九州の森本くんから、博多ふく富の ”萬両極味”辛子明太子と ”梅の香ひじき” を送っていただいた。
九州や東京の友人たちは信じられないだろうが、こういうアイスバーンの道を毎晩散歩して、父親の食事の食材を買いにスーパーに行く。(昼歩いても沿道は、あまりに退屈だし、走行する車のタイヤ音が、やたらうるさいので、最近は、夜しか歩かない…………。)
シロクマさんから、笹島正司くんに関するコメントをいただいた。ありがとうございます。
笹島くんと同期ということは、わたしが3年のとき、1年。つまり、わが帯広三条高校のあの木造校舎で、板張りの廊下ですれ違って過ごした、同窓生ということですね。
笹島正司くんは、帯広三条高校山岳部の後輩で、高校生のとき、なんども一緒にニペソツに登った。
わたしが帯広にもどって、駅前でレコード屋になってすこしして、笹島くんも帯広に帰ってきて(実家は芽室だった)、パイオニア帯広営業所に勤めた。開店したばかりで繁盛していた長崎屋の家電売り場を担当していた。
笹島くんは、長崎屋の仕事帰り、毎日のようにわたしのレコード店に寄ってくれた。
そうして、わたしの店のスタッフ、恵子さんと結婚することになり、わたしが仲人を仰せつかった。
「仲人? とんでもない。俺のような、25かそこらのガキがやることじゃないです。日本を代表する、大きな会社にいるんだから、上司の所長とか、北海道を総括している本社の営業部長とか、そういう人が仲人にふさわしいのじゃないですか」と、お断りした。
すると、笹島くんのお父さんから、筆字の長い手紙をいただいた。
笹島くんのお父さんは、教育者だ。そのとき、芽室高校の校長から、滝川高校の校長になっていた。
お父さんの、みごとな字の手紙の主旨は、「二人の出会いをつくって、二人が結婚を決意するまで、いろいろ助言していただいた、と聞きます、その人こそが、仲人ではないでしょうか。ぜひ、仲人を引き受けてください」と。
そのとき、わたしの奥さんだった人に、この手紙をみせて、「(俺ら若くてふさわしくないが)、笹島君の仲人、やろうか?」というと、やりましょう、と同意してくれた。
そんなわけで、笹島正司くんご夫妻の結婚式の仲人をやらせてもらった。
そしてすぐに、笹島くんは、帯広から函館に転勤になった。
浜田省吾、ジョニー大倉、矢沢永吉、中村雅俊。初期の函館のコンサートは、すべて、わたしがプロモートしていたが、それは函館に笹島正司くんのご夫妻がいたからだ。
道南・函館の音楽市場の状況は、パイオニアの有能な営業マン、笹島くんに尋ねると、具体的で正確な分析をしてくれる。レコード店・楽器店・プレイガイト、新聞社・ラジオ・テレビ局、アマチュアバンドの動静など、訊ねると詳細な情報をくれる。
矢沢永吉・函館コンサート、中村雅俊・函館コンサート。(帯広の、わたしが函館にいってプロモートしていた。帯広の人たちは、なにも、知らないだろが………)。
笹島正司くんが、くも膜下出血で、突然、若く亡くなったのは、いまも、悲しく、つらい。
笹島正司くんは、わが帯広三条高校山岳部の後輩だ。高校生のとき、いっしょに、残雪のニペに登った。
人と会わない、話さない、が続いている。
毎週日曜日、弟が夜にやってきて、いっしょにワインを飲んで、音楽や映画の話をする。言わば、戦場慰問だ。老老介護の、戦いの最前線の。
弟は、レコード屋・CD屋が、わたしよりずっと長い。音楽の、小売店での販売が、人生の人だ。わたしの知らない、80年代・90年代の音楽にもやたら詳しい。
わたしの兄弟3人は、子供のときから洋画が好きだから、映画と音楽の話はつきないのだ。
