Ommo's

古い曲が気になる

なぜか、寿司のはなしになったが……

2009-05-31 | 日記・エッセイ・コラム

 近所の広島風お好み焼き屋のとなりに、フランス料理屋ができた。お好み焼き屋は、いつも家族連れや若者で繁盛しているのだが、フランス料理屋はさみしい。ゴム長靴を履いて、お好み焼きを肴にビールを飲むことはあっても、一生フランス料理屋に入らない人が多いだろう。

 関東の、ある都市で、街一番の老舗という寿司屋でご馳走になったことがあった。寿司をマズイと思うことはあんまりないが、北海道や東京の寿司とあまりにかけ離れていて、ある種の感動があった。あきれた、というべきかな。ネタが腐っているとしか思えないのだ。甘エビは、白濁して、やや溶けていた。東京の江戸前寿司のような、ひと手間かけた工夫もない。ビールを3本くらい飲んで、3人で食べたのだが、勘定は6万円を超えていた。ボーナスが出たのでおごるよ、といっていた友人は、中央官庁の国家公務員だから、まあ、いいか、とご馳走になったが、あれから8年くらいたったいまも、思い出すたび、その寿司屋のぼったくりに腹が立つ。なんだか偉そうな態度で能書きたれるおやじも不快だったし。

 江戸前寿司は、生のネタをださない、というのが基本だ。いまはマグロは生でだすが、づけにするのが正統だ。つまり醤油に漬ける。サバやコハダは、塩と酢で調理する。冷蔵庫や冷凍技術のない時代に、魚をおいしく、安全に食べるために発達した料理法だ。なれずし、いずしの発展形だろう。江戸前、つまり、東京湾の魚を使うのだが、やはり生は危ない。鮮度もあるが、寄生虫のこともある。そこで、加熱したり、塩や酢や醤油につけた。その伝統の調理の腕が問われるのが、東京の寿司だ。

 北海道の寿司は、まったく逆の発想だ。新鮮なネタが手にはいる。ネタを、加熱したり、調理するのは、邪道だ。生で美味しく食べれない物は、客にだすな! これが北海道の寿司だ。江戸前寿司で、生のエビがでてきたら、そこはもう江戸前寿司じゃない。北海道で、加熱して、うっすら塩と酢で味がついたエビがでてくると、客は、怒るか、黙って帰るだろう。

 わたしは、どっちの寿司も好きだが……。


戸張さんの牛舎の写真が、じつに美しい

2009-05-30 | 日記・エッセイ・コラム

勝手にしやがれ!! 勝手にしやがれ!!

 セックス・ピストルズのアルバム「勝手にしやがれ! Never Mind the Bolloks, Here's the  Sex Pistols」が、売れたのは、1977年のことだ。若者たちには、登場したときの衝撃は大きかった。いまでは、伝説のパンク・バンドだ。しかし、メンバーの才覚や知恵じゃない。

 

 アメリカに渡ってニューヨーク・ドールズのローディーをやったことがある、ブティク経営者、マルコム・マクラーレンが、イギリスでハチャメチャでアナーキーなバンドをやると儲かると、アマチュアを集めて結成させたのだ。メンバーの条件は、楽器ができないこと、歌が歌えないこと、音楽センスのないこと。オリジナル・メンバーのグレン・マトロックは、ベースを意外とうまく弾けたのでクビになった、というはなしまである。代わりのベースに、バンドのファンだったシド・ヴィシャスをいれた。ベースが弾けなかったからだ。仕掛け人マルコム・マクラーレンは、ひたすらヴィジュアル至上主義だ。

 

 このマルコム・マクラーレンの策略に、世界中の若者はのせられた。モンキーズとおなじような業界のつくりものとも知らずに。若者の権力への反逆、反体制の象徴。これらすべて、シナリオに書かれたものだ。衝撃のデビュー・アルバムをプロデュースしたのは、プロ中のプロ、クリス・トーマスだ。

 

 クリス・トーマスは、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンのアシスタントがキャリアのスタートだ。ビートルズの「ホワイトアルバム」で助手をやっている。その後は、エルトン・ジョンの成功などプロデューサーとしてのキャリアは輝かしい。日本では、加藤和彦のサディスティック・ミカ・バンドのプロデュースで知られているだろう。(ミカとクリス・トーマスの不倫がもとで、加藤和彦夫婦が離婚する、というオチまである)。

 

 そして、このセックス・ピストルズの唯一のスタジオ録音盤は、ヴァージン・レコードから発売された。インディーズではない。ヴァージン・レコードは、リチャード・ブランソンが創設したレコード会社だ。

 

 中古レコードの販売店からはじめて、レコード・メーカーを成功させて、リチャード・ブランソンは、企業家としてデビューした。いまは、ヴァージン・アトランティック航空会長。コングロマリット、ヴァージン・グループの総帥だ。金儲けがうまいやつだ。世界の超金持ちのひとりだろう。

 

 こういうプロ中のプロたちが集まって、もっともアマチュア的なバンドを世界に売ったわけだ。ジョニー・ロットンもシド・ヴィシャスも、その駒にすぎない。わたしは、そのまえからドクター・フィールグッドが好きだったから、セックス・ピストルズの、その胡散臭さ、演技臭さ、ウソ臭さは、でてきたときから好きになれなかった。

 

 どだいパンク・ロックというのは、フェイク、にせものだ。楽器ができないやつ、マスターしようという意欲もなく、センスもないやつらの、逃げにすぎない。音楽を聴くことの喜び、音楽することの喜びとは無縁のものだ。punkとは、「ちんぴらやくざ」のことだから、そんなものなのだ。

 

 どんなジャンルでも、ほとんど嫌いな音楽はない。だが、セックス・ピストルズとオノ・ヨーコは、嫌いだ。このふたつは、はっきりニセモノだ。

 戸張さん撮影 牛舎の写真 http://www.y-tobari.jp/topics/?ct=1

 戸張良彦さんのサイトにある、牛舎の写真が美しい。古い廃屋になった牛舎の、屋根部分の内部構造だ。手に入る安い、細い木材で、強度をだすための骨組みだろう。長い冬にそなえて、二階部分に、乾燥ワラをできるだけ大量に貯蔵するために、曲線的な天井を作っている。美を意識したわけではない。意図せずに美しい形になった。それは植物や動物など、自然のなかの美とよく似ている。いつごろの建物なんだろうか? 付属するサイロは、昭和10年代のものだと、戸張さんはいう。

 

 開拓の人がつくった偶然の機能美を、戸張さんの写真は、じつに美しく伝えてくれる。みごとだ。

 ドクター・フィールグッド All Through The City http://www.youtube.com/watch?v=RvCRKJc8xF4&feature=related

