Ommo's

古い曲が気になる

インターネット、二週間、不通

2009-03-31 | 日記・エッセイ・コラム
Tell Mama: The Complete Muscle Shoals Sessions Tell Mama: The Complete Muscle Shoals Sessions

 まず、40年ぶりによみがえった名曲を。ビヨンセが演じるエタ・ジェームスだ。歌は、エタ・ジェームスの1969年のシングル盤 "I'd Rather Go Blind" http://www.youtube.com/watch?v=IRrBihMJbZo&feature=related 映画のシーンは、1968年ころ、チェス・レコードのグループ会社、カデットCadet レコードの録音風景の再現で、アラバマのマッスル・シュールズ・サウンド・スタジオだろうか?

 

 オリジナルのエタ・ジェームスの " I'd Rather Go Blind" 。名唱だ。http://www.youtube.com/watch?v=YApNirMC9gM&feature=related

 

 " I'd Rather Go Blind" を、エタ・ジェームスのシングルの発売とおなじ1969年、イギリスのブルース・バンド、チッキン・シャックがカバーしてヒットさせた。ボーカルは、クリスチャン・パーフェクト、のちのフリートウッド・マックのクリスチャン・マクヴィーだ。感情を抑えた歌い方がじつにいい。ttp://www.youtube.com/watch?v=Ohx9Ve7-GS0&feature=related チッキン・シャックのファンは、当時、帯広にたくさんいた。中学生や高校生だ。

 

 14才のエタ・ジェームスの才能をみいだしたのは、ジョニー・オーティスだった。ジョニー・オーティスは、シュギー・オーティスの父親。R&Bのバンド・リーダーで、ピアニスト、ドラマー、作曲家、プロデューサーだ。このひとも、ソウル・ミュージックの伝説の偉人だ。シュギー・オーティスは、アル・クーパーとのセッションで、天才少年としてヒットしたギタリスト。LP「クーパー・セッション」をもっているひとがたくさんいることだろう。

  

  ジョニー・オーティス Willi and Hand Jive http://www.youtube.com/watch?v=qOrQTh_Cq7U&NR=1

    エリック・クラプトンのHand Jive http://www.youtube.com/watch?v=yuoj4eyCMWo&feature=related

 

  エタ・ジェームス.com http://etta-james.com/

     ジョニー・オーティス.com http://www.johnnyotisworld.com/

  チェス・レコードをモデルにした映画 Cadillac Records のサイト http://www.sonypictures.com/homevideo/cadillacrecords/

  ヒストリー・オブ・ロックのチェス・レコードのページ http://www.history-of-rock.com/chess_records.htm

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Cimg2882 しまあじ、4,500円は高いのだろうか?

 

 

 3月15日、突然、インターネットに接続できなくなった。最初は深刻に考えなかった。いままでも、ときどき起こる。いつもはモデムの電源をおとして、すこし待つと解決した。しかし、ダメだ。いろいろやってみてもダメなのだ。その日は、日曜日でNTTにも、プロバイダーのOCNにも連絡がとれない。

  

 翌日月曜日、なかなか電話がつながらない。やっとコールセンターみたいなところにつながると、プロバイダーに聞け、という。またなかなかつながらない。やっとつながると、15日から光に切り替えた、という。

 

 光ケーブルが通ってないのに、プロバイダーが光に切り替えてもしょうないだろ。元のADSL50MBが使えるようにしてくれ。

 

 それはもうできない、という。新規にADSLを申しこんでくれ、という。なら、新規で申しこむからすぐに元にもどしてくれ。いま引っ越しシーズンで工事が混んでいて、4月の半ばになる、という。(3月16日の話だ)。なに? 4月半ば? 工事ったって、きのうまでADSLをつかっていたんだ、何の工事だ? 新しいIDをふりわけて、パスワードをきめて、社内で切り替え工事があるのだ、という。

 

 だいたい切り替えるなら、最初の工事日だった3月2日のはずじゃないか? その日は光ケーブルが通らず、光は一旦キャンセルして、「このままADSLをつかう」、とNTT東日本と話はできていた。その話をした担当者を電話にだしてくれ、というと、休んでいる、という。こんなウダウダの話をつづけていて、何のラチもあかない。疲れはてる。 

 

 なんで、2週間もたってから、突然、ケーブルも開通してないのにADSLから光に切り替えるのか? まったくわからない。けっきょく、NTTもOCNも、コールセンターのれんちゅうは、絶対に自分たちの非はみとめず、わたしのせいにした。(しかし、工事現場の職人に聞くと、光ケーブルが通って、現場から職人がアクセスしないかぎり、切り替えることはない、はずです、という。営業の人間がなにか間違えた、のじゃないでしょうか、ともいう)

 

 そんなわけで、新規に申しこんで、きのう開通したわけ。けっきょく、一番早いのは、光フレッツ・ネクストというやつで、それでも2週間かかった。まるで、共産党独裁のソ連のようだ。

 

 ブログが更新されないし、メールの返信もこない、とうとう孤独死か、といろんな方から電話をいただいた。孤独死じゃないが、この7、8年、インターネットでほとんどの情報を得ているので、2週間まったく仮死状態だった。

 

 前回工事に失敗した職人さんは、「きょうはかならず通します」と、一番細い通線ケーブルをもって、ほかの班も誘ってやってきてくれた。

 

 どうしてこんな手違いが起きたのか、はっきりさせようと思っている。


イギリスのブルー・アイド・ソウルのキングは、トム・ジョーンズ

2009-03-14 | 日記・エッセイ・コラム
ゴールド

ゴールド

 ブルー・アイド・ソウルとは、矛盾した表現だが、白人のやるブラック・ミュージックのことだ。定義はとてもやっかいで、あいまいにならざるを得ない。簡単にいうと、黒人の雰囲気をもった白人のポップス。ライチャース・ブラザーズやラスカルズなどが活躍した1960年代、さかんにつかわれた言葉だった。いまはもう死語だと思っていた。(わたしは、この20年くらい音楽雑誌をみたことがなかった)。しかし、最近インターネットでアメリカの音楽関係のサイトをみていると、Blue-Eyed Soul という語がひんぱんにでてくる。

 

 きのうは ローラ・ニーロのことを書いたが、ローラ・ニーロやキャロル・キングもブルー・アイド・ソウルのミュージシャンであろう。そして、ローラ・ニーロのEli's Coming をカバーしてヒットしたスリー・ドッグ・ナイトは、まさにブルー・アイド・ソウルだ。

 

 イギリスでは、ジョー・コッカー、ロッド・スチュワート、ヴァン・モリソン、アニマルズのエリック・バートンなどがBlue-Eyed Soul だろう。そして、トム・ジョーンズこそ、イギリスのブルー・アイド・ソウルのキングだ。

  

     トム・ジョーンズ It' Not Unusual http://www.youtube.com/watch?v=UOArsNMVqGg&feature=related

     トム・ジョーンズ It's Look Like I'll Never Fall In Love Again http://www.youtube.com/watch?v=lwrOtXA-S1o&feature=related

     トム・ジョーンズ Green Green Grass of Home http://www.youtube.com/watch?v=a5IABqwVO2U&feature=related

     トム・ジョーンズ Delilah http://www.youtube.com/watch?v=sI5LWwC-cE8&feature=related

 トム・ジョーンズは、ジョン・レノンとおなじ1940年の生まれだ。いまは68才、オフィシャル・サイトのスケジュールをみると、今月はラスベガスで毎日のようにライブをやっている。タフだ。

 

