Ommo's

古い曲が気になる

陽水・帯広

2014-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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 九州の森本くんは帯広畜産大学生のとき、わたしが主催した井上陽水コンサートを観た、という。そのポスターを鮮明に覚えている、という。

 (このポスターは、帯広・CLUODの加藤社長が綺麗に保存していて、写真家の戸張良彦さんに複写・撮影していただいた)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジョニー大倉さん、逝く

2014-11-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ジョニー大倉さんが亡くなった。享年62歳という。

 

  ジョニーはチャーミングなやつ、ミッキー・カーチス追悼 http://www.oricon.co.jp/news/2045109/full/

  肺がん闘病中のジョニー大倉 奇跡の復活ライブ http://www.oricon.co.jp/news/2036315/photo/1/

 

ルイジアンナ

ファンキー・モンキー・ベイビー

 

 きょう少し前、札幌の鈴木さんから『享年62歳ですか………』と、ただそれだけのメールをいただいた。

 その短いメールに込められた、鈴木さんのいろんな思いが、なんだか、わたしもわかる。

 

 キャロルが、フォノグラム・レコードからメジャーデビューして解散する短い期間(キャロルは3年しかやってない)、鈴木さんは、日本フォノグラムの道東担当の営業マンだった。そして、わたしは、道東・帯広のレコード小売店にいた。

 わたしたち小売店に、革ジャン・リーゼントのロックバンド、キャロルを売りこむレコードメーカーの営業が、鈴木さんの仕事だった。

 

 きっとレコードメーカーの営業の人たちと、わたしのような小売店の売り手と、ミュージシャン・アーティスト・アイドルに対する少し複雑な思いは、似ているのではないだろうか。

 楽しむべき音楽であるが、まず、すでに出来上がった商品であるから、好き嫌いでは聴かない。”売れるか、売れないか”、いつも、それが問題だ。その商品を売って、わずかな利益を上げ、生活している。飯を食べ、子供たちを育て、そして、酒を飲む。

 

 レコード・メーカーの営業の人たちは、その自社商品の出来不出来ではなく、すでに制作されたものを売ることがテーマで、それで社内の自分の評価が決まる。

 

 

 キャロルが解散したあと(1975年)、ジョニー大倉と矢沢永吉が、それぞれソロデビューする。ジョニーさんも、矢沢さんも、北海道のプロモーターは、わたしだった。(

 

 ソロになった矢沢永吉を北海道でやってほしい、と電話で依頼してきたのは、京都・サウンドクリエーターの清水さんだった。お会いしたことのない人だったが、リボンの奥田さんの紹介だという。奥田さんとは、モップス、井上陽水と何度か一緒に仕事をしていた。

 今ではまったく信じられないことだろうが、キャロル解散後すぐの、矢沢永吉のソロ・コンサートは、道内どこも不入りで、わたしはとんでない赤字をくらった。

 少しあとのこと。京都・サンクリの清水さんから別のオファーがあった。矢沢ソロで迷惑をかけて申し訳ありません。中村雅俊コンサートのブッキングをしているので、北海道をやりませんか? と、そんなわけで、中村雅俊さんの初期の北海道のプロモーターになったわけ。ツアーバンドのドラム、アイ高野さんと毎晩飲んだ。

 

 アイ高野さんは、「好きさ、好きさ、好きさ」のカーナビーツのドラムでボーカル。

ファースト・アルバム&モア

 

 わたしが、中村雅俊・北海道コンサートツアーのプロモーターとして、アイ高野さんとお会いしたとき、テレビでみていたアイドルバンドのドラムス&ボーカルとまったく違う人だった。まさにプロフェッショナルなドラマーだ。(このことは、以前にも書いたかも知れないが、アイ高野さんのことは、もっと調べて、またいつか書きたいな。)

 

 キャロル解散後、ジョニー大倉さんの、北海道でのブッキングをやるようになったのは、フォノグラムからのオファーだったのか、ジョニーさんの事務所からの話だったのか? 不思議になぜか、さだかでない。(わたしは、興行の仕事上で細部を思い出せないことは、ほとんどない)。

