Ommo's

古い曲が気になる

国原楽器さん

2011-05-31 | 日記・エッセイ・コラム

                                    

 帯広の国原楽器店に勤めていた、“まっきー”さんからコメントをいただいた。ありがとうございます。国原楽器さん、なんともなつかしい。

 わたしが、帯広駅前でレコード店の店長をはじめたと同じ時期、旭川が本店の国原楽器が、大通りに帯広支店を開店した。国原さんは、レコードの卸しもやっていたので、ずいぶんお世話になったものだ。

 いまでは想像もつかないだろうが、北海道の帯広には、驚くほどたくさんのレコード店があった。そのことは以前も書いたが、帯広駅ビルにサウンドコーナー本店があって、駅前にわたしのサウンドコーナー支店があった。西2条にいくと、加藤電気店、河合楽器店、及川電気店、ムジカ。藤丸デパートのなかに浅原栄陽堂支店、広小路に浅原栄陽堂本店、そして、大通りに国原楽器店があった。小さい町の、200m×200mくらい繁華街に、じつに9店舗のレコード屋があったのだ。

 じっさい、人口16万人たらずの町としては、驚異的な売上金額だったのだ。その特異で大きなマーケットは、小樽・札幌で店舗展開する資本にねらわれ、西2条の中心地に大規模店を出店されて、地元の弱小店は壊滅するのだが……。ともかく。

 わたしが、ニューミュージックやロックのプロモーターをはじめたとき、井上陽水や荒井由実や浜田省吾など、旭川でのコンサートは、チケットのほとんどを国原楽器店さんで売っていただいたものだ。

 

                             

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 梅雨だ。紫陽花の季節だ。

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 きょうの、衆議院震災復興特別委員会も、おもしろいよ。菅直人、枝野、海江田が、いかにデタラメなやつか、よくわかる。どんな映画より、現実の日本の民主党の野郎が、無責任、卑劣で、エグイ。口先の自己弁護はいくらでもできる、左翼のオハコ、内容のない時間稼ぎ、ゴマカシの饒舌だ。菅・枝野・海江田の卑劣さは、小説や映画などフィクションの、どんなコズルイ人物も、甘いものだ。

 いままで、こんなデタラメで、ウソつきの総理は、いない。スゴすぎる。この未曾有の災害に、無能なのに、自己愛のためだけに、権力に固執する。こんなやつは、長い日本の歴史にいない政治家だ。菅直人のような、粘着質で、デタラメで、愚劣な感性の日本人は、いままでの日本の政治家、武士、軍人に、いないな。

 震災被災地で、原発事故被災地で、いま、こいつら無能で、デタラメな菅直人たちに見殺しにさせていく人々が、どれほどいるか。

 田中康夫さんの質問からみるのがいいかな。つぎの、自民党・中川直秀議員の質問は、圧巻だ。(左のビデオライブラリのカレンダー、31日にポイントして、震災復興特別委員会をクリック) http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php


復興は、自民党・公明党・共産党にやらせろ

2011-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

                                     

 大震災の、この大事な復興のときに政治家は、政局かい! とテレビのやつらは言う。しかし、ちがう。ちがうのだ。こういう国難だからこそ、ちゃんとしたプロフェッショナルな政治家に国政をゆだねなければ、ダメだ。

 いまこそ、政権交代が必要なのだ。

 いま必要なのは、地域の代表で、地域の利権を代表している政治家だ。現実の、百姓、漁民、土建屋、そこで働く生活者、その利益を守るために働く政治家が必要だ。

 いま、この国難をのりきる政治家は、社会主義革命を説く政治家でも、共産革命にあこがれる政治家でもない。ましてや、朝鮮人のパチンコ屋からお小遣いをもらう、いやしい市民運動家でもない。

 この国難をのりこえ、国土を復興させるのは、自分の町、村、自分の育った土地と人が大事という基本の概念をもっている政治家だ。つまり、憲法9条が大事なんてやつは、ダメだ。そいつらの政治思想は、理念にしか、すぎない。

 (日本共産党は、不思議な政党だ。いまや、日本で一番マトモな政党だろう。『共産』という看板をはずして、党名を変えたほうがいい。共産革命など“愚”だと、人類だれも知っている。実際、日本共産党は、共産革命と決別して、じつに誠実な人権養護の活動をしているだろ。不思議な政治集団だ)

