Ommo's

古い曲が気になる

80万アクセス

2012-06-28 | 日記・エッセイ・コラム

                                  

 ここのところ、引越しや、新しい環境での生活にバタバタして、パソコンにむかう時間があまりない。今夜、ずいぶん久しぶりに、このブログのアクセス数をみると、通算80万アクセスを超えていた。

 きのう・きょうと、30度をこえる気温だが、空気が乾いているからつらくはない。6月の、関東のおなじ気温のときと、まるで違う質の暑さだ。ただ太陽光線がきつい。きっと、大気中の水の粒子と、ビルや工場や車などから排出される微細な粒子が少ないせいで、強烈な紫外線がふりそそぐのだろう。『こりゃ、サングラスと日傘がいるな』と思った。

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ザ・ピーナッツ、伊藤エミさんが亡くなった

2012-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

               

 ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが15日に亡くなった。71歳だった。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/27/kiji/K20120627003558370.html

    ザ・ピーナッツ  ウナ・セラ・ディ東京 http://www.youtube.com/watch?v=MhsLuvDD79g

ザ・ピーナッツ ベストアルバム

 ザ・ピーナッツのデビュー曲は「可愛い花」、1959年(昭和34年)4月の発売だ。

    ザ・ピーナッツ 可愛い花 http://www.youtube.com/watch?v=uYAnOCB0syg&feature=related

 


晴天、白樺が美しい

2012-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

    

 じつに爽やかで、気持ちのいい日だ。日差しはきつく、気温も高いが、湿度が低いので、カラッとして心地がいい。

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 北の街では、屋号にも極地の雰囲気があって、なかなかいい。オーロラという名のクリーニング店にズボンをあずけた。

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 ブンブン飛ばしている車の数はすさまじいが、それにしても人が歩いてない街だ。こんな6月の素晴らしい天気の日は、年にそんなにはない。ぶらぶら歩くには最高の気候だ。


帯広市役所に、行った

2012-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

             

 千葉県市川市から帯広市への転入をとどけるため、帯広市役所戸籍市民課にでかけた。 

 “住民異動届”に記入して、?の欄にハンコを押した。その下も、4枚つづりの全部の用紙に?が印刷されているので、『不思議な書式』だな、と思いながら、最後の4枚目まで判を押していた。

 そのとき、「お客さん! 印鑑は、一番上だけでいいんです」と、女の大声が聞こえた。カウンターの内側に突っ立てる女が、わたしに向かって叫んだのだ。

 (ジジイ、なにをべだべた、必要もないところに印鑑を押してやがるんだ! と、でも思ったのだろうか?)

 川崎市、横浜市、東京都内、千葉県と、わたしは、引越しをくりかえして、その都度、役所で転出・転入手続きをしてきた。届出用紙の2枚目、3枚目で印鑑が不用なら、?は、印刷していない。

 ?があれば、判を押す。なければ、押さない。簡単なことだ。それが日本の常識だ。

 ところが、北海道・帯広市の“住民異動届”用紙は、4枚つづりで、4枚全部の名前欄のあとに?じるしが印刷されている。そのマークにしたがって印鑑を押すと、市役所の女から大声で叱責される。たいした役所だよ。

 普通、印鑑のいらないところに?マークは、印刷しないだろ。さまざまの届出用紙、申し込み書、銀行や保険の書類。印鑑の必要なところに?があり、2枚目なり3枚目の印鑑不用のところには?マークはない。

 ところが、帯広市の場合、?があっても印鑑を押しちゃダメ、という摩訶不思議な町なのだ。毎日数百、数千人の住民の異動届けを受け付けている役所なら、捺印指導係の職員が多数必要だな。「その2枚目は、印鑑いらないんですよ。そうですね。そして、その3枚目も、その4枚目も?がありますけど、印鑑はいらないんですよ」

 しかし、「お客さん! 印鑑は、一番上だけでいいんです!」と、上から目線で大声あげる、そのゴーマン・横柄もすごいね。日本の市役所の、市民課とかで、こういう対応をされたことは、北海道・帯広市以外で経験がない。悲しい。

