Ommo's

古い曲が気になる

津波、東京マラソン、大潮

2010-02-28 | 日記・エッセイ・コラム

チリ大地震の津波で、宮城県や三陸海岸では、床下浸水や、ホヤやカキ養殖のイカダが流されるなど漁村に、大きな被害が出ているようだ。(あすになると、被害の実態がわかって、驚くことになるだろう)。

太平洋岸を走る、すべての鉄道が運行を停止している。東名高速道路も、海岸沿いでは通行止めになっている。神奈川県と千葉県をむすぶ東京湾アクアラインも通行止め、太平洋岸を走る有料道路、高速道路は、すべて止まっている。

しかし、きょうが日曜日だったのは、幸いだったのではないか。この日本の太平洋沿岸全体の交通網の停止状態が、平日なら、さらに大きな混乱になったはずだ。

最大の被害を受けたのは、東京マラソンかな。津波警報のまえに、すっかりかすんでしまった。気分は、マラソンどころでない。わたしも津波が気になって、東京マラソンを見に行く気分でなかった。

と、いうのは、東京湾のもっとも奥のここらは、過去になんども津波で大きな被害をうけている。このあたりは、江戸時代の塩田だ。東京湾の海面と高さがほとんどかわらない。所によっては、海面より低い。121人の死者をだした大正6年の津波の教訓から、この町の人たちは、防潮堤を築き、町を守ることに努力してきた。

しかし、まだ十分ではない。3メートルを越える津波は、大正以来、経験してない。とくに、大潮と津波が重なったときは、非常に危険だ。きょうは、大潮なのだ。


クリント・イーストウッド監督は、ピアノバーで弾いていた

2010-02-27 | 日記・エッセイ・コラム

オバマ・アメリカ大統領は、クリント・イーストウッドとボブ・ディランに、アメリカ文化に貢献したことを讃えて、「芸術と人文科学」賞を贈り、メダルを授与した。http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8538624.stm

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クリント・イーストウッド監督の「インビクタス/負けざる者たち」の興行成績が、絶好調だという。わたしは、まだ観てない。この作品で監督30本目、つぎの作品の準備にかかっているというから、80才、タフだ。

時間をかけず、大きな予算もかけない、というのが、クリント・イーストウッド監督の方法だ。「ミスティック・リバー」は、39日で撮影を終えてる。一本の映画を撮るに、39日! それにしてもすごい。低予算で、短時間で撮ることを、イタリアのセルジオ・レオーネ監督(荒野の用心棒)とドン・シーゲル監督(ダーティハリー)に学んだという。

プロだ。資金を集めた制作者たちに約束した、期限と予算は守る。長い撮影は好きじゃない、ともいってる。

「地獄の黙示録」でマーティン・シーンが演じた役を断っている。そのわけをこういってる。

『何よりも、ロケ先で何ヶ月も過ごしたくなかった。役柄は気に入っていた。面白いアクション・シーンがあった。でも、だからといって、フィリピンのジャングルで二年もかけて撮影する価値があるのか疑問だった。どんな映画であろうとそれだけの価値があるとは思えない。これ以上ないくらいの脚本があって、これまでに書かれて最高の本が原作であってもだ! 長い撮影は好きじゃないんだ。ハードにスピーディーにやるのが好きだ。中断せずに、必要とあれば一日二十時間やってもいい。でも、六週間で終える』 (『クリント・イーストウッド』 マイケル・ヘンリー・ウィルソン著 石原陽一郎訳 フィルムアート社 2008年)

じぶんでロケハンをやり、脚本家に脚本を完成させ、俳優たちとミーティングを重ね、撮影に入るときは、すべての段取りを頭になかで決めている。絵コンテは書かないという。テレビ俳優、B級西部劇の俳優など長い下積みがあって、映画制作のすみずみまで知りつくしているからできることなのだろう。

朝鮮戦争のさなか徴兵され、除隊後、ロサンゼルス・シティ・カレッジで経営学を専攻して、演劇クラスにも出席した。そこで、映画監督のアーサー・ルービンに見いだされた。ユニバーサルのテストに受かり、ユニバーサルの演劇クラスでジャック・コスリンに師事して演技を学んでいる。

ユニバーサルの専属になってからも、役がないのに、ユニバーサル撮影所のスタジオに通って、撮影を観察していた。勉強家だ。そして、B級映画の端役から、テレビ界に転向して、数々のシリーズに脇役で出演する。そして、「ローハイド」の準主役、ロディ役でチャンスをつかむのだ。

「ローハイド」はヒットして、7年つづいた。クリント・イーストウッドは、全217話のほとんどに出演した。日本でも放映された。わたしも、子供のとき、「ローハイド」が放送される日曜の午後4時をたのしみしていた。(この放送時間は、北海道だけかもしれないが)

「ローハイド」の4年目に、イタリアの監督セルジオ・レオーネから、黒澤明監督のリメークを撮るので出演してくれないか、とオファーがある。周囲は猛反対したが、クリント・イーストウッドは、その仕事を受けるのだ。ギャラは、15,000ドルだった、という。当時のB級映画でも考えられない最低の主演ギャラだという。衣装は、自前でそろえてくれといわれ、それふうのジーンズを2本、シャツと上着を買って、袋につめてイタリアに行った、という。

(荒野の用心棒の衣装は、クリント・イーストウッドが自前で買った服だというから、おかしい)

この黒澤明監督「用心棒」のイタリア版西部劇は、何の宣伝もないのに口コミで、ヨーロッパじゅうで大ヒットするのだ。この一作でクリント・イーストウッドは、ヨーロッパでは有名な俳優になった。日本でも、大ヒットした。エンニオ・モリコーネの作曲したテーマ曲も大ヒットした。

