Ommo's

古い曲が気になる

大晦日だ

2008-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1783  正月準備の稲荷神社

Cimg1791  その参道に咲いていた梅

Cimg1784  参道入り口の鳥居

 

 

 近所の稲荷神社にお参りして、肉ソバを作って食べたので、大晦日のイベントは終わった。Dynamite!!の桜庭と田村の試合があまりにつまらないので、横浜テレビの「カーペンターズ特集」にチャンネルを変えた。カレンの映像をみていると、悲しい気分になる。カレン・カーペンターが、32才の若さで、拒食症で亡くなって、もう25年もたつ。これは大晦日にふさわしい気分なのかわからないが、最後までみてしまった。(なぜか部屋に引かれたケーブルで、横浜テレビと千葉テレビがみれる。とてもローカルで、嫌いじゃない。横浜は、十数年前、住んでいたので、なつかしく、好きな街だ)。


最初に撃って食ったのは、バン

2008-12-30 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1771   近所のニッサン・サニー、2台

Cimg1770

 

 

 

 

  散歩道の旧江戸川にバンが浮いて泳いでいた。バンは、鳥。全身が黒く、尖ったくちばしの上、額の部分が赤く、小型の鴨くらいの、足に水かきがある水鳥だ。鴨と違ったチョコマカした動きがかわいい。肉質は鮮烈な赤身で、食べると、じつに美味だ。

 小学生の時、最初に撃ち落としたのが、バンだった。十勝、池田のベカンベ沼でのことだ。SKBの上下二連の12番口径の銃を、「おまえの銃だ」と、父親にわたされて撃った最初の獲物だった。それまでは、鴨を追いだし、撃たれて水に落ちた鴨を回収する、犬の役をずっとやっていた。ゴムボートや、川船の扱い方は、このとき覚えた。

 撃った鴨の内臓をぬくのも、わたしの役だった。父は、自分で撃った鳥、釣った魚をぜったいに食べない、という人で、解体もいっさい自分ではやらない。それでいて、狩猟や釣りが好きだ。ときどきこういうハンターや釣り師がいる。その後、何人もそういう人たちにあったが、父の例があるので、べつに驚かなかった。

 撃ち落とした鳥の羽をむしり、ウサギを解体して食べるのは、家ではわたしだけだった。だから、庭で七輪に火をおこし、ひとりで焼いて食べたものだ。べつに山のなかで住んでいたわけでじゃない。そのころは、帯広市の柏林台の住宅街に住んでいたから、奇妙で不気味なガキだったのかもしれない。庭で鳥の解体をして、七輪で焼いて食う小学生だ。

 獲物の鳥を喜んで食べてくれるは、電気屋の祖父とオジさんたちだった。高校生のとき、ガンを撃ち落としたことがある。大きさから、おそらくヒシクイだと思う。それは池田の利別川の古川だった。そのころ雁(ガン)はまだ狩猟鳥で、撃つのは違法じゃなかった(もちろん、高校生のわたしが銃を撃つのは、まったく違法だったが)。
   
 上空の群れから離れた一羽が、わたしたちが待ち伏せていた古川におりてきた。300メートルくらいはなれた父の前を下降していく。しかし、なぜか父は撃たない。あとで聞くと、マガモをねらっていたから、ブローニングの五連銃に3号弾しか詰めてなかったので、雁に撃っても効かないと判断した、という。雁(ガン)は、ライフルで撃たないとダメだ、と信じていたのかな? (たしかに大きさといい、羽の頑強さといい、散弾をはね返す、という説はうなづける。ヒシクイは、白鳥の大きさがある)。

 遠くの父の前を、雁はゆうゆうと飛びすぎ、水面に沿ってわたしの方にむかって飛んでくる。わたしに躊躇はなかった。雁はライフル弾でないと落とせない、という知識もなかった。腰の弾帯の右側に1号、左側に3号とわけて差していた。2連銃の両方に1号弾をいれて射程にはいるのを待った。(散弾の場合、号数が小さいほど、粒が大きく、当たるとダメージが大きい。しかし、逆に小さい獲物や至近距離では、粒が小さい弾のほうが命中精度があがるし、致死率もあがる)。

 わたしにむかって、水面を飛んでくる雁を、わたしは躊躇なく、撃った。グラッとしたが、飛翔はゆるがない。二の矢を放つと、またグラッとした。だが、ゆうゆうと目の前を飛ぶ。わたしは、銃を折り、空薬莢をとばして、1号弾を2発つめて、目のまえを飛ぶ巨鳥を撃った。2発とも確実に当たって、グラッとする。しかし、落ちない。わたしは、また銃を折って、弾をいれかえ、撃った。(機敏なのだ。まだ16才かそこらだから、機敏なのだ。いまのように、関節や神経が劣化したり、錆びついてない)。

 かくじつに5発は命中させた。しかし、落ちない。弾倉にまだ1発残っていたが、もう射程距離をこえる。もう撃つことはない。鳥は、沼の水面に沿って遠く飛んでいった。タフなやつだ。そのとき、遠くの水面に水柱が立ったように見えた。落ちたか?
  