 トム・ジョーンズは、16才から建築現場の土工など、さまざまな肉体労働や訪問販売のセールスマンをやりながらアマチュアのビート・グループでシンガーをやっていた。17才には結婚して家庭をもつ。まさにソウル・ミュージックをやるにふさわしいつらい青春だ。23才のころには南ウエールズ地方のクラブで、人気のボーカリストになっていた。

 

 この1963年、運命的な出会いがある。ビートルズにとってのブライアン・エプスタンみたいな人物が、トム・ジョーンズのバンド Tommy Scott and Senators のマネージャーになる。ゴードン・ミルズだ。ウエールズ出身のハーモニカ奏者で、クリフ・リチャードに楽曲を提供している作曲家でもあった。

 

 ゴードン・ミルズは、のちにMAMレコードを創設して、エンゲルベルト・フンパーディンクやギルバート・オサリバンを売り出す。ゴードン・ミルズが、デッカとの契約をとり、トム・ジョーンズはメジャーデビューをする。最初のヒットで、いまもショーのオープニングの曲 It's Not Unusual(よくあることさ) は、ゴードン・ミルズの作曲なのだ。テレビショーやラスベガスへの進出もゴードン・ミルズの采配だ。

 

 1986年、突然、ゴードン・ミルズは胃ガンで亡くなる。トム・ジョーンズは、デビュー以来のプロデューサーでマネージャーでビジネス・パートナーの、もっとも信頼する友を失った。

 

 トム・ジョーンズは、自分の息子マークにマネージメントを託す。こうして、トム・ジョーンズはいまもラスベガスのトップスターなのだ。女王からナイトの爵位をうけたサー・トム・ジョーンズは、1965年から1億枚以上のレコードを売っている。

 

 

 

   それぞれのオフィシャル・サイトに動画がある。videos あるいは media をクリック。

 トム・ジョーンズ.com http://www.tomjones.com/home/index.aspx

   ヴァン・モリソン.com http://www.vanmorrison.com/

   ロッド・スチュワート.com http://www.rodstewart.com/

   ジョー・コッカー.com http://www.cocker.com/

   エリック・バートン.com http://www.ericburdon.com/

  フェリックス・キャヴァリエ's ラスカルズ http://64.23.27.250/index.htm

   ニュー・ラスカルズ.com http://www.newrascalsreloaded.com/

 トム・ジョーンズ・ファンの方がつくるページ(日本語) http://www.geocities.jp/tjfanmari/  

  


帯広ではローラ・ニーロが売れたのだ

2009-03-13 | 日記・エッセイ・コラム
More Than a New Discovery More Than a New Discovery
イーライと13番目の懺悔 イーライと13番目の懺悔

 ローラ・ニーロは、先にほかのミュージシャンの演奏したカバーがヒットして本人のアルバムが売れるようになった。わたしの店、サウンドコーナーでは、発売当時からLP「イーライと13番目の懺悔 Eli and the Thirteenth Confession 」(1968年)が売れていた。それは全国的に売れるずっと以前のことだ。十勝には、ポップスをよく聴きこんでいるセンスのいい音楽ファンがいたわけだ。当時、そのひとたちはまだ中学生や高校生だったのだから、いま考えてみれば、たいしたものだ。(いまはみんな50才代だろう)。

 

 「イーライと13番目の懺悔」はセカンドアルバムだが、日本では最初の国内盤だと思う。CBSソニーの発売だ。19才のとき発売したヴァーブ盤のファースト・アルバムMore Than A New Discovery(1966年)は、「イーライと13番目の懺悔」のあとで日本グラモフォンから発売になった、と記憶している。(が、これは資料がない、わたしの記憶なので、どなたかデータをお持ちの方は正確な情報を教えてほしい)。

 

 ローラ・ニーロは、ジャズ・トランペッターの父親の影響で小さいときから音楽に親しんでいた。ピアノは独学だという。14才のころからドゥー・ワップ・グループをくんでストリート・パフォーマンスをやっていた。アート・スクールのニューヨーク・ラガーディア高校を卒業してプロのキャリアをスタートするが、ファーストアルバムは売れない。しかし、そのなかの曲をほかのミュージシャンがカバーして注目されるようになるのだ。

 

 ラガーディア高校(Fiorello H. LaGuardia High School of Music & Art and Performing Arts)は、映画「フェーム」の舞台になった芸術学校だ。さまざまなジャンルのアーティストを輩出している。ローラ・ニーロとおなじような女性のシンガーやソングライターなら、ジャニス・イワン、キャロル・ベイヤー・セイガー、メルサ・マンチェスター、ライザ・ミネリなどがいる。ジャズ・ミュージシャンでは、マーカス・ミラー、ビリー・コブハム、ケニー・ドリュー、エディ・ゴメス、スティーヴ・ジョーダン、ジェレミー・スティッグなどが卒業生だ。俳優では、アル・パシーノもロバート・デ・ニーロも、この学校の出身なのだ。

 

 ローラ・ニーロのオリジナルをカバーしたヒット曲は、ブラッド・スウェット&ティアーズの "And When I Die" が日本では最初だったろうか。そして、フィフス・ディメンションの "Stoned Soul Picnic " " Wedding Bell Blues" 、スリー・ドッグ・ナイトの " Eli's Coming"、バーブラ・ストレイザンドの "Stoney End" とつづく。

 

 ローラ・ニーロはいま聴いてもじつに新鮮だ。はじめてピーター・ポール&マリー(PPM)のマネージャーに And When I Die  を売ったのが、17才のときというから、早熟な天才だ。

 

 ローラ・ニーロは、1997年4月、癌で亡くなった。49才だった。

  

  ローラ・ニーロ And When I Die  http://www.youtube.com/watch?v=CUa8mbgKex8

  ブラッド・スウェット&テアーズ And When I Die http://www.youtube.com/watch?v=kDWQ8w829tY&feature=related

  ローラ・ニーロ Stoned Soul Picnic http://www.youtube.com/watch?v=jwSNbC9zK-w&feature=related

  フィフス・ディメンション Stoned Soul Picnic http://www.youtube.com/watch?v=0foZ3gRcWvA&feature=related

  ローラ・ニーロ Wedding Bell Blues http://www.youtube.com/watch?v=z8kuo-TRZU8

  フィフス・ディメンション Wedding Bell Blues http://www.youtube.com/watch?v=IkMhWQgkZ8c&feature=related

  ローラ・ニーロ Eli's Coming http://www.youtube.com/watch?v=mNJcAGs8FxQ

  スリー・ドッグ・ナイト Eli's Coming http://www.youtube.com/watch?v=UdpEyxS0988

  ローラ・ニーロ Stoney End http://www.youtube.com/watch?v=eM6UczqrIYM&feature=related

  バーブラ・ストレイザンド Stoney End http://www.youtube.com/watch?v=j__OhNPutzA&feature=related

 ローラ・ニーロ オフィシャル・サイト http://www.lauranyro.com/

 ローラ・ニーロのファン、MITSUAKI YANOさんがつくる日本語のサイトhttp://www.geocities.jp/lauranyro_japan/index

フェーム 特別版 [DVD] フェーム 特別版 [DVD]

 ラガーディア・アート・ハイスクールが舞台の、アラン・パーカー監督の「フェイム Fame」は、1980年封切りの映画だった。アカデミー賞の主題歌賞と脚本賞をとっている。アイリン・キャラが歌うテーマソング"Fame"が大ヒットして、サントラのLPもよく売れた。http://www.youtube.com/watch?v=9iFRt1ae5mc


