Ommo's

古い曲が気になる

あす、31日はブルース・ハープにいく

2013-05-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 あす、金曜日は、ブルース・ハープにいく。レコードの新譜の宣伝や、コンサートの告知をやってくれた広告代理店の担当者に、30数年ぶりに会うのだ。過っては、広告出稿の打ち合わせに週になんども会っていた人だ。

 

 話変わって、ユーミンと、ハイ・ファイ・セット、山本潤子さんの関係。

         赤い鳥  竹田の子守唄 http://www.youtube.com/watch?v=BvXhpWwjIvk

GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄

    赤い鳥   翼をください http://www.youtube.com/watch?v=asX9YqElSwc

 ユーミン=荒井由実は、高校生のとき、赤い鳥の追っかけで、学校帰りカバンを持ったまま、毎日のように田町にある、赤い鳥の事務所にやってきたという。事務所の掃除や、コピーをとったりする手伝いをしてから、自宅のある八王子に帰っていったというのだ。

 (田町は、JR山手線品川と浜松町の間の駅。八王子は、JR中央線、立川よりまだ先。田町・八王子は、けっこう距離がある。電車を乗り継いで1時間以上かかる。帯広から国鉄広尾線に乗って、広尾駅まで帰るようなものかな‥‥‥)

 赤い鳥は、1974年に解散して、『紙ふうせん』と『ハイ・ファイ・セット』に分かれる。

    荒井由実&ハイ・ファイ・セット 卒業写真 http://www.youtube.com/watch?v=uphr3A4vpoU  

 

 荒井由実のカバーのヒットが多いハイ・ファイ・セットだが、ユーミンにとっては、尊敬する憧れの先輩に、自作を歌ってもらっている、という気持ちだったのではないだろうか。

ハイ・ファイ・セット スーパー・ヒット DQCL-6005

         ハイ・ファイ・セット  冷たい雨 http://www.youtube.com/watch?v=qJyLWYGHyrU


月曜日、幌平橋まで歩いた

2013-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

 月曜日、帯広に戻るまえに、ホテルを出て、豊平川をめざして歩いた。ススキノをぬけ、中島公園を通り、護国神社に参拝して、幌平橋まで歩いた。

 ずいぶん古い話だが、札幌オリンピックのすこし前のこと、わたしは、狸小路6丁目にあった民芸品店『魚山房』の店長をやっていた。アパートの部屋が水車町にあったので、毎日、幌平橋を渡って、歩いて通勤していた。幌平橋・中島公園・ススキノ・狸小路のコースは、懐かしい道なのだ。

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 北海道立文学館をのぞいてみようと思ったが、月曜日、休館日であった。残念。

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 札幌オリンピック前の札幌は、人口も、まだ50万人くらいしかなく、路面電車が走る、美しい、いい街だった。

    トワ・エ・モワ  虹と雪のバラード http://www.youtube.com/watch?v=ASdYIxiTRPs

 

 トワ・エ・モワが歌った札幌オリンピックのテーマソング『虹と雪のバラード』、作曲は、村井邦彦さん。ユーミン、荒井由実のファーストアルバム『ひこうき雲』のプロデューサーだ。

ひこうき雲

『ひこうき雲』は、若くして死んでいった友人を追悼する曲だ。あの子の命は、空に昇って、あのひこうき雲になった、と。

    荒井由実  ひこうき雲 http://www.youtube.com/watch?v=Kf-Tk4ZhzBA

 

帯広の浜省ファンに出会うために帰郷したのかもしれない

2013-05-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

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 帯広・ブルース・ハープの入り口。このドアを開けた先は‥‥‥ご自分で確かめてほしい。浜田省吾ファンなら、こんなに心地いい空間は、ほかに無いだろう。

 

 

 日曜日、札幌で浜田さんのコンサートをみたあと、帯広から来ているファンクラブの方たちが、居酒屋で打ちあげをやる、というので、ずうずうしくも、参加させていただいた。みなさん、少年・少女のころから、わたしのレコード店、サウンドコーナーのお客さんだった人たちだ。熱い浜田省吾ファンの人たちだ。