     「荒野の用心棒」のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=fqjcoTzhaIk

しかし、アメリカでは、「ダーティハリー」がヒットするまでは、テレビ俳優で、イタリアのB級西部劇に出たやつ。ヨーロッパと日本で人気があるだけ。華のさかりがすぎた「ローハイド」の元ハンサム、でかい身体のタフなだけのB級アクション俳優と、冷たい評価しかなかったのだ。

(映画「ブルース・ブラザーズ」で、カントリー・アンド・ウエスタンのバーで、ビール瓶を投げつけられなら、ムチを振って歌うのが、クリント・イーストウッドを有名にしたテレビドラマ「ローハイド」のテーマソングなのだ)

    「ローハイド」のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=MSHr4ubuD64

Best of Fats Waller

クリント・イーストウッドは、監督作品の多くの音楽を自ら作曲しているほど、音楽好き、ジャズ好きだ。音楽を勉強するためにシアトル大学にも入った。これは学費がつづかなかったようだが、下積み時代は、ピアノバーで弾いていたこともある。

祖母も母も、ジャズ好きの家族で、母親が買ってきたファッツ・ウォーラーのベスト盤が、クリント・イーストウッド少年を、ジャズ・ピアノに目覚めさせた、という。

マーティン・スコセッシ制作・総指揮のブルース史のドキュメンタリー・シリーズで、クリント・イーストウッドは、ピアノ編を監督している。『ピアノ・ブルース』だ。

ピアノ・ブルース [DVD]

   ファッツ・ウォーラー Honeysuckle Rose http://www.youtube.com/watch?v=p4tTvGOh4gA

   ファッツ・ウォーラー Your Feet's Too Big http://www.youtube.com/watch?v=in1eK3x1PBI&feature=related

   チック・コリアが、アイドルにしたファッツ・ウォーラーとアート・テイタムhttp://www.youtube.com/watch?v=AfNYtC9uye0&feature=related

                                                          

                  

これはまえにも書いた。クリント・イーストウッドが、最初に監督作品に選んだのが、アクションではなく、小さいラジオ局の、深夜にジャズをかけるディスクジョッキーが主役のミステリーだった。1971年(昭和46年)の作品「恐怖のメロディー」だ。

ジャズ好きのクリント・イーストウッドらしい。タイトルに、エロール・ガーナーの名曲の名が入ってる。邦題は、「恐怖のメロディー」だが、原題は、Play Misty For Me。Misty をかけてちょうだい、わたしのために、というわけだ。「Misty ミスティー」は、エロール・ガーナーの名曲。

エロール・ガーナは、小さいときに耳で聴いただけで独学でピアノをマスターして、まったく楽譜を読めなかった(読まなった?)、という伝説があるジャズの名ピアニスト、作曲家だ。楽譜が読めないが、クラシックのピアノ・コンサートに行って、帰ってくるとそれを再現して弾いたというから、普通じゃない。独特の叙情的な曲想をもっているジャズの作曲家で、ピアノの演奏はたのしい。

Misty のエロール・ガーナーのオリジナルがヒットしたのが、1954年、クリント・イーストウッドは、24才か。

      エロール・ガーナー Misty  http://www.youtube.com/watch?v=nAaZzQWk8V4

エロール・ガーナーのピアノ曲「ミスティー」には、1959年に歌詞がつけられ、ジョニー・マチスが歌って大ヒットした。それからのカバーは、星の数ほどある。ジャズの歌もののスタンダードになっている。きっと、歌うには、とてもむずかしい曲だと思うが……。

                ジョニー・マティス Misty http://www.youtube.com/watch?v=Cd3pDM2f6Y8&feature=related

      エラ・フィッツジェラルド MIsty http://www.youtube.com/watch?v=mQouJdvB80U&feature=related

                ジュリー・ロンドン Misty http://www.youtube.com/watch?v=oPnh2sa4Fek&feature=related


わたしは、浅田真央に、金メダルをおくる

2010-02-26 | 日記・エッセイ・コラム

浅田真央は、きょうも素晴らしかった。先に、クネクネ踊った韓国選手の馬鹿げた宇宙的高得点に対して、だれがどんな神業を決めても勝つことはできない。それをわかっていても、トリプルアクセルを2回決め、みごとに、じぶんの演技を完璧に演じようとした。勇気がある。涙を流したのは、優勝できなかったことでなく、完璧に演じられなかったからだろう。多少のミスがあったが、あんなものは問題でない。わたしは、浅田真央に、金メダルをおくる。

韓国選手のショート・プログラムの点数は、フィギュアスケート史上最高点(男子でも出したことがない)。フリーは、男子の金メダリストの点数より高い天文学的点数。あまりに露骨だ。フュギュアスケートの世界がどうなっているか、想像がつく。

なぜ、浅田真央とロシア人のタラソワ・コーチが、超難度の演技にこだわりつづけたか、そのわけが、よく理解できた。超絶演技で、テレビのまえの世界じゅうのだれが見ても、すごい、と納得させ、世界じゅうの目が証人になってくれないと、なにをやっても勝てない。そういうフィギュアスケート界の裏を、ふたりは、知っていたのだろう。

(この数年、浅田真央に不利になるように不利になるようにルールが変えられてきた。新ルールに対応して浅田真央が、克服すると、またルールを変えるという姑息なことを繰り返してきた。今回の審判でも、韓国系カナダ人の国際フィギュアスケート協会副理事長が、大きな発言権をもっていたのか?)。

 

 


浅田真央が演じる「鐘」は、ラフマニノフの作品

2010-02-25 | 日記・エッセイ・コラム

浅田真央がフリーで演じる曲、ラフマニノフの「鐘」を、どこかのテレビ・アナウンサーは、「帝政ロシアの圧制を描い曲だ」とかいっていた。なにをバカな。逆だろう。ラフマニノフは、共産革命を恐れて、「鐘」を書いたのだ。

