大潮の上げ潮にのって、東京湾からもどってきた屋形船。
(マイケル・ジャクソン死亡、とネットのニュースのある。ほんとか?)
細い月が美しい夜だ。短パン、半袖で川辺を歩くと、すこし冷たいくらいの川風に吹かれて、気持ちがいい。
三菱自動車をやめて、さまざまなアルバイト仕事をやってきた。50才も近かったので、ろくな仕事にはありつけなかった。羽田空港ちかく、東京湾岸の工業地帯にある、日東製缶で働いたことがあった。点滴用のブドウ糖液をいれるビニール・ケースの製作だった。週払いのバイトだ。
わたしは、川崎市の宿河原にすんでいた。朝、JR南武線にのって川崎駅まででる。川崎で、京浜急行・大師線に乗り換える。産業道路駅でおりて、国道409号線まで歩くと、会社の送迎バスが迎えにくる。だいたい朝6時すこしまえに部屋をでると、8時の作業開始に間にあう。
まだバブルのなごりがあったから、残業は午後7半まであった。つまり、夜勤のバイトと交代するまで作業はつづいた。2交代で生産が止まることはない。10時と15時、10分の休憩が2回ある。それと45分の昼休みだ。わたしが一番のおっさんで、若者たちばかりだった。三十人くらい配属されていただろうか。製造も検査も、すべて週払いのバイトたちだけで作業が進められた。溶けたビニールをあつかうから熱いつらい現場だ。
そうして、一日の仕事を終え、夜、工場のまえから、疲れはててバスにのる。道路の沿線には石油の精製プラントがある。明かりが煌々と点いた巨大な工場群は、SF映画のようで、とてもこの世の光景ではない。ところどころからガスを燃やす炎が吹きあがって、じつにシュールだ。
(夜、羽田空港に飛行機がおりるとき、上空から、この石油精製工場の夜景がよくみえるはずだ)。
バスの窓から、そんな石油精製工場の夜景をながめていた。「ぼく、火の玉をよく見るんです」と、とつぜん、隣に座っていた青年が話しかけてきた。「え?」、わたしは、とつぜんの攻撃に動揺して、返答に窮した。
「ぼく、子供ときから、とぎどき、火の玉を見るんです」、「はあ、そうですか」。なんどか社員食堂でみかけた青年だが、話したことはない。職場の部署もちがった。青年は、話をつづけた。
「その夜も、アパートのトイレに行こうとすると、ドアのところに、青い火の玉が浮いていたんです。そのとき、田舎で、お母さんが死んでいったんです」と、言って黙りこんだ。泣いていた。青年は、声をあげず、すすり泣いていた。
わたしは、なにも言えず、バスの窓から、石油プラントの吹きあがる炎をながめていた。泣きたい気持ちは、よくわかる。
ゴスペルの世界から、最初にリズム&ブルースのスターになったのは、なんといってもサム・クックだろう。サム・クックは、黒人だけではなく白人のあいだでも、スーパースターになった。とうじ、サー・デューク・エリントン以外、白人専用のニューヨーク・コパ・クラブに出演した黒人は、サム・クックだけだった。長身、ハンサム、美声。子供のことからゴスペルでつちかった表現力、リズム感。どれをとっても、卓越していた。そしてなにより、すぐれたソングライターだったのだ。
サム・クックは、人気の絶頂のとき、白人にピストルで射殺された。
他国の選挙なのに、日本のマスコミが浮かれたようにはしゃいた、アメリカ大統領選挙の、オバマが使っていた、Change Gon' Come は、サム・クックの名曲だ。かって、人種偏見のすさまじいアメリカで、こういう歌を作り、歌う。そのサム・クックの勇気に頭がさがる。
サム・クックがいて、マルカムXいて、カシアス・クレーがいた。
1964年にサム・クックが射殺され、
1965年2月21日に、マルコムXが、演説会場で、散弾銃でこなごなに撃たれて死ぬ。
キング牧師が射殺されたのは、そのあと、1968年のことだ。
サム・クック Twistin' The Night Away http://www.youtube.com/watch?v=f0aLkdi3GQo&feature=related
(オバマ大統領は、アメリカ奴隷黒人とは、なんの関係もないアフリカ系アメリカ人だろうな。オバマは、アフリカからハワイの大学に留学した父と、そこの白人女子大生が母だ。祖父母にだれも奴隷はいないだろう)
写真家の戸張さんのサイトに、足寄のラワンブキと、オンネトーの、湯の滝のテラピア駆除の写真がある。http://www.y-tobari.jp/topics/?ct=1
戸張さんの写真でみるとおり、ラワンブキは、フキなんだが、人の身長を超える強大なフキだ。もちろん、食用になる。でかいが、美味い。足寄の螺湾(らわん)地区で自生している。いまは、栽培もされている(先日テレビでみて、はじめて栽培している若い農民がいることを知った)。
足寄町の螺湾地区とは、足寄から阿寒湖へいく途中にある。雌阿寒岳の麓だ。冬の積雪も深いし、寒さもきついところだ。
小学5年の夏休み、父と母と弟の4人で、阿寒にいく国道でバスをおり、湯の滝まで歩いて、キャンプをしたことがあった。オンネトーの野中温泉からの林道は、もう荒れていて、草が、小学生だったわたしの胸まで伸びていた。
(ずっとあとになって、じぶんの車でいってみて、「湯の滝まで車が入れる! 」と、驚いたものだ)。湯の滝のあたりは、ラワンブキのジャングルになっていて、視界がきかず、恐ろしいところだった。(ヒグマの生息地なのだ)。
湯の滝には、かって木こりたちの飯場があったので、滝の下のちょうどいいところに、木製の浴そうが残っていた。ラワンブキのジャングルのなかに、雪につぶれた飯場の残骸もまだあった。そこに残っていた薪を拝借して、たき火をして、飯をつくった。湯の滝の温度には驚く。なんの調整もしていない自然の滝の温水が、まったく適温だ。熱すぎない。
ずっとあとになって、じぶんで車でいったときは、もうすべてが変わっていた。ラワンブキのジャングルは、消えてなくなり、もちろん飯場の残骸もなく、きれいに整地されていた。観光地になっていた。もう秘湯でもなんでもなかった。
じぶんも、車でいっているのだから、なにも言えないが、愕然としたのは、湯の滝から流れる小川に、びっちり魚がいたことだ。テラピアだ。こんな北海道の山奥の、国立公園のなかにまで、熱帯の魚を持ちこんで放流するやつがいる。この人間のゆがんだ欲望。いったい何なんだろう? 釣るためでも、食うためでもない。ただ愉快だからか?
ブログの背景を変えた。暑いので、すこし涼しげに。
マイケル・ジャクソン ベンのテーマ http://www.youtube.com/watch?v=46rGlj8--Xk&feature=related
ジャクソン5 http://www.youtube.com/watch?v=-16fDpOW948
ジャクソン5 I'll Be There http://www.youtube.com/watch?v=_4QyZH0EXcQ&NR=1
マイケル・ジャクソン スリラー http://www.youtube.com/watch?v=cIqj0xD7VCY