Ommo's

古い曲が気になる

南長野スタジアム

2015-05-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 なでしこジャパン、イタリアに1-0で勝った。大儀見選手のシュートはみごとだった。

 しかし、なにより感心したのは、長野の、その会場のスタジアムの素晴らしさだ。

 昨年8月、北海道・帯広で、INAC神戸 vs ジェフ千葉レディースの試合をみたが、土手の芝の客席があるだけの陸上競技場だ。帯広に、国際大会ができる素晴らしい室内スピードスケートリンクはあるが、サッカー、ラグビーのスタジアムはない。その、昨年なでしこリーグの公式戦をやった陸上競技場の隣に、サッカーのピッチがあるらしいが、オープンの練習場のようだ。

 中学生のときからサッカーが好きで、学校にクラブがないので、仲間とグラウンドで球を蹴って遊んでいたが、当時は、砂利だらけの固い土で、いつも膝がしらを血だらけにしていた。わたしは、デフェンスをすると執念のデフェンダーで対戦相手には嫌われた。スライディングタックルでボールを奪う。すると、わたしの膝には小石がいくつも刺さりこむ。

 レコード屋をやってるときも、店のお客さんたちとチームを組んで、わたしは、右のデフェンスだった。いつも膝を擦って血だらけにするので、マネージャーをやってた人が、バレーボール用の膝当てのサポーターをくれた。「バレーボールをやっていた妹が高校時代に使っていたやつですが………これ、使ってください」と。

 そのバレーボール用の膝あてサポーターを左膝に付けてるわたしを見て、相手のフォワードは、恐れ、嫌がった。”なに? こいつ? なにつけてんだよ!” 表情は、嫌悪だね。これが、抑止力。わたしの、右サイドで勝負しようとする相手フォワードはいなくなる。

 (しかし、いま思うと、あのバレーボール用の膝サポーターは、サッカーのルールで許されるのかな? 知らないで付けていたが…………)

 

 しかし、長野のスタジアムは、素晴らしい。ぜひ、生きている間に、サッカーのスタジアムまで電車かバスで、片道1000円以内で行ける町に引っ越したいものだが……………な…。


街のなかにキツネがいる

2015-05-26 | 日記・エッセイ・コラム

 

 深夜2時頃、すこし犬の声に似た、奇妙な動物の鳴き声が窓の下でする。

 犬にしては、大げさで悲劇的な叫び声だ。『やっぱりな……いたか…』と思った。キツネだ。いわゆる、北キツネだ。

 北海道のキツネは、人間にとって極めて危険な野生動物だ。治療法がない風土病の媒体だからだ。

 

 ところが、北キツネ物語だかなんだかが大流行りして、愛らしき野生動物で、保護すべき弱き動物で狩猟などもってのほかだ、という風潮になった。

 北海道の野生キツネは、恐ろしい風土病・エキノコックス症の媒体で、過っては、撃ってその耳を役場にもって行けば、奨励金(賞金)も出たほどの、危険な動物なのだ。

 エキノコックス症は、マラリアのように天文学的多数の原虫が、人間の体内で産卵・成長成熟・産卵をくりかえて、最後には宿主の人間を殺す。人間の、おもに肝臓に20年30年と住んで、ついには食いつくす。肝臓から血管を上って、人間の脳に住みつくやつらもいる。そして、10年20年住みつづけ脳をズタズタに食いつくす。それがエキノコックス症。恐ろしい風土病だ。

 原虫に寄生されたネズミをキツネが食べる。エキノコックスがキツネに寄生する。キツネの糞に混じった卵が野に排出される。沢の水に流れる。野草に付く。昆虫の体内に入る。ネズミが食う。ネズミが、汚染された水も飲む。そのネズミをキツネが食う。と、いうサイクルらしい。

 そこで、人間とキツネの関係だ。人は、キツネからこの病気に感染する。エキノコックス虫が寄生したネズミを食ったキツネの排出した糞が、沢に流れる。人がその沢の水を生で飲む。その沢水を井戸に引く。その水を沸かさず飲む。

