オバマ・アメリカ大統領は、クリント・イーストウッドとボブ・ディランに、アメリカ文化に貢献したことを讃えて、「芸術と人文科学」賞を贈り、メダルを授与した。http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8538624.stm
クリント・イーストウッド監督の「インビクタス/負けざる者たち」の興行成績が、絶好調だという。わたしは、まだ観てない。この作品で監督30本目、つぎの作品の準備にかかっているというから、80才、タフだ。
時間をかけず、大きな予算もかけない、というのが、クリント・イーストウッド監督の方法だ。「ミスティック・リバー」は、39日で撮影を終えてる。一本の映画を撮るに、39日! それにしてもすごい。低予算で、短時間で撮ることを、イタリアのセルジオ・レオーネ監督(荒野の用心棒)とドン・シーゲル監督(ダーティハリー)に学んだという。
プロだ。資金を集めた制作者たちに約束した、期限と予算は守る。長い撮影は好きじゃない、ともいってる。
「地獄の黙示録」でマーティン・シーンが演じた役を断っている。そのわけをこういってる。
『何よりも、ロケ先で何ヶ月も過ごしたくなかった。役柄は気に入っていた。面白いアクション・シーンがあった。でも、だからといって、フィリピンのジャングルで二年もかけて撮影する価値があるのか疑問だった。どんな映画であろうとそれだけの価値があるとは思えない。これ以上ないくらいの脚本があって、これまでに書かれて最高の本が原作であってもだ! 長い撮影は好きじゃないんだ。ハードにスピーディーにやるのが好きだ。中断せずに、必要とあれば一日二十時間やってもいい。でも、六週間で終える』 (『クリント・イーストウッド』 マイケル・ヘンリー・ウィルソン著 石原陽一郎訳 フィルムアート社 2008年)
じぶんでロケハンをやり、脚本家に脚本を完成させ、俳優たちとミーティングを重ね、撮影に入るときは、すべての段取りを頭になかで決めている。絵コンテは書かないという。テレビ俳優、B級西部劇の俳優など長い下積みがあって、映画制作のすみずみまで知りつくしているからできることなのだろう。
朝鮮戦争のさなか徴兵され、除隊後、ロサンゼルス・シティ・カレッジで経営学を専攻して、演劇クラスにも出席した。そこで、映画監督のアーサー・ルービンに見いだされた。ユニバーサルのテストに受かり、ユニバーサルの演劇クラスでジャック・コスリンに師事して演技を学んでいる。
ユニバーサルの専属になってからも、役がないのに、ユニバーサル撮影所のスタジオに通って、撮影を観察していた。勉強家だ。そして、B級映画の端役から、テレビ界に転向して、数々のシリーズに脇役で出演する。そして、「ローハイド」の準主役、ロディ役でチャンスをつかむのだ。
「ローハイド」はヒットして、7年つづいた。クリント・イーストウッドは、全217話のほとんどに出演した。日本でも放映された。わたしも、子供のとき、「ローハイド」が放送される日曜の午後4時をたのしみしていた。(この放送時間は、北海道だけかもしれないが)
「ローハイド」の4年目に、イタリアの監督セルジオ・レオーネから、黒澤明監督のリメークを撮るので出演してくれないか、とオファーがある。周囲は猛反対したが、クリント・イーストウッドは、その仕事を受けるのだ。ギャラは、15,000ドルだった、という。当時のB級映画でも考えられない最低の主演ギャラだという。衣装は、自前でそろえてくれといわれ、それふうのジーンズを2本、シャツと上着を買って、袋につめてイタリアに行った、という。
(荒野の用心棒の衣装は、クリント・イーストウッドが自前で買った服だというから、おかしい)
この黒澤明監督「用心棒」のイタリア版西部劇は、何の宣伝もないのに口コミで、ヨーロッパじゅうで大ヒットするのだ。この一作でクリント・イーストウッドは、ヨーロッパでは有名な俳優になった。日本でも、大ヒットした。エンニオ・モリコーネの作曲したテーマ曲も大ヒットした。
「荒野の用心棒」のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=fqjcoTzhaIk