 昨年6月に両親の介護のために帰郷していらい、変貌した街に失望し、長い長い、あまりにも長い冬に打ちのめされて、『嫌だ、嫌だ』と鬱々としていたが、帯広の浜田省吾ファンの人たちに出会えて、なんだか心が晴れた。帯広に帰ってきてよかった、と思った。

 ブルース・ハープのユカさんと、帯広の浜田省吾ファンの、熱い人たちに出会えたことが、この帰郷の最大の収穫ではないだろうか。熱烈な浜省ファンの、サウンドコーナーの顧客の人たちとわたしを再会させるために、なにか、見えざる力が、わたしを帯広に呼びもどしたのだろうか?

 

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 わたしが、18歳で最初に親元をはなれて住んだ街、恋の街・札幌だ。まあ、わたしの場合、恋も愛も、いっさい無縁の、考古学に熱中する、ロシア語学科の学生だったが‥‥‥‥さみしい!

 わたしの場合、1年のときから講義がない日でも大学に行った。(1年のときから、石附喜三男教授から、研究室の鍵を渡されていたから、日曜日にも大学に出かけた。土器の復元をするのが楽しかったし、研究室にある、石附教授の蔵書を読むのも楽しみだった)。

 だから、親の仕送りをうけて、大学に行って、雀荘やビリヤード場にいりびたる、わたしの同期の友人たちの、そのココロが、わたしには、あまり理解できない。なにか、専門知識をえるため、高度な技術を身につけるため、そして、なにより学問するために、親の金をもらって、大学に来たんだろ、と、わたしは思っていた。

 

 親の仕送りで、大学までいって、勉強しないやつなど、まあ、わたしには、信じられないのだよ。大学は、学ぶところ、学問するところだ。大学まできて、勉強しないやつは、嫌いだ。

 

 だが、わたしのようにカリカリしないで、青春の貴重な一時を、親から解放されて、やがては大学を卒業して、どこかに就職して生きる、次のシビアな人生のために、いまは休息のとき、遊び、体力・気力をつけたい、という大学生活も、それはそれで、ありか。と、やっと、最近になって思えるようになった。老人だ。優しくなったのだ。脳軟化症かな。

 

 

 


ブルース・ハープのユカさんを浜田さんに紹介した

2013-05-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨夜は、札幌で浜田省吾ライブをみることができた。まだ、ほかの会場でのライブがあるので、このコンサートの内容に関して、ここでは触れない。ただただ、とんでもなく素敵なコンサートだ、とだけ言っておこう。心の底から感動した。

 

 開演まえに、鈴木幹治さんにお会いし、終演後、バックステージを訪ねて、浜田さん、町支さんにあった。みなさんにお会いするのは、山梨県民会館の楽屋を訪ねていらい、10年ぶりのことだ。なんだか、わたしだけひとり、十歳、老けた‥‥ようだ。

 

 浜田さんのライブをみて、ひさしぶりに浜田さんと言葉をかわすこともできた。たのしい、いい日だった。

 

 

 きのう、札幌に出かけたのは、もちろん、浜田さん、町支さん、そして、幹治さんに、『会えるときに、会いたい人に、会っておきたい』ということがあった。

 

 もうひとつ、今回の札幌行きの大きな目的は、今月12日、わざわざ定休日のお店を開けてくれ、九州の森本裕二くんの、ライブの機会をつくってくれた、ブルース・ハープのユカさんを、浜田さんに紹介したかったのだ。

 ユカさんを浜田さんに紹介することができたので、わたしの今回のミッションは、ほぼ完璧に任務を達成することができた。(などと、ほとんどトム・クルーズになったようか気分で、この文章を打っている)。

 

 