ラフマニノフは、ロシア革命を嫌って、10月革命が起こったその12月、家族をつれてコンサートツアーに出たまま、二度とソヴィエト・ロシアにはもどらなかった。ソ連政府の要請がなんどあっても、けっしてソ連でコンサートをやらなかった。

それにラフマニノフは、貴族の家系だ。帝政ロシアの皇帝の側、支配階級の出身だ。なぜ皇帝を否定する曲を書かなくてはいけない。レーニンをボスにする共産軍は、貴族、知識人、音楽家、ユダヤ人、少数民族を虐殺していたのだ。その数は、1000万人ともいわれる大虐殺だ。

革命を賛美しない小説家や詩人や音楽家は、叙情的、軟弱、保守反動、反革命だと容赦なく粛清された。シベリアに流刑になるか、処刑されたのだ。

(日本の教室では、ロシア革命のそうした実態を教えないだろう。のちにカンボジア共産軍のポルポト派がやった虐殺のお手本だ。日本の連合赤軍の内ゲバで象徴されるように、共産主義者の残忍さは、すさまじい。毛沢東一派は、2000万人いじょうの中国自国民を粛清したといわれる。天安門事件を見れば、その数もまんざら過大でもないと納得する。ソ連軍が、ポーランド軍将校と知識人、4000人いじょうを虐殺した「カチンの森」の事件もまた、すさまじい)

そうしたロシア共産主義者の恐怖政治を恐れて、多くのロシア人が国外に逃れた。シベリア鉄道を経由して、上海からアメリカに渡る人たちもたくさんいた。日本に定住したロシア人もいる。横綱大鵬の親もそのひとりだ。

日本でいう「ロリコン」の語源、小説「ロリータ」の作者、ナボコフもロシア貴族で、革命を逃れて、ヨーロッパ経由でアメリカに亡命した。アメリカの大学でロシア文学を教えていた。英語で最初に書いた小説が「ロリータ」、ベストセラーになり、映画になってヒットした。

アメリカに亡命したラフマニノフは、精力的にコンサート活動をして、多くのレコードも残した。しかし、故郷を離れた喪失感か、創作意欲を失って作曲には積極的でなかったという。ロシアに対する思いは強かったのだろう。ドイツ軍がソ連に侵攻したときは、チャリティーコンサートを開いて戦費をソ連に送っている。そして、共産党支配のソ連で、貧困に苦しんでいる若い音楽家たちを支援していた。

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下のCDは、ラフマニノフ自演のピアノ協奏曲集。

ラフマニノフ自作自演~ピアノ協奏曲全集


暖かいので、日が暮れてから、銀座を歩いた

2010-02-24 | 日記・エッセイ・コラム

浅田真央のショートプログラムは、完璧だった。小さいミスを重ねて、ショートで出遅れることが多かったが、きょうは、じつにみごとだった。心の強いひとだ。

韓国の選手が、超高得点だったが、それは予想したことだ。呆れるだけで、なにも驚かない。あんな演技で、『フィギュアスケート競技史上、最高得点』、ということだけで、韓国人選手の取った点数が意味することは、わかるだろう。

浅田真央が、自己ベストの高得点だったから、それを大きく上まって、つぎのフリーで多少ミスをしても勝てるように、とんでもない高い点数にしておく必要があった。それだけのことだろう。女子シングルは、韓国人、カナダ人、日本人という順位は、折りこみ済みだろう。そんなやつらだ。

ともかく、浅田真央が、フリーの演技で、ラフマニノフの「鐘」を完璧に演じてくれれば、素敵なことだ。ただただ、それが見たい。それが、このオリンピックの最大のたのしみだった。わたしは、きっとまた、浅田真央のフリーの演技を見ながら、泣くことになるだろう。

韓国選手が、何を踊り、どんなメダルを取ろうが、どうでもいい。韓国選手のフリーの演技など、見ない。

                        

浅田真央が、フリーで演じる曲、「鐘」は、ロシアの作曲家ラフマニノフの曲だ。

ラフマニノフは、ボリシェビキの暴力支配のロシアを嫌って、革命まえにアメリカに渡った人だ。少年時代から天才といわれ、チャイコフスキーの愛弟子で、チャイコフスキーの後継者と期待され、ロシア人に愛された作曲家、ピアニスト、指揮者だった。

しかし、共産主義者、社会主義者を嫌って、ロシアをでて、終生帰らなった。(アメリカに住んで、コンサートピアニストとして世界ツアーをしていたが、稼いた金で、ソ連の若い貧しいミュージシャンを支援していた)。

ラフマニノフの「鐘」は、愛する母国が、左翼の独裁に支配される恐怖と哀しみを表現しているのだ。(日本の学校教育では、ロシア革命を、圧制からの解放などと賛美したりするが……革命は、ロシア人にとって、恐怖政治のはじまりだ)。いまの、民主党独裁の日本を象徴するような曲だ(いま日本は、左翼の独裁にある。国民・市民・人民に、自覚がないのが、おそろしい)。

だから、きっと、ソ連で生まれ、ソ連で青春をおくったタチアナ・タラソワ・コーチには、ことのほか思いがある曲だろう。たのしい曲じゃない。左翼の政治支配、国家独裁を嫌悪した音楽表現なのだ。

その難曲を提示され、選んだ浅田真央さんにも、覚悟があったのだろう。重い曲だ。天才といわれ、真央ちゃんといわれ、国民的アイドルといわれている。ほかにいくらでも、たのしい曲や美しい曲はたくさんある。危険を冒すことはないのに、やる。ラフマニノフの、「鐘」を……すごすぎる。

                       