 

 


かくも長き不在

2012-06-18 | 日記・エッセイ・コラム

      

 『かくも長き不在 Une aussi longue absence 』というタイトルの、1961年(昭和36年)封切りのフランス映画があった。映画の内容は、わたしの場合とかなり違うが、わたしが長いあいだレコード屋をやっていた帯広駅前商店街、西二条商店街は、まるでちがう街になっていた。

 きょうは、西の遠くから、みずほ銀行のATMをさがして、自転車で帯広市の中心街まで出た。

 かっての繁華街の、西2条を帯広駅までいくあいだ、“かくも長き不在”を痛感した。『まるで違う街だ……』

 母の実家の電気店のまえ、西4条9丁目の公園の、子供のときからあったポプラは、さらに巨木になっていた。その威風堂々は、圧倒的な美しさがある。巨木・老木のもっている、なにか霊的なパワーだ。

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 このポプラが、いかに太いか、自転車との比較でわかるだろうか? 高さもすごい。

 

 


ピーター・グリーン

2012-06-17 | 日記・エッセイ・コラム

          

  フリートウッド・マック(ピーター・グリーン) Need Your Love So Bad http://www.youtube.com/watch?v=RtmW2ek7WkQ

 フリートウッド・マックは、アルバム『噂 Rumors』(1977年)で大ブレークするのだが、わたしは、そのまえのブルース・バンドの時代も好きだ。女性ボーカルのスティーヴィー・ニックスが入る、ずっと前のことだ。

 

The Best of Peter Green's Fleetwood Mac [FROM UK] [IMPORT]

 大ヒットアルバム『噂 Rumors 』が制作されたとき、ボブ・ウエルチはすでに脱退していない。もちろん、このバンドをつくったピーター・グリーンはいない。

Rumors

なぜか「ブラック・マジック・ウーマン」

2012-06-15 | 日記・エッセイ・コラム

   

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 帯広の街の、西の住宅街には、こんなに広い野原がある。

 

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 故郷の帯広に住むのは、25年ぶりのこと。その間、5回しか帰っていない。それも一二泊の滞在だった。季節感をすっかり忘れている。到着して「意外と暖かいな」と思ったが、甘かった。三日後の水曜日、『この低温、これは、東京の真冬だ!』という強烈な朝がきた。部屋のなかでは大型の石油ストーブをガンガン炊いてる。近隣の町では霜が降りた、という。

 わたしは、荷物のなかから冬着の厚い革ジャンをだした。この気温は、『北海道をなめちゃダメよ』という痛烈な一撃だった。

 きょうは爽やかな初夏だ。湿度が低いから、乾いた大気の透明感が関東圏とはまるでちがう。光線を乱反射させる、大気中の水の微細粒子の密度が希薄なのかな。

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 ここは、最近全国版になってきた、ばんえい競馬の馬場に隣接した西町公園の遊歩道。太いシラカバの幹、カシワの幹が美しい。

                   

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 ボブ・ウエルチがメンバーになる前のフリートウッド・マックの曲に「ブラック・マジック・ウーマン」がある。これを、サンタナがカバーして大ヒットした。作者は、フリートウッド・マックのオリジナル・メンバー、ピーター・グリーン。1968年の曲だ。サンタナのカバーは、1970年の発売。

英吉利の薔薇

   フリートウッド・マック Black Magic Woman http://www.youtube.com/watch?v=hRu7Pt42x6Y

Abraxas (Sl)

   サンタナ Black Magic Woman http://www.youtube.com/watch?v=eaKnRUfh_5I


北へ帰る

2012-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

             

 日曜日、夕暮れ、北海道・帯広に到着した。

 北に帰るときは、やはり、汽車にのりたい。「東北新幹線で新青森までいく」と知人にいうと、「贅沢な旅ですね」と言われた。たしかに、新幹線料金は定価で東京・新青森、2万円以上だから安くはない。しかし、東京から青森まで3時間とすこし、という時間は驚異だ。

