Ommo's

古い曲が気になる

雪かき、そして、白鳥                                                                                                                                                                                                                                            

2012-12-30 | 日記・エッセイ・コラム

        

 また、雪。

 雪かきをして、(わたしは、雪が降ってる途中でなんども雪かきをする。それは、どれくらい積もるか予測ができない、ということもある。店先をキレイにしておきたい、という、元商人・レコード屋の、身についた哀しいサガでもある。わたしは、この街に40代になる少し前までいた。帰ったのは25年ぶりだが、雪も、除雪も、厳冬も……シロウトじゃない。

 途中の軽いうちになんどかやる。そのほうが、最後のしあげの雪かきが楽なのだ。運動で消費するエネルギーは同じだ。その時間の長さは問題だが、暖かい室内で、アホ・テレビをみている、とかより、外で、単純な労働をしている方が、考えごとにはいい)

    

 その、雪かきをしてから、また白鳥をみたくて、雪のなか、でかけた。 軽いラッセルだ。                                                                                                                                                 

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 この白鳥をみるのが、きっと、しばらく日課になるな。

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白鳥だらけの川

2012-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

       

 きのうの日暮れ、いつものように完全防寒・目出し帽で、凍てつく暗い道を散歩していると、クエー、クエーと白鳥の高い声がする。それもかなりの集団にちがいない。ひどくにぎやかだ。雪の道を川にむかっていくと……いた。

 月明かりのなか、黒い川に白い影の集団がいる。明確に姿はみえないが、数えると、おそらく30羽をこえる群れだ。暗いなかだが、水中の水草か水苔を食べているような感じにみえる。

 鴨、雁の仲間は、夜行性のやつらが多い。(マガモやカルガモは、昼間、湖や沼でウダウダとすごし、日が暮れると、畑や田圃や牧草地や草原に出かけて餌をあさる。基本的に菜食なのだ。だが、わたしは、鴨が、蝿や蛾を、あのくちばしでたくみに捕らえるのを何度かみている。コアラやパンダのような贅沢な偏食ではなく、植物中心の雑食なのだろ、日本人のように……)、白鳥も白い雁のような鳥だから、夜に積極的に行動するのだろうか?

 昨夜暗いなかで白鳥の群れをみた川に、きょうは昼間でかけた。予想したとおり、そこは、白鳥の湖、ではなく、白鳥の川であった。

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 鳥全般が好きなのだが、とくに鴨、雁、白鳥の仲間の、その姿のデザインが好きだ。

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 白鳥は、ずっと前から法的に狩猟対象でないし、もう密漁するやつらもいないだろう。だから、人に対する警戒心は、まったくない。(おそらく、餌をやる人たちがいて、それを、おやつと期待して、冬のあいだ、ここに居るのだろう)

 しかし、かって人にとっては、冬を生き延びるための貴重なタンパク源だったろう。白鳥は、大きい。雁の仲間だ。皮膚と筋肉のあいだの脂肪が厚い。この脂肪は、鳥自身のための越冬の重要な備蓄であろうが、それを殺戮し、略奪することで、人もまた生きてきた。のだろう。

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 家族だ。今年生まれた3羽の子と、両親が、シベリアから飛んできて、越冬するわけ。凍結してない水面が、ロシアにはないのだろ。

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 対岸に住宅がみえるように、ここは、住宅街の川なのだ。


パソコン不調、解決せず

2012-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

   

 やはり、パソコン不調回復せず。再び絶不調。

 この町に帰ってすぐ、外にでると、かならず嫌なことがある、と書いたことがある。この数日はすごかった。もう、その内容を書くことはやめよう。疲れる。

 パソコン絶不調、外を歩くと嫌なことばかり。家では、認知症の、ほとんど狂気の老醜さらす父との、無言のふたりの生活。じつに愉快な、わが晩年だ。

       

 そんなわけで、このブログは、東京(千葉・市川・南行徳)から持ってきた、旧いパソコンで打っている。

 絶不調のPCは、初期化する。そのあとの面倒なこともやる(いろんなアプリ、ファイルを再インストールするなど)。そう決めた。(母の看病や葬儀や、老父の介護で、わたしは少し錯乱し、混乱していた。“すべて、めんどう”てな鬱症状だ。

 パソコン初歩のとき、テツヤくんや、イソダさんのようなプロフェッショナルの有能な先生に教わったので、ジジイにしては、パソコンのことは、同世代のジジイより普通にできる。(わが帯広三条高校の先輩、前田庸夫・精華大学教授こそ、日本のコンピューターグラフィックの先駆者だ、と、帯広の人は知っているのだろうか?)