 

 北海道の、ジョニー大倉ライブの最初は、函館の北斗電気のイベントだった。会場は、函館・拓銀ホールだ。

 

 前座が、浜田省吾&帯広バンド、だった。

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 この函館の北斗電気のイベントのあと、ジョニー大倉・ライブを北海道で組んだ。打ち上げで毎晩、毎晩、ジョニーさんと飲んだ。

 

 

 

 

 


”江戸一” の佃煮とボージョレ・ヌーボー

2014-11-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 札幌の鈴木さんから、”江戸一” の佃煮の数々が届いた。札幌に出かけた弟に託してくれたのだ。

 この東京・築地 ”江戸一” の貝と小海老の佃煮を肴に、ボージョレ・ヌーボー 2014 を飲んでいる。このワインは、タクシー会社に勤める、わが帯広三条高校の後輩の方が、昨夜、届けてくれた。「ワインが好きだと聴いてましたので……………」と。

 

   東京・築地 江戸一 http://edo1-iida.p-kit.com/


ブラック・レイン、そして夜叉

2014-11-21 | 日記・エッセイ・コラム

ブラック・レイン デジタル・リマスター版 ジャパン・スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

 『ブラック・レイン』、松田優作さんの存在感は、それは凄まじい(この撮影のときすでに、末期ガンだった。この映画は、”松田優作主演映画” といっても過言ではないだろうな)。だが、健さんの演技も素晴らしい。

   The making of "BLACK RAIN"  Part 2 http://www.youtube.com/watch?v=NDT6zP2W858

 明日は、『ブラック・レイン』と『夜叉』を観ようかな。

 『夜叉』予告編 http://www.youtube.com/watch?v=agSGos6fkZc

夜叉 [東宝DVDシネマファンクラブ]

 高倉健・田中裕子  夜叉 http://www.youtube.com/watch?v=Bkk0LYrMhYA

 

 トゥーツ・シールマンス&佐藤允彦 『夜叉』サントラ http://www.youtube.com/watch?v=jJ5NEwbHcyc


花を飾る

2014-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 週に何度か花屋で、母のための花を買う。

 

(もう、三回忌法要が終わって3ヶ月もたつのだが、父が、「俺が死ぬまで家に置いておいてくれ」と、なんだかひどく強く言うので、母の遺骨は納骨してない。

 わたしは、49日、あるいは一周忌……そうした、ある区切りで、けじめをつけて、母の供養のためにも納骨したいと思っていた……。母は、きっぱりとした人で、時間・約束にきちっとした性格で、妙な未練も嫌っていた。焼いて残った骨は、お墓にいれてくださいね、と。

 余命を自覚して、抗がん剤治療も放射線治療も、自ら止めて、きちっと身辺整理をして、冷静に、みごとに自らの臨終をうけいれた人だ。

 その母を看取って、49日には墓に納骨してやりたい、と思っていた。そして、小さい骨壺に分骨して、それを持って東京に帰ろう、と……。

 しかし、父が、「なにも、あわてることはない。49日に納骨しなきゃならんなんて決まりはないんだ。俺が死んだとき、一緒に墓に入れてくれ」と、妙にヒステリックに言い張る。それを無視して強行することもできる。しかし、なんだか立場の弱い、もう行動力もない、年寄をいじめるようで気が引ける。

 そんなわけで、母の遺骨は、いまも家にあって………わたしもまた、帯広帰省3回目の冬を越す)。

 

 北国の、冬の日暮れは早い。鋭利な星空の下、散歩がてらの買い物で出る。帯広三条高校の前のスーパーまで20分くらいかな。顔の一部しか露出してないのだが、頬が痛い。マイナスの大気で、風が強いから、いったい、わがヤワ肌は、どれほどの寒気に耐えているのだろうか?

