先週土曜日。九州の、森本くん・京子さん夫妻を、十勝川温泉・笹井ホテルに、写真家の戸張良彦さんと訪ねた。コーヒーショップで長い話をした。
(きっと、わたしだけひとり、はしゃいで饒舌になっていたのだろう‥‥‥無言の老父との、息詰まる生活。昨年6月の帰郷以来、還暦をとうに過ぎたわたしが、90歳ちかい老父の面倒をみるという、老老介護の、鬱陶しくも、緊迫の日々なのだ。『いつまで続く、この地獄』、そんな生活のなか、音楽、詩歌、美術が、わかる人と話ができるのは、じつにうれしいことなのだ)
帯広畜産大学を卒業して、九州に帰った森本裕二くん。東京・大田区で生まれ育った戸張さん。戸張さんは、大学を出て、東京で撮影スタジオのアシスタントをやったあと、帯広の出版社の助っ人で北海道にやってきた。九州と東京、ともに北海道出身ではないが、あの1970年代、帯広で創作活動をはじめ、いま50代。成熟の、熟練のアーティスト(芸術家)だ。
30年数年まえ。森本くんは、帯広から故郷・九州に帰る。戸張さんは、故郷をはなれて帯広に住む。時間的に、ふたりはすれ違いになった。帯広での生活はすれ違いになった、尊敬する、この同じ歳のアーティストを会わせたかったのだ。
それは、土曜日のこと。(そのむかし、CM撮影のために、鹿追町・然別湖、ホテル福原に滞在していた井上陽水を、戸張さんと訪ねて、ロビーでコーヒーを飲みながら長話をしたことなど、思い出したりした)。
そして、翌日。12日、日曜日。
長谷川ユカさんのお店、ブルース・ハープで森本くんのライブをやった。これは、ほんとうに楽しかった。浜田さんがデビューした当時、中学生、高校生だった人や、20代のはじめころだった、熱烈な浜田省吾ファンの人たちもたくさん来てくれた。それは楽しかった。
中年になった人たちと話をしていて、だんだん、その、かってのレコード店のお客さんたちの、少年、少女のころの顔を思い出してきて、何だかひどく涙腺がゆるくなって、ときどきトイレにいって涙をふいた。
浜田さんが、函館・拓銀ホールで、ジョニー・大倉バンドの前に出演したときのバックバンド。もちろん、リードギターは、町支さんだ。だが、ほかのメンバーは、みんな帯広の人たちだった。ドラムは、やすおさん。帯広・旭楽器の田中社長だ。そのやすおさんも、ブルース・ハープの森本くんライブにきてくれた。
コタニ・アグリの社長、ご夫妻。そして、『森本裕二&ナッツ』のドラムス・佐助くん、ギターの松井くんも来てくれた。
工房・十勝・木の器の、佐々木要くん。そして、わがサウンドコーナーのマサミさんも。
じつに楽しい夜だった。浜田省吾のレコード時代の、LPとシングルのすべてのジャケットが美しく飾られたお店、ブルース・ハープは、30年数年ぶりにみんなが再会するのに、これ以上のロケーションはないほど、最適の場であった。
ブルース・ハープは、『浜田省吾だけをかける店』と聞いて、わたしが想像した、マニアックで、すこし隠微な狭い店‥‥‥とは、まったく違っていた。綺麗で広く、明るい、素敵な店だ。オーナーの、長谷川ユカさんのセンスの良さに感心した。
さすが、かって浜田さんが『第二の故郷』とまでいった、北海道・帯広。きっと日本中、こんな店は無いだろう。ブルース・ハープは、浜田省吾ファンの聖地といってもいいのではないだろうか? この店を訪ねるためだけ、その目的のためだけに、北海道旅行を計画してみてはどうだろう。
ブルース・ハープ http://www.shun.tv/gourmet/blues-harp/