近所のニッサン・サニー、2台
散歩道の旧江戸川にバンが浮いて泳いでいた。バンは、鳥。全身が黒く、尖ったくちばしの上、額の部分が赤く、小型の鴨くらいの、足に水かきがある水鳥だ。鴨と違ったチョコマカした動きがかわいい。肉質は鮮烈な赤身で、食べると、じつに美味だ。
小学生の時、最初に撃ち落としたのが、バンだった。十勝、池田のベカンベ沼でのことだ。SKBの上下二連の12番口径の銃を、「おまえの銃だ」と、父親にわたされて撃った最初の獲物だった。それまでは、鴨を追いだし、撃たれて水に落ちた鴨を回収する、犬の役をずっとやっていた。ゴムボートや、川船の扱い方は、このとき覚えた。
撃った鴨の内臓をぬくのも、わたしの役だった。父は、自分で撃った鳥、釣った魚をぜったいに食べない、という人で、解体もいっさい自分ではやらない。それでいて、狩猟や釣りが好きだ。ときどきこういうハンターや釣り師がいる。その後、何人もそういう人たちにあったが、父の例があるので、べつに驚かなかった。
撃ち落とした鳥の羽をむしり、ウサギを解体して食べるのは、家ではわたしだけだった。だから、庭で七輪に火をおこし、ひとりで焼いて食べたものだ。べつに山のなかで住んでいたわけでじゃない。そのころは、帯広市の柏林台の住宅街に住んでいたから、奇妙で不気味なガキだったのかもしれない。庭で鳥の解体をして、七輪で焼いて食う小学生だ。
獲物の鳥を喜んで食べてくれるは、電気屋の祖父とオジさんたちだった。高校生のとき、ガンを撃ち落としたことがある。大きさから、おそらくヒシクイだと思う。それは池田の利別川の古川だった。そのころ雁(ガン)はまだ狩猟鳥で、撃つのは違法じゃなかった(もちろん、高校生のわたしが銃を撃つのは、まったく違法だったが)。
上空の群れから離れた一羽が、わたしたちが待ち伏せていた古川におりてきた。300メートルくらいはなれた父の前を下降していく。しかし、なぜか父は撃たない。あとで聞くと、マガモをねらっていたから、ブローニングの五連銃に3号弾しか詰めてなかったので、雁に撃っても効かないと判断した、という。雁(ガン)は、ライフルで撃たないとダメだ、と信じていたのかな? (たしかに大きさといい、羽の頑強さといい、散弾をはね返す、という説はうなづける。ヒシクイは、白鳥の大きさがある)。
遠くの父の前を、雁はゆうゆうと飛びすぎ、水面に沿ってわたしの方にむかって飛んでくる。わたしに躊躇はなかった。雁はライフル弾でないと落とせない、という知識もなかった。腰の弾帯の右側に1号、左側に3号とわけて差していた。2連銃の両方に1号弾をいれて射程にはいるのを待った。(散弾の場合、号数が小さいほど、粒が大きく、当たるとダメージが大きい。しかし、逆に小さい獲物や至近距離では、粒が小さい弾のほうが命中精度があがるし、致死率もあがる)。
わたしにむかって、水面を飛んでくる雁を、わたしは躊躇なく、撃った。グラッとしたが、飛翔はゆるがない。二の矢を放つと、またグラッとした。だが、ゆうゆうと目の前を飛ぶ。わたしは、銃を折り、空薬莢をとばして、1号弾を2発つめて、目のまえを飛ぶ巨鳥を撃った。2発とも確実に当たって、グラッとする。しかし、落ちない。わたしは、また銃を折って、弾をいれかえ、撃った。(機敏なのだ。まだ16才かそこらだから、機敏なのだ。いまのように、関節や神経が劣化したり、錆びついてない)。
かくじつに5発は命中させた。しかし、落ちない。弾倉にまだ1発残っていたが、もう射程距離をこえる。もう撃つことはない。鳥は、沼の水面に沿って遠く飛んでいった。タフなやつだ。そのとき、遠くの水面に水柱が立ったように見えた。落ちたか?
わたしはすぐに父の車まで走って、トランクのゴムボードをもって沼の水面までおりた。「雁が、散弾で落ちるわけないだろ!」と、父がいう。父は両手に、マガモの青首(オス)とほかに3羽の鴨を持っていた。たしかに、ゴムボートをこれから脹らませて、あんな遠くまで、漕いでいくほど、落としたという確信あるのか? という問いを、父はわたしにしていた。
そのときの、父のゴムボートは、米軍払い下げのやつで、使ったのは朝鮮戦争か、ベトナム戦争か知らないが、そこらに修理のあとと血のあとがあるやつで、ポンプが小さく、ポンプの接続部分に漏れがあって、ふくらませるのに時間がかかる。それに、浮いているときの信頼度の無さはバツグンだ。父は、ぜったいに乗らない。自分で買ってきて、自分は、ぜったいに信頼してない。アメ公のボートはダメだ、と。というわけで、わたしが乗るわけだ。
夕方だ、もう暗くなる、時間もかかる、だから、めんどうなゴムボートをふくらせて、回収するほどのこともないだろう、というわけだ。「どうせ、当たってない!」という。
でも、わたしは自分が撃ったヒシクイを回収した。これは、子ヤギほどあった。鳥のイメージとはかけ離れている。喜んでくれてたのは、電氣屋の祖父とオジさんたちだった。ジンギスカンの鍋で焼き、すき焼きのようにして食べて喜んでくれた。
レミントンの30.08のライフルを手にして、父は、鹿を撃ってくるようになった。得物を解体するのは、高校生のわたしだった。そんなわけで、子供のときから、解体新書をみるように動物の構造を知った。
相田翔子さんのような工場フェチがいて、鉄塔大好き人間がいる。なら、パイプ好きがいるだろう。そんな人たちに、このパイプはどうだろう。かなりエロだ。 右手前の不気味な黒い影? 写真をとる、わたしだ。
いまでもきっと、ショットガンを撃つと、そんなに下手ではない、と思う。10才から、30年近く撃っていたのだ。ギターは弾けないけど、銃は撃てる。たくさんの動物を撃って食ってきた。自分で撃ったものは食べる。釣った魚も食う。キャッチ・アンド・リリースなんか、わたしは知らない。