    

 母の実家は、電気店で、レコードも売っていた。

        

 そんなわけで、わたしは、電気器具、電子部品にかかわることは比較的得意で、好きな分野だが、母の死後、パソコンの問題を解決する、それに集中できない、やりたくない、という気分がずっとつづいた。不思議な倦怠だ。

 自分が寿命つきたようなジジイなのに、愛する身内の死は衝撃だ。8月23日に亡くなった母は、継母だ。わたしが小学4年のときから育ててくれた。

 


クリスマス・プレゼント、とどく

2012-12-26 | 日記・エッセイ・コラム

 わが帯広三条高校・1年E組の組長で合唱部部長・橋本時比康くんから、うれしい贈り物が届いた。

 『月刊 MONTHLY The Beatles 』 47冊と、白籏史朗の写真集『NEPAL HIMALAYA 』(1983年 山と渓谷社)、鈴木明『そしてわが歌』(1976年 TBSブルタニカ)、ジョーン・パイザー『レナード・バーンスタイン』(1990年 文藝春秋)、どれも初版本だ。

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女子サッカー、千葉の健闘に心から拍手をおくりたい

2012-12-25 | 日記・エッセイ・コラム




 土曜日の夜から、パソコン絶不調だ。酔っていろいろやるから、ますます復元しない。さらに、ますます苛立って酒をあおり、『なぜ、すぐにフリーズする?』、ますます酔っぱらって、またまた余計なことをするから、事態は、底なしの井戸に落ちていくばかりだ。

 日曜日は、もうあきらめて、単4乾電池駆動のワープロ機・ポメラで文章をうっていた。

 きのうは、もうパソコンにさわらず、午後からビールを飲みながら、女子サッカー皇后杯決勝を堪能した。後半ロスタイムのコーナーキックから1点が入って神戸が優勝したが、千葉の健闘に心から拍手をおくりたい。いい試合だった。

(なでしこジャパンの主要メンバーがいる神戸のファンだが、わたしは、すこし前まで、10年いじょう千葉県民だったから、千葉チームの彼女たちにもシンパシーがあるんだ。電車に乗っていって、スタジアムで実際に見ているし・・・・・・ピッチのそとで見ると、とても小柄で可愛いらし女性たちだが、90分走りきる姿は、タフで、みごとなサッカー選手だ)

 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会は、“全日本”とあるようにプロ・アマ関係ない。高校生のチームも、大学生のチームも、なでしこリーグのクラブといいところまで闘っていた。

 INAC神戸は、プロチームだが、千葉は、仕事をしながらサッカーをやっている女性たちのクラブチームだ。日本だけでなく、サッカーだけやって生活できる女性選手は、世界にわずかしかいないのだ。

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 日本の女子サッカーはじつに楽しかったが、ともかく、わたしの深刻な問題は、パソコン不調だ。

 

 目覚めて、布団のなかでしばらく、この大問題を考えた。7年くらい使っていたデスクトップは北海道に送って持ってきた。LANコードを接続すれば使える。しかし、いま使っているやつと比較すると、たまらなく重く遅いのだ。

 『もし、きょう、シラフでいろいろやってみて、不具合がつづくなら、デスクトップの新品をネットで注文しよう。そうする! 新品を買う! 半年まえに買い換えたばかりだが! 買う、くやしいが買う……しかし、そのまえに、まず起きてコーヒーを飲んで、数時間、雪道を散歩して、そしてもどって、冷静に、パソコンを立ちあげよか』と、起き上がったのであった。

 

 そんなわけで、こうしてわたしは、冷静になって、パソコンを復元させて、ブログをうっているわけ。

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 青春だ。

 雪のなかの、白鳥の飛ぶ姿が見たい。すこしまえの午後4時、白鳥の飛翔をみた橋にやってきて、川上から飛んでくる鳥を待って、橋の上に30分近くいた。わが帯広三条高校が、ずいぶん前に移転して、この近所だ。

