Ommo's

古い曲が気になる

大晦日

2011-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

 

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 大晦日、北海道の母から、毛ガニや鮭や十勝牛や、中札内村産枝豆がとどいた。いくつになっても、母さんは母さんだ。ありがたい。ジジイになって、孤独に大晦日をおくるバカ息子を気づかってくれる。そして、酒の肴に、なにが好きなのかよく知っている。母のつくる、イクラの醤油漬け。これが、最高に、うまいのだ。

 なでしこジャパンのサッカーをみながら、毛ガニを食う。そして中札内の枝豆、なんて幸せな年越しだ。やはり、ワインの栓をぬこうかな。

 

 部屋にケーブルテレビの回線がはいっているので、10年以上むかしのビクターのブラウン管テレビでデジタル画像をみている。これが鮮明で、いままで見ていたのは、いったい何だろな、という映像なのだ。ハイビジョン的鮮明映像をみるのに、別に薄型液晶テレビは必要ない。昔ながらの、ビクターのブラウン管テレビで十分なのだ、わたしの場合………。

         

 ジジイになって、涙もろくなっているのだが、今年は、心のどこかが折れて、よく泣く。「津波で、子供ふたり亡くしました。母も死にました。いま私、妊娠していて、このお腹の子が、そのみんなのような気がして、大事に育てたい、と思います」と、テレビの取材にこたえる女性がいる。ああ、なんてことだろ! わたしは、心乱れて、もう冷静にはみられないのだ。泣く。きっと日本じゅうのみんなが、おなじだろう。わたしのように、なぜかひどく涙もろくなったのではないだろうか………。

    

 大震災。あの日のことは、鮮烈だ。それに、わたしの身内は東京消防庁の隊員だ。りっぱに任務をはたした。福島原発へ放水に行ってくれたのだ。無事に任務をはたし、元気な姿で帰ってくる夫や父を待つ、家族の気持ちが痛いほどわかる。

 そして、福島県の双葉………わたしの、祖父と祖母の故郷だ。原発事故の、そここそが、わたしたち一家の、心の故郷なのだ。

 


菅原洋一さん、「小雨降る径」

2011-12-30 | 日記・エッセイ・コラム

                       

 セルビアの女性グループがタンゴを歌っていたが、いま、日本の若者は、どうしてタンゴをやらないのだろ?

 むかし、菅原洋一さんのステージの舞台監督をやったことがある。リハーサルで菅原さんが歌うと、首すじの毛が逆立った。『なんて、歌がうまいんだろ』

     菅原洋一 「小雨降る径」 http://www.youtube.com/watch?v=UUT3c6lr6FY

 

 いま話題の由紀さおりさんの『1969』は、「ブルー・ライト・横浜」が最初の曲だ。これは、チャチャといわれるダンスのリズムだ。

 


旅立てジャック

2011-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

              

 31日、NHK・BSでは午前10時から、なでしこジャパンだ。ワールドカップの6試合と、ロンドン・オリンピック・アジア予選の全試合を24時間放送する。これは楽しい大晦日になりそうだ。しかし、酔っ払ってられないな。

 わたしは、飲んでサッカーをみるのは好きじゃない。酒を飲むと集中力が散漫になって、どんなすごいゲームをみていても、あまりおもしろくない。サッカーをみておもしろいは、マラソンとおなじで、ゴールに至る過程だ。経過、流れだ。オフェンス側、ディフェンス側の動きを俯瞰的にみているときこそ、こっちにも緊張感があってたのしい。

 テレビのサッカー観戦は、ビールがないとダメでしょ、と人はいうが、わたしは、ビールが入るとダメだ。ただもう、ひたすらビールのほうに神経は集中して、サッカーは、もうどうでもよくなる。「ウダウダやってないで、ばんばんシュートして、さっさと終わってよね」という気分になるのだ。

 まあ、とにかく、久しぶりにたのしい大晦日になりそうだ。これはきっと、来年がいい年なんだろう。

                     

 セルビアの女性4人グループ、フラーイル(The Frajle)が歌っていた Hit the Road Jack は、レイ・チャールズの1961年(昭和36年)のヒット曲(邦題は、旅立てジャック)だが、オリジナルは、パーシー・メイフィールドだ。

 わたしは、セルビアのグループの演奏を聴いて、レイ・チャールズの大ヒットバージョンだけでなく、このセルビアの若い歌い手たちは、オリジナルを聴きこんでいるな、と思った。

     パーシー・メイフィールド Hit the Road Jack http://www.youtube.com/watch?v=8MElMrfzSq8&feature=related

Poet of Blues

              

      レイ・チャールズ Hit the Road Jack  http://www.youtube.com/watch?v=qI_nrfxV2ps&feature=related

                  

 作者のパーシー・メイフィールドが酔って Hit the Road Jack を歌う、プライベート・フィルムのような晩年の映像がある。この酔っぱらいの Hit the Road Jack がじつにいいのだ。作者自身が歌うと、やはり独特の味がある。1984年の映像だ。この年にパーシー・メイフィールドは亡くなった。64歳の誕生日の、1日前だったという。