 高校生や大学のとき、なんどか帯広から東京まで汽車と青函連絡船をのりついで行ったものだが、25時間ちかくかかる大旅行だった。

 いまは、東京駅発・6時28分の東北新幹線「はやて」にのって、新青森から特急列車をのりつぐと、帯広に18時すぎに到着する。新幹線のスピード感は心地いい。北海道に入っての、新緑の景色もなつかしい。東京からミステリーの文庫を読みきれるかな、と思っていたが一ページも読まず、窓からの景色をたのしんだ。

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 東京駅、東北新幹線ホーム

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 帯広駅構内、豚丼屋

 北海道新幹線が完成して、東京・札幌を5時間で走れば、空港までのめんどうなアクセスが無くて、便利になるだろう。

 


ボブ・ウエルチ、逝く

2012-06-13 | 日記・エッセイ・コラム

  

 6月7日、ボブ・ウエルチが亡くなった。ピストル自殺と報じられている。66歳だった。

    ボブ・ウエルチ&スティーヴン・ニクス Ebony Eyes http://www.youtube.com/watch?v=uO-9dn8zLfo&feature=related

フレンチ・キッス

 このアルバム『フレンチ・キッス』は、1977年(昭和52年)のヒットアルバム。わたしの北海道・帯広のレコード屋でもよく売れた。200万枚以上の売上というから、大ヒットではないだろう。

    ボブ・ウエルチ Sentimental Lady http://www.youtube.com/watch?v=rn4Kuv9LyDE&feature=related

 ボブ・ウエルチが、ブリティッシュ・ブルース・バンドのフリートウッド・マックに唯一のアメリカ人として参加したのは、1971年(昭和46年)のことだ。ゴリゴリのブルース・バンドだったフリートウッド・マックは、ボブ・ウエルチの加入で洗練されていき、世界ヒットアルバム『噂』を制作することになるのだが、しかし、このときすでにグループをはなれてソロになっていた。

 ボブ・ウエルチがフリート・ウッドマックのメンバーだったのは、1971年から1974年までのこと。5枚のアルバムに参加している。

    ボブ・ウエルチ Precious Love    http://www.youtube.com/watch?v=LNiJx_WMB_s&feature=related  

                 

 

 


北帰行のまえに

2012-06-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 夕暮れ。涼しくなってきたので、短パン、サンダル履きで銀座にでた。きょうで、しばらく東京散歩は休みだ。

 銀座は、じつに気持ちのいい風がふいている。

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 部屋じゅうの本やらCDやら、古いパソコン類もかたずいたので、いよいよ北海道へ帰ることにした。光ケーブルは、あす朝、撤去する。すこしのあいだ、インターネットは不通だ。つぎにブログを書くのは、北海道・帯広からだ。

               

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 日本橋で東京メトロをおりて、丸善本店や文具の伊東屋をのぞいたりしながら、銀座4丁目まで中央通りを歩いて、有楽町からJRで上野まででた。アメ横のミリタリー・ショップ、アメリカ屋に寄りたかったのだ。

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 昨年の大震災のあと、銀座も暗く、惨憺たるものだったが、いまは震災まえのように外国人の観光客も増えて、いつのも賑わいがもどった。

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 アメ横のミリタリー・ショップをのぞいて、帰りは、九段下まで歩くことにした。秋葉原、小川町、神保町、九段下駅というコースだ。相当距離がありそうに思うだろうが、(わたしの足では)意外と近い。いろいろおもしろい店や建物がある。それをながめて歩いていると、じつに楽しい。

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 神保町でカツカレーを食べて、九段下で地下鉄に乗って、部屋に帰りついたのは、午後8時。3時間の散歩だった。

       

 それでは……つぎの記事は、北海道から………

          


クリフ・リチャード

2012-06-06 | 日記・エッセイ・コラム

                  