 国難だ。だからこそ、数ヶ月の政治混乱はいい。まともで、誠実で、なにより経験があって、官僚に信頼される、有能な政治家に、国政をゆだねなくちゃ、ダメだ。

 (一度やらしてみたら、とか、自民党にお灸をすえる、は、大きなリスクだった、ということだ。ルーピー鳩山のつぎは、バカ菅・直人だ。ため息もでない)


ラウンド・アバウト・ミッドナイト

2011-05-28 | 日記・エッセイ・コラム

           

 強い地震があった。また、地震だ。

 なぜか、セロニアス・モンクの話がしたい。『ラウンド・ミッドナイト』という名曲の作者だ。この曲が好きだ。モンクは、高校時代から大好きなジャズ・ピアニストだ。かなり破天荒、型破りなピアノ奏法が注目されたのだが、すばらしいメロディーメイカーなのだ。20世紀の偉大な作曲家のひとりだ。と、わたしは思う。

 高校生のとき、大学のとき、わたしは、ジャズ好き、音楽好きだというやつらとよく議論した。セロニアス・モンクは、すごいよ、と言っても、だれもわかってくれない。

 セロニアス・モンクのすごさを共感できたのは、わが帯広三条高校・山岳部の先輩、カツミさんかな。ソロのモンクもいいよ、と教えたくれた。

Solo Monk

  マイルス・デイヴィス Round Midnight http://www.youtube.com/watch?v=td3SE3zEVP0&feature=related

  サラ・ボーンwith ガレスピー Round Midnight http://www.youtube.com/watch?v=QoiY8HJFbfw&feature=related

                               

 セロニアス・モンク Round About Midnight http://www.youtube.com/watch?v=OMmeNsmQaFw&feature=related

  


永代橋を渡る

2011-05-27 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 ひさしぶりに、秋葉原にでかけた。近所の家電量販店で製品を買うと数千円はするものを、100円くらいのジャンク品をバラして、部品をとって組み合わせるといいかな、と思ってジャンク品をあさりにでかけたのだ。ほしかった物は、120円くらいでそろった。あとは、バラして、必要な部品だけとって、いろいろハンダ付けをしたりすると、目的の物はできる。

 震災直後の薄暗さはもうなく、秋葉原は、震災まえのにぎわいがもどっていた。パソコン・ブームのころとは違って、電気街はそこそこだが、アニメオタクの街のにぎわいが復活していた。チラシくばりの、メイド姿のおネイちゃんが街にあふれていた。

 秋葉原の帰り、人形町通りを歩いて、人形町まででた。ここは、歌舞伎公演の明治座や水天宮がある、古い街だ。町名のように、江戸時代は、人形作りの職人の町だ。日本橋も兜町も近いせいか、東京の下町繁華街では、雰囲気が洗練されている。数年まえ、日本橋小網町のビル改修工事で、この界隈に一年くらいいた。なつかしい街だ。

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 人形町から、東京証券取引所がある兜町を通って、茅場町にでた。ここまで歩くと、永代橋を歩いて、隅田川をみたい。永代橋の上で立ち止まって、隅田川のほとりの高層ビル群の夜景をながめた。

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 門前仲町まで歩いて、もっとむこう、東陽町まで行こうか、と心は騒いだ。だが、思いとどまり、涙をのんで、門前仲町で地下鉄に乗った。

 そのまま歩いて東陽町までいくと、きっと、その先、荒川の橋を歩きたくなる。荒川大橋を越えると、いっそ、江戸川まで行こうか、と思う。そうして、千葉県の、じぶんの部屋まで歩くことになる。日本橋小網町からは、3時間かかる。

 いい運動にはなる。歩いていると、さまざまな考えが浮かぶ。それも楽しい。しかし、今夜、読もうとしていた本もあった。観ようとしていた映画もある。やたらと歩くのが好きだが、そればかりやってられない。

 そんなわけで、涙をのんで、門前仲町で長い散歩を断念して、地下鉄に乗って帰ってきた。


エストニアの歌の祭典をみたい!