      パーシー・メイフィールド Hit the Road Jack http://www.youtube.com/watch?v=CUqX9oK8_ZY

 歌の内容は、ダメ男が原因の痴話喧嘩みたいな話だ。邦題の「旅立てジャック」は、まるで日本のテレビの、青春ドラマのタイトルだが、歌詞の内容とはかなりちがう。これは男と女の生臭い別れ話なのだ。

 「出っていって、ジャック! 二度と、もどってこないでね!」と、女がいい、浮気男ジャックが、ウダウダ言い訳をする、という歌だろう。

    フラーイル Hit the Road Jack http://www.youtube.com/watch?v=tQIx1tfLmQ4&feature=related

                

  


セルビアのグループ

2011-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

             

 

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 フラーイル(The Frajle)は、セルビアの女性4人グループ。2本のアコースティック・ギターだけのシンプルなグループだが、じつにいい。日本のガールズ・バンドとは少しちがう。メンバーは30歳前後、キャリアのあるミュージシャンたちだ。

 左から、ネヴェナ・ブーサ(1978年生まれ)、エレナ・ブーサ(1981年)、ふたりは姉妹。ジャズ・バンドのボーカルだった、金髪のナタシャ・ミハイロビッチ(1979年)。一番右が、ギターとボーカルのマリア・ミルコビッチ(1983年)。

 4人は、セルビア、ノヴァ・サドのグループ。ジャズ、リズム&ブルース、タンゴ、ロック、そしてセルビアの伝統音楽、ジャンルを超越した音楽と、陽気なパフォーマンスがじつにたのしい。

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     フラーイル Hit the road Jack http://www.youtube.com/watch?v=tQIx1tfLmQ4&feature=related

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          フラーイル Stranac u noci  http://www.youtube.com/watch?v=y9WnqwJE48U&feature=related

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    フラーイル Ich Liebe Dich http://www.youtube.com/watch?v=HuCydkmGd1Q&feature=related

   フラーイル Sway http://www.youtube.com/watch?v=XagCTXHs1Eg&feature=related

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          フラーイル Stiklice http://www.youtube.com/watch?v=6O15njvqf2U&feature=related

    フラーイル Mercy http://www.youtube.com/watch?v=l8A8qNHrsxs&feature=related

                        

         


スケート その2 清水宏保は帯広の人

2011-12-27 | 日記・エッセイ・コラム

                   

 北国で育ったわたしは、浅田真央のやっていることがどれほどすごいことか、よくわかる。

 北海道のほかの地域のことはよく知らないが、冬、わたしが育った帯広・十勝では、小学校、中学校の校庭はスケートリンクになる。体育はもちろんスケートだし、朝授業がはじまる前にリンクで遊び、放課後もリンクでスケートをする。スピードスケートが主流だが、アイスホッケーも少年たちに人気のスポーツだ。フィギュア・スケートをやる女の子たちもいる。

 わたしは、中学のときアイスホッケーが好きで、真っ暗になるまで友達と遊んでいた。北国の日暮れは早いから、暗くなると、ひとりが懐中電灯をもってパックを照らす。だが、パックのスピードを追えず、「どこ、どこ? パック、どこにいったの?」と、みんなでパックを探しまわる。

 オリンピックのゴールドメダリスト、清水宏保は帯広の人、スケートの名門校・帯広白樺高校出身だ。もちろん帯広市だけでなく、十勝管内全域でスケートが盛んだ。帯広以外からもオリンピック選手が何人もでている。

 むかし、わたしの高校のクラスにも、オリンピック選手候補のすごい娘がいた。顔はメチャクチャ可愛くて、そして、すさまじく太いフトモモだった。その少女っぽい愛らしい顔と、超一流のアスリートの筋肉の、そのアンバランスは強烈だった。

                  

 浅田真央のフィギュア・スケートと、アイスホッケー、スピードスケートではスケートのブレードの形状がまるで違う。

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 フィギュアのスケートで特徴的なのは、前にあるギザギザの歯だろう。この歯を氷にかませてジャンプをする。このギザギザがなければ、浅田真央の、あのみごとなジャンプもない。氷上で、ジャンプをして体をひねり回転させるというのは、たいへんな技なのだ。足だけでなく、全身の筋力をつかう体力と、タイミングをつかむセンスが必要だ。そして、このギザギザをつかいこなす技だ。

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 アイスホッケーのスケートは、フィギュアよりさらに機動性が必要だから、ブレードは短く、接地面は少なく、両側は丸くなっている。急に止まり、方向をかえる、振り向く。自在に動けなくちゃダメだ。しかし、ギザギザの歯はない。アイスホッケーに、ジャンプ&回転は必要ないからだ。それに、氷上の格闘技であるアイスホッケーに、あんなギザギザ・スケートをつかったら、危なくてしょうがない。

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 スピードスケートに必要なのは、スピード、直進性だ。ブレードが長いほど直進性が高いが、スキーのように長くても扱えない。このくらいの長さが限界だろう。


スケート

2011-12-26 | 日記・エッセイ・コラム

  

