Ommo's

古い曲が気になる

植物相の違いにあらためて驚く

2012-07-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 老いた両親の介護のために、25年ぶりに故郷・帯広にもどった。主夫で、介護士で、看護師で、ケア・マネージャー補佐で、洗濯夫で、料理人で、買い物係で、庭の草取りジジイで、お掃除おじさんのような生活がつづいている。寝たきりになってしまった母、認知症初期の九十近い父親。このふたりの介護を、ひとりでやる事態に至った。じつにヘヴィーな日々、これこそ、ハード・デイズ&ナイツだね。

 

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 優雅に帯広散歩というわけにいかないが、スーパーマーケットへの道すがら、道端の草木にみとれる。ひさしぶりにみる北海道・道東の木々、草花は新鮮だ。長く暮らした関東と北海道では、植物相がまったく違う。関東は亜熱帯の北限、ここは亜寒帯の南限ともいえる。おなじ種類の植物でも、ちがう種といっていいほど大きさが違う。

 

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デコボコ歩道

2012-07-10 | 日記・エッセイ・コラム

 帯広に帰ったら、まず一番に、帯広市図書館の「中城ふみ子資料室」を訪ねたいと思っていた。

 わたしはもう、車に乗らない。自転車で、西の町から市役所のある町まででかけた。30分くらいかな。

 市道の歩道がめちゃくちゃデコボコなので、ひどく疲れる。きっと、市長の能力の、そのレベルなみの歩道なのだろう。パッチワークのデタラメな舗装と亀裂、亀裂、デコボコ、デコボコ。ほかの市で、こんな粗悪な歩道をみたことがない。車道は、怖くて走れない。

(また、市民が負担するごみ処理費用がバカ高い。つまり、市指定のゴミの袋がめちゃくちゃ高いのだ)

 

 しかし、かって図書館があったところに、図書館がない。新築になったと噂をきいていたが、おなじ場所じゃないのか。駅の南に図書館はある、と教えられてたどり着いた。

 

   黒きショール 畳みて 砂濱にわれは座る  海よ その話の 續き きかせよ

 

 これは、中城ふみ子さんの、「冬の海」九首の第二歌だ。やはり、なんといっても、壮絶に心をうつのは、

 

   冬の皺 よせゐる海よ 今少し 生きて己の無残を見むか

 

 ※スペースはわたしが勝手に入れた。中城ふみ子さんの短歌にスペースと改行はない。

 なんどか書いたが、中城ふみ子さんは、わが帯広三条高校の大先輩だ。昭和14年(1939年)卒業。12歳で入学して、16歳で卒業している。当時は、男女共学の帯広三条高校ではなく、帯広高等女学校だ。

 

 

乳房喪失―歌集 (短歌新聞社文庫)

夭折の歌人 中城ふみ子

中城ふみ子 そのいのちの歌


クルミ

2012-07-08 | 日記・エッセイ・コラム

 スズランの実。

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 花が咲いたら、実がなる。とうぜんといえば、当然のことだが‥‥‥北海道で育ったが、スズランの実を、ジジイになってはじめて見た。

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 たけたアスパラガス。

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 アスパラガスは、まだまだ大きく成長する。食用にするグリーン・アスパラは、この幼児期のやつ。土から出たばかりの芽の状態だ。ホワイト・アスパラは、その芽が地中にあるやつ。地上に顔をだし、陽の光にあたると即座にグリーンに変身する。ホワイト・アスパラとグリーン・アスパラは、おなじ種なのだ。

 散歩で目にするものは、東京散歩や浦安界隈とはまるでちがう。これはこれでたのしい。

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 住宅街のなかの、この帯広川沿いの道をみると、トルストイの小説を読み返してみようかな、という気分になる。

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 左のこの木は、クルミ。北海道のクルミだ。殻は厚く、とても固いが実は美味い。市販していているクルミとは違う。原種、野生種だ。いたるところで繁茂する。強靭なやつだ。成長が早く、すぐに実をつけ、陽をさえぎる敵の樹木がなければ、短時間で巨木に成長する。タフなやつだ。かって北海道の森に住む人々には、主食のように身近なナッツだったろう。

