Ommo's

古い曲が気になる

今夜は、石原裕次郎

2012-11-30 | 日記・エッセイ・コラム




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  完全夜型の(午後7時に起きて、朝8時に寝る)父の生活にひきずられて、朝おそく起きて、主夫としての朝の仕事をこなし、すこし本を読んだりしていると、『あれッ・・・・・・もう、日暮れかいな』。なんと一日が短いことか。

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 今夜は、YouTubeで、石原裕次郎を聴いてる。

 

 この北海道の町にもどる前、長く住んでいたところの住所は、千葉県市川市だが、浦安市中央図書館まで歩いてすぐだった。いつも、この図書館を利用させてもらった。隣接した町の住民は、その町の人と同じように貸し出しカードをつくれる。浦安市と東京都江戸川区の図書館は大いに利用させてもらった。

 この浦安市中央図書館は、歩いて15分くらいのところだった。雑誌を読む、週刊誌を読む、夕刊を読む、と毎日のようにいく。ネットの資料ではなく、オリジナルの文献をみたいと、突然思い立つときも、蔵書の検索をして、あったら、すぐの距離だから急ぎ足でいく。

 

 そんなわけで、浦安市民ではないのに、大いに利用させていただいた。感謝している。

 この浦安市中央図書館にいった帰り、図書館近くの八百屋による。大きな八百屋で、肉や魚も売っている。ここで、酒の肴の食材を買う。安いのだ。わたしは、日が暮れると酒を飲むという毎日の行為で、肴を、自分で作る、という、この工程が好きなのだ(貧乏人だからだろうな)。その前段で、あれこれ選んで食材を買うという必然がある。これも、好きなのだ。買い物だ。

 

 

 

 長い助走になってしまった。すまん。話は、石原裕次郎だ。その、浦安市中央図書館の近くの八百屋では、店先にラジカセを出して、いつも石原裕次郎の歌を流してる。

 

 わたしは、その店先のラジカセの、石原裕次郎の歌を聴くと、いつも、ひどく動揺する。なぜか、若い時の、母の姿を思い出すのだ。母は、べつに裕次郎のファンでもなんでもない。だが、なんだか若い母を思い出して、こみ上げてくる感情に、じぶん自身が動揺する。

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       石原裕次郎 恋の町札幌 http://www.youtube.com/watch?v=SSSTC9POBVk

   石原裕次郎 赤いハンカチ http://www.youtube.com/watch?v=bkvBy9b94IE

 石原裕次郎のレコーディングには、ある伝説がある。絶対一回しか歌わないというのだ。つまり、ワンテイク、それもビールを飲み、酔いながら一度だけ歌って、自分でOKをだす。二度は歌わない。だから、自分のヒット曲の歌詞をまったく覚えてない、という説があった(わたしは、テイチク・レコードの人から聞いた。真相はわからない)。ヒット曲がたくさんあるのに、コンサートというものをまったくやらない人だったはずだ。テレビの歌番組に出演するようになるのは、もう晩年にちかいころだろう。亡くなったのは、52歳だ。

   石原裕次郎&浅丘ルリ子 夕陽の丘 http://www.youtube.com/watch?v=gctXQLD8FPs

 

 

  きょうが、亡き母の百ヶ日ということもある。

 

 そんなわけで、今夜は、好きな肴をつくって酒を飲みながら、母を思って、石原裕次郎を聴いてる。母は、石原裕次郎より、3歳若い。

 母は、駅ビル店の店長。わたしは、駅前レコード店の店長。母もわたしも、流行歌を売るのが仕事だ。職業だった。いま、母の不在は、あまりに悲しい。

  石原裕次郎  夜霧よ今夜も有り難う http://www.youtube.com/watch?v=wafsAk3HNB8


戸張良彦さんの、『落ち葉』

2012-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

 フォトグラファー・戸張良彦さんのホームページをひらくのが、いつも楽しみだ。11月の9日にアップされた『落ち葉』に、また、心底驚かされた。『なんて不思議な美しさなんだ』、と。

 

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   戸張良彦さんのサイト 『覚醒 notes』http://www.y-tobari.jp/topics/?ct=1

