Ommo's

古い曲が気になる

強風のなか、帯広市図書館まで歩いた

2014-02-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

  ひさしぶりに帯広市の中心街まで歩いた。西風が強烈に吹いて、歩道は、ところどころテカテカのアイスバーンだ。ただ図書館にいくことだけが目的だが、往復3時間の長旅だった。街に向かうときは、追い風に背中をおされていたが、帰りは、もろに西風にむかって歩く。ときどき立ち止まって耐えるほどの突風もやってくる。

  目出し帽にオーバーズボン、ダウンジャケット、二重の手袋、毛糸の厚い靴下二枚重ね、ゴム長靴。吹き荒れる風は、零下だ。わずかに露出した、目のまわりの皮膚が痛い。なかなか、ハードな散歩であった。

 

  わたしは、30年ちかく前、東京にでたときから、車の運転をしない。電車、地下鉄、バスを使えばいいだけで、まったく車が無用な生活をしていた。

  首都圏にでてすぐに、運転免許の更新もしなかった。なまじ免許があると、つい、運転してしまう危険がある。仕事場で、車移動してくれないか、とか運転をたのまれることもある。そんなとき、「免許ないんだ」と言えば、それですむ。

(北海道では、18歳以上で運転免許証を持っていない人はほとんどいない。しかし、首都圏では、自分で運転しない、免許もない人は普通にたくさんいる。「免許ないんだ」は、別に不思議なことではない。免許はあるが、もう何年も運転してないから、運転しない、車、嫌いだし‥‥‥という男たちも、いま、たくさんいる)

 

  他人の車を運転するのも嫌だが、北海道にいるとき、酒酔い運転で捕まり、新聞に名前を載せられたこともある。そういう痛い目にあっていても、本心、飲んで運転しない、という自信がまったくなかった。酒のうえでの数々の愚行、失敗から、酔ったときのじぶん自身をまったく信用していなかった。だから、運転免許は流す。車は、二度と所有しない、と決めた。

  そんなわけで、30年ちかく、車の運転をしない生活に、何の不自由も感じてなかった。電車か、バスに乗ればいいだけで、急がないときは、じぶんの足で目的地まで歩いていけばいい。銀座で飲んでいて、地下鉄・東西線の終電を逸したら、歩いて帰る。4時間歩けば、浦安駅近くの、わがシングルルームにたどり着ける。

  スーパーで、酒を買い、食材を買うのも、もちろん、歩いていく。浦安市中央図書館にいく、市川市中央図書館にいく、東京都江戸川区中央図書館にいく。近隣の図書館には、徒歩でいく。こうして、暮らしてきた。

 

  完全・車社会の北海道・帯広に、こんな老人になってからもどってくる、とは、まったく思ってなかった。車を運転しなくても暮らせるところで生活し、そして、そこで朽ち果てる、ということしか考えになかった。父が先に死んで、母を、東京に呼んでいっしょに暮らすことになるだろう、とは思っていたが‥‥‥‥‥

 

  帯広にもどってすぐの頃は、よく帯広市図書館まで歩いた。だが、 もうほとんど行かない。片道1時間歩くことは、何の苦痛もない。しかし、白樺通り沿道があまりに退屈なのだ。今日、強風のなか、でかけたのは、インターネットではどうしても調べられない、帯広でずいぶん昔に自主出版された、ある詩集を読みなおしたかったからだ。

  その詩集が、帯広市図書館の蔵書にあるのは、20年まえから知っていた。東京都の図書館で、帯広図書館から取り寄せてもらって、館内閲覧したことがあったのだ。館外貸出はできないとのことで、その図書館のなかで読んだ。

  昨夜、ワインを飲んで酔っていて、その詩集のなかの、好きだった、ある詩句が気になった。記憶を確かめたかったのだ。

 


わし、真夜中の電気屋

2014-02-28 | 日記・エッセイ・コラム

 

  この、親の家の二階にやってきて、机や椅子を買って、これまで30年くらいの自分の住環境(つまり、仕事のあとの長い散歩いがい、ほとんど机のまえにいる、という生活)を再現しようとする。だが、しっくりこない。