 

 話はどんどん飛んでいったが、テーマは、花だった。

 

 スーパーに行くと、入ってすぐの花屋さんで母のための花を買う。そして、時々、じぶんの仕事机に飾る花を買う。

 

 今夜は、白い花を買った。

 

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 稀代の名優、高倉健さんのご冥福をお祈りします。

 

   かってのレコード屋のわたしは、江利チエミさんの『テネシー・ワルツ』を聴いて、また、泣く。

 高倉健さんと江利チエミさんは、1959年に結婚して1971年に離婚した。江利チエミさんの身内が起こした横領事件で、数億の借金をかかえ、映画スターの夫に迷惑がかからないようにと、チエミさんのほうから離婚を申し出た……といわれる。

  江利チエミ  テネシー・ワルツ http://www.youtube.com/watch?v=Ref05eIzNpI 

 そのあと、ふたりは、生涯独身だった。

 江利チエミさんは、1982年、45歳で亡くなった。ライブショーで歌ったあと、自宅マンションのベッドで、酔って吐いた吐瀉物で窒息した、ともいわれる。孤独な死だ。翌日もライブのステージがあったという。

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高倉健さんが亡くなっていた

2014-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

 高倉健さんが亡くなった。

   高倉健 網走番外地 http://www.youtube.com/watch?v=R38jDG07fPE

 

   高倉健 唐獅子牡丹 http://www.youtube.com/watch?v=Lf2HqsCoA0w

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   江利チエミ 唐獅子牡丹 http://www.youtube.com/watch?v=W_EeKi426R8

 

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 任侠物のヒットからずいぶん経って、『夜叉』のとき、健さんはふたたび、彫り物ムンムンで登場する。こんどは、唐獅子牡丹ではなく、背中には、夜叉がいる。

 

 

 この前の日曜日(16日)のこと、高倉健さんが10日に亡くなっていたとはまったく知らず、弟とワインを飲みながら、また、映画談議になった。「高倉健は、いいよね」と同感した。とくに弟は、子供のときから任侠映画が好きなので、健さんのコアな熱烈ファンなのだ。

 

 わたしも、『駅』『夜叉』の健さんが好きで、「俺も、人生あとわずかだろうから、最後にグレて、方耳にピアスをして、方腕だけでも、夜叉の健さんみたいな和彫りの彫り物を入れようかな」と、半分酔った冗談で言った。

 すると、弟は、「その、スキンヘッドの人相に合ってるし、今さら、誰も驚かないから、やったら…」というではないか。


とんでもなく寒くなってきた

2014-11-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 とんでもなく寒くなってきた。(昼でももう、水たまりは凍ったまま、テカテカ、もう来年4月まで解けない)。

 日が暮れてから、散歩がてら買い物にでる。完全武装の冬装備だ。二重のニットのネックウォーマー、ニット帽に、ダウン・ジャケット。下は、アウトドア作業用のタイツ、Gパン。(もう少し寒くなると、外に出るときは、ジーンズのズボンを脱いで、タイツの上は、キルティングのオーバーズボンにする。そのほうが空間ができて暖かい)。

 

 これからまた、毎日のような雪かきと、零下20度の冬が、本格的にはじまる、と考えるだけで、なんだか、ひどく気分が滅入る。

 

 

 そんな夜は、YouTubeで、なでしこジャパンの動画をみる。最高に楽しいのは、やはり、2011年のワールドカップ決勝、対アメリカ戦の歴史に残る名勝負、そして、PK戦だ。わたしは、なんど見ても感動して泣く。

 当時、日本のテレビでは決して放映しないし、バカ騒ぎしたワイドショーの話題にもならなかっただろうが、女子サッカーらしい、じつに美しいシーンがある。

(知ってる人は知ってる、ドイツ・ワールドカップの名シーンだ。アメリカのメディアも、この宮間さんのスポーツマンシップを称えていた。日本のテレビ・新聞のマス・メディアは、反日本だから、こういう日本人らしい礼儀正しい行動は、報道しない)。

 

 熊谷選手がPKを決めて、なでしこジャパンが優勝した瞬間、選手たちは抱き合って歓喜にわいた。そのとき、宮間あやさんは、自分のチームではなく、まず、戦った敵、落胆するアメリカ選手のところに行って、健闘をたたえて、ひとりひとりとハグをする。