 わたしはすぐに父の車まで走って、トランクのゴムボードをもって沼の水面までおりた。「雁が、散弾で落ちるわけないだろ!」と、父がいう。父は両手に、マガモの青首(オス)とほかに3羽の鴨を持っていた。たしかに、ゴムボートをこれから脹らませて、あんな遠くまで、漕いでいくほど、落としたという確信あるのか? という問いを、父はわたしにしていた。

 そのときの、父のゴムボートは、米軍払い下げのやつで、使ったのは朝鮮戦争か、ベトナム戦争か知らないが、そこらに修理のあとと血のあとがあるやつで、ポンプが小さく、ポンプの接続部分に漏れがあって、ふくらませるのに時間がかかる。それに、浮いているときの信頼度の無さはバツグンだ。父は、ぜったいに乗らない。自分で買ってきて、自分は、ぜったいに信頼してない。アメ公のボートはダメだ、と。というわけで、わたしが乗るわけだ。

 夕方だ、もう暗くなる、時間もかかる、だから、めんどうなゴムボートをふくらせて、回収するほどのこともないだろう、というわけだ。「どうせ、当たってない!」という。   

 でも、わたしは自分が撃ったヒシクイを回収した。これは、子ヤギほどあった。鳥のイメージとはかけ離れている。喜んでくれてたのは、電氣屋の祖父とオジさんたちだった。ジンギスカンの鍋で焼き、すき焼きのようにして食べて喜んでくれた。

 レミントンの30.08のライフルを手にして、父は、鹿を撃ってくるようになった。得物を解体するのは、高校生のわたしだった。そんなわけで、子供のときから、解体新書をみるように動物の構造を知った。

Cimg1775  相田翔子さんのような工場フェチがいて、鉄塔大好き人間がいる。なら、パイプ好きがいるだろう。そんな人たちに、このパイプはどうだろう。かなりエロだ。  右手前の不気味な黒い影? 写真をとる、わたしだ。

 

 いまでもきっと、ショットガンを撃つと、そんなに下手ではない、と思う。10才から、30年近く撃っていたのだ。ギターは弾けないけど、銃は撃てる。たくさんの動物を撃って食ってきた。自分で撃ったものは食べる。釣った魚も食う。キャッチ・アンド・リリースなんか、わたしは知らない。 

 


オーストラリア人の息子がいる

2008-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1749   夕暮れ、東京湾の夜釣りにでていく釣り船

 

 

 オーストラリア人の息子がいる。娘たちのダンナということじゃない。わたしとオーストラリア人の女のあいだの子という、そんな話なわけはない。養子だ。10年以上前、知り合った青年だ。英語を教えてもらった。

 出会ったとき、彼は19才で、オーストラリアの大学を休学して、ワーキングホリデーでやってきて3ヵ月くらいだった。英会話学校のアルバイト講師をやっていた。わたしは、1時間2000円でかれを雇い、酒を飲みながら英会話を教わり、日本語と漢字を教えた。こうして、わたしは50才ちかくなって、英語の復習をはじめた。

 出会ったときから、かれは、日本語がうまかった。とても来日して3ヵ月とは思えない。語彙は少ないが、外人の話すアクセントではない。中国人たちや、テレビにでる外人タレントたちの、気持ちの悪いアクセントの日本語じゃない。日本人とおなじ、ほぼ完ぺきな日本語のアクセントだ。

 父親が黒沢明のファンで、子供のときからビデオで黒沢映画をみていた、という。オーストラリアのテレビでアニメの「鉄腕アトム」が放映されて、すっかり日本ファンになり、ケアンズの公文で日本語を習っていた、という。わたしは、そのときの話で、はじめて、公文が外国にもあると知った。公文は、世界中に進出してるんだね。 

 部屋が近かったので、よくいっしょにビールを飲みながら、映画をみた。よくわからない英語表現をかれにたずねることができるし、かれは、日本語の字幕のおかしなところをわたしに聞く。たがいに、ひとりで映画をみるよりは数倍たのしめる。 

 かれは、すぐに日本語検定1級に合格したから、もともと語学のセンスがあるのだろう。1級は、十年以上も受けつづけ、合格しない外人がたくさんいる。いまは、新聞も本も、普通の日本人のように読む。普通レベルより、日本語の読解力があるかな。

 けっきょく、ワーキングホリデーが終わっても帰国せず、日本の国立大学で聴講生(科目等履修生)をやってビザをとったりしていた。毎年ビザの更新に苦労していた。大学を卒業していない、つまり、英語教師としての教育を受けてない、ということで、英会話講師として正式に働けるビザを日本政府は出さないのだ。(オーストラリアの大学は休学のままだった)。

 学生のビザや観光ビザでつなぎながら、英会話学校のアルバイト講師をつづけていた。マイナーな英会話学校は、こういう外国人の足元をみて、とんでもなく安い賃金で講師に使う。しかし、いよいよイミグレに最終通告を言いわたされ、帰国を勧告された。

 そこで、わたしの養子にしてしまおうか、ということになった。これは、専門家からのアドバイスだった。ビリヤード友達、飲んだくれ仲間の法務省役人のアイデアだった。

 養子にするのは簡単な手続きだった。しかし、日本のイミグレーションは甘くなかった。成人の場合は、養子でもビザは出せない、未成年なら養父に扶養してもらわなければならない、ということがあるだろうが、成人に対して、日本人の養子になったから無条件で日本滞在の許可をだす必然がない、という論理なんだ。なかなかだろ。作戦は失敗だ。

 しかし、これだけオーストラリア人の大学中退の青年にはきびしいのに、中国人やほかの外人が首都圏にはゴマンといて、東京のあらゆるところで働いているのは、なんなんだろうね。

 そんなわけで、オーストラリア国籍でありながら、日本人の養子のかれは、オーストラリアに帰っていった。

 

Cimg1739  境川に浮かぶ廃船  わが身を見るような光景だね   


東京タワー、50年

2008-12-28 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1719  近所の、ぜんぜん美しくない海  東京湾最深部

