Ommo's

古い曲が気になる

太田良平記念館ホール 梁川美術館

2017-06-30 | 日記・エッセイ・コラム

父を看取って三ヶ月、懸案だった遺品を福島県伊達市・太田良平記念ホール・梁川美術館に寄贈することができた。

それは、わたしの祖父のブロンズの胸像だ。作者は太田良平、わたしの伯父(太田良平の妻・太田光子が、わたしの父の姉)。

つまり、ブロンズ像のモデルは、太田良平の義父になる。

 

伊達市には、太田良平の木彫、ブロンズ作品300余点を展示する太田良平記念ホール・梁川美術館がある。祖父の胸像を寄贈するので、その美術館で展示してもらえないか、と、祖父の戸籍謄本のコピーを送ってお願いしていた。

(つまり、祖父の戸籍謄本には娘・光子と福島県梁川町の太田良平の婚姻を証明する記載がある)

 

伊達市から美術館で展示しますと返事をいただいた。そんなわけで、今日やっと発送することができた。

 

 


雷門で小池百合子知事の演説を聞く

2017-06-28 | 日記・エッセイ・コラム

夕方、浅草・雷門前のauショップまで出かけた。なぜか雷門のスクランブル交差点は、すさまじい人出だ。『なんだ、なんだ、なんだ?』、台東区・浅草選出都議の宣伝カーが止まっていて、「小池百合子知事が来る!」と言っている。

なんという偶然だ。暑いけど、待ってみようか‥‥‥と、30分待った。

 

 

 

 


松梅繁梢

2017-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

このところ毎日のように鮒金で佃煮を買う。

いつも500円の ”お試しセット” 買うのだが、他のお客さんは凄まじい量を買う。きっと、遠くからやって来て、鮒金の閉店を惜しんでいるのだろう。

 

今日は、お試しセットと、きゃらぶき100g300円を買った。800円を払うと「お客さん、これを‥‥」と、大入袋をいただいた。

鷲神社で祈祷した福銭・御縁玉(五円玉)が入っているというのだ。

このプチ大入り袋をもらってとても嬉しかった。

『松梅繁梢』という四文字に戸惑った。

「商売繁盛」だろうか‥‥‥‥

 

 


きょうは、しそ昆布・まぐろ角煮・あみ佃煮

2017-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

夕方、鮒金にでかけ、佃煮を買った。(町内なのだ。サンダル履き3分ってところかな)。

きょうは、お試しセット『しそ昆布・まぐろ角煮・あみ佃煮』。この500円は、安い! じつに、安い。

まさに江戸の味、今までわたしが食べていた”佃煮”とは、まるで違う味だ。しかし、この鮒金の佃煮を堪能できる人は、近隣の住人か、閉店のニュースを知ってわざわざ来店する人たちだけだ。閉店を告げる張り紙には、発送はしない、とある。

 創業昭和2年の、老舗佃煮屋が閉店する‥‥‥‥‥後継者がいない‥‥‥‥ので‥‥‥。


美味い! 

2017-06-21 | 日記

美味い!  驚くほど美味い佃煮だ。わたしの佃煮の概念がみごとに打ち砕かれた。「いままで食べた佃煮‥‥‥あれは、いったい何だったのか?」

毎日のように佃煮屋の浅草 ”鮒金” の前を通っていて、お試しセット500円、というのが気になっていた。若い時、北海道のスーパーで売っている佃煮を食べて以来、桃屋の”ごはんですよ”のような海苔の佃煮以外好んで食べたことはなかった。つまり、”佃煮”は好きじゃなかった。

しかし、昨日、鮒金の佃煮を食べて感動した。「これが‥‥佃煮というものか‥‥‥! なんて美味いんだ! きっと、今朝炊いた佃煮だ。きゃらぶきの新鮮なこと‥‥ふきの味がきちっとあって、絶妙に山椒がきいてる」

さすが創業昭和2年の老舗の味だ。

しかし、なんと、この浅草名物の老舗佃煮屋さんが、後継者がいないので今月いっぱいで閉店するというのだ。

    浅草 鮒金  ホームページ   http://www.funakin.net/ 


雨だから、シェルブールの雨傘、かな

2017-06-19 | 日記・エッセイ・コラム

雨なので、やはり、『シェルブールの雨傘』をみたい。YouTubeで探した。

   シェルブールの雨傘(字幕は英語ね)  https://www.youtube.com/watch?v=rB8JAO50qdE

このYouTube版は、わたしが高校生のときに劇場で観たものより長い。そして、レンタルDVDで観るヴァージョンよりずっと長い。

 

音楽は、ミッシェル・ルグラン。

ミッシェル・ルグランの音楽! 凄すぎる。

雨傘屋の娘の、哀しいほどの美しさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上野公園まで歩く

2017-06-17 | 日記・エッセイ・コラム

午後4時すぎて陽射しも弱くなったので、上野公園まで歩くことにした。

午後の微風がじつに気持ちいい。(しかし‥‥‥こんな空梅雨で水田や畑は大丈夫なのか?)