 

   宮間あやW杯優勝の瞬間 http://www.youtube.com/watch?v=syvFaWIydy4

 

 このすぐあと、宮間さんの行動に返礼するように、アメリカチームの名ストライカー、ワムバック選手が、歓喜のなでしこジャパンのところにやってきて、日本のメンバーたちと握手をする。敗者が、勝者を祝福するわけ。

 この戦いは終わった。「わたしらこそ最強だが、あんたらも小さい体でよくやったわ。凄いわよ。今日は負けた。でもね、次は手加減しないわよ。メッタメッタにしてやるわよ!」と、いう感じの握手だと、おもしろいな……………。(たしかに、翌年、ロンドン・オリンピックでアメリカに負けた)。

 

 勝者が敗者の健闘をたたえてハグする。敗者が、勝者の勝利を祝って握手をする。こんな、騎士道、武士道みたいなことが、日本の男子サッカーにもあるのだろう?

 

 

 サッカーをやって食べていける女子は、世界でも少ない。日本でも、なでしこリーグのチームの選手たちのほとんどは、仕事をしながら、学生をやりながらプレイしている。アメリカやイギリスやドイツに、女子のリーグはあるが、その選手たちがどれほどの収入があるのか知らない。でも、海外でも、リーグは解散しては、またできる、という状態だから、女子サッカーが苦戦しているのは、ヨーロッパもアメリカも、日本とそんなに変わらないだろうな。

 

 日本では、ワールドカップで優勝して話題になるまで、日本女子代表の国内合宿や海外遠征費は、自己負担という過酷な世界だったようだ。親や職場に迷惑をかけている、という負い目をもちながら、ただサッカーが好きだ、という情熱でやっている。それが女子サッカーなんだ。ヨーロッパでもアメリカでも、世界中、ほとんど同じだろう。

 もちろん、プロのリーグとして、いくつものチームが生きていくには、興行として商売が成り立たないとイカン。おもしろいから、楽しいから、お客はお金を払って観に来る。お客が集まって、スポンサー企業がコストに合う宣伝だと銭を出して、こうして、プロリーグは、成り立つ。現場に集客力がないと、ダメだ、基本的に。

 

 日本の女子サッカー、なでしこリーグは、スタジアムでライブで見ると、ほんと、おもしろい。中学とか高校でサッカーに熱中したが、今はテレビ観戦だけのサッカー好きが見ると、目から鱗が落ちる。この、汚れたココロが洗われる。

「こんなふうに、一途にサッカーをやったこともあったな、俺も……………」とか、そして、「なんてタフで、巧いんだ、この、小柄な女の人たちは!」と、ひどく感動する。

 

 だから、わたしは、サッカー好きの、お父さん、おじさん、お兄さんたちに、一度是非、なでしこリーグのライブのスタジアムに足をはこんでほしい、と、切に思う。ほんとうに、おもしろいんだよ。

 

  宮間あやさんと川澄奈穂美さんの、ウォームアップ http://www.youtube.com/watch?v=jrD_avc-7jw

 ウォームアップも、このふたりは見せてくれる。じつ楽しい。プロだ。キックオフ直前、スタジアムのお客が見てるなかでのウォームアップ。


レッド・ツェッペリン

2014-11-13 | 日記・エッセイ・コラム

Led Zeppelin

       レッド・ツェッぺリン You Shook Me http://www.youtube.com/watch?v=C5arxGd_GPQ

 

 

 木曜日。木曜日の楽しみは、週刊新潮と週刊文春の発売だった。

 しかし………北海道・帯広では、土曜日の発売だ。やや30年ぶりくらいに、北海道に帰ってきて、まず最初、残念だったのは、この二誌の発売日が遅い、ということかな。

 わずか中一日、3日の問題なのだが、一週間は7日しかない。この2日の遅れは大いなる問題なのだ、わたしには…………。なにか、むかしラーメン屋にあった、ちょっと手垢で汚れた、数週間前の週刊誌を読むような気分になる。

