Ommo's

古い曲が気になる

『キープ・ミー・ハンギング・オン』は、シュープリームスがオリジナル

2011-07-30 | 日記・エッセイ・コラム

   

 1967年(昭和42年)、ヴァニラ・ファッジでヒットした『キープ・ミー・ハンギング・オン』は、オリジナルはシュープリームスの曲だ。         

               ヴァニラ・ファッジ You Keep Me Hangin' On http://www.youtube.com/watch?v=s5WMh9BAFmM

 日本で、ヴァニラ・ファッジのカバー・ヴァージョンは、まずシングル盤が67年から売れつづけ、そして、このファースト・アルバムは、70年代半ばまで長い間よく売れた。

キープ・ミー・ハンギング・オン(SHM-CD)

                   

              シュープリームス You Keep Me Hangin' On http://www.youtube.com/watch?v=lxny2KMd0TI&feature=related

シュープリームス・シング・H-D-H(紙ジャケット仕様)

 シュープリームスの『ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン』は、1966年の全米№1のヒット曲。作詞・作曲は、モータウン・レコードで数々のヒット曲を書いたソングライター・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランド。すなわち、エディー・ホーランドとブライアン・ホーランド兄弟と、ラモン・ドジャーの3人組だ。

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    キム・ワイルド You Keep Me Hangin' On  http://www.youtube.com/watch?v=BNyRU0fKHAY

 キム・ワイルドのカバーは、1987年(昭和62年)のビルボード誌hot100、№1のヒット。

Very Best of Kim Wilde

  

 


海江田万里、国会で泣く

2011-07-29 | 日記・エッセイ・コラム

                           

 海江田万里経産大臣が、国会で泣いた、とインターネットのニュースにあるので、『まさか、国務大臣が』と思い、早速、衆議院TV・経済産業委員会の録画をみた。

 ほんとうだ。魯迅の詩を引用しようとするが、詩句がでてこない。そのあたりから完全に壊れていく。言ってることが意味をなさない。支離滅裂だ。「こらえてください」とか、「おねがいします」とか、国務大臣の国会答弁とは到底思えない言葉がでる。そして、泣いた。

    海江田万里、国会で泣く http://www.youtube.com/watch?v=WKmtQUcqkew&feature=related

 (このテレビ朝日のアナウンサーのコメントでは、自民党議員が不当に攻めたてたようにいってるが、60すぎた男が人前で泣くほど攻めたわけじゃない。野党時代の菅直人など、民主党の粘着質の悪質で薄汚い攻撃からすると、いまの自民党など可愛いものだ。民主党には、時の総理大臣に国会の場で漢字テストをやったバカもいた。日本の国会議員でありながら、震災直後に南の島でゴルフをやっていたバカだ。民主党なんてそんなレベルなのだ)

 インターネットの国会中継録画では、席にもどって泣いてるところまで映ってないが、7時のNHKニュースでは、顔を覆って泣いてる姿をばっちり放送した。おまけに、「泣きたいのは、国民です」とまでコメントをいれた。驚いた。菅政権をかばい続けていたNHKが、ついに堪忍袋の緒が切れたか? いつまでもバカ菅をかばって、国民から呆れられていることに気づいたということかな?

 売国奴・菅直人は、夜、記者会見を開いたが、最近まであれだけ『菅さん、菅さん』だった在京テレビ局は、どこもろくに放送しない。深夜のニュースでも内容をいっさい報道しない。(内容の無さにあきれているのだろう。この日、豪雨の甚大な被害があったというのに、バカ菅は、新潟の水害に対していっさい言及してないのだ)。

 国会では、菅内閣は、『幼稚園のおゆうぎ会』と揶揄されていたが、それも幼稚園児に失礼だ、となった。

 東北の復旧復興はいっこうに進まない。

 お盆までは被災地の仮設住宅をすべて完成させる、と、菅直人は国会で大見得を切ったが、もうすぐお盆だが、いまだ2万人をこえる人々が、避難所暮らしだ。暑い体育館の床で寝ている。もうすぐ東北の早い秋がきて、冬がくるだろう。

 福島県からは、7万人をこえる人々が、生きているあいだに二度と故郷に帰れないかも知れないという不安のなかで全国に散っている。まったく終息のめどはない。めどがないどころか、菅政権の幼稚さと隠蔽体質のために、多くの人々が被曝をしてしまった。

 稲わらも汚染して、和牛生産の畜産業も壊滅状態だ。

 全国から集まった3000億円をこえる義援金はいまだ一部しか配布されてない。(おそらく、すでに菅直人が北朝鮮に流したのだろう、とわたしは思っている。阪神大震災のとき、義援物資を横領して、北朝鮮に流した国会議員がいた。そいつは、いま、菅直人の補佐官をやってるようだ)

 対ドル77円、急激な円高だが、野田大臣といえば、いつものセリフ、「注視している」というだけ。のんきなもんだ。当事者意識も、責任感もまったくない。こんな学習塾の先生しか職業経験ない野郎が、国家の金融政策の責任者なのだから、幼稚園のおゆうぎ会以下の政府だ、といわれるのは当然なのだ。

 もうボロボロの内閣だが、どうも売国奴・菅直人は任期いっぱい居座るつもりらしい。それまで日本がもつかどうか? 甘い言葉にダマされて投票したのは、国民の大多数のなのだから、それも、自業自得か。愚かにも、自滅を選んだ民族か……。(たしか民主党政権ができたとき、「たのんでもいないのに、自殺を選んだ日本国民」、と韓国の新聞が揶揄して喜んでいたが……)


『百万本のバラ』は、ラトビアの曲が元歌

2011-07-28 | 日記・エッセイ・コラム

                              

 元歌といえば、日本でも加藤登紀子などがカバーしてヒットした、ソ連の曲『百万本のバラ Миллион Алых Роз 』は、ラトビアの曲が元になっている。1981年(昭和56年)に、ラトビアで発表された『マーラは与えた Dāvāja Māriņa 』がその元歌だ。