ヘレン・メリルは、ローラ・ニーロの叔母

2009-03-12 | 日記・エッセイ・コラム
ニューヨーク・テンダベリー

ニューヨーク・テンダベリー

 弱冠21才のクインシー・ジョーンズがプロデュースとアレンジをしたアルバムの成功で、ほとんど無名だったヘレン・メリルは、マーキュリー・レコードとさらに4枚のアルバム制作契約を獲得した。以来40枚をこえるアルバムを録音し、世界中に多くのファンがいる。とくにヨーロッパと日本で人気がある。イタリアのあと、日本に住んでいたこともあるのだ。この時期、日本のミュージシャンと何枚かLPをレコーディングをしている。息子のアラン・メリルは、日本でロックバンド、ウォッカ・コリンズをくんでいた。ヘレン・メリルは、ローラ・ニーロの叔母だという。

  

  ヘレン・メリル.com  http://www.helenmerrill.com/

    アラン・メリル.com  http://www.alanmerrill.com/

     ローラ・ニーロ Save the Country http://www.youtube.com/watch?v=Jjdowef1oKE&feature=related


ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンの名演奏は、クインシー・ジョーンズのアレンジ

2009-03-11 | 日記・エッセイ・コラム
helen merrill helen merrill

 美しい満月だ。ときどき雲に隠れる。それがまたいい。月をみながら歩いていると、二時間をこえてしまった。部屋で月をみながら酒でも飲みたいところだが、わたしの部屋のまえには高いマンションが立ちはだかって、月を隠している。残念だ。

 

 北海道にいたころは、庭に椅子とテーブルをだして、ウイスキーを飲みながら月をながめたものだ。真冬でも思いっきり厚着をして、ディレクター・チェアーを外にだして、月をたのしんだ。ひとには、“キチガイ”といわれたが……

 

 十勝の空は、大気汚染の微粒子が少ない。湿度が低い乾燥した空気だ。大気中の水の粒子も少ない。地球外からの光線を乱反射する粒子が少ないのだ。だから、星と月は、鮮烈に美しくみえる。 

 

 ジャズの名演奏に、ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンの「ユード・ビー・ソウ・ナイス You'd Be So Nice to Come Home To 」がある。このアレンジが、クインシー・ジョーンズだ。1954年の録音だから、クインシー・ジョーンズは、まだ21才ということになる。

 

  つまり、マイケル・ジャクソンのスリラーと、ヘレン・メリルのYou'd Be So Nice は、おなじ人のプロフェッショナルな仕事だったのだ。

 

 'ユード・ビー・ソウ・ナイス' のいい音源がYoutubeにないので、Don' Explain を貼るが、http://www.youtube.com/watch?v=t16xMI29TPk このアルバムのアレンジャーのクインシー・ジョーンズのセンスがわかるはずだ。トランペットのクリフォード・ブラウンは、このあと交通事故で亡くなる。25才だ。かれの死を悼んでベニー・ゴルソンが「アイ・リメンバー・クリフォード I Remember Clifford 」を作曲した。アート・ブレーキー&ジャズメッセンジャーズでのリー・モーガンの演奏が有名だ。朋友を失った悲しみが切々と伝わってくる名演だ。http://www.youtube.com/watch?v=VDbrxLz20JY

 

 クリフォード・ブラウンの演奏する「イエスタデーズ」「メモリー・オブ・ユー」 http://www.youtube.com/watch?v=IGPMew3Jv5E&feature=related

   

 

 


わがふる里は、嵐のなかか?

2009-03-10 | 日記・エッセイ・コラム

ボディ・ヒート(紙) ボディ・ヒート(紙)
 

 あすは満月、強風に飛ばされる雲の合間から、強烈に輝く月が顔をだす。美しい。

 

 小沢一郎の元秘書、衆議院議員の石川知裕は、東京検察庁特捜部が要請した参考人としての事情聴取を拒否している、とネット情報にある。なぜかNHKテレビ9時のニュースではかんぜんにスルーだった。(NHKの小沢擁護も露骨だ)。

 

 検察は、国会開会中で、国会議員の不逮捕特権があるので、石川知裕に任意の出頭を求めたのだろう。出頭拒否となれば、国会に逮捕許諾請求がだされる。拒否して逃げられるものでもないだろう。

 

 帯広をはなれてずんぶんたつので、この小沢一郎元秘書の民主党議員が、足寄出身で、北海道11区(帯広市など)が選挙区だとは、この騒動までしらなかった。岩手の小沢が北海道の東まで手をつっこんでいたんだ。しらなかった。なんだか、わがふる里は、騒動の渦中だな。

The Dude The Dude
 

   クインシー・ジョーンズ Ai No Corrida http://www.youtube.com/watch?v=a7Vi40fVC-0

   クインシー・ジョーンズ Ai No Corrida 武道館ライブ http://www.youtube.com/watch?v=-az1ydsgBcM&NR=1

 

 クインシー・ジョーンズは、アメリカ・ブラック・ミュージックの偉大なプロデューサーのひとりだ。作曲家、プロデューサー、アレンジャーで、レコードメーカーの経営者。ジャンルは、ジャズ、ポップス、ソウル、ファンクと広範囲で、つねに時代をリードしていた。マイケル・ジャクソンの天文学的売り上げ枚数の大成功は、クインシー・ジョーンズの存在があったからだ。(クインシーとマイケル・ジャクソンの十年間のコラボレーションで売ったLPは、いったい何億枚なのか?)

 

 シカゴ生まれのクインシー・ジョーンズは、小学生のとき、トランペットを手をしたのが音楽との出会いだ。レイ・チャールズとバンドを組んでプロとしてのキャリアはスタートする。その後、バークレー音楽院に入り、作曲法と音楽理論を学んだ。そしてヨーロッパ・ツアーのガレスビーのオーケストラに、アレンジャー、トランペッターとして参加する。

 

 クインシー・ジョーンズに映画音楽も多い。レイ・チャールズが歌った「夜の大走査線In the Heat of the Night 」(1967年)のテーマはヒットした。クインシー・ジョーンズとレイ・チャールズは、まだ無名のころからいっしょにバンドをやっていたのだ。

 

 「夜の大捜査線」は、シドニー・ポアチエとロッド・スタイガーが主演だ。保安官のロッド・スタイガーがじつにいい。卑屈な保安官助手の役でウォーレン・オーツがでている。わたしはウォーレン・オーツ主演の「デリンジャー」が好きだ。ママス&パパスのボーカル、ミッシェル・フィリップス(ママキャスでなく、美人の方のボーカル)が、デリンジャーの情婦役ででる。

 「夜の大捜査線」は、アカデミー作品賞、ロッド・スタイガーは、主演賞をとっている。

  「崖の上のポニョ」など宮崎駿作品で有名な作曲家、久石譲さんは、クインシー・ジョーンズから名前をとっている。

  

  映画「夜の大捜査線」テーマ http://www.youtube.com/watch?v=TJzxHJcA8qU

    ママス・アンド・パパス California Dreamin http://www.youtube.com/watch?v=-wI6uAOHzvo

スリラー スリラー


マイケル・ジャクソン「オフ・ザ・ウォール」は、1979年

2009-03-09 | 日記・エッセイ・コラム
オフ・ザ・ウォール オフ・ザ・ウォール

 夜8時、散歩道の旧江戸川の水位が異常の低い。いつもの引き潮のときより1.5メートルも下がっているようだ。大潮だろうか?