 

わたしの部屋からは、言問通りを西に上がって、JR鶯谷駅前の坂を登ると、そこが東京国立博物館の裏になる。部屋から徒歩20分というところかな。

午後5時過ぎ。とうぜん閉館していると思って表門まで来ると、たくさんの人でにぎわっている。なんと! 金曜日と土曜日は、午後9時まで開館しているのだ。知らなかった‥‥‥。過って二度入館したことがあった。一度は、テツヤくんと一緒に伊藤若冲展をみるため。もう一度は常設展示の日本刀をみるためだった。

開館していても、今日は博物館のなかに入るのは、ヤメ。強烈に優れて美しい、名刀や絵画や写真をみるときには、心と体の力が必要だ。作者が作品に込めたエネルギーを受け留める、心構えがいる。

 

上野公園は、もう夕暮れだが、たくさんの人だ。

微風だが、まだ暑い。噴水前は、涼を楽しむ人でいっぱいだ。

 

夕方なのに、上野公園はすごい人。国立西洋美術館は、金曜日と土曜日は、午後8時まで開館しているのだ。これも、知らなかった‥‥‥(いつからなんだろうね‥‥‥)。

 

 

 


言問橋から吾妻橋

2017-06-16 | 日記・エッセイ・コラム

涼しくなった夕暮れに散歩にでた。今日は、言問(こととい)橋から墨田公園に下りて川風にあたることした。

沈む夕陽を映しているのは、アサヒビール本社ビル。

 

 

吾妻橋の前の交差点に浅草駅がある。四月末から浅草に住んで、この駅ビルに何度か買い物(電気屋さんがある)に来たが、来るたび、松屋浅草が入るこのビルに心ひかれる。

過って東京で働いていた時、何度もこの交差点にやって来て、駅ビルから地下鉄に乗っていた。だが、駅ビルの建物そのものに心が動いたことはなかった。

『当時、なぜ俺は、この建物の美しさに気づかなかったのだろう‥‥‥‥アホだな‥‥』と深く反省したのだ‥‥‥。

だがしかし、わたしが過って見ていた浅草駅ビルは、まったく違うデザインだったのだ。それを、今日、知った。

 

この美しい建物は‥‥「古くない!!」‥‥デザインはアール・デコ風だが、近づいて外壁をよく見ると、まったく風化、劣化してない。「これは! これは‥‥ごく、ごく最近の工事だわな‥‥」

やはり‥‥やっぱり‥‥‥検索すると、2012年、東京スカイツリーの完成に合わせて、旧ビルをリニューアルして1931年(昭和6年)開業時のビルを再現した、とある。

 

つまり、わたしが過って、北海道に戻るまで見ていた駅ビルは、これなのだ。

(ネットの中から拝借した写真)。当時、毎日のように仕事で浅草にやって来て、ここから地下鉄を乗り継いで浦安まで帰ったものだが、浅草駅ビルの記憶がまったくない。(こういうメタル外壁のビルは、わたしの記憶には残らないようなのだ‥‥‥)

上の写真の、ビルの外壁を剥がして、1931年の開業当時の姿を再現する‥‥‥2017年の、いまの浅草の風景にじつに馴染んで美しい。

 

わたしは、5年前、母の看病と認知症の父親の介護のために、東京(千葉県浦安)を出たあと、まったく関東圏の情報に疎かった。浅草の松屋のリニューアル、知らなかった。


其角

2017-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

    春をまつ 事の始めや 酉の市       其角

 

梅雨だが、気持ちのいい午後、近所を散歩した。

鷲神社に参拝して、境内をみると(いつもは暗くなってから参拝する)、樋口一葉の碑がある。

この碑と並んで、其角の句碑があった。

宝井其角は、松尾芭蕉の高弟10人、蕉門十哲のひとり。


埼玉県越生町にある私立「武蔵越生高校」

2017-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

このサッカー部コーチのやってることは、”傷害”だろ。(教育的?)体罰なんてかわいいレベルじゃない。反論、抵抗できない立場の人間を、言葉での罵倒だけなく‥‥殴る、殴る、殴る、殴る‥‥殴る。犯罪だわな。

なんで埼玉県警は、このコーチを逮捕して、起訴できるか、検察と協議しないのかね。

 

 


財津和夫さん

2017-06-13 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、九州の森本くんからのメールで、財津和夫さんが癌の治療をしている、と知った。

チューリップのオフィシャルサイトをみると、たしかに「腸閉塞及び大腸癌(下行結腸癌)」とある。

  メンバー財津和夫が体調不良を訴え、医師の診察を受けた結果、「腸閉塞及び大腸癌(下行結腸癌)」と診断されました。
  当初は「腸閉塞」とのことでしたが、精密検査の結果、「大腸癌(下行結腸癌)」と診断を受けました。
  その為しばらくの間、治療に専念させて頂くことをご了承下さい。

     チューリップ オフィシャルサイト  http://www.zaitsukazuo.com/tulip45/index.html

 

チューリップのデビューは、1972年(昭和47年)。デビューLPの「魔法の黄色い靴」のテスト盤を聴いて、わたしは、EMI(当時は、東芝音楽工業)の宣伝担当・高橋さんにチューリップの所属する事務所・シンコーミュージックを紹介していただいた。そうして、わたしは、チューリップのデビューから数年、北海道でのコンサート・プロモーターになった。その、わたしが主催する「チューリップ・コンサート」を観た若者たちは、いま、還暦を過ぎているだろうな‥‥‥‥。

 

九州の森本くんは、帯広畜産大学の学生のとき、わたしからチューリップのLP『MELODY』のテスト盤をもらった、という。『MELODY』は、1976年発売。


今夜も浅草寺を通って帰ってきた

2017-06-10 | 日記・エッセイ・コラム

今日も三十度超え(東京の最高気温は31度)。「さすがにもう涼しいだろう」と、陽が落ちてから散歩に出た。帰りにまたまた浅草寺に寄ってみた。午後7時過ぎてすっかり暗くなっているが、どれほど人がいるのだろう、と気になった。

 

仲見世商店街はシャッターが閉まっているのだが、参道は、浅草寺帰りの人たち、浅草寺に向かう人たちでいっぱいだ。