2011-05-25 | 日記・エッセイ・コラム

                   

 今夜は、エストニアの映画をみた。ときどき、英語でない言語の映画がみたくなる。近所のビデオ屋の、ロシア語とスペイン語、ドイツ語、ポルトガル語の映画は、ほとんどみた。だいたい、それらの言語の映画は、レンタル・ビデオには、あまり数がない。

 言葉は、わからなくていい。わからないほど、その言語に興味が湧いて、映画がおもしろい。

 きょうみた映画 Nimed marmortahvlil (Names in Marble バルト大攻防戦)は、エストニア語で、まったく理解できない言語だ。だが、じつに美しい響きの言葉で、洗練されている。これは、すこし勉強してみたい。

バルト大攻防戦 [DVD]

 エストニアには、1889年から開催されている、世界的に有名な音楽祭がある。5年ごとに開催される、エストニア・タリン・歌と踊りの祭典だ。2万人の合唱と8000人の踊り手、そして、10万人の観衆という大フェステバルだ。踊りとは、伝統のフォークダンスだ。

 小国のエストニアは、ロシア、フィンランド、ポーランド、ドイツ、ソ連と、なんども隣接する大国に支配されてきた。ソ連の支配から解放されたのは、すこし前、1991年のことだ。それゆえに、民族意識、国歌意識は、非常に高い。数百年、独立のために、大国と戦って、多くの国民が犠牲になってきた。

 エストニアの国民にとって、この音楽祭は、民族の心をひとつにする大切な祭典なのだ。

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 2004年の合唱祭の映像をみたとき、『これは、ぜひ、生きてるあいだに、みたいものだ』と、思った。ロック・フェスとか、ジャズ・フェスとは、なにか根本的に違う音楽祭だ。2009年にも行けなかったから、次は、2014年。ぜひ、みたい。

      2009年のオープニング http://www.youtube.com/watch?v=17kAz4X-zY4&feature=related

 (今年6月、ユースの歌と踊りの祭典があるようだ)

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 この音楽祭のエンディングは、「わが祖国、わが愛」という歌。ソ連邦に組み込まれていたときは、おおやけの場で歌うことができなかった歌だという。愛国の歌、国家賛歌だ。第二の国歌というほどエストニア国民に愛されているという。エストニア語で、Mu isamaa on minu arm というようだ。英語に訳すと My Fatherland is My Love 。

  わが祖国、わが愛  Mu isamaa on minu arm http://www.youtube.com/watch?v=34mYlYkzPVU

  Ta lendab mesipuu poole http://www.youtube.com/watch?v=M_lc92Rq4j4&feature=related

      Tuljak http://www.youtube.com/watch?v=WCifZHi525Y&NR=1

                      

      エストニア・タリン ユース・ソング&ダンス・セレブレーション2011 http://maa-ja-ilm.laulupidu.ee/english/


莫大な税金を使って冤罪はつくられる

2011-05-24 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 布川事件再審で、無罪判決がでた。まだ検察が控訴を断念してないから、無罪が確定したわけではない。だが、冤罪の可能性が高い。

 冤罪は、多額の税金をムダにしている、という事実を、国民は自覚してない。冤罪は、自分らの金、税金を莫大に使って成立している、ということだ。この冤罪の、金銭的な視点が国民にない。これも、いつまでたっても冤罪がなくならない、その原因のひとつだ。

 莫大な税金を使って、無実の人の人生をぶち壊し、そして、最悪なことに、莫大な税金を使って、みすみす真犯人を取り逃がしている、ということ。じつに愚かなことだ。その冤罪をつくる費用を、国民が負担していて、その国民自身に、その認識がない。だからいつまでたっても、冤罪はなくならない。

 きょう無罪判決がでた布川事件でも、もし無罪が確定すれば、有罪判決で29年刑務所にいた二人に、2億円前後の国家賠償をすることになるだろう。国民の金だ。これは、捜査を指揮した警察官と、訴訟を担当した検事が、国庫へ与える大きな損害だ。裁判官もまた、責任は重い。

 この金は、その責任者たちに返還請求をするべきだろう。だが、いまの法では、公務員に金銭的な責任を負う、そんな義務はない。だから、ダメなのだ。冤罪が確定した事件では、捜査の指揮官と訴訟の責任者、そして、有罪判決を下した裁判官に、ムダにした税金を負担させるべきなのだ。そう、捜査と裁判の責任者、その個人に、捜査と裁判に使ったすべての費用を請求するのだ。

 警察、検察を監督する最高責任者、大臣の責任も重い。政治家も、冤罪の金銭的な責任を負うべきだろう。(当時の大臣にも、冤罪に費やした税金の賠償請求するのだ。死んでいれば、相続人に請求するのだ)。

 しかし、いま、警察も検察も、失敗の金銭的な責任は、いっさい負う必要がない。だから、悲しいが、永遠に冤罪はなくならない。(人は、自分のフトコロが痛まないかぎり、真剣にならないものだ。自白を強要して、無実の人の人生を破壊しても、およそ他人事。上司に指示されている現場は、自分の身が大事。正義もクソもない)

