Ommo's

古い曲が気になる

帯広川は、まだ冬

2016-04-30 | 日記・エッセイ・コラム

 きょうの帯広川。柳がわずかに芽吹いているが、河原の景色は、冬。

 きのうは雪で、きょうは強風。ダウンジャケット、マフラー、手袋、ニット帽で散歩にでた。

 きょうも、昼間からストーブだ。


六花亭の日章旗

2016-04-30 | 日記・エッセイ・コラム

 北海道・帯広にもどって、まったく目にしないのが、日本国旗・日の丸だった。(正月、東京・銀座中央通りは、日の丸であふれる)。帯広にもどって2年目の元旦、六花亭・西帯広店の前を通ると、なんと嬉しいことに国旗・日の丸が飾られていた。

 それ以来帯広では日本国旗・日の丸を見たことがない。きのうは天皇誕生日、こういう日こそ日章旗を見たいものだ、と思い、六花亭まで歩いた。やはり、店先に日の丸の国旗が飾られていた。


白樺が芽吹いた

2016-04-26 | 日記・エッセイ・コラム

 4月も終わる。1年の3分の1が過ぎていくが、春は、まだ浅い。やっと白樺の葉が芽吹き、チューリップの花芽がでた。そして‥‥5ヵ月後‥‥‥10月には木の葉は散り、草原は枯れ、日高山脈から吹き降ろす風に雪が舞う。まったくひどい気候の土地だ。

 


プリンス、逝く

2016-04-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 プリンスが亡くなった。57歳だ。

      Prince Dead at 57  https://www.youtube.com/watch?v=zu-uQwLODkw

   プリンス  Purple Rain   https://www.youtube.com/watch?v=F8BMm6Jn6oU

 

I never meant to cause you any sorrow
I never meant to cause you any pain
I only wanted to one time to see you laughing
I only wanted to see you
Laughing in the purple rain

Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
I only wanted to see you
Bathing in the purple rain

I never wanted to be your weekend lover
I only wanted to be some kind of friend
Baby, I could never steal you from another
It's such a shame our friendship had to end

Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
I only wanted to see you
Underneath the purple rain

Honey, I know, I know
I know times are changing
It's time we all reach out
For something new, that means you too

You say you want a leader
But you can't seem to make up your mind
I think you better close it
And let me guide you to the purple rain

Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
If you know what I'm singing about up here
C'mon, raise your hand

Purple rain, purple rain
I only want to see you
Only want to see you
In the purple rain

 

 

 悲しいね。プリンス‥‥‥じつは、好きだったんだ、ひどく‥‥‥。

”I only wanted to see you
Underneath the purple rain”

 

  プリンス、トム・ペティ、スティーブ・ウインウッド、ジェフ・リン  While  My Guiter Gently Weeps  

                https://www.youtube.com/watch?v=6SFNW5F8K9Y 

 

 


キース・エマーソン

2016-04-20 | 日記・エッセイ・コラム

 キース・エマーソンが亡くなっていた、と先週知って驚き、このブログに書こうと思った。だが、わたしのクレージー・パソコンは暴走して、文字を打てない。やっと、PCのご機嫌をとって検索すると、自殺だ、という。

 3月12日午前1時すぎ、自宅で、38口径の拳銃で頭を撃ち抜いて倒れたキース・エマーソンが家族に発見された、とある。右手を手術して、思うように回復せず、鬱状態にあった、とも。あれほど偉大なキーボードプレイヤーが、右手が思うように動かいない、とは、つらい。

 アルバム『タルカス』は、エマーソン・レイク&パーマーのセカンドアルバム。1970年(昭和45年)の発売だ。この強烈なイラストのLPジャケットも好きで、わたしは、中学生、高校生のお客さんに薦めて試聴してもらって買ってもらった。おそらく北海道で、わたしの帯広駅前7坪のレコード店が最高に売ったのではないだろうか。(帯広人口16万人、十勝管内32人かな、当時)。