弟夫婦は、飲食店をやっているので、日曜日、父の夕食のために豪華な弁当をつくって持ってきてくれる。だから、わたしは、日曜日の夜だけ、”バカ殿御膳”を作らずにすむ。これも有難い。
(この”バカ殿御膳”、温泉卵からデザートの果物まで、制作には、ほぼ1時間半かかる。これをわたしは毎日毎日やっている。自分自身の食事は、ほぼ10分でできるが……………)
そんなわけで、弟が来てくれて、週に一度だけ人と会話をする。
その弟が、インフルエンザで、わたしに感染させてはマズイということで、やって来ない。2週間、人と話をしないことになりそうだ。
いま、父とは、まったく話さない。
2012年、帯広に帰ってきて、驚いた。父親が、まったく会話に応じないのだ。朝、おはよう、と言っても返事もしない。目も合わせない。
わたしだけじゃなく、母に対しても同様だった。母が一方的に話して、父は、顔をむけることもなく、テレビをみている。
しかし、自分の言いたいことは、大声で怒鳴る。「タバコが無くなる」「アイスキャンデーは、買ってあるのか?」「おまえ、俺の牛乳を、いつ買いに行くんだ? もう一つ(ワンパック)しかないだろ!」
それにしても………九州の森本くんの慰問の電話が有難い。
先日、ジョニー大倉さんが亡くなった。
キャロルが解散したあと、ソロになったジョニーさんも、矢沢永吉さんも、北海道では、まず、わたしがプロモーターだった。
そのことは、前にも書いた。
1976年のことだ。
パイオニア函館営業所の笹島正司くんから、パイオニアが北斗電気のイベントの幹事になって、本社から予算をもらったので、なにか企画してくれませんか? と、連絡がきた。
その当時、道南の一番店だったその電気量販店は、各メーカーから協賛金をとって、年に一度、函館・拓銀ホールを一週間借り切って、さまざまなイベントを開催している、という。
パイオニアが、その、一週間のフェスティバルの1日を担当した。
北斗電気の(パイオニアの)、予算の金額をきいて、わたしは、ジョニーさんの事務所にオファーした。
そんなわけで、ジョニーさんのバンドとの出演契約はでき、わたしは、ぜひ、浜田省吾をいっしょに出演させたい、と思った。
浜田省吾は、前座ではない。ジョニー大倉バンドと浜田省吾バンド、ジョイント・コンサートだ。
それを、やりたい!
そんなわけで、わたしは、帯広バンドを組んで、函館にいった。
この予算を組んでくれたのは、浜田省吾さんのCBSソニーでも、ジョニー大倉さんの日本フォノグラムでもない。
パイオニアだ。
ジョニーさんのバンドのギャラ・あごあし、浜田さんと町支さん、帯広バンドの経費。
函館・サウンド・パパのスタジオ代。
このすべてを出してくれたのは、パイオニアなのだ。
そのとき、”北斗電気祭” の幹事社だ。
担当が、笹島正司くんだった。
つまり、笹島正司くんこそ、浜田省吾さんの思い出の”函館”、そもそもをつくった営業マンだ。
ジョニーさんのライブは、メチャクチャうけたから、主催者も、予算をつけたパイオニアも、担当した笹島正司くんも、勝者だが、このすべて仕込みをした、わたしは、なにかココロ残りだった。
浜田省吾だ、ほんとうに、俺がうりたいのは! すごい、と思っているのは………………ぜんぜ、ダメじゃないか………しかし、おれは、やる、浜田省吾だ……………………
ともかく、最初、”浜田省吾 with 帯広バンド” 函館ライヴのお金を作ってくれたのは、パイオニアの笹島正司くんだ。
全国高校駅伝大会、おもしろかった。
毎年、この年末の全国高校駅伝大会を楽しみにしている。とくに女子だ。この大会で活躍した女子高校生のなかから、世界的に活躍するマラソンやトラックの長距離ランナーが何人も出ている。
