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古い曲が気になる

安倍首相のアメリカ議会演説

2015-04-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

 安倍首相のアメリカ議会演説は、誇らしいことで、何が問題なのかな?

 腐れテレビとか、捏造・新聞が、なぜ、批判しているのだろうか?

 

 日本の総理大臣が、アメリカ議会でスピーチする、その、何が悔しいのかね…………。

 まったく、理解できないな。

 自国の首相が、外国の議会に招かれて、演説する。誇らしいことだろう。

 なにが、そんなに悔しいのかね……………

 

 


マザー・ランゲッジ

2015-04-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

 安倍首相の、アメリカ国会での英語のスピーチで思ったことを、もうすこし。

 

 母国語を ”mother language" という。

 母国で話している言語、という意味だけじゃない。つまり、じぶんの母さんから最初に教わった言語のことだ。乳をくれていた母さんが話しかけてくれていた言葉、すなわち、それが、mother language だ。

 

 どんなにたくみに英語を話せても、自分の母語のイントネーション、語順、文法、つまり幼いとき、自分の母親が話しかけてくれていた言語から、逸脱はできない。という。わたしが言ってのじゃない。いろんな国の、母語が英語でないが、たくみに英語を話す人たちと話していて、だれも、そう言う。

 

 つまり、日本人は、日本語英語でいいの。ドイツ人は、ドイツ人らしい英語。ロシア人は、ロシア人の英語。

 

 スリランカ出身のシンハル人の友人がいる。アメリカの大学で博士号をとった有能な農学者だ。「何年アメリカで暮らしても、シンハル語訛りの英語がぬけない」という。「それでいいんだ」ともいう。

 


You 've Got a Friend

2015-04-30 | 日記

 

 安倍首相のアメリカ議会での演説は、じつによかった。全文を読むと、ちょっと、ジーンときた。

英語の発音がどうのこうの、イチャモンをつけているやつらがいるが、英語のネイティブ・スピーカーでもない外国の総理大臣が、招かれた国の国会で、その国の公式言語・英語で演説する。十分すぎるほど見事な英語の演説じゃないか。(英語が上手い国の政治家は、英語を話す白人に支配された、白人の植民地になったことがある国だろうな。ベトナムの共産主義者たちは、フランス語をたくみに話した)。

わたしは、外国語学部だし(専攻はロシア語だったが)、レコード屋を辞め、北海道を出てから5年以上も英会話教室のマネージャーをやっていたこともある。毎晩毎晩、アメリカ人やイギリス人、オーストラリア人、カナダ人の英語講師と飲んだくれていた。日本に居ながら、実戦で英語の会話を学んだ。興行師をやっていたときは、ソニー・ロリンズやチック・コリアと普通に話をしていた。もちろん、英語だ。

 

 日本の腐れテレビや、捏造新聞が、どう評価しているか、知らんが、安倍首相の演説内容も、英語も、見事なものだ。(帰国子女じゃないんだから、日本人が話す日本人らしい英語でいいの。それを聞いてる英語ネイティブの人は理解してくれてる。発音がどうだの、ウダウダ、イチャモンつけるやつらには、”言わせておけ”、だね。

内容も、”同盟国”アメリカ議会での演説として、見事じゃないかな。

 

演説のなかで、キャロル・キングの曲に言及した。それは”You 've Got a Friend”のことではないだろうか? 先にジェームス・テイラーのカバーでヒットして、キャロル・キング自身の名盤『つづれ織り』に収録された名曲だ。

つづれおり
 
 

 安倍首相のアメリカ議会での演説(全シーン)。https://www.youtube.com/watch?v=pzy4exj0YPg

 


韃靼人の踊り

2015-04-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 好きなロシアの作曲家のひとりに、ボロデインがいる。本業、化学者で、なおかつ大作曲家だ。

(わたしは、大学は、外国語学部ロシア語学科。共産革命前のロシアの文化が好きだ。それでロシア語を専攻した。

共産革命前の、音楽も、絵画も、文学も、バレエも、まあ、それは凄い……。共産主義者に、芸術・文化、すべて抑圧されるが………)。

 

 ボロディンの『韃靼人の娘の踊り』は、センチメタルな、哀愁の、美しい曲だ。

 戦争で負けた側の、奴隷になった娘たちの、踊りだ。

 

 なぜか、先週末からずっと、チャイコフスキーを聴いていて、

 なぜか今夜はボロディン、ダッタン人の娘たちの踊り、なのだ。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=Uq984sKqokI

  

 

 

  

 

 

 