 作曲したのは、ライモンズ・パウルス、作詞は、レオンス・ブリアディス。歌詞は、ソ連で大ヒットした『百万本のバラ』と、まったく別で、意味もまったく違う歌詞だった。歌ったのは、アイヤ・ククルとリーガ・クレイツベルガ。

      アイヤ・ククル&リーガ・クレイツベルガ  Dāvāja Māriņa http://www.youtube.com/watch?v=bxcfMuzlCBc             

                           

 ラトビアの曲『マーラは与えた』は翌年、1982年、ロシア語の歌詞がつけられ、ソ連の国民的に歌手、アーラ・プガチョワが歌って大ヒットする。ソ連圏だけでなく、ヨーロッパ、アメリカでも流行った。日本で日本語バージョンが発売になったのは、1986年(昭和61年)のことだ。歌詞は、ロシア語の『百万本のバラ』が元になっていた。

     アーラ・プガチョワ Миллион Алых Роз http://www.youtube.com/watch?v=oIFmhye6fqw&NR=1&feature=fvwp

 ロシア語バージョンは、グルジアの画家ニコ・ビロスマニがフランスの女優に惚れ、彼女が泊まるホテルの前の広場をバラで埋めたつくした、という逸話をもとにした歌詞だ。だが、どうも、この話は、ロシア語版の歌詞を書いた、アンドレイ・ヴォズネセンスキーのつくり話らしい。実在の画家の名前をだした話をでっちあげ、歌詞に信憑性をもらせるためのプロモーションだったのだろう。この曲にまつわる話として、いまではすっかりほんとうの話のようになってしまったが……。

 『百万本のバラ』をヒットさせたアーラ・プガチョワは、ソ連の崩壊後もロシアだけでなく、ヨーロッパやアメリカでも人気があったが、2009年、引退を表明して第一線から退いた。60歳だった。好きな歌手だ。残念だ。

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   アーラ・プガチョワ Мне нравится  http://www.youtube.com/watch?v=UIOlZP-XQCU&NR=1 

                     

  『百万本のバラ』の元歌、『マーラは与えた』を作曲した、ラトビアの作曲家、ライモンズ・パウルスは、1988年から1993年までラトビアの文化大臣だった。辞退はしたが、大統領候補に選ばれたこともある。独立後は、政治からはなれ、音楽活動に専念しているようだ。多くの映画音楽やミュージカルを書き、音楽教育にも力を注いでいる。

 ライモンズ・パウルス自身がピアノを弾いている映像がユーチューブにみつかった。

    ライモンズ・パウルス Mēmā dziesma http://www.youtube.com/watch?v=rJRlErKT0O8

     

 ラトビアの歌『マーラは与えた』は、小国ラトビアの悲哀を暗示する、母娘3代のちょっと切ない歌だ。この曲が歌われた1981年、ラトビアは、ソ連邦に組み込まれてロシア人に支配されていた。ラトビアがひさしぶりに独立したのは、ソ連崩壊後、1991年のことだ。1940年から1945年までは、ナチス・ドイツに占領された。

 この歌には、百万本のバラも、美女の女優も、貧乏画家の片思いもでてこない。 

 ラトビアの歌『マーラが与えた』の翻訳がウエブ上にあるので紹介する。翻訳は、黒沢歩さん。マーラとは、ラトビアの女神のことらしい。ビートルズが『レット・イット・ビー』で歌った、マザー・メリーとおなじ、人かな?

      

  マーラが与えた人生


子供のころ泣かされると
母に寄り添って
なぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って、もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして寂しさに駆られると
同じ事を一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が
笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」


『好きにならずにいられない』は、『ブルー・ハワイ』で歌われた

2011-07-27 | 日記・エッセイ・コラム

                            

 1962年(昭和37年)のエルビス・プレスリーのヒット曲に、『好きにならずにいられない Can't Help Falling in Love With You 』がある。この曲を書いたのも、『ライオンは寝ている』の英詩を書いた、3人のソングライター、ヒューゴ・ベレッティ、ルイージ・クレアートーレ、そして、ジョージ・デビット・ワイスだ。

   エルビス・プレスリー Can't Help Falling in Love With You http://www.youtube.com/watch?v=5V430M59Yn8&feature=related

ブルー・ハワイ [DVD]

ブルー・ハワイ

 この曲は、ヒット映画『ブルー・ハワイ』の挿入歌だが、この曲にも元歌がある。1780年にフランスで発表された『 Plaisir D'amor  愛の喜び 』だ。作曲は、ジャン・ポール・マルティーニ、作詞は、ジャン・ピエール・クラリス。いまもフランス語やイタリア語で歌われる曲。日本でも馴染みの曲だ。

    シャルロット・チャーチ Plaisir D'amor http://www.youtube.com/watch?v=T_dDZhfMvL0

    シャルル・アズナブール&ナナ・ムスクーリ Plaisir D'amor http://www.youtube.com/watch?v=BdAhaanFg3I&feature=related

   

   エルビス・プレスリー Blue Hawaii http://www.youtube.com/watch?v=j4F5dbiaITw&feature=related

      エルビス・プレスリー Hawaiian Wedding Song http://www.youtube.com/watch?v=0Rsyh4QvUWU&feature=related

   


都道府県会議議長会が首相退陣動議を採決

2011-07-27 | 日記・エッセイ・コラム

                         

『全国都道府県議会議長会(会長=山本教和・三重県議会議長)は27日、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の県議会議長の緊急動議を受け、菅直人首相の退陣を求める緊急決議を採択した』http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110727/lcl11072716500006-n1.htm


『ライオンは寝ている』小史

2011-07-26 | 日記・エッセイ・コラム

                                          

 

ライオン・キング スペシャル・エディション (期間限定) [DVD]
                                                                         