 わたしは、北国、十勝・帯広で育ったから、すごいスケーターに対する敬意は、南国の人とは、ちょっと違うのかも知れない。

 浅田真央のフリーに感動した。前日のショート・プログラムも、テレビを見ていて、途中でジーンとして、涙腺がゆるんだ。ほかのスケーター、例えば鈴木明子や村上佳菜子のパフォーマンスは、スポーツだ。だが、浅田真央の演技は、それを超えた、なにかだ。アイスショーではないアマチュア競技なのに、あまりに芸術的で、あまりに音楽的だ。

 それを3年くらい前に感じていた。その最高の演技が、バンクーバー・オリンピックのフリーだった。あれは、すごい。いま思い出しても鳥肌がたつ。あれから浅田真央の芸術は、さらに洗練されてきている、とわたしは思う。

 わたしは、浅田真央がひどく好きだし、フィギュア・スケートをみるのが好きだ。アイスホッケーもスピートスケートも好きだ。頂点のスケートの選手が、どれほどすごいか。(ショートトラックは、わたしはあまり、おもしろくない)。

 わたしは、北海道・十勝・帯広の出身だ。わたしたちは、小学生のときから冬の体育は、スケートなのだ。わたしたちの国では、スケートができない人はいない。その、十勝出身のわたしは、浅田真央にいつも感動する。

  

 


スマイル

2011-12-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

Blue Midnight Blue Midnight
                       

 きょうも、サントリーの発泡酒のテレビCMで流れていた、L.O.V.E(ラヴ)は、ナット・キング・コールの歌で世界ヒットして、いまも愛され、カバーされる曲だ。そのオリジナルは、西ドイツのベルト・ケンプフェルトだ。

 歌のないインストロメンタル、日本でいうところのムード音楽が先なのだ。アメリカのヒット曲をドイツのムード音楽のオーケストラがカバーしたのではない。逆だ。西ドイツのライト・オーケストラの曲に、アメリカのレコーディング・プロデューサーが英語の歌詞をつけ、そして、ナット・キング・コールが歌った。

   ベルト・ケンプフェルト L.O.V.E http://www.youtube.com/watch?v=gTZk4QbaUMo

 翌年、この曲は英語の歌詞がつけられて、こうなる。1965年(昭和40年)のことだ。

   ナット・キング・コール L.O.V.E  http://www.youtube.com/watch?v=JErVP6xLZwg 

                

 それはなんだか、Smile (スマイル)に似ている。なにが似ているか、というと。忘れられ、消えていくかもしれない美しい曲を、ナット・キング・コールが歌って、その曲の美しさを認識させたことだ。楽器ではない、人間の肉声の力と、言葉の力、言霊(ことだま)だ。そして、ナット・キング・コールという天才歌手の歌唱表現の力だ。

 マイケル・ジャクソンが亡くなって、人々に再認識された「スマイル」は、古い曲。1936年(昭和11年)の曲なのだ。

 チャーリー・チャップリンの映画『モダン・タイムス』の音楽だ。作曲は、チャップリン自身。チャーリー・チャップリンは、じぶんの映画の音楽はすべてじぶんで作った。チャップリンは楽譜を読めない人だという話があるが、バイオリンもピアノも、じつに巧みだった、という。

   『モダン・タイムス』 http://www.youtube.com/watch?v=Ps6ck1ejoAw

モダン・タイムス (2枚組) [DVD]

 1936年のこの映画は大ヒットしたから、この曲もさまざまなミュージシャンによって演奏された。しかし、まだ歌詞はない。1954年になって、作詞家チームのジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが英語の歌詞をつけ、ナット・キング・コールが歌った。

   ナット・キング・コール Smile http://www.youtube.com/watch?v=v3bZU0CMdkE&feature=related

 つまり、ナット・キング・コールが歌詞をつけて歌わなければ、ジャズやイージーリスニングのミュージシャンがときどき演奏するインストロメンタルの曲、だったのかも知れない。チャーリー・チャップリンの映画のとき、この曲に Smile のタイトルはなかった。曲名はなかったのだ。ナット・キング・コールが歌ったとき、「スマイル」と名づけられた。

ベスト・オブ・ナット・キング・コール~L.O.V.E.

                        

   マイケル・ジャクソン Smile http://www.youtube.com/watch?v=2HsJ7CgmIVM

   

   

   


ベルト・ケンプフェルトを知っていますか?

2011-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

                                 

 ハーブ・アルパートの「マルタ島の砂」は、日本で大ヒットした。作曲したのは、西ドイツのベルト・ケンプフェルトだ。

   ベルト・ケンプフェルト The Maltese Melody (マルタ島の砂)http://www.youtube.com/watch?v=bpLJ_W299Z8

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 (いまは、ベルト・ケンプフェルトと表記するようだ。わたしは昔と同じように、ベルト・ケンペルトと書きたいのだが……)

 ベルト・ケンプフェルトは、西ドイツのトランペッターで、作曲家、バンドリーダーで指揮者、アレンジャー、そして、レコーディング・プロデューサーだ。

       ベルト・ケンプフェルト live 1967 http://www.youtube.com/watch?v=QUFvr2kcwYw

      

 ポピュラー・ミュージックの世界で、ムード・ミュージックとかイージーリスニングがほとんど死語になった、いまの日本で、ベルト・ケンプフェルトは、すっかり忘れられたミュージシャンだろうか。