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日が暮れてから、銀座にやってきた。この街にくると、日本が不景気だということを忘れてしまう。でも最近、いつも思うが、中国人観光客がやたらと多い。かれらが、ところかまわず大声で話すせいで、やたらと目立つのだろうが。

わたしは、アウトドアも好きだが、流行りの音楽を売る商人が長かったから、街のにぎわいも好きなのだ。女の人のように、ウインドを見て歩くだけでたのしい。

まず4丁目にやってきて、和光のウインドを見るのが、いつも、たのしみだ。すばらしいのだ。大きさと、角地で円形に広がった効果は、ほかのウインドにない。なにより、観客が多い。へたなことは、できない。その緊張がいつもある。

きょうは、ハートかブラジャーのように、二つに割った地球儀がモチーフの、春らしいディスプレイになっていた。

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マネキンの足元は、こうなってる。照明もいい。

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和光の山野楽器側、つまり銀座中央通りのウインド。

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マネキンが入ったハートの足元。

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有楽町にむかう通り、つまり晴海通り側のウインドは、和服と帯。和光ホールで、福田喜重展をやっているのだ。http://www.nihon-kogeikai.com/KOKUHO/FUKUDA-KIJU/FUKUDA-KIJU-SAKUHIN.html

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ウインドの花を見るのもたのしみだ。

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ホワイトデーとひな祭り。

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札幌ビール・ライオンの隣にできたZARAは、いっぱいお客が入っていた。

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このスーツは、147,500円。春らしくて、なかなかいい。

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銀座ヤマハビルのリニューアル工事がおわって、明後日26日、グランドオープンだそうだ。

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街のにぎわいが好きだと言っても、仕事以外、渋谷や新宿や池袋に、行こうとは思わない。むやみやたらと大量の若者で騒々しくて、街を歩いてたのしい、なんてことはない。(ただ、わたしが老人だからだが)、まあ、しかし、渋谷の神宮前の表参道界隈は、好きなのだが。

東京の街に、一日ただ突立ているのが仕事のガードマンをやっていると、定点観察ができる。その街の性格が、リアルにわかる。こっちは、逃げられない。雨でも雪でも、そこに突立ているのが仕事だ。その街が好きで来てるのじゃない。東京散歩じゃない。趣味のバードウォッチング、人間ウォッチイングじゃない。冷徹にながめるだけだ。街を歩く人々は、工事の警備員など、路傍の石だ。無視するか軽蔑の対象で、存在を注目されることはない。そうして、わたしは、東京の街に突立て、東京の街を見てきた。

そんなわけで、銀座が好きなんだ。この銀座中央通りにも、ガス工事や電気工事の警備員で、なんども突立ていた。


気の早い桜

2010-02-23 | 日記・エッセイ・コラム

自民党は、予算審議の出席を拒否している。戦術的に、得策でないだろうな。国会欠席は、国民の共感をえることができない。

小沢の証人喚問を要求しているが、小沢ではなく、石川知裕議員の喚問と議員辞職、一点にしぼるべきだろう。小沢でなくて、石川議員に焦点をあてるほうが、世間に正当性がたつ。焦点がしぼれる。

もし、自民党が、本気なら、国会欠席なんて何の効果もなく、国民の支持もえれない、セコイ手じゃなく、もっとダイナミックで、劇的な戦術をつかうべきだろう。バンザイ突撃になるが、わたしなら、こうする。

         

自民党の、老齢で、引退、退職すべき衆議院議員全員が、3月15日までに議員辞職するのだ。すると、4月25日の補選になる。もちろん、辞職した人は立候補できないから、小泉進次郎議員のような、イケメン、若者を立てる。

この戦術は、3月15日以降でも有効だろう。国会開会中に、定年を前倒して、老いた自民党衆議院議員が、議員辞職するのだ。数が多いほど、迫力がある。そうして、参議院選のときに、同時補欠選挙を戦う。

きっと、イケメン、若者を立てても、いくつもの衆議院議員の議席は失うだろう。(バンザイ突撃になる、というのは、このことだ)。いまも、衆議院では少数野党なのだから、それでいいのだ。なにも問題でない。だが、参議院選は、勝つ。

衆参ねじれ国会になるが、一党独裁政治より国民のためになるだろう。

つまり、石川議員が辞職しないわけの、それを逆手にとるのだ。と、わたしは妄想するわけだが……。

                      

まあ、しかし、ひどい国になってしまったものだ。権力を握った民主党のれんちゅうは、言いたい放題、やりたい放題だ。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100223/plc1002231209003-n1.htm

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100223-OYT1T01040.htm

        

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浦安市中央図書館のそばで、桜が咲いていた。遠くから見ていたときは、派手な梅だな、と思ったが、桜だった。メジロが二羽、ちょこまかと花の蜜をすっていた。

えんどう豆の花も咲いてる。春だ。

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カーリング女子は、イギリスに圧勝した

2010-02-20 | 日記・エッセイ・コラム

高橋大輔のフリーの演技は素晴らしかった。見ていて、涙がでてきた。すごい。あれだけのケガから立ち直って、オリンピックの本場で躊躇せず、果敢に4回転ジャンプにチャレンジする勇気に、感動した。演技は、ニーノ・ロータの曲と映画「道」のジェルソミーナをよく理解していて、悲しく美しかった。

日本のカーリング女子は、きょうも見せてくれた。イギリスに圧勝した。最後の目黒萌絵の一投は、みごとだった。

しかし、カーリングは、北海道・常呂町が盛んだったはずが、なぜ「チーム青森」なんだろうか。オリンピック代表の4人は、北海道出身だ。青森は、北海道のカーリング娘に、県民あげて手作り感覚の支援をつづけている。

北海道のカーリング選手が、北海道を出て、青森で支援を受けなくてはならないのは、道民の意識に、なにか重大な欠陥があるのでないのか? 北海道の人間は、金にならないことは、やらないのか? 