 盲目のピアニスト、ジョージ・シアリング作曲の『バードランドの子守唄』に歌詞をつけた、ジョージ・デビット・ワイスは、『 The Lion Sleeps Tonight  ライオンは寝ている』の詞も書いてる。

    『ライオン・キング』 The Lion Sleeps Tonight http://www.youtube.com/watch?v=O8milJNj_W0

 この『 The Lion Sleeps Tonight  ライオンは寝ている』は、わたしが小学生のころ、トーケンズ The Tokens の歌で大ヒットして、日本でも流行って、毎日のようにラジオから流れたものだ。1961年(昭和36年)のことだ。『ライオン・キング』では、80年代のブロードウェイ・ミュージカルも、1994年のアニメ映画も、このトーケンズのヴァージョンをほとんど変えず使っている。

 このトーケンズ版の The Lion Sleeps Tonight  を作詞したのが、ジョージ・デビット・ワイス、ヒューゴ・ペレッティ、ルイージ・クレアートーレのプロフェッショナルなソングライター・チームだった。元は、アフリカの曲だ。

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 ジョージ・デビット・ワイス。エルビス・プレスリーのヒット曲『好きにならずにいられない Can't Help Falling In Love With You 』など、ほかにも多くの作品がある。

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 ルイージ・クレアートーレ、サム・クック、ヒューゴ・ペレッティ。

 ヒューゴ&ルイージは、従兄弟のソングライター。作詞・作曲だけでなく、レコーディング・プロデュースのチームだ。サム・クックのレコードも制作した。

 この3人、ジョージ・デビット・ワイスと、ヒューゴ&ルイージが、トーケンズ・ヴァージョンの『ライオンは寝ている The Lion Sleeps Tonight 』をつくった。

                

 まず元になったアフリカの歌がある。1939年、南アフリカのグループ、イヴニング・バーズ The Evening Birds が『Mbube  ライオン』という曲をアフリカでヒットさせた。リーダーのソロモン・リンダの作品だ。

 何人もの才能あるプロたちの手を経て、この曲が、いまの『 The Lion Sleeps Tonight  ライオンは寝ている』に進化する。原石が磨かれていく過程をみるようで、じつにおもしろい。

  ソロモン・リンダ&イヴニング・バーズ Mbube http://www.youtube.com/watch?v=mrrQT4WkbNE

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 一番左が、ソロモン・リンダ。グループのリーダーで、作曲者。

 この南アフリカの曲に興味をもったアメリカ人がいた。アラン・ローマックスだ。父ジョン・ローマックスとおなじように、アメリカのフィールドでフォークソングやブルースを収集した音楽学者だ。アメリカだけではない。世界じゅうに出かけて録音した。

 アラン・ローマックスによって発掘され歌われるようになったフォークソングやブルースも多い。レッドベリーやマディー・ウオーターズやメンフィス・スリムなど、アラン・ローマックスの録音で世にだてブルースメンも多い。ジョンとアラン・ローマックスの功績がなければ、いまのアメリカのポピュラー・ミュージックの隆盛はないだろう、とまでいわれる。父ジョン・ローマックスとアラン・ローマックスは、1万をこえる曲をフィールドから収集・採譜・録音したという。

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アラン・ローマックス選集-アメリカン・ルーツ・ミュージックの探求 1934-1997

 アラン・ローマックスは、友人のフォークシンガー、ピート・シーガーに、この南アフリカの曲『 Mbube 』を聴かせる。

 ピート・シーガーは、1940年代のアメリカ・フォーク・リバイバル運動の中心的なミュージシャン。『天使のハンマー』『花はどこへ行った』『ターン・ターン・ターン』などフォークソング・ブームのときによく歌われた曲の作者だ。

 南アフリカの曲『 Mbube 』は、『 Wimoweth 』とタイトルが変わり、オリジナルとはまるでちがうアメリカンになって、ピート・シーガーたちのグループ、ウィーヴァーズ The Weavers でレコーディングされた。1952年(昭和27年)のことだ。これがヒットして、キングストン・トリオなどがカバーする、フォークグループのスタンダードになった。

   ウィーヴァーズ Wimoweth http://www.youtube.com/watch?v=2njQxb5b6eA&feature=related

Weavers

                       

 60年代になると、イギリスで、この曲は、もっとポップにロックンロールっぽく歌われる。トーケンズ・ヴァージョン夜明け前、という感じだ。だが、まだ英語の歌詞がついてない。なんだか訳のわからない言語で歌ってる。このころになると、原曲のもってる土臭い雰囲気は跡形もなくなる。

    ザ・スプリングフィールズ Wimoweth http://www.youtube.com/watch?v=zbfegDhBhcU&feature=related

 左でコンガを叩いているのが、兄のトム・スプリングフィールド、そして、ダスティー・スプリングフィールド。若い。まだ21、2歳だろうか?  

    カール・デンバー Wimoweth http://www.youtube.com/watch?v=09SXTH699xE&feature=related

                              

 そしてついに、1961年(昭和36年)、アメリカの白人ドゥー・ワップ・グループ、トーケンズの『ライオンは寝ている The Lion Sleeps Tonight  』が登場する。英語の歌詞も完璧なプロの仕事で、アレンジは、洗練されたアメリカン・ポップスだ。50年たったいまも、ちっとも色褪せない、たのしいポピュラー・ミュージックだ。英語の詩をつけ、曲を磨いたのは、この記事の最初に紹介した、3人のプロフェッショナルなソングライターたち、ジョージ・デビット・ワイスとヒューゴ&ルイージだ。

    トーケンズ The Lion Sleeps Tonight  http://www.youtube.com/watch?v=_LBmUwi6mEo 

Lion Sleeps Tonight

           

 2004年、『 Mbube 』の作曲者、ソロモン・リンダの身内が、ディズニーに対して高額のロイヤルティーを請求する訴えを起して、莫大な金を手にした。しかし、悲しいことに、作曲者・ソロモン・リンダ本人は、すでに1962年、赤貧のなかで亡くなっていた。

