Ommo's

古い曲が気になる

有楽町で、スーさんに会う

2010-08-29 | 日記・エッセイ・コラム

                       

昼、札幌の鈴木さんと有楽町であった。夕方の便で北海道に帰るという。東京フォーラムの地下でピザを食べながら、ビールを飲んだ。

30数年前、鈴木さんは、レコードメーカーの営業マンで、北海道の東、道東地域を担当していた。わたしは、帯広駅前のレコード屋の店長だった。だから、月に2回はかならず顔をあわせた。それ以来、友人だ。

レコードの仕事がおもしろい時代だった。もちろん、CDは、まだない。ウォークマンもない。レコード・プレイヤーが家庭に普及しだしているときで、若者が、LPレコードをやっと買える時代になってきた。

洋楽では、ジャズがまだまだ売れていて、フュージョンというジャンルにも発展してマーケットを拡げていた。ロックは、ティーンエイジャー相手のシンプルな音楽から、成熟してきていた。ビートルズがそのトップを走っていた。ニューロック、アートロックといわれる、クリエティブで前衛的なグループがぞくぞくと登場していた。そして、ボサノバやポール・モーリア・グランドオーケストラのようなイージーリスニングのソフトな音楽もよく売れた。

ポップスでは、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズのような、一家に一枚のメガヒットのグループが活躍していた。

邦楽は、岡林信康が、はっぴいえんどをバック・バンドにつかい、広島の吉田拓郎がエレックレコードからデビューして、アンドレ・カンドレは、井上陽水の名前でポリドールレコードから再デビューした。矢沢永吉とジョニー大倉のキャロルは、鈴木さんの会社、日本フォノグラムから発売された。

そして、ついに、荒井由実が登場する。CBSソニーからは、五輪真弓、そして、浜田省吾がデビューする。

レコードの仕事が、おもしろい時代だったのだ。

ひこうき雲 ひこうき雲

ユーミンのデビュー曲「ひこうき雲」は、若くして亡くなった友だちのことを歌っている。天上にのぼっていく子の命を、ひこうき雲で象徴している。

      荒井由実 ひこうき雲   http://www.youtube.com/watch?v=GMUqBe1mCEQ
   

    荒井由実 あの日にかえりたい http://www.youtube.com/watch?v=DY6Vkfvct7Q&feature=related

           

五輪真弓の「恋人よ」は、交通事故で亡くなった木田高介さんへのレクイエムだ。木田さんは、元ジャックスのメンバー。31才の若さで亡くなったとき、五輪真弓のプロデューサーだった。歌詞は、恋の終わりを歌っているように書かれているが、『この別れ話』は、もっと深刻でリアルなのだ。

木田さんは、東京芸術大学打楽器学科に在籍中、ジャックスのメンバーになり、ドラムス、サックス、フルート、ヴィブラフォンを担当した。ジャックス解散後は、アレンジャー、プロデューサーになって、多くのニューミュージックのミュージシャンをてがけた。「神田川」「旅立ちの歌」「結婚するってほんとうですか」「私は泣いてます」など、木田さんのアレンジは多い。

わたしは、リリィの北海道コンサート・ツアーのプロモーターだった。木田高介さんは、リリィのプロデューサーで、バック・バンド、バイバイ・セッション・バンドのドラムスでリーダーだった。わたしたちは、冬の北海道をいっしょに旅をした。

   五輪真弓 恋人よ http://www.youtube.com/watch?v=VDRyyOyrUpM&feature=related

                   

   浜田省吾 生まれたところを遠く離れて http://www.youtube.com/watch?v=v-f-9arnV6c

   浜田省吾 遠くへ http://www.youtube.com/watch?v=Jl-_VisVQvQ&feature=related 
 

生まれたところを遠く離れて 生まれたところを遠く離れて

恋人よ 恋人よ

 

Dulcimer
                                 

    リリィ 心が痛い http://www.youtube.com/watch?v=6twHEWWvBoo&feature=related

                                

    荒井由実  海を見ていた午後 http://www.youtube.com/watch?v=ar_twSQbTlc


Once

2010-08-26 | 日記・エッセイ・コラム

                                                      

参議院選挙惨敗の責任をとらない菅直人と、つい3ヶ月前、“政治と金の問題”で責任をとって幹事長をやめたはずの小沢一郎が、民主党の代表選挙を戦うそうだ。どちらかが総理大臣になるわけだ。なんて国だ。日本のモラル・ハザードもきわまれりだ。

政権政党が、国の経済危機をほったらかしにして、権力闘争だ。代表選挙を延期してでも、党をあげて、全力で、円高対策、景気対策をやるべきときだろうに……。

きょうから、日銀総裁・白川は、アメリカ外遊。自見庄三郎金融相と野田佳彦財務相は、中国外遊だ。円高、株安が同時進行するなか、何の手も打たず、経済の司令塔が国をあけているときかい? 口蹄疫発症初期の大事なときに、行く必要のないキューバに逃げた農水相・赤松とおなじだ。