 ELP(つまり、エマーソン・レイク&パーマー)の世界ヒットのアルバム、『展覧会の絵』は、わたしの店での売り上げは、凄かった。

 わたしは、16mmのプロモーション用のライブ・フイルムがワーナーパイオニアにあると知って、そいつを借りて、帯広市民会館の大会議室で上映したのだ。1970年(昭和45年)だったかな。MTVも放映されない時代だ。イギリス、アメリカのロックバンドのライブ映像を放映するテレビ局は、日本にはない。レコードの音だけで興奮していた中学生、高校生のロックファンは、わたしが上映する16mm映写機の映像に驚いたのでないだろうか。

 日本のレコードメーカーには、契約しているアメリカやイギリスのレーベルが制作して送ってきた、16mmのプロモーションフイルムが、それはそれは多量に、死蔵されていたのだよ。わたしは、1969年だったか、それを知った。

 「日本のテレビ局で放映して宣伝してくれませんか?」と、一生懸命制作したフィルムが、日本ではゴミのように死蔵されていた。おそらく、テレビ局の連中がアホで、「なに? それ、エマーソンなんちゃら。今、イギリスは、ビートルズだろ。バカじゃねいのか、おめいら」とか、テレビ局のアホなディレクターに罵倒されて、貴重なフイルムはレコードメーカーの倉庫の死蔵されることになったのかな。(今の、きっと日本のレコードメーカーの倉庫に16mmのフイルムが劣化してるだろうね)

 

 そんなわけで、わたしは、日本のレコードメーカーが所有している16mmの、ロックのプロモーションフィルムを集めて上映会を開いた(1969年の早春から6、7年やってたかな)。「サウンドコーナー・ロック・フィルム・コンサート」、ガリ版刷りのチケットを持っている方はいるだろうか。今、還暦をこえた人たちだろうな。

 

 エマーソン・レイク&パーマーのライブの映像も、わたしは、上映した。帯広市民会館の会議室だ。(まだ帯広勤労者福祉センター、いわゆるキンプクも建設されてなかったのよね。お客さんは、50人か60人の、中学生と高校生‥‥‥畜大生や大谷短大生もいたのだろうか?)

 わたしが上映したELPのライブの映像に、当時の中学生、高校生は興奮したのでないか。いま、わたしは、その映像を見直して、また興奮した。そして、泣いた。悲しいわな。

 71歳というから、それなり年齢なり、なにか病気と思ったが‥‥‥38口径で頭を撃ちぬく‥‥‥‥‥。

 

 

 

 

 YouTubeに、エマーソン・レイク&パーマーの1970年、結成直後のライブ映像がある。

    エマーソン・レイク&パーマー https://www.youtube.com/watch?v=jc3cNfn93Kw

 『展覧会の絵』のライブもすごいよ。

    エマーソン・レイク&パーマー 『展覧会の絵』 https://www.youtube.com/watch?v=4igIQ2TOASg

 

 

 

 

 

 

 


暴走パソコン

2016-04-19 | 日記・エッセイ・コラム

 わたしのパソコンは熊本地震に同調したのか、15日金曜日から絶不調で文字が打てない。だから、メールを受けることはできても返信できない。そして、ブログも書けない。

 苛立っていろいろ試みるのだが、苛立てば苛立つほど深みにはまる。そしてますますワインをあおる。で、またおかしなことになる。あるアプリをアンインストールすると解決するはず、と思うのだが、酔っぱらってしまって、「今夜はもうヤメ、ヤメ、ヤメだ」となる。

 そんなわけで4日間、暴走PCに苦しんだ。で、今朝は、素面でパソコンにむかった。「何としても解決するゾ」、と。そんなわけで、文字を打ち込むことはできる。

 

 雪。雪だ。

 日暮れ。ニット帽、手袋、マフラー、セーターの上に雨合羽で、小雨のなかを散歩した。雪がちらついてきた。ひどい気候だ。4月19日の吐く息が、白い。

 

 熊本地震は終息するどころか今日も震度5強の大きな余震だ。5年前、東日本大震災の余震におびえた長い日々を思い出し、熊本の人たちの不安な気持ちを思い、なんとも切ない。

 首都圏の千葉・浦安でさえ、スーパーマーケット、コンビニから食品・飲料水が地震直後、一瞬で売り切れ、米が普通に自由に買えるようになったのは、地震のあと一カ月後くらいだったろうか。毎日毎日、ひどい余震におびえていた。

 