 

 戸張さんにうかがった。この写真は、なんの加工も、演出もされてない、ナチュラルな映像、風景写真だ、と。落ち葉が水に沈んでいて、ピントは、水面に写る対岸の木立に合っている。その、自然な絵を撮影したという。みごとだ。

 

 戸張さんの美意識には、いつも感動する。それと、類い希なテクニック、高度な撮影・写真技術だ。これは、どんな高額な機材を手にする、金ありのカメラマニアが逆立ちしても真似ができない、本物の、プロフェッショナルの熟練の芸術だ。

 

 

 写真家・戸張良彦さんは、東京・品川区のテーラーの息子さんだ。日大芸術学部写真学科3年のときにニューヨークに遊学して、1年後帰国復学して卒業している。東京の撮影スタジオで働いているときに、北海道・帯広の出版社に請われて来道し、以来30年いじょう、スタジオを経営して、十勝の風景・人物を撮影している。本物のプロフェッショナル・フォトグラファーだ。

 

 ずいぶん前のことだが、戸張さんといっしょに、然別湖のホテル福原に滞在していた井上陽水を訪ねたことがあった。わたしは『傘がない』のヒットのまえから、井上陽水の北海道のプロモーターだったから、とうぜん面識はある。2年にわたって、10ヶ所のコンサートをいっしょに旅をした。リハに立ち会い、毎晩いっしょに飯を食い、酒を飲んだ。

 ホテル福原のロビーにおりてきた井上陽水と「やあ!」という感じで挨拶して、戸張さんと3人でコーヒーをオーダーして椅子に座り、雑談をはじめた。だが、どうも陽水は、わたしのことを明確に思い出せないようなのだ。どこかで会ったが、だれだろうか? と、いぶかる感じの、手探りの会話がつづいた。

 そこで、陽水に戸張さんを紹介しようとすると、陽水の方から「東京の撮影スタジオでお会いしてますね」と、いったのだ。 アルバムジャケットを撮影する現場で一度だけ会った戸張さんを、陽水は覚えていたのだ。

 最近、戸張さんにうかがうと、その撮影が行われたのは、昭和51年ではないだろうか、という。昭和51年に発売されたアルバムは、『招待状のないショー』だ。

招待状のないショー

中城ふみ子さんの第二歌碑

2012-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 快晴の午後、中城ふみ子さんの第二歌碑まで歩いた。帰郷して、ずっと行ってみたいと思っていたのだが、いままで機会がなかった。親の家から歌碑のある、緑が丘公園まで、ちょうど1時間だった。

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 北国の日暮れは早い。たどり着くと、もう公園の樹木は西日に輝いていた。

 

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 この公園は、かっての十勝監獄の敷地跡なのだ。ここには、囚人たちがレンガを作った窯があったのか。北海道全域でいえるが、明治期の北海道開拓を担ったのは、全国から集められた囚人たちの労働と命なのだ。

 

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   母を軸に子の駆けめぐる原の昼
        木の芽は近き林より匂ふ

 

 この歌碑に刻まれた歌の、母と小さい子供が遊ぶ、木の芽匂う明るい情景と、初冬の林の、寂寥の風景とはあまりにかけ離れているが、なんだが去り難く、しばらくたたずんだ。命を歌い、恋をはげしく歌った中城ふみ子さんだが、子を思う母性の歌人でもあった。雪の、夕暮れの歌碑の前に立ち、3人の幼い子を残して死んでいく若い母の無念に、わたしは心おだやかでいられない。

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  昭和29年(1954年)8月3日、中城ふみ子さんは、札幌医大付属病院の病室で、「死にたくない!」を最期の言葉に、息を引き取った。まだ31歳の若さだ。

      遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ

 


ギターラ

2012-11-27 | 日記・エッセイ・コラム

     

「できれば、12月24日には、東京にいたい」と、弟にいった。
「孫たちのところでクリスマスを過ごすわけだ」と、弟。
「いや、ちがう。12月24日は、女子サッカー・皇后杯の決勝が、埼玉のNACK5 スタジアム大宮であるんだ。それが見たい」と答えると、弟は、この愚かな兄の顔をじっとみて、憐れむような表情で黙りこんだ。