 

 小沢問題をウヤムヤにするマスコミの煙幕なのか、西松建設の「捜査は自民党にはおよばない」といった政府高官は、漆間巌(うるまいわお)官房副長官だ、と新聞とテレビは大騒ぎしている。マスコミは、小沢から話題をそらす格好のターゲットをみつけたわけだ。ことさら大騒ぎをして、漆間官房副長官を敵視するマスコミと民主党をみると、そのうしろにいるものがよめてくる。

 

 漆間巌官房副長官は、前警察庁長官だ。北朝鮮による日本人拉致事件の解明にもっとも積極的な警察のトップだった。警察庁外事1課長だった平成3年、大韓航空爆破犯の金賢姫に面会して李恩恵が田口八重子さんだと確認した。警察庁長官に就任すると、拉致事件解明を全国の警察に指示した。北朝鮮にとって手ごわい相手だろう。日本のマスコミのなかのコリアン左翼にとっても、つぶしたい敵なわけだ。

 

 漆間副長官が、発言した記憶はない、と国会で答弁したのは、何もおかしくはない。なぜなら、発言したとされる記者懇談は、オフレコだったのだ。オフレコとは、記録しない、発言者の名前をださいない、という記者と発言者との絶対的な紳士協定が大前提だろう。つまり、メモも録音もないわけだから、記事の裏づけになる証拠はない。言った言わないの水かけ論になる。オフレコは、記事にしない、発言者は、その言ったことに責任をもつ必要はない。それがオフレコのルールだろう。

 
 

 どんなことがあっても、ディープ・スロートの名前をあかさなかったボブ・ウッドワードのようなジャーナリストとしての良心と根性は、朝日新聞の記者にはまるでないようだ。ブンヤだ。腐ってる。マスコミの民主党バブルははじけたのだから、いまさら、新聞、テレビがどんなことをしても、小沢の秘書逮捕の問題から、国民の目をそらすことはできないだろうに、見苦しい。ますますマスコミは信頼を失うだけだ。

 

 マイケル・ジャクソンのソロアルバムが大ヒットするのは、「オフ・ザ・ウォール Off the Wall 」からだ。1979年のこと。それまでモータウンで3枚のソロをだしていた。このエピック・レコード(EPIC SONY) のアルバムから、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えたのだ。クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンのことは、またあす書こう。

 

 下のマイケル・ジャクソンのサイトのVIDEOS→Watch をクリックすると「スリラー」のフルヴァージョンの映像がみられる。"Billie Jean" "Beat It" のビデオもある。たのしい。

 マイケル・ジャクソン.com  http://www.michaeljackson.com/

 クインシー・ジョーンズ.com  http://www.quincyjones.com/

 上のクインシー・ジョーンズのサイトのNaturall 7の動画をみてほしい。いまクインシーがお気に入りだというコーラス・グループだ。かっこいい。

 


スリー・アミーゴとスティーリー・ダンの関係

2009-03-08 | 日記・エッセイ・コラム
ナイトフライ<SHM-CD> ナイトフライ<shm-cd></shm-cd>

 スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンは、ニューヨークのべーカー大学でバンドを組んだ、と書いた。そのときのドラムが、チェビー・チェイスなのだ。チェビー・チェイスは、コメディーが得意な俳優、脚本家だ。わたしは、ジョン・ランディス監督映画「サボテン・ブラザーズ Three Amigos」が好きだ。これ以上バカバカしい映画はない、おバカ映画だ。ジョン・ランディスは、「ブルース・ブラザーズ」の監督。ゾンビが踊る、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージック・ビデオもジョン・ランディス監督の作品だ。

 スティーリー・ダンは、LP「ガウチョ」でグループ活動を休止するが、1982年、ドナルド・フェイゲンがソロ・アルバム「ナイトフライ」を発売した。このアルバムもサウンドコーナーではよく売れた。

  

  サボテン・ブラザーズ(Three Amigos) http://www.youtube.com/watch?v=cJmesqycoQU&feature=related

  チェビー・チェイスCentral http://www.chevychasecentral.com/main.htm

     マイケル・ジャクソン Thriller http://www.youtube.com/watch?v=cIqj0xD7VCY

    マイケル・ジャクソン Thriller Live  http://www.youtube.com/watch?v=RYrUQItmW4s&feature=related

    マイケル・ジャクソン Dangerrous http://www.youtube.com/watch?v=cC1TTz2bMmM&feature=related 

    


スティーリー・ダン「ガウチョ」のLPジャケットが好きだ

2009-03-07 | 日記・エッセイ・コラム

085 100  

日本橋 夏目漱石の「三四郎」の舞台になった界隈とのこと

 

 テレビのニュース番組の民主党・小沢擁護は、異常だ。キャスターやコメンテーターは、平気で“検察権力”という言葉をつかう。この言葉は、左翼のれんちゅうの用語ではないか? テレビ朝日やTBSのような反日、反自民党のテレビ局だけでなく、日テレも、フジテレビでさえ、検察権力の横暴とか、国策捜査という印象を視聴者にうえつけようとして、ニュースショーで“検察権力”“国策捜査”と、さかんにいっている。(テレ朝は中国の、TBSは朝鮮半島のエージェントと思って、テレビニュースをみると、どういうれんちゅうが、どういう方向に日本の世論を誘導しようと操作しているか、みえてくる)。

 

 新聞の論説委員とかいう、いい年した(わたしと同世代の)ジジイたちが、ニュースショーで、自民党の議員も西松建設からの献金を受けているのだから、小沢ばかり問題にするのは平等ではない、とか小学生のホームルームレベルのコメントをする。小沢が、西松建設のダミー団体から受けとった金が、特出して多額だ、と検察はいっているのじゃないのか? だから、ここでは平等ではないのだよ。マスコミが小沢に問わなければならないのは、単に政治資金規制法での献金方法の合法性ではなく、収賄だろう。国会議員が、土建屋からワイロをとって、公共事業の仕事を回したんじゃないか? という犯罪行為の有無だろう。

 

 テレビ・新聞のれんちゅうは、保守・自民党体制を瓦解させ、民主党中心の社会民主主義政権樹立を画策しているのだろう。その絶好のときがきたと、ホテルのバー通いが悪いだの、漢字知らないだのと難癖つけて、麻生のあら探し、中川昭一つぶしに、血道を上げてる。この状況は、まえにテレビ朝日の報道部長がやった世論操作、椿事件の再来のようだ。小沢の公設第一秘書逮捕という事態になっても、小沢擁護に必死だ。なにがジャーナリズムなのか、笑わせる。

 

 小沢は記者会見で、献金の内容はしらない、献金した団体の人間にもあったこともない。ほかの者に(秘書に)任せている。と、シラを切った。しかし、わたしの経験では、国会議員は、じぶんの支持者ひとりひとりの名前どころか、その誕生日も、家族の名前さえも知っているものだ。そして、細かい金の収支までもおさえている。献金して、票を集めてくれる支持者に挨拶され、あんただれ? というわけにはいかないだろう。議員でいられるには一番大事なところだ。だから、どこのだれから、いくらもらい、何票集めてくれたか、しっかり把握しているものだ。(女子プロゴルフーのおやじ、というだけのタレント議員のようなやつらのことはしらない)

 

