Ommo's

古い曲が気になる

35㎜映写機をさがせ

2008-06-30 | 日記・エッセイ・コラム
ブルース・ブラザース コレクターズ・エディション ブルース・ブラザース コレクターズ・エディション
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2001-04-04
ブルース・ブラザース 2000 コレクターズ・エディション ブルース・ブラザース 2000 コレクターズ・エディション
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2001-04-04

 

それにしてもビートルズの映画、1本1万円は安い。1972年正月。ビートルズ映画全作品の一挙上映、会場は、帯広市民会館大ホールに決めた。客席は、1380席。

しかし、帯広市民会館には、35㎜映写機がない。

移動用の35㎜の映写機は、芽室町の芽室劇場でみつけた。昔、神社のお祭りで、境内にスクリーンを張ってチャンバラ映画を上映していた。あれが移動用組立式35㎜映写機だ。十勝管内ではただひとつ、芽室劇場に残っていた。ところがもう映写技師がいない。

1本の映画は数巻のリールに分かれている。1巻は15分前後だから、映画館では2台の映写機で交互に写す。だから、中断することなく上映できる。これをたった1台の映写機で、止めることなく、切れ目なく上映する。神社でチャンバラ映画を上映していたころは、これができる映写技師がいたのだ。

「今は大工だが、むかし、映写技師だった人がいる。その人がまわして、こんど芽室町の日東紡績の女工さんたちの慰労会で古い映画を上映するから、それをみて、うちの映写機が使えるものか決めては……」、芽室劇場のご主人が言った。

35㎜映画のリール1巻は、大きくて重い。わたしは、芽室町の紡績工場の大食堂で、このリール交換を1台の映写機で、映像を中断せずにやる映写技師のテクニックをみた。神わざだ。

 

 

 

 


「風を感じて」 浜田省吾

2008-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

LOVE TRAIN LOVE TRAIN
価格:¥ 2,854(税込)
発売日:1990-06-21
Illumination Illumination
価格:¥ 2,854(税込)
発売日:1990-06-21

今夜の日本陸上選手権、女子1万mはすばらしいレースだった。渋井陽子、赤羽有紀子、福士加代子、まさに三つどもえは圧巻だった。渋井陽子が優勝したが、赤羽も福士もみごとだった。日本の陸上女子長距離は、おもしろい。

去年の東京国際女子マラソンは、大手町交差点にでかけて、トップを走る野口みずきと渋井陽子をみた。野口みずきも渋井陽子も、テレビでみるよりはるかに逞しい筋肉でー美しい。超一流の長距離ランナーが目の前を走り去るのをみて、すぐに部屋にもどって、テレビでレースの後半をみる。

 

 

浜田省吾が全国的に認知されるのにデビューから数年かかってる。カップヌードルのCMソング「風を感じて」がテレビに流れたのは1979年。デビューの1976年、帯広では居酒屋で歌い、矢沢永吉のフイルムコンサートの前座で全国を回ったこともあるという。

CBSソニーに、コンサートポスターの印刷費の協力をお願いして、あっさり断られたこともある。

 

 


会場はキンプク

2008-06-25 | 日記・エッセイ・コラム
スーパー・セッション スーパー・セッション
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2003-06-18

中島みゆきと松田聖子が化粧品のCMで共演、とテレビ・ニュースのエンタメでやっていた。松田聖子が「時代」を、中島みゆきが「渚のバルコニー」を歌う、そうだ。

ふるさと十勝の加地さんからメールをいただいた。「中学1、2年の時、宮本アナの「夕べのひととき」にリクエストカードを出していたことや、中島みゆきを見に新得へ行ったこと、その後友人がその時の写真を渡すのに同行してみゆきさんの実家を訪ね、みゆきさんが白衣姿で出てきたことなど思い出されました。」

 

1974年のことか、十勝のミュージシャンと立原累のコンサートを企画した。会場は、帯広市勤労者福祉センター。そして、出演者……。わたしは、中島産婦人科医院に電話をいれた。中島みゆきさんと話をするのははじめてだった。


吉祥寺のマグロ・デイ

2008-06-22 | 日記・エッセイ・コラム
宮本隆治の“千の風になって” 宮本隆治の“千の風になって”
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2007-04-06
金沢の雨(デュエット・バージョン) 金沢の雨(デュエット・バージョン)
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2007-09-26