 青春だ。わたしに、まったくこういう時がなかったな。さみしい。いつも、クラスにいる美少女たちに、恋していたのだが・・・・・・

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  この橋の、帯広川上流風景。それがどうしたの? という感じだろうが、わたしは、ここで、白鳥の群れが飛んでくるのを待ってる。写真にとりたいわけじゃない。見たい。それだけだ。この雪のなかを飛ぶ、その姿をみたい。

 

 『こんな雪の日でも、白鳥は飛ぶか?』とか、『あの強靱な羽なら、このくらい雪は、だいじょうぶだろうか?』とか、考えながら雪の橋の上で待つ。 

 上の写真では雪が降っている瞬間はわからない。すごい雪がふっているのだ。しかし、ニコンのコンデジは優秀だ。わたしは、夕暮れでもいつも、フラッシュライトをオフにして撮影する。だが、間違って、ライトが当たった写真が、きょう、ある。光っている、これが雪なんだろうか?

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皇后杯、準決勝2試合はおもしろかった

2012-12-22 | 日記・エッセイ・コラム

 きょうの、皇后杯女子サッカー選手権大会の準決勝2試合は、おもしろかった。千葉vs伊賀は、1-1で延長戦も終了、PK戦で4-3、千葉が勝った。神戸vs浦和は、1-0で神戸が勝ったが、ヤングなでしこ中心の若い浦和は健闘した。いい試合だった。浦和のキーパーはちと問題だったが・・・・・・

 しかし、INAC神戸の近賀ゆかりさんが負傷した。靱帯をやったようにもみえたが、だいじょうぶだろうか? 24日の決勝は出場できるのか? 心配だ。

 決勝は、24日14:05キックオフ、NHK総合で放送される。http://www.jfa.or.jp/match/matches/2012/1224zennihon_joshi/match_page/m31.html

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白鳥を見たあとは、チャイコフスキーかな

2012-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

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 きっといるだろう、と思って、日暮れ近く、雪道を帯広川まで歩いた。やはり、いた。白鳥だ。川に近づくと鳴き声が聞こえ、2羽が水面にそって川下に飛んでいった。

 白鳥を見たあとは、やはり、『白鳥の湖』かな。

   チャイコフスキー Swan Lake http://www.youtube.com/watch?v=gP132E-xABg

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 チャイコフスキーは、その音楽も好きだし、生きかたにも心がうごく。十代のおわりのころ、ロシア語を勉強したいな、と思った動機の、ひとつの要因でもあった・・・・・・か? いまだから、話せるが・・・・・・

 ほんもののプロフェッショナル、音楽の職人だ。そこが好きだ。


皇后杯

2012-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 24日は東京にいって、女子サッカーの皇后杯決勝をみたい、と熱望していたが、老父の介護でいけないようだ。

 澤さん、川澄さん、近賀ゆかりさんを、また生で見たいと思っていたが・・・・・・じつに残念だ。

 今回はテレビ観戦で我慢だ。NHKが放映する。BSで、22日の準決勝。決勝は、総合で、24日放送なのだ。

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   第34回 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会 http://www.jfa.or.jp/match/matches/2012/1224zennihon_joshi/index.html

   テレビ放送時間 http://www.jfa.or.jp/match/matches/2012/1224zennihon_joshi/tv.html


白鳥が、頭上を飛ぶ

2012-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 きょうも、晴天の午後、雪かきをしていると、白鳥の鳴き声がきこえた。頭上をみると、一羽の白鳥が鳴きながら、青空を飛んでいった。

 数日まえのこと。キーボードを打っていると、外から、古い記憶にある鳥の鳴き声が聞こえた。まさか、マガンか? (わたしは、子供のときから、父親の“趣味の狩猟“につきあっている。ずっと猟犬の役をやっていた。鴨の鳴き声、雁の鳴き声は、なつかしい)、慌てて窓を開け、空をみると、マガンではない。白鳥だ。白鳥の群れが鳴きながら飛んでいる。

 『北海道だな・・・・・・』、その群れは、わたしの頭上を低空で北にむかって飛んでいく。きっと、近くの帯広川が凍結してないから、そこに降りるのだろう。

 

 きょうは、一羽だけの白鳥の飛翔をみながら、なぜか若山牧水の短歌がうかんだ。習ったのは、小学生のときだったか、中学生のときだったのか? ジジイになっても忘れないものだ。