あるいは、日本国旗をつけて国際舞台で競技することは、反革命だと、北教組の左翼教師たちに洗脳されているのか? (北教組の教師たちは、竹島は韓国領だと教えている、というから驚きだ。なんてやつらなのか、呆れる。どこの国の教員免許をもっているのか。国歌を教えない教師も多い、という。教科書の君が代のページの上に紙を糊張りしろ、と子どもたちに指示する教師もいるという)。

公共工事の削減で建設会社が体力を無くし、拓銀、雪印というウインタースポーツのスポンサー企業が無くなると、もうまるでダメなのか? 市民自らスポーツ選手を支援しようという気概がないのか? カーリングに関しては、北海道より青森が、はるかに民度が高い、といえる。カーリング女子の活躍で、日本じゅうで、青森にたいする好感度は、一気に上がっている。

チーム青森、北海道・帯広市出身の石崎琴美さんは、青森の美容師・理容師を養成する学校の木浪学園に所属している。北海道・南富良野町出身の目黒萌絵さんは、青森のみちのく銀行所属、北海道・常呂町出身の近江谷杏菜さんは、青森市役所勤務、北海道・常呂町出身の本橋麻里さんは、NTTラーニングシステム所属。そして、長野県出身の山浦麻葉さんは、青森の新聞社、東奥日報の記者だ。

チーム青森後援会は、青森市の街頭で募金活動をしている。みちのく銀行では、「チーム青森応援定期預金」を募集してカーリング・チームを支援している。定期預金10万円につき、5円をチーム青森活動資金として、青森県カーリング協会に寄付をする。この応援定期が、すでに530億円以上集まっている、という。青森のスーパーマーケットでは、チーム青森に代金の一部を寄付すると表示した商品を売っている。青森は、カーリングに熱い。

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      チーム青森 オフィシャルサイトhttp://www.teamaomori.com/index.htm
      みちのく銀行 http://www.michinokubank.co.jp/news_release/20090901/

きょうのカーリング女子、日本vs英国のハイライトは、このサイトで見ることができる。http://www.gorin.jp/games/CUCUW400.html


「道」、高橋大輔

2010-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック、フィギュア・スケート・男子シングル、高橋大輔がフリーで演じる曲は、映画「道 La Strada」の「ジェルソミーナのテーマ」。イタリアの作曲家、映画音楽の巨匠、ニーノ・ロータの名曲だ。

前にも、ニーノ・ロータのことをすこし書いたが、高橋大輔のフリーの演技を応援する意味で、もう一度。「道」のことを。

高橋大輔のフリーの演技に、道化師(クラウン=ピエロ)の振り付けが取り入れられているのは、映画「道」の主人公ジェルソミーナが、道化師(クラウン)だからだろう。

高橋大輔のフリーの振り付けが、ロシア人のニコライ・モロゾフからイタリア人の振付師パスカーレ・カメレンゴに変わった。イタリア人の振付師になったから、「道」を選曲したのだろう。このイタリア映画の傑作のテーマ曲、イタリアが誇る作曲家の名曲を演じるには、イタリア人の振付師こそ、ふさわしいだろう。

Nino Rota: Fellini Masterpieces - La Strada / Le Notti di Cabiria [Original Film Soundtracks]

ニーノ・ロータは、1950年代から数々の名画のサントラを作曲して世界でヒットさせた大作曲家だ。ニーノ・ロータの音楽は、映画の興行成績に大きく影響するほど大きな力を持つ、いかにもイタリア人らしい哀愁をおびたメロディの美しい音楽だった。(日本で大ヒットした、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」のテーマも、ニーノ・ロータの作曲だ)。

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ニーノ・ロータ自身は、じぶんはクラシックの作曲家で、映画音楽は趣味だ、とたびたび言っていたという。たしかに、150本以上の映画のスコアを書き、「ロミオとジュリエット」や「ゴッドファーザー」などの大ヒットを作曲していたが、亡くなるまでイタリアのバーリ音楽院の学長をつづけ、和声と作曲を教えていた。そして、クラシック(純音楽)作品を作曲し、発表していたのだ。オペラ、交響曲、室内楽、ピアノ曲など多くの作品がある。

母も祖母も祖父も、ピアニスト、作曲家という、まさに音楽一家に生まれたニーノ・ロータは、ピアノを母に教わり、7才で作曲をはじめ、11才でオラトリオ、13才でオペラを発表して、天才といわれた。その十代のとき、イタリアだけでなく、フランスでも上演されて、評判になったというから、ほんものの天才児だったのだろう。

学歴も、教わった音楽の師匠たちも、音楽家としては、じつに完璧だ。ミラノ音楽院のあと、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院を卒業して、アメリカ留学の奨学金をもらう。フィラデルフィアのカーティス音楽院を卒業して、イタリアにもどり、ミラノ大学芸術科に入学するのだ。勉強が好きな人だ。文学と哲学を専攻する。26才でミラノ大学を卒業してからは、死ぬまで、音楽院の教師をつづけた。「映画音楽の作曲は、趣味」といいながら。

「お金が入ってくる、趣味だ」という言い方も、おかしい。イタリア人だ。

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映画「道」は、1954年封切りのフェデリコ・フェディーリ監督の作品だ。すこし頭は弱いが心優しい女ジェルソミーナと粗野な大道芸人の男ザンバノとの悲しい話だ。ニーノ・ロータのトランペットをつかった音楽が、せつない。このテーマが世界で大ヒットして、その効果もあって、映画「道」は、世界じゅうでヒットした。監督フェデリコ・フェリーニは、この作品で国際的名声を得たのだ。