 

  それが何かは、わかっていた。簡単なことだ。机の上をもっと明るくすることだ、と。手元を照らすLEDのスタンドはある。しかし、これじゃダメだ。と思っていた。もっと明るく‥‥‥ もっと、遠くに‥‥‥‥だよ。

 

  母の一周忌の法要を主催したら、それでもう、この家にいることもないだろう、と思っていた。ここは、仮の宿、キャンプ地だ、と。

  だから、じぶんに心地いい生活環境、住環境を作ろう、とは、まったく考えなかった。ニペ・ウペ縦走途中の、吹雪のなかのビバークか、キャンプだ、と。

 

  しかし、

『このキャンプは、長いかもしれない‥‥‥‥』

 

 

  手元は、明るくありたい。蛍光菅状のLEDを頭上に吊ろう、と思っていた。それが、どれほどのやつが良いのか、まったくわからん。けっこう値段は、高い。7wのやつが、4千円ちかい。

  買ってきて、試す。それにつきるだろ。夕方、そのLEDライトを買ってきた。あす、天井に付けよう、と思った。

  ワインを飲みだし、作業は、あした、シラフでやろうね。と、だが、酔うほどに、試してみたくて、違う目的に買っていた丸棒にネジ止めして、頭上につけた。アホな酔っぱらいだ。

  なかなか‥‥‥‥‥机の上は、明るく、心地いい。

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   これが、わたしがいま、深夜に頭上に取り付けたLEDライト。 手元は、メチャクチャ、明るく、心地いい。プラス1の老眼鏡で、文庫本が読める。やはり、明るいこと、これが大事だろ。

 


春よ

2014-02-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

  札幌の鈴木さんから、いろいろ日本全国、九州・関西・北海道の美味い酒の肴を送っていただいた。それをつまみに、今夜も飲んでいる。

 

  わたしの、若いときの仕事のような、レコード小売店の仕入れ担当者と、レコードメーカーの営業マンとの関係は、本来、ある意味・敵、ビジネスライクで、クールであるべきなんだが、20代で出会って、いま、鈴木さんとは、一生の友だ。

  わたしが、レコード屋の仕入れ担当者であったとき、その熱意や誠実さで、好きになり、仕事する男として尊敬する、レコードメーカーの営業マンがいた。数少ないが‥‥‥‥。日本フォノグラムの鈴木さん、CBSソニーの高市さん、そして、ワーナーパイオニアの、大栗さんだ。

  大栗さんは、東北から北海道にもどって、札幌支店長のとき、会社で倒れ、そのまま亡くなった。若かった。(ワーナーパイオニアの北海道支店長の、大栗さんのことは、もう少し書きたい。知りたいこともある)。

 

 

   九州の森本くんから電話をいただいた。ユーミンの「春よ、来い」をあらため聴いて、詩がすごい、と再確認した と。

   荒井由実は、すごいよ、と言って、東芝EMIにバカにされ、浜田省吾こそ、と言って、また、CBSソニーにもナメられた。北海道・帯広の、ただのチビのブ男だからね。

 

  雲も天才だろうが、ユーミンこそ、天才だろ‥‥‥わたしの感性では‥‥。

 

 

  春よ、来い

淡き光立つ にわか雨
いとし面影の沈丁花(ちんちょうげ)

あふるる涙の つぼみから
ひとつ ひとつ 香りはじめる

それは それは 空を超えて
やがて やがて 迎えにくる

春よ 遠き春よ
瞼(まぶた)閉じれば そこに
愛を  くれし君の なつかしき声がする

君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています

どれほど月日が流れても
ずっと ずっと 待っています

それは それは 明日を超えて
いつか いつか きっと とどく

春よ まだ見ぬ春
迷い 立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

夢よ 浅き夢よ 
わたしは ここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく

春よ 遠き春よ
瞼閉じれば そこに
愛を くれし君の なつかしき声がする

 

    松任谷由実   春よ、来い  http://www.youtube.com/watch?v=CBwcteLZWgM

 

 

 