 たいがいの議員は、一度あった人間の顔と名前は忘れない。その能力を磨かないと選挙に勝てない、ということだ。(昭一さんはできないだろうが、奥さんは、支持者全員の顔と名前を覚えているだろう)。熟練の旋盤工が、ミクロの感覚で金属を加工できるのとおなじようなものだ。熟練だ。その道、その道のプロの技だ。だから、集金や集票の具体的な作業は秘書や後援会がやっても、その内容は、細部まで議員自身が把握しているものだ。秘書は、いつやめるか、首をつるか、逮捕されるか、裏切るか、わかりゃしない。じぶんのことはじぶんでわかってないとやっていけないだろう。

 

 テレビや新聞、評論家やタレント大学教授、そのほかリベラル自認のれんちゅうが待望している、民主党中心の左派政権は、この世界不況のさなか、日本の国益にそうのか? 左派政権が、もっともふさわしくない時期じゃないのか? それに、いまのところ麻生内閣に失政はない。外交も内政も、経済対策も、よくやっているのじゃないか。(他の国の破綻状態をみるといい)。やがて定額給付金の効果もあらわれるだろう。

Aja Aja

Gaucho Gaucho

 スティーリー・ダンの大ヒットLP「彩 Aja」が発売になったのは、1977年のことだ。スティーリー・ダンの音楽は、ジャズ・ロックとでもいうべきか、それまでのロックのジャンルにはない独特の洗練された音づくりだった。ギターのウォルター・ベッカーと、すこし冷ややかなボーカル表現のドナルド・フェイゲン、ふたりのユニットがスティーリー・ダンだ。

 

 ウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンは、ニューヨークのバード・カレッジで出会い、バンドを組む。そのメンバーがコアになってファースト・アルバムをつくるが、ほかのメンバーはすぐにバンドを離れ、スティーリー・ダンは、ふたりのユニットにセッションマンが参加してライブとレコーディングをやっていく。1972年の最初のLP「Can't Buy a Thrill」から1980年の「ガウチョ Gauch」まで7枚のアルバムをだしてバンド活動は休止してソロ活動にはいる。2000年に再開していまに至るわけだ。

 

 わたしは、「ガウチョ Gaucho」のLPジャケットが好きだ。「彩 Aja」は、全米チャート№1になり、グラミー賞を獲得したアルバムで、ローリングストーン誌の最も重要なロックアルバム500の145位にランクされている。ジャケット写真の女性は、日本人のモデル、山口小夜子さんだ。山口さんは、2007年8月に亡くなった。

 

 きっと67年ころのことだろう。ギターのウォルター・ベッカーは、ランディー・カルフォルニアと隣同士の部屋に住んでいた。そのとき、ランディー・カルフォルニアのブルースギターのテクニックに影響をうけたという。そのときランディー・カルフォルニアは、ジミ・ヘンドリックスのバンド Jimmy James and the Blue Flames のメンバーだった。ジミ・ヘンがバンドを解散してイギリスにいったあと、ランディー・カルフォルニアはスピリッツ Spirit をつくる。

 

 ウォルター・ベッカーcom. http://www.walterbecker.com/

  ドナルド・フェイゲンcom. http://donaldfagen.com/news.php

  スティーリー・ダンcom. http://www.steelydan.com/

 

 下にあるのは、アルバム「ガウチョ Gauch」に参加したミュージシャン。じつに豪華なメンバーだ。とうじ(1980年)、1億円の制作費がかかったといわれていた。

Walter Becker - bass, guitar, lyre, vocals
Donald Fagen - organ, synthesizer, keyboards, lyre, electric piano, vocals
Anthony Jackson - bass
Chuck Rainey - bass
Chuck Sample - bass
Stayton Heyward - bass
Don Grolnick - keyboards, electric piano, clavinet
Rob Mounsey - synthesizer, piano
Pat Rebillot - keyboards, electric piano
Joe Sample - electric piano
Hiram Bullock - guitar
Larry Carlton - guitar
Rick Derringer - guitar
Steve Khan - acoustic guitar, electric guitar
Mark Knopfler - guitar, vocals
Hugh McCracken - guitar
Wayne Andre - trombone
Michael Brecker - tenor saxophone, vocals
Randy Brecker - trumpet, flugelhorn
Ronnie Cuber - baritone saxophone
Walter Kane - bass clarinet
George Marge - bass clarinet
David Sanborn - alto saxophone, vocals
David Tofani - tenor saxophone, vocal
Steve Gadd - percussion, drums
Robbie Buchanan - piano, synthesizers and vocals
Jeff Porcaro - percussion, drums
Bernard "Pretty" Purdie - drums
Crusher Bennett - percussion
Victor Feldman - percussion, keyboards
Ralph MacDonald - percussion
Nicky Marrero - percussion, timbales, vocals
Patti Austin - vocals, background vocals
Frank "Harmonica Frank" Floyd - background vocals
Diva Gray - vocals, background vocals
Gordon Grody - vocals, background vocals
Lani Groves - vocals, background vocals
Michael McDonald - vocals, background vocals
Leslie Miller - vocals, background vocals
Jennifer James - vocals, background vocals
Zachary Sanders - vocals, background vocals
Valerie Simpson - vocals, background vocals
Zack Snaders - background vocals
Toni Wine - vocals, background vocals

  

   スティーリー・ダン Babylon Sister  http://www.youtube.com/watch?v=uiy09DIsZFU

     スティーリー・ダン Time Out of Mind http://www.youtube.com/watch?v=8G1tRCfMNxc

  スティーリー・ダン I.G.Y.  http://www.youtube.com/watch?v=0PfBYsII_Jw&feature=related

  スティーリー・ダン Peg http://www.youtube.com/watch?v=FkENeuzVtUM&NR=1 


「太陽がいっぱい」と「リプリー」

2009-03-06 | 日記・エッセイ・コラム
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ゴッドファーザー ― オリジナル・サウンドトラックゴッドファーザー ― オリジナル・サウンドトラック

 まみこさんのコメントに、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のテーマをピアノで弾いている、とあった。「太陽がいっぱい」の音楽は、イタリアの作曲家、ニーノ・ロータだ。

 
 ニーノ・ロータは、フランシス・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」の音楽でよく知られているだろう。もともとクラシックの作曲家で、オペラや交響曲の作曲ですでに名声を得ていたが、映画監督のフェデリコ・フェリーニに出会い、映画音楽の作曲家として世界に知られるようになった。160本いじょうの映画作品がある。きのうのブログに書いたオードリー・ヘップバーン主演の「戦争と平和」も、音楽はニーノ・ロータなのだ。本業のクラシックでは、オペラが10作、バレエが5作品、4曲の交響曲、そのほか協奏曲、管弦楽曲、オラトリオなど多数ある。

 

 ニーノ・ロータの経歴をみると、みごとにクラシックの人だ。祖父は、作曲家でピアニスト、祖母と母も優れたピアニスト、11才でオラトリオを作曲して天才といわれ、ミラノ音楽院に入学する。卒業してローマのサンタ・チェチーリア音楽院で作曲を学び、17才で卒業。すぐに奨学金でアメリカに留学して、フィラデルフィアのカーティス音楽院で2年間、作曲法と指揮法を学んだ。その間、ニューヨークで大指揮者トスカニーニや作曲家コープランドの教えをうける。

 

 イタリアに帰国して、ミラノ大学芸術科で文学と哲学を専攻する。卒論が、ルネッサンスのヴェネツィアの作曲家・音楽理論家ジョゼッフォ・アルリーノの音楽美学に関する論文だという。学問の人だ。大学を卒業して、音楽院の教師をやりならがオペラと交響曲を発表していく。こういうキャリアの人が、熟練の中年になって、本格的に映画音楽をつくるのだから、強力だ。伝統のイタリアオペラの専門家だ。歌心の何たるかを熟知している。