これもすべて、この最低、最悪なクズ政党、民主党に投票した国民の責任だ。民主党政府といっしょに、大不況の地獄で、のた打ち回るのがいいだろう。自己責任だ。民主党に投票した国民に、丸川珠代議員の名言「愚か者めが」を贈る。
       丸川珠代議員 愚か者めが http://www.youtube.com/watch?v=DAg48xIRwgk

                         

連日の酷暑、熱帯夜。こんな苛烈な日々にたえているのに、イカれた政府や、機能不全のメディアのことを考えると、ココロもすさむ。

今夜は、アイルランドの映画をみることにした。『Once ダブリンの街角で』、2006年のジョン・カーニー監督作品だ。

ONCE ダブリンの街角で デラックス版 [DVD] ONCE ダブリンの街角で デラックス版 [DVD]

主演は、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァ。グレン・ハンサードは、アイルランドのバンド、ザ・フレームスのヴォーカル&ギター。映画出演は、2本目だ。1991年のアラン・パーカー監督の『ザ・コミットメンツ』でギタリストの役をやっていた。

マルケタ・イルグロヴァは、チェコ出身のシンガーソングライターだ。小さい時からクラシックのピアノを学び、十代で、チェコでは天才シンガーソングライターと評判だった。この映画ではずいぶん大人にみえる役だが、撮影のときは、まだ18才くらいなのだ。

主演のふたりは、実際の音楽活動でも、The Swell Season というデュオを組んでコンサート・ツアーをやっている。

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ダブリンが舞台の映画は、もう若くはないストリート・ミュージシャンの男と、チェコから移民の、子持ちの女との友情物語だ。

男は、恋人に棄てられたことを引きずり、それを歌にしている。女は、別居してる亭主が本国チェコにいる。女の父親は、オーケストラのバイオリニストだったが、関節炎だか痛風になって、指が動かなくなって自殺した。小さい時からピアノを習わせてもらったが、アイルランドにやってきて、掃除婦や花売りをやって、幼い娘と母親と3人で暮らしている。ピアノが買えないので、楽器屋で彈かせてもらってる。そういうふたりが出会って、いっしょに音楽をやる。

わたしは、最良の音楽映画のひとつだと思う。派手なハリウッド映画に辟易としているとき、こういう低予算でも良質な映画は、じつに新鮮だ。(アカデミー賞受賞式のスピーチで、主演のグレン・ハンサードは、ハンディーカムで撮影をはじめた、といってる)。

アメリカでは、最初、2館で上映された。だが、拡大上映され、全米で大ヒットした。脚本・監督のジョン・カーニーは、グレン・ハンサードのバンド、ザ・フレームスのベーシストだった。いまは、映像作家で、映画音楽の作曲家だ。

この映画のテーマソングFalling Slowlyは、主演のふたりが作詞作曲して、歌っている。ふたりは、この曲でアカデミー賞歌曲賞を受賞した。マルケタ・イルグロヴァは、チェコ人ではじめてのオスカー受賞、このときの19才という年齢は、オスカーの音楽賞受賞者では、一番若い。

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       映画 Once      Falling Slowly   http://www.youtube.com/watch?v=CoSL_qayMCc&feature=fvw

  グレン・ハンサード&マルケタ・イルグロヴァ Falling Slowly http://www.youtube.com/watch?v=JPbC2YrUUsI

                       

『ザ・コミットメンツ』のとき。ギターをもっているのが、グレン・ハンサード。当然だが、Once のときより、ずいぶん若い。

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Live From the Artists Den [DVD] [Import] Live From the Artists Den [DVD] [Import]

    The Swell Season オフィシャルサイト http://www.theswellseason.com/

    The Frames オフィシャルサイト http://www.theframes.ie/


満月、『ムーンライト・セレナーデ』

2010-08-26 | 日記・エッセイ・コラム

                        

満月だ。美しい夜だ。明るい月を見ながら歩いたあと、『ムーンライト・セレナーデ』を聴いた。

『ムーンライト・セレナーデ』は、カーリー・サイモンのヴァージョンも、また、いい。

   カーリー・サイモン Moonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=96px84SJQJI

ブラス・ロックのシカゴの『ムーンライト・セレナーデ』も、ある。

 シカゴMoonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=fN2un3lnqw0&feature=related

 ヘンリー・マンシーニMoonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=6ohtpzmN8yI&feature=related

 バリー・マニロウ Moonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=uixiy_t5Fg4&feature=related

 サント&ジョニー Moonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=tSde6k1pXDQ&feature=related

                            

もちろん、『ムーンライト・セレナーデ』は、1939年のグレン・ミラーのオリジナルだ。スイング・ジャズの、名曲中の名曲だ。ビルボード誌のトップ20に17週あって、1939年のビルボード誌のベストソングになった。グレン・ミラーのアレンジは、いまの感覚でも、あまりにもカッコいい、とわたしは思う。すごい、すごすぎる、と。

アメリカ人は、ロックやフォークをやってスーパースターになった人も、小さいとき、親が聴いていた、この曲を演奏したくなるようだ。

これもダンスのために作曲された曲だ。ずっとあとのディスコ・ミュージックとおなじだ。つまり、スイング・ジャズもタンゴも、ディスコも、ダンスのための音楽だ。でも、奥が深い。