 キツネの糞がかかった山菜を食べる。キツネが畑にやってきて、野菜畑で糞をする。このキツネの糞の、エキノコックスの胞卵が付いた山菜を食べる。野菜を食べる。キツネが、人の飼っていた鶏を襲う。鶏小屋に糞を散らかす。その農場に犬・猫がいる。犬・猫がエキノコックスに感染する。そんな感じかな(詳しくは、ネットで検索すると、正確な学術情報があることでしょう)。

 

 このエキノコックス症は、北海道・サハリン・千島列島の風土病で本州にはない。(本州での症例は、北海道から移り住んだ人たちだ)。なぜなら、キタキツネが、わかっているだけでは主な媒体動物だからだ。キタキツネは、津軽海峡から向こうに住んでない。自力では、海峡を泳ぎきれないのだろう。(キタキツネ、サハリンからは、流氷に乗って来たのかな? 野生のイノシシは北海道にいないが、津軽海峡の、あの強い潮流を泳ぎきる強靭な体力の、野心と野望と冒険心をもったイノシシがいなかったのかな)

 30年以上まえ、わたしが北海道・帯広を出るころ、住んでるところで、夜、キタキツネをみた。『やばいな! こんなとこまで出てきたか………』と思った。キタキツネが歩いていた、そこが帯広小学校の敷地だったからだ。

 野生動物とは、ある距離を置かなきゃダメだ。『キツネやタヌキが人を騙す』とか、悪しきイメージにすることも、長い年月で得た日本人の知恵なのではないか? 人間と他の動物は、まったく違う寄生虫、原虫、細菌、ウイルスと付き合って長い長い、長い年月を生きてきている。安易に野生動物にココロを許しては、ダメだ。

 

 

 


然別湖で、雨の日

2015-05-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 然別湖のネイチャーセンターで、マネージャーみたいなことをやっていた。雨の日、修学旅行生などのオプションの仕事がない。例えば、係留した熱気球とか、渓流釣り体験とか、カヌーとか……。

 仕事がないから、雨の日、雨具をきて、森を歩く。雨の日の森の下草が、なんて綺麗なんだ、と感動した。

 山登りをしているときは、雨は停滞、テントのなかでジッと雨がやむのを待つ。行動するのも勇気、待つのも、また勇気だよ、と、斉藤稔先生から教わった。(真夏でも、北海道の山で、雨に濡れながら歩くのは、自殺行為だ。大気温度はプラスでも、濡れて強風にすらされる。どんなに歩いても、カレーライスを出してくれる山小屋なんてのは、ない。風は、冷たい。低体温症で逝く。凍死だ。人は、濡れた衣服を着て、気温14度くらいで風に吹かれていると、すぐに健全な体温を維持できなくなる。氷点下には全然なってないが、これが低温での凍死だ)

 で、北海道の山で、雨のなか、歩いたことがなかった。しかし、然別湖で、雨の中、森を歩いて、その美しさに驚嘆した。雨に濡れる植物は、美しい!


雨の日、雨の森

2015-05-24 | 日記・エッセイ・コラム

 

 雨の日の森が美しい、と気づいたのは然別湖だった。

 レコード屋もプロモーターもやめて、『もう、この北海道で、音楽に関わること、すべて、ヤメだわな』と、無職でブラブラしている時、”ふるさと十勝”の編集長・佐藤さんの好意で、その事務所に居候させていただいた。埋め草の、駄文を書くだけで3食ごちそうになって、夜は酒までいただいた。

 春になったとき、然別湖のネイチャーセンターというところで、マネジャーみたいなことをやらないか? と話があった。

 然別湖は、子供のときから父親の釣りについていったところで、中学生のときは、まだ林道もできてない笹藪の一本道を糠平湖まで歩いたこともある。(わたしは、湖上で深い霧のなかにいても、どこに自分がいるかわかる、小学生のときから……いつも、父の釣りのこぎ手だったのだ。氷が落ちると、トローリングみたいにしないとオショロコマは喰いつかない。モーターのスクリュー音もあまりよくない。手漕ぎのボートで釣る。そのボート、だれが漕ぐ。俺、小学生から中学、高校。父親の遊びの釣りのボートの、サイレント・エンジンが、わたし)

 