 しかし、ビートルズ神話の重要な登場人物の一人なのだ。ビートルズが最初にレコーディングしたのは、西ドイツ・ポリグラム社(ポリドール・レコード)のスタジオで、ベルト・ケンプフェルトが制作したトニー・シャリダンのレコードなのだ。

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 1961年(昭和36年)のベルト・ケンプフェルト。ベルト・ケンプフェルトは、トランペットをフィーチャーした自分自身のオーケストラで、かずかずのヒットレコードを発売し、ポリドール・レコードのプロデューサーとしても、さまざまなアーティストのレコードを制作して活躍していた。

 ベルト・ケンプフェルトは、トニー・シャリダンのレコーディングのとき、バック・バンドに、ハンブルグのクラブに出稼ぎにきていたイギリス・リバプールのロック・バンドを雇う。のちのビートルズだ。ハンブルグ出身のベルト・ケンプフェルトは、地元の音楽事情にくわしかったのか、ハンブルグで働くイギリスの、このバンドを知るなにかがあったのだろう。

 ビートルズが、ブライアン・エプスタインのマネージメントと、ジョージ・マーチンのプロデュースでメジャーデビューするのは、1963年。ベルト・ケンプフェルトが、ビートルズを雇ったのはその2年まえ、1961年のことだ。

        

 この、西ドイツでベルト・ケンプフェルトがプロデュースした、トニー・シャリダンのポリドール盤は、ビートルズのデビューに大きな役割をはたす。というは、ビートルズが出稼ぎ先のドイツ・ハンブルグからイギリス・リバプールにもどって、ライブハウス・キャバンクラブにでているときのこと。

 リバプールの老舗家具店のレコード売り場主任ブライアン・エプスタインに、「ドイツで発売された“マイ・ボニー”というレコードはないですか?」と若者がたずねた。「地元リバプールのバンドが、バックで演奏してるんです」という。ブライアン・エプスタインがまったく知らないレコード、グループで、とうぜん在庫もなかった。エプスタインは、このレコードが気になって調べるわけ。

 (わたしは、レコードショップの店員の体験から、その心理がよくわかる。お客さんに尋ねられて、知りません、わかりません、と、アホな応対をして、自分自身、プライドが傷ついている。オレ、何年この仕事やってんだろ、なさけないな、とヘコむわけ。在庫がなくて、みすみす売上を失った、という実利の、商売人としてのミスもある。

 だから、お客さんが帰ったあと、納得できるまで徹底的にしらべる。むかしはパソコンというものがないから、これがやっかいな作業なのだ。各レコード・メーカーの年鑑のようなカタログをみる。このカタログにない新しいレコードは、月毎の新譜注文書をみていく。日本の場合、オリコン年鑑がでたのは、70年代の半ばかな。オリコン年鑑と月毎の分冊があっても、新しい曲のタイトルだけで探すのは、やっかいなのだ。それに、お客さんがいうタイトルが、いつも正確とはいえない)

          

 ブライアン・エプスタインは、その西ドイツ・ポリドール制作のレコード“マイ・ボニー”のバンドがおなじ街のライブハウス・キャバンクラブに出演している、地元のバンドだと知る。そして、キャバンクラブにそのバンドを見にいく。 

 こうして、ビートルズのサクセスストーリーが現実のものになっていく。これからの話は、どんなビートルズ物の本にも書いてあるから、みんなが知っていることだろう。わたしがあらためて書くことでもないが。

 ブライアン・エプスタインは、ビートルズをデッカ・レコードで断られた、そのとき、どういう言葉でデッカ・レコードは、エプスタインを罵倒し、断ったのだろ。そのこと、興味あるな。

 こんなクソバンド、とか、田舎リバプールのバンドなんか、とか。こんなクソバンド、売れるわけねえだろ、あんたは、田舎のレコード屋だから、なにが流行るかなんて、なんにも、わからないだよ! とか罵倒されたのかな。

 こうして、ブライアン・エプスタインはデッカ・レコードから断られてもめげず、エンジェル・レコードの子会社、エピフォン・レコードのプロデューサー、ジョージ・マーチンにデモ・テープを聴かせて、共感をえて、そして、メジャーデビューするわけだ。そして爆発する。(しかし、今夜は、ビートルズの話ではなく、ベルト・ケンプフェルトの話をしたい)

    

 ジョージ・マーチンが、リバプールのブライアン・エプスタインの売りこんだバンド、ビートルズと契約をした、その遠い背景には、西ドイツ・ポリドールの名プロデューサー、ベルト・ケンプフェルトが才能をみとめてバックバンドで雇った、ということがある。と、わたしは思っている。ビートルズがデビューするころ、ドイツのベルト・ケンプフェルトは、すでに世界で知られるミュージシャン、プロデューサーだった。(同世代のジョージ・マーチンが、ドイツからヒットをとばすベルト・ケンプフェルトを知らないわけがない。)

 (ドイツ・ポリドールは、ヨーロッパ老舗レーベルだ。ベルト・ケンプフェルトがライト・ミュージックで活躍した、そのとき、クラシックでは、カラヤン&ベルリン・フィルのポリドール盤が世界じゅうでメチャクチャ売れていた)