    グレン・ミラー・オーケストラ Moonlight Serenade  http://www.youtube.com/watch?v=n92ATE3IgIs

ベスト・オブ・グレン・ミラー ベスト・オブ・グレン・ミラー


パトリシア・バーバーの父は、グレン・ミラー楽団のサックス・プレイヤー

2010-08-25 | 日記・エッセイ・コラム
Night Club Night Club

      パトリシア・バーバー 男と女 http://www.youtube.com/watch?v=C-yysWB-R5M

  パトリシア・バーバー Witchcraft http://www.youtube.com/watch?v=zJmLR-1DDjE&feature=related

ジャズ・ピアニストで、シンガーで作曲家、バンド・リーダーのパトリシア・バーバーは、1955年、シカゴで生まれた。父親は、グレン・ミラー・オーケストラのメンバーでもあったサックス・プレーヤーのフロイド‘Shim’バーバーだ。

パトリシア・バーバーは、アイオワ大学でクラシック・ピアノを専攻した。周囲のだれも、父親とおなじジャズ・ミュージシャンになるのを望まなかった、と彼女はいう。父親は、シカゴでは高名なジャズ・ミュージシャンだったが、アル中で死んでいたのだ。

しかし、クラシックを演奏するより、ジャズをプレーするほうがずっと楽しい。「それで、母にいったの。わたし、ジャズをやるわ、と」

「バカだったわ」と、冗談をいう。シカゴで、新人にとって音楽の仕事は、タフだった、という。シカゴ・ブルース、シカゴ・ジャズ発祥の、伝統の音楽の街だ。全米から才能あるミュージシャンが集まってきて、仕事を奪い合っている。サバイバルだ。

                        

パトリシア・バーバーは、生まれたときから音楽のなかで育ったが、ビートルズやローリング・ストーンズは、嫌いだった、という。好きだったのは、フランク・シナトラ。ハイスクールのときは、サラ・ボーン、そしてマイルス・デイビスがアイドルだった、という。

  フランク・シナトラ Witchcraft http://www.youtube.com/watch?v=LIZIBm2QGaM&feature=fvw

歌を歌うのようになったのは、仕事のため、「(ピアノを弾く)シンガーのほうが、いい仕事があるから」と、パトリシア・バーバーは、じつに率直だ。ミュージック・ビジネスは、タフな世界だ、と。

  パトリシア・バーバー The Thrill Is Gone http://www.youtube.com/watch?v=018lzEWLSVU&feature=related

パトリシア・バーバーとダイアナ・クラールは、友人だ。

                                          

    パトリシア・バーバー・クワルテット Caravan http://www.youtube.com/watch?v=1Xm9VUtJo8k&feature=related

Verse Verse

                           

   パトリシア・バーバー  オフィシャルサイト http://www.patriciabarber.com/index.html

                                 

   グレン・ミラー・オーケストラ In The Mood http://www.youtube.com/watch?v=bR3K5uB-wMA

       グレン・ミラー・オーケストラ Moonlight Serenade http://www.youtube.com/watch?v=AQseFAcWvtE&feature=related

       フランク・シナトラ Moonlight Serenade http://www.youtube.com/watch?v=4DLAMpZmi7Q&feature=related


森山加代子『月影のナポリ』も、中村晃子『あまい囁き』も、オリジナルは、ミーナ

2010-08-23 | 日記・エッセイ・コラム

                                             

月が美しい。月にみとれて歩き続けていると、Tシャツも短パンも汗でグッショリだ。暑い。もう8月も後半だが、今夜も、気温は30度を超えているだろう。

     菅原都々子 月がとっても青いから http://www.youtube.com/watch?v=h9RymZKR6w4&feature=related

               

Tutto Mina Tutto Mina

    ミーナ Il Cielo in Una Stanza http://www.youtube.com/watch?v=b6s_kjlhP5U&feature=fvst

                     

きのうのブログに貼ったyoutubeの映像で、ピアソラと共演しているミーナ・マッツィーニは、世界でも日本でも、たんにミーナ Minaとして知られていた。1959年(昭和34年)にデビューして、60年代から70年代半ばまで、一世を風靡したイタリアのポップス歌手だ。ヨーロッパだけでなく、南北アメリカでも人気があった。カンツォーネの人だ。母国語のイタリア語のほか、スペイン語でもフランス語でもポルトガル語でもドイツ語でも歌う。もちろん英語でのレコードもある。70年代、日本語で歌ったレコードは、日本でもよく売れた。

60年代のはじめ、ミーナのヒット曲を日本の女性歌手がカバーして大ヒットしたものだ。

     ミーナ Tintarella di luna (月影のナポリ)1959年   http://www.youtube.com/watch?v=92Y-zid0abA&feature=related

       森山加代子 月影のナポリ  http://www.youtube.com/watch?v=ey-76vRW5Zk
       ザ・ピーナッツ 月影のナポリ http://www.youtube.com/watch?v=m8nvSIFK0MY