 札幌・WESSの社長、小島紳次郎さんとも30年ぶりに再会することができた。WESSが、まだウィークエンド・ステージ・サービスという音響機材のレンタル会社だったときから、小島さんにお世話になった。チューリップや井上陽水や荒井由実など、わたしが手がけたコンサートのPAをやっていただいた。とくに小島紳次郎さんは、わたしが主催した『ダウンタン・ブギウギ・バンド&荒井由実』コンサートの舞台監督をやっていただいた。いっしょに北海道中を旅したのだ。

 浜田さんに会い、ユカさんを紹介でき、小島紳次郎さんと再会できた。それに、元フォノグラム・レコードの敏腕営業マン、鈴木雄三さんと大通り公園を散歩することもできた。なかなか‥‥‥いい一日であった。

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 ホテルの窓からみえた、北海道庁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


俺たちに明日はない

2013-05-24 | 日記・エッセイ・コラム

 

 日曜日(26日)は、札幌に、浜田省吾さんの楽屋を訪ねようと思う。

 

 ごく最近、26日に札幌でのライブがあると知って、ぜひ、浜田さん、町支さん、鈴木幹治さんにお会いしたい、と思った。

 わたしも、歳だ。中学生のときから、もっとも信頼し合った友が、肺ガンで逝き、25歳の駆け出しの興行師のころから、信頼してくれ、励ましてくれて、応援してくれた、浅川マキさんも、鈴木ヒロミツさんも亡くなった。

 

 

 

 孫が、来年、中学生になる。そういう歳だ。わが子の世代が活躍する時代どころか、孫たちの世代が世の中に出ていって、新しい時代をつくる。もう、そういう時なのだよ。

 

 

 会えるときに、会いたい人に会っておかなくては‥‥‥‥還暦をとうにすぎた、この老人。『俺たちに明日はない』のだ。

 そんなわけで、浜田さんの札幌ライブの楽屋を訪ねようと思う。

 

俺たちに明日はない [DVD]

        ボニー&クライド(俺たちに明日はない) ファイナル・シーン http://www.youtube.com/watch?v=NrmUpso_xT8

 

 Bonnie and Clyde (邦題 俺たちに明日はない)は、1967年制作、日本封切り1968年の大ヒット映画だ。フェイ・ダナウェーもジーン・ハックマンも、この映画が実質的なメジャーデビューといえる。この一作で、ふたりともトップスターになった。制作・主演のウォーレン・ビューティーは、このヒット作で、役者だけでなく、プロデューサーとしての名声をえたのだ。

 

 この映画の封切りは、わたしがレコード屋になったばかりのときだ。サントラのLPもシングル盤もよく売れた。

Bonnie & Clyde

 


ラ・メール

2013-05-22 | 日記・エッセイ・コラム

 
 

 

 

裏切りのサーカス コレクターズ・エディション [Blu-ray]

 

 ゲイリー・オールドマン主演の、"Tinker Tailor Soldier Spy" (邦題 裏切りのサーカス)をみていると、エンディングに、フリオ・イグレシアスが歌う『ラ・メール』が流れた。エンディングの映像とフリオがカバーした、この歌、これがじつに合う。音源は、おそらく、1976年・パリ・オリンピア劇場のライヴ盤ではないだろうか? (まったく不確かな根拠‥‥‥わたしの、37年もまえに数度聴いただけの、レコードの記憶だが‥‥‥‥)

 

 イギリス諜報機関MI6の職員たちの、つまりスパイたちの、パーティーの回想シーンに、フリオ・イグレシアスの『ラ・メール』のライブが流れ、二重スパイとその部下が、愛し合っていること(つまり、ゲイ、同性愛者)を暗示するショットの映像になる。そして、逮捕された二重スパイを、この部下が狙撃して処刑するショット。こうして、映画は終わっていく。心をかよわせた人も、任務なら処刑しなければならない。過酷なスパイの現実。そういう映像のバックに、明るく陽気な、フリオ・イグレシアスの『ラ・メール』ライブが流れるわけ。

 

 

