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古い曲が気になる

アニマルズの「朝日のあたる家」も1964年のリリース

2019-10-31 | 日記・エッセイ・コラム

イギリス・リバプールのビートルズがアメリカのヒットチャートを席巻していた1964年、秋9月、やはりイギリス・ニューキャッスルのバンド、アニマルズの「朝日のあたる家 The House of the Rising Sun」が全米ナンバー1になった。
「朝日のあたる家」は、アメリカのフォークシンガーが好んでレパートリーにした作者不詳のトラディショナルなフォークソングで、1962年、ボブ・ディランはデビューアルバムでこの曲を取り上げている。



ANIMALISMS
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ボブ・ディラン
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1964年、ビートルズがアメリカのヒットチャートを席巻した

2019-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

バーブラ・ストライサンドの「ピープル」がビルボードHOT100の5位だった1964年6月27日の週、ナンバー1はピーターとゴードンの「愛なき世界 A World Without Love」だった。この曲はレノン/マッカートニーの曲。

この1964年、ビートルズがアメリカのヒットチャートを席巻した年だ。この年の、23曲の全米ナンバー1ソングのうちなんと6曲がビートルズ、そしてレノン/マッカートニー作品のピーターとゴードン「愛なき世界」もまた全米1位になった。

1964年のビートルズの全米ナンバー1ソングとは、「抱きしめたい I Want to Hold Your Hand」「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ラヴ・ミー・ドゥ」「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア! A Hard Day's Night」「アイ・フィール・ファイン」の6曲。













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「追憶 The Way We Were」は、1974年2月ナンバー1に

2019-10-26 | 日記・エッセイ・コラム


バーブラ・ストライサンドが歌う映画『追憶 The Way We Were』(1973年)の主題歌は、1974年2月ビルボードHOT100のナンバー1になった。バーブラ・ストライサンドは1964年から1972年まで18枚のシングルをHOT100入りさせていたが、この「追憶 The Way We Were」が初めてのナンバー1シングルだった。(「ピープル」は1964年6月5位、「ストーニー・エンド」は1971年1月6位)。



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「I Can See Clearly Now」は、ジョニー・ナッシュがオリジナル

2019-10-24 | 日記・エッセイ・コラム

ジミー・クリフが歌ってヒットした映画『クール・ランニング』(1993年)の主題歌「I Can See Clearly Now」は、ジョニー・ナッシュがオリジナル。1972年の全米ナンバー1の大ヒット曲。映画『クール・ランニング』は、1988年カルガリー冬期オリンピックに出場したジャマイカのボブスレー・チームの実話をもとにしたコメディ。





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ジミー・クリフ主演『ハーダー・ゼイ・カム』

2019-10-23 | 日記・エッセイ・コラム

「世界にレゲエをもたらした」といわれるジミー・クリフ主演のジャマイカ映画『ハーダー・ゼイ・カム The Harder They Come』(ベリー・ヘンゼル監督)は、1972年の制作。(日本公開は1978年4月)。

「You Can Get It If You Really Want」「Stitting in Limbo」も『ハーダー・ゼイ・カム』の挿入歌。

ジャマイカは、1962年8月までイギリスの植民地、現在はエリザベス女王を君主とする英連邦の一国。








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ローラ・ニーロ

2019-10-21 | 日記・エッセイ・コラム

スリー・ドッグ・ナイトがカバーした「イーライズ・カミング」、フィフス・ディメンションの「ストーンド・ソウル・ピクニック」「ウエディング・ベル・ブルース」、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの「And When I Die」、そしてバーブラ・ストライサンド、ロンダ・ロンシュタット、ダイアナ・ロスなどが歌った「Stoney End」。これらのオリジナルは、ローラ・ニーロのファースト・アルバム『More Than a New Discovery』とセカンド・アルバム『イーライと13番目の懺悔』に収録されている作品。















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「Heartbreak Hotel」と「Joy to the World」

2019-10-19 | 日記・エッセイ・コラム


「ハートブレイク・ホテル」(1956年4月)はエルビス・プレスリーの最初の全米ナンバー1ソング。この曲の共作者がトミー・ダーデンとメー・ボーレン・アックストン。このヒットからちょうど15年後、1971年4月、スリー・ドッグ・ナイトの「Joy to the World 喜びの世界」がビルボードHOT100のナンバー1になり、じつに6週間1位を保った。この曲の作者はホイト・アックストン、「ハートブレイク・ホテル」の共作者メー・ボーレン・アックストンの息子なのだ。






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Joy to the World / Country Anthem
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スリー・ドッグ・ナイトの「ワン」

2019-10-17 | 日記・エッセイ・コラム

1969年の夏にヒットしたスリー・ドッグ・ナイトの「ワン One」は、ハリー・ニルソンがオリジナル。ニルソンのシングル盤の「ワン」は、その前年1968年2月のリリース。スリー・ドッグ・ナイトは、ダニー・ハットン、チャック・ネグロン、コリー・ウェルズの3人のボーカルがいるバンド。「ワン」のリードボーカルはチャック・ネグロン。



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「ブルー・ヴェルヴェット」は、トニー・ベネットが最初にレコーディング

2019-10-15 | 日記・エッセイ・コラム

「ブルー・ヴェルヴェット Blue Velvet」は、ボビー・ヴィントンのバージョンで初めて聴いたが、トニー・ベネットはパーヒー・フェイス・オーケストラと1951年に録音している。それがこの曲最初のレコーディング。ボビー・ヴィントン版は1963年9月、全米ナンバー1になっている。

2011年、トニー・ベネットはk.d.ラングと「ブルー・ヴェルヴェット」を歌っている。





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トム・ジョーンズ、エンゲルベルト・フンパーディンク、そしてギルバート・オサリバン

2019-10-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

http://www.gordonmills.co.uk/

トミー・スコットがトム・ジョーンズ、アーノルド・ジョージ・ドージーはエンゲルベルト・フンパーディンク、そしてレイ・オサリバンはギルバート・オサリバンの名で成功をつかんだ。この3人のマネージャーがゴードン・ミルズ Gordon Mills。

「野生のエルザ」「いつも心に太陽を」、そして「ベンのテーマ」、作詞はドン・ブラック

2019-10-11 | 日記・エッセイ・コラム

マット・モンローの「野生のエルザ」、ルルの「いつも心に太陽を」、そしてマイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」、この大ヒットした映画のテーマソングはいずれもイギリスのドン・ブラック Don Blackが作詞をしている。「野生のエルザ Born Free」は1966年アカデミー賞の歌曲賞、作曲がジョン・バリー。「いつも心に太陽を To Sir With Love」(1967年)と「ベンのテーマ Ben」(1972年)はビルボード・ナンバー1になっている。