Ommo's

古い曲が気になる

壇一雄の”豚足”

2015-11-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

 テレビ番組では、テレビ東京の『You は何しに日本へ』と『「出没!アド街ック天国』、そして、NHKの『中井貴一のサラメシ』が好きで楽しみにしている。

 今夜の『サラメシ』には、”壇一雄が愛した豚足” が紹介された。ひどく美味そうだ。今度、東京に出たときは、かならず、食べる。

 壇一雄は、高校生のときから好きな作家だ。まず、『夕陽と拳銃』だった。

  次に読んだ壇一雄は、『真説石川五右衛門』。これも、じつにおもしろかった。

夕日と拳銃 上巻 (角川文庫)
檀 一雄
 

 

 


マガンか? ヒシクイか?

2015-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

 夕暮れに雪かきをしていると、空に、雁か白鳥の鳴き声が聞こえる。南東の空を見ると、みごとな編隊の群れだ。80羽くらいの群れだろうか。

 あのかなり高い高度、2000メートル以上を飛んでいるということは、日高山脈を越えるつもりの飛行だろうか。飛んできた方向的には、大樹町の湧洞湖あたりから飛び立ったのだろうか、あるいは、もっと遠く、網走の風連湖から太平洋の海岸線を眼下に見ながら飛んで、十勝川河口で方向を西に変えて、日高山脈を越えようと飛んできたのだろうか。

 『今夜の目的地は、苫小牧のウトナイ湖だろうか?』、などと考えながら雁の群れのみごとな飛翔を眺めていた。(鴨、雁、白鳥類は、夜でも平気で空を飛ぶ。むしろ、鴨・雁・白鳥は、夜行性ではないかな、と、わたしは思っている)

 鳴きながら飛んでいるが、あれは明らかに会話だな、と、雁や白鳥が上空を飛んでいるのを見るだび思う。やつらは、なんだか、かなりおしゃべり好きのようなのだ。

 今日見た群れが、マガンかヒシクイかは分からない。遠すぎる。あまりに高度が高い。

 

 


雪かきの季節だね

2015-11-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 父親は、夕方、寝室から起きてきて、朝までどころか翌日午前中いっぱいテレビの前のソファーで、酒を飲んで夕飯というか酒のツマミを食って、居眠りしては起きて、酒飲んでタバコ吸って、また、テレビのリモコンを握ったまま、居眠りをしてる。

 そういうデタラメな生活時間の父親の、食事の支度をしているので、わたしも夜明けまで起きていることになる。

 大雪の昨日は、近所の内科医の往診をお願いしている日だった。別に悪いところはないのだが、父は、血圧降下剤を飲んでいる。長い間処方してくれてた病院が、診察しないともう処方箋は出せません、という。とうぜんだわな。父に、「医者は1年も診察してないので、もう、薬はだせないというから、病院に行って、診察してもらわないかい?」と、言うと、「俺が行くのか!」と、怒鳴る。

 いったい誰の薬なんだ、と、わたしは、キレた。キレてもわたしの場合、いまやココロやさしい。老人を怒鳴ったりはしない。(心優しいのではなく、怒って怒鳴ったりしたあと、きまってひどく落ちこむ。なんにも抗弁できない、無抵抗の、年寄をいじめてしまった、と。自分のダサさに、ウダウダとひどく落ちこむ。これが嫌なのだ。だから、父の行動の不愉快なことに、もうなにも言わないことにしている。母の看病のために帯広にもどったばかりのときは、父の、なんとも不気味な認知症をよく理解してなかったから、何度も怒鳴った。そのたびに後悔してウダウタ落ちこむ)

 

 しかし、わたしは、キレた。勝手気ままに嫌がる父親は、もう病院に行かなくていい。アンタは行かなくていいの。医者に来てもらう。

 末期ガンの母を看病しているとき、週3日往診してもらった先生にお願いした。月2回往診していただく。そして、血圧降下剤の処方をしてもらう。

 聴診器をあてて、血圧を測るだけなのだが、医者の先生と婦長さんが来てくれるということで、父は元気づくらしい。往診があった、その晩は、食欲もすごい。酒飲んで、テレビを観ながら大笑いしている。

 