 北海道にもどった当初は、本屋やコンビニですこし、目次を立ち読みしたりしたが、もうすでにネットでその記事は話題になっているので、とうぜん、その週刊誌は、もう買わない。

 北海道にもどって2年と5カ月。もう、土曜日でも、それら週刊誌を本屋やコンビニで手にすることはない。完全に白けている。

 ネット通販では、道東にいるという不便を感じず配達される。出版社の本の流通システムは、あまりに傲慢ではないかい? 印刷された週刊誌を、首都圏と同じ時間感覚で、日本全国に配送することは、今の時代、できるだろう? 自宅まで配達してくれ、といってるわけじない。コンビニや本屋には、自分の足で歩いて行くのだ。(わたしは東京で、この、印刷屋から全国に発送する現場仕事をしたこともある。派遣の日銭仕事だ)。

 

 わたしがむかし関わっていたレコード業と、出版業、この末端の商売(つまり、レコード屋と本屋)は、知らない人は似た形態の商売だと思うらしいが、まったく違う。本屋は、委託された本を売る。レコード屋は、買い取りだ。

 つまり、本屋は、店頭で売れた本の代金を問屋に支払う。売れなかった本は、返品する。レコード屋は、店頭にならべている商品(レコード)は、買い取って、メーカーに支払いをしたものだ。(7掛け、月末締め、翌月10日現金払い、というのが、レコードメーカーとの契約条件だった……かな‥‥‥‥)。小売業としては、利の薄い、非常に過酷な商売なのだ、じつは…………。

 

 私立大学がいくつもあるような、若者の密度の高い街では、面白い商売ができるのかもしれないが、わたしは、帯広畜産大学と帯広大谷短期大学という、きわめて学生数が少ない街でレコード屋の店長になった。とうぜんだが、大事なお客さんは、中学生と高校生だ。

 

 

 レコード・メーカーの営業マンには「店長、店長」といわれたが、店員は、わたしともうひとりの女性だ。am10-pm9、年中無休、という店だ。スタッフの女性が休みのときは、わたし一人、営業時間11時間、店に立つわけ。

 トイレは、隣の果物店みよし屋さんに声をかけて、地階の喫茶ラタンのトイレに走る。昼飯・夕飯は、当時中学生だった、いま宮坂建設社長・宮坂寿文さんや、CLUOD社長・加藤光邦さんが、学校帰り店に立ち寄ってくれるのを待って、「すぐにもどるから、ちょっと店番してね」と、立ち食いソバやインディアンカレーに走る。

 そんなことを3年くらいもやっていたろうか? ロックや日本のフォークソング(ニューミュージックかな)を売ろうとしていたのだが、北海道・帯広では、1968年からはじまったわたしの試みは、大苦戦だった。

 

 

 BSのNHKとTBS、ふたつの番組で、ツェッペリンの『天国への階段』をみた。長く残る名曲なのはたしかだ。わたしは、ロバート・プラントの歌詞と、その歌声に、聴くたびに感動する。

 

 

 レッド・ツェッぺリンは、わたしがレコード屋になったときにデビューした。(もちろん、ヤードバーズの進化形だ。)

 

 このツェッペリンのファースト・アルバムのテスト盤は、衝撃だった。

 わたしは、ガリ版刷りでDMハガキをつくった。(いまでは信じられないことだろうが、コピー機は無いし、印刷屋に発注するには高い。この時期わたしは、500枚以内のDMハガキは自分でガリ版で刷って、カラーの水性サインペンで1枚づつ彩色した)。

 そして、このレッド・ツェッぺリン・ファーストのテスト盤をわたしの店のお客さんに聴かせた。発売前に、ファンファンという店を借りて、レコード・コンサートを開いたのだ。

 いまでは信じられないだろうが、中学生、高校生がいっぱい集まって、楽しんでくれた……ただ、レッド・ツェッぺリンの新譜レコードを大音響で聴く、ということで……………。

 

  レッド・ツェッペリン Good Times Bad Times http://www.youtube.com/watch?v=auYKJTv94Tg

 