まっちゃん・げんちゃん

2015-04-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨夜は、B♭で『まっちゃん・げんちゃん』のライブをみた。じつに楽しかった。

 

 約30年ぶりくらいに故郷・帯広に帰ってきて、(当然のことだが)、その昔わたしのレコード店のお客さんだった少年たちが、もう立派な大人になっていた。

 まっちゃんは、昔、帯広畜産大学の森本くんの卒業コンサートを勤労者福祉センター(キンプク)で開催したとき、バックバンドをやってくれた。

 げんちゃんは、エレキベースを弾いていて、宮坂くんのブルース・セッションに、無理矢理参加してもらったりした。

 

 その若者、まっちゃんもげんちゃんも、長いキャリアの、すごいミュージシャンになっていた。

 しかし、同じ帯広・十勝で長い音楽活動をしていて、なぜか、一度も共演したことがない、という。

 なら、やってみてわ! と、提案した。一昨年のことかな。

 今回は、そのコラボの、2回目のライブだったのだ。じつに、楽しかった。


Bring It On Home To Me

2015-04-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 一年の3分の1が終わるが、やっと、ズボンの下のタイツ(ももひき)無しに外を散歩できる。まったく、ひどい土地だ。わたしの感覚では、ここに、四季はない。冬と、冬でない時だけだ。二季だ。

 今日の昼は、元気な小学生たちは半そでだったりするが、本州(の大半のところ)でいう、小春日和だろう。つまり、冬にちょっと暖かかくなる、あの日の陽射しの感じかな。つまり、きょうは冬の暖かい日かな。

 開拓初期の人たちは、”ここは、人間の住むところじゃない”と、嘆いたらしいが、その気持ちは、よくわかる。まだ、桜も咲いてないのに、あと三カ月で冷たい秋風が吹く。

 

 ひさしぶりに遠くまで歩いた。卵を買うためだ。白樺通りを芽室にむかってずっと歩くと、養鶏場が設置した鶏卵の販売機がある。そこの卵は、卵かけご飯に、とんでもなく美味いのだが、寒いときは、日高山脈から吹き降ろす強い西風にむかって歩くから、あんまり行きたくない。

 途中の路傍で、長けたフキノトウをたくさん見た。フキノトウもまた、長けると、ちっとも可愛くない。

 

 CBSソニーからデビューした ”ふきのとう” は、わたしがプロモートするコンサートに出演してもらったことも何度かある。

 ふきのとうのヒット曲『白い冬』の作者は、工藤忠幸さんだ。浜田省吾さんの代役をお願いしたことがあった。

 

 ある年明け、浜田省吾ライブを組んでいた。帯広市勤労者福祉センター(きんぷく)のコンサートと、銀馬車グループの居酒屋『へんてこりん』のライブだった。(380席キャパのホールコンサートと、ライブ居酒屋の仕事もする。駆け出しの時ってのは、どんな巨匠にもあるんだよ)。

 まだ浜田さんは、たった一人、まさにソロでやっていたときだ(ギターの町支さんは、まだ参加してない)。

 チケットも完売した正月仕事はじめ、「バッド・ニュースで申し訳ありません、浜田が、風邪で声が出ないのです」との電話だ。

 

 『なんてことだ……』、もう数日しかないじゃないか………。そんなわけで、『白い冬』の作者・工藤忠幸さんにお願いして、”浜田省吾”コンサートと居酒屋ライブの代役をやっていただいた。「チケットは、そのまま有効ですので、次の浜省コンサートの日程発表を待ってくださいね」と、MCまでやっていただいたのだ。

 

ふきのとう スーパー・ヒット
Sony Music Direct (Japan) Inc.
 

 

 ここ何日か、なぜかサム・クックを聴いている。

今夜は、Bring It On Home To Me のオリジナルやライヴや、さまざまなカバーを聴いて、酒を飲んでいる。

Portrait of a Legend 1951-1964
 
 

 

Best of Sam Cooke
 
 

I've Been Loving You Too long だろか?