 雪かきをして、往診の先生たちをみおくり、父の夕飯をつくって、近所のスーパーまで買い物にいく。父の食べる、アイスキャンデーだの、牛乳だの、チョコレートだの、毎日を補充しなきゃならん。まぁ、わたしのように30年以上一人暮らしで、貧民で、一汁一菜の素朴な食生活をしてきた人間には、信じられない豪勢な人生だわな。父親のタバコを買うたびに、ムカつく。ワンカートン(10箱)、4200円だよ。わたしが、30年くらい前、東京に出たとき、すぐにタバコをやめられた最大のワケは、『タバコひと箱で、一日の食材費になるな』と、当たり前のことに気づいたのだ。”貧すれば鈍する” の逆かな。

 

 話もどって、そんなわけで、医師の先生を見送って、父親の飯を作ったあと、吹雪のなか買い物に行ってから、また、深夜まで雪かきをやった。なかなかハードな一日だったのだよ。


 雪!

2015-11-24 | 日記・エッセイ・コラム

 

 去年は、『ああ、嫌だ、また雪か………』と、思ったが、今夜は、『こいや、 雪! どんと来い!』と、いう気分だ。

 やってやるさ。毎日毎日雪かきして、この極寒の故郷で、91歳の父親の介護を、とことんやってやるさ。

 と、まあ、そんな気分の夜。外は、ドンドン雪が降る。


ジジイになって、四度目の冬

2015-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 けっこう疲れるんだよ。老老介護。

 山が好きだが、山にも登れない。海が好きで、新島とか式根島が好きだが、行けない。もう、3年半、海を見てない。

 半径5キロを三年半歩いてる。スーパーに買い物に行くだけさ。

 

 歩いてすぐの所に、帯広川があるから、釣りに行く。

 しかし、釣りに集中することはできないわな。父親が、タバコを吸う。

 火が怖い。火事がこわい。タバコ吸った自分が火ダマルで死ぬのは構わないが、ご近所、消防署、消防団に迷惑かけちゃダメだろ。

 

 そんなわけで、老人が老人を介護して生活するのも、まあ、なかなか大変なんだわさ‥‥‥。

 


四度目の冬

2015-11-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

 もう少しで91歳になる父は、まあ、ますます元気で、テレビの前のソファーで一日中、起きては寝ては、タバコを吸い、アイスキャンデーを食って、酒を飲んでる。

 その父の食事を作る365日で、半日と家を空けられない。それが、3年と6ヶ月。

 強烈に苛立っていた。

 末期ガンの母を看取って、東京にもどるつもりだった。

 

 「じいさんのこと、頼むね」と、母に言われた。

 

 嫌だ、嫌だ、と、強烈なストレスで、この3年半暮らしてきた。

 この激烈な冬も、この田舎町も、凶暴な帯広ナンバーのドライバーにも………この、この町のすべてが、嫌いだ!

 と、と思って強烈に苛立ってきた。

 

 しかし………これが、わが宿命なのね、と、突然、気づいた。もうすぐ91歳になる父親の介護をして、この町で、わが命はてる。”そういうことだった‥‥‥のね”と、諦めた。

 わたしの方が先に逝くだろうが、まあ、やるだけやってやるさ。

 

 と、思うと、なんだか気が楽になった。もう、東京に戻れはしないだろう。ここで、毎日毎日、老父の三食つくって、わが人生はてるだろ。それもわが人生だわな。

 


昭和51年のサウンドコーナーのスタンプカード

2015-11-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 九州の森本くんにサウンドコーナーの古いスタンプカードを送ってもらった。なんと昭和51年(1976年)の物だ。

 帯広畜産大学の学生だった森本くんが、わたしのレコード店でLPを買ってくれたときのカードなのだ。

  わたしがデザインして、東洋印刷の坪川さんに発注した。(なんと、まあ、大昔のことか…………)。

 LPを5枚買うとシングル盤をプレゼント、なおかつLPをもう5枚買うと、LPレコードがもらえちゃう、という、このカードの交換率の良さに森本くんは感動していた。わたしも、『これは、当時の中学生、高校生には受けたな』と、思い出している。

 当時のLPレコードは、今のCDとほとんど変わらない2千円前後の値段だったから、若者たちにはとても高価な物だった。


今夜は、越路吹雪

2015-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ユーミン、ハイ・ファイ・セット、赤い鳥、トワ・エ・モワ…………散歩しながらそんなアーティストのことを考えていた。もちろん、みんな、村井邦彦さんがプロデュースしてヒットしたスターたちだ。