 

 

 

 


今夜は、なぜか、ローラ・ニーロ

2014-11-11 | 日記・エッセイ・コラム

イーライと13番目の懺悔

  ローラ・ニーロ Stoned Soul Picnic http://www.youtube.com/watch?v=N1CfSgsvqJE

 

 今夜はなぜか、ローラ・ニーロを聴いている。

  ローラ・ニーロ Eli's Coming http://www.youtube.com/watch?v=iX5AanHQS1g

       ローラ・ニーロ Wedding Bell Blues http://www.youtube.com/watch?v=jRhAtCjPGcM

 

 ローラ・ニーロは、1997年4月、癌で亡くなった。49歳だった。

New York Tendaberry (Exp)

 

 ローラ・ニーロは、北海道・帯広駅前、7坪のレコード屋としてのわたしには、開店初戦の、苦戦の時代の思い出深いアーティストだ。

「好きなアーティストは、売れない……」という最初の苦い経験でもあった。そして、この人口が少ない狭いマーケット(帯広市は16万人、十勝全体で30万人)で、ポップ・ミュージックのレコードを売って、どうやって生きていくのか? 考えさせられた。

 

 ローラ・ニーロのアルバム『イーライと13番目の懺悔』は、わたしがレコード屋になったばかり、1968年の発売で、レーベルはCBSソニーだ。わたしは好きなアルバムで、いろいろDMハガキを作ったり、ディスプレーを工夫したりして売ろうとしたのだが、ちっとも売れない。中学生だった宮坂くん(現・宮坂建設社長)が気に入って買ってくれたくらいだったろうか?

 翌年、サードアルバムの『ニューヨーク・テンダベリー』が売れ出して、過去のアルバム『イーライと13番目の懺悔』『More Than a New Discovery』も、少し売れるようになってきた。「やっと、ローラ・ニーロの素敵さが、わかったのかい?」という気分ではあった。

        ローラ・ニーロ And When I Die http://www.youtube.com/watch?v=XCvwDjgKPoc

 

 

 ブラッド・スエット&ティアーズのヒット曲、 And When I Die は、ローラ・ニーロの曲だ。

  ブラッド・スエット&ティアーズ And When I Die http://www.youtube.com/watch?v=vu7XWgczC7o

 

  YouTubeでみつけたこの曲のカバーでは、オランダのシンガーソングライターでピアニスト、ジャクリーン・ホーフェルトの、女性3人のアカペラが、じつに素敵だ。

   ジャクリーン・ホーフェルト And When I Die http://www.youtube.com/watch?v=LR-WBEohxAU

 

 ”たとえ私が死んでも、また、ひとりの子供が産まれ、世界はつづいていくでしょう”(死ぬことを、そんな、怖がることはないのよ)と、この時、二十歳前後のローラ・ニーロが歌う。そして、この50年も前の曲を、今の時代の、若い女性たちが歌う。いいね。

 

 

 


中年になって、”ユニック”の威力をみた

2014-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

 

 きょう、北海道・千歳で、クレーン車が電信柱10数本を倒した、というバカな事故があった。

 

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 正確にいえば、事実は、”クレーン車”が起こした事故ではないようだ。

 ユニック車を積みこんだ大型トラックが、そのユニックのブームを立てたまま、走り出して、道路を横断する電線を引っかけた。引っかけても気づかず、なお走行した。で、バタバタと12本の電柱を引きづり倒した。と、いう愚かな事故だ。

 

 いまや電信柱が支えている、街を走る電線類は、電気の線だけじゃない。昔からのメタルの電話線、光のファイバーケーブル、ケーブルテレビのライン。ただ停電だけではなく、たとえ自家発電装置をもっていても、光ファイバーが切断されれば、事業所や工場、病院などコンピュータを使う仕事はアウトだろう。

 この愚かなトラック運転手が引き倒した電信柱に、どれほどの人たちが依存しているか。それが”今”の時代だ。とくに北海道の暖房は、電気に頼っている。燃やすのは、灯油だが、それらのストーブ、ボイラーは、電気で駆動している。いまや北海道は、電気がないと越冬できない。