 冤罪の金の問題は、無実で留置所、刑務所にいた期間の国家賠償だけでない。無実の人を自白に追いこんだ、警察の捜査にかかった莫大な税金。検察が、冤罪をでっち上げるのに使った、莫大な税金。そして、裁判にかかった莫大な税金。その税金のすべてが、ムダ、無意味だ。それどころか、冤罪という重大な国家犯罪に税金が使われ、国民ひとりひとりは、間接的に冤罪に加担している。つまり、でっち上げの重大犯罪の費用負担を、国民がしているのだ。

 ともかく、冤罪にかかわった公務員たちから、経費、給料、賠償金、使った税金すべて返してもらうことだ。本人が死んでいれば、資産・財産を相続した遺族に請求する。それが、冤罪を防ぐ唯一の方法かな?

                        

 徳島ラジオ商殺人事件、という、じつに悲惨な冤罪事件がある。事件は、1953年(昭和28年)に起きた。強盗殺人事件だ。一年たって、捜査にいきづまった警察と検察は、あろうことか、殺害された被害者の妻を逮捕する。

 (寝ていたラジオ店主人を殺害して逃亡する犯人を目撃した、住み込み店員がいた。この少年も、警察と検事に、脅しつけられ、当初の証言を変え、侵入者はいない、という調書にサインをした。この少年の人生も、公務員たちの間違った捜査のために、破滅した)

 妻は、自白を強要されて犯人とされ、裁判で有罪になり、懲役13年の刑をうける。服役して出所した冨士茂子さんに、再審で無罪判決がでたのは、1985年(昭和60年)のことだ。事件から、じつに32年がたっていた。このとき、すでに冨士さんは、ガンで亡くなっていた。死後6年、やっと無罪が証明されたのだ。哀しい話だ。

 この徳島ラジオ商殺人事件に関しては、いくつか本がでている。わたしは、十代のとき、開高健の『片隅の迷路』(1962年)で、この冤罪事件の恐ろしさを知った。

 『片隅の迷路』は、この事件をモデルにした小説だ。フィクションだが、無罪が確定してみると、かぎりなく事実に迫るドキュメンタリー小説だとわかる。

 警察と検察に、自白に追いこまれ、絶望して、心が折れていく女性の心理描写は、真に迫る。昼夜を問わずつづけられる、脅迫じみた自白の強要と、娘をつかった泣き落としに、心が折れる。捜査官が書いた作文の、やってもいない、夫殺しの自白調書にサインをする。そして、被告の証言が、まったく聞き入れられない、不条理な裁判。有罪判決を下した、無能な裁判官の罪は、じつに重い。

     

 読んだのは、もう40年以上も前のことなのに、読んでいたときの、いら立ちと歯がゆさ、やりきれない気持ちと恐怖が、いまもよみがえる。

 巨額な税金を使って、警察・検察・裁判官、この役人たちがよってたかって、無実の女性の人生をメチャクチャに破壊する。その身内・家族の生活も破綻させる。しかし、無罪と明確に証明されても、無実の市民を追いこんで、犯人にでっち上げた公務員のだれ一人責任を問われない。ひどい話だ。日本の不条理。日本の闇だね。この司法の役人たちの、やりたい放題の尻拭いは、国家賠償という、またまた国民の血税だ。

 税金で冤罪をつくり、税金でそれを償う。バカな話だ。

             

 弱い立場の無実の人が、いかにして犯人にされ、有罪になるか、日本の冤罪の現場をリアルに体感できる小説だ。ぜひ、読んでほしい。開高健は、凄腕の作家だ。もうすこし生きていてほしかった。

片隅の迷路 (創元推理文庫)

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  国民に、冤罪のコスト意識みたいな、税の現実感がないかぎり、冤罪はなくならない。被告の人権とか、心情、感情論をいってるかぎり、冤罪は、永遠になくならない。問題は、税の費用対効果なのだ。ムダに税金を使うな! と、警察と検察に言うべきだろうな。 

 


息をするようにウソをつく

2011-05-23 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 菅直人とその大臣たちは、息をするようにウソをつく。それが左翼の卑しい本性といえばそれまでだが、国会答弁をみていると、もう腹が立つのをとおりこして、ただ虚しい。ひどい劣等国になってしまったものだ。いまや日本は、こんな最低な野郎が、総理大臣の国家なのだ。

    原発・注水中断報告で“海江田答弁”と食い違い http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210523010.html