      第34回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会 http://www.jfa.or.jp/match/matches/2012/1224zennihon_joshi/index.html

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 夕暮れに散歩にでると、すぐに吹雪になってしまった。夜7時、雪がやんで、みごとな月だ。あんまり綺麗な月なので、完全武装して、また夜の散歩にでた。あすは、満月。

 

 ファドでは、ギターラ guitarra、ポルトガル・ギターが重要な役目をはたす。歌とギターラの音楽は、相聞の恋人たちのように、ある、なまめかしい雰囲気で演奏される。このギターラの音を、ポルトガルの人々は愛してやまない。

   マリーザ Primavera http://www.youtube.com/watch?v=GGnsz5bGtJY&feature=related

 (Primavera とは、春、青春時代のこと)

 

 ポルトガル・ギターは、12弦の、独特の高い音域の楽器だ。泣きの楽器だ。構造、奏法は、ペルシャ、インドの、東方の楽器の影響をうけたのだろう。イベリア半島は、長いあいだ、回教徒に支配された歴史がある。

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マリーザ  Ó Gente da Minha Terra

2012-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

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 雪が雨に変わって、そのなか、傘をさしてゴム長靴で長い散歩にでた。28日が満月だが、ここのところ、満月が近づくと天候が乱れる。あさっては晴れるのだろうか?

            月齢カレンダー http://star.gs/cgi-bin/getucal1.cgi

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      マリーザ  Ó Gente da Minha Terra  http://www.youtube.com/watch?v=r7UDQDl1tcw&feature=g-vrec

 

 マリーザのコンサートの映像に、この曲を歌っている途中で、感極まって歌えず、涙を流すシーンがある。この、アマリア・ロドリゲスの詩の、なにが、マリーザをああも激しく動揺させるのか、その涙の意味を知りたい!

 ネットで検索する日本語訳では、いまいち、あの涙のわけが納得できない。(自動翻訳は、まったくダメだ。英語以外、ポルトガル語もスペイン語も、ロシア語も、ネットの自動翻訳は、 ハチャメチャだ。ましてや詩など問題外だ。日本語にしないで、英語に訳した方がまだ読める)。

 それで彩流社のアマリア・ロドリゲス詩集『歌いながら人生を』を買った。カウド・ヴェルデの訳詩で、やっとマリーザの涙の意味がわかった。(カウド・ヴェルデ Caldo Verde とは、ファドを翻訳するグループの名前という。女性4人だ。メンバーは、堀切眞木子さん、加登屋三奈子さん、柳瀬良子さん、清水茂美さん)。

 

   故郷(ふるさと)の人々よ

ああ 私の故郷の人々よ
今だからこそ わかります
私の抱いている この悲しみは
あなた方から 受け継いだものなのですね

私とあなた方のこの運命は
私たちを繋ぐ縁(えにし)なのです
どんなに否定されようと
同じギターラに張られた弦なのです

奏でられるギターラの
うめくような音を聞くたびに
我を忘れて
泣き出したい気持ちになるのです

そして 静かに身をゆだねていますと
やさしさに包まれるようです
苦悩が深ければ深いほど
私は歌って悲しみを和らげるのです

   『歌いながら人生を  アマリア・ロドリゲス詩集』(訳者 カウド・ヴェルデ 彩流社 2006年)

 ここでの故郷は、「ふるさと・北海道」というような軽い感じではない。故国、わが祖国、わが民族、わがポルトガルの人々、というような、熱烈な愛国の心情をあらわしている。そして、その“わたしの国”の人々が歌い継いできた伝統音楽、ファドへの愛だ。

(私とあなた方は)「どんなに否定されようと 同じギターラに張られた弦なのです」と歌うのは、ポルトガルの民衆は長い独裁政権に苦しんだ。その政権が1974年(昭和49年)に崩壊して(リスボンの春)、アマリア・ロドリゲスは独裁政権時代のスターだ、と一時国民から疎まれたことがある。“どんなに否定されようと“は、そのことを差しているのではないだろうか?