 

 わたしが小学低学年のころにもニーノ・ロータの映画音楽が流行っていた。フェリーニ監督の「道 La Strada(The Road)」のテーマ、「ジェルソミーナ」だ。

 

 フランス映画「太陽がいっぱい」(1960年)は、ルネ・クレマン監督の1960年の作品だ。この映画のアラン・ドロンは、衝撃的にハンサムだ。最近のイケメンなんて軽い言葉では、とうてい表現できない圧倒的な二枚目だ。この映画一本でアラン・ドロンはスーパースターになるのだが、それはとうぜんだろう、とだれも反論できない超越した二枚目だ。

 
 

 役は、大金持ちの放蕩息子の友人を殺してしまう貧しい青年だ。放蕩息子のガールフレンドに恋心を抱く。これが観客の女性たちの同情をさそった。放蕩息子は許しがたいほどゴウマンだった。あんなやつは殺されてとうぜんだ。あまりに貧しく、あまりに美しい青年に、お客は共感した。ほんとうは悪知恵の犯罪者なんだが……。

 

 あれが中途半端なイケメンだったり、ちょっとハンサムでマッチョだったりしたら、ただの凶悪な犯罪者になってしまう。出川のような男だったら、客の憎しみの対象だ。しかし、アラン・ドロンの美しさは、お客を映像のなかに感情移入させ、殺人者への同情とシンパシーをさそった。そして、ニーノ・ロータのせつない音楽が心をうつ。ルネ・クレマン監督のみごとなキャスティングと演出だ。

 

 これよりまえ、ルネ・クレマン監督のヒット作品に「禁じられた遊び」(1952年)がある。このテーマ音楽も大ヒットした。作曲・演奏は、スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスだ。いまはスタンダードの名曲になっている。

 

 フェデリコ・フェリーニ監督映画「道」のテーマ ニーノ・ロータ作曲 http://www.youtube.com/watch?v=W_dF0IUQ5bs

 ルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」 ニーノ・ロータ作曲 http://www.youtube.com/watch?v=cpNSsvSmBpo&feature=related

 ニーノ・ロータ ゴッドファーザーのワルツ http://www.youtube.com/watch?v=F9r6gV9XY7o&feature=related

 ニーノ・ロータ ゴッドファーザーのテーマ http://www.youtube.com/watch?v=hkTQdEZbjQA&feature=related

 ナルシソ・イエペス 禁じられた遊び http://www.youtube.com/watch?v=UN6tcdiqELk&feature=related

 

 「太陽がいっぱい」は、アメリカのミステリー作家、パトリシア・ハイスミスの小説 The Talented Mr. Ripley が原作だ。おなじ原作をもとにして1999年に「リプリー」が制作された。監督はアンソニー・ミンゲラ、マッド・デイモンとジュード・ローが出演した。この場合、原作がおなじでも、リメイクといわないらしい。なんだかよくわからない。原作の小説はおなじでもシナリオはちがう、ということなのかな。

 

 パトリシア・ハイスミスは、わたしが好きな作家のひとりだ。スリラー、ミステリーだ。1921年、テキサスで生まれ、1963年からヨーロッパに移り、1995年にスイスで亡くなった。映画化された作品も多い。ヒッチコック監督の「見知らぬ乗客」やヴィム・ヴェンダース監督の「アメリカの友」もパトリシア・ハイスミスの小説が原作だ。

Beautiful Shadow: A Life of Patricia Highsmith Beautiful Shadow: A Life of Patricia Highsmith


BOSSのCM、こんどは「ひまわり」

2009-03-05 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg2871 稲荷神社のさい銭箱に供えられた油揚げ

Cimg2875 作業服屋さんのウインドー

 

 

 民主党、小沢代表の記者会見は、何の説明にもなっていない。ただ自分は潔白だといっただけだ。「オレ、やってない」という悪ガキの言い訳なみに幼稚で、内容がない。記者との長い問答も、すべて、ああ言えば上祐の詭弁にすぎない。

 

 ずっと以前から、予想はしていたことだが、合法をつくろっても、じっさいにゼネコンに金をもらい、便宜供与をしていたことを、これで国民みんなが知ったろう。潔白どころか真っ黒いと気づいたはずだ。それに、ゼネコンだけじゃなく、背後には北朝鮮の影さえちらつく。こんな危ういやつを党首とあおぐ民主党もどうかしている。しかし、このままテレビと新聞のれんちゅうの世論操作がうまくいくと、おそくても秋には総理大臣になるわけだ。

 

 公設第一秘書が逮捕されたのだ。つぎは本人の事情聴取、逮捕、起訴、裁判が当然の流れだろう。だが、しかし、東京地検特捜とはいえ、野党第一党党首にはなかなか手だしができない。秘書どまりだ。だから、小沢は、党代表の座を降りない。降りたとたんに逮捕されるのを恐れてる。その恐れが、「異常な捜査だ」と何度も強調して、ことさら検察をけん制し、恫喝したのだ。

 
 

 このまま総選挙となれば、いっとき国会議員ではないが、選挙ちゅうに政党党首を検察がしょっ引くなどできない。ロシアやアフリカや南米の国のような野蛮なことはできまい。選挙となれば、ますます手がでないわけだ。そして民主党圧勝で、総理大臣になる。現職の首相の逮捕などできない。首相の指揮権発動で事件すべて握りつぶす。報復人事で担当した検察官たちを、対馬や奄美大島や稚内あたりに転勤させる。

 

 まあ、こんな下手なシナリオかな、小沢たちの絵図は。逆に、検察は、ここで完全に追いこまなければ、もし政権が変わるようなことにでもなると、強烈な報復人事にさらされることになるだろう。島流しだ。さて、東京地検と小沢、この攻防どうなるか? おもしろいね。

ひまわり

ひまわり

  サントリーBOSS“食後の余韻”のTVCM(北大路欣也、中村敦夫、吹越満出演)のバック・ミュージックは、ヘンリー・マンシーニ作曲の映画「ひまわり」のテーマだ。BOSS“贅沢微糖”のCMでは、おなじヘンリー・マンシーニの「刑事コロンボ」のテーマをつかっていた。このCMシリーズのディレクターは、ヘンリー・マンシーニの音楽が好きなんだね。気持ちはよくわかる。 

 

 ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」は、1970年公開のイタリア、フランス、ソ連、三国共同制作の映画だ。日本でも大ヒットした。音楽のヘンリー・マンシーニは、アメリカ人だが、イタリア人移民の子供だ。すでにハリウッド映画にはかかせないヒットメーカーだったが、イタリア系アメリカ人のミュージシャンとして、イタリアンリアリズムの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカが監督する「ひまわり」に参加することは、心おどる、名誉ある仕事だったろう。

 

 主演は、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニというイタリアの名優だ。戦後からこの時代まで、イタリア映画、フランス映画は、作品の質も、世界的な興行成績でも、アメリカ映画をリードしていた。イタリア、フランスだけなく、イギリス、スウェーデン、ポーランド、ソ連などヨーロッパ映画全体が高い芸術性をもち、エンターテイメントとしても優れていた。それはいまではまったく考えられない、忘れられたことだろう。そういうヨーロッパ映画全盛の世界的な大スターが、マストロヤンニであり、ソフィア・ローレンだった。

 
 