 横田めぐみさんたち、北朝鮮に拉致された日本人の命より、北朝鮮のスパイ、拉致実行犯のシン・ガンスの命が大事な、とんでもない売国野郎が、菅直人というやつだ。(菅内閣の法務大臣・江田五月もまた、シン・ガンスの助命・保釈嘆願書に署名した、売国の国会議員だ)。

 菅も江田も、20年も前のこと、だの、シン・ガンスが拉致犯とは知らなかっただの、姑息な言いわけをしている。政治家の国民への背信行為、売国行為に、時効などない。過ちは20年前のことだから、と菅直人と江田五月はいう。ナチの政治家・軍人を、イスラエルは、いまも探している。

 日本は、コリアン・マスコミ、左翼メディアに支配された、コリアン左翼・アカに甘い国家だから、外国のスパイに加担する、こんなとんでもない政治家たちが生きていられる。他の国なら、国民に対する背信、国家への反逆だ。重大な犯罪だ。

 そして、菅も江田も、シン・ガンスが北朝鮮のスパイ、日本人拉致の実行犯で、グループのリーダーだったことは知らなかった、とウソをついている。こいつらが助命嘆願をした、その前年、すでに国会で、シン・ガンスが日本人拉致の実行犯と断定できる、と警察庁幹部が証言している。その委員会に、菅も江田も千葉も出席していたのだ。

 北朝鮮のスパイだ、と知っているからこそ、日本の国会議員としての権威をかりて、韓国政府にシン・ガンスの命乞いをしたのだ。菅も江田も、千葉景子も、シン・ガンスは、100人以上といわれる日本人を拉致した、実行犯だと、ちゃんと知っていたのだよ。

 こんな、とんでもないやつらが、首相で大臣だと、知らないのは、日本国民その人たちだけ。

   衆議院TV http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php


暑い! わが、団塊のアホウたちが、日本を滅ぼすのか?

2011-05-21 | 日記・エッセイ・コラム

                          

 暑い一日だ。午後に行った図書館は、節電で冷房をいれてない。やたら暑い。そこらに小さい扇風機が置かれていた。その扇風機の前に、小さい子供たちが陣取って座っていた。

 こうして、今年の夏を過ごすのだろうな。また、たくさん、死人がでる。

 去年の猛暑では、2000人を超える人が、熱中症で亡くなった。

 東北も、夏は暑くなる。いま、まだ、11万人もの被災者が、避難所にいる。

 もうすでに、500人を超える人が、避難所で亡くなった。病死だ。地震と大津波を生きのびた人々が、避難所で体調をくずし、そして、死んでいってる。

 これが、文明国だろうか? これが、GDP世界2位とか、3位とか、自慢していた、経済大国の、そのザマだろうか?

 

   


ピート・タウンゼントは、66歳

2011-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

                        

 『CSI: マイアミ』のテーマが、ザ・フーの Won't Get Fooled  Again だ。これは、ザ・フーの1971年(昭和46年)発売の名盤、『フーズ・ネクスト』のなかの有名な曲だ。

    CSI:マイアミ Won't Get Fooled Again http://www.youtube.com/watch?v=EDX7y2oEngg&feature=related

CSI:マイアミ シーズン3 コンプリートDVD BOX-1

 30年以上まえの曲が、よみがえったわけだ。いまの、日本の若者の貧相な音楽状況では、ザ・フーは、もう忘れられたバンドだろう。だが、世界では、ザ・フーのピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーは、いまも尊敬をあつめる、現役の偉大なミュージシャンだ。

 

Who's Next

   ザ・フー Won't Get Fooled Again http://www.youtube.com/watch?v=Rp6-wG5LLqE&feature=related

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 1967年(昭和42年)、『モンタレー・ポップ・フェスティバル』のドキュメンタリーでみた、ザ・フーのライブには驚いた。ピート・タウンゼントは、ギターを壊し、キース・ムーンは、ドラムセットを蹴散らした。

(この映画では、ジャニス・ジョップリン、オーティス・レディング、そして、ジミ・ヘンドリックスにも驚かされた。ロックやリズム&ブルースの世界では、なんかエライことが起こっているぞ、とワクワクしたものだ)。

フーズ・ベター・フーズ・ベスト

   ザ・フー Baba O'Rily http://www.youtube.com/watch?v=hKUBTX9kKEo&feature=related

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 北海道・帯広の、わたしの小さいレコード屋で、『ライブ・アット・リーズ』が爆発的に売れた。1970年(昭和45年)の発売だったが、何年間もロックのベストセラー・アルバムで、欠かせない基本在庫だった。買っていくお客さんは、高校生と中学生だった。

 このザ・フーのライブ盤は、世界じゅうで大ヒットした。ロックのライブ・アルバムの金字塔ともいえる歴史的レコードだ。最近、40周年記念盤が世界発売された。40年まえにはカットされた曲が収録されている。聴いてみたいものだ! 