 

 マリーザは、幼いときからアマリア・ロドリゲスを聴いて育ったから、この詩にこめられたアマリア・ロドリゲスの祖国愛と、悲しい状況、苦しい心境をよくわかるのだろう。そして、マリーザ自身も愛国者で、ファドに人生を捧げる人だ。

 

 マリーザは、1973年にアフリカのモザンビークに生まれた。父親がポルトガルの人で、幼いときにリスボンに移り住み、両親が経営するレストラン(taverna)でファドを聴いて育った。ファドのレッスンを受けたのは、5歳のときからとCNNのインタビューに答えている。

 この、アマリア・ロドリゲスの詩を読み返してから、もう一度、マリーザが感極まるシーンをみてほしい(ボリュームはできるだけ大きくして・・・・・・)。

    マリーザ  Ó Gente da Minha Terra http://www.youtube.com/watch?v=G4cyNK3BW7Q 

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 Ó Gente da Minha Terra のÓ は、感嘆・間投詞、『おお』とか『ああ』とか。Gente は、『人々』『民衆』『国民』『人間』『家族』。da は、前置詞 de と、冠詞 a の短縮形、この場合『~の』の意。Minha は、『私の』(ポルトガル語は、h を発音しないから、ミーナと発音する)。Terra は、『祖国』『故国』『国土』、そして、『地球』。

 

 つまり、Ó Gente da Minha Terra とは、『おお! 私の祖国の人々よ』という強い祖国愛を意味するフレーズではないだろうか。この詩句を歌った直後、マリーザは感極まって涙を流した。


石附教授のお兄さん

2012-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

 すこし前、東京のゴロンタさんから、石附教授のお兄さんの消息を問われた。返事が遅くなって申し訳ない。

 

 石附教授のお兄さんは、東横学園を退職されて札幌にもどり、ご実家でひとり暮らしをされている、とのこと。石附教授の直弟子・羽賀くんから昨夜きいた。

(石附教授の札幌・大通りの実家には、先生が独身のころ、何度か泊めていただいた)。


札幌・居酒屋ゆかり

2012-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

 きょうも夕暮れから、月を見ながら、ずいぶん歩いた。

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 道ばたのハマナスの実。

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 山親爺さんが、東大名誉教授の宇田川洋先生が経営されている“居酒屋ゆかり”に行ったと、コメントにあった。

  宇田川先生には、40年以上まえに何度かお目にかかった。わたしはまだ大学の1年か2年だったから、先生はまったく覚えていないだろう。虻田の入江貝塚、手塩の川口基線遺跡、石狩の紅葉山遺跡の発掘現場、そして、石附喜三男教授の研究室でお会いしている。石附先生と宇田川先生は、札幌西高の先輩後輩になるはずだ。

 わたしは、1年のときから石附喜三男先生の研究室(北方文化研究所、所長は江上波夫先生だった)で、発掘した土器を洗ったり、復元したり、図面のトレースを手伝ったりして、そして、考古学研究会を立ち上げた。

 

 わたしがお会いしたとき、宇田川先生は、東大の大学院生だった。遠いむかしだ。

 

 すこし前、北キツネさんから、宇田川洋先生が、東大を退官されて札幌で居酒屋をやっている、とコメントで知らせてくれた。驚いて、札幌の羽賀くんに尋ねた(羽賀くんは、わたしと違って、ちゃんと考古学者になった同輩だ)。たしかに宇田川先生は居酒屋をやっている、という。「それはぜひ行きたい」、近々、羽賀くんに案内してもらって出かけたいと思っている。

 

   古川修さんのブログ  紹介したくない札幌の居酒屋『ゆかり』http://superlife.at.webry.info/201110/article_4.html


Barco Negro (暗いはしけ) 2010

2012-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

 アマリア・ロドリゲスの『Barco Negro 暗い艀(はしけ)』、それはいいに決まってるが、マリーザのさまざまなライブ・ヴァージョンも好きだ。この2010年のロックフェスの、マリーザの『暗い艀 Barco Negro 』も、好きだ。