 ”サーカス”とは、MI6の幹部会のこと。このメンバーのひとりが、ソ連の二重スパイ(もぐら)だと分かった。だが、それは誰か? みな長いキャリアの諜報員で、幹部まで登りつめた、命をかけて国家に忠誠を誓う精鋭のエリート・スパイたちだ。その同僚のなかの”もぐら”をあぶり出し、逮捕するのが、老スパイ、ゲイリー・オールドマンの任務なのだ。

 わたしが好きな、イギリスの名優たちが出演する、この映画の原作は、『寒い国から帰ってきたスパイ』の作者、ジョン・ル・カレ(1931~)。

   映画『裏切りのサーカス』 エンディング   La Mer http://www.youtube.com/watch?v=idUjpNL53RE

 

 冷戦時代の、イギリスとソ連の諜報戦を描いた、スパイ映画のエンディングに、スペイン人のフリオ・イグレシアスが歌う、フランスのシャンソンの名曲が流れる。「おッと、なんだなんだ?」と、最初、この選曲にちょっと戸惑った。だが、『なぜだろ?』と少し考え、何となく、わかりかかってきた‥‥‥‥ような気がする。わたしの思いつきが正解か、わからないが‥‥‥。

 

En El Olympia

       フリオ・イグレシアス La Mer http://www.youtube.com/watch?v=HASYL4JWwBU 

 

 この映画『裏切りのサーカス』の音楽で、アカデミー賞にノミネートされたのは、スペイン人の作曲家、アルベルト・イグレシアスだ。このイギリス・フランス・ドイツの共同制作の映画、音楽は、スペインの作曲家が担当しているのだ。そして、監督は、スウェーデン人のトーマス・アルフレッドソンだ。

 作曲家アルベルト・イグレシアスは、1955年、スペインのサン・セバスチャン生まれ。シンガーのフリオ・イグレシアスは、1943年、マドリード生まれ。同じイグレシアスという苗字だが、きっと親戚ではないだろう。イグレシアスは、日本での”佐藤さん”、”山田さん”のように、スペインによくある姓らしい。

 

 幼いときからクラシック音楽の教育をうけたアルベルト・イグレシアスだが、同じ名前のスペイン人のラテン音楽歌手で、最も世界で売れたフリオ・イグレシアスを強く意識して成長したことだろう。

(世界で、スペイン語を母語とする人の数は、英語をマザー・ランゲージとする人たちより、はるかに多い。スペイン語の、ラテン音楽のマーケットは、巨大だ。フリオ・イグレシアスは、そのスペイン語圏だけでなく、アメリカ、イギリスでも、フランス、イタリアほかヨーロッパ全域、東欧やソ連でも、そして日本でも、爆発的に売れた。スペイン語圏の、中南米の国々だけじゃない。ポルトガル語圏のブラジルでも売れた。1968年のメジャーデビュー以来、今までの、その売上枚数は、天文学的数字ではないだろうか。)

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 アルベルト・イグレシアス

        フリオ・イグレシアス  オフィシャルサイト http://www.julioiglesias.com/

        アルベルト・イグレシアス オフィシャルサイト http://www.albertoiglesias.net/base.htm

 

 フリオ・イグレシアスがカバーした『ラ・メール』は、偉大なシャンソン歌手、シャルル・トレネ(1913-2001)が、1943年に発表した曲だ。まさに、西側諸国と共産・ソ連・東欧諸国が戦った、冷たい戦争の時代の大ヒット曲だ。40年代、50年代、フランスだけでなく、ヨーロッパ、イギリス、アメリカでもヒットした。そして、日本でもよく聴かれた。

 

 英語の歌詞がつけられて、ビング・クロスビーなどポップス・シンガーやジャズ・シンガーに歌われ、ムードミュージックのオーケストラや、ジャズ・ミュージシャンも好んで演奏した。いまも世界中で演奏されているのじゃないだろうか。

 