 

 

 

 


明日は、東京マラソン

2014-02-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

  浅田真央さんのフリーの演技は、わたしの"オリンピック・ ベスト・シーン"になるだろう。

  テレビで見るスポーツでは、マラソンが一番好きだ。だから、これまでの"オリンピック・ナンバーワン・シーン"は、1992年、バルセロナ五輪の女子マラソン、モンジュイクの丘での、有森裕子さんとロシアのワレンティナ・エゴロアとの、6キロにおよぶ死闘だ。

  サッカーの澤穂希さんと、有森裕子さんは、わたしにとってアイドルをこえて、神だ。

  明日は、東京マラソン。2007年の第一回目は、日本橋小網町の、ぺんてる本社ビル前で有森裕子さんがやってくるのを待っていた。有森さんは、ゲストランナーだったのだ。小雨が降る寒い日だったが、数万人のランナーたちは、じつに楽しそうだった。

  雨のなか、有森さんは、数人の男たちのグループの先頭を走ってやってきた。速い! カッコいい。さすがオリンピック2大会でのメダリストだ。フォームが、じつに美しい。

  そして、あまり速い。ずいぶん前に現役を引退したはずだが、やはり、世界のトップ・ランナーの走りは、普通ではない。とうぜんだが、市民ランナーとはまるで違う。カメラをかまえたが、後ろ姿しか撮れなかった。(写真のF51のゼッケンが、有森さん)。

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  これが、第一回の東京マラソン。2007年。わたしは、日本橋小網町、ぺんてる本社ビル前でこの写真を撮った。この先が人形町の交差点。


浅田真央さんは、すごい!

2014-02-21 | 日記・エッセイ・コラム

 

  浅田真央さんのフリーは、すごかった。ライヴ映像をみていて感動し、ニュース番組でみるたびに、またまた、感動で涙がでる。泣く。この世には、なんと、こんなすごい人がいるもんなんだ、とも思い、日本人として誇りに思う。

  1984年サラエボ・オリンピックのアイスダンス、トービル&ディーンの「ボレロ」のように、今回の浅田真央さんの「ラフマニノフ」は、まちがいなく、永遠にフィギュア・スケートの歴史に残る演技だろう。

 

   浅田真央さんは、すごいアスリートであるのはもちろん、すばらしいアーティストだ。

 

 


北斗七星が、あまりに綺麗だ

2014-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

  この数日、真夜中に起きて行動をおこす老父の、食事の支度をして、それからワインを飲みながらパソコンにむかったり、映画をみたりする。ベッドに入るのは、朝だ。今朝など、わたしは7時まで起きていて、夕方、3時過ぎに目覚めた。(何という自堕落な生活なのか?)。

  酔ってキッチンに立つのは嫌なので、酒も飲まず、父親が起きてくるのを待っている。このお父様の、起床時間が毎日ちがう。ここ数日は、午前2時とか3時だ。昼間はずっと寝ていて、時々トイレに起きては、テレビをつけて、下着姿のままソファーに座り、タバコをふかし、アイスキャンデーを食べる。

(冷蔵庫の製氷室をアイスキャンデーで満タンにして、冷凍庫に10本入りボックスをいくつもストックしておく。一日10本くらい食べるので、気を抜くとすぐ欠品させるのだ)。

  アイスキャンデーだの、タバコだの牛乳だの、ビールだの焼酎だの、イクラだの、おかず海苔だのリンゴだの、ビスケットだのチョコレートだの、お父様が、毎日かならず召し上がる品目は数ある。それも好みのブランドや種類があって、違うものにはけっして手をださない。

  この、わがまま、贅沢な父親の、めんどうきわまりない世話を、あの末期がんでガリガリにやせ細った母がやっていた。死ぬ4ヵ月まえまで、父親のための買い物に、自転車に乗っていた、と聞いて、泣いた。

 

(わたしの場合、離婚して30年ちかく、一人で暮らし、じぶんの食べ物は、食材を自分で買い、自分で料理するのが好きだ。そして、一人で食べる。いつも静かで、質素な晩餐だ。まあ、つまり、わが、お父上のようなお殿様とは、ひどく違うわけだよ)。