                  

      ミーナ Un buco nella sabbia  砂に消えた涙  http://www.youtube.com/watch?v=GpZsUYXrh3c

        弘田三枝子 砂に消えた涙 http://www.youtube.com/watch?v=kpSJkpMLQ9s

    矢沢永吉 砂に消えた涙 http://www.youtube.com/watch?v=i7vsASusu6c&feature=related

                      

『パローレ、パローレ』は、日本ではダリダとアラン・ドロンのフランスのカバーがヒットした。これもオリジナルの世界ヒットは、イタリアのミーナだ。日本のカバーは、中村晃子と細川俊之だった。邦題は、『あまい囁き』だ。

日本語盤では、「パローレ」という原詩の語をそのままつかっているので、歌詞がゆるくなってしまって、この歌のドラマがよくわからない。「パローレ」の意味がわからない日本人には、この歌の内容は的確に伝わらない。中村晃子・細川俊夫ヴァージョンは、ただの、キャバクラのお客の、気どったヒヒジジイとホステスさんの会話になってしまってる。『あまい囁き』という邦題をつけて、「パローレ」という語を残したまま歌うと、この歌のおもしろ、おかしさがまったく伝わらない。

オリジナルの歌の男と女、男はくどいているが、女は男の下心と本性をみぬいて、相手にしない。あるいは、このふたりは、不倫関係が長いのだろうか? 男は中年の金持ちで、女は若い愛人なのか? このふたりの恋も、終末のようだ。いつものように、男が甘い言葉を並べて女をくどいている。だが、女の心は、もうすっかり冷めてきっている。「パローレ(言葉)、パローレ(言葉)、パローレ(言葉)、パローレ(言葉)だけね」と、男の本性をみぬいているわけ。

ミーナとイタリアの俳優アルベルト・ルポのかけあいは、みごとだ。ダリダ&アラン・ドロンも、セリーヌ・ディオンとアラン・ドロンのヴァージョンもじつにいい。若い女に執着する初老男のいやらしさがでていて、みごとだ。さすが名優アラン・ドロンだ。

『パローレ、パローレ』、オリジナルのイタリアのミーナ&ルポ・ヴァージョンは、不倫関係の終末。フランス版のダリダ&ドロン、ディオン&ドロン・ヴァージョンは、嫌がる若い女にヒツコク言い寄る金持ち初老男。そんな感じかな。わたしの勝手な解釈だが。

                  

        中村晃子と細川俊夫 「あまい囁き」http://www.youtube.com/watch?v=5eteba2ANeQ

   ダリダ&アラン・ドロン  Parole, Parole http://www.youtube.com/watch?v=Qb8A1tF1JsM&feature=related

   セリーヌ・ディオン&アラン・ドロン Parole,Parole http://www.youtube.com/watch?v=aM1cFfAbLi0&feature=related

   ミーナ&アルベルト・ルポ Parole,Parole       http://www.youtube.com/watch?v=wrlew2G6nvA

                        

ミーナは、いままで、77枚のアルバム、71枚のシングルを発売している。1940年生まれのミーナは、いまも現役だ。ライブをやり、アルバムを発売している。こういう人こそ、真の歌姫というべきだろう。

   ミーナ オフィシャルサイト http://www.minamazzini.com/news/


日本で、バンドネオンの愛好家が増えているのだろうか?

2010-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

Bandoneon2

                                                       

数年まえのこと。近所の焼き鳥屋で、よく顔をあわす青年と音楽談義をしていた。かれは、小学生のときにバンドネオンを買ってもらって、大学に入るまで習っていた、「いまでも、ときどき弾きます」という。これにはすこし驚いた。

小学生にバンドネオンを買ってやるのは、とてもめずらしいことだが、まあ、あってもいい。親が金があるのだろう。はなしを聞いていて、東京だな、と感心したのは、バンドネオンを教える先生が、何人もいるということだった。

インターネットで調べると、小川紀美代さんというバンドネオン奏者の、生徒を募集するサイトがある。http://www5c.biglobe.ne.jp/~kimiyo/lesson.html バンドネオンの購入の斡旋もするようだ。このサイトでは、47万円~65万円の楽器が紹介されている。

日本でバンドネオンを扱っている楽器店が、いくつもネット上にある。京都には、何人ものバンドネオン奏者を育てた、門奈紀生さんが主宰するバンド『アストロリコ』がある。また、最近、若いバンドネオン奏者が何人かプロデビューしている。そして、世界的なバンドネオン奏者の京谷弘司さんがいる。日本で、バンドネオンは過去の楽器ではない、と知った。

           京谷弘司のホームページ http://kyotanikoji.com/

    アストロリコ 公式サイト http://www.astrorico.com/index-j.html 

バンドネオンは、1847年にドイツのハインリッヒ・バンドが考案した。1820年代に発明された小型のアコーディオン、コンサーティーナから発展したのだろう。アルゼンチンに持ちこまれたのは、1864年頃という説がある。ドイツの水兵か、イタリアの季節労働者、どちらかだろう、という。