 然別湖のオショロコマ(イワナ)の釣りが、昔は何月から解禁だったのか、展望台に車を置いて、除雪をしてない雪のなか、然別湖まで歩いて、厚い氷に穴を開けてオショロコマを釣った。(自衛隊の演習地の中だったから、展望台までは除雪されていたのだろうか。湖畔の温泉は閉鎖され、管理人の方、ひとりがいた。)

 当時は子供で、父親とその釣り仲間のうしろから、深い雪のなかの一本の踏み跡をついていったのだが、大人になって思う、あの吹雪のなか歩く釣り人たちの情熱ってのは、それはそれで、愚かで、かつスゴイな、と…………。漁師じゃないから、魚をとるのは妻子のための仕事でもない、趣味、遊び、ただそれだけのために、豪雪の大雪山系の吹雪のなか、命をかけて凍結した湖をめざす。ただイワナを釣るためだけに………人間の、その不思議だわな………。

 

 そんなわけで、東京に出ていく前、ひと夏、然別湖で暮らした。5月の初頭から8月の終わりまでだったか…………。早朝、夜明け、カヌーを漕いで湖を一周してから温泉に入って、3食、従業員の方たちと一緒にマカナイを食べる。元・帯広三条高校山岳部員のわたしに、こんな至福の時があるだろうか? そのまえ、十何年も、ギャラがどうの、客入りがどうの、赤字だ、赤字だ……浜田省吾? そんなの売れるかよ、帯広の田舎レコード屋だから、わけわからずそんなもんに入れあげるんだろ……荒井由実? あんなの、アルバム1枚で消えるよ…帯広のやつだから、なんにも音楽業界のことわからんのだろ………井上陽水? アンドレ・カンドレだろ、北海道ツアーをやる? バカじゃないのか! 帯広の田舎ものだから、わからんだろ! 売れないよ! RCサクセッションもやる? 北海道の帯広の田舎者は、音楽のこと何のもわかってないな! 売れないないよ! あんなもの………!

 という、屈辱にたえて、わたしは、北海道で音楽のプロモーター(興行師、わたしは、プロモーターという語より、なん百年も前から昔の、この仕事の、”興行師”が好きだな)をやっていた。北海道のマスメディア、つまり札幌の新聞・テレビのやつらの幼稚と傲慢………精神的にも疲れたし、何より金銭的に疲れていた。(娘たちが高校生で、先の学校に進学させてやりたい。が、俺、無職)。

 

 北海道を出て、何がなんでも身をけずっても、現金で日銭を稼げる仕事をしよう、と思っているとき、然別湖の仕事の話があった。提示された報酬は、魅力的だった。が、最初の月から約束の給料はなかった。どころか、1円の現金支払いはなく、3食たべて、温泉に入って、狭い個室の寝室がある、という……そういうことだった。

 8月まで耐えた。しかし、わたしは、商人だったし、興行師だ。金、銭、ギャラの世界、現実の世界を生きてきた。ネイチャーだの、自然だの、”森が泣いてる” だの、というチャラけた左翼・リベラルとは、10代で決別してる。(わたしは、外国語学部ロシア語学科だ。レーニンだの、スターリンだのの話は、そこらの左巻き教員よりは知ってる、だろう。ロシア・ソビエト史というのが必修科目だったが、それはロシア語でやるんだ。教授が90分講義する言葉は、ロシア語なんだよ)

 今、わたしが親の介護をするために住んでる近所に、退職した中学校の先生がいて、その人がわたしに話しかけてくる。”毛沢東”がこう言ったとか、”レーニン”が、こう言った、とか。わたしは、『バカじゃなろか、このタンゴ!』と思いながら、「先生、そうですか……」と、感心してみせる。(わたしが中学生のとき、この人に習ったことはないが、通っていた中学の国語と英語の先生だった。が、俺らはもう、中学生ではない。もうすぐ70歳もなる超老人だ。教員とは違う、いろんな体験をしてきている。)

 その超老人のわたしに、退職教師が、いろいろうんちく話をしてくださる。「そうですか……そんなですか」と、わたしは、聞く。『早く、その話、やめたら。俺らは、中学生からもう50年も死闘をしてきてる。先生のような甘い人生じゃないの、だれもが…』、と思いながら、こっちは大人だから、「そうですか、先生!」と、相槌をうつ。

 