 

 

 

 


立原累「北の大地」は、1974年の発売

2012-07-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ここに、中島みゆきの実家、中島産婦人科病院があった。

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 いまは帯広厚生病院の駐車場になっている。ここに中島産婦人科があった。高架の鉄道は、根室本線、右が札幌、左が釧路の方向だ。以前は高架ではなく、中島病院の横に踏切があった。この映像の、クロネコヤマトのトラックのところに遮断機が下りた。

 札幌の大学を卒業した中島美雪さんは、帯広の実家にもどって、家業の病院の事務を手伝っていた。

 「中島美雪さんはいらしゃいますか?」 1974年(昭和49年)冬のこと、わたしは、立原累コンサートの前座に出演してもらうために、中島産婦人科に電話をいれた。

 「北の大地」という曲で東芝EMIからデビューする、立原累のコンサートを、帯広市勤労者福祉センターのホールで開くのだが、中島さんも出演していただけないだろうか? と。これが中島美雪さんとの最初の会話だった。

 それ以前から、北海道大学フォークソング・クラブのコンサートに、藤女子大学の学生が出演して評判だった、と東芝EMI札幌支店の宣伝マン、高橋さんに聞いていた。その女子大生は、帯広出身だ、と。

やはり札幌で歌っていた住吉徹くんが、わたしのレコード店に勤めていて、北大生たちと歌っていた中島さんが実家の病院にもどってますよ、と教えてくれたのだ。そんなわけで、立原累「北の大地」コンサートへの出演依頼の電話をかけたのだ。遠いむかしのことだ。


白樺通りで The Way We Were

2012-07-04 | 日記・エッセイ・コラム

 

 帯広の、ばんえい競馬が開催される競馬場のまえ、白樺通りといわれる道を散歩していると、中古車販売店の店頭から、小さく  "the way we were"  が流れてきた。

 

 音楽と香水は、忘れていた感情をとんでもなく刺激する。ビルの廊下ですれちがった女が残す香水の、わずかな香りで、突然、何十年もまえのシーンの、会話まで鮮明に思い出し、その場でうずくまるほどの感傷に打ちのめされることがある。それは‥‥‥はげしい後悔と、恥だ。

 香水と音楽‥‥人の心をゆさぶる力はある。

   バーブラ・ストライサンド The Way We Were http://www.youtube.com/watch?v=n-KPGh3wysw&list=LPs-z409g1yak&index=2&feature=plcp

The Way We Were

 この限りなくセンチメンタルな曲の作曲者は、巨匠マーヴィン・ハムリッシュ。「スティング」「ソフィーの選択」、そして「コーラスライン」など、ヒット映画の作曲家だ。


パソコン到着

2012-07-03 | 日記・エッセイ・コラム

 

 引越しをして、プロバイダーが変わったせいか、東京湾岸から北海道・十勝平野、あまりの長距離移動と気候・風土の激変に、わが老パソコンは、すっかり困惑してしまったのか、絶不調だ。じつにイラ立つ。

 拡張をしたり、改築をしたり、いろいろ手を加えて、10年近くも使いつづけてきたのだが‥‥いよいよ、限界か? 今度の生活は、以前のようにパソコンに張りついているわけにもいかない。別れはかならずくるのだ。鈍重なパソコンは、涙をのんで切り捨てるべきか? 生活環境も変わった。この際、心機一転、パソコンも新調しようか。

 

 そんなわけで、CPUがインテル・Core i7のデスクトップを発注して、やっと届いた。いろいろ雑多な用事の合間に、ファイルや設定の引越しをしているので遅々として進まない。

 しかし、最新・大容量のパソコンはじつに快適だ。いままでのが、老いたラバがひく荷馬車だとすると、このパソコンは、レーシングカーだろうか。わたしは、荷馬車の御者からカーレーサーに変身したわけだ。