Live at Leeds

ライヴ・アット・リーズ<40周年記念スーパー・デラックス・コレクターズ・エディション>

 ザ・フーのほとんどの曲は、ギターのピート・タウンゼントが書いている。ライブ・パフォーマンスは荒々しいが、歌詞は、内省的、暗示的で、文学的レベルはひじょうに高い。わたしの店では、ロック・オペラ『トミー』もよく売れた。

 ロック・オペラというジャンルの先駆者は、1969年、『トミー』を発表した、ザ・フーだろう。『トミー』は、映画になり、1993年にはブロードウェーでミュージカルになって、トニー賞を授賞している。

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   ザ・フー See Me, Feel Me http://www.youtube.com/watch?v=fHTdrPL22-Y&feature=related

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 ピート・タウンゼントは、きのう5月19日で、66歳。

  第二次世界大戦終戦の1945年、ロンドンで生まれたピート・タウンゼントは、長男で、両親ともプロのミュージシャンだった。父クリフ・タウンゼントは、ジャズのアルトサックス・プレイヤー、母はジャズ・シンガーだ。ピート・タウンゼントの一番下の弟、サイモン・タウンゼントもギタリストだ。

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    ザ・フー I Can't Explain http://www.youtube.com/watch?v=1uFcPjILC7k&feature=related

マイ・ジェネレイション

  ドラムスのキース・ムーンは、1978年に急死した。32歳だった。ベースのジョン・エントウィッスルは、2002年、57歳で亡くなった。

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 ザ・フーの創設者でリーダー、ボーカルのロジャー・ダルトリーは、ピート・タウンゼントのひとつ年上、ふたりは、いまもライブをつづけている。ザ・フーとしてのデビューは、1964年。じつに47年のあいだ、ふたりは、The Who なのだ。

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   ザ・フー  オフィシャルサイト http://www.thewho.com/index.php 


平田オリザ、謝罪

2011-05-19 | 日記・エッセイ・コラム

                         

 平田オリザが、謝罪した。「放射能汚染水の海洋廃棄は、米国政府の要請」、と韓国ソウルで発言した。その内容を自ら否定した。日本政府の、内閣官房参与という公式の立場で、講演をしたのだ。その重さを、こいつはわかっているのだろうか? 民主党・カン政権のやつらは、口の軽い、ウソツキばかりということか?

     平田オリザ「撤回し謝罪」、「米要請で海洋放出」発言  http://www.asahi.com/politics/update/0519/TKY201105190179.html

     石井らウソ発覚! フィリピンでは“ゴルフ三昧”だった http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110519/plt1105191619002-n1.htm


不思議の政府、不思議の国家

2011-05-18 | 日記・エッセイ・コラム

                   

               枝野、平田オリザ発言を否定
 http://www.youtube.com/watch?v=MAEEtIr6Des&feature=player_embedded#at=30
 
 平田オリザが、内閣官房参与という立場で韓国に行って、講演で言った。「福島第1原発での海洋への汚染水投棄は、米国政府からの強い要請による」 と。

 この発言を聞いて、わたしは、たくさんの‘不思議’を感じた。 まず、もし本当に、アメリカ政府の要請があって、放射能汚染水を海に放出したのなら、なぜ、政府の内部にいる人間が、それを暴露するのだろうか? 内部告発の是非のまえに、外交ルールに反するのでないか? こいつらアカに、秘守義務という概念はないのか? 革マルの赤豚・枝野は、平田オリザ発言を否定的アイマイ・コメントを出した。

 それに、なぜ、アメリカは汚染水を海に流せと要求したのだ? それが本当なら、アメリカの意図はなによ? その説明がなければ、このアカの演劇屋のただのデマだろう。まあ、共産主義者・社会主義者のアカというのは、デマ、でっち上げでプロパガンダするのが常道だが。この平田オリザというアナキストの反米意識では、なにがなんでも米帝が悪い、としたいのか?