   マリーザ Barco Negro http://www.youtube.com/watch?v=eQ4TG5VOSck&feature=watch-vrec

 

 

   マリーザ Barco Negro http://www.youtube.com/watch?v=8jApnqH-TWE&feature=related

       アマリア・ロドリゲス Barco Negro http://www.youtube.com/watch?v=HgkowHa2jZ4&feature=related


ふたたび、マリーザのファドを聴きたい

2012-11-24 | 日記・エッセイ・コラム




 夕暮れの“帯広の森“を散歩して、南の空に月を見ながら、帯広駅にむかった。

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 “帯広の森“から帯広駅まで、徒歩で1時間とよんだが、途中で旭楽器をみつけたので寄り道をしてしまった。社長の田中やすおさんに、帰郷のご挨拶をしたのだ。(もどってすぐ、「帰ってきたのでまたよろしく」と、電話で挨拶をしたが、会うのは、8年ぶりだろうか?)

 やすおちゃんは、浜田省吾・北海道コンサートツアーの、最初のドラマーだ。函館のサウンドパパのスタジオで、浜田さん、町支さん、東川くん、門脇優くんとリハーサルをした、遠いむかしが懐かしい。

 

 月をみながら帯広駅にむかったのは、駅南にある長崎屋ビルの書店で本を買うためだ。数日まえ、図書館の帰りによったとき、『歌いながら人生を  アマリア・ロドリゲス詩集』をみつけたのだ。

 

歌いながら人生を―アマリア・ロドリゲス詩集

 この『歌いながら人生を  アマリア・ロドリゲス詩集』をみつけて、どうしても買いたい、と思った。

 それは、数年まえ、ファドのアマリア・ロドリゲスの『暗い艀』の映像をさがしていて、マリーザの歌を聴いてしまったからだ。

 

   マリーザ O Gente Da Minha  http://www.youtube.com/watch?v=G4cyNK3BW7Q

 

 この曲は、アマリア・ロドリゲスが詩に曲をつけている。インターネットでいろんな人の日本語訳を読んでも、マリーザが感極まって歌いきれず、泣く、その意味がよくわからない。プロの翻訳者の訳で、この歌詞を明確に知りたい。

 マリーザ O Gente Da Minha http://www.youtube.com/watch?v=9h3w7UfDRTw&feature=fvwp&NR=1

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帯広三条高校サッカー同好会

2012-11-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 女子サッカーがまた楽しい。

 

 ほとんどテレビを見ないわたしも、サッカーは見る。とくに女子サッカーは、電車に乗って遠いスタジアムまで出かけるほどイカれたジジイの、熱烈ファンなのだ。

 

 なでしこリーグ18節は、INAC神戸が無敗で優勝して終了したが、きのうから女子サッカー国際クラブ杯とでもいうべき大会の第1回目が開催された。今回は、ヨーロッパ最強といわれるフランスのオリンピック・リヨンvs日テレ・ベレーザ、オーストラリアのチャンピオン、キャンベラ・ユナイテッドvsINAC 神戸、この4チームの試合がきのうの予選。

 リヨンが5-2、神戸が4-0 と、ともに圧勝して、25日(日曜日)決勝がおこなわれる。

 

 きのうの2試合は、じつにおもしろかった。リヨンは、強い。まさにヨーロッパの現代サッカーだ。そして、INAC神戸もまた強い。ワールドカップ優勝、ロンドンオリンピック銀メダルの、世界の“なでしこジャパン”の主要メンバーの実力は、それはやはり、すごい。

 

 川澄奈穂美、近賀ゆかり、大野忍、そして、澤穂希。あのサッカーセンス、あの気力、気迫。ここぞのときに走り切る体力。スピード。最後まで折れない心。もし男子なら、年収数十億円の名選手の栄光を手にできるだろう。

 

 きのうのゲームも、かれらの活躍はみごとだった。とくに川澄奈穂美選手の、的確にクロスをあげる明晰な頭脳と、テクニックとスピードには、心から感動する。

 わたしがサッカーに夢中になっていた、中学、高校の1年のとき、あの川澄選手のポジションは、ウイング、右のウイング、ライト・ウイングといっていたが、いまは死語のようで使われない語のようだ。