 高架は、京葉線

 

 東京タワーは築後50年だという。東京タワーを造ったときの鳶にあったことがある。東陽町の竹中工務店東京本店の新築工事現場でのことだ。

 東京タワーは、竹中工務店が施工した。ほかにも、日本武道館、東京ドーム、有明スタジアムなど、東京のランドマーク的建築物は竹中工務店がつくっている。南極の昭和基地も竹中工務店がつくった。

 わたしは、東京本店新築工事の警備員のおっさんを一年やった。そこに70才を過ぎた雑工の老人がいた。なんでもやる職人で、大きな建築現場にはかならずこういう人がひとりいる。根切りのときから最後まで現場にいる。現場に必要なあらゆる免許をもっていて、やらされる分野はかぎりなく広い。

 コンクリート打設の土工が足りないときは、土工になり、左官の手直しをやり、ゴミの分別をやり直し、トイレの掃除をやり、休憩所の清掃をやらされる。鉄板の溶接を直してくれ、と監督にいわれ、事務所の灯油をいれておけ、といわれる。なんでもやる。電氣にも詳しくて資格ももってる。ダンプも運転して、ユンボも巧みに操縦する。鳶だから高いところは得意だ。若い監督など足元にもおよばないほど、建築現場のあらゆる分野に精通している。しかし、若い監督たちは、奴隷のようにこき使う。

 そういう雑工の老人がいた。東京タワーのときは、鳶だった、という。以来、竹中工務店の現場ばかりをやってきた、という。「働く必要はないんだが、(年金の金額を聞いてぶっ飛んだ)、うちで、ばーさん(おかみさん)の顔みてると鬱陶しいから、たいした日当にもならんが現場にくるんだ」という。ここで稼いだ金は、風俗に使うんだ、と。

 「70過ぎたジイさんが、ソープでもないだろ。女の子が気持ち悪るがるだろ」と、若い土工が言った。現場にはかならずこういうバカがひとりはいる。

 「それが、モテモテなんだな。世の中、なんだって金しだいよ」、現場での会話は、なかなか哲学的だ。

Cimg1714  散歩道の綺麗に刈り込まれた山茶花


鉄塔好きのための夕暮れ

2008-12-27 | 日記・エッセイ・コラム

ミリオンダラー・ベイビー [DVD] ミリオンダラー・ベイビー [DVD]
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  近くの鉄塔。鉄塔大好きの人にはたまらない夕陽だろうな。

 

 

 NHK教育、深夜の「シタノ・ド・ベルジュラック」は、じつに面白かった。ニューヨーク、リチャード・ロジャーズ劇場での録画映像だ。シラノを演じたのは、ケビン・クライン、ロクサーヌはジェニファー・ガーナー、クリスチャンがダニエル・サンジェタだった。アンソニー・バージェスの脚本がみごとだ。IMDbのページをみるとDVDの発売は来年1月だとある。もう一度見てみたいものだ。

 きょう、NHKで再放送された「ターシャからの伝言」では、「ミリオンダラー・ベイビー」のサントラが効果的に使われていた。クリント・イーストウッドの音楽だ。ピアノを弾いているのは、監督自身だ。(このことは前にも書いた)。

 クリント・イーストウッドも、天が二物以上のものを与えた人物だ。長身、屈強な肉体、タフで二枚目の名優で、名監督、シナリオも自分で書く。そして、ジャズ・ピアノを弾き、作曲もやる。まるでチャーリー・チャップリンのように、自分の監督作品に、自分で音楽をつける。

 それに、役者のときのタフなイメージとかけなれたインテリだ。若いときからの監督作品のエンターテイメント映画でも、ある文学の香りがある。ユーモアのひねりも知的だ。まるでかって日本人が理想とした、文武両道の武人のようではないか。そして、大成功したハリウッドの映画人で、大金持ち。老人になっても、創作意欲に衰えはない。人間、これ以上なにを望むことがある! やはり、ときどき、天は二物以上のものを与えるときもあるのだね。

 「ターシャからの伝言」は、今年、92才で亡くなったアメリカの絵本作家、ターシャ・テューダーのドキュメンタリーだ。ターシャ・テューダーは、日本ではとても人気があるらしい。アメリカには、ターシャのように、ヘンリー・ソローの「ウォールデン森の生活」に影響を受けた作家や画家がたくさんいるようだ。

 ターシャ・テューダーのホーム・ページ http://www.tashatudorandfamily.com/

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 柿  鳥が食べた痕がある  柿も動物に種を託す戦略だ

 

 

 全日本選手権の、浅田真央のフリーの演技をみて、今夜も感動した。後半のステップの美しさは、もう、この世のものではない。あんな複雑なスケーティングを、あんな速いスピードで、あんなに美しく滑る。すごい! そして、音楽とシンクロした表現のみごとさ。こんな素敵なスケーターは、もうこの世に二度と現れない。モーツアルトやベートーベンが二度と出現しないように。そう思いながら浅田真央の演技をみている。

 


富岳遠景

2008-12-26 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1685 富岳遠景  夕暮れ、旧江戸川のむこうの、みごとな富士山

 

 

 快晴。強い北風のせいでみごとな富士山が、大きく近く、みえる。これは東京都心の向こうの遠景だ。いつもは、晴れていても、ここまで鮮明に富士山はみえない。寒く乾燥した強風が、大気の水分も、ビルから出る排煙も、車の排ガスも、光を乱反射させるすべての微粒子を吹き飛ばして、まるで北海道の透明な大気を透かしてみる景色のように、大きな富士を出現させた。これが、ビルも車もない江戸時代には、晴れた日の日常的な富士の景色だったのかもしれない。