 九州の森本くんが、熊本市で単身赴任生活をしている。電話が通じるので、テレビのニュース・ショーで知ることができない熊本市街で働く人たちの状態、心境がすこし知ることができる。つらい。

 熊本市の中心街は、電気は通じてるが水道・ガスが止まってる。つまり、レストランや蕎麦屋や牛丼屋、ラーメン屋、ハンバーガーショップなど、店舗内の混乱をかたづけても、飲食店としての絶対的生命線、動脈と静脈‥‥水道とガスが止まってる。(屋台の店だってどこかでキレイな水を手に入れなきゃならんだろ。清潔と水と、火元を失っては、どんな飲食店も成り立たない)。

 

 警察、消防、自衛隊の人たち。仕事とはいえ、その命がけの救援活動は、映像をみていて感動して、テレビを見ながらときどき、泣く。(わたし、ジジイで涙もろいのだよ)。テレビで、それをなんだかんだ、自分でも分かってもいないことを解説してみせる学者やら、NHKの災害専門解説者だの、キャスターだの‥‥‥大学の地震学者という文化人芸人が‥‥テレビで、稼げると登場して、またまた五月蠅いわな。

 

 地震芸者みたいな、学者風やら解説者やらが、またまた登場するテレビだが、誰も、何も、分からないのだろ。地球もまた、燃える火ダルマの星だ。冷えたわずかの表面だ。冷えたわずかに薄い地殻は、風船の空気の圧を支えるゴムかな。その下は溶けた溶けた熱い液体だ。超高速の自転と太陽の周りを回るグルングルン回る強烈な圧力で、高熱・高圧のはずなんだ。地球の表面、わずか冷えた地殻にわしらが生きる。おびえた小さい動物だ。

 

 今夜は、PC回復、レオン・ラッセルの”Song for You" で、泣いた。

  レオン・ラッセル  Song for you  https://www.youtube.com/watch?v=37dw2r45Xzg

 

 

 

 

 

 

 

 

 


熊本地震

2016-04-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 九州・熊本で大きな地震があった。不思議な偶然だが、あの震度7の大地震が起きる一時間くらい前、熊本の友人・森本くんと電話で話をしていた。福岡の森本裕二くんは、今、熊本で単身赴任の生活をしているのだ。

 じつにありがたいことに、森本くんはわたしの北海道・帯広での老老介護の生活を気づかって、毎週のように電話をくれる。もちろんいつも話しは1969年代70年代の音楽の話になる。話しだすとそれは長くなる。

 以前も書いたが、森本くんと知り合ったのはもう40年も前のこと。彼は、遠い九州からやって来た帯広畜産大学の学生さんで、わたしの、帯広駅前のレコード店のお客さんだった。ロックにやたら詳しい大学生だが、帯広の飲食街でギターを弾いて歌っている、と知ってその歌を聴かせてもらった。以来、わたしが主催する浜田省吾や、ふきのとうや、ユーミンなどのコンサートの前座で歌ってもらった。それだけじゃない。矢沢永吉や長谷川きよしやハイファイセットなどのコンサートでは、プロモーターであるわたしのアシスタントのように働いてくれた。

 森本くんが帯広畜産大学を卒業して九州にもどってからは10年に一度くらいしか会ってないのだが、いつもわたしのことを気づかって連絡をくれ、酒の肴を送ってくれ、CDやDVDや70年代の音楽にかかわる本を送ってくれる。

 その森本くんが、3月から熊本で仕事をしていて、昨夜も熊本から電話をくれた。ハリー・二ルソンやポール・マッカートニーや、チェスレコードなんかのことを話だすと長い。話はつきない。また、そうして長話をして電話を切った。

 そうしてやや1時間。テレビのテロップに「震度7の地震、震源は九州・熊本」と出た。

 

 「震度7? それは‥‥ただ事でないゾ」、5年前の記憶がよみがえった。わたしは浦安で震度6を体験した。あの東日本大震災の揺れは強烈だった。浦安では家屋の倒壊こそなかったが、液状化現象で道路も一戸建ての家の敷地もグチャグチャになった。地下埋設のガス管、水道管はズタズタになって、電気も消えた。東京ディズニーランドは敷地も駐車場もメチャクチャになってずいぶん長く休業した。電線はすぐに復旧したのが、原発の水素爆発で、電力供給がパンクするとか‥‥で、計画停電がつづいた。(『計画停電』という無計画停電の、突然、電気が消える、あの恐怖と、あの不便はない。もちろん時の政権民主党の愚策だから、民主党サポーターのテレビ・新聞のマスメディアは報道しない。だから、北海道・帯広の人は知らない)。

