Ommo's

古い曲が気になる

Sisters Are Doin' It For Themselves の映像をみる

2018-08-19 | 日記・エッセイ・コラム

    アニー・レノックス(ユーリズミックス)& アレサ・フランクリン  Sisters Are Doin' It For Themselve https://www.youtube.com/watch?v=drGx7JkFSp4

Sisters Are Doin' It For Themselves が発売になったのは、1985年のこと。この曲を書いたユーリズミックスのデイヴ・スチュワートとアニー・レノックスは、デュエットを最初ティナ・ターナーにオファーしたが断られたという。だが、しかし、フェミニズム応援歌のようなこの曲は、まさにアレサ・フランクリンとアニー・レノックスのために書かれた曲ではないか!と思いながら、とても若く、エネルギッシュな二人の映像をみていて、なんだかジーンとしてきた。ネット上に、ごく最近の劇ヤセしたアレサ・フランクリンの写真がある。あの豊満な姿から想像できないほど痛々しく痩せていて、わたしの母の晩年をみるようで切ない。食べることが大好きだったわたしの母は、『ブルースブラザーズ』の時のアレサ・フランクリンのような体形で65キロくらいあったが、亡くなる前、わずか数か月で32キロになってしまった。

アレサ・フランクリンは、膵臓がんだった。

アレサ・フランクリン、デイヴ・スチュワートとアニー・レノックス。


アリアナ・グランデ、アレサ・フランクリンを追悼して「ナチュラル・ウーマン」を熱唱

2018-08-18 | 日記・エッセイ・コラム

アリアナ・グランデ、アレサ・フランクリンを追悼して「ナチュラル・ウーマン」を熱唱。 https://www.youtube.com/watch?v=xN6C_WuEbGI

  アレサ・フランクリン (You Make Me Feel Like) A Natural Woman https://www.youtube.com/watch?v=q9nSU2hAqK4

「ナチュラル・ウーマン (You Make Me Feel Like) A Natural Woman」は、まず、アレサ・フランクリンが1967年にリリースし、その後、キャロル・キング自身が名盤『つづれおり Tapestry』(1971年)でセルフカバーを発表した。

  キャロル・キング (You Make Me Feel Like) A Natural Woman https://www.youtube.com/watch?v=MOyvYnkdEcc

 

      ビルボード・ジャパン「追悼アレサ・フランクリン、米ビルボード・チャートとともにその偉大な業績を振り返る」http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/66716/2


アレサ・フランクリン、逝く

2018-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

8月16日、アレサ・フランクリンが亡くなった。76歳だった。https://www.bbc.com/japanese/45217476

    アレサ・フランクリン Respect(1967 Orignal Version) https://www.youtube.com/watch?v=6FOUqQt3Kg0

アレサ・フランクリンの「リスペクト」が全米ヒットチャートのナンバー1になったのは、1967年(昭和42年)6月のことだ。

    アレサ・フランクリン Respect (Live) https://www.youtube.com/watch?v=n0POmdK18WU

オーティス・レディングが作詞作曲した「リスペクト」は、1965年に発売され、ビルボード・R&Bチャート4位だった。

    オーティス・レディング Respect https://www.youtube.com/watch?v=7BDw-H_hUzw

アレサ・フランクリンのヴァージョンは、ヒットチャートのナンバー1になっただけでなく、公民権運動やフェミニズム運動のシンボルにもなった。

 

1968年、わたしはレコード屋になったが、その年、帯広駅前のサウンドコーナーでは、「小さな願い I Say A Little Prayer」のシングル盤がよく売れた。(オリジナルの「小さな願い」は、1967年、ディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした。作者は、バート・バカラック/ハル・デイヴィッド。)

    アレサ・フランクリン I Say A Little Prayer(小さな願い)  https://www.youtube.com/watch?v=STKkWj2WpWM

ジェリー・ゴーフィン/キャロル・キングの名曲「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」、サム・クックの「A Change Is Gonna Come」、アレサ・フランクリンのヴァージョンは素晴らしい。

    アレサ・フランクリン (You Make Me Feel Like) A Natural Woman https://www.youtube.com/watch?v=XHsnZT7Z2yQ

    アレサ・フランクリン A Change Is Gonna Come https://www.youtube.com/watch?v=k6YCxXQ6Scw


ラブ・ミー・テンダー考 その4

2018-08-12 | 日記・エッセイ・コラム

エド・サリバン・ショーで「ラブ・ミー・テンダー」を歌うエルビス・プレスリー。

  エルビス・プレスリー Love Me Tender ( The Ed Sullivan Show 1956) https://www.youtube.com/watch?v=gjEWKeT5g2E

エルビス・プレスリーが初めて出演した映画『やさしく愛して Love Me Tender』のプロモーションは、じつに巧妙で効果的だった。当初、『リノ兄弟』として撮影がはじまるのだが、しかし、タイトルは『ラブ・ミー・テンダー』と変えられ、主題歌が作られる。その原曲「オーラ・リー」は、南北戦争当時流行して以来100年近く歌いつがれてきた曲だった。

1956年8月24日。主題歌「ラブ・ミー・テンダー」は、20世紀フォックススタジオでレコーディングされた。そして9月9日、人気のテレビショー、エド・サリバン・ショーにエルビスは出演して「ラブ・ミー・テンダー」を歌う。このときの視聴率は、なんと80%を超えたという。放送直後からRCAレコードには注文が殺到して、その数は100万枚超になっていた。9月28日にリリース、10月20日ビルボード・ナンバー1。15週間ナンバー1にとどまり、そして、映画は、11月15日全米で封切りになった。日本では、1957年(昭和32年)2月16日に公開された。

 


