Ommo's

古い曲が気になる

サント&ジョニーの「Sleep Walk」

2019-09-30 | 日記・エッセイ・コラム

サント&ジョニーの「Sleep Walk」は、1959年9月21日ビルボード・ナンバー1の曲。サント&ジョニーは、ブルクリン出身のギター・デュオ。
レス・ポールの生涯を描いたドキュメンタリー映画「レス・ポールの伝説」(2007年)は、「Sleep Walk」を演奏するレス・ポールとニューヨークの夜景が映される。






レス・ポールの伝説 コレクターズ・エディション [DVD]
レス・ポール,ポール・マッカートニー,ジェフ・ベック,キース・リチャーズ,B.B.キング
ポニーキャニオン

モントレー・ポップ・フェスのオーティス・レディング

2019-09-27 | 日記・エッセイ・コラム

1968年のこと。東京・渋谷公会堂でモントレー・ポップ・フェスティバル(1967年6月16日~18日)のドキュメンタリー映画を観た。それはアメリカのロックバンド、スピリットのコンサートが「機材が到着してない」とか間抜けな言い訳でドタキャンになって、代わりに、マネ―ジャーのルー・アドラーが制作したモントレー・ポップ・フェスの映画を上映することになったのだ。フイルムの前座に日本のロックバンドの演奏があって映画上映、イントロはジャニス・ジョプリン&ホールデンカンパニーの「コンビネーション・オブ・ザ・ツー」だった。このモントレー・ポップ・フェスは、ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンやザ・フーが世界デビューしたことで有名だが、何といっても、わたしは初めてみるオーティス・レディングのライヴ映像が鮮烈だった。(モントレー・ポップ・フェスティバルのドキュメンタリーは、その後テレビで何度か放映され、DVDも発売になっている)。
オーティス・レディングは、モントレー・ポップ・フェスが開催された1967年、12月10日、自家用機で公演地のウィスコンシン州マディソンに向かう途中、モノナ湖に墜落して死亡した。26歳だった。







The Complete Monterey Pop Fest

「マイ・ガール」は、1965年3月にビルボード・ナンバー1

2019-09-25 | 日記・エッセイ・コラム

テンプテーションズの「マイ・ガール」は、ミラクルズのスモーキー・ロビンソンとロナルド・ホワイトが作詞作曲、そしてプロデュースをしている。ビルボードHot100で全米ナンバー1になったのは1965年3月6日。モータウンの男性グループでは初のヒットチャート1位だった。リードボーカルはメガネをかけたデヴィッド・ラフィン。
「マイ・ガール」は、ボブ・ディランによって「スモーキー・ロビンソンこそアメリカの偉大な詩人」と評された曲、とフレッド・ブロンソンは書いている。







ベスト・オブ・テンプテーションズ
USMジャパン

プラターズの「トワイライト・タイム」

2019-09-22 | 日記・エッセイ・コラム

プラターズのプロデューサーのバック・ラムは、「トワイライト・タイム」の3分間のプロモーション・フィルムを制作した。これがミュージック・ビデオの始まりという。1958年(昭和33年)のことだ。
プラターズの「トワイライト・タイム」は、1958年4月、ビルボードのナンバー1になった。プラターズは、ほかに「マイ・プレイヤー」(1956年)、「煙が目にしみる」(1959年)の全米ナンバー1のヒット曲がある。「オンリー・ユー」(1955年)は、R&Bチャート7週1位だった。







オンリー・ユー~プラターズ・ベスト・セレクション
USMジャパン

ブッカー・T&ザ・MG’sの「グリーン・オニオン」

2019-09-20 | 日記・エッセイ・コラム

ブッカー・T&MG’sは、テネシー州メンフィスのスタックス・レコード専属のスタジオ・バンド。ハモンド・オルガンのブッカー・T・ジョーンズ、ギターのスティーヴ・クロッパー、ベースのルイス・スタインバーグ(後にドナルド・ダック・ダン)、ドラムがアル・ジャクソン。1962年に「グリーン・オニオン Green Onions 」が大ヒットした。
オーティス・レディングがスタックス・レコード。オーティス・レディングが飛行機事故で亡くなった後に発売された「ドック・オブ・ベイ (Sittin' on)The Dock of the Bay」(1968年)は、オーティス・レディングとスティーヴ・クロッパーの共作。