 ヨーロッパの役者は、アメリカ人のハリウッド俳優とは品位がひと味ちがっていた。ハリウッドで活躍した俳優でも、ヨーロッパからきた役者には、ある品格があった。「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンは、スウェーデンからきた俳優、マレーネ・ディートリッヒはドイツから、ベルギーで生まれたオードリー・ヘップバーンは、イギリスで役者のキャリアをスタートした。(いま、わたしが好きなアンソニー・ホプキンスやジュード・ローもイギリスの俳優だ)。

 

 映画「ひまわり」は、戦争に翻弄された、イタリア人夫婦とロシア娘との悲劇だ。第二次世界大戦が終わり、ロシア戦線で行方不明になったイタリア兵の夫マストロヤンニを、妻のソフィア・ローレンが、ウクライナまでさがしにいく。夫マストロヤンニは、敗走する途中、飢えと凍傷で倒れ、ロシア娘に助けられて、その娘と結婚してウクライナで暮らしていた。子供もいる。

 

 イタリア人の妻ソフィア・ローレンは、ウクライナをさがしまわり、やっと生きていた夫をみつける。そして、若いロシア人の妻といっしょにいる夫に駅で出会う。このときのふたりの名優の表情は、みごとだ。妻ソフィア・ローレンは列車に飛び乗り、大泣きする。というはなしだが、悲劇はこれで終わらずまだまだ先がある。それは、DVDでみてほしい。いまみても泣ける。音楽もすごい。泣き顔をみられたくない人は、ひとりでみることをすすめる。

 

 悲劇の三角関係のもうひとり、ロシア娘を演じるは‘ロシアの名花’、ソ連の女優、リュドミーラ・サヴェーリエヴァだ。1967年公開のソ連映画、トルストイの「戦争と平和」のナターシャ役で世界を魅了した美女だ。この映画は、アカデミー外国語映画賞を受賞して、日本でもヒットした。(今年の日本映画「おくりびと」とおなじ賞)。

 

 わたしの、札幌大学外国語学部ロシア語学科の同級生のなかに、「戦争と平和」のリュドミーラ・サヴェーリエヴァのナターシャをみて、ロシア語を学ぶことにした、という男たちが何人もいた。気持ちはわかる。共産主義・ソ連にあこがれて、とか、レーニンを尊敬しているから、とかいうやつらよりは、動機が単純で、カワイイ。

 

 このリュドミーラ・サヴェーリエヴァのナターシャの10年まえに、アメリカ映画の「戦争と平和」が大ヒットしていた。このナターシャは、オードリー・ヘップバーンなのだ。わたしは、ソ連のナターシャを先にみてしまっていたので、名画座みたいなところでみたヘップバーンのナターシャにはあまり心が動かなかった。

 

 映画「ひまわり」がヒットして、サントラ盤がLPもシングルもよく売れた。1970年だから、ビートルズの「レット・イット・ビー」がリリースされた年だ。世の中はもう、ニューロック、アートロックの時代に突入していた。だが、このあまりにも甘美で、切なく哀しくセンチメンタルな、イタリア、イタリアのメロディの、「ひまわり」のサントラが売れに売れたのだ。美しい曲は、どんな時代でも受けいれられる。

 ひまわりhttp://www.youtube.com/watch?v=zEQX6sOBT7w     


ダニー・ハザウエイは、「ジェラス・ガイ」を演奏していた

2009-03-04 | 日記・エッセイ・コラム
Roberta Flack & Donny Hathaway Roberta Flack & Donny Hathaway
Live

Live

 ダニー・ハザウエイは、ロバータ・フラックとおなじハワード大学でクラシックを学んだ。1972年、ふたりのデュエット・アルバムが発売になった。サウンドコーナーでは、このLPとライブ盤が売れた。小さいときからゴスペルとクラシック音楽でつちかった、ピアノのテクニックと洗練された作曲、アレンジのセンス、そして確かな歌唱力は、新しい世代のソウルミュージシャンとして期待されていた。だが、しかし、重い鬱病に苦しむようになる。そして、1979年1月、ニューヨークのホテルの部屋から飛び下りてしまう。33才だった。

 

 ダニー・ハザウエイは、ライブでは白人の作品をとりあげた。レオン・ラッセル「ソング・フォー・ユー A Song for You」、キャロル・キング「君の友だち You've Got a Friend」、ジョン・レノン「ジェラス・ガイJealous Guy」などだ。1969年のデビューから亡くなる1979年の間に、5枚のアルバムと1枚のライブ、そしてベスト・アルバムを発売した。いま再評価され、娘のLalah Hathaway も活躍しているようだ。

 

 「ジェラス・ガイ」は、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーのカバーも好きだ。このバージョンは、1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されたあと、ジョンを追悼して翌年2月に発売された。このレコードを聴いたときは、悲しみがよみがえった。オリジナルは、ジョンの1971年のアルバム「イマジン」、A面3曲目だ。

 ダニー・ハザウエイ Put Your Hands In The Hand  http://www.youtube.com/watch?v=meKUsZkXgEc&feature=related

  ダニー・ハザウエイ Jealous Guy http://www.youtube.com/watch?v=OeBSa71RIGI&feature=related

   ロキシー・ミュージック(ブライアン・フェリー) Jealous Guy http://www.youtube.com/watch?v=IWJDLgfzNgQ

  ジョン・レノン Jealous Guy http://www.youtube.com/watch?v=6lLs2dC9NaE&feature=related


「アメリカン・パイ」と Killing Me Softlyの関係

2009-03-03 | 日記・エッセイ・コラム
Killing Me Softly Killing Me Softly
First Take First Take

 ひどく寒いと思っていると、雪になっていた。3月3日に、雪だ。

 きのう、ロバータ・フラックの名曲「愛は面影の中に First Time Ever I Saw Your Face」が、クリント・イーストウッド監督の映画「恐怖のメロディ」の挿入歌だった、と書いた。この曲は、ロバータ・フラックのファースト・アルバム「First Take」(1969年)に入っていた。クリント・イーストウッドが映画につかってはじめてヒットしたのだ。クリント・イーストウッド監督は、2年まえに発売になっていた無名ミュージシャンのLPから、この曲をみつけだし、ロバータ・フラックの存在を全米、全世界に知らしめたわけだ。

 

 この曲のオリジナルは、1957年にイギリスのフォーク・シンガー、イワン・マッコールが、ペギー・シーガーのために書いたフォークソングだ。アメリカのフォーク・シンガー、ペギー・シーガーは、ピート・シーガーの腹違いの妹。ピート・シーガーは、日本でもよく歌われた「花はどこへ行ったWhere have all the flowers gone?」の作者だ。(ペギー・シーガーは、中島みゆきによく似ている。というか、逆だ。中島みゆきは、ペギー・シーガーに似ている)。

 

 その12年まえのフォークソングをみつけてきて、ファースト・アルバムでカバーしたロバータ・フラックの選曲のセンスと、その洗練されたアレンジは、みごとだ。ロバータ・フラックには、「やさしく歌ってKilling Me Softly with His Song」の大ヒットがある。この曲もまた名曲だ。たくさんのカバーがあるが、最近では、ヒップホップのフージーズ The Fugees のカバーで知ったひとも多いだろう。ロバータ・フラックは、1973年のグラミー賞をこの曲で受賞した。

 

 しかし、Killing Me Softly with His Song のオリジナルは、ヒップホップのフージーズとはかけ離れた白人の女性フォーク・シンガーの曲だ。1972年、最初にレコーディングしたのは、ロリ・リーベルマンだ。彼女が、ドン・マクリーンのコンサートに感動して書いた詩から、チャールズ・フォックスとノーマン・ギンベルが作った曲だ。つまり、Killing Me Softly with His Song の "with His Song" は、ドン・マクリーンの歌のことなのだ。そのHis Song とは、きっと「アメリカン・パイ American Pie」を指しているにちがいない。