 ウィーヴァーズ再結成、カーネギー・ホールのライブ映像。トーケンズの60年代の映像と2008年の映像がおもしろい。

    ウィーヴァーズ(再結成) Wimoweth http://www.youtube.com/watch?v=vZ06MuB8_04&feature=related

    トーケンズ The Lion Sleeps Tonight (1969)  http://www.youtube.com/watch?v=GxwoxWOd_dc&feature=related

    トーケンズ The Lion Sleeps Tonight  (2008) http://www.youtube.com/watch?v=pHB_STa-lxI&feature=fvwrel

                         

 話はすこしずれるが、トーケンズの『ライオンは寝ている』が流行った1961年(昭和36年)、日本では、石原裕次郎の『銀座の恋の物語』、坂本九の『上を向いて歩こう』、西田佐知子の『コーヒールンバ』なんかが流行っていた。わたしは、小学6年か、中学1年だったか?

 仲宗根美樹が、『川は流れる』でデビューした年だ。南沙織のまえ、最初の沖縄出身のアイドル歌手ではないだろうか。アイドルといっていいのか……歌がうまい人だった。戦後15年、沖縄はまだアメリカだった。

    仲宗根美樹 『川は流れる』 http://www.youtube.com/watch?v=vEoP_NvdhT8&feature=related


‘吐き気をもよおす’菅直人と北朝鮮のズブズブの関係

2011-07-25 | 日記・エッセイ・コラム

                         

  いま国会で、菅直人と北朝鮮のズブズブの関係が追求されている。だが、産経新聞以外、新聞もテレビも、いっさい報道しない。やっと今夜、テレビ朝日の番組で話題になった。

 (NHKは国会中継で、『菅直人、あんたは北朝鮮のスパイか』と追求されている場面を放送している。その当のNHKが、ニュースで、その国会での質疑をいっさい報道しない。偏向した報道機関だ。)

        TVタックル 菅政権と北朝鮮の闇を徹底追求[7月25日]
http://www.youtube.com/watch?v=7ARWbDC799U&feature=channel_video_title
http://www.youtube.com/watch?v=iDcKbPXbYsQ&feature=channel_video_title


『バードランドの子守唄』は、ジョージ・シアリングの作曲

2011-07-24 | 日記・エッセイ・コラム

             

 

Frank
                  

 エイミー・ワインハウスが亡くなった、と日本の新聞やネットで大きな話題だ。わたしは、ほとんどこのアーティストの知識がない。インターネットで、日本や外国のメディアのページをみるとたいへんな騒ぎになっている。驚いた。オーティス・レディングやジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスが死んだとき、日本のメジャーなメディアが、話題にしただろうか? わたしにはその記憶がない。 

                     
     エイミー・ワインハウス Valerie http://www.youtube.com/watch?v=lqSKVv6YO8g&feature=fvst

                        

 エイミー・ワインハウスの死因は、ドラッグのようだ。27歳だったという。『27クラブ』のメンバーになってしまったわけだ。

 27 Club(27クラブ)とは、大きな影響力があったロック・ミュージシャンが、ドラッグにからむ事故で次々に突然死した、そのアーティストたちのことだ。その年齢が、偶然にも、27歳だったのだ。ジム・モリソンが死んだ、1971年ころから使われだした不吉で、不快な言葉だ。ロック・ミュージシャンだけでない。ブルースのロバート・ジョンソンが怪死したのも27歳だった。そのほか、なぜか27歳でたくさんのミュージシャンが死んでる。

   『27 クラブ』主要メンバー、没年。
  ブライアン・ジョーンズ  1969年 ローリング・ストーンズのリーダー
  ジミ・ヘンドリックス  1970年
  ジャニス・ジョプリン  1970年
  ジム・モリソン  1971年 ドアーズのリーダー
  カート・コバーン  1994年 ニルヴァーナのリーダー
  

     The Forever 27 Club http://www.forever27.co.uk/27/

The 27s: The Greatest Myth of Rock & Roll

 

                        

 今年2月、イギリス出身の偉大なミュージシャンが亡くなった。Sir ジョージ・シアリングだ。91歳だった。

Definitive George Shearing

 ジョージ・シアリングは、ロンドン出身の盲目のジャズ・ピアニスト。1947年からアメリカに渡り、アメリカのジャズシーンで活躍した。名曲『バードランドの子守唄 Lullaby of Birdland 』の作曲者だ。

           ペギー・リー&ジョージ・シアリング Lullaby of Birdland http://www.youtube.com/watch?v=jVoxSWwH6rY&feature=related
           ジョージ・シアリング Lullaby of Birdland http://www.youtube.com/watch?v=LKXvMbAKAmY&feature=related

Beauty & The Beat
         
     サラ・ボーン Lullaby of Birdland   http://www.youtube.com/watch?v=x8cFdZyWOOs&feature=related
      チャカ・カーン Lullaby of Birdland http://www.youtube.com/watch?v=7bIyUXY9RV0&feature=related

     ボビー・マクファーリン&ライザ・サンチェス Lullaby of Birdland http://www.youtube.com/watch?v=dZH5UQmiP2g&feature=related

                               

                   ジョージ・シアリングnet  http://www.georgeshearing.net/

Nat King Cole Sings George Shearing Plays

   ジョージ・シアリング・クインテット Move http://www.youtube.com/watch?v=a4tG7929O3I&feature=related

 

George Shearing & Montgomery Brothers
                  

 『バードランドの子守唄』に歌詞をつけたのは、『ライオンは寝ている The Lion Sleeps Tonight 』『好きにならずにいられない Can't Help Falling in Love with You 』などの作品があるジョージ・デビッド・ワイス。ルイ・アームストロングの名曲『この素晴らしき世界 What a Wonderful world 』は、ボブ・シール(ジョージ・ダグラス)との共作。                         

       ルイ・アームストロング(サッチモ)What a Wonderful World http://www.youtube.com/watch?v=SzJY96m3lkg