 不思議は、なんでこんな真っ赤な芝居屋が、内閣官房参与という政府の一員なのだ? 不思議な国家になったものだよ。それに、アナキストの演劇屋が、どうして権力の側なのだ? こいつに演劇人としてのプライドはないのか? 貧乏演劇屋は、権力からのお小遣いがほしかったわけか。

 (平田氏の名前の由来、oryzaとは、ラテン語で稲のこと。日本の稲の学名は、オリザ・サテバ・ジャポニカ。日本米より少し長いタイ米などは、オリザ・サテバ・インディカ)

 不思議は、内閣官房参与が、なぜ外国、韓国に行ってまで、重要な外交問題を暴露するのだ? まったく理解できない。

 そして、最大の不思議は、なぜ独立国である日本が、外国、アメリカの指示に従わなけりゃならん? 海洋国家である日本が、外国の指示で、自らのよりどころである海をけがすのか? 原発事故の当日、アメリカの冷却材提供を断り、ロシアのチェルノブイリ事故に携わったチームの派遣を断った、愚鈍な、売国奴・カン直人が、なぜ、汚染水の放出は、アメリカの言いなりだったのだ? この平田オリザというアホウは、そのわけを説明しなければならないだろう。


ジュール・ブリュネが、オールグレン大尉のモデル

2011-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

                           

 映画『ラストサムライ』で、トム・クルーズが演じた人物には、実在のモデルがいる。フランス軍人、ジュール・ブリュネ大尉だ。フランス軍事顧問団として来日したジュール・ブリュネは、函館戦争で、旧幕府軍とともに官軍と戦った。

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 函館で撮影された、榎本軍とフランス軍人。前列、左から2人目が、ジュール・ブリュネ。

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 ナポレオン3世が、徳川幕府に派遣したフランス軍事顧問団(前列右から2番目が、ジュール・ブリュネ)。幕府の形勢が不利になると、すぐにフランスは中立の立場をとり、軍事顧問団の帰国を命じる。

 しかし、旧幕府軍に共感した、ジュール・ブリュネ大尉たち5人は、フランス政府の命令に反して、軍事顧問団を脱走して、旧幕府軍に合流する。

 ほかに、横浜に住んでいた元軍人の3人のフランス人と、旧幕府軍の侍たちに共感して、フランス海軍を脱走した2人の水兵が、榎本軍に加わった。つまり、榎本武揚を総裁とする旧幕府軍には、10人のフランス人が参加していたのだ。(トム・クルーズの映画のように、アメリカ人ではなかった。ラスト・侍を尊敬して、侍、最期の戦場をともに戦ったのは、フランス人だった。)

 旧幕府軍に参加して函館で戦った、このジュール・ブリュネたちフランス人たちの存在を、わたしが知ったのは、鈴木明さんの著書、『追跡 一枚の幕末写真』(集英社 1984年)だった。

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      はこだて人物誌 ジュール・ブリュネ http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/jyuuru_buryune.htm

 映画『ラストサムライ』で、トム・クルーズ演じるネイサン・オールグレン大尉が、日記をつけ、絵を描いていた。実際のジュール・ブリュネ大尉も、画才豊かな人だ。日本人を描いた、みごとなスケッチが残っている。 旧幕府の侍たちに共感した武人らしい、文武両道の才人だ。

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 箱館戦争・決戦前日、ジュール・ブリュネ大尉たちフランス人は、総司令官・榎本武揚の助言で、函館湾に停泊していたフランス軍艦で脱出した。フランスに帰国したジュール・ブリュネは、裁判にかけられるが、普仏戦争が勃発して特赦され、軍務に復帰する。そして、フランス陸軍参謀総長まで登りつめた。日清戦争では、日本軍を支援して、明治政府から勲二等旭日重光章がおくられている。1911年、73歳で亡くなった。

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 新選組副長、土方歳三もまた、箱館戦争を戦い、戦死した。ラストサムライのひとりだ。

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 どんな映画も、テレビ・ドラマも、どんな役者も、実在の侍や軍人たちの緊張した存在感を再現することはできない。フィクションは、フィクションにすぎないということだ。函館で撮影された、この土方歳三が好きだ。じつにかっこいい。

                        

   ジュール・ブリュネ The Last Samura-The True Story http://www.youtube.com/watch?v=Wn1Ee4DnoU8


いまさら、『メルトダウンは、震災当日』

2011-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

 政府・東電の発表は、全部、デタラメだった。原発のメルトダウンは、震災当日起きていた、と2ヶ月たった今になって、やつらは認めた。                            

 普通の常識ある日本人なら、たいがいの人が知っていた。原発のメルトダウンは、震災当日、3月11日に起きていた、と。だから、多くの人たちが、幼い子供をつれて西日本や北海道に避難した。