 


孤独死は他人ごとでない

2008-12-25 | 日記・エッセイ・コラム

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 近所のボクシングジム

 

 

 飯島愛さんが、自分の部屋で亡くなっているのが発見された。死後1週間だという。
 
 孤独死は、わたしの場合、現実的な問題だ。きっと1週間くらい娘たちに電話をしないと、おかしい、ジジイ死んだか、と気づいてくれるだろう。それでも、またどこかフラフラ、旅にでもいってるのだろう、もう少し連絡があるのを待ってみようか、とか思われ、やっと発見されるのは、20日後とか、1ヵ月後とか、かな。

 先月、叔母の葬儀で名古屋にいき、孤独死を毎日のように扱うという葬儀屋さんに話をうかがった。1週間で発見されるのはいい方で、1ヶ月、2ヶ月なんてこともよくあるという。発見された遺体は、救急車ではなく、葬儀屋さんが運び出すのだ。身寄りがいない場合、行政がこの葬儀屋さんの費用を出す。税金だ。「いま時分の冬はまだいいんですが、夏はすごいことになってます」という。ひとり暮らしの老人が増えるこれから、もっと孤独死が多くなるでしょうね、とも言っていた。

 名古屋にいって、ひとり暮らしだった叔母の葬儀の段取りをするまで、だれがわたしの遺体を運び出すか、死亡届を役所にだし、火葬されるまでどこに安置されるか、火葬場に運搬するのはだれか、焼いた骨はどうするのか、とか、まったくわたしのイメージになかった(当たり前だが)。しかし、考えておかないとダメだな、と本気で思った。そしてなにより、金だ。すべてが金だ。火葬にも金がかかるのだ。そりゃそうだ、人を焼くにも油代がかかる。

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 散歩道の庭の木の実 なんという木なのか? 葉の形が奇妙だ

 

 マクドナルドが、大阪でのハンバーガーの新商品発売に、派遣会社を使って大量のバイトを雇って長蛇の列をつくったことが暴露され、ニュースになってる。長蛇の列をマスコミに取材させ、1000人をこえるサクラで擬装した売り上げを誇らしげに発表した。1日1店舗1000万円をこえる売り上げは、新記録だ、と。株価がすぐに反応して上がった。これは、宣伝の領域をこえて、循環取引だ。犯罪だ。粉飾決算へ至る擬装売り上げ、不正な株価の操作だ。証券取引所の上場条件に反する行為じゃないかな。

 


エイミー・マンのクリスマス・アルバムが好きだな

2008-12-24 | 日記・エッセイ・コラム

One More Drifter in the Snow One More Drifter in the Snow

 きのう、今上天皇の誕生日に孫が生まれた。きょう、クリスマス・ケーキをもって、電車を4回乗り継ぎ、バスに乗りかえ、娘が入院した病院まで孫の顔を見にいった。きょうは、クリスマス・イブ。

 生まれた孫は、女の子だ。亡くなる人がいて、生まれる子がいる。人間世界はなかなか忙しい。

 
 クリスマスちかくなると、山下達郎とワムのクリスマス・ソング、そして、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」が流れる。

 「いまや、キリスト(ジーザス)よりビートルズが有名だ」と豪語したジョンが、キリストの誕生日を祝う歌を歌うのも、なんだかな、と発売された当時は思ったものだ。曲の好き、嫌いはべつにだよ。

 かってクリスマス・ソングを出すのは、ポップス・スターのステータスだった(クラシックも、クリスマスは商売になるから、それなりのビッグ・スターがクリスマス用のレコードを出し、クリスマスのコンサートもやる)。しかし、それは、みんなキリスト教徒とユダヤ人のミュージシャンだ。

 回教徒や共産主義者や社会主義者や、アナキストのミュージシャンが、クリスマス・ソングを商売にしてはおかしいだろう? 当時、ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、反体制、反権力、反キリスト教、反戦、平和主義が売りだった。アナーキーが売りの夫婦だった。

 ジョン・レノンは、「キリスト教とロックンロールと、どっちが生き残っているか、わからない」とまでキリスト教を愚弄した。

 だから、「ハッピー・クリスマス」が発売になった当時、わたしには違和感があった。『クリスマス・ソング? おめえら、商売なら、なんでもありかい!』という感じかな、やわらかい表現でいうと。もちろん、ジョン・レノンの曲だからとても好きだ。これは、その感情とは、また違うことだ。

 (歌詞は偽善的で、臭い。「戦争は終わった」なんてどこの世界にある? クリスマス・ソングとしてはあまりに幼稚だ。キリストに対する尊敬も愛もない。クリスマスを祝う人たちへの思いもない。ただ、じぶんたちの幼稚で薄っぺらな商売用のイデオロギーのプロパガンダだ。プロデュースは、フィル・スペクター。コーラスにフィル・スペクターとオノ・ヨーコがはいってる)。

 当時のジョンやビートルズのファンは、きっと、わたしと近い思いで「ハッピー・クリスマス」を聴いたのかもしれない。まったく売れなかった。

 しかし、なんども何度も、くりかえし繰り返し、毎年12月になると流されると、人々には忘れがたい季節の音楽になって、名曲になる。ジョン・レノンの曲の力だ。

  
 クリスマス・ソング、最近では、エイミー・マンのクリスマス・アルバムがよかった。大昔では、やはりエルビス・プレスリーだろうか。カントリーやR&Bやゴスペルの人たちにクリスマスのいいアルバムが多い。あの人たちはクリスチャンだからだ。80年代は、ワムのクリスマス・ソングがよく売れた。