バンドネオンの歴史や構造を、日本語でくわしく解説している人がいる。そのサイト『バンドネオン メモランダム』を参照してほしい。
            バンドネオン メモランダム http://www.yk.rim.or.jp/~msda/

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     アルゼンチン・タンゴ   Queias de Baudoneon.    http://www.youtube.com/watch?v=bXhQNRsH3uc&feature=related

見ていて気持ちのいいタンゴのダンス・カップルは、男がめちゃくちゃ上手い。上手いタンゴを踊るふたりをみていると、男のダンサーのカッコよさにシビれる。

     ミーナ・マッツィーニ&アストル・ピアソラ Balada para mi muerte http://www.youtube.com/watch?v=JytXR0qzsvs&feature=related


Adiós Nonino は、ピアソラが父を追悼して書いた曲

2010-08-21 | 日記・エッセイ・コラム

                                       

きょうは、ピアソラを聴いていた。タンゴのスタンダード集だ。ポリドール原盤で、980円くらいで、よく露天で、安いネクタイの隣かなんかで売ってるCDだ。

何年か前の仕事帰り、どこかの駅で衝動買いした。仕事が終わって、ひどく疲れて、電車の乗換の駅構内を歩いていて、あの露天の安物CD屋があると、なぜか、つい立ちどまってしまう。元レコード屋の悲しいサガなのか。そして、けっこうつまんないクラシックのCDかなんか買ってしまって、後悔する。カツ丼でも食えばよかった、と。安物買いのなんとやらだ。しかし、このアストル・ピアソラの、タンゴのスタンダード集は気に入っていて、よく聴く。

ピアソラは、スタンダードのタンゴを演奏するだけでなく、ジャズやクラシックなど、さまざまなジャンルのミュージシャンたちと共演して、新しいタンゴを創造した。ニュー・タンゴだ。1940年から5年間、アルゼンチンの作曲家、アルベルト・ヒナステラにクラシックを学び、パリでもクラシックを勉強した。そして、4才から16才までアメリカ・ニューヨーク市で育ったせいか、アメリカ合衆国の音楽が好きなのだろう。ジャズの影響も大きい。

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ピアソラ作曲の名曲、 Adiós Nonino (さようなら、ノニーノ)は、タンゴの新しい方向を切り開いた、アルゼンチン音楽の傑作といわれ、ピアソラが新境地をみつけた、もっとも重要な曲ともいわれる。

1959年、ピアソラが中米コンサート・ツアーの途中、アルゼンチンの父親が突然亡くなった。しかし、アメリカ合衆国のコンサート・ツアーが残っていて、アルゼンチンに帰ることができない。アメリカ・ツアーを続けた。そのコンサート・ツアーで、父親を想って書いた曲が、Adiós Nonino  だ。Nonino は、ピアソラの父親の愛称なのだ。                                

   アストル・ピアソラ Adiós Nonino http://www.youtube.com/watch?v=QCmP4bEJfOg

Adios_nonino  アストル・ピアソラと両親

New Tango New Tango


菅直人、わずか2ヶ月で、2億円の官房機密費

2010-08-20 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                 

6月に発足した菅・仙石内閣だが、わずか2ヶ月で、すでに官房機密費をなんと2億円つかっている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100820-00000070-jij-pol  その前の鳩山・平野内閣は、3億円をつかった。民主党政権になって、すでに9億円ちかくが官房機密費として国庫から支出された。もちろん内容は公表されてない。

自民党政権の官房機密費に、あれだけヒステリックに噛みついて、内訳を出せ、官房機密費は廃止しろ、と大騒ぎしていた民主党のれんちゅうだが、じぶんたちが、権力を握ると、前政権よりはるかに悪質だ。

菅直人自身が、前政権に、『官房機密費は廃止にしろ』と、迫っていたのじゃないのかな。社会主義者の本性なんてのは、まあ、こんなものだろうか。社会正義だの、平等社会だの、人権だの、弱者のためとかほざく、その偽善の仮面に人々はダマされる。だが、考えているのは、ただ、じぶんの権力欲だけ。腹黒いものだ。まったく、この民主党政権というのは、偽善者ズラの悪党の本質をみせてくれて、毎日、笑わせてくれる。

官房機密費は、マスコミ対策にもつかわれる。それは、官房長官をやった自民党の平野が暴露している。新聞記者、政治評論家、テレビキャスター、コメンテーターなどに、官房機密費から金を渡していた、と言っている。

だが、自民党政権の末期には、テレビや新聞が政権政党の些細なことを大騒ぎして叩いていた(きっとメディアのれんちゅうにくばる小遣いが足りなかったのだろう)。いまは、あれが、ウソのようだ。首相のホテルのバー通いだの、ホッケの煮付けだの、カップ麺の値段を知らない、漢字を読めない、と、些細なことで、バカ騒ぎをして自殺者がでるほど追い込んでいた、新聞のれんちゅうやテレビのコメンテーターたちは、すっかり権力に黙りこんでる。権力から金をもらって尻尾を巻いた、吠えない権力のペット犬だ。(いまの日本のテレビも新聞も、マスメディアは、ソ連時代の、プラウダ、中国共産党の機関誌・人民日報みたいなものだ)。