  

 東京に近い千葉・浦安でも、電気・水道・ガスのインフラも含めてすこし落ち着いたのは、8月の真夏ころだった。(3月11日に地震があって、すこし気が休まったのは、8月の盆頃なんだよ、東京でも‥‥‥。東京の繁華街、銀座などずっと街灯を間引きして点灯していた。地下鉄のホームも、蛍光灯を抜いて薄暗かった。東北の人たちは‥‥‥おそらく‥‥今も、2万人近く人たちが仮設住宅に暮らしている)

 あの、震度5クラスの強い余震におびえる日々(ひと月以上、毎日毎日、強烈な余震がつづいた)を思い出す。


アイヌネギをみつけた

2016-04-13 | 日記・エッセイ・コラム

 

 荒れたままの母の野菜畑の、北の隅にアイヌネギをみつけた。アイヌネギは、本州でいう"行者ニンニク"のこと。北海道で最近は、アイヌネギといわず”ヤマネギ”とか気持ち悪い名前になって春のスーパーマーケットの店頭にならんでいる。雪解けの春の山で採る山菜だったが、いまや、北海道でハウス栽培して一般野菜なのか。春、スーパーにタラの芽とならぶ、ひどく高額な山菜だ。(雪解けの春の山に入って、熊やダニや山ヒルや、マムシの脅威のなかでアイヌネギやタランボやフキやワラビ、タケノコをを採る。これは、じつに楽しい春のアウトドアの遊びだったが、リスクはきわめて高い。)

 支那竹は、”支那”という表現が良くないというので、メンマとかになるようなもんだろうな。支那ソバは、支那ソバだろうに‥‥‥中華そば、ラーメンとなる。

 北海道で薬味に使う野草の”ヤマワサビ”も、わたしの十代のころは、”アイヌワサビ”と言ってた。それがヤマワサビになり、いまは、スーパーに並んでけっこうな値段だ。北海道でいうヤマワサビは、アメリカ人がいうホースラデッシュと同じものではないだろうか? アイヌネギや支那竹が、差別語という感性がわたしにはまったく理解できないから、わたしはアイヌネギと使うが‥‥‥・。

 今朝は、このアイヌネギを一本抜いて、味噌汁の薬味にした。

 

 

 

 


知らなかったな、この曲もマッスルショールズのスタジオ

2016-04-09 | 日記・エッセイ・コラム

 

 エタ・ジェームス  I'd Rather Go Blind   https://www.youtube.com/watch?v=u9sq3ME0JHQ

 エタ・ジェームスの曲の中でも大好きな曲だ(歌詞は、重いよ、ひどく)。このレコードは、チェス・レコードのシカゴのスタジオでレコーディングされたものと、わたしは思っていた。

(チェス・レコードの伝記的映画「キャデラック・レコード」で、ビヨンセがチェスレコードのスタジオで歌っていた。)

 しかし、この曲もまた、アラバマ州のマッスルショールズのFAMEスタジオで録音されたと、今夜、知った。(ジジイになっても、十代・二十代はじめに好きだった曲の、レコーディングの真実の状況を知るのは、何とも楽しくワクワク、興奮するね)。

 

 ビヨンセ I'd Rather Go Blind 『キャデラックレコード』 https://www.youtube.com/watch?v=jZVQD9piv7A

 


東京オリンピック

2016-04-08 | 日記・エッセイ・コラム

 

 東京オリンピックのエンブレム、4案が発表された。いんじゃないかい、この中から国民みんなが選ぶというのだから‥‥‥。

  東京オリンピック・パラリンピック組織委員会 https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/

 

 かって、わたしが好きだったのは、猪瀬知事たちが招致活動したときの、桜のエンブレムだ‥‥‥‥が。

 

 1964年の東京オリンピックのデザインは、すごいね。

 長野オリンピックも好きだな。

 

 

 

 

 


今夜は、雨、マリーザかな

2016-04-07 | 日記

 