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 この曲 What a Wonderful world をジョージ・デビット・ワイスと共作したボブ・シールは、ジャズの名プロデューサーだ。コラール・レコード(デッカ)、インパルス、フライング・ダッチマンでジャズの数々の名盤を制作した。曲を書くときは、ジョージ・ダグラスというペンネームをつかった。

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 ボブ・シール(ジョージ・ダグラス)とジョン・コルトレーン


ジョサン3人、常磐会。新宿でビールだ

2011-07-23 | 日記・エッセイ・コラム

                                                       

 『十勝の木の器』工房の佐々木くんが、新宿・伊勢丹5階で展示即売をやっているので、わが帯広三条高校・1年Eクラス・組長の橋本くんと3人で、ライオンでビールを飲んだ。3人の常磐会だ。

 常磐会(ときわかい)とは、わが北海道帯広三条高等学校の同窓会。正会員の第1回会員は、1916年(大正5年)卒業、私立姉妹女学校十勝姉妹職業校・裁縫専修科高等部の6名と裁縫専修科普通部の3名。この9人の女性が、わが北海道・帯広三条高等学校の最初の卒業生だ。大先輩だ。

 昭和7年、帯広町立女学校になって、北海道庁立帯広高等女学校になったのは、1933年(昭和8年)のことだ。以来、1948年(昭和23年)の男女共学の新制高校になるまで、北海道・道東の才女が学ぶエリート校だったのだ。

 わたしのおばさんたちは、『わたしは、帯広高女の卒業なのよ』というプライドをもっていた。女に学問はいらない、という時代、尋常小学校卒で義務教育がすむ時代、開拓地・北海道で、十勝に1校しかない公立の高等女学校まで進学した女性たちの向学心は、すごい、と、わたしは感心する。わが常磐会の先輩たちだ。

 つまり、わが帯広三条高等学校は、長い女子校の歴史がある。北海道の開拓地で、向学心に燃えた女の人たちの学び舎だ。

 わたしたちは高校生のとき、ほかの高校の男たちから、「ジョサン、ジョサン」と、さんざんバカにされたものだ。

 ジョサン、とは、「女・三」なのだろうか。「男なのに、女子校かい、三条生」とか、やつらの言ってる意味はわからんが、ジョサン、ジョサン、と、あらゆるスポーツ大会で、わしら、わが三条高校は、罵声をあびたものだ。

 つまり、やつらからすると、女子校だったはずなのに、とんでもなく強いわしらに嫉妬したのだろ。わたしたちからすると、女子校だったのが悔しいかい、という感じかな。おまえらの高校に、中城ふみ子さんのような先輩は、いないだろ? そんな感じかな。

 


ビギンを、ビギンしよう、とは

2011-07-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 1984年(昭和59年)に、フリオ・イグレシアスの歌で流行った『ビギン・ザ・ビギン』は、コール・ポーターの曲。1935年(昭和10年)の作曲だ。

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  ビギンは、フランス領のカリブ海の島々、マルティニークとかで流行ったダンス・ミュージック。30年代、パリで流行った。

 1935年(昭和10年)、コール・ポーターは、パリのリッツ・ホテルのバーで、ピアノを弾いて、この作曲したと伝えられる。翌年ヒットしたミュージカルの挿入歌だ。

 この曲が、永遠の命をあたえられたのは、スイング・ジャズのアーティー・ショーのセンスだ、とわたしは思う。いま聴いても、心地が良い。1938年(昭和13年)の大ヒット曲なのだ。

  アーティー・ショー Begin the Beguine http://www.youtube.com/watch?v=Ps05TaQuYvc

             

 ビギンというダンス・ミュージックは、おくれて日本のダンス・ホールでも流行る。戦後だ。

 やがて、『黄昏のビギン』なんてタイトルの曲もできる。

 『黄昏のビギン』は、水原弘が歌った。1959年(昭和34年)の曲だ。作曲は、中村八大。作詞は、中村八大さんと永六輔さん、ふたりだという。

    水原弘  黄昏のビギン http://www.youtube.com/watch?v=UWos670AVHA

    中森明菜 黄昏のビギン http://www.youtube.com/watch?v=vPLQewH7z6g

  日本の歌では、どんどん、だんだん、ビギンでも、なんでもなくなるが、わたしはいつも、中森明菜が、大好きだ。

   フレッド・アステアとエレア・パウエル Begin the Beguine http://www.youtube.com/watch?v=GpRU-vyelks&feature=related


フリオ・イグレシアスは、マドリード出身

2011-07-21 | 日記・エッセイ・コラム

                      

 旧江戸川沿い、短パン・Tシャツで歩くと、寒いくらいだ。早々に帰ってきた。

  FIFA登録の女子サッカー選手は、日本で、4万6千人くらい。いっぽう、アメリカは、100万人をこえるという。アメリカで女子サッカーが盛んだと知ったのは、十年くらいまえのことだ。首都圏の大学で講師をしているアメリカ女性に、英会話を教えてもらっているときのこと。

 「毎週日曜日には、ソッカをやるの」と、彼女がいう。
 「ソッカ? ソッカって何?」
 「ソッカは、足でボールを蹴るゲーム。フットボールとも言うわね」
 「あっ、サッカーね」
 「そう、その、ソッカ」
 これは英語での会話。わたしには、どうしても soccer が、『ソッカ』としか聞こえない。(マンチェスターから来ているイギリスの女の人とサッカーの話をしたときも、わたしは、彼女が『ソッカ』と発音しているような気がした)

 その大学講師のアメリカ女性は、週末にサッカーをやるのが楽しみだ、という。フットサルかミニ・サッカーかい? と訊くと、11人制だという。男女混合のチームなの? いや、アメリカ人の女だけのチームだよ、という。ヘェー、東京に女子だけのアメリカ・チームがあるんだ……と驚いた。