 

 もしジョン・レノンが、新聞記者のインタビューで、笑いをとるためのリップサービスのターゲットを、キリスト教ではなく、回教にして、マホメット(ムハンマド)よりビートルズが有名だ、と言ってしまっていたら、即日、世界中のモスリムにジョン・レノン暗殺指令が出ていただろう。それほど危うい薄氷を、ジョンは踏みぬいてしまった、のだ、とわたしは思う。

 じっさい、ジョンのキリスト発言は1966年3月、イギリスでのことだ。その8月、アメリカの雑誌にこのジョンの発言が転載されて世界中で大騒ぎになった。すぐに、その8月末、ビートルズはライブを永遠にやめる、と宣言した。レコード制作に専念するためとか、ファンの熱狂的騒ぎで満足に音楽を伝えられないから、とか言われた。しかし、ジョンのキリスト発言で、ビートルズがキリスト教徒のいる国でのライブが出来なくなったのが、現実なのだ。ジョンが身の危険を感じておびえていたのかもしれない。

 ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ハッピー・クリスマス」が発売になったのは、1971年、寝た子を起こしたようなものだ。

 いま、日本以外でも「ハッピー・クリスマス」が、12月にはながれるのだろうか? もし、そうならジョンの音楽のパワーだろう。アンチ・キリストのミュージシャンのクリスマス・ソングがクリスマスのスタンダードになる。皮肉屋のジョン・レノンにふさわしい皮肉なことだ。

Aimee Mann "One More Drifter in the Snow" http://jp.youtube.com/watch?v=bI2TvaoCEAU


孫が生まれた

2008-12-23 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1582  クリスマスのこの時期、北海道では考えられない、きょうの近所の家庭菜園
 ブロッコリー、小松菜、長ネギ、ホウレン草、エンドウ豆

 

 

 孫が生まれた。女の子だ。これで4人の孫のジジイになった。

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 近所の、きょうの鴨


M1は、NON STYLE が優勝した

2008-12-22 | 日記・エッセイ・コラム

Crocs_islander_all  

 

 M1グランプリは、キングコングが去年の雪辱をはらすというシナリオか、と思っていたのだが、ことは、そう簡単ではなかった。キングコングは、ネタそのものがダメだ。それに、力んでいるだけで、ぜんぜんおもしろくない。キングコングは、もう決勝出場のレベルじゃないな。キャリアを積むほど漫才が劣化してつまらなくなる。音楽にはよくあることだが……。

 決勝最終戦、オードリーがいつもの出来なら優勝だったが、残念だ。NON STYLE の優勝が妥当だろう。おもしろかった。

 きょうは午前中、暑いくらいの(20度くらいか)、春のような天気だったのに、突然、雲がでて気温が下がり、強い雨がふりだした。それも雪になりそうな冷たい雨だ。朝と夕方では15度以上の温度差だろう。この天気の急変はなんだろう?

 CROCSの「アイランダーislander」がとどいた。娘からのクリスマス・プレゼントだ。これはクロスライトという樹脂部分に、革のカバーが縫いつけられて、ヒモが付いてるタイプだ。もうサンダルというより、完全に靴だ。街の散歩には最適だ。

クロックス・ジャパン http://www.crocs.co.jp/aboutus.html


夏、式根島は、渋谷センター街状態になる?

2008-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg1562  江戸城 お堀のイルミネーション

 

 

 きのうの続き、式根島のはなしだが……

 伊豆の島々は、海底から突きだした火山が水面にでた頂上部分だから、温泉がわく。式根島にもいい温泉がある。波がかかる岩場の海岸にも温泉がある。海水と混じって適温のところをさがして入る。海に沈む夕日を眺めながら、だれもいない海の温泉につかる。野性だ。

 もちろん海岸の温泉は無料だ。ただ「海水パンツを着用してください」と看板があった。たしかに野外でフリチンは、いかん。わたしがいた2月は、島民以外だれもいない。島のおまわりさんに話をきくと、釣りにきている人が一人、ダイバーが一人、あとはあなたがた電話工事の関係者だけです、といっていた。「夏は、島じゅう若者であふれ、渋谷のセンター街状態なんですよ」、とも言う。企業の寮や別荘もたくさんある。みんな閉まっていたが。

 民宿のおばさんの話では、東京から近いので、若い客で夏の間じゅう夜通し大騒ぎがつづく、という。ところかまわず花火をする、キャンプを張る。酔って大騒ぎをする。観光客目当ての業者が本土からやってきて店を開く。スナック、キャバクラ、カラオケ屋、ゲーム場、パチンコ屋。ほとんどの島民はなんの恩恵も受けない。うるさくて、汚くて、迷惑なだけなのだ。おいしいところは、シーズンだけやってきて開業する本土の業者がもっていく。

 わたしがいた時期は、静かなシーズン・オフで、夕方5時をすぎると、水銀灯の街灯に照らされたメインストリートを歩いているのは、猫だけだ。夏、繁華街になるだろう界隈はみな、シャッターが閉まったままだ。喫茶店も、飲み屋も食堂も開いてるところはない。

 しかし、町営の温泉がやっていた。宿の夕飯が終わったあと、町営温泉まで歩く。これが感動的なんだ。街灯がある通りをすぎると完全な闇になる。もう人家はない。闇のすごさに驚いて空を見上げると、銀河だ。ミルキーウェーだ。そして、振り返ると、星空の下に、遠く伊豆半島が、沿岸の町の明かりで形づくられている。もし、島流しになっていたら、これほど郷愁をかきたてられる悲しく美しい夜景はない。