 

 

 ボ・ディドリー http://www.youtube.com/watch?v=HICsPNm2ARY&NR=1

 ボ・ディドリー http://www.youtube.com/watch?v=979rwnVPG4A&feature=related

 


追悼、小沢みのるくん

2009-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、インターネットの無料通話Skypeをつかって、帯広に帰った東川佳人くんと話をする。小沢みのるくんが亡くなった、と、昨夜、聞いた。亡くなったのは、2月16日だという。

 

 1974年(昭和49年)、帯広の西2条7丁目のベル帯広店2Fで、アマチュア・バンドのライブをやっていたことは、以前に書いた。デビュー直前の中島みゆきさんがそこで歌っていた、と。1981年にキャデラックスリムとして、フォーライフ・レコードからメジャーデビューしたバンド、ペニーレーンも出演していた。そして、小沢みのるくんのバンドもでていた。なぜか、メンバーは全員、ゴム長靴をはいていた。みんな、高校生のバンドだ。

 

  (松山千春さんも、アマチュアのときは、ニッカボッカに地下足袋の、鳶のにいさんのスタイルでステージにでていた。このころ、十勝のアマチュア・ミュージシャンのなかでは、労働スタイルが流行りだったのだろうか?)

 

 小沢みのるくんのバンドは、まさにパンク・バンドだった。まだイギリスのセックスピストルズはデビューしてないから、先駆的なバンドだ。ちゃんと楽器を弾けるのは、ギターだけだった。(このギタリストが、藤野敦志くんだ。このあとペニーレーンに参加して、キャデラックスリムでは、テツヤくんとふたり、素敵なツイン・リード・ギターを弾いた)。

 

 楽器は満足に弾けないが、ロックをやりたい、という熱い心がある。楽器を練習する努力は嫌だ、だが、人の前でロックを演奏したい! その熱い思いだけで、楽器をかき鳴らし、叫び、歌う。その下手さかげんは、強烈にクレージーだったが、嫌いじゃない。わたしの心を震わせた。

 

 その凶暴なほど下手くそなパンク・バンドのベースで、ボーカルでリーダーが、小沢みのるくんだった。ギターの敦志くんがペニーレーンに参加したあと、小沢みのるくんは楽器を置き、ボランティアの、ペニーレーンのロード・マネージャーで、ドライバーで、電気のメカで、用心棒だった。

 

 キャデラックスリムとしてデビューするまで、帯広の地元で手助けしてくれた、たくさんの人たちがいる。小沢みのるくん、小松くん、湯原くんたちは、メンバーの高校生のときからの仲間たちだ。かれらは、じぶんたちの夢を託すように、バンドのために力をかしてくれた。

 

 ペニーレーンが、札幌の大通り公園でのイベントに呼ばれたり、釧路の大学の学園祭に出演したときも、小沢みのるくんや小松くんは、自分の仕事を休んで、自分の車をだして楽器を運んでくれたりした。北海道のはなしだから、車で走る距離は、片道200キロとか、300キロになる。


イーグルスのDesperado が、「ならず者」

2009-05-28 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から雨。午後3時には、もう部屋のなかは真っ暗だ。部屋のまえに、背の高いマンションが建っているせいでもあるが。

 平井堅の新譜Ken's Bar ⅡのCMがテレビでながれてる。この曲は、イーグルスの名曲「デスプラード(ならず者)」だ。グレン・フライとドン・ヘンリーの作詞・作曲。1973年(昭和48年)4月発売のLP、「ならず者 Desperado 」にはいっている。ドン・ヘンリーは、1968年にこの曲をつくったといっている。 

 イーグルス desperado http://www.youtube.com/watch?v=vsLylyEoLDo&feature=related

Desperado

 キャリー・アンダーウッド Desperado http://www.youtube.com/watch?v=treIBdESR2s&feature=related

 リンダ・ロンシュタット Desperado http://www.youtube.com/watch?v=xHS1Jey4clk&feature=related

 平井堅 オフィシャル・ウェブ・サイト http://www.pinups.co.jp/hirai/index.php

 

 佐々木要くんのブログの写真にある、木のこぶは、アザラシの子供か、どこかでみた犬か、なにか、動物の顔のようにみえる。

20090529_421735

 ドン・ヘンリー オフィシャル・サイト http://www.donhenley.com/

 イーグルス.com http://www.eaglesband.com/

 前にも紹介したページ eigo21  のDesperado の訳

  デスペラード (イーグルス)

Desperado, why don't you come to your senses?
You been out ridin' fences for so long now
Oh, you're a hard one
I know that you got your reasons
These things that are pleasin' you
Can hurt you somehow
デスペラード,目を覚ましたらどうだい
もう長い間フェンスの上に腰掛けてるね
頑固者だね,君は
自分なりの理由があるのはわかるけど
君が楽しいと思っていることが
本当は自分自身を傷つけているんだよ

Don't you draw the queen of diamonds, boy
She'll beat you if she's able
You know the queen of hearts is always your best bet
ダイヤのクイーンを引くだなんて
場合によっては君は負けちゃうんだよ
ハートのクイーンが一番いい手なのを知っているくせに

Now it seems to me, some fine things
Have been laid upon your table
But you only want the ones that you can't get
ボクにはいいカードと思うのが
テーブルに並んでいるのに
君は手に入らないようなのしか狙わないんだね

Desperado, oh, you ain't gettin' no younger
Your pain and your hunger, they're drivin' you home
And freedom, oh freedom well, that's just some people talkin'
You're prisoner walking through this world all alone
デスペラード, 君はもう若くないんだぜ
節々が痛くなって腹が減ると家に帰るんだね
そして自由になりたいからだって, そう,そう言う人間もいるけどね
君ってこの世を一人ぼっちで歩いている囚人さ

Don't your feet get cold in the winter time?
The sky won't snow and the sun won't shine
It's hard to tell the night time from the day
You're losin' all your highs and lows
Ain't it funny how the feeling goes away?
冬になると足が冷えるだろ?
雪も降らないし太陽も輝かない
夜も昼も区別がつかなくなっている
気持ちの高ぶりも落ち込みもなくなっている
感情がなくなるっておかしなことじゃないか

Desperado, why don't you come to your senses?
Come down from your fences, open the gate
It may be rainin', but there's a rainbow above you
You better let somebody love you, before it's too late
デスペラード,目を覚ましたらどうなんだい
さあ,フェンスから降りてゲートを開けなよ
雨が降っているかもしれないけど虹だって頭の上にある
誰かが君を愛してくれるようにしなよ, 遅くならないうちに

訳: HideS

 