 然別湖の、雨の日の森のことを書こうとして、なんだかおかしな方向にいった。つづきは、あしたかな…。(このgoo のブログにして、見にくい、と聞いた。ホームページのソフトにチャレンジするので、近いうちに、わたしの自身のページで、写真と長い文章なんかアップする、つもりです。よろしく)。

 


シュガー・タウン、そして、サマー・ワイン

2015-05-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 テレビのCMで、『シュガー・タウン』が流れてきて驚いた。

  ナンシー・シナトラ Sugar Town   https://www.youtube.com/watch?v=pjsh2j7W6Bo

 (このgooのブログで、なぜかうまくリンクを貼れない、ごめんなさい)。

 この曲は、ナンシー・シナトラの1967年(昭和42年)の大ヒット曲だ。ナンシー・シナトラは、フランク・シナトラのお嬢さん。

 

Essential Nancy Sinatra
 
 

 『シュガー・タウン』を書いたソングライターは、リー・ヘゼルウッド。プロデューサーでもある。

 ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドとのデュエットで、同じ1967年(昭和42年)のヒット曲に、『サマー・ワイン』がある。このヒット曲は、その後の日本の歌謡曲、演歌の、デュエット・ソングに大きな影響があるんじゃないだろか?

   ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッド Summer Wine  https://www.youtube.com/watch?v=Ib_eW9VSUwM

   

There's a Dream I've Been Saving: 1966-71
 
 

 

 


カリグラフィー

2015-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 

 

リターン・トゥ・フォーエヴァー

チック・コリア,フローラ・プリム,ジョー・ファレル,スタンリー・クラーク,アイアート・モレイラ

ユニバーサル ミュージック 

 

 

 チック・コリアのアルバム『リター・トゥ・フォーエヴァー』のジャケット・デザインが気になって、ドイツ・ECMレコードのサイトをみた。

 あのカモメの飛翔する写真を撮影した人が誰かわかったのだが、さらに驚くべきことを知った。(俺って、70年代80年代のレコードを売って商売していて、何にも知らないんだな………と、愕然となった)。

 この写真を撮影したのは、 Michal Manoogian という人だ。だが、じつはプロのフォトグラファーではない。プロのロゴ・デザイナーなのだ。その仕事が凄い。

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
EMIミュージック・ジャパン
 

 音楽史に永遠に残るだろう歴史的名盤、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。このアルバムジャケットの、中央にあるバスドラに書かれたアルバムタイトル、このロゴ・デザインが、Michal Manoogian の作品なのだ。

 

 

チープ・スリル
ソニー・ミュージックレコーズ
 

 世界を震撼させた、ジャニス・ジョップリンのメジャーデビュー・アルバム、ビッグブラザー&ホールディング・カンパニーの『チープ・スリル』。このアルバムジャケットのタイトル文字が、Michal Manoogian のデザインなのだ。

ホテル・カリフォルニア
ワーナーミュージック・ジャパン
 

 イーグルスの世界ヒットしたアルバム『ホテル・カルフォルニア』。このアルバムジャケットの青い文字、これも、この人の作品だ。

スティッキー・フィンガーズ(スーパー・デラックス・エディション)
ユニバーサル ミュージック
 

 ローリングストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』、ジャケット・デザインは、アンディー・ウォーホルだが、この有名なLPジャケットの赤い文字のロゴは、Michal Manoogian のデザインなのだ。

Love songs / Vinyl record [Vinyl-LP]
Import
 

 ビートルズの『LOVE SONGS』。写真は、巨匠リチャード・アヴェドンだ。このレタリングのデザインは、Michal Manoogian なのだ。

Farewell Song
Sony
 

 ジャニスの死の直後に発売されたアルバム『Farewell Song』、このアルバムタイトルのカリグラフィーもまた、Michal Manoogian の作品。感性は、日本伝統の書道の世界にちかい。若く、突然死した、稀代のヴォーカリストの追悼アルバムだ。そのタイトルにふさわしい、悲しみにみちた、見事な文字デザインじゃないかい? 写真のジャニスの、何だか妙に健康そうな明かるさ、青い空……と、この悲しみの文字。まぁ、みごとな追悼アルバムのジャケット・デザインだ、と、わたしは思う。

 