 洋楽ファンの若い人と話していると、「クリフ・リチャードを知らない」という。驚きだ。

 アメリカ人にとって、エルビス・プレスリーが特別な歌手であるように、イギリス人にとって、クリフ・リチャードは、尊敬する偉大なシンガーだ。

 クリフ・リチャードは、ビートルズがまだハンブルグのナイトクラブやリバプールのキャバンクラブで演奏しているとき、爆発的人気のあるアイドル・ロックンローラーだった。

 ビートルズのデビューは、1963年。クルフ・リチャードは、ジョン・レノンと同じ1940年の生まれだが、1958年にデビューして、すでに何曲もビッグヒットをだし、イギリスだけなく、世界的に知られるロック・スターだった。

 そして、クリフ・リチャードがすごいのは、デビュー以来50年いじょう、若い世代のブリティッシュ・ロック・バンドが台頭しても、つねにミュージック・シーンのトップに返り咲いて、数々のヒットをとばし、71歳の現在も、バリバリの現役で歌いつづけていることだろう。

     クリフ・リチャード at the Diamond jubilee Concert http://www.youtube.com/watch?v=DI5bMfS168w

 このライブ映像は、今週4日、バッキンガム宮殿で開催された、エリザベス女王・即位60周年を祝いうコンサート。71歳のパフォーマンスだ。

 クリフ・リチャードは、女王からナイトの爵位をうけている。サー・クリフ・リチャードだ。

Summer Holiday

   クリフ・リチャード&シャドーズ The Young Ones http://www.youtube.com/watch?v=tBuiTyIYpA8&feature=related

グレイテスト・ヒッツ VOL.1

                        

   クリフ・リチャード Living Doll http://www.youtube.com/watch?v=BObvfDkOclw&feature=related

        クリフ・リチャード Summer Holiday http://www.youtube.com/watch?v=2GL62OB0c1Y

The 50th Anniversary Album

   クリフ・リチャード Congratulations http://www.youtube.com/watch?v=us3dQ0nnlHY

       クリフ・リチャード&シャドーズ Do You Wanna Dance  http://www.youtube.com/watch?v=HBRK9v840gg&feature=related

       クリフ・リチャード&シャドーズ Medley 1960  http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=avvgICl7aPA

                  

             クリフ・リチャード  オフィシャルサイト http://www.cliffrichard.org/


ブレッド『二人の架け橋』

2012-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

                  

 1970年代はじめの、日本の流行歌(ポップス)を聴いたあとは、ブレッドなどどうだろう。ブレッドは、やはり70年代初頭に日本でも大ヒットしたアメリカのバンドだ。ハードロックに対して、かれらの音楽は、ソフトロックといわれた。このバンドの叙情的で感傷的な表現もまた、黒人コーラス・グループの影響を強くうけているのだ。

   ブレッド Make It With You (二人の架け橋)http://www.youtube.com/watch?v=riBsOHkApmU

BREAD (Original Album Series)

 ブレッドは、スタジオ・ミュージシャンだったデヴィッド・ゲイツとジェイムス・グリフィンが中心になって、1968年(昭和43年)結成されたバンドだ。『二人の架け橋 Make It With You 』は、1970年の全米№1のヒット曲。

   ブレッド Baby I'm-a Want You(愛の別れ道) http://www.youtube.com/watch?v=0MxqDv6ofQg

 Baby I'm-a Want You は、1972年の曲。If はその前年、1971年の曲。

   ブレッド If http://www.youtube.com/watch?v=qGfVOdTiUEc

      


また逢う日まで、別れの朝、そして、別れのサンバ

2012-06-04 | 日記・エッセイ・コラム

            

 5月31日、尾崎紀世彦さんが亡くなった。『また逢う日まで』は、わたしがレコード屋になって3年目のときの曲。1971年のレコード大賞・日本歌謡大賞ダブル受賞の、まさに大ヒット曲だ。作詞・阿久悠、作曲・筒美京平。