 Desperadoは、スペイン語でアウトローのこと。この場合は、翻訳したHide Sさんの解釈のように、デスプラウドとは、その男の愛称、あだ名と考えるのがいいだろう。デスプラウドよ、手おくれになる前に、もういいかげん、まともな暮らしをしてはどうだい? と歌いかけているわけだ。いかにもカントリー&ウエスタンっぽい歌の世界だ。


8:30は、開演時間

2009-05-27 | 日記・エッセイ・コラム

8:30 8:30

 ウェザー・リポートのLP「8:30」は、1978年のアメリカ・コンサート・ツアーのライブ盤だ。日本での発売は、1979年(昭和54年)のこと。わたしのレコード屋では、爆発的に売れた。

 

 ジョー・ザヴィヌルと、クラシックのピアニスト、フリードリヒ・グルダは、おなじウィーン生まれで、おなじウィーン音楽院出身、ライバルといわれていた。2才年上のグルダが、先にコンサート・ピアニストでデビューして、ピアニスト、作曲家として名声を獲得していた。マルタ・アルゲリッヒは、グルダの弟子だ。そして、グルダも、クラシックだけでなくジャズの分野でも活躍した。ザヴィヌルとグルダは、1950年代初頭、ウィーンのラジオ局でいっしょに作曲の仕事をやっていた。

 

 フリードリヒ・グルダとジョー・ザヴィヌル http://www.youtube.com/watch?v=YaFXeWGShQc

 フリードリヒ・グルダ Light My Fire! http://www.youtube.com/watch?v=jhidkzL6TWU

  フリードリヒ・グルダ オフィシャル・サイト http://www.gulda.at/english/projekt/text.htm

Stupidity Stupidity

 

 ウェザー・リポートとは対極にあるようなイギリスのロック・バンド、ドクター・フィールグッド、これも好きだった。時代は、ウェザー・リポートとまったくおなじときだ。

 

 ドクター・フィールグッド Roxette http://www.youtube.com/watch?v=6nyeSGaBcrA&feature=related

 

 ボーカルとハーモニカのリー・ブリローが、1994年の4月に亡くなっていたことを、きょう知った。42才、リンパ腫だった。ギターのウィルコ・ジョンソンは、いまも活躍しているようだ。バンド、ドクター・フィールグッドは、いまも活動しているが、オリジナルのメンバーはひとりも残っていない。

Painting_andreas_ohlendorff_300x186

2006may_birch_nyc_lee_plaque_800x63  リー・ブリローを記念するベンチ。

 ドクター・フィールグッド.com http://www.drfeelgood.org/

 


午後8時30分、東京ディズニーランドの花火

2009-05-26 | 日記・エッセイ・コラム

 『8時30分だ』、東京ディズニーランドが近いので、毎日、午後8時半になると、花火の音が聞こえる。時計代わりだ。東京ディズニーランドでは毎晩花火を上げているのだ。

 

 WBCフライ級タイトルマッチ、チャンピオン内藤大助と中国の熊朝忠の試合は、内藤が勝ったが、あまりにお粗末だった。終了後、内藤が観客に謝っていた。本人がいちばんわかっているのだろう。チャンピオンはダウンしている。これは、内藤の負けだな、と思っていると、10ラウンド、なぜか突然、挑戦者・熊の元気がなくなった。クサイ! またやりやがったか、と思った。わたしは、TBSが中継するボクシングを、まったく信じてない。内藤もこんなクサイ試合をするようなら、引退の潮時かな。

 

 それにしても、この試合も、つぎのDREAM.9 も、パチンコのコマーシャルがうるさすぎる。あまりにひどいので、途中でみるのをやめた。北朝鮮は、きのうは核実験、きょうは、ミサイルを日本海に撃っている。とてもパチンコのCMをみる気分じゃない。テレビでのパチンコのCMは、法律で禁ずるべきだろうな。 

Extensions Extensions

  マンハッタン・トランスファー Birdland http://www.youtube.com/watch?v=Q1nj6Yla_Vg

 

 この「バードランド」は、ウエザー・リポートのインストルメンタルがオリジナルだ。作曲は、ジョー・ザヴィヌル。1977年発売のLP「ヘヴィー・ウエザー Heavy Weather 」に入っている。歌詞は、あとでついた。

 ウエザー・リポート Birdland http://www.youtube.com/watch?v=pqashW66D7o

ヘヴィー・ウェザー ヘヴィー・ウェザー

 ジョー・ザヴィヌルは、1932年、ウィーン生まれのオーストリアの人だ。小さいときからウィーン音楽院でクラシックの英才教育をうけた。裕福な家庭だったわけではない。音楽の都ウィーンだ。絶対音階をもった天才児を集めた教育システムがあったのだ。奨学金がでた。ザヴィヌルの家にはピアノがなく、近所のピアノのある家をたずねて練習した。

 

 16才のときにはすでに、クラシック界で天才ピアニストとしてデビューできる、と周囲からいわれていたが、クラシックを学びながらも、ジャズに魅せられていった。卒業後、ウィーンのラジオ放送やレコーディング・スタジオで、作曲家、ピアニストとして働き、20才のときには、ジャズ・ピアニストとしてレコード・デビューした。

 

 1958年のある日、図書館でみたアメリカのジャズ誌ダウン・ビートで、ボストンのバークリー音楽院の奨学生応募記事をみつける。4ヶ月の受講料が無料になる。ジョー・ザヴィヌルは、ウィーンで録音したじぶんのレコードをバークリー音楽院に送り、入学を許可される。こうして、アメリカに渡った。1959年、ジョー・ザヴィヌルは、もう27才になっていた。

 

 バークリー音楽院の教授は、「君は、ここで学ぶことは何もない、プロの仕事についたほうがいい」と、すぐにサイドマンの仕事を紹介してくれた。バークリーを3週間でやめて、まずメイナード・ファーガソンのバンドのオーディションをうけ、メンバーになる。そして、1961年、キャノンボール・アダレイ・グループのピアニストになった。キャノンボール・グループの名曲、「マーシー・マーシー・マーシー」は、ジョー・ザヴィヌルの曲だ。

 

 わたしが高校生のとき、この「マーシー、マーシー、マーシー」がはいったライブLP、Live at "The Club" がヒットしていて、ジャズ喫茶のエースにいくと、よくかかっていた。作曲したピアノのジョー・ザヴィヌルが、白人だと知って驚いた。この曲のファンキーさは、真っ黒だ。

  キャノンボール・アダレイ・クィンテット Mercy,Mercy,Mercy  http://www.youtube.com/watch?v=pRrFWp4DUho

 キャノンボール・アダレイ・セクステット Work Song http://www.youtube.com/watch?v=VBxAC4ywaJ4

マーシー・マーシー・マーシー マーシー・マーシー・マーシー

 