 

    白鳥(しらとり)はかなしからずや 空の青 海のあをにも染まずただよふ

 

若山牧水歌集 (岩波文庫)

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 若山牧水(1885~1928)は、大酒飲みで、そのせいで肝硬変で亡くなったといわれるが、その酒に関して、おもしろい文章を書いている。『酒と歌』というタイトルだ。下の引用は、青空文庫から拝借した。入力は、柴武志さん。校正は、小林繁雄さん。http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/2199_49547.html

 今まで自分のして來たことで多少とも眼だつものは矢張り歌を作つて來た事だけの樣である。いま一つ、出鱈目に酒を飮んで來た事。
 歌を作つて來たとはいふものゝ、いつか知ら作つて來たとでもいふべきで、どうも作る氣になつて作つて來たといふ氣がしない。全力を擧げて作つて來たといふ氣がしない。たゞ、作れるから作つた、作らすから作つたといふ風の氣持である。寢食を忘れてゐる樣な苦心ぶりを見聞きするごとにいつもうしろめたい氣がしたものである。
 わたしは世にいふ大厄の今年が四十二歳であつた。それまでよく體が保てたものだと他もいひ自分でも考へる位ゐ無茶な酒の飮みかたをやつて來た。この頃ではさすがにその飮みぶりがいやになつた。いやになつたといつても、あの美味い、いひ難い微妙な力を持つ液體に對する愛着は寸毫も變らないが、此頃はその難有ありがたい液體の徳をけがす樣な飮み方をして居る樣に思はれてならないのである。湯水の樣に飮むとかまたはくすりの代りに飮むとかいふ傾向を帶びて來てゐる。さういふ風に飮めばこの靈妙不可思議な液體はまた直にそれに應ずる態度でこちらに向つて來る樣である。これは酒に對しても自分自身に對しても實に相濟まぬ事とおもふ。
 そこで無事に四十二歳まで生きて來た感謝としてわたしはこの昭和二年からもつと歌に對して熱心になりたいと思ふ。作ること、讀むこと、共に懸命にならうと思ふ。一身を捧じて進んで行けばまだわたしの世界は極く新鮮で、また、幽邃である樣に思はれる。それと共に酒をも本來の酒として飮むことに心がけようと思ふ。さうすればこの廿年來の親友は必ず本氣になつてわたしのこの懸命の爲事を助けてくれるに相違ない。


トルストイ、再読かな

2012-12-18 | 日記・エッセイ・コラム







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 こういう道を3時間くらい散歩する。たのしい、と思うかい?

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 この風景のなかを歩いていると、なんだか、トルストイの小説を読みかえしたくなる。まず、おもしろいのは、『アンナ・カレーニナ』かな? 『戦争と平和』の前に。辞書ひきひき、ロシア語で読もうか。

 


カーラ・ボノフ、The Water Is Wide

2012-12-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

 先週、九州の森本裕二くんから電話をいただいた。最近、カラー・ボノフを聴き直している、という。とくに、アルバム『Lestless Night (邦題 ささやく夜)』の9曲目、The Water Is Wide をくり返し聴いている、といっていた。さすが森本くんだ。この曲は、カーラ・ボノフがすごい。せつない。

 

 カーラ・ボノフ・・・・・・ずいぶんなつかしい名前を聴いて、うれしくなった。

Restless Nights

 

 このアルバムは、1979年(昭和54年)の発売だ。わたしのレコード店でもよく売れた。ジャケットがじつにいい。

 

 森本くんが、最近くり返し聴いているという、9曲目、『The Water Is Wide (邦題 悲しみの水辺)』は、17世紀から歌い継がれている、イギリスのトラディショナル・ソングだ。さまざまなシンガーがレコーディングしているが、このカーラ・ボノフのヴァージョンは、じつにせつない。後半にジェームス・テイラーがコーラスに加わる。これがまたいい。

 このThe Water とは、とうぜん大西洋だろうな、と、わたしは考えてこの歌を聴く。大西洋を渡ってアメリカ大陸に行ってしまった恋人を想う、女の歌、とわたしは聴くのだが・・・・・・。男は、新天地を求めて海を渡ったのか、あるいは、男は兵士で、海を渡って戦場に行ったのか? いずれにしろ、海のむこうの恋人を想って歌っている。ちがうかな?