今年の優勝校、大阪薫英女学院のレースは、みごとだった。1区からアンカーまで実力もあるが、なにより心が強い。みごとだ。わたしはみていて、それにシビレる。
1区の長身の嵯峨山佳菜未さん、4区の前田梨乃さんの ”けっして負けない” 走りがとくに印象的だった。もちろんアンカーの加賀山恵奈さんの ”絶対、勝ってやるわ!” という強い意志の走りには感動した。
そして、初優勝だから、監督の、ここまでの指導力が大きい。
わたしは、テレビで観るスポーツで、マラソン、駅伝が一番好きなのだが(二番目は、サッカーかな)、以前、アメリカ人の知人にそう言ったとき、大笑いされた。「なにが面白いんだ、あんなもの?」と。
日本に来て、まず最初の”日本の不思議”は、日曜日の昼、テレビで2時間以上もマラソンの中継をやっていることだった、という。ランニングやジョッギングは、自分でやるもので、他人が走ってるの観て楽しいかい? ともいう。
このアメリカの知人に、「なら、アメリカ人は、テレビで楽しむ好きなスポーツは、何なんだよ?」と、たずねる、と。やはり、「フットボールだろ!!」という。次に、「バスケットボールかな、俺は」という。
わたしは、マラソンが好きなので、東京国際女子マラソン大会の現場、つまり沿道の外堀通りに出かけたりした。
大手門の交差点でトップ集団の選手をライブでみて、すぐに東京メトロに乗って部屋に帰る。25分で部屋に走りこめるから、後半をテレビでみる。
その、世界の女子マラソンの歴史を切りひらいた、資生堂の東京国際女子マラソンは、東京市民マラソンがはじまって、東京都で2大会の開催は金銭的にも人的にも、無理とか。女子マラソンは、会場が横浜に移った。だが、その横浜大会も終わった。
わたしは、市民マラソンのなかで、プロフェッショナルなランナーのレースもある、というやつが好きでない。コスプレや、着ぐるみの、おどけてはしゃいだやつらと、勝利のため、人生をかけて、毎日30キロ以上走るようなアスリートが、おなじ大会を走るのが、わたしには、なじめない。
夕方に起きて、朝までパソコンのまえにいる、という、トンデモない生活をつづけている。父親のクレージーな生活時間につきあっていると、こうなる。
老人が、老人を介護する。これは、けっこうキツイ。
母とならまだしも、父親と二人で暮らす。それも半世紀ぶりくらいに…………。これは、つらい。ほんと。
老人になって、老父と二人で暮らす。これくらい、この世で鬱陶しいことはない! 十代の後半、ただただ、父親から離れたくて、この町を出て都会に行った。だが、40数年もたって、その大嫌いな男と二人だけで暮らす。
二十歳のとき、故郷に帰ってきたのは、母の仕事の、レコード屋を助けたかったからだ。母は、帯広ステーションデパートのレコード売り場の店長だった。(父が、このレコード店・サウンドコーナーの社長ということだったが、父は義理の兄と設立した会計事務所の共同経営者で、それで十分な収入があって、レコード店は、彼には趣味だったようだ。いまの、わたしの深夜の雪かきのようなものかな?)。
わたしの継母は、要藤電気店の長女で、わたしは母の実家の電気店で、小学生のときから毎日のようにレコードを聴いていた。むかしは電気店の中にレコード売り場があったのだ。
北海道・帯広で、ラジオ放送は、NHKとHBCで、洋楽の番組などまったくないとき、わたしは、母の実家・要藤電気店で毎日、学校帰り、洋楽の新譜を聴いていた。
実母とは、7歳のときに別れたが、10歳とき会った継母は、厳しく優しい、みごとな母親だった。よく叱られたものだ。