 ジョー・ザヴィヌルは、キャノンボールのグループに9年いたあと、マイルス・デイビスのレコーディングに参加して、1970年、サックスのウェイン・ショーターとウエザー・リポートを結成した。

 

 わたしは、ベースのジャコ・パストリアスが元気いっぱいのときの、ウエザー・リポートのステージを、リハーサルからみたことがあった。札幌の厚生年金会館だった。ジャコは、あまりにカッコよかったし、ジョー・ザヴィヌルのキーボード・プレーは、じつにファンキーだった。

Jacoenlarge

 

 ジャコ・パストリアスは、1987年9月、ナイトクラブのガードマンに殴られて脳挫傷で死んだ。ドラッグと酒でボロボロになって、ホームレス状態だった。かってのスーパースターの輝きはなく、タダで入ろうとする、イカれた酔っぱらいの浮浪者と思われて、クラブの用心棒に袋叩きにされたのだ。天才といわれたミュージシャンの、あまりに悲しい最期だ。じつは、重い鬱病に苦しんでいた、という。35才だった。

 

 ジョー・ザヴィヌルの父方の祖母は、ロマ(ジプシー)だった。ザヴィヌルは、その血筋を誇りにしていた、という。晩年のかれのバンド、Joe Zawinul and Syndicate をみると、かれが愛した、じぶんのルーツ、ジプシーの音楽に回帰していったことがよくわかる。

  

 ジョー・ザヴィヌルは、2007年9月11日、故郷のウィーンで亡くなった。皮膚癌だった。

 Zawinul01piacenza2005

 ジョー・ザヴィヌル&シンディケートのライブ (2007年5月11日) http://www.youtube.com/watch?v=q6SbaYPU2LA&feature=related

 ジャコ・パストリアス.com http://www.jacopastorius.com/


朝鮮、核。なんと鬱陶しい隣国だろうか

2009-05-25 | 日記・エッセイ・コラム

 また、北朝鮮が、核実験をやった。

 

 いま、日本国民が日常的にできることは、とにかく、パチンコをやらないことだ。パチンコの金が北朝鮮に流れているのは、たしかなことだ。

 

 「アメリカ帝国主義の核兵器は、許せない。人類を破滅させる。しかし、共産中国とソ連の核は、きれいな核だ」、というのが、日本のリベラルというやつらの、むかしからの論だった。その頼みのソ連は、自滅した。しかし、共産主義信仰は、刷りこまれているから、いまは、中国共産党が信仰の対象だ。それが、日本の、リベラルと自分で思っているやつらの、深層の信仰心理だ。

  

 北朝鮮のことが、大好きな、社民党の福島瑞穂党首とか、辻元清美は、今回も、朝鮮の核実験成功、バンザイ! と、叫んだのだろうか? 忘れてはいけない。土井たか子と、こいつらは、北朝鮮の日本人拉致など、あるわけがない、と言っていたやつらなのだ。

 北朝鮮による日本人拉致の事実があばかれると、辻元は、「日本人の7人くらいの拉致が、なにが問題なの!」とまで言った。朝鮮人が強制連行された、というところの数と比較する、という暴論だ。つまり、朝鮮労働党の出店が、社民党で、福島で、辻元だ。こういうやつらが、日本国民の税金で食っている国会議員なのだ。ナメられたものだ。

 (強制されて日本にやってきた朝鮮人などいない。みんな出稼ぎにやってきたのだ。いま、わたしの街では、まだ明るいうちから、従軍慰安婦に声をかけられる。「おじさん、気持ちいいヨ」)。

 

 支那、朝鮮。鬱陶しい古代民族だ。朝鮮、支那とは関わるな、と警告した、明治の福沢諭吉は、正しい。

 

 隣国の朝鮮が、核をもって、いま恫喝しているわけだから、日本が、核武装することは、正当防衛だ。と、いう議論をきちっとやることだ。戦争を放棄する、なんて敗戦国として押しつけられたことでは、もうすまされない。

501

494

514

509

 

 学生時代、札幌から汽車にのって、狩勝峠をこえて、窓から十勝平野がみえると、「帰ってきた」と、ホッとしたものだ。信じられないだろうが、そのときは、まだ蒸気機関車だった。路線もいまの石勝線ではない。新得から落合を通り、峠をこえて、富良野にぬける。蒸気機関車は、前と後ろ、引くやつと押すやつ、二両だった。

 わたしがレコード屋をはじめたころもまだ、広尾線と士幌線には、蒸気機関車が走っていた。ある朝早く、広尾線の幸福駅にいって、無人のホームに入ってくる蒸気機関車を写真にとった。撮影は、住吉徹さんにお願いした。そのとき、住吉さんは、わたしのレコード屋で働いていたが、札幌の写真学校をでていた。その幸福駅に入ってくる機関車の写真は、ポスターに印刷してずいぶん売ったし、ある大手の酒造メーカーにも使ってもらった。仕込みは、ほとんどじぶんらの労力だけだったので、けっこうな儲けになった。もし、幸福駅の無人のホームに入ってくる蒸気機関車の写真をみたことがあったら、その写真は、わたしと住吉さんの仕事だ。


そろそろ梅雨か?

2009-05-24 | 日記・エッセイ・コラム

497

 夕暮れ、雨がやんだので、街路樹の下に咲いてるアジサイをながめにでかけた。

508

  日が落ちると、雷が鳴り、また強い雨だ。荒れてる。梅雨入りがちかいのか。北海道の人間には、何年たっても、この梅雨がつらい。長いと、七月の末まで明けない。二ヶ月、雨のなかだ。

511

 

 

 

ブルーノートの真実 ブルーノートの真実

 

 小川隆夫著「ブルーノートの真実」(東京キララ社 2004年発行)を読みだした。ジャズのレーベル、ブルーノートの創設者、アルフレッド・ライオンのインタビューをもとに書かれた貴重なモダン・ジャズ史だ。じつにおもしろい。著者の小川隆夫さんは、ブルーノート・レコードのすべてを持っている「完全コレクター」で、ジャズ評論家、翻訳者、そして、現役の整形外科医だという。

 このブログをはじめて、しばらく無縁だった音楽を、再び聴き、調べだすと、誤解していたことがたくさんある。レコード屋をやめてから出版された、音楽にかかわる本は、ほとんど読んでなかった。だから、本もおもしろい。YouTube をみていると、みたことがない映像が、どんどん見つかって、興味はつきない。時間を忘れてしまう。インターネットとは、まったく便利なものだ。

