ひさしぶりに帯広市の中心街まで歩いた。西風が強烈に吹いて、歩道は、ところどころテカテカのアイスバーンだ。ただ図書館にいくことだけが目的だが、往復3時間の長旅だった。街に向かうときは、追い風に背中をおされていたが、帰りは、もろに西風にむかって歩く。ときどき立ち止まって耐えるほどの突風もやってくる。
目出し帽にオーバーズボン、ダウンジャケット、二重の手袋、毛糸の厚い靴下二枚重ね、ゴム長靴。吹き荒れる風は、零下だ。わずかに露出した、目のまわりの皮膚が痛い。なかなか、ハードな散歩であった。
わたしは、30年ちかく前、東京にでたときから、車の運転をしない。電車、地下鉄、バスを使えばいいだけで、まったく車が無用な生活をしていた。
首都圏にでてすぐに、運転免許の更新もしなかった。なまじ免許があると、つい、運転してしまう危険がある。仕事場で、車移動してくれないか、とか運転をたのまれることもある。そんなとき、「免許ないんだ」と言えば、それですむ。
(北海道では、18歳以上で運転免許証を持っていない人はほとんどいない。しかし、首都圏では、自分で運転しない、免許もない人は普通にたくさんいる。「免許ないんだ」は、別に不思議なことではない。免許はあるが、もう何年も運転してないから、運転しない、車、嫌いだし‥‥‥という男たちも、いま、たくさんいる)
他人の車を運転するのも嫌だが、北海道にいるとき、酒酔い運転で捕まり、新聞に名前を載せられたこともある。そういう痛い目にあっていても、本心、飲んで運転しない、という自信がまったくなかった。酒のうえでの数々の愚行、失敗から、酔ったときのじぶん自身をまったく信用していなかった。だから、運転免許は流す。車は、二度と所有しない、と決めた。
そんなわけで、30年ちかく、車の運転をしない生活に、何の不自由も感じてなかった。電車か、バスに乗ればいいだけで、急がないときは、じぶんの足で目的地まで歩いていけばいい。銀座で飲んでいて、地下鉄・東西線の終電を逸したら、歩いて帰る。4時間歩けば、浦安駅近くの、わがシングルルームにたどり着ける。
スーパーで、酒を買い、食材を買うのも、もちろん、歩いていく。浦安市中央図書館にいく、市川市中央図書館にいく、東京都江戸川区中央図書館にいく。近隣の図書館には、徒歩でいく。こうして、暮らしてきた。
完全・車社会の北海道・帯広に、こんな老人になってからもどってくる、とは、まったく思ってなかった。車を運転しなくても暮らせるところで生活し、そして、そこで朽ち果てる、ということしか考えになかった。父が先に死んで、母を、東京に呼んでいっしょに暮らすことになるだろう、とは思っていたが‥‥‥‥‥
帯広にもどってすぐの頃は、よく帯広市図書館まで歩いた。だが、 もうほとんど行かない。片道1時間歩くことは、何の苦痛もない。しかし、白樺通り沿道があまりに退屈なのだ。今日、強風のなか、でかけたのは、インターネットではどうしても調べられない、帯広でずいぶん昔に自主出版された、ある詩集を読みなおしたかったからだ。
その詩集が、帯広市図書館の蔵書にあるのは、20年まえから知っていた。東京都の図書館で、帯広図書館から取り寄せてもらって、館内閲覧したことがあったのだ。館外貸出はできないとのことで、その図書館のなかで読んだ。
昨夜、ワインを飲んで酔っていて、その詩集のなかの、好きだった、ある詩句が気になった。記憶を確かめたかったのだ。