 

 

  きょうは、夕暮れに起きて、コーヒーを飲んで、雪かきだ。家の南側全部の雪をはいで、地面を露出させる。あと3日くらいで、完了するだろう。徹底しないと気がすまない。こういう性格ではまったくない、きわめてルーズな人間だと自覚していた。だが、東京に出て人に使われる仕事をして、はじめて気づいた。何かやりだすと、徹底しないと気がすまない自分の性格を発見した。徹底してやるか、まったくやらないか、残り少ない人生の日々、この二者択一しかない。

 

  今日予定していた部分の雪かきを終えて、空を見上げると、『おお! なんと!』、北斗七星が、あまりに綺麗だ。散歩にでることにした。完全防備、オーバー・ズボンにダウン・ジャケット、ニット帽の上から、目出し帽を重ねて、手袋も二重だ。

  星と月があまりに美しい。夜空を見ながら雪道を2時間も歩いた。寒風も痛いが、歩くほど深まる、孤独も痛い。

 

 


鬱陶しいことばかりだ。

2014-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

  昼からずっと寝ていた老父が、真夜中の午前2時に起きてきて、コロコロをはじめた。

  毎日毎日、一階の部屋全部をコロコロする。耳が遠いので、自分がたてている騒音も気にせず、壁にガンガン当てながら何時間もコロコロする。その音が二階まで響いてきて、眠ることも、読書に集中することもできやしない。『クソ! キチガイ・ジジイめが!』

  父親は、コロコロが終わると、バカ殿御膳を食べながら、大音響のテレビのまえで酒を飲み、タバコをふかし、居眠りをして、昼まで過ごす。

  この父親の、デタラメ時間に引きずられるので、こっちの生活時間もメチャクチャだ。やたら寒い冬、大雪に吹雪。キチガイ・ジジイ。友達が死ぬ。

  何もかも鬱陶しいことばかりだ。ココロは、完璧な鬱状態だ。


"疑惑のスタンダード"

2014-02-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

  昨夜は、帯広・ブルースハープで、古村敏比古さんのソロ・ライヴをみた。わたしは、後半のスタンダードが、とくに楽しかった。ピアノ・トリオをオケにしたジャズのスタンダードナンバーの演奏だ。

  これは、古色蒼然とした、ジャズ博物館の資料室の奥から引っ張りだしてきた、カビはえた、化石のような、ふやけたスタンダード・ジャズじゃない。今を突っ走るミュージシャンの、スタンダード・ジャズだ。じつに刺激的だ。カッコいい "疑惑のスタンダード" だ。

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  わたしは、終演後のブルースハープで、CD『疑惑のスタンダード』を買って、古村さんにサインまでしていただいた。

  長い人生で、ライヴ会場でレコード・CDを買ったのは、はじめて。ミュージシャンに、自分の買ったアルバムにサインを書いていただいたのも、はじめての体験だった。

(わたしの、若いときの仕事は、コンサート会場でレコードを売ることだったし、プロモーターだったから、ミュージシャンの事務所から契約書にサインしてくれ、とは、言われてきたが‥‥‥‥‥‥‥ミュージシャンのサインをもらったことはなかった。

  わたしが主催したコンサートの、ミュージシャンといっしょに写真を撮ったのは、一度だけ。30年いじょう前、浜田省吾さんと町支寛二さんを千歳空港に送ったときの、2ショットだけだ)

 

 

  このCD『疑惑のスタンダード』の、古村さんのサックスをフィーチャーした、カルテットのライブを、是非、生でみたい、ものだ。


トービル&ディーン、ボレロ、1984年

2014-02-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

  日本の若者が、冬季オリンピックで金メダルをとった。じつにめでたい。

 

  わたしのように、北海道・十勝で育った人間は、アイス・スケート競技に対する思いは強い。日本のほかの暖かい地域の人と少し違うと思う。わたしたちは、小学・中学、冬の体育の授業が、アイス・スケートだった。