似内清高くんが大学生で西荻窪に住んでいたころ、わたしは、東芝EMIのコンベンションのために上京した。サウンドコーナーのおにいちゃんが東京に来たというので、吉祥寺の居酒屋に、JR中央線沿線に住む帯広出身の大学生たちが集まってくれた。中学生のころから、サウンドコーナー駅前に通ってきたロック好きの若者たちだ。清高くんはもちろん、田中やすおくん、宮坂寿文くん、ブンスケくん、サカシタくん、イクちゃん、カンノさん、ミノルくん。ナッツのギターのテツヤくん、ベースの優くん。

その日、その吉祥寺の居酒屋は『マグロ・デイ』で、マグロが安い、と若者たちが誘ってくれたのだ。そこに、浜田省吾さんが一人で来てくれた。デビュー間もないころだから、『浜田省吾』が店にいても、お客はだれも騒ぎはしない。マグロ・デイの居酒屋のあと、バンという店にもいった。

 

70年代、帯広にはたくさんのレコード店があった。帯広駅・ステーションデパートにサウンドコーナー本店、駅前にサウンドコーナー駅前店、西2条に、加藤電氣、河合楽器、及川電氣、ムジカがあって、広小路に浅原栄陽堂があった。藤丸のなかにも浅原栄陽堂が店をだしていて、大通りには、国原楽器があった。みんなそこそこ広い売り場面積をもっていて、わたしのサウンドコーナー駅前店が一番小さい店舗だった。

このレコード店の数は、人口15万の市にしては多い。

 

 

 


清高くんとビールを飲む

2008-06-21 | 日記・エッセイ・コラム
アビイ・ロード アビイ・ロード
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:1998-03-11

浜田省吾ファンの同士は、ハマダチというらしい。知らなかった。面白いね。帯広では、浜田省吾だけのラジオ番組があると言うし、十勝毎日新聞の成田融さんの情報では、帯広のホーリーズという店で浜田省吾のコピーバンドばかりのライブがあって、たいへんな熱気だったそうだ。帯広は熱いね。

浜田さんが帯広のステージの上で、帯広は特別な町、と言う。初期の3年間くらいは、年に何度もライブをやっていた。住吉さんがやっていたスナックでも歌ったし、銀馬車グループの居酒屋へんてこりんでも歌った。HBC帯広局にも出たし、NHK帯広局「夕べのひととき」にも出た。ローカルだが、じつに密度の濃い活動をつづけていたのだ。

日本で最初にホールが満員になったのは、帯広市勤労者福祉センターの300席の会場だったし、帯広市民会館大ホールの1380席がいっぱいになったころ、まだ札幌では、500席の道新ホールが埋まらなかった。そして、東京では、日本青年館の一階だけ(座席970席)使ってコンサートをひらいていた。東京武道館公演のまえに、帯広では、市民会館の二日間の公演があったのだから、道東の人口16万の町にしては、驚異的なことじゃないか。

 

きのうは、10数年ぶりに、似内清高くんと日本橋の丸善で待ちあわせて、八重洲の居酒屋でビールを飲んだ。似内清高くんは、なくてはならないサウンドコーナーの『無給』のスタッフだった。高校一年生のときから、店に来ない日はないくらいだった。「今日、清高クン、きませんね」、夜9時の閉店まで顔をださないと、店のみんなが心配した。

清高くんのように、毎日のようにレコード屋にやってくる少年少女が、たくさんいた。学校帰り、制服のままやってきて、夕飯にいったん家にもどって、私服に着替えてからまたやってくる。

そんな若者たちが、盆正月の忙しいときやコンサートのときに力を貸してくれた。とくに清高くんは、正月に大活躍した。


戸張さんと然別湖で、井上陽水にあう

2008-06-20 | 日記・エッセイ・コラム
断絶 断絶
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:2006-10-04

わたしが北海道を離れるすこしまえ、1987年ころの冬だった。「然別湖で井上陽水に会いませんか」、早朝、写真家の戸張良彦さんから電話をもらった。陽水は、糸井重里がプロデュースするCMの撮影にきていた。かって、わたしは井上陽水コンサートを主催していたことがある、と戸張さんに話していた。

「ぼくは、アシスタントだったから、陽水とは話はできませんでした、ぼくのことはきっと覚えてないでしょう」東京出身の戸張さんは、学生のとき一度、陽水のレコード・ジャケットの撮影現場にいたことがあるという。