「ジェルソミーナのテーマ」は、わたしが小学生のとき、ラジオからよく流れてきた。テレビが無い時代だ。ラジオから流れる洋楽が、新鮮で、心がふるえた。子供心に、なんて哀しく美しい曲だ、と思ったものだ。

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「道」を撮影していたころの、フェデリコ・フェリーニ監督。

知恵遅れのジェルソミーナを演じたのは、イタリアの名優ジュリエッタ・マシーナ、監督フェリーニの夫人だ。ふたりは、フェリーニがラジオのシナリオを書いていた駆け出しのときに出会い、フェリーニ監督が1993年に心臓発作で亡くなるまで連れ添った。フェデリコ・フェリーニ、73才だった。葬儀は、イタリア国葬だった。 そして、フェリーニが死んで5ヶ月後、妻のジュリエッタ・マシーナが癌で亡くなった。73才だった。

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粗暴で、女好きで酒好きの大道芸人を演じたのは、アンソニー・クイン。すこしまえに「その男ゾルバ」のダンスシーンのことを書いた。わたしは大好きな俳優だが、2001年に亡くなってしまった。メキシコ生まれのアメリカ人だ。父親がアイルランド人、母親がメキシコ人なのだ。

映画俳優になる前は、プロボクサーをやったり、靴磨きをやったり、建築家フランク・ロイド・ライトのスタジオで学んだこともある。その若いとき志したことなのだろう、俳優になってから絵画や彫刻を発表している。タフな見かけとちがって、知的なアーティストだ。二冊の本も書いている。

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     「道」 http://www.youtube.com/watch?v=zoRioG2wK6c

     ニーノ・ロータ オフィシャルサイトhttp://www.ninorota.com/

     アンソニー・クイン オフィシャルサイトhttp://www.anthonyquinn.com/

     ジュリエッタ・マシーナ IMDb http://www.imdb.com/name/nm0556399/

ニーノ・ロータについて、日本語のサイトでは、早崎隆志さんのページが詳しい。    http://www.tcat.ne.jp/~eden/FC/rota.htm 


スージーQ

2010-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

日本ではCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のヒットで有名なロックの名曲「スージーQ」は、ルイジアナのシンガー・ソングライター、ギタリストのデイル・ホーキンスがオリジナルだ。1957年にリリースされて、全米ポップチャート27位になった。その後、ローリング・ストーンズなどさまざまなミュージシャンがカバーした。1968年発売のCCRのデビュー・アルバムでのカバーはシングルカットされ、全米ポップチャートの11位まで上昇した。日本でもヒットした。

「スージーQ」の作者、デイル・ホーキンスは、13日に亡くなった。73才だった。http://tower.jp/article/news/3026

Rock'n'Roll Tornado

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        デイル・ホーキンス Suzie Q http://www.youtube.com/watch?v=3vzBznukA60

                      ローリング・ストーンズ Suzie Q http://www.youtube.com/watch?v=WlF0mjs3jw4

                      デイル・ホーキンス オフィシャルサイト http://www.dalehawkins.com/

デイル・ホーキンスの死去を伝えるロサンゼルス・タイムスの記事 http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-dale-hawkins16-2010feb16,0,6454798.story

            

また雪だ。「春が来た」と大喜びしたのは、最高気温21度になったあの一日だけ。翌日からどっと気温が下がり、また冬。一昨日も夕方みぞれになったが、今朝も、雪だ。東京でこんなに雪が降るのもめずらしい。2月になって、もう9回も降っている。こんなに雪が降るのは、26年ぶりという。


アビーロード・スタジオが売りにでている

2010-02-17 | 日記・エッセイ・コラム

ビートルズのレコーディングでも有名なEMIレコードのアビーロード・スタジオが、売りにでている。36億円~43億円という。EMIが経営難だというのだ。http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-13928320100217

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     アビーロード・スタジオ  http://www.abbeyroad.com/

                   

オリンピックの女子カーリング、日本対アメリカは、じつに見ごたえのある、おもしろい試合だった。インターネットで動画をみることができる。http://www.gorin.jp/games/CUCUW400.html#rs5


戸張さんの写真

2010-02-15 | 日記・エッセイ・コラム

戸張さんの二ペソツの写真を紹介しようと思っていたが、美しい木の写真がアップされたので、先にそれをみてほしい。

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思い出すことがたくさんある。

「ここで待ってろ」と、父に言われて立っていたのは、北海道・池田の沼のなかだ。10月の終わりで、薄氷を割って、わたしは沼のなかに立っていた。小学の6年だった。SKBの上下二連の散弾銃をもっていた。

父が、ずっと遠く、一キロくらいむこうまで歩いていくのがみえる。鴨の群が父の頭上まで飛んできて、父がレミントンの連発銃を撃って、何羽かの鴨が落ちるのがみえる。

わたしは、凍った沼のなかに立って、それをみていた。鴨の大群が、わたしの頭上に飛来することはない。それは、わかっていた。十勝川にそって鴨の群れは飛んでくる。その古川の沼におりる。

父のところで撃ちかければ、鴨の大軍は、また十勝川にもどる。わたしが待っているところには、こないのだ。それを、氷の沼に立って、銃をもって、みていた。

「ここで待ってろ」、わたしに、父の指示が絶対だ。それでいいのだ。そういうことが嫌なら、狩猟とか、山登りは、やめるべきだ。リーダーの指示は、反論の余地はない。そういうものだ。

それに、わたしの父は、怖い。

わたしは、凍った沼に立って、紫色に変わる木立をみながら、SKBの銃をかかえていた。「帰るぞ」と、父が声をかけてくれるまで。


オリンピック

2010-02-14 | 日記・エッセイ・コラム

カナダでオリンピックが開催されている。

きのうは、カナダ出身のシンガー・ソングライター、ジョニ・ミッチェルのことを書いた。おなじ世代のビッグ・スターでは、ザ・バンド、そして、ニール・ヤングが、カナダの人だ。

