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古い曲が気になる

橋本時比康くんから、『満州浪漫』

2015-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

 橋本時比康くんから、『満州浪漫』(大島幹雄著 2012年 藤原書店)を送っていただいた。長谷川濬(はせがわ しゅん)の評伝だ。

 長谷川濬は、函館出身の長谷川四兄弟の三男。ロシア文学の翻訳家で、小説家、詩人だ。

 長谷川兄弟の長男、長谷川海太郎は、”丹下左膳”、”めりけんじゃっぷ”の大衆小説のスター作家。林不忘、谷譲二、牧逸馬の三つのペンネームを使って、大人気作家になったが、35歳の若さで亡くなった。

 時代劇のスター・キャラクター”丹下左膳”を創造した長男・海太郎は、少年のときから英語を学び、アメリカに渡った人。この本の主役、三男・長谷川濬は、ロシア語をマスターして、満州に渡り、戦後は、『ドン・コザック合唱団』を招聘した立役者だ。

 

 長谷川四兄弟は、それぞれみんな、じつに才能ある小説家、画家だ。そして、詩人、歌人だ。この兄弟が生まれ、育った明治期の函館に心が惹かれる。兄弟の父、長谷川淑夫は、佐渡の金山を管理する武家の家系だ。明治になって東京帝大で学び、北海道・函館にやってきて、函館新聞の主筆になり、後に函館日日新聞の社主になる。

 

 この本『満州浪漫』を送ってくれた橋本時比康くんは、わが帯広三条高校の一年E組のクラスメイト。橋本くんは、わがE組の組長だ。

(今のことは知らないが、当時、高校1年前期のクラス委員長は、まだ互に知らず初めて会った生徒たちだから、選挙ではなく、担任の教師が決めた。入学試験で最高の成績の生徒が、組長に指名される。そういうものだ。つまり、橋本くんは、わがEクラスの最高の成績だったのだ。実際、聡明で冷静で、組長にふさわしい人だ)。

 なんどか書いたが、橋本時比康くんは、帯広三条高校合唱部が全国大会に出場したときの部長だ。帯広三条高校合唱部は、今や全国の有力校のひとつだろうが、橋本くんが部長のときが、全国大会初出場ではないだろうか? (帯広北栄小学校のクラスメイト、ピッチャーの惣万くんなんかの帯広三条野球部が、甲子園で一回戦に勝ったときも衝撃だった。今で信じられないだろう。雪国の北北海道代表が、全国大会の甲子園で勝つなんてのは考えられないことだった)。

 

 

 

 



ワイド節

2015-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

 徳之島の『ワイド節』も楽しい。

 わたしには、歌詞がよくわからないが…………楽しい。

   坪山豊  ワイド節  https://www.youtube.com/watch?v=ACKZxp_3hhw

 

 これも凄い。(わたしには難解だが、心が震える)

   坪山豊 築地俊造  徳之島一切節  https://www.youtube.com/watch?v=6iFQsg3eF4s

 

 


是枝三姉妹、島唄

2015-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

田中一村の絵をみてからずっと奄美に行ってみたい、と思い、奄美大島、徳之島のことを検索し、YouTubeでこれをみつけて……感動した。

   是枝姉妹  島育ち  https://www.youtube.com/watch?v=byjRydfnZm0

この映像は、2008年。

上の映像から半年後だろうか、三味線も歌も格段に上手くなってる。

   是枝姉妹  安里屋ユンタ  https://www.youtube.com/watch?v=Te56mnrLH8Y

それから2年くらいたった2010年の映像。

   是枝姉妹  島育ち  https://www.youtube.com/watch?v=iFvudniBnI4

 2012年。

   是枝姉妹  島育ち https://www.youtube.com/watch?v=bO2hMChthqw

 そして2013年、敬老会の映像。

   是枝姉妹  島育ち https://www.youtube.com/watch?v=CBS7gNfm6f0

 これらの映像を撮影してYouTube にアップしているのは、お母さんだろうか?