然別湖畔のホテル福原のロビーでしばらく待つと井上陽水がおりてきて、「ひさしぶりです」と、戸張さんに話しかけた。陽水は、そのLPジャッケットを撮影したスタジオの名前も思いだし、戸張さんを鮮明に覚えていた。

戸張良彦さんは、世界歌謡祭に出演したキャデラックスリムを撮影するために、東京武道館にも来てくれたこともあった。ふるさと十勝の仕事をしていたころだ。


バンバン、「いちご白書をもう一度」

2008-06-19 | 日記・エッセイ・コラム
DREAM PRICE 1000 バンバン+ばんばひろふみ 「いちご白書」をもう一度 DREAM PRICE 1000 バンバン+ばんばひろふみ 「いちご白書」をもう一度
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2001-10-11

「ジョニーじゃないのかよ!」「早くジョニーを出せよ!」怒号のなか、浜田省吾&帯広バンドの演奏がスタートした。 そうして最後までバンドも浜田さんも、客に圧倒されたままステージはおわった。

しかし、わたしたちはこんなことでは挫けなかった。すぐに、このメンバーでの北海道ツアーを計画した。バンバンとのジョイントコンサートを組むことにした。バンバンは、荒井由美の曲「『いちご白書』をもう一度」がオリコンの1位になっていた。

『バンバン&浜田省吾・ジョイントコンサート』は、帯広をスタートに、釧路、北見、旭川、札幌、静内とまわることになった。バンドはもちろん、ドラムス・田中やすおさん、ギター・東川佳人さん、ベース・門脇優さん、そして、リード・ギターは、町支寛二さん。

 

帯広三条高校山岳部の後輩、笹島正司くんは、函館北斗電気のイベントの「ジョニー大倉と浜田省吾」だけでなく、デビューまえのキャデラックスリムを江差の電気店のイベントに招いてくれた。

平成8年2月22日、札幌勤務になっていた笹島くんは、クモ膜下出血で亡くなった。今年は、13回忌。


ジョニー大倉が、トリだ

2008-06-18 | 日記・エッセイ・コラム
燃えつきる~ラスト・ライヴ 燃えつきる~ラスト・ライヴ
価格:¥ 2,039(税込)
発売日:1992-11-26
   

函館・サウンド・パパでのリハーサルは三日つづいた。毎晩、練習がおわると旅館にもどり、浜田さんと町支さんと3人のバンドメンバーは、トランプに興じていた。みんなはなぜか、アメリカン・ページワンというゲームに夢中だった。(このトランプゲームは、わたしたちのあいだでアメペと言われ、そのあとの、バンバンとの北海道ツアーの楽屋でも大流行した)。函館の宿は、ホテルじゃなくて旅館、すこしカビ臭い部屋だった。

本番はキャロルを解散したばかりのジョニー大倉がトリだ。キャロルは、客の暴走のせいで、日本じゅうの会場が借りられなくなったのが解散の一因だった、ともいわれる。

その夜、函館の拓銀ホールは、リーゼント、皮ジャン、サングラスの若者で埋めつくされ、ポマードの臭いでむせ返る、異様な雰囲気だった。「ジョニー! ジョニー! ジョニー!」

そこに、浜田省吾と町支寛二、そして、帯広のバンドが登場した。

 

 

 

 

 

 


ドラム・田中やすお、ギター・東川佳人、ベース・門脇優

2008-06-17 | 日記・エッセイ・コラム
I Was Walking Through the Woods I Was Walking Through the Woods
価格:¥ 1,505(税込)
発売日:1990-01-11

浜田省吾がすごいのは、いまも新しい若いファンが増えていくことだろう。デビューのころからの熱心なファンはもう50代になるが、その子供たちのような世代の若いファンがどんどん増えていく。すごいことじゃないか。ツアーがはじまると、ホールでもスタジアムでも、そのキャパいっぱいの数千枚、数万枚のチケットが瞬時に売り切れる。

 

函館、1976年。パイオニア函館営業所の笹島正司くんが、楽器店サウンド・パパのスタジオを本番の三日前からおさえてくれた。東京から飛んできた浜田さんと町支寛二さん、そして、帯広のバンドがサウンド・パパのスタジオではじめて顔をあわせた。ドラムスの田中やすおさん、ギターの東川佳人さん、ベースが門脇優さん。わたしの運転するトヨタ・ライトエースに乗って、帯広から十時間いじょうかけてたどり着いた。三日間みっちりリハーサルをやって本番にそなえようというのだ。

 