(きょうの、女子モーグルで最高にステキだったのは、里谷多英だ)。

「ニール・ヤング&クレージー・ホース」が1969年(昭和44年)、「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」は1970年、「ハーヴェスト」が、1972年の発売だ。

ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース

アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ

ハーヴェスト

    ニール・ヤング Heat of Gold http://www.youtube.com/watch?v=Eh44QPT1mPE

1970年(昭和45年)発売の、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)の「デジャ・ヴ Deja Vu 」は、一家に一枚というほど爆発的に売れた。すくなくても十勝・帯広の、あの時代のロック少年・ロック少女で持っていない人はない、といえるほど売れた。それも何年ものあいだ、売れつづけた。

デジャ・ヴ

 

                                  

カナダのバンド、ザ・ホークスは、1965年、ボブ・ディランのバンクバンドに抜擢されて注目された。1968年にバンド名を、ザ・バンドと変えてアルバムデビューをした。「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」だ。農家の納屋を改造して、そこでレコーディングをした。その納屋が、ピンク色のペンキで塗られていたから、ビッグ・ピンクなのだ。

Music from Big Pink

 

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このアルバムのなかの曲「ザ・ウエイト」が、映画「イージー・ライダー」につかわれてヒットした。

ザ・バンドは、1976年に解散した。その解散コンサートの模様は、劇場用映画になって公開されて世界でヒットした。「ラスト・ワルツ」、監督は、マーティン・スコセッシ。

ラスト・ワルツ 2枚組特別編 限定仕様版

     

                    

また、eigo21のHideSさんの訳をのせておこう。この曲 Heat of Gold は、全米No.1のヒットになった。

      

孤独の旅路  ニール・ヤング

I wanna live, I wanna give
I've been a miner for a heart of gold.
It's these expressions I never give
That keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old
私は生きたい
私は与えたい
私はやさしい心を求める希求者だ
こういう言葉は口に出さないが
私はやさしい心を求め続ける
そして私は年をとっていく

I've been to Hollywood I've been to Redwood
I crossed the ocean for a heart of gold
I've been in my mind, it's such a fine line
That keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old.
Keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old.
ハリウッドに行ったことがある
レッドウッドにも行ったことがある
やさしい心を求めて海を渡る
こういうすばらしい言葉のせいだと思う
私がやさしい心を求め続けるのは
そして私は年をとって行く

Keep me searching
for a heart of gold
You keep me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
I've been a miner
for a heart of gold.
君がいるから私はやさしい心を求め続ける
君がいるから私はやさしい心を求め続ける
そして年をとっていく
私はやさしい心を求める希求者だ

訳: HideS

            

北海道の国会議員の悪しき話題は、つきない。http://www.asahi.com/politics/update/0215/TKY201002150227.html


ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」

2010-02-13 | 日記・エッセイ・コラム

きょうの、バンクーバー・オリンピックの開会式で、カナダが生んだ偉大なシンガー・ソングライター、ジョニ・ミッチェルの名曲 「Both Sides Now  青春の光と影」が歌われた。

(ライブにあったこのシーンが、夜7時半からの、NHK の放送では、カットされていた。驚いた。がくぜんとした。日本では、もう放送の現場の人間は、ジョニ・ミッチェルのことも、ジョニ・ミッチェルのことを偉大なミュージックとして、カナダ人がどれほど尊敬し、誇りにしているのかも、知らないのだろう。残念だ。いまの日本の放送も、日本の音楽も、つまらないわけが、よく分かった。

無知と無関心と無感動と思い上がり、かな。けっきょく与えられすぎると、こうなる。音楽に対する飢えがないと、創造力が枯渇する。与えられすぎると、感性が鈍化して、良質なものを聴き分けられない。安く簡単に多量にほしいものが手にはいると、すべてが軽く、安っぽいものに思ってしまう。価値あるものを必要としないから、価値をみいだす耳もない)。

                               

この曲「Both Sides Now  青春の光と影」が、B面最後に入ったアルバム「Clouds 」の、日本での発売は、1969年(昭和44年)のことだった。

青春の光と影(SHM-CD)

ジョニ・ミッチェルは、グラミー賞に16回ノミネートされ、9回受賞している。

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北海道・帯広のわたしのレコード屋では、ジョニ・ミッチェルのアルバム「Blue」(1971年)が、長い間よく売れた。

Blue

  ジョニ・ミッチェル Both Sides Now 青春の光と影 http://www.youtube.com/watch?v=bcrEqIpi6sg

いま、聴きかえして、あらためて、みごとな歌詞だな、と感動する。日本の短歌のように、言葉の音が美しい。(こういう曲を聴くと、あらためて、英語もまた、洗練された美しい言語だな、と思う、日本語のように)。言葉のリズムと韻が美しい。その言葉で表現している、不安な若者の心象心理も、よくわかる。もし歌でなくて、紙に書かれた純粋詩であっても、みごとな詩だ。それで、明確で美しいメロディで歌われる。すごい。すごすぎるわけだ。

とくに、韻をふんだ詩句なかで、“Tears and fears and feeling proud ” というところの、この語感が、一番好きだ。

 

以前にも紹介したサイト、eigo21、「なつメロ英語」の訳を下に引用させてもらう。原詩と翻訳の歌詞を読みながら、ユウーチューブのジョニ・ミッチェルが歌う映像をみてほしい。

                   

青春の光と影   ジョニ・ミッチェル

Rows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way
幾重に流れる天使の髪。
アイスクリームのお城が浮かんでる。
ふわふわ 羽の峡谷が あそこにもここにも。
私は雲をそんな風に見てました。 