              

 日本でも、ベルト・ケンプフェルトの曲がヒットした。50年代おわりから、60年代初頭のことだ。

    ベルト・ケンプフェルト Till (愛の誓い) http://www.youtube.com/watch?v=Dl_BK8kmsN4

 日本では、ムード音楽のバンドリーダーという感じかな。しかし、ベルト・ケンプフェルトが作曲して、それをアメリカ人がカバーして英語の詩で歌い、世界的にヒットして、それが日本でもヒットしたという曲がいくつもある。

 ナット・キング・コールのL‐O‐V‐E とか、ブレン・ダリーやコニー・フランシスが歌った「ダンケ・シェーン」とか、フランク・シナトラの「夜のストレンジャー」とか、日本でもヒットした曲は、ベルト・ケンプフェルトの曲なのだ。

 最近もサントリーの、麦なんとやらのCMにも、L‐O‐V‐E が使われている。この曲が、ドイツのベルト・ケンプフェルトの曲だ。

   ナット・キング・コール L‐O‐V‐E http://www.youtube.com/watch?v=JErVP6xLZwg

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     ベルト・ケンプフェルト・オーケストラ Afrikaan Beat http://www.youtube.com/watch?v=mOf4uNwvC6c&feature=related

     ベルト・ケンプフェルト・オーケストラ That Happy Feelimg http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=_9Wx8BRjzoI&NR=1

                  

 フランク・シナトラの「夜のストレンジャー」も、ドイツのベルト・ケンプフェルトの曲だ。

   フランク・シナトラ Strangers In The Night http://www.youtube.com/watch?v=hlSbSKNk9f0

 日本ではコニー・フランシスやブレン・ダリーの歌で流行った「ダンケ・シェーン」も、ベルト・ケンプフェルトの曲だ。

    ウェイン・ニュートン Danke Schoen  http://www.youtube.com/watch?v=0m_giioppT4

 プレスリーやフィリオ・イグレシアスが歌っていた Spanish Eyes も、作曲はベルト・ケンプフェルトなのだ。

    エンゲルベルト・フンパーディンク Spanish Eyes http://www.youtube.com/watch?v=F4s__QO9kG0

            

    ベルト・ケンプフェルト オフィシャルサイト http://www.kaempfert.de/en/ 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハーブ・アルパートの「アイル・ビー・バック」

2011-12-23 | 日記・エッセイ・コラム

                    

 電話で、九州の森本裕二くんとハーブ・アルパートの話になった。ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスのメンバーが、カーボーイ・スタイルで写っているLPが好きだった、と森本くんがいう。とくに、「アイル・ビー・バック」に感動しました、と。

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Artist:  Herb Alpert & the Tijuana Brass
Title:  The Brass are Comin'
Date:  1969
Label:  A&M Records   SP 4228
Art Direction:  Tom Wilkes
Photography:
Front Cover ? John Engstead
Back Cover ? Barry Feinstein
Inside Cover ? Jim McCrary

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 ハーブ・アルパートの演奏する「アイル・ビー・バック」は、1969年(昭和44年)発売のLPレコード The Brass Are Comin' にはいってる。

   ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス I'll Be Back http://www.youtube.com/watch?v=taizYOaaj-4

 「アイル・ビー・バック I'll Be Back 」は、もちろんビートルズの曲だが、ハーブ・アルパートは、ビートルズのオリジナルの奥にある悲しみをひきだして、みごとに哀愁漂う曲に仕上げている。

                 

 ビートルズの「アイル・ビー・バック」は、1964年の映画『ビートルズがやって来る、ヤア! ヤア! ヤア! A Hard Day’s Night 』のサントラ。

              ビートルズ I'll Be Back http://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8

 ジョン・レノンは、デル・シャノンの大ヒット曲 Runaway (悲しき街角)にインスパイアされて この「アイル・ビー・バック」を作った、と後に告白している、という。

 デル・シャノンのRunaway (悲しき街角)は、1961年(昭和36年)のヒット曲。日本でもよく売れた。

     デル・シャノン Runaway http://www.youtube.com/watch?v=8TLLcvWeiKw

ザ・ベリー・ベスト・オブ・デル・シャノン

                             

 ハーブ・アルパートの「アイル・ビー・バック」は、日本ではシングルカットされて、「マルタ島の砂 The Maltese Melody 」のB面で発売された。「マルタ島の砂」は、日本で大ヒットしたから、このEPレコードを持っていた人は多いだろう。「アイル・ビー・バック」が、ビートルズがオリジナルと知って驚いたのではないだろうか。

    ハーブ・アルパート The Maltese Melody (マルタ島の砂)http://www.youtube.com/watch?v=3ZlW8FmHros

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    ハーブ・アルパート オフィシャルサイト http://www.herbalpert.com/music_home.shtml 

 

                      


セシリア

2011-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

 

