Ommo's

古い曲が気になる

「Only the Lonely」と「I'm Sorry」

2019-08-31 | 日記・エッセイ・コラム

ロイ・オービソンの「Only the Lonely」は、1960年5月のリリースで7月18日にはトップ5に入る勢いだったがナンバー1にはとどかなかった。そのとき全米1位だったのは、ブレンダ・リーの「I'm Sorry」だった。



ロイ・オービソンの「クライング Crying」

2019-08-30 | 日記・エッセイ・コラム

ロイ・オービソンの「クライング Crying」は、1961年7月にリリースされ、キャッシュボックスのヒットチャートでナンバー1になった。1981年にはドン・マクリーンのカバーが英国で1位になり、1987年に発売されたカナダのシンガーソングライター、k.d.ラングとのデュエット盤もヒットした。







Welcome To My World

2019-08-26 | 日記・エッセイ・コラム

ノルウェーのアンジェリーナ・ジョーダンがエルビス・プレスリーの「Welcome To My World」をカバーしている。この曲「Welcome To My World」は、1964年7月31日、飛行機事故で亡くなったジム・リーヴスの最後のレコードでもあった。


"Knock and the door will open;seek and you will find;ask and you'll be given………"という歌詞は、新約聖書『マタイの福音書』第7章7節を元にしているのだろう。「Ask,and it will be given to you;seek,and you will find;knock,and it will be opened to you. 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

Bring It On Home to Me

2019-08-25 | 日記・エッセイ・コラム


「Bring It On Home to Me」は、サム・クックが1962年に発表した曲。アニマルズ、ゾンビーズ、ロッド・スチュワート、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ヴァン・モリソン、デイヴ・メイソン、ボン・ジョヴィなどロック・ミュージシャンだけでなくブルースやR&B、カントリー&ウエスタンなどさまざまなジャンルで、この曲をカバーしているアーティストは数多い。いわばスタンダードだ。

















「煙が目にしみる」が書かれたのは1933年

2019-08-21 | 日記・エッセイ・コラム

「煙が目にしみる Smoke Gets In Your Eyes」は、1933年、ミュージカル『ロバータ』のためにジェローム・カーンが作曲し、オットー・ハルバックが作詞をした。それから25年、プラターズが歌いリバイバルヒットをした(1959年1月ビルボード・ナンバー1)。1958年秋、プラターズはヨーロッパ・ツアーを行い、世界的に成功を納めていた。とくにアテネとパリで人気があったという。日本でも人気があった。






We Will Meet Again

2019-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

第二次世界大戦中の米英の戦時歌謡をこの時期(終戦記念日が8月15日)に聴くのは日本人として少し複雑な思いもある。だが、戦場にいる愛しい恋人や夫や息子の無事の帰還を願う女性の思いは、敵味方なく同じだ。イギリスの戦時歌謡のもっとも有名な曲は、ヴェラ・リンが歌った「We'll meet again」であろう。今もノルマンディー上陸の記念式典では大合唱になる。


スタンダードになっている「ユー・ビロング・トゥ・ミー」が、海外で従軍する愛しい人の帰還を願う思いを歌った「Hurry Home to Me」が原曲だったと少し前に書いたが、コール・ポーター作曲の「You'd Be So Nice To Come Home To」も第二次世界大戦中の1943年につくられている。「あなたが家で帰りを待っていてくれたらとても素敵」と歌う、これも戦時歌謡なのだ。この曲を最初に聴いたのは、ヘレン・メリルwith クリフォード・ブラウンの演奏だった。この歴史的名盤の「You'd Be So Nice To Come Home To」は、まるで戦時歌謡っぽくないが、1943年に録音されたダイナ・ショアのバージョンは、戦時下の不安でせつない思いが伝わる。