小沢一郎の政治パーティーでただ挨拶して、50万円という高額のギャラをもらった、毎朝テレビでウンチクたれてるテレビ・キャスターもいる。コメンテーターの女の漫画家もいる。

                           

菅直人が、アホまるだしの発言をしても、テレビのニュース・ショーは、きょうもスルーだ。
  "菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」"http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201008190397.html

               

拉致担当の中井大臣が、「横田めぐみさんは、高校生のとき、仕事帰りに拉致された」と、まったく誤った認識の発言を、子供たちのまえでしても、テレビのれんちゅうは、黙りこんでる。http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100820/crm1008201723028-n1.htm 

中井のこの発言は、なんだろう?  国民をナメきっているから、こんな適当なことを言えるのだ。おごり、ごう慢。まさに、民主党を象徴する野郎だな。

1977年(昭和52年)11月5日に拉致された横田めぐみさんは、中学生で、部活の帰りに北朝鮮の工作員に拉致されたのだ。横田めぐみさんは、13才だった。大臣・中井がいう高校生でも、仕事帰りでもない。

高校生が仕事帰りに拉致されたのは、コンクリート詰め殺人事件の被害者だ。1988年11月にアルバイト帰りに拉致監禁されて、1989年3月、江東区若洲海浜公園で、ドラム缶にコンクリート詰めにされた死体で発見された。日本の犯罪史上、最も残忍で凶悪な性犯罪のひとつだ。犯人は不良少年グループだった。みんなもう出所しているだろう。

拉致担当大臣で、国家公安委員会委員長の立場の人間の、この認識の甘さ、発言の軽さ、もうこれは、笑えない。こいつも、元社会党だ。すこし前は、韓国クラブのホステスとの路上キスを週刊誌に載せられ、スタッフでも家族でもない若い女に、議員会館のセキュリティー・カードを渡し出入させていた。これを指摘されると、独身だ、なにをしようと勝手だろ、と開き直った野郎だ。

(外国人の若い女と路上でキスをして、日本の国会議員宿舎のセキュリティー・カードを若い女に渡す国家公安委員長ってのが、民意なのか? 国家公安委員会委員長とは、全国20数万人の警察官のトップの地位だ)。

                  

民主党の後藤英友衆院議員の妻が、国会議員本人しか使用できない無料航空券をなんどもつかって、航空会社から不正を指摘されたことを、テレビは、報道したのか? この後藤議員とは、出納責任者が有罪判決をうけ、公職選挙法で連座制が適用されるが、辞職しないやつだ。http://kumanichi.com/news/local/main/20100818001.shtml


アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」

2010-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

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わたしが少年のころ、ファドといえば、アマリア・ロドリゲスだった。アマリア・ロドリゲスこそ、ポルトガルのファドを世界に知らしめた偉大な歌手だ。

   アマリア・ロドリゲス  Cançao do mar  http://www.youtube.com/watch?v=ke2F9vwpOCA&feature=related

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    アマリア・ロドリゲス 暗いはしけ Barco Negro http://www.youtube.com/watch?v=Noy4M91Xj08&feature=related

この『暗いはしけ』の世界的なヒットが、アマリア・ロドリゲスを世界のスターにした。曲は、漁師の夫が、漁にでて遭難して帰って来ない。それを嘆く妻の歌だ。アマリア・ロドリゲスが晩年に日本で歌った『暗いはしけ』の映像に、日本語訳がある。

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   アマリア・ロドリゲス 暗いはしけ  http://www.youtube.com/watch?v=LvBlqY3pVRg&feature=related

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酷暑と塩辛と熱い飯

2010-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

                                                   

きょうも、気温37度。暑い。あまりに暑いせいなのか、塩辛がうまい。きっと汗で体内の塩分などを多量に失い、細胞内の電解質のバランスが崩れているのだろう。

なぜか妙に食べたい、と思う物。それは、そのとき身体が必要としている物質を含んでいる。と、むかしから信じている。そんなわけで、この夏は、塩辛と熱い飯、そして、シジミの味噌汁と漬物。この食事がうまい。毎日毎日あまりに暑いのだ。食欲もなえる。

昨夜は、もう涼しくなったかな、と真夜中の12時ちかくになって散歩にでた。だが、10分も歩くと大汗だ。きっと真夜中でも、30度くらいの気温だったはずだ。今朝は、午前6時にすでに30度をこえていた。


ドゥルス・ポンテスが歌う『ニューシネマ・パラダイス』

2010-08-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

Dulce20pontes

                         

ファドのシンガー、マリーザのことを書いたが、ポルトガルには、ドゥルス・ポンテスというすばらしい歌手もいる。

   ドゥルス・ポンテス Cancao do Mar http://www.youtube.com/watch?v=MSIGWEcR5Dc&feature=related

                     