 きのうは、YouTube で古いスイング・ジャズをみていて、アンドリュース・シスターズの映画のシーンをみつけた。むかし、V-ディスクの復刻盤で、音楽だけ聴いたことがあった。http://www.youtube.com/watch?v=-wiVkdVPGoY  兵士の戦意を鼓舞して、国威を発揚するということでは、 これもある種の軍歌だろうか。プロパガンダ映画であることはたしかだ。

 いまではラブ・ストーリーとしか観られない、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」も、反ナチのプロパガンダ映画として、アメリカ政府がスポンサーになって制作された。

 アンドリュース・シスターズは、第二次世界大戦のプロパガンダ映画、そして、前線慰問公演とV-ディスクで、再び国民的な人気を獲得したのだ。このときのアメリカ人の敵が、ドイツと、わが日本だから、ちょっと複雑な気分で映像をみる。たのしいのは、たのしいのだが……。

 V-ディスク(Victory Disc) とは、アメリカ軍が将兵の慰問のために制作したレコードだ。レーベル、白人黒人を超越して、人気のジャズ、ポップス、カントリー&ウエスタンのアーティストの曲を録音して、前線に送られた。

 

 

 


スイング・ジャズも好きだった

2009-05-23 | 日記・エッセイ・コラム
ベニイ・グッドマン物語 [DVD] ベニイ・グッドマン物語 [DVD]

  Memories of You http://www.youtube.com/watch?v=Zlak-Jeo1Zk

 小学生のころ、スイング・ジャズやニューオリンズ・ジャズも好きだった。祖父の電気屋でベニー・グッドマンやグレン・ミラーや、シドニー・ベッシェのレコードをよく聴いた。

 ベニー・グッドマン Sing Sing Sing http://www.youtube.com/watch?v=3mJ4dpNal_k&feature=related

  グレン・ミラー In The Mood http://www.youtube.com/watch?v=bR3K5uB-wMA&feature=related

   ベニー・グッドマン オフィシャル・サイト http://www.bennygoodman.com/

 高速バスの乗客が減っている、と asahi.com の記事ある。一週間まえ、名古屋往復に高速バスをつかった。行きは、東京駅から東名高速を走る深夜便だった。客は、23人。料金は、3,700円。帰りは、名古屋駅からJRバスで中央高速を新宿までだった。この客は、8人だった。料金は、5,100円。

 

 新幹線で往復すると、21,560円かかるから、バスの料金は安い。このときは、往復8,800円だった。高速バスの一番安い便で往復すると、6,000円でお釣りがくる。バスが常識的な価格で、新幹線がバカ高いともいえる。しかし、速いのだ。バスでは8時間から10時間かかるが、新幹線だと2時間だ。おちおち居眠りもできない。寝過ごして京都で目がさめた、なんてことになりかねない。

 

 会社が旅費をだす、とか、アゴ・アシつきの仕事なら、新幹線でいい。しかし、今回のように、空き家になったおばの家の、隣にのびた庭の枝をはらうための旅に、往復21,560円の新幹線料金は、あまりに高額だ。費用対効果の問題だ。時間はたっぷりある。それで往復バスにした。ゆっくり本も読める。居眠りもできる。昼間は風景をみているだけで飽きない。

 

 車で10時間といえば、帯広から函館まで、ほとんどノンストップで、そのくらいかかった。函館でもコンサートを主催していたから、よくひとりで運転してでかけたものだ。室蘭から噴火湾沿いを走っているとき、いつも、直線的に噴火湾を横断できる橋か、トンネルがあったらな、と思ったものだ。東京湾を横断するアクアラインみたいなものを、妄想していたわけだ。

Tokyobay_aqualine01  東京湾横断アクアライン

Bay_of_uchiurawan_nasasrtm_pia02751  北海道の衛星写真 大きな湖みたいなのが、噴火湾(内浦湾)だ。上の突き出ているのが、室蘭地球岬、下の函館側から突き出ているのが、駒ヶ岳ふもとの砂崎灯台。だから、室蘭・函館間は、この巨大な湖を、ほとんどぐるっと一周するような感じだ。

 アクアラインは、15キロだが、この室蘭・駒ヶ岳間は、その倍くらいの距離があるから、青函トンネルなみの大土木工事になるかな。トンネルなら、上を新幹線、下を自動車道の二層構造がいいか。

 

 帯広からひとりで運転して、噴火湾をぐるっと回って森町までくると、もうすぐ函館だ、とホッとする。そこで、イカめしでも食おうか、となる。駅弁だから、森駅でしか売ってないものと思っていたが、駅前の柴田商店でいつでも買える、と教えてくれたのは、塚谷敏範くんだった。

 いかめし阿部商店 http://www.ikameshi.co.jp/index.html

 浜田省吾・ツアー・バンドのサックス・プレーヤー、古村敏比古さん。吉田拓郎や中島みゆきのギタリスト、古川望さん。このふたりのユニット、「古川村」に、トロンボーンの清岡太郎さんが加わった「古川村太郎」のライブが、帯広で開催される。会場は、B♭M 7 。チケットの販売がはじまっているようだ。メールで予約してみてはどうだろう。

古川村太郎 帯広限定ライブ
  “2009年 十勝の旅”


【日時】2009年7月10日(金) Door Open20:00 / Start 20:30
             11日(土) Door Open17:00 / Start 17:30
【場所】B♭M7

帯広市大通南10丁目 クラウンビル BF1
TEL:0155-26-5540

【料金】4000円(ドリンク代別)

【チケット発売】5/8~<店頭販売> B♭M7/ CD PLAZA WAVE(WOW店・MEGA MAC店)/ BLUES HARP(西1条南10丁目アポロビル地下)
<メール販売> tokatinotabi2009@yahoo.co.jp
(日程・枚数・お名前・住所を書いてメールしてください)

【問合せ】tokatinotabi2009@yahoo.co.jp または B♭M7(0155-26-5540)


広尾からの帰り、ラーメン「赤門」がたのしみだった

2009-05-22 | 日記・エッセイ・コラム

488

 こんな表示をみても、むかしは、かまわずコンサートのポスターを貼り付けたものだ。乱暴なことをやっていたものだ。フォークやロックの入場料は安く、新聞とかテレビの広告をつかうほど大きな売り上げにはならなった。街に貼るポスターと、チラシと口こみが最大の宣伝だった。ポスターを貼っていて、なんども警察に捕まったことは、まえに書いた。

 

フィルモア・イースト・ライヴ フィルモア・イースト・ライヴ

   Azuさんがコメントで紹介してくれた、オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・イーストでのライブ映像。http://www.youtube.com/watch?v=22MRGWnPPIU