 そうして闇夜をたのしみながら歩くと、町営温泉がある。ちゃんとした設備の温泉で、シーズンにはずいぶん流行るのだろう。わたしが毎日のようにいった時期、ひとりの客にも会わなかった。

Cimg1569  今夜の明治安田生命ビル

 

 

 式根島にいて感動したのは、カツオの刺身と、もうひとつ、アシタバだった。明日葉とか漢字で書くのかな。野草だ。そこらに生えてる。北海道でいうと、たんぽぽ、クローバー、はこべかな、雑草というジャンルの草だ。アシタバ、これがうまいんだ。最近、近所の西友でも売られていたが、すぐに無くなった。

 新芽でもないのにアクがなくてうまい。しかし、虫に食われることもなく、路傍の雑草として繁茂している。この草を、伊豆の島々の人は大好きだ。十勝でいうとアイヌネギかな。(地方の大事な野草という意味だ。アイヌネギとアシタバは、臭いネギと、淡泊な葉もの、北極と南極、水と油だろう)。

 アシタバは、アイヌネギとまったく違って、野草としてのクセ、匂いは希薄だ。栽培された野菜のようにアクがない。しかし、昆虫、鳥、動物が避ける。人間だけが好きだ。アシタバ、不思議な野草だ。

 地方名はいろいろあるが、太平洋を回遊するカツオは、一種類しかいない、という。式根島の「アカガツオ」は、やはり、スーパーで買うカツオと同じ種だったか。


刺身に目覚めるとき

2008-12-20 | 日記・エッセイ・コラム

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 近くの旧江戸川 今日の夕暮れ

 

 

 近所のスーパーに、めずらしく新鮮なイカがあったので、イカ刺しをつくった。北海道に育ったのに、刺身、寿司に心が動かなかった。魚は大好きだが、焼くか、煮る、これが好きだ。生に興味がない。ところが、中年になって目覚めた。式根島でアカガツオを食べたのだ。

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 近所のユリカモメ

 

 

 電話工事の警備で、式根島の民宿にひと月いたことがある。式根島は、伊豆七島の三番目の島。大島、新島の次だ。式根島のつぎが神津島。ここも東京だ。東京都新島町式根だったかな。昔は、遠島、流刑地だ。罪が重いほど遠くに流される。だがら、式根島ではまだ軽い方なのかもしれない。しかし、遠くに本土、伊豆半島がしっかり見える。本土が見えるだけ、ここに流されるのつらいだろうな、と思ったものだ。

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 近所のうなぎ屋の看板

 

 

 その式根島の民宿で、毎晩夕食につく刺身があった。赤身でコリッとしてじつにうまい。「この魚、何ですか?」、3日目くらいに宿のおばさんに聞いた。「毎日同じ魚で、すいませんね」、おばさんは文句をいわれたと誤解したのか、謝る。「うちのとうさんが朝捕ってくるアカガツオなんです」、漁師が経営する民宿なのだ。

 おばさんはアカガツオと言っていたが、あとでさばく前の魚をみせてもらったが、鰹そのもので別種とは思えない。しかし、刺身になった身の色彩の鮮やかさといい、食べたときのコリコリした食感といい、東京でスーパーで買って食べているカツオと同じものとは思えなかった。まるで違う魚だ。ここらでカツオというのは、なんかちょっとトロッとやわらかい感じだが、アカガツオにそんな軟弱なところはなかった。  

 「これがカツオですか? これ、うまいですね。これは毎日でも大歓迎です」。ひと月いたあいだ、そのアカガツオの刺身のほかに、おばさんは気をつかって、ときどき、鳥の唐揚げや豚肉のショウガ焼きを出してくれて恐縮した。観光シーズンはオフで、島の唯一開いている商店では、肉がメチャクチャ高いのだ。高いのは肉だけじゃなく、カップ麺が、一個250円くらいして驚く。

 この式根島での1ヶ月のあいだ、毎晩、刺身三昧の夕食を食べて、すっかり刺身ファンになって帰ってきた。

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 近所の花屋 苗がなんと30円!


紅白で、「おふくろさん」を歌う?

2008-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

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 神田神保町岩波ホール前で演奏する、共立女子中学高等学校・吹奏楽部

 

 

 NHK紅白で、森進一に「おふくろさん」を歌わせるという。作詞の川内康範の遺族が了承したともいう。しかし、「歌わせない」といっていた作者が亡くなって、まだ1年もたっていないのだ。死者に対する礼儀というものはないのか? 喪に服するということがあるだろう。今年亡くなった遠藤実を追悼して作曲した曲を歌うのと、「おふくろさん」を森進一に歌わせることはまったく違う。作者が「歌わせない」と言っていたのだ。川内康範を追悼して「おふくろさん」をやるなら、他の歌手に歌わせるべきだろう。森進一が歌うのは、来年の紅白でもちっとも遅くないだろうに。

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 夕暮れの靖国神社

 

 

 日本人の仕事がない、というのに、なぜか近所の西友でレジを打っているのは、中国人ばかりだ。今夜も9台稼働していたレジの8人は「おう」とか「りゅう」とかのネームプレートをつけた外国人だ。無愛想で、ありがとうも満足にいえない外人をどうして使うのか? どういう在留資格で働いているのか? 都心のコンビニのレジも、いまや全滅だ。ほとんど中国人たちだ。先月行った名古屋の繁華街、栄町のコンビニも中国人ばかりだった。