その母が、直腸ガンの手術をして4年、抗がん剤治療も放射線治療も、やめた、と、言った。だから、2012年、北海道に、帰ってきたのだ。母の最期の日々を一緒にいたい、と思った。
だから、いま、父といるのは、想定外だな。
男は、自分の末路を、自分で考えて、やる。というのが、わたしの考えだから、老父の甘えた生活が、わたしには、あまり理解できない。
真夜中にまた、完全防備で除雪をする。
星が、綺麗だ。
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『アフリカの女王』がおもしろい。
高校生のときか、大学生のときか、観たときはちっとも面白くなかったのだが…………。
雪が深いので、散歩にも買い物にも行かない。幹線道路は除雪されているが、こんな大雪のあと、ウロウロするのは愚かなことだ。
しかし、部屋でじっとしていると、老化がさらに進行するので、深夜、外に出て、趣味の”雪かき”をする。
雪かきの合間に夜空をみる。すごい! 凄すぎる。なんと……まあ…美しんだ。
星空のみごとなこと。
乾燥した大気、頬がひりひりするほどカリンカリンの寒気。まあ、みごとな星空だ。
北斗七星が、高い。
北海道・帯広にもどって、毎日のように感動するのは、月と星、夜空の美しさと、水道水のうまさだ。
帯広の積雪は、59センチ、という。
わたしは、昨夜、雪かきをやりながら、これは80センチだな、と思っていたが、錯覚のようだ。
わたしは、夜じゅうずっと、雪かきをしていた。朝、ドカッと積もった雪を除雪するより、降ってる途中、途中で、こまめにやるのが、好きなのだ。
だから、大雪のときは、酒を飲まず、時々コーヒーを飲んでは、徹夜で除雪をする。
今夜も吹雪の予報だが、父の遅い夕飯をつくってから、完全防備の服装で、趣味の”雪かき”をはじめた。
歩くこと、とか、雪かきとか、こういう単純な肉体の運動をやっているときこそ、思考の深度が深い。
それに、風は強烈だが、星が、じつに、みごとだ。
昨夜は、九州の森本くんから ”大雪見舞い” の電話をいただいた。「北海道、大荒れになるようですが」………「気をつけてくださいね」、と。
大雪だ。
帯広で、12月中にこれほど雪が積もるのはめずらしいのではないだろうか。
今、午前5時。もう80センチ以上積もっているが、雪の勢いは、ますます激しくなってきている。1メートル以上積もるかもしれない。
一晩中雪かきをやっていたので、少し休憩。夜が明けたら、また雪かきだ。
風も吹いてきた。吹雪になるのか?
停電がくるかもしれない。今夜は、ワインはヤメ。シラフでいなきゃね。
午前5時半。突然、雪がやんだ。
少しまえ、テレビでクリント・イーストウッド監督・主演の『ホワイトハンター、ブラックハート』をやっていた。この映画、封切りを映画館で観て、あまり面白くなかった。そのあと何度か、ビデオでみたが、やはり、よくわからなかった。
しかし、今回、この歳になって観ると、やたらと面白いのだ。
この映画は、ジョン・ヒューストン監督が『アフリカの女王』を撮影したときの、傲慢のきわみの、ジョン・ヒューストンがモデルの映画だ。
わたしはすっかり、クリント・イーストウッド演じる、ジョン・ヒューストン監督のトリコになってしまって、自伝『An open book John Huston 王になろうとした男』(宮本高晴訳 2006年 清流出版株式会社)を真夜中に注文した。478ページの厚い、高額の本だが、インターネットの古書店では、安い。届いた本は、これ中古本? というほど状態は良い。きっと……だれもページを切ってないだろうな…………。
読みはじめた。おもしろい!