ラブ・ミー・テンダー考 その3

2018-08-11 | 日記・エッセイ・コラム

「ラブ・ミー・テンダー」の作者は、当初、エルビス・プレスリーとベラ・マトソンとされた。

「ラブ・ミー・テンダー」の作者にエルビス・プレスリーといっしょにクレジットされたベラ・マトソン Vera Matson とは、ケン・ダービー Ken Darby の妻の旧姓だ。つまり、真の作詞者は、ケン・ダービーだった。現在は、Music:Gerge R.Puolton  Lyrics:Ken Darby と「オーラ・リー」の作曲者ジョージ・R・プールトンとケン・ダービーの名がクレジットされている。

ケン・ダービーは、映画『やさしく愛して』に「ラブ・ミー・テンダー」を含む4曲を提供しているが、いずれも妻の名、ベラ・マトソンとなっている。

ケン・ダービーとエルビス・プレスリー


ラブ・ミー・テンダー考 その2

2018-08-10 | 日記・エッセイ・コラム

エルビス・プレスリーが歌った、映画『Love Me Tender やさしく愛して』の主題歌「ラブ・ミー・テンダー」は、1956年10月20日、ビルボード・ナンバー1になる。この「ラブ・ミー・テンダー」の前のナンバー1は、やはりプレスリーの「ハウンド・ドッグ」だった。同一アーティストの曲が続けて2曲1位になったのはビルボード史上初めての快挙だった。

   エルビス・プレスリー Hound Dog https://www.youtube.com/watch?v=lzQ8GDBA8Is

「ハウンド・ドッグ」のオリジナルは、1952年、ジョニー・オーティスの提案でブルースシンガーのビッグ・ママ・ソートンのためにジェリー・レイバーとマイク・ストラーが書いた曲。ベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」、プレスリーの「監獄ロック」など、かずかずのポップス史に残る曲を書いたレイバーとストラーの、19歳の時の作品なのだ。

         ビッグ・ママ・ソートン Hound Dog/Down Home Shakedown https://www.youtube.com/watch?v=wxoGvBQtjpM 

 

レイバー&ストラーとエルビス・プレスリー


「あの人の愛した昼メシ」の音楽は、パイド・パイパーズ

2018-08-09 | 日記・エッセイ・コラム

NHKの「サラメシ」、今日の『あの人の愛した昼メシ』は、グラフィックデザイナー長友啓典さん(1939ー2017)が愛した納豆そばであった。

故人を偲ぶこのコーナーのバックに流れる曲は、パイド・パイパーズが歌う Dream 。これが、じつに良い。

  パイド・パイパーズ Dream  https://www.youtube.com/watch?v=ZLLEc-Xh068

パイド・パイパーズは、トミー・ドーシー楽団のコーラスセクションから発展したボーカル・グループ。最初は8人だったが、男3人女1人の編成で長く活躍した。この写真の女性は、ジョー・スタッフォード。

     トミー・ドーシー・オーケストラ ft フランク・シナトラ &パイド・パイパーズ I'll Never Smile Again  https://www.youtube.com/watch?v=il7DWoLySW8  

  ジョー・スタッフォード On The London Bridge https://www.youtube.com/watch?v=pU0iOM2-l20

Dreams From the Sunny Side of the Street
Jasmine Music
 
Ultimate Collection
EMI Import
 

ラブ・ミー・テンダー考

2018-08-08 | 日記・エッセイ・コラム

    エルビス・プレスリー Love Me Tender https://www.youtube.com/watch?v=093GjYcDg-4

日本テレビの水曜ドラマ『高嶺の花』の主題歌にエルビス・プレスリーが歌う「ラブ・ミー・テンダー」が使われている。べつにドラマに興味はないが、この曲がかかりそうなエンディングのあたりを何度かみた。

エルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」の背景には、アメリカ南北戦争がある。戦争でひきおこされた兄弟の悲劇だ。南軍に従軍した兄。兄は戦死する。戦死した兄の許嫁の娘と弟は結婚する。だがしかし、戦死したはずの兄が帰還する。嫁は、まだ兄を愛している。そういう悲劇的状況で、弟が歌う複雑な心境のセンチメンタルなラブソング。なぜ、水曜ドラマ『高嶺の花』の主題歌に、この悲劇的な立場で歌う、エルビス・プレスリーのオリジナルを使うのか、わたしには理解できなかった。

YouTubeに和訳付きの「ラブ・ミー・テンダー」がある。

 エルビス・プレスリー  ラブ・ミー・テンダー  https://www.youtube.com/watch?v=NZod0WkzADs

 

多くのシンガーがレコーディングしているが、わたしは、リンダ・ロンシュタットのカバーも好きだ。

   リンダ・ロンシュタット Love Me Tender https://www.youtube.com/watch?v=AFAy6ufpDug    

   ノラ・ジョーンズ Love Me Tender https://www.youtube.com/watch?v=-gzC29VwE1A

 

エルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」には原曲がある。1861年に発表された「オーラ・リー Aura Lee」が、そのオリジナルだ。作詞がウィリアム・ホイトマン・フォスデイック、作曲はジョージ・R・プールトン。アメリカ南北戦争(1861-1865)当時流行して、その後も大学のグリークラブなどで歌い継がれ、現在も愛唱されている曲だ。

  ミッチ・ミラー合唱団 Aura Lee https://www.youtube.com/watch?v=6GNFrKbzUwM

つまり1956年9月、エド・サリバン・ショーでエルビス・プレスリーが「ラブ・ミー・テンダー」をはじめて歌ったとき、このメロディは、多くのアメリカ人にとって南北戦争当時から歌い継がれ耳になじんだ曲だったのだ。