 午後、西風に雨の匂いがする。母の庭の雑草取りをさっさとやって、父の御膳をさっさとつくって、ワインを飲むことにした。雨の夜。まず、マリーザの「雨 Chuva」を聴きたい。ポルトガルのファドだ。

   マリーザ Chuva (雨)  https://www.youtube.com/watch?v=OzrUs08-SWs

 

 


チューリップの芽が出たよ、春、なぜかZAZが聴きたい、

2016-04-05 | 日記・エッセイ・コラム

 荒れ放題にしている母の庭に、昨年晩秋、チューリップの球根を植えた。

 この数年、「来春まではこの町にいないだろうな」と、亡くなった母が大事に手入れしていた小さい庭を、雑草ぼうぼうの荒れ放題にして、ときどき気が咎めて雑草をぬいたりしていた。

 「来年の春も、この町で、二日酔いで父親の飯を作ってるのか‥‥‥‥」と、昨年秋、諦めて、母の庭の一部、すこしの面積、雑草の根を根こそぎにして、土をフルイにかけ、草の根も小石も取って、チューリップの球根を植えた。(つまり、根も葉も無い‥‥ようにしたんだよ)。

 雪が融けるのをこれほど楽しみしていたことはない。こ汚い雪が庭先から消え、芽が出た、チューリップの芽が‥‥‥‥‥。

 

 

 

 前にも、フランスのシンガー、ZAZを紹介したが、シャンソンつづきで、春だし、ZAZが聴きたい。今夜は、酔ってZAZを聴いてる。歌詞の意味は深いが、曲は陽気でいいでしょ。

   Zaz    je veux  https://www.youtube.com/watch?v=-F_9fgtEKYg

Paris
Imports
Imports

”二人の恋人"とは、故郷とパリ

2016-04-02 | 日記

 午後4時、気温4度。夜には雪かな‥‥‥。寒い!

  

 マドリン・ペルーが歌っていた、「J'ai deux amours 二人の恋人」は、パリ賛歌のシャンソンだ。ここでいう ”恋人” とは、パリとアメリカのこと。このシャンソンは、1930年にジョセフィン・ベーカーが歌ってヒットした。彼女はアメリカからパリにやってき来てスターになった黒人のシンガー&ダンサーだ。つまり、恋人の一人は美しい故郷、そしてもう一人の恋人が、憧れのパリなのだ。

 マドリン・ペルーもまたフランス系アメリカ人で、13歳のときフランスに移り住んだ。まさに、ジョセフィン・ベーカーのこの古いヒット曲を歌うのにふさわしい。

 YouTubeに英語の訳がついているマドリン・ペルーの歌がある。このシャンソンの内容がよく分かるのじゃないかな。

    マドリン・ペルー J'ai deux amours   https://www.youtube.com/watch?v=GKfNYGy23d4

 ライブ映像もある。

    マドリン・ペルー Victoires du Jazz 2005   J'ai deux amours https://www.youtube.com/watch?v=biuRkErBMpY

 

私には
 恋人が二人いるの
それは私の故郷とパリ

私の心はいつも
 彼らに夢中なの

故郷は美しいけれど
私を魅了するものを
 否定して何になるの

それはパリ
 パリそのもの

いつの日か
 パリに出会うこと
それが私の素敵な夢なの

私には
 恋人が二人いるの
それは私の故郷とパリ

       マドリン・ペルー オフィシャルサイト http://madeleinepeyroux.com/


猫柳

2016-04-01 | 日記・エッセイ・コラム

 桜前線は東北を北上している。きょうは、仙台でもソメイヨシノが開花したという。しかし‥‥‥ここは‥‥‥ネコヤナギだ。

 今日の帯広川夕暮れ。まだ岸には雪が残っている。

 堤防の散歩道も、まだ雪。

 

 今夜は、フォルカー・シュレンドルフ監督の「パリよ、永遠に」を観る。

 
 
 

 「パリよ、永遠に」のエンドロールに流れるマドリン・ペルーが歌う古いシャンソン、「J'ai deux amours 二人の恋人」。これがとてもいい。

       マドリン・ペルー  J'ai deux amours   https://www.youtube.com/watch?v=3GZRTm9-tz0

Careless Love