 わたしが気になった、チック・コリアの『リター・トゥ・フォーエヴァー』のファーストアルバムの、カモメの写真の件だが、

 1970年、チック・コリアに、”新しいアルバムのための、飛翔する軽い羽をイメージさせるような写真はないだろか?”と相談され、ストックしていたこの写真を見せた。まさにこれだよ、と、チック・コリアがひどく感動してくれた。だが、Michal Manoogian 自身が、逆にひどく驚いた、と書いている。じつはプロの写真家の作品ではなく、自分自身が新婚旅行のときに撮影した写真(言わば”素人写真”)だったからだ。

「この写真なんかどう?」と、ジョークで見せたつもりが………本当に使われるとは……『この写真を使う? ほんとうかいな……チック・コリアもジョークで返してきてるんじゃないのか?』というような、疑いのココロだったのだろうか?

 面白いね。20世紀音楽史に残るフィージョンの名盤で、その音楽を見事に表現したLPジャケットの名作に、こんな裏話があるなんて…………。

 (Michal Manoogian をわたしは、マイケル・マノージアンと発音するのだろうか? と、思うのだが……詳しい人、教えてくださいな)。


B.B.キング、逝く

2015-05-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 B.B.キングが亡くなった。まさに巨星落つだ。

 89歳というから、天寿を全うしたと言えるのだろうが、やはり、なにか、ひどく悲しい。

 ユーチューブのコメントに ”I feel really lost right now..” と、あったが、わたしも同じ思いだ。(1968年からわたしはレコード屋で、B.B.キングのレコード売り上げもまた、生活をささえてくれていた。それに、B.B.キングがいなければ、70年代80年代の、白人たちのロックの隆盛なんてのはないだろ!)

   B.B.キング The Thrill Is Gone (2010)  https://www.youtube.com/watch?v=dfqHLX3hdcs

Live at the Regal
Universal / Island
 
ライヴ・イン・クック・カウンティ・ジェイル(紙ジャケット仕様)
B.B.キング
USMジャパン

 たった今も、B.B.のYouTubeのアクセス数が、どんどん凄まじい数に伸びっていってる。B.B.を愛しているのは、コアなブルース・ファンだけじゃない。世界中の、わたしのような老いた音楽ファンが、B.B.キングを追悼して、その愛器ルシールを弾く雄姿を回想しているのだろう。

 

 わたしは、30年以上も前、北海道・帯広の緑ヶ丘公園の野外ステージで、B.B.キングを観る、という不思議な体験をした。

 公園の芝生に座って、陽をあびながら、間近でB.B.キングをみる。今では、あれが現実だったのか、夢だったのか、疑いをもったりする。

 あの時、帯広・十勝全域から集まった観客は、たった500人くらいだったのではないだろうか? 世界のB.B.キングが来ているというのにだ…………それも、フリーコンサート、つまり、入場無料だ。帯広市主催の、野外ステージ完成祝いの、こけら落としのイベントだった。メインが、B.B.キング・バンドのコンサートだった。

 『スリル・イズ・ゴーン』のB.B.キング。あのエリック・クラプトンが、”もっとも尊敬するギタリスト”とアイドルにする、B.B.キングが、帯広の緑ヶ丘公園でフリーコンサートを開く! ほんとか? と、興奮してその日を楽しみにした。

 それで、500人たらずの観客。主催者・帯広市は、B.B.キングにも、B.B.がボスのオーケストラのミュージシャンに対しても、非礼、無礼、失礼だわな。

 わたしは、この、B.B.キングの帯広野外公演の直後、北海道をでた。

 

 きっと、今の人は、B.B.キングとは肥りすぎて、車椅子に座ってギターを弾く老人、という認識かな。

 わたしがレコード屋になった、1968年のころは、最高にカッコイイ黒人ギタリストの一人だったな。まだ、そんなに太ってなかったし…………。(誰もが中年になり、太ったり、老人になり、するさ。89歳で死ぬまで、あれだけ、ギターを弾ければ、真の偉人、巨人、キング! じゃないかい)。


リターン・トゥ・フォーエヴァー

2015-05-13 | 日記・エッセイ・コラム

階下に降りる階段の途中で、『さて? いったい俺は何をするために、台所に行こうとしているんだ?』と、疑問に思う。歳だ。モウロクのはじまりだ。
今の場合は、箸を取りにいく、という目的だったのだが、ドアを開けて、階段を降りている間に、そのテーマを忘れてしまっている。曲は、テーマから逸脱して進行し、破綻をきたしたわけだ。