 十年くらい前だろうか? 旧江戸川を東京湾に下るクレーン船が、ブームを立てたまま下流に向かって航行して、江戸川を横断する送電線をブチ切ったことがあった。江戸川区、江東区など人口密度地を長い時間、停電させた。

 

 

 しかし、わたしは、建築、解体作業の現場で、この”ユニック”というトラックをみて、いつも『すごいな』と、感心していた。『これを考えて、製品にした人たちは、凄いな』という思いだ。

 わたしは、レコード店とか、音楽のプロモートとか、建築の現場と無縁で生きていたが、中年になって、現業の世界で、この”ユニック”をみた。

 トラックの運転手が、一人で、とんでもない重量物をつりあげて、積みこむ。これは、じつに画期的なことではにないかい? そのドライバーは、華奢な男でも、女性でも、できるんだ。手元の小さいリモコンで、操作ができる。

 わたしは、東京で建設現場のガードマンのおっさんをやっているとき、この”ユニック”を考案して製品化した会社は、すごいな、と思った。(わたしは、音楽業界が長かったから、まったく、知らない世界だったのだ)。

   古川ユニック http://www.furukawaunic.co.jp/

 

※この千歳の事故、北海道のテレビの映像では、ブームを立てたままのユニック車を、10トンくらいの大型トラックに積んでいるようにみえる。大型トラックの荷台の高さ+ユニック車+ブームの長さだ。これで、道路を横断する電線の下を通過できる、と考えたわけだ。この感覚は、まったく理解できない。普通じゃないな。

 

 

 

 

 


Moon River 

2014-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

 

 映画『ティファニーで朝食を』オープニング http://www.youtube.com/watch?v=1JfS90u-1g8

 ヘンリー・マンシーニの曲は、みごとに美しい。

 

 映画のオープニングでは、いまも、わたしには、最高だ。

 

 

 しかし、歌詞は、わたしの英語力では、いまも、なかなか、不思議なのだ。

Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me 

 

  オードリー・ヘップバーン Moon River http://www.youtube.com/watch?v=BOByH_iOn88

 

 満月から欠けていく月だが、美しい月だ。快晴の北海道・十勝の夜空、星と月を見ながら、歩く。これが、楽しい。


今夜は、ビージー・アデール

2014-11-08 | 日記・エッセイ・コラム

 

  ビージー・アデール Moon River http://www.youtube.com/watch?v=U3JPI4YtFiQ

 

 昨夜は、まず温泉だった。

    ふく井ホテル http://www.fukuihotel.co.jp/

 

 札幌の鈴木さんが仕事で道東にくる、というので、楽しみしていた。宿は、帯広駅前・福井ホテルなので、「まず、地下の温泉に入って、二階のレストラン・バイプレーンで食事は、いかがですか」と、お誘いをうけた。

 泊り客じゃないから、ホテルの社長・山田さん、フロントの秋元先輩の許可をもらって、大浴場を満喫した。

(帯広三条高校のこの両先輩は、同じ高校の卒業生という、そういう甘い先輩後輩関係ではないのだ。わたしが1年生のとき、お二人は3年生。同じ時間に、あの高等女学校からの旧校舎で学んだ、というだけじゃない。わたしらは、体育会系だ。

 わたしは、山岳部でサッカー同好会。レコード屋やプロモーターで苦戦しているとき、わたしを気遣ってくれる先輩たちは、かっての帯広三条高校の山岳部で応援団、ラグビー部だった。

 同じ三条高校だけじゃない。帯広柏葉高校の山岳部部長で応援団長の宮田さん、帯広南高校山岳部長の吉田さん、帯広工業高校山岳部長の中村さん。この先輩たちに、社会人になって、帯広駅前でレコード屋をやっているときも、気にかけていただいた)