    尾崎紀世彦 『また逢う日まで』http://www.youtube.com/watch?v=pSQ7HpOkqhg

ザ・プレミアムベスト 尾崎紀世彦

 『また逢う日まで』のことを思い出していると、なぜか、ペドロ&カプリシャスの『別れの朝』が聴きたくなる。この曲も、1971年(昭和46年)のヒット曲なのだ。このときのメインボーカルは、高橋真梨子さんではなく、前野曜子さん。前野さんは、1988年、40歳で亡くなった。

    前野曜子 『別れの朝』 http://www.youtube.com/watch?v=cCATp5bR3O8

蘇る金狼

 『別れの朝』を聴くと、長谷川きよしさんの『別れのサンバ』も聴きたい。この曲は、1969年(昭和44年)のヒット曲だ。

    長谷川きよし 『別れのサンバ』 http://www.youtube.com/watch?v=lQ4UBA8EHic

テイチクミリオンシリーズ 長谷川きよし

 わたしは、「永六輔&長谷川きよし」という、奇妙なコンサートの北海道のプロモーターだったことがある。永六輔さんの長い長いおしゃべりのあと、長谷川きよしさんの演奏になる、というショーだ。リハーサルがはじまって、長谷川きよしさんのギターと歌を聴いたときは、心底ぶっ飛んだ。『なんて心をゆさぶる音楽だろう! ギターがうまい、歌がうまい。そして、この表情ある表現!』

 コンサートのあと、長谷川きよしさんとビールを飲んで話していると、「映画をみるのが好きなんです」という。長谷川さんは、盲目だ。幼いときはすこし見えたので、その記憶で、じぶんのまわりで起きてることの映像はわかります、という。

               

 この時代の人たちは、ほんとうに歌がうまい。ギターがうまい。若い時から米軍基地のクラブやキャバレーやジャズ喫茶の、生のステージで歌って、多くの歌手が淘汰されて消えていく中から名をなしてきたシンガーだ。

 ボーヤとかバンドボーイといわれる、下積みも経験しているだろう。カラオケルームで歌を練習する、いまの若者たちとは決定的に違う。酔客のまえで、生のバンドをバックに歌うということを職業にして、メジャーデビューを目指したシンガーたちだ。毎晩、何軒ものキャバレーやクラブやダンスホールをかけもちで歌うなんて時代だ。

 キャバレーが無くなったことと、生バンドが演奏する踊り場が無くなったことは、日本の大衆音楽文化(ポピュラー・ミュージック)にとって手痛い損失だ。当時は、ミュージシャンの職場が、いまよりはるかにたくさんあったのだ。小さい町にも、繁華街にはロックバンドが演奏する踊り場があり、管楽器が入ったバンドが演奏するキャバレーがあった。そのバンドのスローな曲で、おじさんたちは、ホステスさんの腰に手をまわして、チークダンスを踊るわけだ。

 日本が世界に誇るジャズ・ミュージシャンの秋吉敏子さんや、渡辺貞夫さんも、若い時はこういう夜のバンドで生計をたてながら、ジャズ・クラブで演奏していたのだ。

                

 “かずら”のブログを、右のサイドバーのリンクに加えたので、ここも訪問してほしい。


メモ魔

2012-06-03 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 引越しを決意して、部屋の整理をしている。貧乏人の狭い部屋なのに、6年住むと、なんとまあ、物がある。古いパソコンや本を処分して、昨夜はメモ帳の整理をした。ぼうだいなメモ帳なのだ。

 わたしの人相からして、本を読むとか、じつはメモをよくとる人という印象は、無いだろう。短足・チビ、骨太・顔デカ、ぶ細工顔、顔の火傷痕。そして髪がうすい。いまはスキンヘッド。女が嫌いな、すべてがそろっている(みごとだろ)。イケメンといわれる男たちが、南極だとすると、わたしは、溶解する北極だ。

 高校生のとき、わたしの部屋にきた友人が「これ、みんな、おまえの本?」と驚いたものだ。わたしは、山岳部で、サッカー同好会の、典型的な体育会系だ。

 人はみかけだ。それでいい。

     