できるだけ階下に降りないようにしている。老父の生活空間に踏み込むのが、嫌なのだ。タバコの煙と、三軒先まで聞こえるようなテレビの大音響。それも、もっとも嫌いな、演歌・歌謡曲、韓国ドラマ、通販の番組だったりするのだ。その、わたしが最も嫌悪する空間にいて、父の食事を作る。洗濯をする(もちろん自動だが、洗濯物を取り出して、乾さなきゃならんだろ。その、テレビの大騒音とタバコの臭いのなかで、洗濯物の処理をする。このわずかな時間も、ひどい苦痛なのだよ)

若いときはタバコを吸っていたが、やめて30年以上たつ。やめるときは、何の苦労も苦痛もなく、きっぱりやめられた。『この1本を吸ってから……』 とか、そんな未練もさらさらなく、『やめよう!』と決めた瞬間、何本も入っていたタバコの箱を駅のゴミ箱に捨てて、それから1本も吸ってない。

父はヘビースモーカーで、90歳の今も、バクバク吸う。タバコに耐性がある人たちもいるんだな? と、つくづく関心する。煙を吸うこと自体、気管や肺に負担なのに、タバコという植物には、さまざまな強烈な物質が入っている。

すごい昔、50年ちかい昔、何度かマリファナも吸ったが、どうもわたしは、あの手のものはダメだ。決まって、ひどい貧血症状がおきて、失神寸前の不快感で倒れこむ。LSDも最悪な気分になって二度とやらなかった。

リターン・トゥ・フォーエヴァー
チック・コリア,フローラ・プリム,ジョー・ファレル,スタンリー・クラーク,アイアート・モレイラ
ユニバーサル ミュージック

九州の森本くんと話をしていて、『リターン・トゥ・フォーエヴァー』が話題になり、以来、この数日、ずっとこの1972年のアルバムを聴いている。

そして、このLPジャケットが気になり、このカモメを撮影したフォトグラファーはいったい誰なんだろ? と、ひどく気になり調べだした。

で、じつに面白いことがわかったので、あす、書こうかな。今夜は、もう酔った。


巨大な龍が、空を飛んでいた

2015-05-12 | 日記・エッセイ・コラム

 

 いつものように二日酔いで目覚めて、カーテンを開けると、何と、”巨大な龍”が空を飛んでるじゃないか!

 この雲が、飛翔する巨大な龍の頭部にみえるかどうかは、まぁ、人それぞれの感性だが、わたしは、いろいろ想像しながら、雲の形が変わるまで十分堪能した。


mulberry

2015-05-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 桑の実は、マルベリーということ、最近、知った。

 3年前、帯広に帰ってきて、買い物の途中でこの木をみつけた。道端の木だ。

 これ、 ”桑の木じゃないか” と、不思議だった。

 

  もちろんクワは、絹をつくるために、蛾の幼虫の餌として栽培され、品種改良されてきた樹木だ。

 しかし、その実は、じつに美味い。

 赤黒く熟したときが、食べごろだ。

 

 本州でみるのは、普通のことだが、北海道の北東の、寒い帯広で、桑の大きな木を見るのは、驚きだったが、普通にあるのだろうか? 

 

 3年前にみかけた、この桑の木は、去年は、花も少なく、実もほとんどなかったが、今年は、花、花、花、だ。

(これがみんな、実になったら、すごいことになるな。植物の、その結果率のことは、九州のわが友、森本くんが詳しい。尋ねてみようかな)


Big Two-Hearted River

2015-05-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 すこし前に書いた文章の冒頭の、”何を見ても何かを思い出す”というフレーズは、ヘミングウェイの短編小説のタイトル  I Guess Everything Reminds You of Something のパクリだ。本編のすごさはもちろんだが、ヘミングウェイは、小説のタイトルをつける名人だな、と、高校時代思っていた。そのタイトルで、とくに好きだったのは、Big Two-Hearted River だ。

 白樺の若葉が、じつに美しい。透明な、乾いた五月の微風が吹いて、ゆれる。

 