        シャルル・トレネ La Mer http://www.youtube.com/watch?v=fztkUuunI7g

La Romance De Paris

       シャルル・トレネ La Mer (live Olympia) http://www.youtube.com/watch?v=KHYj1-3QrrY

『ラ・メール La Mer (海)』は、海の賛歌だ。その詩の、楽観的で圧倒的な海・賛美は、感動的ですらある。

 シャルル・トレネが、コミュニストで、共産党員だったりすると、映画『裏切りのサーカス』のエンディングに『ラ・メール』が流れるわけが、さらに、おもしろくなるのだが‥‥‥‥調べてみなければ‥‥‥。実際、イブ・モンタンのように、シャンソンの歌手、作者に、ごりごりの共産主義者が多い。そういう時代だ。共産主義が、まだモダンなイデオロギーだと思われていた時代だ。信じられないだろうが、西側の文化人には、ロシア革命を起こしたソ連への強い憧れがあったのだ。とくにフランス人は、王家の人々をギロチンで皆殺しにして共和制になったので、皇帝一家を虐殺して政権を担保した、ロシアのボリシェビキにシンパシーをもつのだろう。ともかく、今も昔も、インテリ、文化人、芸術家というのは、この”モダンな思想”というのに弱い。

 

 

 YouTubeでみつけた、アズナブールの『ラ・メール』が最高にいい。2013とあるから、ことしのことだ。シャルル・アズナブールは、1924年5月22日生まれ。きょうが誕生日だ。89歳。おめでとう。

     シャルル・アズナブール La Mer (Olympia 2013) http://www.youtube.com/watch?v=YZtzAbwgkgU

 

She: The Best of Charles Aznavour (Reis)

  89歳、現役で歌いつづける。すごい。

 

 シャルル・アズナブールは、日本では、『イザベル』がヒットした。映画『ノッティングヒルの恋人』のサントラで、エルビス・コステロがカバーした、She も、アズナブールの曲だ。これも好きな曲だ。

    シャルル・アズナブール She http://www.youtube.com/watch?v=1Kl6u6rIbPo

          シャルル・アズナブール  オフィシャルサイト http://www.charlesaznavour-lesite.fr/Actualites

 

 

 

 

 

 

 


やっと、春

2013-05-21 | 日記・エッセイ・コラム

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 本州では、30度をこえる真夏日というが、ここは、昼間の最高気温が、やっと20度をこえて、なんとか、春らしくなってきた。だがしかし、きのうも一昨日も、10度前後の気温で、ひどく寒かったから、まだ気をぬけない。

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  花がいっせいに咲いている。さっさと咲いて昆虫を誘わないと、もうすぐ、冬になってしまうのだ。

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 桜は、もう葉桜。花びらが散るまえに、葉が大きく成長している。これがエゾ山桜であろうか? あまり情緒的とはいえない。

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桜、咲く

2013-05-18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 やっと、桜が咲いた。

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 この花の咲き方が、また過激だ。二分咲きとか五分咲きとか、そういう情緒的な過程、プロセスがない。

 『芸術は、爆発だ!』という感じだ。突然、すべての桜の木が、満開だ。それが、きのうのこと。イントロも、第一楽章も第二楽章もなく、ベートーヴェンの第九でいうと、突然、エンディングのハイライト、合唱がはじまる。それも、100人程度の合唱ではなく、スタジアムいっぱい、数万人の合唱だ。

 

 今年はひどい悪天候で、十日くらい、桜の開花が遅れていた。だから、桜の木も、「クソ、わしら、もう、がまんのゲンカイ。早く、暖かくならんかい! もう、今年、花なしでいっちゃうよ。それでもいいの?」と、かなり、ヤケになり、じれていたのだろう。

 

 きのう、突然の満開に驚いて、きょう通ると、葉が、きのうよりずっと大きくなっている。花も葉も、躊躇することなく、一気にいかないと冬が近いのだ。やっと春が来て、6、7、8、9月。10月になると帯広はもう、千葉・浦安の真冬の気候だ。