 そんなわけで、昨夜は、ふく井ホテルの温泉からはじまった。鈴木さんと、まさに、裸のつき合いなわけだ。

(もう30年以上も前、厳冬期、CBSソニーの高市さんも一緒に糠平温泉行ったことがあった。四国出身の高市さんが、ダイヤモンドダストをみて、ひどく感動していた。今も記憶にある。雪も降らない南国に生まれ育った人に、零下30度の凍結したカリカリの大気は、衝撃だったのだろう。

 このCBSソニー初期の営業マン、高市さんと話していて、『二人の夏』の「愛奴」の浜田省吾、ソロ、いいですね、やってくれます、やりましょうか、と、わたしは、浜省のプロモーターになっていくわけ)。

   愛奴 二人の夏 http://www.youtube.com/watch?v=zERXl7iB4Y0

 

 

 また、浜省のはなしになってしまった。だが、今夜は、ピアノ・トリオのことなのだ。

 

 わたしは、北海道にもどって、父親の介護をしながら、ときどき、夜の街に出る。東京にいるときは、二度と音楽に関わるな、と暮らしていた。だが、(つまり、わたしは、音楽愛好家とか、ましてやプレヤーの側じゃない。音楽は、お金を稼ぐための手段という、ビジネスサイドのプロだ。だった。そして、真摯で、いい音楽ほど売れない、というが、わたしの思いだった)

 しかし、帯広にもどって、月に一度くらい、街に出ると、やはり音楽をやってる店で飲みたい。

 

 その酔っていくB♭M7で、ナナちゃんという、素敵なピアニストに会った。古村敏比古さんの”疑惑のスタンダード”帯広で、ピアノを弾いている女性だ。

 

 そのナナちゃんのピアノが好きで、それで、最近、なんだかピアノ・トリオをよく聴く。

マイ・ピアノ・カヴァーズ~ビューティフル・バラード~

    ビージー・アデール Fly Me To The Moon  http://www.youtube.com/watch?v=HsJavr4AI5M

 


喪中ハガキが届く季節だ………

2014-11-06 | 日記・エッセイ・コラム

 

 一つ年上の従兄が今年4月に亡くなっていた、と喪中ハガキが届いた。この従兄とは子供のころ、齢も近いのでよく一緒に遊んだ。大人になってからは、お互い社会人の違うサッカーチームに入っていたので、日曜日の早朝、なんども対戦した。

 

 彼は、FWで、対するわたしは、右のバックだった。(バックスというポジションもわたしはメチャクチャすきなのだが、高校生のとき、一番好きなポジションは、左のウイングだった。だが、毎晩酔っぱらう25歳のときは、もう、若者と戦って、そのポジションを全うする自信は、なかった)。

 そして、従兄の彼は、わたしの店で、ロックのLPレコードをよく買ってくれたものだ。

 

 30年前、東京に出てからは親戚と没交渉なので、イトコ達たちの動静をまったく知らなった。一昨年、母の看病で北海道にもどり、母の危篤や葬儀を連絡して、ずいぶん久しぶりに親戚の消息を知った。(というより、わたしのほうが消息不明者だったのだが…………)。

 

 父は、10人兄弟姉妹の末っ子だから、わたしにはたくさんのイトコ達がいた。だが、もう半分も残っていない。喪中ハガキの従兄の享年をみて『俺も、こういう歳なんだな…………一日一日、大事に生きなきゃな………』と、つくづく思う今夜であった。


なんだか今夜は、ピアノトリオ

2014-11-05 | 日記・エッセイ・コラム

ケニー・ドリュー・トリオ

 

 九州の森本くんから、「ニュースでは、北海道がひどい嵐のようですが、大丈夫ですか?」と、見舞いの電話をいただいた。ありがたいことだ。

 

 十勝は、北海道のなかでは、気候的には平和なところだ。マイナス20度超の、寒さがちょっと、きついだけかな。札幌・小樽の日本海に面している豪雪地帯の土地と、この太平洋岸とは、まったく気候は違う。オホーツク海に接してる地域とも、また気候が違う。

 

 ケニー・ドリュー・トリオ Run Away http://www.youtube.com/watch?v=xPrcFMEV-uA

Dark Beauty