しかし、アメリカでは、「ダーティハリー」がヒットするまでは、テレビ俳優で、イタリアのB級西部劇に出たやつ。ヨーロッパと日本で人気があるだけ。華のさかりがすぎた「ローハイド」の元ハンサム、でかい身体のタフなだけのB級アクション俳優と、冷たい評価しかなかったのだ。
(映画「ブルース・ブラザーズ」で、カントリー・アンド・ウエスタンのバーで、ビール瓶を投げつけられなら、ムチを振って歌うのが、クリント・イーストウッドを有名にしたテレビドラマ「ローハイド」のテーマソングなのだ)
「ローハイド」のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=MSHr4ubuD64
クリント・イーストウッドは、監督作品の多くの音楽を自ら作曲しているほど、音楽好き、ジャズ好きだ。音楽を勉強するためにシアトル大学にも入った。これは学費がつづかなかったようだが、下積み時代は、ピアノバーで弾いていたこともある。
祖母も母も、ジャズ好きの家族で、母親が買ってきたファッツ・ウォーラーのベスト盤が、クリント・イーストウッド少年を、ジャズ・ピアノに目覚めさせた、という。
マーティン・スコセッシ制作・総指揮のブルース史のドキュメンタリー・シリーズで、クリント・イーストウッドは、ピアノ編を監督している。『ピアノ・ブルース』だ。
ファッツ・ウォーラー Honeysuckle Rose http://www.youtube.com/watch?v=p4tTvGOh4gA
ファッツ・ウォーラー Your Feet's Too Big http://www.youtube.com/watch?v=in1eK3x1PBI&feature=related
チック・コリアが、アイドルにしたファッツ・ウォーラーとアート・テイタムhttp://www.youtube.com/watch?v=AfNYtC9uye0&feature=related
これはまえにも書いた。クリント・イーストウッドが、最初に監督作品に選んだのが、アクションではなく、小さいラジオ局の、深夜にジャズをかけるディスクジョッキーが主役のミステリーだった。1971年(昭和46年)の作品「恐怖のメロディー」だ。
ジャズ好きのクリント・イーストウッドらしい。タイトルに、エロール・ガーナーの名曲の名が入ってる。邦題は、「恐怖のメロディー」だが、原題は、Play Misty For Me。Misty をかけてちょうだい、わたしのために、というわけだ。「Misty ミスティー」は、エロール・ガーナーの名曲。
エロール・ガーナは、小さいときに耳で聴いただけで独学でピアノをマスターして、まったく楽譜を読めなかった(読まなった?)、という伝説があるジャズの名ピアニスト、作曲家だ。楽譜が読めないが、クラシックのピアノ・コンサートに行って、帰ってくるとそれを再現して弾いたというから、普通じゃない。独特の叙情的な曲想をもっているジャズの作曲家で、ピアノの演奏はたのしい。
Misty のエロール・ガーナーのオリジナルがヒットしたのが、1954年、クリント・イーストウッドは、24才か。
エロール・ガーナー Misty http://www.youtube.com/watch?v=nAaZzQWk8V4
エロール・ガーナーのピアノ曲「ミスティー」には、1959年に歌詞がつけられ、ジョニー・マチスが歌って大ヒットした。それからのカバーは、星の数ほどある。ジャズの歌もののスタンダードになっている。きっと、歌うには、とてもむずかしい曲だと思うが……。
ジョニー・マティス Misty http://www.youtube.com/watch?v=Cd3pDM2f6Y8&feature=related
エラ・フィッツジェラルド MIsty http://www.youtube.com/watch?v=mQouJdvB80U&feature=related
ジュリー・ロンドン Misty http://www.youtube.com/watch?v=oPnh2sa4Fek&feature=related