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 白樺の若葉が、また美しい。

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 愛奴、恋の西武新宿線 

2013-05-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 ずいぶんひさしぶりにラジオ番組で話して、最初、かなり緊張した。でも、楽しかった。(40年もまえのこと、HBCラジオの深夜番組で、DJをやっていた。そのとき、わたしが選んだオープニングのテーマソングは、バッドフィンガーの『ウイズアウト・ユー』だった)。

  バッドフィンガー Without You http://www.youtube.com/watch?v=MFAfobm1uEk

 

 あなたなしでは、絶対、生きていけない、という、せつない恋心の歌だ。

 

Very Best of Badfinger

 

 

 今夜の”浜田省吾応援番組”のDJは、ブルース・ハープの長谷川ユカさんだった。その話が、じつにうまい! プロフェッショナルなしゃべりだ。浜田省吾の音楽への熱い思いと、深い知識が、その絶妙な話術のみなもとなのだろう。訊くと、ユカさんはもう、6年、この番組のDJをやっているという。納得だ。

 

 DJは、帯広の浜田省吾ファンクラブの人、12人が交代で担当しているという。ぜひ、ほかの方の話も聴きたい。

 

 それにしても‥‥‥帯広の浜省ファンの情熱には、心底、感心し、敬服する。この浜田さんの曲だけ流す番組は、なんと13年つづいているという。すごい。

 

 今夜のオープニングは、愛奴の『恋の西武新宿線』にしていただいた。

 

   愛奴  恋の西武新宿線 http://www.youtube.com/watch?v=fUEhnCv7GrU

 次のユカさんが担当する日に、また出演させていただくことになった。そのときは、帯広バンドと浜田さんが、北海道ツアーをやった経緯を中心にお話する。放送は、6月のことになるようだ。その告知は、またこのブログで‥‥‥。


明日は、ラジオに出演

2013-05-16 | 日記・エッセイ・コラム

 浜田省吾だけをかける店があるのも驚きだが、浜田省吾の曲だけ流すラジオ番組がある。この1時間番組が、もう10年以上つづいているというのだ。これも驚異だ。帯広・十勝の浜田省吾ファンは、熱い。

 

 このFM放送は、十勝ローカルの局と思っていたが、今はネットの時代、インターネットラジオで全国の浜田省吾ファンが聴いているというではないか。

 

 そのラジオ番組で話してくれないだろうか、と依頼があった。あす17日は、森本くんのライブでお世話になった、ブルース・ハープのオーナー、長谷川ユカさんが担当する日という。午後7時からの放送だ。浜田さんと出会ったころのことなど、ユカさんと話してみようと思う。

 

 北海道・十勝以外の人は、ネットのサイマルラジオを開いて、聴いてほしい。

 サイマルラジオのページに、FM WING 帯広、とある。その右にある、「放送を聴く」にポイントしてクリック。

     サイマルラジオ http://www.simulradio.jp/

 

 このラジオ番組のタイトルが、長くて、じつにいいのだ。『浜田省吾ファンによる 浜田省吾ファンのための 純度100%浜田省吾応援番組 Don't trust over 40 午後7時のWILD BOY』、こういうセンスが好きだな。


ブルース・ハープは、浜田省吾ファンの聖地ではないだろうか

2013-05-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 先週土曜日。九州の、森本くん・京子さん夫妻を、十勝川温泉・笹井ホテルに、写真家の戸張良彦さんと訪ねた。コーヒーショップで長い話をした。

 (きっと、わたしだけひとり、はしゃいで饒舌になっていたのだろう‥‥‥無言の老父との、息詰まる生活。昨年6月の帰郷以来、還暦をとうに過ぎたわたしが、90歳ちかい老父の面倒をみるという、老老介護の、鬱陶しくも、緊迫の日々なのだ。『いつまで続く、この地獄』、そんな生活のなか、音楽、詩歌、美術が、わかる人と話ができるのは、じつにうれしいことなのだ)

 

 帯広畜産大学を卒業して、九州に帰った森本裕二くん。東京・大田区で生まれ育った戸張さん。戸張さんは、大学を出て、東京で撮影スタジオのアシスタントをやったあと、帯広の出版社の助っ人で北海道にやってきた。九州と東京、ともに北海道出身ではないが、あの1970年代、帯広で創作活動をはじめ、いま50代。成熟の、熟練のアーティスト(芸術家)だ。