  アイスホッケーは、やるのも見るのも好きだった。出来ないが、フィギュアスケートも見るは大好きだ。

  アイス・ダンスのトービル&ディーンの、サラエボでの『ボレロ』こそ、まさにアイスダンス。これほどの演技は、人類に2度ない。映像がある。

 

 

 

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     トービル&ディーン   1984年サラエボ・オリンピック  『ボレロ』http://www.youtube.com/watch?v=t2zbbN4OL98

 

 


マイ・ファニー・ヴァレンタインは、ロジャース&ハートの曲

2014-02-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

  バレンタインデーだ。姪たち(弟の娘たち)からチョコではなく、美味しそうなワインをいただいた。(毎日飲む赤ワインは、安物だ。チープなワインで、とりあえず酔えればいいか、という貧しきココロなのだよ)。

 

  今夜は、姪たちのプレゼントの、高級ワインを飲みながら、やはりまず『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を聴きたい。

       チェット・ベイカー My Funny Valentine (Tokyo-1987年) http://www.youtube.com/watch?v=UOEIQKczRPY

『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』は、ジャズのスタンダードになっているが、元歌は、リチャード・ロジャース作曲、ロレンツ・ハート作詞 のミュージカル「ベイブス・イン・アームズ」(1937年)の中の曲だ。

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リチャード・ロジャース(1902-1979) と、ロレンツ・ハート(1895-1943)

 

  あす(15日)は、満月。http://koyomi8.com/moonage.htm   

  きょうも、夕暮れに東の空にあらわれた月は、じつに美しかった。十勝は、大気が乾いて清浄なので、星も月もみごとに美しい。

  やはりジャズのスタンダードになっている『ブルー・ムーン』もまた、ロジャース&ハートの曲なのだ。

 

 

ロッド・スチュワート Blue Moon http://www.youtube.com/watch?v=V5FdmFgfPyw

ザ・マーセルズ Blue Moon http://www.youtube.com/watch?v=BziGPUGjhIE


高島くん、逝く

2014-02-13 | 日記・エッセイ・コラム

 

  帯広三条高校・1年E組(昭和42年卒業  1年の担任は斉藤喜一先生)のクラスメイト、高島俊夫くんが、今朝8時、亡くなった。肺ガンだ。

  高校1年のとき、高島くんと橋本くん、そして、わたしの3人は、「エマノン」というサークル名で帯広労音の会員になった。高島くんと橋本時比彦くんは、合唱部、全国大会出場のメンバーだ。

  高島くんは、札幌大学ではひとつ下、彼は、経済学部。わたしは一期生で、外国語学部ロシア語学科だった。


ハーフパイプ

2014-02-13 | 日記・エッセイ・コラム

 

  いま、スノーボードのハーフパイプ・女子決勝をみているが、昨日、銀・銅のメダルをとった日本男子の若者ふたりが、どれほどすごいか、よく分かる。

  日本の カーリングも、女子アイスホッケーも、わたしが期待した種目は、けっこう、期待はずれで(もちろん、メダルなど期待してない種目だが。だが、わたしは、みる。そして、なんとも、内容に不満が残る。問題は、コーチ、指導者なんだろか?  )、北海道の人にはもう、このオリンピックでメダルをとるのは、無理なのかいな? とも、脱力感がある。

  この、オリンピックの日本選手団、団長もふくめて多くは北海道の人だ。だが、このオリンピック、北海道の人の、メダル無しで終わるのだろうかね?

 

   寂しい話じゃないかい?  北海道!     新しいウインター・スポーツの、オリンピック銀・銅のメダリストは、北海道の若者ではない。

 

『がんばってや、北海道!』という、老人の気分だ。『なに、やってんだ?』と、いう怒りの感じかな。

  どうでもいいが‥‥‥‥北海道は、ルーピー鳩山由紀夫を、じぶんらの代議士に選ぶ風土だからな‥‥‥‥こわいわな‥‥‥北海道、JR北海道。

 

   帯広三条高校の、1年E組のクラスメイト、高島くんが、ガンで瀕死だ。せつない。東京から、親友の橋本くんがくる。かれらは、ともに、帯広三条高校合唱部だ。

 