 1967年ころかな、山手線に乗っていて、田町で車窓から見えるアルファ&アソシエーションのビルは、当時はとてもオシャレだった。

 あとで、わたし自身、荒井由実のコンサートの打ち合わせで何度か行くことになるのだが…………。

 

 そんなわけで、アルファー・ミュージックのアーティストのことを考えて歩いていると、東芝EMI(むかしは、東芝音楽工業、いまEMIミュージックかな)のことをいろいろ思い出すわけ。

 ユーミン、ハイ・ファイ・セット、赤い鳥、トワ・エ・モワもみんな、東芝レコードで発売していた。『朝まで待てない』『月光仮面』『たどり着いたら雨降り』の、モップスもまた東芝レコード(モップスのドラマー、鈴木幹治さんが浜田省吾のプロデューサー。井上陽水のアレンジャー、安全地帯のプロデューサーは、モップスのギタリスト、星勝さん)。

 

 なぜ、今夜、越路吹雪、コーちゃんを聴いてるかというと、わたしは、帯広のレコード屋だけじゃなく、札幌もふくめた北海道全域をテリトリーにするプロモーターだった。興行師だね。(ソロになった矢沢永吉の北海道のプロモーターも、じつ、わたしだ。函館も、旭川も、札幌アイスアリーナのコンサートも、わたしの仕事なのよ、じつは………)

 はじめたころは、音楽業界のプロたち、そして、北海道のメディアのやつらにさんざんバカにされたもんだ。

 「井上陽水、何それ? 札幌厚生年金会館をとって(アホじゃないか)、大ホールにお客入るのか?(帯広の田舎者は、わかってないわな!)」と。

 モップスも、陽水も、荒井由実も、浜田省吾も、まぁ、札幌のやつらにはバカにされたものだ。

 ”やつら” というの新聞社、放送局の、ヤツラだ。HBCとか、STVとか、道新とか、あるわな、そういうヤツラだ。

 

 札幌でコンサートをやるので、番組で告知してくれませんか? とか、新聞社や放送局に行くわけ。コンサートの招待券を、読者、聴視者にプレゼント、とか、記事・告知放送をよろしく、と。

 「井上陽水! なにこれ、知らんな。ダメだよ、こんなの」

 「荒井由実? なにがいいんだか、わからんな。帯広の人(田舎者)の考えてることは、わからんな。道新ホールでコンサートをやるの? 赤字でしょ。告知記事? 書けないしょ。こんなものん」

 

 「また、浜田省吾、札幌でやるの? 前も言ったしょ、こんなもん、売れんよ。帯広(のクソ田舎者)のレコード屋だから、わかんないのだろ‥‥‥‥こんなもの……浜田省吾なんか、売れんよ」

 と、札幌でさんざんバカにされたものだ。わたしは、強烈に記憶力がいいので、そのテレビ局のやつ、ラジオ局のやつ、新聞社のやつらの名前も、顔をよく覚えているが…………忘れやしない!

 浜田省吾の前、荒井由実&ダウンタウン・ブギウギ・バンド・コンサートを道新ホールでやったときも、札幌のメディアのやつらに、強烈にバカにされたものだが………………。

 

 『スモーキン・ブギ』のダウンタウン・ブギウギ・バンドと、デビューしたばかりの荒井由実のジョイント・コンサートは、帯広、釧路、旭川・札幌、というコンサート・ツアーだった。もちろん、当然、大赤字であった。

 それら、興行の金銭的なリアルな話は、近日公開だな。面白いよ。

 

 で、越路吹雪の話にもどる。

 わたしが、東芝レコードの、モップスや荒井由実や、浅川マキやハイ・ファイ・セットを北海道でライヴ展開をするとき、東芝レコードのスーパースターは、越路吹雪だった。

 越路吹雪は、じつに偉大な歌手だと思う。わたしは、宝塚っぽい歌手は、いまひとつ、なにだが、越路吹雪の表現は凄い。

 

   越路吹雪 誰もいない海  https://www.youtube.com/watch?v=gt-nBUGjLio 

 


白鳥来る

2015-11-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

 五時過ぎるともう暗い。そして寒い。散歩に出ると吐く息が白い。

 しかし、夜空の星がじつに美しい。この町のいいところは、冬の星空のみごとさと、水道水の美味いことだ。

 星を見ながら歩いていると、東の空から鳴き声が聞こえて、40羽以上の白鳥の群れが飛んできた。北西に向かっているがどこに降りるのだろう。十勝川だろうか?