 

 ロバータ・フラックは、ロリ・リーベルマンのKilling Me Softly with His Song を気に入り、クインシー・ジョーンズのプロデュースでレコーディングをした。このときも、ロバータ・フラックの曲をみつける感性は、じつにすぐれている。アレンジがまたすばらしい。そのあとのさまざまなミュージシャンのカバーは、ロバート・フラッグのアレンジを元にしている。

 

 ドン・マクリーンは、1972年に「アメリカン・パイ」のビッグヒットがあるシンガーソングライターで、この曲は、日本でもよく売れた。歌詞の内容は、1959年のバディー・ホリーの飛行機事故から、ビートルズのこと、ストーンズのこと、音楽のこと、青春のはちゃめちゃな日々ことなど、いろいろで、支離滅裂、日本人にはとても難解な歌詞だ。だが、アメリカ人の客たちは、大合唱になる。8分以上の長い曲だ。日本では、この「アメリカン・パイ」一曲しかヒットしなかったが、ドン・マクリーンのオフィシャル・ページをみると、途切れることなくアルバムを発表して、いまも活躍している。

 

American Pie American Pie

 

 1997年に、ヒップホップ・グループ、フージーズがグラミー賞ベストR&Bグループ賞をとったシングル「キリング・ミー・ソフトリー・ウイズ・ヒズ・ソング Killing Me Softly with His Song 」は、そのまえ、1973年に、ロバータ・フラックによって歌われ、グラミー賞をとっていた。そしてまた、そのオリジナルは、ドン・マクリーンのコンサートに触発された白人女性シンガーのインスピレーションから作曲された、というわけだ。つまり、"アメリカン・パイ" ドン・マクリーンに捧げた曲なのだ。

 

 ロバータ・フラックは、1937年生まれ。ハワード大学でクラシックのピアノと声楽を勉強して、教師やナイトクラブのピアニストをやってからデビューした。メジャー・デビューが1969年、32才だ。大学入学が、なんと15才、卒業19才という音楽の才能にめぐまれた人だが、大学院生のとき、突然父親が亡くなってしまい、音楽教師の仕事につく。それからデビューまで、下積みのミュージシャンとしてずいぶん苦労したようだ。しかし、ロバータ・フラックの歌う「愛は面影の中に First Time Ever I Saw Your Face」と、「やさしく歌って Killing Me Softly with His Song」は、まさに名唱だ。

 

  ロバータ・フラック Killing Me Softly with His Song http://www.youtube.com/watch?v=-B1wdau8uHU&feature=related

  ザ・フージーズ Killing Me Softly with His Song  http://www.youtube.com/watch?v=ighu4gGlaUE&feature=related

 ロリ・リーベルマンKilling Me Softly with His Song  http://www.youtube.com/watch?v=n2eHqctEPJE&NR=1

 ドン・マクリーン American Pie http://www.youtube.com/watch?v=iMlzfpwJZuc&feature=related

  ドン・マクリーンcom. http://www.don-mclean.com/

  ソニー・ミュージックのザ・フージーズのページ http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/SR/Fugees/

  ロバータ・フラックcom.  http://www.robertaflack.com/

 ロバータ・フラック The First Time Ever I Saw Your Face http://www.youtube.com/watch?v=nI7gzXz1cHo

 ペギー・シーガー The First Time I Saw Your Face  http://www.youtube.com/watch?v=brC3EJh9nSY

Cimg2870 散歩道の近所のレストラン

Cimg2868

Cimg2869 その隣のバー


NTT光、解約

2009-03-02 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg2858 ずいぶん久しぶりにみる青空だ。

Cimg2864 満開の桜

Cimg2861 ソメイヨシノの蕾は、まだかたい。

 

 

 NTT東日本は、ダメだ。FLET'S光の契約をして、きょう、光ケーブルの工事にきた。しかし、配線のパイプに通線ワイヤーが通らない、と諦めて帰ったのだ。細いワイヤーなら通るだろうから、出直す、というのだ。細い通線ワイヤーは持ってきてないのかい! メタルのケーブルが通ってるんだ。光のケーブルが通らないわけはないんだ。

 

 (わたしは、電話工事と光ケーブル工事の警備員もやっていた。通線ワイヤーとは、直進性、弾性のあのワイヤーで、まず配管のなかを通して、その先端に電線や光ケーブルを結びつけて引っ張る)。

 

 工事の職人が出直す、というから、おそくても明日か、と思っていたら、NTTから電話で、土曜日になるという。また1週間だ。その日にまた立ち会わなくちゃならん。申し込んでから工事まで7週間、そしてきょうの工事日、そしてまた1週間。ここはアフリカか? とても日本人の仕事のやり方とは思えない。とても日本人のメンタリティーとは思えない。第三世界、開発途上国だ。

 

 それも、NTT下請けの代理店から、1月16日に付帯工事が終了、1月末日設備工事完了、だから契約してくれ、と売りこんできたのだ。申し込みをすると、工事は、2月の13日になる、と連絡がきた。きょうは、2月13日か? なんどかNTTと話して、やっときょうの工事になった。そしてこのざまだ。

 

 客をナメきったやつらにつき合わされるのも腹立たしい。NTT東日本の光は、やめた。すべてキャンセルした。NTTは、電電公社のときの役人体質からなにも変わっていない。もう二度とNTT光にはつきあわない。

  

 

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 78才のクリント・イーストウッド監督は、老いて衰えるどころか、ますます勢力的に作品を発表している。すさまじい創作意欲に敬服するばかりだ。

 

 音楽好きのクリント・イーストウッドが、ラジオのDJを演じた映画がある。最初の監督・主演の劇映画だ。1971年のこと、「ダーティー・ハリー」のヒットのすこしまえだ。邦題は「恐怖のメロディ」だが、原題の "Play Misty For Me " が内容をストレートに現している。エロール・ガーナーのピアノの名曲「ミスティー Misty」が重要な役をする。

 

 DJ・クリント・イーストウッドに、いつも電話で「ミスティー」をリクエストしてくる女がいる。DJ・イーストウッドのファンなんだ。ある夜、いつも番組が終わってから立ち寄るバーに、女が待ちぶせしている。つい女の誘いにのって、一晩遊んでしまう。すると、この女が不気味なストーカーになって、執拗につきまとうようになる。スリラーだ。ジェシカ・ウォルター演じるストーカー女が、じつに狂気じみて執念深く、不気味で恐ろしい。

 

 この映画のサントラには、"Misty" のほかにも名曲がつかわれている。ロバータ・フラックの 「愛は面影の中に」"First Time Ever I Saw Your Face"、ジョニー・オーティス "Willie and the Hand Jive" 、キャノンボール・アダレー "Country Preacher" などだ。

   

 エロール・ガーナー Misty http://www.youtube.com/watch?v=nAaZzQWk8V4&feature=related

   ラバータ・フラック First Time Ever I Saw Your Face   http://www.youtube.com/watch?v=nI7gzXz1cHo

   ジョニー・オーティス Willie and the Hand Jive  http://www.youtube.com/watch?v=TEeeGMpM_Nk

  キャノンボール・アダレー County Preacher   http://www.youtube.com/watch?v=b21aHEDDPiA

 IMDb(The Internet Movie Database) のクリント・イーストウッドのデータ http://www.imdb.com/name/nm0000142/