泣く

2015-05-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 "泣く”には、英語表現でいろいろあることを、ジャズの曲から知った。

 "cry" "weep"、そして sob 。

 

 Now He Sings, Now He Sobs

 チック・コリアの1968年のアルバムタイトルだ。ピアノトリオだ。名盤だ。

(アルバムの邦題は、《彼は》 ”歌っているかと思うと、すすり泣いていた” という感じじゃなかったかな………ぜんぜん正確な記憶でないが……)

Now He Sings Now He Sobs
 
 

 フェンダーのローズかなにか、エレクトリックなキーボードで”Return to Forever”が大ヒットしたのに、なぜかチック・コリアは、ピアノソロのコンサート・ツアーをはじめる。

 そのとき、わたしは、北海道ツアーの運転手だった。助手席にチック・コリアさんが乗って、わたしがドライバー。わたしの拙い中学1年生英語で、長い北海道の旅をした。

 

 「Now He Sings, Now He Sobs が好きです」というと、とても喜んでくれて、レコーディングの話をしてくれた。

 遠い、遠い昔のことだ。チック・コリアを乗せて運転してくれない? と、さそってくれたのは、ミューズ・コーポレーションの木ノ内社長だった。

リターン・トゥ・フォーエヴァー
 
 

 

   チック・コリア  リターン・トゥ・フォエヴァー https://www.youtube.com/watch?v=q7J3LxUHUCU

 


サクランボを買う

2015-05-07 | 日記

 

 近所のスーパー・テキサスでサクランボを見つけたので、母のために買った。小粒だが初物という感じで、何だか心が動いた。(今は、ハウス栽培や、南半球の外国の農園で作らせて、どんな果実も野菜も、年中無休なのかもしれないが…………)

 3年前に亡くなった母の遺骨が、まだ家にある。四十九日、一周忌、三回忌、そのたびに納骨してやりたいな、と思うのだが、父親が「俺が死んだとき、一緒に入れてくれ!」と、ひどく拒絶する。

『だいたい、あなたが死ぬまで、俺が生きているか、わからないじゃないか。最高の親友も、尊敬する恩師も、若く死んでる。尊敬する仕事をしていた同世代の友人、知人はほとんど逝き、ブザマに生き残っているのは、俺くらいだ。ただ欲望に生きた、あなた、90歳? 笑うよ。 きっと、あんたより先に俺が死ぬだろうが、そうなったとき、いったい誰が納骨だの法要だの面倒なことの手配をするんだい? かみさんの遺骨をそばに置いておきたい? よく言うよ。50年以上も、あれだけ苦労させて……母さんが生きてるとき、優しい言葉のひとつもかけてやったかい! 骨になったんだ、成仏させてやりなよ………』

 と、心底ムカついて思うのだが、言葉に出さない。(強いことを言った後、無抵抗の老人をいじめた、という自己嫌悪で、自分自身がひどく落ち込む。それが嫌で、もう、何も言わないことにしている)。


柳よ、泣いておくれ

2015-05-06 | 日記

 

 柳に新芽が吹いて、五月の風にゆれている。

 何を見ても何かを思い出すのは、死にいく歳のせいだが、わたしの場合、レコード屋、そして音楽プロモーター(興行師)というのが、人生の一番熱い時だったので、何かを見ると何か古い曲が頭にうかぶ。

 今日の場合、しだれ柳の新芽の枝が、風に吹かれる光景をみて、やはり、Willow Weep for Me (柳よ、私のために、泣いておくれ)のメロディーと歌詞が頭にうずまいた。

 

 この weep は、cry の”泣く”より、”すすり泣く”とか”忍び泣く”という日本語に近い感じだろうか?

 オリジナルは、女の人の、せつない失恋ソングだ。

 

 元は、女の人の失恋ソング。だが、わたしは、フランク・シナトラも、好きだ。男の失恋の嘆きだ。アレンジのネルソン・リドルが、まあ、みごとだ。シビレる。

Only the Lonely
 
 

  フランク・シナトラ Willow Weep for Me https://www.youtube.com/watch?v=SSUnOei0msk 

 

 この曲は、アメリカの女性ソングライター、アン・ロネルの、1932年の作品だ。

Tin Pan Alley Girl: A Biography of Ann Ronell