   是枝姉妹  どんどん節 https://www.youtube.com/watch?v=J1IYg6bd7PM

 三姉妹の声にはじつに不思議な魅力がある。ライブを見たいものだ。

   


ジム・ホールのアランフェス

2015-10-27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ソニー・ロリンズのことをいろいろ検索していて、ギターのジム・ホールが、2013年に亡くなっていたことを知った。享年83歳という。

 

   ソニー・ロリンズ&ジム・ホール  The Bridge   https://www.youtube.com/watch?v=ZIq5w-NogWA

 
 

  

 ジム・ホールのリーダー・アルバム『アランフェス協奏曲』(CTIレコード)は、わたしの帯広駅前のレコード店でよく売れた。チェット・ベイカーのトランペット、ポール・デスモンドのサックス…………発売は1975年。

    ジム・ホール  Concierto de Aranjuez    https://www.youtube.com/watch?v=iD6k2E61ABY

アランフェス協奏曲
 
 


 40年も前のレコーディングだが、CTIレーベルのアルバムは、今の若い人が聴いても十分楽しめるのじゃないだろか? 

    


いやぁ、ラグビー、面白いわ。

2015-10-24 | 日記

 

 父親の夕飯を早々につくって、午後8時、南アフリカ vs ウエルズ戦を待った。ワールドカップ・ラグビーだ。

 もちろん酒の肴と、赤ワインを用意して。

 

 おもしろいね、ラグビー。はじめて日本代表の試合で、80分のゲームを見た。これは、格闘技のジャンルだね。凄い。

 プロ野球やプロサッカーのように、”マネー! マネー! マネー!!!” ”金、金、金、金だよね” じゃない、ガチなスポーツのようだ。 

 

 今夜、南アフリカは、強豪ウエルズに逆転逆転で、勝った。日本代表チームは、予選リーグでこの南アフリカに勝った。すごいわな。

 準々決勝、南アフリカが勝った。じつにおもしろかった!


ハーブ・アルパート、I'll Be Back

2015-10-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

    ハーブ・アルパート I'll Be Back     https://www.youtube.com/watch?v=KYP4RiOTcFs

 この曲はもちろんビートルズ・ソングだが、このアレンジのセンスとトラペットの、よろしく哀愁が好きだった。ヒットした『マルタ島の砂』の、アナログ45回転シングル盤のB面だった。

 ビートルズのオリジナルは、これ。  https://www.youtube.com/watch?v=RQw2psyjm5w


泣いた、奄美の島唄に泣いた。号泣だ。

2015-10-23 | 日記

 

 酔って、画家・田中一村の奄美大島移住の件を検索していた。

 そして、なぜか、奄美大島、徳之島の、島唄の映像のいろいろを、見た。

 この三姉妹の島唄には泣いた。号泣状態かな。孫の運動会に行ったジジイ状態だ。

  https://www.youtube.com/watch?v=byjRydfnZm0

 

 

 


帯広市のゴミ袋は、すごいよ

2015-10-21 | 日記・エッセイ・コラム

 

 帯広市に帰ってきて、ゴミの袋を買うたびに腹が立つ。この料金は、なんだ!!

 ゴミの袋は、わたしが長く住んだ関東では、どこでもたいがい、45ℓ一枚10円前後だ。

 ところが帯広市は、40ℓのゴミ袋が、120円だ。10枚じゃないよ。なんと、一枚、120円だ。

 わたしが住んだ関東の都市では、45ℓのポリ袋10枚、100円前後で売っていたが、わが故郷・帯広ではあまりに高いから、一枚売りもしている。これには、笑ったね。

 スーパーやコンビニで、ポリのゴミ袋を一枚づつバラ売りしてるんだよ。信じられるられるかい? あまりに、高いからだろね。

 行政の、このデタラメに市民は疑問をもたいないのかね。ゴミ袋一枚が、120円だよ。日本一のゴミ袋どころか、世界一のゴミの袋だろうね。

 行政の怠慢だが、それを市民が納得しているのだから、まぁ、それは、それで、凄い町だわな。

 

 しかし、ゴミ袋をスーパーで買うたびに、猛烈に腹が立つ。40ℓ5枚、600円。ゴミのポリ袋一枚が120円。狂気の沙汰だわな。

 

 

 

 

 

 

 