  このアルバムも、サウンドコーナーではよく売れた。2枚組だったから、とうじの高校生や中学生には、ずいぶん高い買い物だったはずだ。そのせいか、正月やお盆になると動きが(売り上げが)はげしくなった。そうして、1971年(昭和46年)の発売から10年以上も、わたしの店の基本在庫として売れ続けた。もちろんいまでも、ロックをやろうとする少年少女には、ぜひ聴きこんでほしいアルバムだ。

 

  佐々木要くんのブログに、十勝・大樹町石坂のラーメン屋「赤門」のことがある。30年以上もまえ、広尾からの帰り道、立ち寄るのがたのしみな店だった。とうじ、十勝ではめずらしい、濃厚な豚骨のスープだった。(帯広の北京亭が、濃厚豚骨スープに、たっぷりラードをいれる、というやつだった。いまでは、日本中、濃厚豚骨スープに、カツオだの煮干しだの、こてこてだ。これになおかつ、化学調味料をたっぷり加えたラーメンが、行列の出来る店だったりする)。

 

 佐々木要くんの写真にある赤門の店は、ずいぶん小ぎれいな外観になっている。わたしの赤門の記憶は、30年くらいまえで止まっているから、驚くが、時の流れを考えれば、新しい店に変わっていて当然のことだろう。

 

 わたしの幼い娘たちをつれて入ったこともあった。まだ、一杯のラーメンを、ふたりで分けても食べきれないほど、小さい子たちだった。その娘たちが、いまは、タフな母さんだ。それぞれ、ふたりの子供がいる。(つまり、わたしは4人の孫がいるジジイだ)。時間は止まらない。

 

ボブ・ディラン ボブ・ディラン
 

  ボブ・ディラン 朝日のあたる家 House Of The Rising Sun http://www.youtube.com/watch?v=49IzD9IE5Vc

    ジョン・バエズ 朝日のあたる家 http://www.youtube.com/watch?v=NkyYHYUcGgo&feature=related

 「朝日のあたる家」は、いろんなバージョンがあったようだが、1950年代後半から60年代初頭、ニューヨークのフォーク・シンガーが好んで歌っていたのが、ボブ・ディランがレコーディングしたバージョンだった。ずいぶん仲間のフォーク・シンガーたちから非難があったようだが、最初にレコードにしたのが、勝ち、というわけだった。

  (アニマルズのバージョンも、ボブ・ディランのやつを元にしているのじゃないだろうか)。http://www.youtube.com/watch?v=Hg7jzi9JAkw&feature=related

 

 ミネソタの田舎町からニューヨークにでてきて、コーヒーハウスで歌って、金もなく、部屋もなく、友達のアパートを転々とするボブ・ディランに、ジョン・バエズが恋をする。「フォークの女王」、ジョン・バエズは、すでに世界的なスターだった。すぐに、ふたりは同棲して、ジョン・バエズは、じぶんの名声とコネをふるにつかって、ボブ・ディランを売り出そうとする。そして、ボブ・ディランは、コロンビア・レコード(CBSソニー=ソニー・ミュージック)と契約をする。

Joan_baez_bob_dylan

 この「朝日のあたる家」が入っているボブ・ディランのファースト・アルバムは、1962年の発売だ。B面最後の曲 See That My Grave Is Kept Clean は、ブルース・シンガーのブラインド・レモン・ジャファーソンの曲。B.B.キングが好んで演奏する。http://www.youtube.com/watch?v=n2bZWR6rkeU

 ボブ・ディラン See That My Grave Is Kept Clean http://www.youtube.com/watch?v=s92BWQGuf8w&feature=related

  オリジナルのブラインド・レモン・ジャファーソン See That My Grare Is Kept Clean  http://www.youtube.com/watch?v=tLGIY0LYOgo&feature=related

2780959827809599large

 ジョン・バエズ 朝日のあたる家 http://www.youtube.com/watch?v=gDwK-Zir8ls&feature=PlayList&p=3322C8859E278B37&playnext=1&playnext_from=PL&index=36

 ボブ・ディラン.com http://www.bobdylan.com/


「古川村太郎」 帯広ライブ

2009-05-21 | 日記・エッセイ・コラム
 480
 浜田省吾・ツアー・バンドのサックス・プレーヤー、古村敏比古さん。吉田拓郎や中島みゆきのギタリスト、古川望さん。このふたりのユニット、「古川村」に、トロンボーンの清岡太郎さんが加わった「古川村太郎」のライブが、帯広で開催される。会場は、B♭M 7 。チケットの販売がはじまっているようだ。メールで予約してみてはどうだろう。

古川村太郎 帯広限定ライブ
  “2009年 十勝の旅”


【日時】2009年7月10日(金) Door Open20:00 / Start 20:30
             11日(土) Door Open17:00 / Start 17:30
【場所】B♭M7

帯広市大通南10丁目 クラウンビル BF1
TEL:0155-26-5540

【料金】4000円(ドリンク代別)

【チケット発売】5/8~<店頭販売> B♭M7/ CD PLAZA WAVE(WOW店・MEGA MAC店)/ BLUES HARP(西1条南10丁目アポロビル地下)
<メール販売> tokatinotabi2009@yahoo.co.jp
(日程・枚数・お名前・住所を書いてメールしてください)

【問合せ】tokatinotabi2009@yahoo.co.jp または B♭M7(0155-26-5540)

477
 
 
  アジサイの季節だ。いまは、花弁の先が、すこし色づきはじめたところで、夕暮れにながめると、いかにもせつなく、淡い。

 然別湖のネーチャー・センターにいたとき知ったことがある。森の花が美しいのは、夕暮れと小雨の日なのだ。(然別湖は、北海道の中央部、大雪山国立公園にある原生林のなかのカルデラ湖)。雨の日は、観光客のオプションがない。気球も飛ばせないし、釣りもできない。カヌーをださない。だから、わたしは、ヒマなのだ。ひとりで雨の森を歩き、雨の湖にカヌーを漕ぎだす。

 
 森の下草の花は、夕暮れの淡い光や、小雨の暗いなかで輝いてみえる。そういう弱い光のなかで、白い花がもっとも昆虫を刺激する、といわれる。夕暮れの森を歩いていると、それが納得できる。雨の日、カヌーにのってながめる、湖水にしだれかかるミヤマザクラの、白い小さい花も、じつに美しい。