 

 30年数年まえ。森本くんは、帯広から故郷・九州に帰る。戸張さんは、故郷をはなれて帯広に住む。時間的に、ふたりはすれ違いになった。帯広での生活はすれ違いになった、尊敬する、この同じ歳のアーティストを会わせたかったのだ。

 

 それは、土曜日のこと。(そのむかし、CM撮影のために、鹿追町・然別湖、ホテル福原に滞在していた井上陽水を、戸張さんと訪ねて、ロビーでコーヒーを飲みながら長話をしたことなど、思い出したりした)。

 そして、翌日。12日、日曜日。

 

 長谷川ユカさんのお店、ブルース・ハープで森本くんのライブをやった。これは、ほんとうに楽しかった。浜田さんがデビューした当時、中学生、高校生だった人や、20代のはじめころだった、熱烈な浜田省吾ファンの人たちもたくさん来てくれた。それは楽しかった。

 中年になった人たちと話をしていて、だんだん、その、かってのレコード店のお客さんたちの、少年、少女のころの顔を思い出してきて、何だかひどく涙腺がゆるくなって、ときどきトイレにいって涙をふいた。

 

 

 浜田さんが、函館・拓銀ホールで、ジョニー・大倉バンドの前に出演したときのバックバンド。もちろん、リードギターは、町支さんだ。だが、ほかのメンバーは、みんな帯広の人たちだった。ドラムは、やすおさん。帯広・旭楽器の田中社長だ。そのやすおさんも、ブルース・ハープの森本くんライブにきてくれた。

 コタニ・アグリの社長、ご夫妻。そして、『森本裕二&ナッツ』のドラムス・佐助くん、ギターの松井くんも来てくれた。

 

 工房・十勝・木の器の、佐々木要くん。そして、わがサウンドコーナーのマサミさんも。

 

 じつに楽しい夜だった。浜田省吾のレコード時代の、LPとシングルのすべてのジャケットが美しく飾られたお店、ブルース・ハープは、30年数年ぶりにみんなが再会するのに、これ以上のロケーションはないほど、最適の場であった。

 ブルース・ハープは、『浜田省吾だけをかける店』と聞いて、わたしが想像した、マニアックで、すこし隠微な狭い店‥‥‥とは、まったく違っていた。綺麗で広く、明るい、素敵な店だ。オーナーの、長谷川ユカさんのセンスの良さに感心した。

 

 さすが、かって浜田さんが『第二の故郷』とまでいった、北海道・帯広。きっと日本中、こんな店は無いだろう。ブルース・ハープは、浜田省吾ファンの聖地といってもいいのではないだろうか? この店を訪ねるためだけ、その目的のためだけに、北海道旅行を計画してみてはどうだろう。

        ブルース・ハープ http://www.shun.tv/gourmet/blues-harp/

 

 

 

 


浜田省吾だけをかけるカフェバー、ブルース・ハープ

2013-05-10 | 日記・エッセイ・コラム

 

 九州の森本裕二くんが帯広にやってくるので、ぜひ、歌を聴きたい。と思って、歌わせてもらえるライヴスポットを探して、加藤光邦くんに、ブルース・ハープを紹介していただいた。浜田省吾の曲だけが流れる店だという。

 浜田省吾だけかける店があるというのも驚きだが、そのお店のオーナーが、長谷川ユカさんだったのも、驚きだった。わたしが帯広駅前でレコード店の店長をやっていたとき、ユカさんは、同じ町内のジーンズショップ・五右衛門で働いていた。ユカさんとわたしは、ともに駅前商店街で働く仲間だったのだ。

 いまではすっかりさびれた感じの帯広駅前だが、かっては広尾線や士幌線など、国鉄の路線も生きていて、駅前には十勝バスの待合室があり、汽車やバスで通勤、通学する人たちで駅前商店街はにぎわっていたのだ。