 また燃える秋、だ

2015-10-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 北海道は、”燃える秋” だ。

 歳のせいか一年がじつに短い。まぁ、365回夕暮れがあり、365の朝をむかえると1年だ。ぐるっとすぐに地球は太陽を回り、一年がたつ。

 この3年と5ヵ月、父親の食事を毎日毎日、365日作りつづけ、旅にも行けず、父の徘徊が怖いから長時間家を空けたくない。夕暮れに近所の帯広川の堤防を散歩して、時々、流れに釣り竿をふる。

 介護というか、親の食事をつくり、掃除洗濯の家事、食材の買物、一日はじつに短い。ダンナの食事をつくり、家事をやり、子育てをしている主婦は、すごい! と、こんな歳になってその大変さがわかって、心から敬服する。時、すでに遅し、だが………。

 

 また紅葉が美しい秋になった。去年と同じように安ワインを飲みながら、また、ハイファイセットの ”燃える秋” を聴く。なんと時の流れが速いことか…………と、思いながら……。

 

    ハイファイセット  燃える秋  https://www.youtube.com/watch?v=a-y9K3f5AOA

 作詞・五木寛之、作曲・武満徹、そして歌、ハイファイセット。いまからみると、豪華で、みごとに凄い組み合わせだね。それだけのことはあるよ。今、聴いてもじつにいい。

 時の流れで消えていくのが流行り歌だ。だが、凄い才能が集まると、時を超えても人の心を打つ。

 

 
 
 

 

 

 去年も書いたのかもしれないが、この曲 ”燃える秋”、作詞は、この曲がテーマソングになった映画の原作者、五木寛之。そして、作曲は、武満徹。ふたりともプロ中のプロ、本物の職人、プロフェッショナルで、そして芸術家だ。

 わたしは、18か、19歳くらいのときに聴いたビクターレコードのLP盤、武満徹作曲『ノヴエンバー・ステップス』は、強烈だった。和楽器の琵琶と尺八と、ヨーロッパ音楽・クラシックのオーケストラとのコラボだ。そのLP盤は、指揮が小澤征爾だったろうか?

 後追いで、映画『腹切』などの映画音楽の武満徹作品を聴いて、ますます好きになった。

    武満徹   ノヴエンバー・ステップス https://www.youtube.com/watch?v=9CeDYLRK0ik

 
 
 

   

  ”ノヴエンバー・ステップス” 高校生だったか、大学のときか、聴いてブッ飛んだ。あれから50年だろか。今、ジジイになって聴いても凄いと思う。心が震える。


カレンは、優れたドラマーでもあった

2015-10-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

 カレン・カーペンターは、天性の美声だけではなく、とんでもなく歌が、巧い。あたかも歌詞のなかのドラマの主人公のように、その悲しさを歌唱表現する。それはみごとなものだ。

 人間ドラマを、短編小説を、自分の歌で表現したい、と。

 シンガーはだれもみな、それを目指してバンドで歌い、精進し、訓練し、あるいは音楽大学に行ったりもする。………の、かな?

 

 カレンは、人類あるかぎり永遠に聴かれつづける、偉大なポップ歌手であるだけでなく、素敵なドラマーでもあった。それを覚えておいてほしいね。

 カーペンターズ……エンターテインメントとは………これでしょうね。

   カレン・カーペンター  The Drummer  https://www.youtube.com/watch?v=6dJUnh6N8-U

 

 この、カーペンターズの1971年のライブ映像には心が震える。 https://www.youtube.com/watch?v=voRD9-1D9aM

 むかし読んだカレンの伝記本では、ドラムを叩きながら歌うのが好きなので、ひとり立ってステージ・センターで歌うのことをひどく嫌って、拒否した、とあった。それがカレンには強烈なストレスだった、と。

 


涙の乗車券

2015-10-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

 まさに”ロック”真只中の時代にカーペンターズがデビューする。1969年だ。ウッドストック・ロック・フェスティバルは、この年、1969年に開催された。(わたしは、このロックフェスの前年、1968年に北海道・帯広でレコード屋のあんちゃんになった)