But now they only block the sun
They rain and they snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way
でも今 雲は太陽をさえぎって
雨を降らせ 雪を降らせます。 誰の上にも。
私はたくさんのことをするつもりだったけど
雲が 私の行く手をじゃましたのです。

   I've looked at clouds from both sides now
   From up and down, and still somehow
   It's cloud illusions I recall
   I really don't know clouds at all
   私が雲を見たのは 二つの側面からです。
   上から見たり下から見たり。 でもなんとなく
   雲の幻が 頭に浮かんだだけ。
   本当はわかっていません。 雲のことは何も。

Moons and Junes and Ferris wheels
The dizzy dancing way that you feel
As every fairy tale comes real
I've looked at love that way
幾度も巡る お月様, 六月, 観覧車。
めまいを起こす踊りみたい。
一つ一つのおとぎ話が現実になるたびに
私は恋をそんな風に見ていました。

But now it's just another show
And you leave 'em laughing when you go
And if you care, don't let them know
Don't give yourself away
でも今は 違う恋の話の始まりです。
笑いたい人は 笑わせておくのです。 放っておきましょう。
もし気になっても そんな顔を見せちゃだめ。
自分をうっかり見せちゃだめ。

   I've looked at love from both sides now
   From give and take, and still somehow
   It's love's illusions I recall
   I really don't know love
   Really don't know love at all
   私が恋を見たのは 二つの側面からです。
   与えたりもらったり。 でもなんとなく
   恋の幻が 頭に浮かんだだけ。
   本当はわかっていないません。 恋のことは何も。

Tears and fears and feeling proud
To say "I love you" right out loud
Dreams and schemes and circus crowds
I've looked at life that way
涙と不安 でも誇りを感じながら
私は言います。 「愛してる」って大声で。
夢と計画 サーカスの群集。
私は人生をそんな風に見てました。

Oh but now old friends they're acting strange
And they shake their heads
And they tell me(said) that I've changed
Well something's lost but something's gained
In living every day
でも昔からの友達といったら おかしなことばかりします。
頭を左右に振って
私に言います。 「あなた変わったわね」
そう 失った物もあるし 得たものもあります。
毎日暮らして行くうちには。

   I've looked at life from both sides now
   From win and lose and still somehow
   It's life's illusions I recall
   I really don't know life at all
   私が人生を見たのは 二つの側面からです。
   勝ち負けという見方から。 でもなんとなく
   人生の幻が 頭に浮かんだだけ。
   本当はわかっていません。 人生のことは何も。

   It's life's illusions I recall
   I really don't know life
   I really don't know life at all
   人生の幻が 頭に浮かんだだけ。
   本当はわかっていません。 人生のことは。
   本当はわかっていません。 人生のことは 何も。

訳: HideS    

     eigo21 http://www.eigo21.com/index.shtml

     ジョニ・ミッチェル Both Sides Now  (2000年 live) http://www.youtube.com/watch?v=tKQSlH-LLTQ&feature=related

                          

しかし、北海道の民主党国会議員というのは、どこまで恥知らずなのか。じぶんの選対幹部が、公職選挙法違反で有罪判決をうけた小林千代美衆議院議員は、離党も、議員辞職もしない、と記者会見をした。http://www.hokkaido-365.com/news/2010/02/post-804.html


パタゴニアは、シー・シェパードのスポンサー

2010-02-12 | 日記・エッセイ・コラム

ついに、シー・シェパードのロケット弾の攻撃で、日本人の乗組員が、3人負傷した。

シー・シェパードは、おなじように捕鯨をやっている白人の、ノルウェーの船やロシア船には、まったく手出しせず、東洋人の日本人を執拗に攻撃している。このまま放置すれば、ますます助長して、日本人乗組員の生命にかかわる事態になるのは、明白だった。前・麻生政権では、調査捕鯨船の護衛に海上保安庁の巡視船を同行させると決めていた。しかし、鳩山政権は、再び、まるごしで調査船を出航させた。

グリーンピース=シー・シェパードとは、環境商売のれんちゅうだ。偽善的なキャンペーンを看板に、世界じゅうの企業から寄付を集める商売だ。幹部たちは、王族のような生活をしている。慈善団体というビッグビジネスなんだ。

反捕鯨は、かっこうの商売のネタだ。白人の国では、もうほとんどやってない。ノルウェーやアイスランドやロシアがやっているが、これも自国での消費はわずかで、ほとんど日本に輸出するためだ。カナダやアラスカの少数民族も鯨を捕っているが、これも認めて抗議しない。白人の国の捕鯨を問題にしなければ、多額の寄付金を集めることができる。

その商売の尖兵が、シー・シェパードで、派手にやればやるほど、話題になってキャンペーンの効果は高い。世界に、日本人の野蛮さをことさら宣伝できる。そして、寄付金が集まる。

アメリカのアウトドアー用品のメーカー、パタゴニアは、シー・シェパードのスポンサーだ。過激な反日本の組織に活動資金を提供するスポンサーでありながら、つぎつぎと日本に出店して、日本人の支払う金で儲けている。ナメられたものだ。

        パタゴニアは、日本から撤退せよ http://www.youtube.com/watch?v=4G77Tcr9vGw&feature=PlayList&p=268163EFE5898638&index=0&playnext=1

                          

いっぽう、北方領土での日本漁船の違反操業に、ロシアは、武器使用で手加減しない、といってる。http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021101000555.html

                         

小沢民主党幹事長の不起訴は不当として、市民団体が、きょう、検察審査会に起訴するように申し立てた。http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002121910034-n1.htm

     与謝野馨vs鳩山由紀夫 (きょうの衆議院予算委員会)http://www.youtube.com/watch?v=r55qt774Pk0 

     衆議院インターネット審議中継 http://www.shugiintv.go.jp/jp/