ブッカー・T&MG’sは、テネシー州メンフィスのスタックス・レコード専属のスタジオ・バンド。ハモンド・オルガンのブッカー・T・ジョーンズ、ギターのスティーヴ・クロッパー、ベースのルイス・スタインバーグ(後にドナルド・ダック・ダン)、ドラムがアル・ジャクソン。1962年に「グリーン・オニオン Green Onions 」が大ヒットした。
オーティス・レディングがスタックス・レコード。オーティス・レディングが飛行機事故で亡くなった後に発売された「ドック・オブ・ベイ (Sittin' on)The Dock of the Bay」(1968年)は、オーティス・レディングとスティーヴ・クロッパーの共作。
ケニー・ギャンブルとレオン・ハフ、この作曲家でプロデューサーのコンビが設立したフィラデルフィア・インターナショナル・レコードの最初の全米ナンバー1は、ピリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」だった。同じとき3位にあったのは、やはりギャンブル&ハフが作詞作曲・プロデュースしたハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツの「If You Don't Know Me By Now (二人の絆)」だった。それは1972年12月のこと。
日本で人気があったスリー・ディグリーズの「When Will I See You Again (天使のささやき)」(1974年)もギャンブル&ハフの作品。
MFSBとは、Mother Father Sister Brother。ペンシルベニア州フィラデルフィアのシグマ・スタジオの、およそ40人のセッション・ミュージシャンで結成されたバンド。シグマ・スタジオは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)の作曲家でプロデューサーのケニー・ギャンブルとレオン・ハフが経営していた。このチームが所謂フィラデルフィア・ソウルを制作していた。日本でもスリー・ディグリーズ、オージェイズ、ピリー・ポール、ハロルド・メルビン&ザ・ブルーノーツなどがヒットした。
TSOPとは、The Sound Of Philadelphia。ダンス音楽番組「ソウル・トレイン」のテーマに使われ、1974年4月ビルボードのナンバー1になった。ドン・コーネリアスが司会をする「ソウル・トレイン」は、1971年から2006年までじつに35年つづいた番組だった。
「I Put a Spell on You」を初めて聴いたのは、ニーナ・シモンのヴァージョンだった。その後にCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のカバーを聴いた。それは1968年のこと。
オリジナルのスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put a Spell on You」は、そのニーナ・シモン版、CCR版の後で聴いた。「魔法にかけてやる、お前は俺のものだ~」と叫ぶ怪人スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのシングル盤は、1956年にOkehレコードからリリースされた。このレコードでテナーサックスを吹いているのは日本でも人気があったサム・テーラーだ。
ロッド・スチュワートのカバーで「I Don't Want To Talk About It」がポピュラーになったように、カントリー・ソングの「I Can't Stop Loving You」は、レイ・チャールズが歌って広く世界に知られる曲になった。いまでは700以上のカバーがレコーディングされているという。
1962年のこと。プロデューサーのシド・フェラーはレイ・チャールズに過去20年間にヒットしたカントリー・ソングを聴きたいと言われ、200曲を選びレイに渡した。そして、アルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』が録音された。黒人ミュージシャンのレイ・チャールズがカントリー&ウエスタンを歌ってもうけやしない、かえって今のファンを失うだけだ……レコード会社ABCパラマウントの重役たちの悲観的な予想に反してこのアルバムは大ヒットした。
アルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』は、黒人が白人のカントリー・ソングを歌ってヒットしたはじめてのレコードという歴史的評価だけでなく、一部の限られたファンに聴かれていたカントリー&ウエスタンを、斬新なアレンジでジャンルを超えて、広く世界の音楽ファンに紹介した功績も大きいのではないだろうか。
「I don't Want To Talk About It」は、ニール・ヤングのバックバンド、クレージー・ホースのサイドギターのドニー・ウィッテンがオリジナルの作者。1971年、「I don't Want To Talk About It」が収録されたクレージー・ホースのアルバムが発売され、翌年1972年、ドニー・ウィッテンは29歳の若さで亡くなった。
「I don't Want To Talk About It」は、ロッド・スチュワートが5枚目のソロアルバム『アトランティック・クロッシング』(1975年)でカバーしてポピュラーになった。この曲のレコーディングはアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。数あるライヴ映像の中で、わたしはスコットランドの女性シンガー、エイミー・ベルとのデュエットが好きだ。
クレージー・ホースの「I don't Want To Talk About It」は、ヴォーカルがドニー・ウィッテン、スライドギターはライ・クーダー。
いまやスタンダードになっているエタ・ジェームスの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド I'd Rather Go Blind」は、アルバム『Tell Mama』からのシングルカット、「Tell Mama」のB面だった。アルバムは1967年8月23日、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオでレコーディングされた。
「Something told me it was over/When I saw you and her talking 何かが私に告げたのよ、終わった、と/あんたと彼女が話しているのを見たとき」と歌ははじまり、「I would rather go blind /Than to see you,walk away from me 盲目になってしまいたい/あんたが去って行くのを見るくらいなら」と、未練の嘆き節になっていく。「Baby,baby,baby I'd rather be blind now baby,baby,baby」
ロッド・スチュワートがこの曲をカバーしたのは、4枚目のソロアルバム『Never a Dull Moment』(1972年)。
「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を作ったハリー・ウォーレン Harry Warren は、800曲を超える曲を残したというが、エタ・ジェームスが歌った「アット・ラスト At Last」も、ハリー・ウォーレンとマック・ゴードンの作品。
「At Last」、チェス・レコードのエタ・ジェームスのヴァージョンは1960年に発表されたが、オリジナルは、映画『Sun Valley Serenade』(1941年)と『Orchestra Wives』(1942年)のなかでグレン・ミラー・オーケストラによって演奏され、そのレコードは、1942年、RCA・レコードからリリースされた。