小平奈緒さん、金メダル。素晴らしい。
君が代が流れる表彰台で、日章旗を見上げる姿は、じつに誇らしく美しい。勝者だけが放つ輝きだ。
PC使えず、慣れないタブレットで苦戦している。
オリンピック、スピードスケートが、じつにおもしろいね。私たち十勝出身者は、子供のときから、歩けるようになると、冬はスケートだ。わたしの小さい時は、まず、竹スケート、そしてゴム長靴にベルトで付けるやつ、あれは雪スケートとか言ってたかな?
校庭のリンクができる前は、帯広川や十勝川の古川に早く氷が張る。そこに、子供たちが大勢集まって、危うい薄氷の上で滑った。
それは初冬の薄い氷、今思うと危険の極みだが、最初に氷が張った池や川には子供たちが集まったものだ。帯広競馬場近くの山田養鯉場の池で薄氷を踏み抜いた子がいたりしても、子供たちは大笑いをして滑り続けた。鯉を養殖する浅い池なのだ。あの戦後間もないころ、親も子供がどこで遊んでいるか気にしない。夕飯までに帰って来ればいい。呑気な時代だった。
何百万人もの日本人が死んで、すさまじい数の子供が生まれた時代。誰もみな貧しかったが、粗雑だがやたらの元気な時代でもあった。
今、帯広には、国際大会に使う素晴らしいインドアリンクがあるようだが、5年戻っていて、一度も行かなかった。残念だ。小さい子どもたちが、オリンピック選手のようなフォームでリンクを回る姿を眺めているのが好きだったのだが。小学生の娘が、スケート少年団だった。グランドのリンクに、夜明けまで水をまいたりしたものだ。
十勝の学校では、いまも、冬の体育はスケートだろうか?