 政権交代の瞬間から、普通の日本人は、政府やマスコミを信じちゃいないだろう。

     メルトダウンは3月11日……初動の遅れ裏付けhttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110515-OYT1T00527.htm                 

 そもそも、普通の日本人ならだれも、売国奴・カン直人や革マル・枝野の言ってることなど信じやしない。東電・子飼いの御用学者のタワゴトを垂れ流していたNHKも、国民のための報道機関ではないと、普通の日本人は知っている。NHKニュースとは、大本営発表のこと。

 日テレ、TBS、テレビ朝日の民放・キー局(テレビ東京以外)など、まったく問題外だ。デタラメ、ねつ造。こいつら、いまや、日本人の放送局じゃないだろう。

      

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 これは、現実の放射性物質の拡散とはちがうが、ドイツ気象局が発表している、明日、17日の放射能拡散の予測だ。おそらく、アメリカ軍が観測しているデータをもとにしているのか? あくまでも、コンピュータ上の仮説にすぎないが、毎日、多量の放射性物質を放出しているのも、現実だ。

     放射能は東北南部から三陸沖、道東に ドイツ気象局17日予測 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110516/dms1105161237003-n1.htm

    


『ラストサムライ』の音楽もハンス・ジマー

2011-05-15 | 日記・エッセイ・コラム

                              

 今夜、テレビで、トム・クルーズと渡辺謙が共演した『ラストサムライ』をやっていた。音楽は、『ライオンキング』でアカデミー賞を授賞したハンス・ジマーだ。

The Last Samurai

 すこし前に書いたが、ハンス・ジマーは、ドイツ出身、十代の後半イギリスに渡り、キーボード、シンセサイザープレヤーとして、バグルスやウルトラヴォックスに参加したあと、ハリウッド映画『レインマン』の音楽でアカデミー賞にノミネートされた。

Rain Man: Original Motion Picture Soundtrack (1989 Soundtrack)

 いまや映画音楽の巨匠といえるだろう。

British Years 1

Wings of a Film: The Music of Hans Zimmer Live

  ハンス・ジマーの部屋。

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 『パイレーツ・オブ・カリビア』も、ハンス・ジマーの音楽。

Soundtrack

Holiday (Score)
Black Hawk Down
映画「ダ・ヴィンチ・コード」オリジナル・サウンドトラック
Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest

古典 その2

2011-05-14 | 日記・エッセイ・コラム

            

 ポップスも、たまには古典のR&Bを聴いたりしたら、と、きのう書いた。きのう紹介したサム・クックのライブ盤は、リズム&ブルースの歴史的な名演だ。ぜひ一度聴いてほしい。

                         

 高校生のとき、古文・漢文が好きだった。だが、古事記、日本書紀を読んだのは、高校を卒業した18歳、大学一年のときだった。日本最古の歴史書だと、義務的に読んでいたので、ちっともおもしろくなかった。しかし、因幡の白兎やヤマタノオロチ退治の童話が、古事記が原典の神話だと知ったのは、驚きだった。

 いま、ドナルド・キーン教授の古事記の解説を読むと、また、40数年ぶりに読みかえてみなきゃ、と思ったりする。難解だった歌も、英訳してもらうとどんな解説より分かりやすい。

                 

 これは恋の相聞歌で、男に対する女からの返歌なのだ。英語に訳してもらうと、なかなか、なまめかしい。オオクニヌシへのヌナカワヒメの返歌だ。女の、恋の歌だ。

                        

青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の(たくづなの) 白き腕(ただむき) 沫雪の(あわゆきの) 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手(またまで) 玉手さし枕き(まき) 股長に(ももながに) 寝(い)は寝(な)せむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の(はちほこの) 神の命(みこと) 

 ドナルド・キーン教授は、こう英訳している。

Come in the dark of night
When the sun has disappeared
Behind the green hills
Come smiling, like the morning sun
In all its glory
And take in your embrace
My breasts, young and soft
As the first fall of snow;
Clasp me in your arms.
Then you will sleep,
Your legs stretched out,
Your head pillowed on
My jewel-like hands;
So do not press your love
Too importunately,
Great divinity
Of Eight Thousand Spears.

        『日本文学の歴史 1』ドナルド・キーン著 土屋政雄訳 (中央公論社 1994年)