1973年生まれのマリーザより少しまえ、1969年にリスボン郊外の町に生まれたドゥルス・ポンテス Dulce Pontes は、小さい時からピアノを習って、ピアニストを目指していた。18才のとき、テレビの番組にスカウトされて、女優になり、歌も歌うことになる。なんだか、日本のアイドル歌手のデビューのはなしのようだが、ドゥルス・ポンテスが、日本のアイドル歌手と決定的に違っていたのは、歌が強烈にうまかったのだ。

小さい時からクラシック・ピアノを習って、音楽の基礎はたしかだ。そして、ポルトガルの民謡・ファドの唱法をマスターしていた。最初は、ポップス歌手としてのデビューだ。1991年の、『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』のポルトガル代表になったのだ。これが、ドゥルス・ポンテスのヨーロッパ・デビューだった。ドゥルス・ポンテスは、8位になった。このヨーロッパで有名なポップスのコンテストで、ポルトガルの代表としては、彼女の8位が最高位だったのだ。その映像をみることができる。

いま、クラシックでも、ポップスでも、そして伝統のファドでも、ジャンルをこえて歌う、イベリア半島を代表する、ヨーロッパの最高のシンガーのひとりだろう。この偉大なシンガーも、デビューのころは、ポップスを歌っていた。

『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』の曲は、それなり、いい曲だ。ドゥルス・ポンテスの歌は、めちゃくちゃ、うまい。とても、かけだしの女優が歌いました、と、そんな日本基準のレベルじゃない。映像をよくみてほしい。日本の女優たちも歌を歌い、CDを出す。ポルトガル人と、日本人の、音楽に対する真剣度、真面目度の、決定的は違いなんだろうか? このユーロビジョン・ソング・コンテストに出場したポルトガルの新人女優ドゥルス・ポンテスと、J-POPやAKBなんちゃらの日本女性たちと、年齢は、ほとんど変わらないだろう。

  1991年、ユーロビジョン・コンテストのドゥルス・ポンテス  http://www.youtube.com/watch?v=Rz-4ejzALy0&feature=related

Dulce_pontes_wiener_festwochen_2009

  エンリオ・モリコーネ&ドゥルス・ポンテス La Luz Prodigiosa http://www.youtube.com/watch?v=ud0V9gcaKzo&feature=related

 

モメントス モメントス
 

  ドゥルス・ポンテス&アンドレア・ボチェッリ O Mare e Tu http://www.youtube.com/watch?v=OwfbTVzN-fc&feature=related

デビューした19年まえは、ポップス歌手からスタートしたが、いま、ドゥルス・ポンテスは、ジャンルをこえて、活躍している。イタリアの作曲家で指揮者、エンニオ・モリコーネとも共演をしている。コラボレーション・アルバムは、ヨーロッパでよく売れている。

エンニオ・モリコーネは、映画音楽の巨匠だ。わたしが、高校生のときは、クリント・イーストウッドが、テレビドラマ「ローハイド」からソロデビューした『荒野の用心棒』のテーマが、エンリオ・モリコーネの曲だ。

そのあとも、たくさんのヒット映画の作曲家だ。驚くほどある。

『ニューシネマパラダイス』のテーマに、ドゥルス・ポンテスが歌詞をつけて歌っている。エンニオ・モリコーネの指揮のオーケストラ、ドゥルス・ポンテスの歌。これは、いい。http://www.youtube.com/watch?v=gaLPC4YAEus&feature=related

 

  ドゥルス・ポンテス&エンニオ・モリコーネ・オーケストラ Ballad of Sacco & Vanzetti http://www.youtube.com/watch?v=MVq573HE0bA&feature=related

   ドゥルス・ポンテス オフィシャルサイト http://www.dulcepontes.net/

   エンニオ・モリコーネ オフィシャルサイト http://www.enniomorricone.it/


ファドを聴いてる

2010-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

                                                       

J-POPの歌姫やら、AKBなんちゃらの、日本のいまの流行りの音楽と、アメリカの若いジャズ・ミュージシャンのノラ・ジョーンズや、ファドのマリーザが、おなじ時代を生きるミュージシャンだとは、とても思えない。その芸術性、高度な表現力、歌唱力、演奏テクニック、歌詞の詩としての文学性。あらゆる面で、日本の流行り歌は、あまりに子供じみて、幼稚すぎる。

どうしてこんな幼稚なことになってしまったのか? たしかにわたしがレコード屋をやっていた時代にも、ピンク・レディーのようなグループがバカ売れした。しかし、あれは、最初から子供のマーケットをねらった企画だ。子供向けの商品だ。大人は、買わない。「黒ネコのタンゴ」や「およげたいやきくん」とおなじような、幼児、小学生をターゲットにした商品なのだ。しかし、いまは、そのレベル(子供向け)の音楽を大人が聴いている。 

電車のなかのほとんどの客は、iPodやウォークマンを聴いている。あの人たちは、いったい何を聴いているのだろうか。気になる。みんないまの日本の流行りの(子供向レベルの)音楽を聴いているのだろうか。もしそうなら、恐ろしいことだ。

                           