 わたしは、爪をみせないようにしていたのだが、つい、気がゆるんだ。発情期だったからな………女の子の気をひきたかったのだ。

 高校3年のとき、夏休みの宿題の読書感想文に「立原道造論」を書いてしまった。それが、帯広市図書館長賞とか、北海道知事賞とかをとった。

 ある日の全校集会で、突然わたしの名が呼ばれ、校長から知事賞とかの賞状をわたされた。「おまえが?」「なんで、あんたが? じぶんの名前以上の長い文章が書けるの?」と、同級生はそんな感じだ。まあ、だれも、立原道造の詩の、音韻のみごとさと、その描く情景と、死を恐れる心象発露に気づかないのだろうな。と、思ったものだ。

 べつに、わたしは、「体育会の、無知・粗野の男」、それでいいのだが。

    

 そんなわけで、膨大な数のメモ帳を、昨夜、整理した。手のひらサイズのメモをいつも持って、車のナンバー、人の名、顔、時間、起きたこと、見たことをメモする。絵に描く。それを東京に出てきて25年ずっとやっていた。そのメモ帳が多量にある。引越しのたびに捨てられず持ってきた。その山ほどのメモ帳を読んで、記録として意味あるページを残すと、わずか5センチくらいになった。

 今夜は、ノートだ。わたしは、悪相に似合わず、ガキのときから、文章を書くのが好きなので、膨大なノートがある。引越しのたびに捨てるのだが、ここに越してからのノートがある。今夜は、これを読んで、すべて捨てる。

          

 小学生のとき、わたしのような人相の子が、知的な雰囲気をみせても、なんのメリットもない。教師の敵意を煽るだけだ。

 小学1年のとき、作文、「おまえが書いたのか?」「ぼくが、書きました」「おまえが、書けるわけないだろ」「いや、ぼくが、書きました」「ウソつくな、兄さんか父さんが書いたんだろ!」

 この日いらい、高校3年まで、学校の作文は、「日曜日、父さんと母さんと、魚釣りに行きました、楽しかったです」と書いた。 

 

 

 

 

 


戸張さんの ROAD SONG

2012-06-02 | 日記・エッセイ・コラム

                                 

 ぜひ、ウエス・モンゴメリーの「ロード・ソング」を聴きながら読んでほしい。

   ウエス・モンゴメリー Road Song http://www.youtube.com/watch?v=JYac2jxy0Dc

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 写真家・戸張良彦さんの作品 『ROAD SONG』

 もちろん、この作品は、ピート・ターナーのRoad Song への敬愛であり、若いとき、ピート・ターナー作品からカラー写真を学んで、いまや銀座の画廊で個展をひらくまでのマイスターになった戸張さんの、北海道・十勝からのアンサー・ソング、とわたしは思う。(この青い雲の、表情ある美しさ! なんという観察眼だろう! そして撮影技術のみごとさ………)

 この美しさは、30年十勝に住んで、十勝の自然を撮りつづけている、ほんものの写真家の、美意識のたしかさだ。

 (草原に写る若菜色の花は、ふきのとう。高い空が、雲が、早春の牧草地との対比でじつに美しい。右手のスポーツカーは、「戸張さんのですか?」と訊くと、「偶然通った車」という。この作品は、大きなプリントでみたい。壁全面、この作品にするレストランはないか!)

            

 ピート・ターナーは、青いロード・ソングと、赤いロード・ソング(Road Song Sunset)を撮っている。戸張さんはきょう、赤いロード・ソングをアップした。ピート・ターナーへのリスペクトと思う。

 

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 戸張さんの、この夕暮れ“Road Song Sunset ”がまた美しい。戸張さんの写真をアルバム・ジャケットにするミュージシャンは、いないのか?

         

 ピート・ターナーのRoad Song  は、CTI(A&M)のウエス・モンゴメリーのアルバム・ジャケットで有名だ。CTIの場合、音楽の前にピート・ターナーの写真がある。アルバム・ジャケットのイメージに合わせて、音楽がつくられる。そんな感じにちかいときが、CTIの黄金期だ。

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  戸張良彦さんのHP http://www.y-tobari.jp/