  彼女は、中学も高校もサッカー部で、大学は、サッカーで奨学金(scholarship)をもらってた、という。これにも驚いた。女子のサッカー特待生など、日本にいるのか? 彼女は、大学院を卒業してボストンのカレッジで講師をやってから、日本にやってきた。日本の大学での契約期間がもうすぐ終わるので、ドイツに行くという。ドイツの大学で、アメリカ文学史を教えながら、地元の女子フットボール・クラブでプレーするという。もう十年もまえの話だ。まだ彼女は、ドイツで‘ソッカ’をやっているだろうか……。

 FIFAの公式サイトで、女子・W杯サッカー日米戦のゴールシーンをみることができる。

     日米戦 2分54秒のダイジェスト http://www.fifa.com/womensworldcup/highlights/video/video=1476533/index.html

   『なでしこJAPANの決勝戦、全米スポーツ専門局で最高視聴率のサッカー中継に!男子W杯をはるかに上回る!』http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000023-flix-movi

   『アビー、最高だ! W杯フィーバーは米国でも』 http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/07/21/kiji/K20110721001255070.html

                                 

黒い瞳のナタリー~ベスト・オブ・フリオ・イグレシアス

     フリオ・イグレシアス El amor http://www.youtube.com/watch?v=GquTOv-Dr08&feature=related

 レアル・マドリードのユースでプレーしていたというフリオ・イグレシアスは、70年代、日本でも売れた。郷ひろみのカバーもヒットした。だが、日本では、もう忘れられた人だろうか? しかし、スペイン語圏では、いまも超ビッグなスターだ。

      

   フリオ・イグレシアス Volver A Empezar (Begin The Beguine) http://www.youtube.com/watch?v=E2OKTzE-Pew&feature=related

        フリオ・イグレシアス Ne me quitte pas - If you go away http://www.youtube.com/watch?v=uSVP5ZJeayw&feature=related

 
 世界では、スペイン語を話す人が多い。英語を母語にする人より多い。スペイン語圏の音楽マーケットは、すさまじく大きいのだ。日本ではあまり紹介されないが、スペイン語で歌う、ラテンのスーパー・スターがたくさんいる。そのなかでフリオ・イグレシアスは、めずらしく日本で一時売れたスペインのスーパースターだった。いままで、3億枚を超えるアルバムをセールスしたという、ラテンのトップ・ミュージシャンだ。 

 ホセ・フェリシアーノやカルロス・サンタナが、いままで息長く現役で活躍してきたのは、英語圏のマーケットだけでなく、ラテン、ヒスパニックの音楽マーケットで売れてきたことも大きいのではないだろうか。

    フリオ・イグレシアス Nathalie(黒い瞳のナタリー) http://www.youtube.com/watch?v=b22LKamjiOg

 郷ひろみもカバーしたこの曲は、19世紀末のロシアの曲、Очи чёрные(黒い瞳)が原曲。

    ドミトリー・ホロストフスキー Очи чёрные http://www.youtube.com/watch?v=cP3fPZm75wI

 ドミトリー・ホロストフスキーは、1962年生まれ、ロシア出身のバリトン歌手。いま、オペラ界のトップスターのひとり。クラシックだけでなく、トラディショナルな民謡やポップスもレコーディングしている。                        

Dmitri Hvorostovsky PORTRAIT

   ドミトリー・ホロストフスキー Журавли (鶴) http://www.youtube.com/watch?v=yuJrUxJ8mqA

Мне кажется порою, что солдаты,
С кровавых не пришедшие полей,
Не в землю эту полегли когда-то,
А превратились в белых журавлей.

Они до сей поры с времен тех дальних
Летят и подают нам голоса.
Не потому ль так часто и печально
Мы замолкаем, глядя в небеса?

Летит, летит по небу клин усталый -
Летит в тумане на исходе дня,
И в том строю есть промежуток малый -
Быть может, это место для меня!

Настанет день, и с журавлиной стаей
Я поплыву в такой же сизой мгле,
Из-под небес по-птичьи окликая
Всех вас, кого оставил на земле.

 作詞ラシール・ガムザートフ、作曲ヤン・フレンケリ

 1968年(昭和43年)、ソ連時代の大ヒット曲だが、いまも愛されているこの歌の、ロシア語歌詞と英語訳の付いた映像がある。詩の意味が解りやすいのではないだろうか。

    セレブロ Журавли http://www.youtube.com/watch?v=639AA6KYNsw

 1969年、ロシアの映画監督で俳優・歌手のマルク・ベルネースは、この曲を映画にしている。

    マルク・ベルネース監督 Журавли (鶴)http://www.youtube.com/watch?v=yB1J7JBszys&feature=related 

    


『アトランティック・クロッシング』は、トム・ダウドのプロデュース

2011-07-20 | 日記・エッセイ・コラム

          

        フェイセス Stay With Me  http://www.youtube.com/watch?v=JtqF0qBqzZo             

 ロッド・スチュアートの存在を、決定的に世界に知らせたのは、きっと、フェイセスのアルバム『馬の耳に念仏 A nod is as good as a wink…』からカットされた、『Stay With Me 』のヒットではないだろうか? おなじ年(1971年)の『マギー・メイ』は、全英・全米№1の大ヒットだったが、なぜか日本ではさほど売れなかった。

 この時期、日本で洋楽は、サイモンとガーファンクルやビートルズ、カーペンターズなどがガンガン売れているときだ。まだ、ロッド・スチュアートの『マギー・メイ』を受け入れる雰囲気ではなかったのだろう。

        フェイセス I'm Losing You  http://www.youtube.com/watch?v=m4PXMCCTMwM&feature=related

馬の耳に念仏(紙ジャケットCD)

 『マギー・メイ』の入っているアルバム『エヴリィ・ピクチャーズ・テルズ・ア・ストーリー』は、イギリスでもアメリカでも、№1になったが、『スマイラー』(1974年)までのマーキュリー・レーベルのレコードは、なぜか、日本では英米のように爆発的に売れなかった。