 日本の若者に仕事がない、というときに、移民をいれろと騒いでいる政治家達がいる。代表が自民党の中川秀直だ。国会議員80人でつくる外国人材交流推進議員連盟の会長だ。人口の10% 、1000万人の移民を受け入れるという。狂っているとしか思えない。どこかの他の国の意志を代弁しているのだろう。こんな野郎たちが国会議員だ。こんな無節操に外国人(中国人)をいれていたら、とんでもないことになるだろう。世界不況の底はまだまだ深い。来年はもっとひどいことになるのは確実だ。10年は回復しない、という説もある。

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 巨大絵馬

 

 

 北海道に住んでる人は、東京にあふれる中国人たちの実感がわからないだろう。いまや、韓国、朝鮮の人たちの数を中国人がこえた。外国人登録している中国人は、19年度で60万人を超えた。これは正式に登録している数だ。不法滞在している人数は、この5倍とも10倍ともいわれる。すさまじい数だ。それは東京近郊の県でも実感できる。わたしの部屋の窓から飛びこんでくる、近所のマンションからの会話は、みんな中国語だ。これがじつにうるさい。夫婦げんか、子供を叱り殴る声、子供の泣き叫ぶ声、酔った男たちの罵声。どうしてやつらは、大声をだすときくらい、窓を閉めないのか? 

 

 今夜、神田神保町の三省堂本店にいくと、トム・ロブ・スミスの「チャイルド44」の文庫本が山積みになっていた。「このミステリーがすごい」の威力はすごい。「2009年版」の海外1位なのだ。上下2巻で1440円。翻訳の文庫本にはちょっと躊躇する金額だな(貧乏なのだ)。6階の洋書にいくと「Child44」はまだハードカバーしか出てない。2856円もする。ペーパーバックが近日発売だ、という。きっと、日本語版の文庫本・上下巻とペーパーバックは同じくらいの値段だろう。同じ値段なら英語で読む方がいい。「近日発売」まで待つか。というわけで今夜は我慢した。しかし、読みたい。図書館に洋書のリクエストもしておくか……、ペーパーバックの発売より早くハードカバーを購入してくれるかもしれない。

 神保町の本屋街に行ったのは、孫たちへのクリスマス・プレゼントをさがすためだ。きのうの丸善本店、八重洲ブックセンターの探索では見つけられなかった絵本をさがしだすためだ。絵本は、女の子の孫のため、そして、横山 光輝の漫画「鉄人28号」は、小学一年の男の子のため、飛行機のカレンダーは、もうひとりの小さい男の子のため。買う物は決めてあるのだが、二日歩いて、なかなか見つけられない。目的の絵本は、北沢ビルの1Fの「ブックハウス神保町 」でみつけた。洋書の北沢書店の一階は、絵本、児童書専門店になっている。

 「鉄人28号」は、コミック専門店ではみつけられず、三省堂本店にあった。コミックの在庫は、三省堂本店が一番充実していた。新宿の紀伊国屋書店本店もあるのかもしれないが、ここからはちょっと遠い。それに、新宿、渋谷にはあまり行きたくない。日本橋や銀座や、丸の内や神田神保町を歩くのは好きだ。しかし、仕事でどうしても、という以外、新宿、渋谷、池袋にはいたくない。

 道路工事や電氣、電話の警備員で、街に突っ立っている仕事をやって、その日暮らしをつづけてきた。東京の街のほとんどに一日じゅう突っ立ってきた。街とその人柄をながめてきた。川崎・堀之内のソープの前に一日じゅう立っていたこともある。ガス工事の警備だった。ひとの家や店舗の前に一日じゅう立って怪しまれない唯一の職業なのだ。無視され、さげすまれて、そうしてジッと街と人を観察しているのは、じつにたのしい。

 そんなわけで仕事でないときは行きたく街がたくさんある。

 小学1年の孫に、小学校に入る前から「鉄腕アトム」を、ときどき一巻づつ送って、全巻を送ってずいぶん喜んでもらった。(「鉄腕アトム」のセリフの漢字には、ルビが無いんだ。最初は難しいかな、と心配したが、何の問題もなかった。手塚先生のすごさだ)。  

 「鉄腕アトム」のあとは、「鉄人28号」かな、と、じぶんの子供のときの興味を再現しているのだが。糞ジジイが、こんな古いもの、読めるか! なにが面白いんだ? ということには、いまのところならない。

 さがしものは、最初からネットでやればよかった。本はアマゾンに注文するのがいちばんだ。これが、いつもの反省と結論だが、歩いて疲れるのもいい。少年時代、山を歩きまわるのが好きだったように、ジジイになって、街を徘徊するのが好きなんだ。


エンジンは、美しい

2008-12-18 | 日記・エッセイ・コラム

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 今日の夕暮れ。銀座。

 

 

 テレビで、相田翔子さんが、「工場フェチだ」と告白していた。気持ちはよくわかる。わたしも、羽田空港近くの川崎市の石油精製プラントの工場群の、夕暮れから夜景が、好きだ。

 (あのあたりで働いていたこともあるんだ。日東製缶だ。点滴用のポリ・パック容器をつくる仕事だった。蒲田駅から送迎バスに乗っていた)。

 工場の景色の、細いパイプの一本一本、ムダなものはない。デザインのためのデザインはひとつもない。一般建築物とはまるで違う。ビルとも橋とも、ダムとも違う。すべて、機能のための必然でそこにある。装飾的な発想は許されない。しかし、美しいのだ。真空管アンプの裏側の配線の美しさに通じるものだ。いろいろな抵抗やコンデサーがハンダ付けされて、細いコードがたくさん走る。あの美しさだ。