 「その水は、あまり広いから、渡ることができません。私には翼が無いから、飛んで、海を越えていくことはできないのです。私に小舟をください。舟は、私の愛と、私をのせて、この広い海を漕ぎ渡っていくでしょう」(まあ、粗く要約すると、そんなような歌なのだ)。

     カーラ・ボノフ  The Water Is Wide http://www.youtube.com/watch?v=7EfHZtCKJGY

 

 わたしは、ダスティー・スプリングフィールドのヴァージョンも好きだ。

 

     ダスティー・スプリングフィールド The Water Is Wide http://www.youtube.com/watch?v=1p0sJk5qJh4

     ジェームス・テイラー The Water Is Wide http://www.youtube.com/watch?v=opfEk_Yoksk

 


酒がうまい!

2012-12-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

 めでたいことに、自民党、圧勝。故中川昭一先生の夫人・中川ゆう子さんも当選した。そして、さらにうれしいことに、わが帯広三条高校・3年A組のクラスメイト、清水誠一くんが比例代表で当選したのだ。清水くんは、春の道議選にやぶれ、辛酸をなめたが、みごとに復活した。北海道議会議員じゃない、こんどは国会議員、代議士だ。じつにめでたい。酒がうまい。


Take Five

2012-12-15 | 日記・エッセイ・コラム

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 コメントで、デイヴ・ブルーベックが12月5日に亡くなったことを教えていただいた。小学生のときから聴いたミュージシャンで、大人になってはそのレコードを売って生活していたから、ある感慨はある。しかし、偉大なジャズミュージシャンの訃報に、きわめて不謹慎だが、いままでご存命であったことに驚いている。91歳だったという。ジャズミュージシャンとしては長寿といえるだろう。

 

 デイヴ・ブルーベック・グループの代表的な曲は、なんといっても『テイク・ファイヴ』だ。この曲を作曲し、リリカルなフレーズの、透明で美しいサウンドのアルトサックスを吹いたポール・デスモンドは、1977年(昭和52年)に亡くなっている。まだ52歳の若さだった。

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 高校生のとき、帯広のジャズ喫茶の「司」や「エース」にいくと、かからないときはない、というほど人気があったデイヴ・ブルーベックのLPレコード『タイム・アウト』は、1959年(昭和34年)の録音だ。祖父の電気店ではレコードも売っていたから、小学校の放課後、カバンを家の玄関に放り投げて、祖父の店でレコードを聴きまくったものだ。そのころにアルバム『タイム・アウト』はリリースされた。

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 1959年にリリースされたこのアルバムは、わたしが高校生になったときも、ジャズ喫茶の定番アルバムだったし、そればかりか、わたしがレコード屋になった60年代の終わりも、70年代になっても、ジャズの売り場に欠かせない基本在庫として、ずっと売れつづけたのだ。

    デイヴ・ブルーベック・カルテット Take Five http://www.youtube.com/watch?v=faJE92phKzI

          デイヴ・ブルーベック・カルテット Blue Rondo a la Turk http://www.youtube.com/watch?v=kc34Uj8wlmE

 この『トルコ風ブルー・ロンド Blue Rondo a la Turk 』がひどく好きなときがあった。帯広三条高校の2、3年ころかな・・・・・・ 

 50年以上たっているのに、いま聴いても、じつに新鮮だ。こういう偉大な名手たちの音楽は、時代によって錆びるということはない。


加藤家へいらっしゃい! ~名古屋嬢っ~

2012-12-15 | 日記・エッセイ・コラム

加藤家へいらっしゃい ! ~名古屋嬢っ~ SP版 [DVD]

 『加藤家へいらっしゃい! ~名古屋嬢っ~』、このコメディーもほんとうにおもしろかった。名古屋テレビ制作で、東京ですこしの間だけ、深夜で放映していた。「なんておもしろいんだ! こんなセンスのいい笑いのドラマを、日本でもつくっているんだ!」と、感心して楽しみにしていたが、なぜか、すぐに東京での放送は終わってしまった。残念だった。

 日本橋の現場の帰り道、いつも立ち寄る、銀座の山野楽器で、DVDのボックスをみつけたが、わたしにはあまりに高かった。

(テレビはみない、と言ってるわたしだが、このジャンルは興味があるんだ)。