 

 

 日本でサッカーは比較的新しく普及したスポーツのようで、わたしの中学にも、高校にもサッカー部というものがなかった。体育の先生も、サッカーのルールをあまり知らなかったようだ。中学の野外での体育は、夏はソフトボールかラグビーだった。冬は、もちろん、スケートだ。

 

 高校に入っても、サッカー部というものがなかった。それで、帯広1中のサッカー好きの仲間たちとサッカー同好会をつくった(わたしは、新しく作る、ということが好きなのだ。だから、生涯、貧乏がつきまとうのかな)。同好会を3年やらないと予算がつかない、というから、まずはじめなければと、1年生だけで集まったのだ。それが帯広三条高校サッカー部のはじまりだ。だから、わたしたちの前に、帯広三条・サッカー部はありえない。

 

 生徒会の予算をもらえない同好会だから、ボールもネットも、体育教官室の横の倉庫でボロをみつけ、グランドは、十勝川河川敷の第2グランド(三条河原といわれた)を使う。でも、そこもラグビー部のホームだからフルにピッチを使えるのは、かれらが遠征にでるか、試合の日くらいだった。(校舎の前のグランドは、野球部だ。甲子園で一回戦に勝つほどたのもしい野球部だったから、われわれサッカー同校会がこのグランドを使えるのは、ほんの片隅だった)。

 

 この帯広三条高校サッカー同好会のメンバーは、角くん、関くん、山田博くんなど帯広第一中学の仲間と、五中の友人、佐藤英光くんだった。

 

 

 女子サッカーは、皇后杯がきょうからはじまった。決勝は、12月24日。できれば、行って見たい。

 


秋十年

2012-11-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 

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 晩秋というより、北海道は、初冬。

    秋十年却って江戸を指す故郷 (あき ととせ かへって えどをさす こきょう)

 これは松尾芭蕉の『野ざらし紀行』の第2句。“江戸に移り住んで10年の秋を重ねた。その江戸を立って郷里・伊賀上野にむかうのだが、いまではかえって江戸が故郷のように思えて、去りがたい” という句。

 芭蕉は、貞享元年(1684年)8月から翌年4月に江戸にもどるまで、西に東海道を旅する。前年郷里で亡くなった母親の霊を弔うため、故郷・伊賀上野に滞在することが、旅の主な目的だったのだろう。芭蕉庵桃青翁、41歳だ。

 

 


冬の靴を買った

2012-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 本格的な冬が近い。

 近所のスーパーに出店している靴屋さんで、スポルディングの防寒靴を買い、ホームセンターで、インナーが入った、作業用の大きいゴム長靴を買った(家の前の雪かきをしなくてはならない)。もちろん、靴底は、関東で売ってる冬靴とはちがう。車の冬用タイヤ、スタッドレス・タイヤのような靴底だ。ダンロップの、金属のスパイクが付いたタイプのスノトレというスニーカーも買おうと思う。散歩用だ。

(スノトレとは、スノー・トレーニング・シューズの略。雪やアイスバーンのなかで、走りまわったりのトレーニングをするための靴だ。スニーカーだが、防水、撥水効果が高い構造、素材になっている。それだけじゃなく、靴底が凍った路面で滑らないトレッドになっている。車の冬用タイヤとおなじように。)

 「この靴、暖かそうだ。25年ぶりに帯広にもどってきて、冬道がどれほど寒いか、ちょっと怖いんですよ」と、靴屋の店員さんにいうと、「25年ぶりですか? あの時代からずいぶん暖かくなりましたよ。でも、どうか、風邪に気をつけてください」といわれた。

 (この町の人はみんな心優しい人なのに、どうしてハンドルを握ると、ああも人格が変わるのだろう?)