 日本で、イギリス・アメリカのようにロッド・スチュアートが、とんでもなく売れ出したのは、1975年(昭和50年)、アトランティック・レーベルに移籍して、トム・ダウドがプロデュースする『アトランティック・クロシッング』が大ヒットしてからだ。

 アトランティック・レーベルのLPがバカ売れするようになって、過去のアルバム『エヴリィ・ピクチャーズ・テルズ・ア・ストーリー』や『スマイラー』が再び売れるようになった。(これはあくまでも、わたしのレコード屋での場合だが……全国的な現象か確信はない)

Every Picture Tells a Story

Smiler

 この『スマイラー』まではマーキュリー・レコード。『ガソリン・アレイ』とか好きなアルバムだったが、あまり売れなかった。

                                    

 この『アトランティック・クロッシング』がアトランティック・レコード移籍第一弾。これから日本でもメチャクチャ売れるようになった。

Atlantic Crossing
 
Blondes Have More Fun
               

Tomdowd  

 『アトランティック・クロッシング』以来、ロッド・スチュアートの70年代のアルバムを制作した、アトランティック・レコードのプロデューサー、トム・ダウドは、クリームのレコーディング・エンジニアで、エリック・クラプトン(デレク・アンド・ザ・ドミノス)の『いとしのレイラ』をプロデュースした人。ほかにもレイ・チャールズやジョン・コルトレーンや、オーティス・レディングやオールマン・ブラザーズ・バンドやアレサ・フランクリンや……もうたくさんのアーティストをプロデュースして、アトランティック・レコードの黄金時代をつくった、偉大なプロデューサーでレコーディング・エンジニアだ。

いとしのレイラ(40周年記念スーパー・デラックス・エディション)(DVD付)

     『レイラ』 live 1984 http://www.youtube.com/watch?v=UY4KGsotXPQ&feature=related

                     

Language of Music [DVD] [Import]

   Tom Dowd and the language of music http://www.thelanguageofmusic.com/index.htm

 1959年(昭和34年)のレイ・チャールズの大ヒット曲『ホワッツ・アイ・セイ What'd I Say 』のレコーディング・エンジニアも、トム・ダウドなのだ。

       レイ・チャールズ What'd I Say http://www.youtube.com/watch?v=xPP8w0wMRgQ


サッカーといえば、ロッド・スチュアートかな

2011-07-20 | 日記・エッセイ・コラム

           

 なでしこジャパンが優勝したので……。サッカーを切り口に……。

 サッカーで挫折して、70年代、音楽でスーパースターになった二人がいる。

 それは、イギリスのロッド・スチュアートと、スペインのフリオ・イグレシアスだ。ロッド・スチュアートは、ロック・シンガーを職業にするまえ、ロンドンのブレントフォードFCでプレイしていた。プロだ。

 スペインの、フリオ・イグレシアスは、レアル・マドリードのユースで、キーパーだった。ユースといってバカにしてはダメだ。世界のレアル・マドリードのユースだ。

    ロッド・スチュアート I Don't Want To Talk About It http://www.youtube.com/watch?v=ryZSZVmTzzM

Atlantic Crossing

 サッカー・ボールをもっているのは、元サッカー選手だったからなのだ。イギリスから大西洋を渡って、歌で、アメリカで大成功するのだ! というわけ。

Truth (Exp)

 ジェフ・ベック・グループのファースト・アルバム『truth』のヴォーカルで、わたしは、はじめてロッド・スチュアートを聴いた。1968年(昭和43年)のことだった。

 わたしは、このアルバムのヴォーカルが気に入ったが、日本の音楽誌は、そのヴォーカルをクソミソに、けなした。ときは、ヤードバーズ出身の3人のギタリストが、3大ギタリストだ、とか、日本の音楽ジャーナリズムがもてはやしているときで、ギターだけが問題なような時代だった。その3大ギタリストとは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジだった。

 (ギターだけ問題にするのが、日本人には解りやすいのだろう。ロッド・スチュアートのヴォーカルがいい、とか、ロバート・プラントの歌唱表現は革新的だとか、だれも書かない。書かないどころか、創刊したばかりのニューミュージック・マガジンなど、ギターはすごいが、この、黒人を嘘臭くマネた、下手なヴォーカルが、アルバムを台無しにしている、とまで書いていた。

 わたしは、この音楽評論家というやつら、アホじゃないか、とその記事を読んだ。わたしはレコード屋のオニイサンだったから、そんな記事をお客さんに紹介して、笑ってから、ジェフ・ベックのギターはもちろんだか、ヴォーカルがいいんだ、と、お客さんに聴かせてこのアルバムを薦めた)

 わたしは、ジェフ・ベックのアルバム『truth』で、You Shook Me と、Ol’ Man River を聴いたとき、このヴォーカルはいい、と思った。2曲ともオリジナルではない。古い曲だ。You Shook Me は、ウイリー・ディクソンのブルース。レッド・ツェッペリンもカバーしている。

 『オール・マン・リバー Ol' Man River 』は、1927年初演のブロードウェイ・ミュージカル『ショー・ボート』の曲。ジャズのスタンダードだ。

  ジェフ・ベック・グループ You Shook Me http://www.youtube.com/watch?v=0b-no05V2Jo

 このYou Shook Me の、カッコいいピアノは、ニッキー・ホプキンスだ。60年代のイギリス・ロック史上もっとも重要なピアニストだ。ビートルズでも、ローリング・ストーンズのアルバムでも、60年代イギリスのグループのアルバムで、ブルースっぽいビアノ、オルガンを聴いたら、まずニッキー・ホプキンスじゃないか、と思ったほうがいい。(シカゴ・ブルースにおけるオーティス・スパンのようなものだ。が、そんなオタクっぽい話はどうでもいい)

  ジェフ・ベック・グループ Ol' Man River http://www.youtube.com/watch?v=sKZdQsa3JHg

                        