函館、笹島正司くん

2008-06-16 | 日記・エッセイ・コラム
アンドレ・マルロー・ライブ(紙ジャケット仕様) アンドレ・マルロー・ライブ(紙ジャケット仕様)
価格:¥ 2,500(税込)
発売日:2007-11-07

この1976年の帯広勤労者福祉センターでは、地元のバンドを浜田省吾のバックに使おうとした。しかし、リハーサルで何曲か合わせてみると、どうもしっくりいかない。けっきょく、本番では、『路地裏の少年』一曲だけ、バンドが演奏した。

それにしても、本番前のリハーサル一発で合わせようというわたしの考えも無謀だった。 帯広でバンドを組んで、浜田さんともリハーサルを重ね、北海道ツアーをやりたいものだ。この思いは、その秋に実現することになる。

毎年、函館の北斗デンキは、各家電メーカーの協力で大きなイベントを開いていた。その年、わたしはパイオニアから予算をもらい、コンサートの仕込みを依頼された。

パイオニアの担当者は、笹島正司くん、わが帯広三条高校山岳部の後輩だ。いっしょに残雪のニペソツに登ったこともある。サウンドコーナーのスタッフ、恵子さんと前年に結婚したばかりで、パイオニア函館営業所にいた。

笹島くんの努力で、わたしが提案したふたりのアーティストがきまった。キャロルを解散したばかりのジョニー大倉、そして、浜田省吾だ。

 


浜田省吾とSMAPが……

2008-06-15 | 日記・エッセイ・コラム
The History of Shogo Hamada―Since 1975 The History of Shogo Hamada―Since 1975
価格:¥ 3,200(税込)
発売日:2000-11-08

2年前、2006年の夏のこと、銀座4丁目の交差点を通ると、山野楽器ビル正面の大看板に、ライトアップされた浜田さんの大きな姿があった。『The Best of Shogo Hamada vol.1 vol.2』の発売告知だ。その大看板の下、入り口のウインドは、SMAPのアルバム『Pop Up! SMAP』の看板だった。CDショップにとって、SMAPより浜田さんのほうが格上なんだ。

それにしても2006年、銀座・山野楽器の大看板、こんな光景をみるとは、あのころは思わなかった。かならず売れるようになるとは思ったが、30年いじょうトップを走りつづけるとは。わたしは、銀座4丁目、三越のまえに立ち止まって、浜田さんの大きな姿をしばらく見あげていた。

 

1976年。帯広勤労者福祉センターのホール、浜田省吾コンサートには100人をすこし超える客が集まっていた。実売が60数枚、あとは招待券のお客さん。

何組かのアマチュアの前座が終わって、浜田省吾が登場した。まだ町支寛二さんのギターもなく、まったくのソロだ。(町支さんのギターがはいるのは、この年の秋、函館から。) 数曲歌いおわって、話しはじめたとき、高校生らしい女の子が二人、席を立ち、腰をかがめて出口にむかった。「お帰りですか?」、浜田さんがステージの上からきいた。「すいません、最終バスの時間なんです」

 


札幌・ミューズの木ノ内さん

2008-06-11 | 日記・エッセイ・コラム
マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫) マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)
価格:¥ 840(税込)
発売日:1999-12
マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫) マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)
価格:¥ 840(税込)
発売日:1999-12

矢沢永吉のソロ・コンサートを札幌でやりだしたころだろうか、コンサートの打ち合わせに札幌にいくと、ときどき道央法律事務所に電話して、上田弁護士を誘いだして飲んだものだ。

1985年9月13日のこと、上田くんと、ミューズ・コーポレーションの木ノ内久嗣さんの店で田中康夫さんといっしょに飲んだことがあった。田中康夫さんは「なんとなくクリスタル」がヒットしてる新進作家で、木ノ内さんの店の一周年記念のイベントに招かれていた。講演がおわったあと、木ノ内さんのお招いをうけ、わたしと上田くんは、店のVIPルームで田中さんと飲むことになった。田中康夫さんは、ファッションやブランドやスッチーだけじゃなく、音楽のウンチクも半端じゃなく、じつにたのしい人だった。

そのときは、田中康夫さんが長野県知事になるとか、上田文雄弁護士が政令指定都市・札幌の市長になるとか、夢にも思わなかった。

ミューズ・コーポレーションの木ノ内さんが経営していた店、ジューク・ボックスは、札幌・狸小路5丁目角、清水金物店ビルの地下だった(後でレコード屋のシスコがあったところ)。 ミューズは、マイルス・デイビスやソニー・ロリンズやスタッフ、渡辺貞夫さんなど北海道で開催されるほとんどすべてのジャズ・コンサートのプロモーターだった。わたしとは、中村雅俊と矢沢永吉のコンサートをいっしょにやっていた。