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 「セシリア」は、サイモンとガーファンクルの歴史的アルバム『明日に架ける橋』(1970年)に収録され、シングルカットもされて、世界じゅうでヒットした。いまもカバーされる曲だ。この曲をポール・サイモンは今年のテレビ番組で歌っている。きのう、飲んだくれのクリスマス・ソングを紹介したが、そのジミー・ファロンとのデュオなのだ。じつにたのしい演奏だ。

      ポール・サイモン&ジミー・ファロン Cecilia http://www.youtube.com/watch?v=koQ5V2rsick

      ゲーリック・ストーム Cecilia http://www.youtube.com/watch?v=MQRsTqUW8ls

 ゲーリック・ストームは、アイルランドのグループだ。ことし発売のアルバム Cabbage で「セシリア」をカバーしている。上のユーチューブの映像はニューヨークでのライブ。

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Live in Chicago [DVD] [Import] Live in Chicago [DVD] [Import]


飲んだくれのクリスマス・ソング

2011-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

               

 市ヶ谷で打ち合わせが終わって、そのまま歩いて帰ってきた。長い散歩だ。途中で丸善本店の洋書売り場をみたり、茅場町で立ち食いそばを食べたり、門仲で富岡八幡宮にお参りしたり、寄り道をしたから、4時間かな。長い散歩だが、考えこむには、歩くのが一番だ。

 コースはこうだ。市ヶ谷から靖国通りを下って、日本武道館のまえを通り、お堀に沿って大手門にでる。そこから東京駅に向かう。そのまま永代通りをどんどん進み、隅田川を渡り、門前仲町、木場、東陽町と歩き、荒川の橋を渡る。そこは江戸川区で、どんどん歩くと浦安橋にでて、旧江戸川をこえる。そこが浦安、千葉県だ。

                    

 センチメンタルなクリスマス・ソングのことを書いたが、笑える愉快なクリスマス・ソングもある。飲んだくれが、クリスマスを歌っている。

    ジミー・ファロン Drunk on Christmas http://www.youtube.com/watch?v=AHRezuVCYhw


アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス

2011-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

                     

 かなりセンチメンタルなクリスマス・ソングに、「アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス」がある。

     ビング・クロスビー I'll Be Home For Chrismas http://www.youtube.com/watch?v=VFGfCn5rKIM

 この曲は、ビング・クロスビーが最初にレコーディングした。1943年(昭和18年)のことだ。いまもアメリカ人に愛され、歌われるクリスマス・ソングのスタンダードだが、第二次世界大戦真っ最中のクリスマス・ソングだ。戦場で兵士が家族に手紙を書いている、という設定の歌なのだ。

 クリスマスには家に帰るからね、ぼくをパーティーのメンバーに入れておいてだいじょうぶだよ、雪とヤドリギと、クリスマス・ツリーの下にプレゼントを用意して待ってて、クリスマス・イヴにはぼくに会えるから………と歌うわけ(帰れやしないけど……)。曲の最後は、せつなく、こう結ばれる。I'll be home for Chrismas, if only in my dream. (クリスマスには帰るよ、ぼくの夢のなかでね)

 第二次世界大戦が終わると朝鮮戦争、朝鮮戦争が終わるとベトナム戦争、ベトナム戦争が終わると湾岸戦争、アフガン戦、イラク侵攻。アメリカが戦争をしてないときはないから、アメリカの若者にとって、このクリスマス・ソングはつねにリアルだ。リアルでせつないクリスマス・ソングなのだ。

 戦場の兵士だけじゃなく、クリスマスに家に帰れない人々がいる。クリスチャンにとって、一年でもっとも家族で過ごすべきときを、仕事や、さまざまな理由で家族のもとに帰れない。そういう人の心情を代弁し、共感を生む曲なのだろう。いまもクリスマス・アルバムには欠かせない曲のひとつだ。

 フランク・シナトラやエルビス・プレスリーやカーペンターズの名唱もあるが、最近のバージョンでは、エイミー・マンとラスカル・フラッツの歌が好きだ。

    エイミー・マン I'll Be Home For Chrismas http://www.youtube.com/watch?v=ymzLDBF5RM8

    ラスカル・フラッツ I'll Be Home For Chrismas http://www.youtube.com/watch?v=igScPXNahf0&ob=av2e

One More Drifter in the Snow

             


キャシーの歌

2011-12-17 | 日記・エッセイ・コラム

                  

     サイモンとガーファンクル Sound of Silence http://www.youtube.com/watch?v=9hUy9ePyo6Q

 サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は、なんど聴いても、どんなに歳になって聴いても、そのたびに新しい感動がある。すごい曲だ。これこそ、名曲中の名曲だろうな。

 (遠いむかしのこと、最初に聴いたのは、中学の2年生のときだったろうか。「静寂のなかの音 Sound of Silence 」とは、何だろ? いまも考える)

 しかし、最初に発表されたときは、まったく売れなかったのだ。1964年(昭和39年)、サイモンとガーファンクルは、アルバム『水曜の朝、午前3時』を発売した。「サウンド・オブ・サイレンス」は、このアルバムにはいっている。

 まったく売れず、サイモンとガーファンクルは、子供ころから組んでいたデュオを解消した。(3000枚売れたと書いている記事があったが、きっと、小売店に3000枚、卸したという意味だろう)