 
 そうして雨の湖上で、ひとりカナディアン・カヌーを漕ぎながら、花は、夕暮れ、曇り空、雨の日が、美しいのじゃないか? と思った。

 (標高800mの北海道の湖上だから、雨の日はひどく寒い。雨合羽を着て、その雨のなか、カヌーを漕ぐ。その寒さも好きだった。どんな霧のなかにいても、じぶんがどこにいるか、分かる。子供のときから、然別湖でボートを漕いできた。オショロコマ釣りができた時代、真夏は、ボートでのトローリングだった。いつも父親の釣りにつき合わされた。そのとき、ひたすらボートを漕ぐのは、わたしの役だった。わたしは釣らない。一日ボートを漕ぐ。鴨撃ちのとき、父の犬をやっていた時代だ。だから、大人になって、然別湖でボートを漕いでいて、どんなに深い霧のなかにいても、じぶんがどこにいるか分かる)

 
 ボブ・ディラン 時代は変わる The Times They Are A-Changin http://www.youtube.com/watch?v=wgECKj9LSH4&feature=related

484
 
 
 わが帯広三条高校の先輩に、歌人の中城ふみ子さんがいる。戦後、三条高校が男女共学になるまえの、北海道庁立帯広高等女学校の卒業生だ。おなじ木造の校舎で学んだ大先輩だ。31才の若さで、乳ガンで亡くなった。歌集『乳房喪失』、一冊のひとだが、戦後の歌壇での影響力は大きい。

     冬の皺寄せゐる海よ 今少し 生きて己れの無惨を見むか
 
 小樽の妹のところから、札幌の病院に通う列車のなかで詠んだ、という。余命を自覚するほど、癌が進行して衰弱していた、という。あの沿線の車窓からみえる冬の海の情景が、うかぶ。
 
 それらのことは、また、あす書こう。(去年亡くなった名古屋の叔母も、帯広高等女学校卒の大先輩だ。帯広高女を出たと、プライドをもっていた)。

ライラック号は、オートバイ

2009-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

800pxcxblack2

 突然、髪が薄くなった、と気づいたのは、30才のころだった。ヘルメットをかぶるようになったときだ。もう若くはない年になって、はじめてバイクの免許をとって、ホンダのGL400を買ったのだ。V型縦置き2気筒エンジンで、水冷、シャフト・ドライブ(つまり、チェーンではない)というオートバイだった。

 

 日高にツーリングにでて、鵡川で、ホンダ・ウイングGL400 を停めて休んでいると、「このオートバイ、ライラックによく似ているね」と、年配のひとに話かけられた。そのときは、この「ライラック」の意味がわからなかった。

 

 「いいオートバイに乗ってるね。このバイク、前が重くないかい? 俺もライラックに乗ってたんだ」、「ライラックとおなじだね。このバイク、吹かすと、右側に傾かないかい?」と、なんども、年取ったおっさんから話かけられた。そして、若いときにオートバイにのっていた父親に、1950年代に、ライラック号という人気のバイクがあったと教えられた。わたしの父親の世代は、まだ車ではなく、オートバイだ。バイクのことを話すと、やたらとくわしく、熱くなる。

798pxmarusho_lilac_02

 ライラック号は、ホンダの社員だった伊藤正さんが独立して立ち上げた丸正自動車製造株式会社のオートバイだった。1955年の浅間火山レースで、ホンダ、ヤマハ、スズキなど19社が参戦したなかで、ライラック号が優勝した。縦置きVツイン、シャフト・ドライブ。高性能で、美しいオートバイだ。

 縦置きVツイン、シャフト・ドライブは、イタリアのモト・グッツィとおなじだ。http://www.motoguzzi.jp/

 ホンダ ウイング http://www.honda.co.jp/news/1979/2790410.html

 

 そんなわけで、ヘルメットをかぶって、髪の毛が薄くなったときから、短くしている。十年くらいまえは、スキンヘッドにしていた。頭の毛も、顔のヒゲとおなじスピードでのびる。スキンヘッドをきれいに維持するには、電気カミソリを持ち歩いて、一日何回か剃らなくては気持ちが悪い。けっこうめんどうなのだ。いまは、電気バリカンで数日に一回、1mmで丸刈りにする。床屋にいくことはない。

 

 西日本で、中国人が水源地の森林を買収しようとしていて、各自治体が警戒しているようだ。中国共産党の広報機関・朝日新聞やNHK、朝鮮の新聞・毎日新聞(TBS)は、もちろん報道しない。ただ産経新聞だけが記事にしている。

 

『日本国内の水源地に中国資本が触手を伸ばしている実態が明らかになった。この背景には、中国での深刻な水不足がある。その一方で日本国内の水源地は現在、約30年前の価格まで暴落していることも中国にとって買い時と映ったとみられる。世界各地では、水資源の獲得に向けて激しい争奪戦が繰り広げられており、識者は「国内の水源地を守るためには現在の法制度は未整備」と訴えている。』http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090512/biz0905122342041-n1.htm

Highway 61 Revisited Highway 61 Revisited

 いま、日本の、ロックというのをやる若者は、ボブ・ディランを聴くのだろうか? イギリスに、ビートルズのジョン・レノンがいるとしたら、アメリカのボブ・ディランこそ、20世紀を代表する偉大な詩人だろう。(わたしは、どうして、ボブ・ディランにノーベル文学賞を贈らないのか、毎年失望する)。

 ボブ・ディラン Like A Rolling Stone http://www.youtube.com/watch?v=xO0gSJGJ7Fs

 

 A Rolling Stone とは、まさに、いまのわたしみたいなやつだ。流れの中で転がる石。日本的表現では、根無し草、流れ者、浮浪者だ。いま、この歌は、わたしには、つらい。むかしはやりたい放題やって、親分づらしてたけど、いまは、根無し草の流れ者だろ。(ざまあみやがれ!)という歌が、この Like A Rolling Stone  という歌だ。

 

 No Direction Home  と、ボブ・ディランは、追いうちの言葉をかける。わたしには、つらい。「家の方向がない」、つまり、あんたにゃ、もう帰る家もない、だろ、と歌う。

The Freewheelin' Bob Dylan The Freewheelin' Bob Dylan

 ボブ・ディラン Blowin' In the Wind http://www.youtube.com/watch?v=ced8o50G9kg


青べかは、青いペンキが塗られた小舟

2009-05-19 | 日記・エッセイ・コラム

471 472

 何という花なんだろう? 散歩をしていて、いろいろ見なれない花をみつける。じぶんは、花の名前をまったく知らない、ということがわかる。

467

 近所の境川にある河童の像。河童がのっているのが、『べか舟』だ。山本周五郎の「青べか物語」の、べかだ。青べか、とは、青いペンキで塗装された小舟のこと。「青べか物語」は、このあたりが舞台だ。

青べか物語 (新潮文庫) 青べか物語 (新潮文庫)


保育所にお迎えの母さんと、小さい娘さんかな?

2009-05-18 | 日記・エッセイ・コラム

462

 夕暮れの境川遊歩道。保育所帰りの親子かな?