 

 

 


十勝からは、アナウンサーも

2008-06-07 | 日記・エッセイ・コラム
GREATEST HITS“THE SOUL” GREATEST HITS“THE SOUL”
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2000-02-14

 

今朝、「NHK週刊ニュース」をみてると畠山智之アナウンサーがキャスターをやっていた。畠山さんも帯広局が初任地のアナウンサーで(1981年~1985年)、宮本隆治さんの後輩だ。

世代も若いし、会社も違うが、TBSテレビ「ぴたんこカンカン」「中居正広の金曜日のスマたちへ」の司会、安住紳一郎アナウンサーは、帯広柏葉高校卒業だ。

帯広柏葉高校といえば、中島みゆきさんが出ている。大学で教職課程をとった中島さんは、母校の柏葉高校で教育実習をやった。いま50代で「中島先生が……」という人がいて驚かされた。

 

さて、1976年、札幌のCBSソニーのコンベンションからもどったわたしは、浜田省吾のアルバム『生まれたところを遠く離れて』のテスト盤を店の若者に聴いてもらった。販売の現場で毎日客にあっている店員の感性がいちばん信頼できる。聴いてる量も膨大だ。

浜田省吾、いいですね」店の若者の意見が一致した。

 


浜田省吾に会ったのは、札幌グランドホテル

2008-06-06 | 日記・エッセイ・コラム
路地裏の少年 路地裏の少年
価格:¥ 956(税込)
発売日:2005-03-24
リボルバー リボルバー
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:1998-03-11
陽のあたる場所―浜田省吾ストーリー (角川文庫)
価格:¥ 693(税込)
発売日:1990-06
 

 

はじめて浜田省吾をみたのは、札幌グランドホテルで開かれたCBSソニー・レコードのコンベンションでのことだった。1976年のこと。その日、午前中は新譜の説明やらテスト盤の試聴があって、昼からパーティーになった。ポリドールからCBSソニーに移籍した下田逸郎のライブがパーティーのメインイベントだった。

北海道中から集まったレコード店の店主や仕入れ担当者たちが、ビールやワインのグラスを手に下田逸郎の登場を待っていた。わたしはステージのすぐ前のテーブルに座って、ひとりビールを飲んでいた。ステージは広さ二畳ほどの箱台だった。

下田逸郎とは、どんなライブをやるのか、北海道でコンサートがうてるのか、イベンターとしての興味もあった。

下田逸郎は、東京キッドブラザーズの音楽監督としてニューヨーク公演を終えたばかりで、ポリードールからCBSソニーへの移籍が大きな話題になっていた。

しかし、なかなか下田逸郎は登場しない。道東地区担当のセールスマン、高市さんが気をつかて隣に座ってビールをついでくれた。
「下田逸郎の前に、浜田省吾が歌います」

 




 

 

 


帯広駅前、レコード屋

2008-06-05 | 日記・エッセイ・コラム
 
そこに僕はいた (新潮文庫)
辻 仁成
新潮社

わたしは、1960年代後半から70年代、北海道・帯広市で小さなレコード店をやっていた。まだCDは無く、アナログのレコード屋。

小説家の辻仁成さんがエッセイのなかで、「はじめてロックのレコードを買った店 サウンドコーナー」と書いた店(『そこに僕がいた』新潮文庫)。辻さんは、九州から転校して小、中学を帯広ですごしたらしい。

 

浜田省吾松任谷由実井上陽水吉田拓郎矢沢永吉宇崎竜童りりィ五輪真弓浅川マキチューリップ泉谷しげる中村雅俊、萩原健一、イルカRCサクセッション海援隊柳ジョージ松山千春中島みゆきなどのライブを主催した。

 

昨年NHKを退職してフリーになった宮本隆治さんは、当時、NHK帯広局のアナウンサーで(1973年~1977年、帯広局勤務)、担当のFM番組に出演した足寄の青年、松山千春さんを紹介してくれた。実家の病院を手伝っていた中島みゆきさんも宮本さんのラジオ番組で歌っていた。

森本裕二くんは、そのころ、帯広畜産大学の環境植物の学生で、卒業記念のライヴではザ・ナッツと共演した。