 アート・ガーファンクルは、コロンビア大学の学業にもどり、失意のポール・サイモンは、ギターをもって旅にでる。ヨーロッパに渡り、フランスとイギリスのコーヒーハウス、フォーク・クラブで歌っていた。

 (アート・ガーファンクルは、コロンビア大学の数学の博士号をもつ超インテリだ。サイモンとガーファンクルがブレークして忙しいときに、コロンビア大学大学院に通いつづけ、この博士号をとっている。ポール・サイモンは、ニューヨークのクイーンズ大学で英語学を専攻して卒業している。高校生のときから“トム&ジェリー”というディオでデビューしている二人だが、じつは、インテリなのだ)。

 

水曜の朝、午前3時(紙ジャケット仕様)

 このアルバムが、発売当時まったく売れなかったサイモンとガーファンクルのファースト・アルバム『Wednesday Morning,3AM 水曜の朝、午前3時』。時代が、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの感性について行けなかったわけだ。このアルバムが、日本のレコード店の基本在庫になったのは、『明日に架ける橋』が爆発的に世界じゅうで売れてからのことではないか? 『明日に架ける橋』の日本でのリリースは、1970年(昭和45年)のこと。

明日に架ける橋(紙ジャケット仕様)【2012年1月23日・再プレス盤】

 1964年、“サイモン&ガーファンクル”で挫折したポール・サイモンは、アメリカをでて、ヨーロッパを放浪する。フランスからイギリスに渡り、ライブハウスで歌ってチップをもらう生活だ。

 その貧しい、失意のミュージシャン、ポール・サイモンがイギリス・コロムビア・レコードで録音した名盤がある。『The Paul Simon Song Book  ソング・ブック』だ。

ポール・サイモン・ソングブック(紙ジャケット仕様)

 左の女性が、キャシーさん。17歳だ。ポール・サイモンは、22歳。まだ、「サウンド・オブ・サイレンス」はヒットしてない。ポール・サイモンがイギリスのフォーク・クラブで歌っているとき、ふたりは出会い、恋におちた。キャシーは、そのライブハウスで入場券を売るバイトをやっていた。サイモンとガーファンクルの「キャシーの歌」は、彼女を歌ったのだ。

   サイモンとガーファンクル Kathy's Song  http://www.youtube.com/watch?v=Q60YKfPKdjQ

 この「キャシーの歌」をカバーしてすごいのは、エヴァ・キャシディーのバージョンではないだろうか。

    エヴァ・キャシデイー Kathy's Song http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=F6WRVzwIg2o

 ポール・サイモンが、イギリスの小さいクラブで歌っているとき、アメリカでは、ポール・サイモンの関知しないことが起きていた。まったく売れなかったアルバムから、「サウンド・オブ・サイレンス」がシングルカットされて発売されていたのだ。それも、アコースティック・バージョンはロック・バージョンに変えられていた。つまり、オリジナルの音源にはない、エレキギターとエレキベースとドラムスを加えて、シングル盤で発売したのだ。ポール・サイモンには、まったく無断で。

 ボストンのラジオ局が、アルバム『水曜の朝、午前3時』のなかの「サウンド・オブ・サイレンス」を放送して、ボストン周辺でヒットしていた。この話をプロデューサーが聞いて、ロックバージョンを思いつき、作者に無断でロック版「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル盤を発売したのだ。(むかしのレコード業界にはよくある話だ。)

 これを知ったポール・サイモンは激怒したという。とうぜんのことだ。だが、このロック・バージョンの「サウンド・オブ・サイレンス」は、ヒットチャートを急上昇していく。全米のラジオ局にリクエストが殺到し、EPレコードがバンバン売れていく。

 イギリスのポール・サイモンに連絡がはいる。アメリカですごいことが起きてるから、帰ってきてサイモンとガーファンクルを再結成してくれないか、と。

 こうして、ポール・サイモンはアメリカに帰り、キャシーさんはイギリスに残る。サイモンとガーファンクルは、アメリカのミュージックシーンでトップにのぼり、そして世界のスーパーグループの一員になっていく。そして……キャシーさんは、イギリスで、スーパースターになったポール・サイモンを待ちつづけるわけ。青春だ………

 


「石井彰 ソロ・ライブ」(帯広・ジョイ)

2011-12-16 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 帯広のジョイ・イングリッシュ・アカデミーで、ジャズ・ピアニスト・石井彰さんのソロ・ライブがあるという。来年2月11日(土曜日)だ。帯広在住の写真家、戸張良彦さんからそのことを聞いた。

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 チケット(2500円)が発売されている。帯広・十勝の人は、ジョイの学院長・浦島久さんに問い合わせてみてはどうだろう? 限定40席というから、お客さんにとっては贅沢なコンサートではないか。(ジョイの電話は、0155‐33‐0198)

      ジョイ・イングリッシュ・アカデミー http://www.joyworld.com/adult-news/adult-catc/2011/12/post-668.php

a-Inspiration from muse-

       ジャズ・ピアニスト・石井彰さんのプロフィール http://www.akiraishii.net/profile.html

   石井彰(p) 安力川大樹(b) 大阪昌彦(drs)  http://www.youtube.com/watch?v=ow2v1e1X5YI

 

Night & Day  ナイト・アンド・デイ

Synchronicity
Presence
That Early September

                       


アメリカでは、新譜のLPレコードが発売されている

2011-12-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

                

Paper Airplane [12 inch Analog] Paper Airplane [12 inch Analog]

 これはアリソン・クラウスの今年発売のアルバム、12インチ・アナログ、つまり、30センチLPレコードだ。アマゾンで輸入盤を売ってる。もちろん、同じジャケットのCDが日本国内でも発売になり、ダウン・ロードでも購入できる。しかし、CDと同時に“昔ながらの”LPレコードがアメリカでは発売になる、というのは驚きではないか?

