雨の日の森が美しい、と気づいたのは然別湖だった。
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レコード屋もプロモーターもやめて、『もう、この北海道で、音楽に関わること、すべて、ヤメだわな』と、無職でブラブラしている時、”ふるさと十勝”の編集長・佐藤さんの好意で、その事務所に居候させていただいた。埋め草の、駄文を書くだけで3食ごちそうになって、夜は酒までいただいた。
春になったとき、然別湖のネイチャーセンターというところで、マネジャーみたいなことをやらないか? と話があった。
然別湖は、子供のときから父親の釣りについていったところで、中学生のときは、まだ林道もできてない笹藪の一本道を糠平湖まで歩いたこともある。(わたしは、湖上で深い霧のなかにいても、どこに自分がいるかわかる、小学生のときから……いつも、父の釣りのこぎ手だったのだ。氷が落ちると、トローリングみたいにしないとオショロコマは喰いつかない。モーターのスクリュー音もあまりよくない。手漕ぎのボートで釣る。そのボート、だれが漕ぐ。俺、小学生から中学、高校。父親の遊びの釣りのボートの、サイレント・エンジンが、わたし)
然別湖のオショロコマ(イワナ)の釣りが、昔は何月から解禁だったのか、展望台に車を置いて、除雪をしてない雪のなか、然別湖まで歩いて、厚い氷に穴を開けてオショロコマを釣った。(自衛隊の演習地の中だったから、展望台までは除雪されていたのだろうか。湖畔の温泉は閉鎖され、管理人の方、ひとりがいた。)
当時は子供で、父親とその釣り仲間のうしろから、深い雪のなかの一本の踏み跡をついていったのだが、大人になって思う、あの吹雪のなか歩く釣り人たちの情熱ってのは、それはそれで、愚かで、かつスゴイな、と…………。漁師じゃないから、魚をとるのは妻子のための仕事でもない、趣味、遊び、ただそれだけのために、豪雪の大雪山系の吹雪のなか、命をかけて凍結した湖をめざす。ただイワナを釣るためだけに………人間の、その不思議だわな………。
そんなわけで、東京に出ていく前、ひと夏、然別湖で暮らした。5月の初頭から8月の終わりまでだったか…………。早朝、夜明け、カヌーを漕いで湖を一周してから温泉に入って、3食、従業員の方たちと一緒にマカナイを食べる。元・帯広三条高校山岳部員のわたしに、こんな至福の時があるだろうか? そのまえ、十何年も、ギャラがどうの、客入りがどうの、赤字だ、赤字だ……浜田省吾? そんなの売れるかよ、帯広の田舎レコード屋だから、わけわからずそんなもんに入れあげるんだろ……荒井由実? あんなの、アルバム1枚で消えるよ…帯広のやつだから、なんにも音楽業界のことわからんのだろ………井上陽水? アンドレ・カンドレだろ、北海道ツアーをやる? バカじゃないのか! 帯広の田舎ものだから、わからんだろ! 売れないよ! RCサクセッションもやる? 北海道の帯広の田舎者は、音楽のこと何のもわかってないな! 売れないないよ! あんなもの………!
という、屈辱にたえて、わたしは、北海道で音楽のプロモーター(興行師、わたしは、プロモーターという語より、なん百年も前から昔の、この仕事の、”興行師”が好きだな)をやっていた。北海道のマスメディア、つまり札幌の新聞・テレビのやつらの幼稚と傲慢………精神的にも疲れたし、何より金銭的に疲れていた。(娘たちが高校生で、先の学校に進学させてやりたい。が、俺、無職)。
北海道を出て、何がなんでも身をけずっても、現金で日銭を稼げる仕事をしよう、と思っているとき、然別湖の仕事の話があった。提示された報酬は、魅力的だった。が、最初の月から約束の給料はなかった。どころか、1円の現金支払いはなく、3食たべて、温泉に入って、狭い個室の寝室がある、という……そういうことだった。
8月まで耐えた。しかし、わたしは、商人だったし、興行師だ。金、銭、ギャラの世界、現実の世界を生きてきた。ネイチャーだの、自然だの、”森が泣いてる” だの、というチャラけた左翼・リベラルとは、10代で決別してる。(わたしは、外国語学部ロシア語学科だ。レーニンだの、スターリンだのの話は、そこらの左巻き教員よりは知ってる、だろう。ロシア・ソビエト史というのが必修科目だったが、それはロシア語でやるんだ。教授が90分講義する言葉は、ロシア語なんだよ)
今、わたしが親の介護をするために住んでる近所に、退職した中学校の先生がいて、その人がわたしに話しかけてくる。”毛沢東”がこう言ったとか、”レーニン”が、こう言った、とか。わたしは、『バカじゃなろか、このタンゴ!』と思いながら、「先生、そうですか……」と、感心してみせる。(わたしが中学生のとき、この人に習ったことはないが、通っていた中学の国語と英語の先生だった。が、俺らはもう、中学生ではない。もうすぐ70歳もなる超老人だ。教員とは違う、いろんな体験をしてきている。)
その超老人のわたしに、退職教師が、いろいろうんちく話をしてくださる。「そうですか……そんなですか」と、わたしは、聞く。『早く、その話、やめたら。俺らは、中学生からもう50年も死闘をしてきてる。先生のような甘い人生じゃないの、だれもが…』、と思いながら、こっちは大人だから、「そうですか、先生!」と、相槌をうつ。
然別湖の、雨の日の森のことを書こうとして、なんだかおかしな方向にいった。つづきは、あしたかな…。(このgoo のブログにして、見にくい、と聞いた。ホームページのソフトにチャレンジするので、近いうちに、わたしの自身のページで、写真と長い文章なんかアップする、つもりです。よろしく)。
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