 

 境川は、江戸川から東京湾にそそぐ支流で、むかしは、川舟でにぎわった川だ。いまは、堰が鉄門で閉じられ、止水、とまった運河のようになって、濁っている。むかしは、子供たちが泳いだというが、いまはあんな水で泳ぐと、子供はきっと病気になる。そんな水の色だ。

 

 それは、北海道でもおなじだ。わたしの育った町を流れる帯広川でも、むかしは、子供たちが泳いでいた。しかし、わたしの時代でも、すでに、それはウツベツ川(弁慶川)の上流でなければダメだった。つまり、中心地からすこしはなれて、西8条に架かっている橋が境だった。だから、士幌線の鉄橋の下には、子供たちが集まって泳いでいた。

 

 わたしは、まったく泳ぎがダメなので、このはなしを長くしたくない。わたしが、最初に新聞に名前がのったのは、高校生のとき、札内川で溺れたときだ。溺れて、川底をただよっていた、わたしを、発見してくれたのは、三条高校同級生の戸倉くんで、人工呼吸をして蘇生してくれたのは、二ッ森くんと佐々木要くんだ。(この3人が、命の恩人だ)。

 

 わたしは、救急車で運ばれ、入院した。蘇生したのだ。数ヶ月、胸が痛く、からだに力が入らなかったが、高校生だ。すぐに回復した。(このはなし、ホラばなしのようだが、ウソではない。北海道新聞の古い縮刷版にあるはず。水難事故で助かった、帯広のまぬけな高校生の記事が)。

 

 死の、そのときを、リアルに体験した。意識を失う、そのときは、お花畑だ。けっこう長い。「もうダメだ。じぶんは、死ぬんだな」と、自覚してから、闇になるまで、けっこう長い。不快でも、苦痛でも、悲しくもない。ある解放感の快適さがある。その死ぬすこし前でも、「この解放感がなくちゃな」と、思ったものだ。

 

 空が青い。きれいだ。つまり、空ではなく、わたしが見ているのは、水の底からの水面なんだが。そして、わたしをさがしに潜ってくる友達の姿もみえる。わたしは、水の底に沈んだままだから、かれらを見ているだけだ。水をたっぷり飲んでしまって、もう呼吸もできない。動けない。終わりだ。でも、もう苦痛はない。そんなものだ。

 

 「この解放感、幸福感。死んでいくときは、こうじゃなきゃダメだな」と、わたしは、溺れて死んでいくとき、思ったものだ。(信じられないだろうが、けっこう長い思考の時間があるものなんだ。つまり、電球のフィラメントが最高に光って燃えつきるときだから、思考も最高に冴えるわけだ)。

 

生まれたところを遠く離れて 生まれたところを遠く離れて

 

  デビューしたばかりの浜田省吾の、北海道ツアーでのバック・バンドをつくろうとしたとき、メンバーになるのを断ったひとが何人もいる。帯広のひとたちだ。

 

 札幌のイベンターとか、放送局の連中とか、新聞社の記者とか、音楽雑誌のやつとかにも、バカにされたものだ。「帯広の田舎者だから、わけわからずに、浜田省吾なんかにいれあげるんだろ」と、というわけだ。

 

 浜田省吾の、会社の、CBSソニーの宣伝マンにもバカにされたはなしは書いた。

  浜田省吾  路地裏の少年 http://www.youtube.com/watch?v=_keQ2UUb5TM&feature=related

 

 もちろん、ボブ・ディランやビートルズの影響があるだろう。しかし、浜田省吾は、日本の詩歌の歴史で重要な存在になるだろう。石川啄木や、中原中也や、立原道造の詩歌の世界、もっというと、松尾芭蕉や西行につながる歌心、万葉集までたどることができる歌の心が、浜田省吾にはある。みごとだ。

 

 浜田省吾の歌う、そのドラマのシーンの主役に、男も女もなれる。感情移入そのものだ。そして、わずかな言葉で、ドラマの背景と情景が、鮮明に脳裏にうかぶ。浜田省吾の歌っている側の、悲しい立場で、そのシーンをたえる。その表現は、みごとだ。浜田省吾以外、こんなことはできない。かっての、日本の西行や芭蕉など偉大な詩歌のひとたちがやったことだ。

 浜田省吾 片想い http://www.youtube.com/watch?v=iXaQHkxDYYU

 

 帯広のひとで、浜田省吾のバック・バンドを組もうとしたとき、はなしにのってくれた若者は、東川佳人くんと、田中やすおくんだった。

 

 関西で新型インフルエンザの感染者が百人をこえる勢いだ。幼稚園から高校まで休みになっている。それで、カラオケボックスが、高校生であふれている、という。橋下大阪府知事は、7日間、静かに家にいてくれ、といっている。しかし、カラオケ屋は、休みになった高校生で長蛇の列だ、というのだ。狂ってる。

 

 


鉄人28号を買って、娘のところにいった

2009-05-17 | 日記・エッセイ・コラム

457 458

 神田神保町の花屋は、アジサイでいっぱいだ。いろんな種類があるものだ。

 

 神保町・三省堂本店で、孫たちへのみやげのマンガと絵本を買って、地下鉄都営新宿線にのった。マンガは、鉄腕アトムを全巻プレゼントしたので、つぎは、鉄人28号を一巻づつ贈ることにしている。わたしの少年のときの愛読書を、孫におしつけているわけだ。いまのところ、とても喜んでくれるから、まあ、いいか、という感じだ。

 

 娘のところで、帯広から送られたジンギスカンをごちそうになった。これがじつにうまかった。

 

 いっとき、東京でジンギスカン屋が大はやりしたことがあった。狂牛病騒動のときだ。焼き肉屋がジンギスカン屋に変わっていった。しかし、いつの間にかジンギスカンの看板が消えた。最近はあまり見ない。メニューが高いうえに、羊肉が大半のお客に、なじみがなかったせいだろう。(わたしは、羊肉のマトンもラムも大好きだが)。

 

 それに高いジンギスカンなど意味がない。親しい人たちと鍋をかこんで、ワイワイ、安い肉を大量に食う。ここに、ジンギスカンのたのしさがある。

 

鉄人28号 原作完全版 1  希望コミックス 鉄人28号 原作完全版 1 希望コミックス

 

  民主党、選挙担当・代表代行が、小沢だそうだ。なんのための辞任だったのか。しまらない党だ。まるで小沢の私党じゃないか。

 

 THANKS をやっていた、加藤光邦くんのお店 CLOUD のサイトを、右の「帯広・十勝・北海道 オススメ・ページ」にリンクを貼った。帯広・十勝のひとは、訪ねてほしい。ホームページにマップがある。