王になろうとした男 | |
John Huston,宮本 高晴 | |
清流出版 |
与党圧勝。めでたいことだ。
そんなわけで、机にひまわりを飾った。(あまり関係はないが、なぜか、ひまわり。左のグラスにあるのは、榊)。
しかし! それにしても残念なのは、わが帯広三条高校、昭和42年卒業・3年A組のクラスメイト、清水誠一くんが比例・北海道ブロックで落選したことだ。
北海道11区、十勝には、中川郁子さんと清水誠一くん、政権与党の衆議院議員が二人いた。それは、十勝の農業・漁業・土木建築・食品製造業・商業など、あらゆる十勝・帯広の経済にとって大きなメリットだったはずだ。
しかし…………そういう現実を理解できない中二病の人たちが、多数いる。脳内お花畑をさ迷う、左巻きの人たちだ。
公示まえから、テレビ・新聞の、反安倍政権へのネガ・キャンペーンは酷いものだったが、とくに、北海道の新聞とテレビは、常軌を逸していた。さすが、 ”アカの大地” と揶揄される土地柄だな、と、呆れ、胸くそ悪くなったものだ。
きょうも、マスコミは、投票率が悪いから信任されたわけじゃない、とかアホな八つ当たりをしている。投票しなかった人たちは、衆議院を解散した、その首相の政策を支持した、ということなのだよ。それが、民主主義国家での”選挙”というものだ。
新聞・テレビのキャスターだの、コメンテーターたちの発言は、いま、若い世代にまったく信用されてない。しかし、そのマスコミの垂れ流す情報を信じ込む人たちも、いまもまだ、多数なのだ。
投票に行かなかった人たちは、与党安倍政権のこの2年間の経済政策を支持し、これから続く4年の任期で行うだろう政策、立法に、全面的に白紙委任した、ということなのだよ。それが民主主義の選挙制度というものだ。新聞・テレビのマスコミの反日(反日本国民)の売国奴どもが、どんなに手前勝手なアホ論を張ってみても、国民は、アベノミクスを支持したのだよ。(安倍政権を支持しない国民は、投票所に出かけ、共産党とかに入れ、安倍ちゃん”否 ”という意思表示を明解にした)。
景気は、確実に立ち上がって来ているだろ。雇用は拡大しているし、来春新卒者の内定率は、20年前のレベルまで回復した、ともいう。
大企業の給料・ボーナスは上がってる。
しかし、それは、大企業だけのこと、中小企業は青息吐息で、従業員は相変わらず薄給に苦しんでいる、というのが、マスコミの報道だろう。
しかし、これは、マスコミのなかで、高給に惰眠をむさぼる記者だのキャスターだの、得意の捏造だろ。
大企業が、月給・ボーナスを昇給できるほど業績が上がっているのなら、その下請け・孫請けの企業が、仕事がないわけがないだろう。実際、土建業などの下請け企業は、仕事がいっぱいあるが、人手不足で受けられない、という。
中小企業の経営者は、儲かっていても、従業員に還元しない、だけだろうな。
もし、民主党政権のときと、少しも給料、パート代が変わってないなら、その会社は、ダメだろうな。消えればいい。
景気は悪い、などと、およそ、テレビの取材に登場する、中小企業の経営者など、テレビ局の仕込みだろ。いま、景気が立ち上がっているとき、自ら努力をしないで愚痴ってる無能な経営者など、消えるべきだろうな、従業員の、明日の幸せのために………。
衆議院選挙の投票日は、雪で天候は荒れる、かも知れないとニュースにある。
わたしは、人に、なんどもなんども言った。公示の翌日から期日前投票ができる。
だから、できるだけ期日前に、投票したほうがいいよ、と。
決められた投票日に、自分がどうなっているか? わかりゃしない。歳だ。その日まで、生きていることさえ、危うい。”俺たちに明日はない”。
俺たちに明日はない [DVD] | |
ウォーレン・ベイティ,フェイ・ダナウェイ,ジーン・ハックマン | |
ワーナー・ホーム・ビデオ |
パソコンをスリープにして雪かきに出た。1時間くらいでもどってパソコンを立ち上げると、インターネットに接続できない。
なぜだ? ルーターは正常だ。IP電話も使える。
なんか面倒なことになってしまったな。とりあえず父親の食事を作ってから、原因を見つけて解決しようか。と、階下におりた。
父の食事を作り終わると、なんだかすべての気力を失った。いつものことなのだ。父親の豪華な夕飯を作っているあいだに、自分自身の食欲さえ、なくなってしまう。
そんなわけで、バカ殿御膳を作り終え、パソコンのことはあした解決しよう、と、ワインを飲みはじめた。高倉健さん主演の『あなたへ』を観ながら…………。
そして、今朝。パソコンを立ち上げて、メールを開くと、なんと正常だ。 昨日の、あの”接続未設定”とは、いったいなんだったのか?
あなたへ DVD(2枚組) | |
高倉健,田中裕子,佐藤浩市,大滝秀治,ビートたけし | |
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