(1955年にエルビス・プレスリーがメジャーデビューして、1963年のビートルズ。それにつづくイギリス、アメリカのロックの隆盛。その総括のようなお祭りがウッドストック・ロック・フェスだ。40万人ともいう歴史的数の観客だったのだが、笑ってしまうのは、「俺は、ウッドストック・フェスにいたんだ」とか、「私は、ウッドストック・ロック・フェスでジャニス・ジョップリンをみたのよ」と証言する人たちから、統計的に類推すると、あのウッドストック・ロック・フェスには、200万人以上は集まっていたそうだ‥‥‥可笑しいね。ウッドストックに行ったと、ホラふいて自慢するジジ・ババが、アメリカ中にいるということ)

 あのハードな、ヘビーな、ロックの時代にカーペンターズをデビューさせた、A&Mのオーナー&プロデューサーのハープ・アルパートの音楽センスと商才には敬服する。

涙の乗車券
 
 

  カーペンターズ  涙の乗車券 Ticket To Ride https://www.youtube.com/watch?v=fsgj4xcxXyA


ガリ版のDM

2015-10-16 | 日記・エッセイ・コラム

 

 母の遺品のなかに、なぜかわたしが作った古いDMハガキがあった。

 シルクスクリーンで店名を入れて、その上の部分にガリ版(謄写版)刷りで新譜の告知を書く。”ビートルズ、新譜『アビー・ロード』予約受付”とか。そのシルクスクリーン部分のセンターがずれたので、はねたハガキだ。

 後から郵便局で新しいハガキと交換しようと机の引き出しかなんかにしまい込んだやつだ。それを母が大事にとっておいてくれた。

 40年以上も前にわたしが作った物だ。

 

 コピー機も無い時代(わたしの小さいレコード店でコピー機はあまりに高額でとても手のとどく物ではなかった)、わたしは、DMのハガキをガリ版で刷っていた。最初は数十枚だったのだが、最高に刷っている時は、千枚を超えていた。

 それも一枚づつハガキを置いて刷る。謄写版の、あの道具はA3サイズだったろうか。一枚の原紙に同じものを書いて、ハガキを何枚か並べてローラーを曳けば数をかせげる。のだが、全部キレイに刷れるわけではない。ということを、初日に体験・発見した。そしてめんどうでも、原紙中央に鉄筆でハガキ一枚だけの原稿を書くことにした。四隅にトンボ(印刷屋さんの用語かな)のような目印をつけて、ハガキを一枚づつ刷る。こうするとビックリするほど綺麗に刷れる。

 すこしお客さんが増えてきて、300枚くらいガリ版で刷っているとき、作業している時間のことと、仕上がりのことを考えると印刷屋さんに発注するべきかな、とも思った。だが、ガリ版刷りで多少汚いが、この手作り感が、ロックや日本の新しいミュージシャンを売ってる小さいレコード店にふさわしいのじゃないかな、と、手作業のDMハガキ作りをつづけることにした。

 そんなわけで、わたしは、アナログのレコードが終わるまで、つまり、CDの時代になるまで新譜案内のDMハガキをガリ版で刷って発送していた。

 

 母が大事に残しておいてくれた、このハガキのことは、よく覚えている。

 シルクスクリーンの職人さんだった友人から、その技法の初歩を聞き、やってみたいな、と試みた、最初で最後だ。『これ毎回、500枚とか600枚とか、出来ないな』と、断念した。『一日のほとんどをDMハガキ制作で、レコード屋の店長じゃなく、ガリ版印刷とシルクスクリーンの職人さんになってしまう』。わたしは、ガリ版刷りのDMハガキを隔週で、つまり2週間に一度作って発送していた。

 だから、シルクスクリーンを試みたのは、この時だけ。

 (酔って作ったわたしの素人ロゴも、まあ、悪くないでしょ)

 

 

  


悲しいほどの秋

2015-10-14 | 日記

 

 親しい友人、尊敬している人たちが、ガンや、くも膜下出血で若く亡くなって……3年前には、末期ガンの母を看取った。

 秋の、帯広川の堤防を散歩していると、亡くなった人たちとの会話や、そのときの笑顔を思い出す。秋だ‥‥。