2015-04-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 なぜか、今夜、オーティス・レディングを聴いてる。

オーティス・ブルー
 
 

 ワインを飲みながら、サム・クックを聴いていた。

 サム・クックは、じつにいい。だが、わたしの場合、なぜかサム・クックを聴いていると、なぜかひどく、オーティス・レディングを聴きたくなる。

 もちろん、オーティス・レディングは、サム・クックを師と尊敬してコピー、カバーしているのだろうが……………すごい。

 わたしは大好きだ……オーティス・レディングは、あまりに凄すぎる。


吹けよ風、呼べよ嵐

2015-04-19 | 日記

 

 きのうも今日も、ひどく寒い。

 午後、陽射しがあったのに、突然、強風が吹き、黒雲が流れてきた。そして、雨だ。

 『吹けよ風、呼べよ嵐 One of These Days 』、ピンク・フロイドの曲が頭に浮かぶ。

   ピンク・フロイド One of These Days https://www.youtube.com/watch?v=K6-bXwpsVZg

おせっかい
ピンク・フロイド
ワーナーミュージック・ジャパン

 雨合羽を着てスーパーにいって、買物をして出ると、雨はあがっていた。

 


ヤマハのpiaggera 届く

2015-04-18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 田中社長の旭楽器店に注文していた、ヤマハの電子キーボード”piaggera”が届いた。

 父の介護がまだまだ何年続くかわからないので、ここでの、この陰鬱な生活を、キーボードの練習でもして、すこし楽しくしようか、と思っているわけだ。


原子心母

2015-04-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 この数日、なんどもピンクフロイドの ”ATOM HEART MOTHER (原子心母)” を聴いている。しっかりフルアルバムを聴くのは、40年ぶりくらいだろうか。

原子心母
 
 

 九州の森本くんが、日本経済新聞の記事『ROCKジャケット十選 イラストレーター宇野亜喜良』を送ってくれた。十選の第一弾が ”原子心母” だ。

 YouTubeにフルアルバムの音源があるので、ずいぶん久しぶりに聴くと、これがじつに心地いい。

 わたしの、帯広駅前の小さいレコード店で、とんでもなくたくさん売れたことや、自分の結婚式にこのアルバムの曲を使ったこと、妻になった人と札幌・中島公園の体育館で、ピンクフロイドのライブをみたことなど思い出す。40年以上も前のことになってしまうが…………


最初は、シングル盤1枚

2015-04-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

 浦幌太郎さんのコメントにあるように、帯広ステーションデパートは懐かしい。しびれるほど、なつかしい。

 まだ、今のような車社会ではなく、国鉄の士幌線も、広尾線も生きていた。通勤も通学も、バスや国鉄を使った。

 東京首都圏の、JRや私鉄の駅の、あの朝晩のにぎわいが、かっての帯広駅前であったのだ。

 

 わたしの小さいレコード屋は、夕暮れ、通勤、通学の人のたちであふれかえったものだ。だが、それまで、何年も、苦節の時があったのだよ、じつは…………。1日、シングル盤1枚しか

売れない日もあった。歌謡曲・演歌・ムード歌謡全盛の時代に、北海道・帯広で、ロック、ジャズ、日本のフォークソングだけの店だもんね。売れないわな。つらかった。はじまりは、1968年だ。


山手線は………

2015-04-13 | 日記・エッセイ・コラム

 JR山手線で、電化柱が倒れる、信じられない事故があった。

 

 わたしは東京で生活していたとき、できるだけJRに乗らないようにしていた。JRで信頼できるのは、新幹線だけだろうな、と思うからだ。

 都心で移動するときは、絶対に山手線など乗らない。地下鉄、私鉄、都バスの方が便利だし、安全だ。だいたい、JRの職員の態度は、傲慢で、不快だろ。私鉄と比べると、JRの電車の床はひどく汚いし、窓も汚い。

 じつは、都心では、JR山手線ではなく、地下鉄と都バスが断然便利だ。JRより断然安いし、東京都心を網の目のように、まさに網羅している路線なのだ。それに、メトロ、私鉄、都バスのほうが、職員が断然、親切だし………。都バスは、路線内ならどこまでも行っても均一大人210円だ。

 

 

 


鉛筆を削る

2015-04-13 | 日記・エッセイ・コラム

 フキノトウもたけてきた。これが花だとよくわかる。

 

 朝、起きて机にむかうとき、まず鉛筆を削る。メモをとるのも、文章の下書きを書くのも鉛筆を使う。子供のときから、鉛筆を削ること、そのことが好きだ。

 毎日使う、この写真の切り出しナイフは、叔母の詩人・石川律子の遺品だ。

 名古屋で亡くなった叔母の書斎を整理していて、古い赤いエンピツケース(筆箱)に、鉛筆2本とチビれた消しゴミ、ピンクの万年筆と、先が欠けた、この切り出し小刀が入っていた。

 その切り出しは少し錆ついていたが、研いで、いま毎日使っている。

 叔母の遺品の、古いピンクの万年筆も、とても書き易くて驚いた。しかし、細字で、女手の華麗な文字を書くにふさわしく、わたしの無骨な、下手な字を書くのはもったいない。長女に贈ると、とても気にいって使ってくれている。