 やっと、日本でも、ロッド・スチュアートが売れるようになった。『セーリング』が大ヒットしたのだ。1975年(昭和50年)のことだ。

 わたしは、いまも、ロッド・スチュアートが大好きだ。

     

    ロッド・スチュアート Sailing  http://www.youtube.com/watch?v=reuhRjgB6xg

    ロッド・スチュアート I Don't Want To Be Right  http://www.youtube.com/watch?v=MSraNppM_aA 

      ロッド・スチュアート Sailing http://www.youtube.com/watch?v=Bpbuqh12oj4&feature=related    


澤穂希は、神だ

2011-07-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 うれしいことに、なでしこジャパンが、ワールドカップサッカーで優勝した。(いまの彼女たちの実力なら、それほど驚異的なことでもないのだが……。日本のメディアが、今日まで日本女子サッカーの実力を、正当に評価する能力がなかったのだ)。

 結果は奇跡のようにみえるが、どれほど強いか、1次リーグのメキシコ戦をみるとわかる。メキシコは、サッカーが盛んな南米の強豪だ。澤穂希は、3ゴール、大野忍が1ゴールを決め、日本は4-0で圧勝した。

    W杯 日本対メキシコ ゴール・シーン http://www.youtube.com/watch?v=mZFy_ghcUb8 

                 

 ピッチのなかで、澤穂希は、いなければならないところに必ずいる。出すべきパスを的確に出し、そして、決めなければならない時には、足で頭で、かならずゴールを決める。敵の猛攻で絶対絶命のとき、ゴールのまえにいて敵のシュートを弾き飛ばす。神だ。澤穂希は、神だ。

 澤穂希だけでない。日本女子のデフェンスはみごとだ。ドイツの怒涛の攻撃に耐えに耐える11人の姿に、なんだかジーンきた。決勝のアメリカ戦での、前半のアメリカの攻撃もすさまじかった。失点したが、1点におさえた、なでしこジャパンのデフェンスはみごとだった。

 そして、なでしこジャパンは、テクニックでもすぐれている。決勝後半、宮間あやが同点ゴールを決めた。あの左足アウトサイドのキックは神技だ。それも飛んでから、空中でのきつい体勢で、瞬時にアウトサイドを使う。なかなかできることじゃない。生来の天才的な身体能力と小さいときからの訓練のたまものだろう。

                   

 延長後半、宮間のコーナーキックを澤穂希が決めた。「神だ!」と、わたしは立ち上がって叫んだ。あれも右足のアウトサイドだ。宮間の、あの低い強いキックもみごとだ。そこに澤穂希が走りこんでアウトサイドで合わせる。神だ。

 あの角度で、右足でゴールを決められるんだ……と、何度みても感心する。すごすぎる。ドイツ戦延長では、澤が出した縦パスを追って、ゴールラインぎりぎりのところからシュートを決めた丸山桂里奈にも、「うまいな」と驚いた。なんてタフな人たちなんだろう!

 スウェーデン戦、川澄のループシュートもみごとだ。あのロング・シュートもなかなかできない。日本男子なら、ひとりでドリブルで持ち込もうとして、結局潰されることになるだろう。

 決勝延長後半ロスタイム、レッドカードをもらったが、あのディフェンダー岩清水梓のプレーもすばらしい。ファールプレーだが、あすこで抜かれてしまえば、ゴール正面で、キーパーと一対一の位置でシュートされる。よほど下手なやつでないかぎりゴールを決める。ロスタイムだ、時間はもうない。ここの1点は、負けを決定することだ。120分、仲間が闘いぬいた、そのすべてがムダになる。死んでもシュートを打たしてはダメだ。それがディフェンダーの使命だ。岩清水梓は、みごとにその仕事をはたした。もう半歩おくれてモーガンを倒してしまうとペナルティーエリア内だった。日本人として、岩清水梓には、レッドカードでなく、勲章をおくりたい。

  PK戦、キーパー・海堀あゆみの神技セーブは、鳥肌ものだった。

                          

 日本・馬鹿マスコミは、女子サッカー日本代表が北京オリンピックであれだけ活躍したのに、まったく反省してない。20日もまえから女子ワールドカップサッカーが開催されていたのに、準決勝まで無視していた。日本マスコミは、男尊女卑に骨の髄まで侵されているのだろう。

 女子サッカーなど男子中学生レベルだ、という馬鹿どもがたくさんいる。まったくわかってない。女子サッカーと男子サッカーではジャンルがちがうのだ。ジャニス・ジョプリンとマリア・カラスを比較することができないように、女子サッカーと男子サッカーをおなじピッチ上で比較するのは、意味がない。愚かなことだ。

 わたしは、北京オリンピックのときから書いているが、なでしこジャパンは、サッカーとして、みていておもしろいのだ。スポーツをみていて共感できるのは、誠実さと、ひたむきさだ。日本男子代表には、それがない。なでしこジャパンのサッカーは、誠実でひたむきだ。

 わたしはすこし前、澤穂希に国民栄誉賞をおくれ、と書いたが、佐々木則夫監督と、なでしこジャパン21人全員に国民栄誉賞をおくるべきだろう。

 澤穂希の記者会見をみて、またジーンときた。 

     澤穂希 帰国会見 http://www.youtube.com/watch?v=DVTgj3Zrvq4

                         

 ※ 一度『澤穂希は、神だ』という記事をアップしたのだが、酔って字句を直しているあいだに、なぜか記事そのものを削除してしまった。そのとき、クシナダさんからのコメントもいっしょに削除してしまった。たいへん申し訳ありません。

 『澤穂希は、神だ』に対して、クシナダさんから下記のコメントをいただきました。誤って削除してしまいました。ごめんなさい。

全く
そのとおりだと、思います!
澤穗希さんは、素晴らしい!
私の名字に、澤さんと同じ
「穗」という字が、あります。
それだけでも、とても誇りに思います。