アレキサンドル・ボロディン

2014-02-09 | 日記・エッセイ・コラム

 

A.ボロディン:歌劇「イーゴリ公」映画版 [DVD]

 

  ソチ・オリンピックの開会式は、素晴らしかった。深夜のライヴ放送をみて、朝の録画映像をまたみた。やはりロシアは、芸術の国だ。音楽とダンス、ショー構成、映像。何もかも、すばらしい。(オリンピック開会式のショーで、醜悪だったのは、北京。貧弱だったのは、ロンドンかな)。

  冒頭で五輪のマークが電飾であらわれたときの美しい曲は、ボロディン。オペラ『イーゴリ公』の「ダッタン人の踊り」だ。

     ダッタン人の娘の踊り  Пляска половецких девушек http://www.youtube.com/watch?v=2cQ_iYf1ai8

 

ボロディン:歌劇《イーゴリ公》 マリインスキー劇場版 [DVD]

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  アレキサンドル・ボロディンは、医師で、化学者で、そして、作曲家でもあったのだ。


『ホールド・オン』『ソウル・マン』 は、アイザック・ヘイズの作品

2014-02-06 | 日記・エッセイ・コラム

 

  台所に立って、父親の「バカ殿御膳」を作っていると、背後の居間のテレビで "Soul Man" が流れた。オオ? なんとなんと、ソウル・マンじゃないかいな、とみると、ホンダのVEZELのCMだった。

 

『ソウル・マン』は、サム&デイブの大ヒット曲(1967年 スタックス・レコード)だ。『ホールド・オン  Hold On, I'm Comin'』と同じように、アイザック・ヘイズとデビッド・ポーターが作詞・作曲した曲だ。

     サム&デイブ  Soul Man http://www.youtube.com/watch?v=8fS9-Yimdhw

ホールド・オン

         サム&デイブ  When Something Is Wrong With My Baby http://www.youtube.com/watch?v=T246rhSoHes

 

 

 

 

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  アイザック・ヘイズとデビッド・ポーター。 スタックス・レコードの優れたソングライター・チームで、プロデューサーでもある。

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   アイザック・ヘイズは、映画『Shaft  黒いジャガー』(1973年)の音楽でグラミー賞を受賞した。いま聴いても、メチャクチャ、カッコいい曲だ。

      アイザック・ヘイズ  Shaft http://www.youtube.com/watch?v=L2cHkMwzOiM

黒いジャガー [レンタル落ち]


СОЧИ 2014

2014-02-05 | 日記・エッセイ・コラム

 

  ソチ・オリンピックがはじまる。わたしは、浅田真央さんのフィギュア・スケートと、女子アイスホッケー、そして、カーリングが楽しみだ。

 

  ソチは、キリル文字で Сочи と書く。キリル文字にローマ字のSの字はない。Сが、Sと同じ音をあらわす文字だ。だから、たとえば日本の姓の"佐々木さん"をキリル文字でかくと、Сасаки  сан となる。i の文字はない。 Иが i 。Nを逆さにしたような文字だが、日本語の「い」と同じ音だ。

   キリル文字に、N はない。H が、ローマ字のN、日本語の"な"行の頭の文字記号だ。

 

  現在ロシアで使われているキリル文字は、グラゴル文字を祖としている。9世紀、スラブ語圏にキリスト教を伝道するために、キュリロスとメトディオスが、ギリシャ文字からグラゴル文字をつくり、それを弟子たちが洗練されたキリル文字にしていったわけだ。

  つまり、キリスト教のギリシャ正教を、スラブ語圏で布教するために編み出した文字なのだ。ロシア革命の共産主義者たちも他民族を支配するとき、この文字を利用した。

 

  わたしは、日本の、漢字・ひらがな・カタカナ混じりの文字 (表意文字と表音文字との絶妙な組みあわせ)が、なにより一番好きな文字だが、ロシアで使われている、このキリル文字も、ひどく好きな文字なのだ。(世界にはたくさんの言語があるように、たくさんの文字がある)。