 

 

 ブルース・ハープは、日曜日が定休日だが、お店を開けてくれる、というのだ。森本くんの歌も期待しているが、浜田さんの曲だけかける店もたのしみだ。そして、ユカさんと会うのもたのしみだ。これも、森本裕二くんのおかげかな‥‥‥。

    ブルース・ハープ http://www.shun.tv/gourmet/blues-harp/

 

 帯広畜産大学を卒業した森本くんは、九州の故郷に帰って、宮崎大学の大学院を卒業したのだが、何年かしてわたしは、札幌音楽祭に出場させるために、九州から札幌に呼んだことがあった。森本くんをメジャーデビューさせたかったのだ。

 

 音楽祭の前日、すすきのスタジオでリハーサルをやった。そのパワーハウスが経営するスタジオのなかには、次にリハをやる、ロックバンドの連中がたくさんいて、ブツブツ話ながら冷やかにながめていた。森本くんは、ガットギター一本の弾き語りだ。森本くんが、ギターをケースから出してイントロを弾き始めても、顔じゅうピアスのやつや紫の髪の、パンクバンドの連中は、おしゃべりをやめない。

 

 しかし、森本くんが歌いだすと、スタジオのなかは静かになり、パンクバンドの連中も、ジーッと森本くんをみている。そして歌い終わると、しばらくシーンとなって、なんと拍手がおきたのだ。スタジオにいる全員が立って拍手をしていた。わたしは、コンテストのリハで、他の出場者が拍手するのをはじめてみた。そのスタジオの光景は、髪が逆立つような感動があった。その曲は、「土井ヶ浜」という曲だ。日曜日に、ブルース・ハープでまた聴くことができるだろう。

 

 

 


帯広・十勝の浜田省吾ファンへ

2013-05-09 | 日記・エッセイ・コラム

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 このブログに何度か書いた、九州のシンガーソングライター・森本裕二くんが、今週日曜日、帯広で歌う。森本くんは、かって浜田省吾コンサートの前座に出演しただけじゃなく、最初の北海道ツアーのリハーサルで、北海道バンドの、浜田さんのヴォーカル・パートを歌ってくれた人だ。(函館のサウンド・パパのスタジオで、浜田さん、町支さんと曲を合わせる前に、帯広の旭楽器のスタジオで、バンドだけで練習をしていた。そのとき、浜田さんの歌のパートを帯広畜産大学の学生、森本裕二くんに歌ってもらった。)

 今回、森本くんは、畜産大学時代の先生が退官されるので九州から帯広にやってくる。

 彼は、仕事をしながら、ずっと九州で歌いつづけている。わたしは、その今の、森本裕二くんの歌をぜひ聴きたい。お酒を飲みながら!

 加藤光邦くんに相談すると、「浜田省吾だけをかけるバーがあります。日曜日が休みですが、オーナーに訊いてみますね」と言ってくれる。

 なんと、そのお店、ブルース・ハープの長谷川ユカさんは、定休日だというのにお店を開けてくださるというではないか。九州の森本裕二くんに、30数年ぶりに、北海道・帯広で、ソロ・ライヴをやってもらう。

 帯広・十勝の浜田省吾ファンは、日曜日、5月12日午後8時、帯広・アポロビル地下、ブルース・ハープに集合です。

 

   ブルース・ハープ http://www.shun.tv/gourmet/blues-harp/

 


冬に倦む

2013-05-09 | 日記・エッセイ・コラム

 

 朝。なにやら、うすら寒く、うすら暗い。

 カーテンを開けると、豪雪だ。大粒の雪が、真冬の勢いで降ってる。 

 五月、五月。五月だろ。五月なんだよな。

 『またまた、また大雪、かいな』

 一昨日のことだ。

 

 

 冬は‥‥‥もう、飽きた。ウンザリだ。

 長い。あまりに、あまりにも、長い、冬だ。

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 これは、一昨日の午後。この日、昼間の最高気温、5度。

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