わたしは、ハゲだが、父と兄と弟は、ジジイになっても髪がある)。髭は、のび放題。両手の爪は、ホラー映画の怪人か悪魔のように、のびている。なんで? こんなこ汚い姿でいるの? と母にたずねると、風呂にまったく入らないという。風呂に入ったときだけ、自分で髪を切り、髭をそる、という。
ひと月に1回、風呂に入ったらいいほうで、母が、何度も何度もうるさく言って、やっと入る、というのだ。
この、風呂月1回………これも、わたしには、衝撃だった。父は、朝風呂に入って、晩酌のまえにまた風呂に入る、という風呂好きで、温泉好きだった。リタイアしてからは、車の運転が好きだから、毎日、午後には、十勝のどこかの温泉までドライブするという老人だった。
「えッ? おやじが、風呂に入らない?」、ショックだった。のび放題の長髪、髭の、こ汚いツラで、コロコロしている。あれだけ雄弁で、うまいしゃべりが売りの男が、まったく無言だ。無言でコロコロ、7時間。
介護保険で、出前の散髪も高くない。「床屋に行きたくないなら、家に来てもらおうか?」と父にいうと、「いらない!!」と怒鳴る。「そろそろ爪切らないと、生爪するぞ」というと「夜、爪切ると縁起が悪い」と、いいやがる。
そのとき、わたしは、末期がんの母の看病していて、もう余命何日か、という覚悟しているときだった。『なににィ? 縁起が悪い、だと! いま、おれの母さんが死ぬ。あんたに50年以上つくした奥さんが、死のうとしているんだ。この世で、これ以上、悪いことが、あるかい? クソ・ジジイ! なにが、夜、爪を切ると縁起が悪い、だ。よくも言えるな!』と、ひどく腹が立ったものだよ。
老いとは、残酷で、無残なものだ。その崩壊した父の姿を、毎日みている、わたしの気分も、つらく、悲しい。そして、あすは、わが身だ。