宮史郎さんが亡くなった

2012-11-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ぴんから兄弟の宮史郎さんが亡くなった。わたしは、べつにファンではないし、わたしの帯広駅前のレコード店は、演歌が不得手だったから、訃報に悲嘆にくれるというわけではない。だが、母が店長のステーション・デパート店では大いに売れた。70年代の初頭、わたしたちの会社には、ありがたい商品だったのだ。だから、ある感慨がある。

 なんどか書いたが、わたしは、長いあいだ一般の音楽ファンとは違う聴き方をしてきた。しなければならなかった。好きか、嫌い、良いか悪いではなく。売れるか、売れないか、という判断だ。素人のヒット予想ではない。音楽産業の末端でレコードを売って、その利益で、酒を飲み、子供を育て、生活している。真剣なんだ。仕事だから。

 

 わたしの嫌いな音楽、嫌いなミュージシャンが売れる、という現実も知っていた。

 

 だから、レコード屋をやっているあいだ、音楽ファンとしては、とても不幸な聴き方をして、音楽に関わっていたわけだ。(興行は、好きなものしかやらなかったから、これが救いだったかな)

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雪が降る

2012-11-18 | 日記・エッセイ・コラム

 ついに恐れていたものがやってきた。雪だ。雪が降りはじめた。

 雪が降るといえば、月並みだがやはり、サルヴァトール・アダモであろう。

        アダモ Tombe la neige http://www.youtube.com/watch?v=OQKSU6j1-8U&feature=related

   アダモ Tombe la neige (live) http://www.youtube.com/watch?v=K-DKXuWuoYM

Studio Album No.2 1964

La Grande Roue

 フランス語でシャンソンを歌って一世を風靡したシンガー・ソングライターが、かならずしもフランス生まれのフランス人ではない。アダモは、イタリア・シチリア生まれのベルギー人だ。子供のとき、親についてイタリアからベルギーに移民した。『枯葉』のイヴ・モンタンもイタリア人。『行かないで』のジャック・ブレルは、ベルギー生まれの人だ。

 アダモは、『Tombe la neige 雪が降る』を日本語を含めてさまざまな言語で歌っているが、わたしは、このスペイン語のヴァージョンも好きだ。

  アダモ Cae la Nieve http://www.youtube.com/watch?v=8N2dkMyPC2Y

 ウクライナの(ソ連の)ユダヤ人歌手、エミーリ・ゴロベツィもアダモの『雪が降る』をカバーしている。(エミーリ・ゴロベツィは、1973年、ソ連からイスラエルに移住して、その後アメリカの渡った)。

 ロシア語の『雪が降る』。

    エミーリ・ゴロベツィ Падает снег http://www.youtube.com/watch?v=bELrNrjlSp4

 

 越路吹雪さんや、忌野清志郎さんが歌った『サン・トワ・マミー』も、オリジナルは、アダモの曲だ。

   アダモ Sans toi ma mie http://www.youtube.com/watch?v=wjm2vUJVgCk

  アダモには、それはたくさんの良い曲がある。ビートルズが登場して爆発的人気のとき、アダモも受け入れた日本の当時の洋楽ファンの音楽センスには脱帽だ。音楽評論家たちに “ミーハー” とバカにされた、若い女の子たちだ。アダモは世界中でヒットしたが、日本での人気は特別だったのだ。

  アダモ En Blues Jeans Et Blouson D'Cuir http://www.youtube.com/watch?v=_GnuvxZz6tY

    アダモ La Nuit http://www.youtube.com/watch?v=pJhUQ2CWlY0&feature=fvst

    アダモ Inch Allah http://www.youtube.com/watch?v=1m0GHLyO6TA&feature=related


ヘレン・メリルの Beautiful Love

2012-11-18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 YouTubeでヘレン・メリルの曲をいろいろ聴いていると、とんでもない良い曲に出会った。このヘレン・メリルの Beautiful Love は、すごい。ピアノがまた素晴らしい。日本の菊地雅章だ。

You & the Night & the Music

    ヘレン・メリル Beautiful Love http://www.youtube.com/watch?v=EM2YKTmGHBQ

 

 1996年くらいのアルバムらしいから、わたしがレコード屋や興行師をやめてからのCDだ。きょうまで、まったく知らないアルバムだった。