 数年まえにそれに気づいた。カントリー・ミュージックの大御所だけでなく、アイドル歌手のように大人気の、若いカントリーのシンガーも、CDと同時にLPレコードを発売している。ディスコ、クラブのDJ用の12インチ・アナログ盤じゃない。CDとおなじ内容のアルバム、10曲とか12曲入っているLPレコードの新譜だ。

           

 アメリカでは、ベビーブーマーのジジババたち(つまり、わたしたち団塊の世代)が、「やっぱり、レコードじゃなきゃ、ダメだべさ。CDのデジタル音なんか、そんなもんで、カントリーの、ミュージックさ、聴けるか!」と、ガンコに、昔ながらのレコードプレイヤーを手放さないのだろうか? と、わたしは思ったものだ。さすが、保守的なカントリーのファンだ、と。

 ところが、ちょっと違うかもしれない。アナログにこだわるのは、ひょっとすると、団塊ジジババだけじゃないのかも知れない、という気がしだした。というのは、アメリカの若いミュージシャンのブログを読んでいて、「わたし、新しいレコードプレイヤーを買ったのよ」と、いかにも嬉しそうな記事があったのだ。新しいレコード・プレイヤー? なんだ、なんだ? どういうことだ?

 その記事を読むと、「ちょっと高いけど、ずっとほしかったレコード・プレイヤーなの」とある。そして、「わたしは、アナログしか聴かない(つまり、昔ながらのレコードしか)。父と母のレコード・コレクションと、ツアー先のレコード・ショップ(中古レコード店)で買ったレコード。小さいときからずっと聴くのは、アナログだけ。コンサートツアーの楽しみは、レコード・ショップめぐりよ」と、その若いシンガーが書いていた。

                       

 そのブログの、アメリカのシンガーは、20代の人だが、「アナログしか聴かない」、つまり、CDの時代になってからの音楽を聴かない、ということだ。日本では、1982年にCDが発売になって、やがて、LPレコードは消えていった。昭和57年のことだ(アメリカでもおなじだろう)。

 もちろん、わたしはジジイだから、80年代以降の、アメリカやイギリスの音楽にはほとんど興味がない。(カントリー・ミュージックは、またべつものだが……)。

 「アナログしか聴かない」という、アメリカの若いシンガー・ソングライターと、日本の、この洋楽ジジイが、共感しあえる。不思議なことだ。

          

 まぁ、そんなわけで、今夜は、アリソン・クラウスを聴いている。カントリーだ。

                

   アリソン・クラウス&ジェリー・ダグラス Carolina In My Mind (ジェームス・テイラー)http://www.youtube.com/watch?v=83w8SkdJtPM

   アリソン・クラウス、ジョーン・コルヴィン&ジェリー・ダグラス The Boxer http://www.youtube.com/watch?v=6ylhySDIH_A&feature=related

                      

 「The Boxer ボクサー」は、サイモンとガーファンクルの1969年(昭和44年)のヒット曲。日本でもよく売れた。(1969年とは、すなわち最近話題の、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が大ヒットした年。由紀さおり&ピンク・マルティーニのアルバムタイトル『1969』だ)。

       サイモンとガーファンクル The Boxer http://www.youtube.com/watch?v=AdKjEHfHINQ

 ライ、ライ、ライ、ライ、ライと歌っているは、意味のない掛け声、スキャットではない。ライは、lie=嘘のこと。lie, lie, lie, lie, lie, lie……(ウソだ、ウソだ、ウソだ 、ウソだ、 デタラメだ、デタラメだ、デタラメだ……) と歌っているわけ。

                  

                     

 ちなみに、高いレコードプレーヤーには、軽く車が買えるほどの超高級品もある。もちろん、むかしのてんとう虫のプレーヤーみたいに、スピーカー、アンプ内蔵で超安価というポータブル・プレーヤーは、いまも、アメリカでも日本でも、いろいろ発売されてる。LP、EPレコード、カセットテープ、CDはもちろん、さまざまなデジタル・メディアを再生できる安いコンポもある。AM・FMラジオ付きで。

           

 秋葉原には、真空管専門店がある。新品も中古も売ってる。真空管アンプを売ってる店もある。アメリカやロシアには、いまも真空管を作っているメーカーがある。

     

 秋葉原の真空管専門店。

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 ガラスケースのなかの真空管は、超レア物でバカ高いが、一般的な真空管は、むかしの値段とほとんど変わらない。

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