きょうは、マリーザを聴いている。

まえにも紹介したポルトガルのファドの歌手、マリーザ Mariza は、ポルトガル人の父とアフリア人の母親のあいだに、1973年、アフリカのモザンビークで生まれた。若手のファド歌手として、人気が高い。きっと、60年代、70年代だったら、マリーザは、日本でもヨーロッパのようによく聴かれたことだろう。

ファドは、ポルトガルの伝統的な民謡だ。

Mariza

   マリーザ Primavera http://www.youtube.com/watch?v=MiyZJX-V1dg&feature=related

   マリーザ  Oh Happy Day  http://www.youtube.com/watch?v=UnVywLYVgow&feature=related

20091112mariza

   マリーザ Rosa Branca   http://www.youtube.com/watch?v=awT7J8YZ8YY&feature=related

Fado Curvo Fado Curvo

    マリーザ Estranha Forma de Vida http://www.youtube.com/watch?v=mftK0sVZGe0&feature=related

    マリーザ 暗い艀(はしけ) Barco Negro http://www.youtube.com/watch?v=5ElLSBx9Jo8&feature=fvw

       マリーザ Há uma música do povo http://www.youtube.com/watch?v=BdHbQBvgyQ0&feature=related


わたしの、日本の歌姫は、ちあきなおみ

2010-08-14 | 日記・エッセイ・コラム

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J-P0Pの歌姫やらが、引退するとマスコミは、バカ騒ぎをしている。わたしにとって、日本の歌姫といえば、ちあきなおみ、だ。

ちあきなおみの、引退直前のテレビ番組の映像が残っている。結婚して何年もたつのに、ダンナさんに惚れてると、ちゃかされ、ひどくテレる。可愛い人だ。このとき、末期癌のダンナさんを看病しているのだ。 http://www.youtube.com/watch?v=Z260Zhrr1_M&feature=related

(なんどか書いたが、お盆だから、もう一度。歌姫・ちあきなおみを思う)

「私もいっしょに焼いてください!」と、ダンナさんを火葬する火葬場で、半狂乱になった。そのときの写真が、写真誌にフォーカスされていた。それは、女優の演技ではなかった。じっさい、その日から、いっさいの芸能活動をやめ、世間にでてない。歌手ちあきなおみは、ダンナさんに殉死したのだ。まさに、愛を歌う歌手だ。だが、ここまで、壮絶に、芸に忠実な芸人は、あまりいない。

「私もいっしょに焼いてください」、それをみごとに実行した。壮絶だが、みごとな夫婦愛だ。

『黄昏のビギン』や『星影の小径』のような、昭和の洋楽っぽい歌謡曲や、ニューミュージックの作曲家の曲を歌うと絶妙だ。だが、なんといっても、演歌が、うまい。わたしが一番好きな演歌歌手だ。

    ちあきなおみ 『矢切の渡し』http://www.youtube.com/watch?v=XEntqjfq2PU&feature=related

聴いて、見るとわかるように、ほかの演歌歌手は、うまい歌にすぎないが、ちあきなおみの歌は、ちがう。ドラマだ。みごとな、ひとり芝居だ。落語や講談がやってきた日本の伝統芸だ。ちあきなおみの歌は、3分のなかで、女と男の、駆け落ちの、恋の逃避行をみごとに描いている。たいした歌手だ。川を渡って逃げる女と男。櫓をこぐ音も、歌に感じる。逃げるふたりの不安が、ちあきなおみの歌から伝わる。みごとな歌唱表現だ。

かって、川を越えるのは、たいへんなことだった。
『矢切の渡し』は、石本美由起・作詞、船村徹・作曲だ。ふたりは、演歌の大プロフェッショナルだから、歴史事実を念頭に、演歌をつくっているのだろう。

江戸時代、荒川、江戸川を渡船で渡るのは、幕府の許可が必要だった。江戸に入るのは、比較的ゆるいが、出る人間をきつくチャックした。

許可のない男女は、渡船に乗って、江戸をでることはできない。発覚すると、女も男も、打ち首だ。

しかし、いつの時代も、金だ。金が大好きな船頭たちが、金しだいで、夜、客をのせて、下総、房総に駆け落ちのれんちゅうを逃がす。発覚すれば、船頭も、恋に生きた女も男も、うち首だ。江戸時代の役人は、容赦ない。(容赦すると、自分が打首だ。他人に情けをかえける余裕がない。でも、金が好きだ。ここでもまたワイロ。そのことは、また別のおりに書く)

ともかく、江戸からの恋の逃避行で、渡し舟は、最大の難関だった。両岸に役人がいる危険がある。もし、女と男、どちらかが結婚していれば、姦通罪。ふたりは死罪だ。そんなしても恋に生きたいのか? という歌を、ちあきなおみは歌ってる。『矢切の渡し』は、ちあきなおみの歌が一番だ。

     ちあきなおみ 『柿の木坂の家』http://www.youtube.com/watch?v=ftW2aVazdUg&feature=related
 
  ちあきなおみ 『別れの一本杉』  http://www.youtube.com/watch?v=EVC4Ua3x6UI&feature=related