 その感覚で見た最高に美しいものは、大型トラックのディーゼル・エンジンだ。それも組みあがったばかりの新品で、キャブに積む直前の完ぺきなエンジンだ。まず大きさの迫力もある。すべての金属がピカピカに輝いている。細いパイプのすべてが錆びひとつない。どのボルトもネジ山もピカピカだ。そこに装飾的なものは何ひとつない。しかし、圧倒的に美しい。

 三菱自動車東京工場で、エンジン生産ラインの完成品をみたときの驚きは大きかった。組み立てられた無垢のエンジンは、ほんとうに美しい。大型トラックのエンジンだから、その物理的迫力もある。乗用車のやつと大きさがまるで違う。エンジンブロックそのものの鉄の輝き。さまざまに交錯するパイプの美しさ。ぜひ、相田翔子さんに見てほしい。工場フェチなら、新品の、できたばかりの大型トラックの、エンジンをみてほしい。しびれる。 

 人の歴史の、金属加工技術の結晶が、大型のディーゼル・エンジンだ。新品をみるとわかる。現実の機能としての内面のパワーと、外側の金属の組み合わせの、醒めた、冷徹な美しさがある。それが好きだ。

 トラックのエンジンであれほど興奮させてくれるのだ。航空機用とか、機関車用とか、大型船のエンジンはどれほど感動的か、ぜひ見てみたいものだ。新品の、機体につみこむ前のやつを。


吉田秀彦さんが、毎朝、あいさつをしていった

2008-12-17 | 日記・エッセイ・コラム

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近所の電信柱の張り紙  『猫を探しています』 

 

 近所に最近オープンした小比類巻さんのジムの写真をのせると、いくつかメールをいただいた。格闘技を好きな人は多い。

 

 三菱自動車の期間工員をやめて、雪印日野工場の冷蔵庫でピッキングのバイトをやったり、横浜の精密板金工場でプレスの仕事をしたり、いろいろやった。そしてガードマンをはじめた。いまは一日突っ立て8500円くらいにしかならないが、当時は日当が良かったのだ。

 最初は、NTTの電話工事の警備専門の警備員だった。ここでは島を一周する電話ケーブルを交換する工事で、ひと月、式根島にいたことがある。この島の話もおもしろいので、いずれまた書くが、電話工事の後に、東京ガスの工事専門の警備会社に入った。

 ガス管の埋設工事や、ガス漏れの緊急工事を警備する。そこらの道路を掘削して片側通行をやっているとき、赤い棒をふってるおっさんたちがいる。あれだ。そのガス工事警備の仕事で、新木場の東京ガスのプラントに一年突っ立つことになった。

 大型タンカーで千葉港に運ばれた液体ガスは、海底のパイプを通って、荒川河口のところから東京の地上に上がる。ここから気化されて東京都心に配管されていく。しかし、何本もの支線に拡散させると急激に温度が下がる。冷蔵庫の原理だ。ガス管を埋設した道路を凍結させたりする。そこで、ここでガスは加熱される。お湯のなかの管を通ってガスは一旦加熱されて、東京の地下に蜘蛛の巣のように配管されたパイプに流されていく。

 新木場の荒川の河口に、このガスを加熱する東京ガスの巨大なプラントがある。このプラントの大口径のパイプを20年ぶりに全部交換する大工事があった。日本鋼管工事が施工した。トレーラーで管を運び込み、溶接して、エックス線で検査をする。毎日これの繰り返しだ。わたしは、門番だ。朝、トレーラーをいれてパイプをおろして、トレーラーを出してやると、もうゲートを開けることはない。その門の前に一日突っ立ていた。工事は一年つづいた。

 プラントは荒川の堤防の横にあって、わたしの立っている道は、すぐに堤防で行き止まりだ。車は通らない。通行人は、釣りにいく人か、デートのカップルがときどき通るくらいで、それも少ない。一日20人も通ると、今日はなんの日だ? と驚くほどだ。退屈なのだ。半年くらいたって、見かねた現場監督が、「椅子もってきて、座って本でも読んでたら」と言った。どうして最初から言ってくれないんだ、と思うほど、平和で退屈な現場だった。

 その東京ガスのプラントの西側には、警視庁術科センターがあって、隣が警視庁武道館だった。あるときから、毎朝、9時過ぎになると武道館で練習している柔道の連中が、わたしの前をランニングしていくようになった。荒川の堤防で、人を背負って走ったり、ダッシュのランニングをやったりする。それをながめるのも楽しい退屈しのぎだった。名前は知らないがテレビの柔道の試合でみる顔が何人もいる。日本代表クラスの選手たちなのか? みんなじつにいい身体をしていた。

 毎日毎日、同じ時間にわたしの前を走っていくので、最初は「おはよう」と声をかけた。しかし、だれもが「このチビの警備員のジジイ、うるさいな」という顔で、返事もしない。無視だ。だが、ただひとりだけ、毎朝、笑顔で「おはようございます」と挨拶していく青年がいた。それが吉田秀彦さんだった。まだ78kg級だったのか、いまテレビでみる姿よりずっと細かった。

 吉田道場をはじめたとき、あの青年なら成功するだろうな、と思ったものだ。

吉田道場オフィシャル・サイト http://www.yoshidadojo.com/ja/

吉田秀彦オフィシャル・サイト http://www.hidehiko.jp/