Green Onions by Booker T & The MG's
Rhino

ギャンブル&ハフ、フィラデルフィア・ソウル

2019-09-18 | 日記・エッセイ・コラム

ケニー・ギャンブルとレオン・ハフ、この作曲家でプロデューサーのコンビが設立したフィラデルフィア・インターナショナル・レコードの最初の全米ナンバー1は、ピリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」だった。同じとき3位にあったのは、やはりギャンブル&ハフが作詞作曲・プロデュースしたハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツの「If You Don't Know Me By Now (二人の絆)」だった。それは1972年12月のこと。
日本で人気があったスリー・ディグリーズの「When Will I See You Again (天使のささやき)」(1974年)もギャンブル&ハフの作品。





ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア/ギャンブル=ハフズ・グレイテスト・ヒッツ
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル


The Sound of Philadelphia: Philadelphia Roots, Vol. 2: 1965-73
Soul Jazz




MFSBのTSOP(ソウル・トレインのテーマ)

2019-09-17 | 日記・エッセイ・コラム




MFSBとは、Mother Father Sister Brother。ペンシルベニア州フィラデルフィアのシグマ・スタジオの、およそ40人のセッション・ミュージシャンで結成されたバンド。シグマ・スタジオは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)の作曲家でプロデューサーのケニー・ギャンブルとレオン・ハフが経営していた。このチームが所謂フィラデルフィア・ソウルを制作していた。日本でもスリー・ディグリーズ、オージェイズ、ピリー・ポール、ハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツなどがヒットした。

TSOPとは、The Sound Of Philadelphia。ダンス音楽番組「ソウル・トレイン」のテーマに使われ、1974年4月ビルボードのナンバー1になった。ドン・コーネリアスが司会をする「ソウル・トレイン」は、1971年から2006年までじつに35年つづいた番組だった。





LOVE IS THE MESSAGE ~ EXPANDED EDITION
BBR
BBR

「ラブ・ミー・テンダー」の原曲は「オーラ・リー」

2019-09-15 | 日記・エッセイ・コラム

エルビス・プレスリーのヒット曲「ラブ・ミー・テンダー」(1956年)は、南北戦争当時、南軍の間で流行ったフォーク・バラード「オーラ・リー Aura Lee」のメロデイを元にしている。「オーラ・リー」は、1861年に発表された。

B.B.キング、そしてノラ・ジョーンズがエルビスの「ラブ・ミー・テンダー」をカヴァーしている。





初めて聴いた「I Put a Spell on You」は、ニーナ・シモン版

2019-09-12 | 日記・エッセイ・コラム

「I Put a Spell on You」を初めて聴いたのは、ニーナ・シモンのヴァージョンだった。その後にCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のカバーを聴いた。それは1968年のこと。


オリジナルのスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put a Spell on You」は、そのニーナ・シモン版、CCR版の後で聴いた。「魔法にかけてやる、お前は俺のものだ~」と叫ぶ怪人スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのシングル盤は、1956年にOkehレコードからリリースされた。このレコードでテナーサックスを吹いているのは日本でも人気があったサム・テーラーだ。












I PUT A SPELL ON YOU [12 inch Analog]
VERVE
VERVE


CREEDENCE CLEARWATER REVI
CONCO
CONCO






「I Can't Stop Loving You」、オリジナルはB面だった

2019-09-10 | 日記・エッセイ・コラム
Modern Sounds In Country And Western Music, Vols. 1 & 2 [Analog]
Concord Records
Concord Records




ロッド・スチュワートのカバーで「I Don't Want To Talk About It」がポピュラーになったように、カントリー・ソングの「I Can't Stop Loving You」は、レイ・チャールズが歌って広く世界に知られる曲になった。いまでは700以上のカバーがレコーディングされているという。

1962年のこと。プロデューサーのシド・フェラーはレイ・チャールズに過去20年間にヒットしたカントリー・ソングを聴きたいと言われ、200曲を選びレイに渡した。そして、アルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』が録音された。黒人ミュージシャンのレイ・チャールズがカントリー&ウエスタンを歌ってもうけやしない、かえって今のファンを失うだけだ……レコード会社ABCパラマウントの重役たちの悲観的な予想に反してこのアルバムは大ヒットした。

アルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』は、黒人が白人のカントリー・ソングを歌ってヒットしたはじめてのレコードという歴史的評価だけでなく、一部の限られたファンに聴かれていたカントリー&ウエスタンを、斬新なアレンジでジャンルを超えて、広く世界の音楽ファンに紹介した功績も大きいのではないだろうか。

このアルバムのセールスをリードした曲「I Can't Stop Loving You」は、ビルボードのナンバー1に5週間とどまり、イギリス、オーストラリアだけなく日本も含めて世界中でヒットした。

その5年前、オリジナルの「I Can't Stop Loving You」は、ドン・ギブソンが作り、テネシー州クノックスヴィルのエアコンもないトレーラー・ハウスで録音されたという。リリースは翌1958年、A面が「Oh,Lonesome Me」、「I Can't Stop Loving You」はそのB面だった。

レイ・チャールズのヒットのあとに発表されたカウント・ベイシーのビッグバンド・ヴァージョンは、アレンジがクインシー・ジョーンズ。











「I Don't Want To Talk About It」は、クレージー・ホースがオリジナル

2019-09-08 | 日記・エッセイ・コラム

「I don't Want To Talk About It」は、ニール・ヤングのバックバンド、クレージー・ホースのサイドギターのドニー・ウィッテンがオリジナルの作者。1971年、「I don't Want To Talk About It」が収録されたクレージー・ホースのアルバムが発売され、翌年1972年、ドニー・ウィッテンは29歳の若さで亡くなった。

「I don't Want To Talk About It」は、ロッド・スチュワートが5枚目のソロアルバム『アトランティック・クロッシング』(1975年)でカバーしてポピュラーになった。この曲のレコーディングはアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。数あるライヴ映像の中で、わたしはスコットランドの女性シンガー、エイミー・ベルとのデュエットが好きだ。

クレージー・ホースの「I don't Want To Talk About It」は、ヴォーカルがドニー・ウィッテン、スライドギターはライ・クーダー。





アトランティック・クロッシング
ワーナーミュージック・ジャパン
ワーナーミュージック・ジャパン

エタ・ジェームスの「I'd Rather Go Blind」は、1967年のリリース

2019-09-07 | 日記・エッセイ・コラム

いまやスタンダードになっているエタ・ジェームスの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド I'd Rather Go Blind」は、アルバム『Tell Mama』からのシングルカット、「Tell Mama」のB面だった。アルバムは1967年8月23日、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオでレコーディングされた。

「Something told me it was over/When I saw you and her talking 何かが私に告げたのよ、終わった、と/あんたと彼女が話しているのを見たとき」と歌ははじまり、「I would rather go blind /Than to see you,walk away from me 盲目になってしまいたい/あんたが去って行くのを見るくらいなら」と、未練の嘆き節になっていく。「Baby,baby,baby I'd rather be blind now baby,baby,baby」

ロッド・スチュワートがこの曲をカバーしたのは、4枚目のソロアルバム『Never a Dull Moment』(1972年)。

Tell Mama: Comp Muscle Shoals Sessions
Mca
Mca














Never a Dull Moment
Umvd Special Markets
Umvd Special Markets

「At Last」は、グレン・ミラー・オーケストラがオリジナル

2019-09-05 | 日記・エッセイ・コラム
At Last! [Analog] [Import]
Not Now Music
Not Now Music



「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を作ったハリー・ウォーレン Harry Warren は、800曲を超える曲を残したというが、エタ・ジェームスが歌った「アット・ラスト At Last」も、ハリー・ウォーレンとマック・ゴードンの作品。
「At Last」、チェス・レコードのエタ・ジェームスのヴァージョンは1960年に発表されたが、オリジナルは、映画『Sun Valley Serenade』(1941年)と『Orchestra Wives』(1942年)のなかでグレン・ミラー・オーケストラによって演奏され、そのレコードは、1942年、RCA・レコードからリリースされた。



チェス・レコードの伝記映画『キャデラック・レコード』(2008年)でエタ・ジェームスを演じたビヨンセの「At Last」もまた見事であった。








キャデラック・レコード コレクターズ・エディション [DVD]
ビヨンセ・ノウルズ,ダーネル・マーティン
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント