Ommo's

古い曲が気になる

ダニエル・クレイグの「ディファイアンス」

2010-01-31 | 日記・エッセイ・コラム
ディファイアンス [Blu-ray]

ダニエル・クレイグ主演の「ディファイアンス Defiance」をやっとみた。この映画は、封切りを楽しみしていたのだが、時間ができたときは、もう都内では終わっていた(そういう映画は、たくさんあるのだが)。レンタル屋に入ったDVDも、行くたびに借りられていた。2008年の封切りだったから、2年かかったわけだ。

話は、ドイツ軍のゲットーから脱出したユダヤ人たちが、ポーランドの森の中で、パルチザンとして生きぬいた実話がもとになっている。二人の兄弟がリーダーになって、多数の犠牲者を出しながらも、1200人もの老若男女、子供たちが、森の中で生き延びた。

ダニエル・クレイグは、6代目のジャームス・ボンドを演じている。

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  「ディファイアンス」のオフィシャル・サイト(UK版) http://www.defiancemovie.co.uk/ 


真空管

2010-01-27 | 日記・エッセイ・コラム

秋葉原の真空管屋さん。秋葉原では、いまも手に入らない真空管はない。

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秋葉原にくると、ラジオ少年だった心がさわいで、時間を忘れる。

抵抗は、全部100円。

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どんな小さい部品でも、秋葉原にやってきて手に入らないものは、ない。そして、安い。わたしは、ミニジャック、53円と、ジャンク品のAC/DC・12Vアダプターを500円で買った。

わたしの作業台。

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歌舞伎座まで散歩

2010-01-26 | 日記・エッセイ・コラム

銀座1丁目の柴田悦子画廊によってから、歌舞伎座まで歩いた。

柴田さんの画廊を出たあと、銀座中央通りの人ごみを歩いていて、なぜか、突然、歌舞伎座をもう一度みておきたい、と思った。歌舞伎座は、数カ月で取り壊しになる。

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銀座・山野楽器の店頭は、マイケル・ジャクソン大会だ。This Is It のDVDが発売になったばかりだ。

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MIKIMOTOの店頭は、梅の花。

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WAKO のウインドも、春らしく明るい。

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ZARA は、50%OFF

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地下鉄・日本橋駅、高島屋のウインド。あすからはじまる「和 NEXT  伝統的工芸品展 2010 」のデスプレイ。

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    歌舞伎座 http://www.kabuki-za.co.jp/

   日本橋タカシマヤ http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/               

   柴田悦子画廊 http://www.shibataetsuko.com/

       

林芳正 vs 菅直人 http://www.youtube.com/watch?v=ew6ojoZ0G58


ダイナ・ワシントン、What A Diffrence A Day Makes  

2010-01-24 | 日記・エッセイ・コラム

1月12日のブログに、ジェイミー・カラムのことを書いて、What A Diffrence A Day Makes を歌う映像を貼った。

だが、What A Diffrence A Day Makes は、ダイナ・ワシントンの名唄ほどのものは、この世にない。コーラスとストリングスをつかったアレンジも完璧だ。なんど聴いても、感動で、心がふるえる。なにより、ボーカルの表現が、すごい。これが、1959年の曲だ。これが、古いだろうか?

  ダイナ・ワシントン What A Diffrence A Day Makes  http://www.youtube.com/watch?v=J9JXAY5ZFSc&feature=related

Smoke Gets in Your Eyes: Best of Dinah Washington

  


ダイアン・バーチは、CDショップ大賞の準大賞になった

2010-01-23 | 日記・エッセイ・コラム

以前に紹介した、ショップ店員が選ぶCDショップ大賞にノミネートされていたダイアン・バーチは、準大賞に選ばれた。レコード・メーカー(EMI)は、ぜひ、力をいれて宣伝してほしいものだ。ローラ・ニーロやカーリー・サイモンやスティーヴン・ニックスや、キャロル・キングのような、スーパースターになる才能がある。こういうミュージシャンこそ、いまの、日本の若者に積極的に紹介してほしい。

バイブル・ベルト

    ダイアン・バーチ Nothing But A Miracle http://www.youtube.com/watch?v=8dOgEnIlo2c

          ダイアン・バーチ オフィシャルサイト http://www.dianebirch.com/

     EMI ミュージック・ジャパン オフィシャルサイト http://www.emimusic.jp/artist/dianebirch/?rssno=1575

近所の散歩道の風景。

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右手の岸に並ぶ、ふたつの煙突は、銭湯なのだ。それも現役の営業している銭湯だ。北海道出身のわたしには、なんでこんな近くに、二軒の銭湯があるんだ? と、いつも不思議だ。しかし、驚くのは、この2軒だけじゃない。

わたしは、橋の上で撮影しているのだが、反対側右手にもう二軒の銭湯がある。つまり、この境川沿いのわずかな間に、4軒もの銭湯が、現在も営業しているのだ。温泉街じゃない。むかしからの銭湯だ。

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中央の煙が上がっている煙突も、銭湯。右手にかくれているが、もう一本の煙突がある。銭湯だ。

銭湯と、古い町並みと商店街をみて歩くと、この界隈が、かって、いかに賑やかな街だったと想像できる。東京湾で漁をする漁師の街だ。東京湾の魚、アサリ、シジミなど貝類、そして、海苔。かって東京湾は、魚介の宝庫だったのだ。いまはドブのようにみえる、この境川には、千隻以上のべか船が係留されていた、という。べか船は、平底の小型和船。山本周五郎の小説「青べか物語」の「青べか」は、青くペインティングされた「べか船」のことだ。

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もう一軒の銭湯は、なかなかノレンが上がらないので、撮影は、ヤメ。

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線香とタワシが、店先のメイン商品の店もある。

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商店街の道には、こんな重厚なお宅がある。ほかにも、いまも現役の古い住宅がたくさんあって、心がひかれる。(この松のお宅の瓦屋根はすごい。全景を紹介したいが、勝手に撮影して、許可をとってないので、それはできない)。このお宅の近所の、明治2年に建てた住宅(木造平屋の屋敷)は、さすがに、もう人は住んでなくて、記念館のようになっていて、市の委託の職員が常駐して説明をしてくれる。

この境川沿いに、去年みつけた早春の、わたしの桜のポイントがある。梅とおなじ頃咲く、河津桜だ。一本だけの背の低い、小さい木だ。だが、好きな木だ。まだちょっと早いかな、と思ったが、行ってみた。やっぱり、ちょっと早い。その近くの、咲くのをたのしみにしている、紅梅の木にも行ってみた。ここも、来週のたのしみか、な。

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紅梅のなかでも、きっと、花の径がひどく小さくて、色が深い、と思う。一昨年、はじめてこの木を見つけて、この梅の花が咲くのを、今年も、たのしみにしている。

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きょうは、一日、堀文子画集

2010-01-20 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは、まさに春。わたしは、浦安市中央図書館まで歩いて、一日、堀文子画集をみてすごした。

先週、銀座の柴田悦子画廊で、柴田さんたち多摩美の堀文子教室新年会におじゃまてしまった話は、書いた。じつに、たのしい時間だった。ユーミンの先生、米谷清和教授の話も、たのしかった。

時の刻印―堀文子画文集

柴田悦子さんの画廊でみた、堀文子先生の作品は、まさに、音楽のライブを体験する感動だった。小さい、可愛い作品だった、が、うつくして、たのしい。

それと、あの日、柴田悦子画廊で出会った多摩美卒、堀文子教室の人たちとの会話がたのしく、かれらの師匠・堀文子先生の絵がとても気になった。

そういうこともあって、一日、浦安市中央図書館にある堀文子先生の画集の絵をみて、先生の文章を読んですごした。何冊もある。

堀文子画文集 命といふもの (サライ・ブックス)

トスカーナの花野 画文集

休日は、近所の図書館にいって、堀文子先生の画集を見てほしい。いい一日になる。


浅川マキさんが亡くなった

2010-01-18 | 日記・エッセイ・コラム

浅川マキさんが亡くなった。http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010011800328&j1

1970年から、マキさんの北海道でのコンサートは、北海道全域、わたしがプロモーターだった。いっしょに北海道を旅した。札幌厚生年金会館で、いっしょにカルロス・サンタナのコンサートをみたこともあった。東京・表参道の、マキさんの部屋で、出前のマーボ豆腐をご馳走になったこともある。

DARKNESSIV

  浅川マキ 「夜が明けたら」 http://www.youtube.com/watch?v=QU2eG1Zh6Hg

  浅川マキ 「かもめ」 http://www.youtube.com/watch?v=Nwa3xCOmrRM&feature=related

                        


米谷先生とユーミン

2010-01-17 | 日記・エッセイ・コラム

きのうは、銀座の柴田悦子画廊で、米谷清和先生とお会いした。

帯広在住の写真家・戸張良彦さんが上京しているので、いっしょに銀座一丁目の柴田さんの画廊を訪ねた。ちょうど柴田さんの多摩美大の同級生たちの展覧会をやっていた。堀文子先生に学んだアーティストたちの新年恒例の会で、4年つづいている、という。

柴田さんと話をしているあいだに、出展している画家、デザイナーの方たちが集まってきて、酒と寿司がでて、画廊のなかはパーティー状態になっていった。流れは、多摩美のクラス会におじゃましている状況になっていったのだ。

九州の美味い焼酎を飲みながら、わたしは、むかし北海道で、ニューミュージックのプロモーターみたいなことをやっていました、と言った。井上陽水とか、ユーミンがデビューしたころのことです、と。ユーミンと、宇崎竜童さんのダウンタウン・ブギウギ・バンドのジョイント・コンサートみたいな、いまでは夢のようなツアーもやったものです、と言ってみた。

すると、パーティーの中心にいて、みんなから先生と呼ばれている人が、「デビューの、ひこうき雲がいいですね。ユーミンは、わたしの教え子でした」と、言うではないか。そうだ、そうだった、と、そのときやっと思い出した。ユーミンは、多摩美だった。

先生は、多摩美大教授、日展会員の日本画家、米谷清和さんだったのだ。

もちろんとうぜんのことだが、米谷先生も、そこにいた多摩美卒のアーティストの人たちも、ユーミンの音楽のことをよく知っていた。じつに楽しい時間だった。ユーミンは、学生時代も、とてもお洒落で、センスが良かった、という。

ひこうき雲

    荒井由実 「ひこうき雲」 http://www.youtube.com/watch?v=rXiJVBh52fU

    柴田悦子画廊 http://www.shibataetsuko.com/


デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」

2010-01-15 | 日記・エッセイ・コラム

                   

ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド

デオダートの話をつづけよう。CTIのウエス・モンゴメリーのヒットアルバムも、デオダートがアレンジャーとして参加している。

きのう、オーケストラの「ツァラトゥストラはかく語りき」を貼ったのは、いま50才前後の人は、デオダートといえば、このクラシックの曲のロックヴァージョンではないだろうか。

  デオダート 「ツァラトゥストラはかく語りき」のライブ http://www.youtube.com/watch?v=Lb7rTiP6dnE&feature=related

 

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デオダートは、十代からアコーディオン奏者として、ブラジルのクラブで働いていた。ピアノも、オーケストレーションも、独学だという。バンドマンとして働きながら、見て覚えて、勉強した、と自身のサイトに書いている。独学で、18 才で、アレンジャー、プロデューサーとして、オーケストラのレコーディングをしているのだから、普通の人ではないのは確かだ。

ブラジルでプロフェッショナルのミュージシャンとして活躍していたが、25才のときにアメリカに渡る。ルイス・ボンファとの仕事のためだ。ブラジル出身のルイス・ボンファは、「黒いオルフェ」の作曲家として世界的名声があった。ギタリストとしても、アメリカのトップミュージシャンと共演していた。

(わたしは、ルイス・ボンファの口利きで、ヴァーブ・レコードのプロデューサー、クリード・テイラーに呼ばれたのではないか、と勝手に想像している)。

デオダートの仕事はまず、アメリカで成功している同郷ブラジルの、ボサノバのミュージシャンのアレンジャー、キーボード・プレイヤーだった。アストラド・ジルベルト、ワルター・ワンダレー、アントニオ・カルロス・ジョビンのレコーディング・スタッフだ。

そして、クリード・テイラーが新しいレーベルのために、デオダートを、アレンジャー、プロデューサーとして雇う。クリード・テイラーは、ジャズの名プロデューサーだ。インパルス・レーベルを成功させ、自身のレーベルCTIをスタートした。Cは、クリードのC、Tは、テイラー、I はインターナショナルらしい。インパルスでは、ジョン・コルトレーンをスターにした。「至上の愛」というアルバムは、日本でもバカ売れした。

クリード・テイラーのCTIは、インパルスとは真逆の、ポップなジャズを目指していた。ソフトでライトで、イージーなジャズだ。ここがクリード・テイラーの鬼なところだ。きのうまで、フリージャズのゴリゴリのレコードを制作していて、ジャズは終わった、深刻で、暗くて、退屈で、おもしろくない、と客が離れると、すぐにCTIを立ち上げる。ソフトでライトなジャズだ。

1950年代、ボサノバを世界でヒットさせたのも、クリード・テイラーだ。「ゲッツ&ジルベルト」という大ヒットアルバムのプロデューサーだ。ブラジルの若いミュージシャンと、アメリカのジャズメンを会わせた。アストラド・ジルベルトの「イパネマの娘」のプロデューサーが、クリード・テイラーだ。

ゲッツ/ジルベルト

ブラジル出身で、ボサノバをつくった先駆者たちの弟子のようなデオダートは、クリード・テイラーの新レーベルCTIに、まさにふさわしい才能だったのだろう。

きのうは、クール&ギャングの「セレブレーション」が、デオダートのプロデュース、アレンジだと書いた。ロバート・フラックが歌う名曲「やさしく歌って Killing Me Softly 」も、デオダートのアレンジだ。オリジナルはかなり違う。

               

わたしは、もうあきれて、日本の政治のことは書かない、ことにしていたが、十勝ブランドは、確実に地に堕ちた、とだけは、十勝・帯広の人に伝えたい。中川昭一さんではなく、なぜ、小沢のパシリの、真っ黒いチンピラを選んだのか? 有権者の倫理観とはなにか? 

いま、小沢と鳩山は、開き直っている。選挙のまえから、われわれの問題を知っていて、国民のみなさんは、民主党を選んだのだ、と。われわれの問題、つまり鳩山の脱税と小沢の収賄だ。たしかに、選挙のまえから報道されていたのだ。

(北海道のマスコミ報道は知らないが、インターネットで手にいれられた普通の情報だった。石川議員に関わるいま報道されていることは、選挙のまえからネットではわかる常識だった)

いま、十勝・帯広は、いつ逮捕されるかわからない元秘書・石川の選挙区、中川昭一さんが落選したところ、と毎日毎日報道されている。十勝・帯広は、いま、限りなくダーティ・オザワ色だ。なんともオドロオドロの地。それが、日本じゅうの印象だろう。十勝ブランドは、地に堕ちた、ということだ。(道内の報道は、知らんが)。

中川昭一さんを失い、この小沢の元秘書が逮捕される。経験のある衆議院議員候補は、いるのか? 大地に頼るのか? 十勝・帯広の人は、どう、国政に関わっていくのだ?


「黒いオルフェ」、クール&ザ・ギャング、そして、「ツァラトゥストラはかく語りき」

2010-01-14 | 日記・エッセイ・コラム

                  

毎日、寒い。去年より、ひどく寒い。わたしだけが特別寒いのか? 心配になる。これはもう、このジジイのもとに、春はやってこないのだ……

だがしかし、やはり、今年も春は、確実にやってきていた。隣の庭の、ピンクの梅が咲きかかっているのを、発見した。写真は、ちょっとピントがずれているが、いくつか咲いている花と、つぼみがふくらんでいるのは、わかるだろうか。

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旧江戸川沿いのスーパーで、北海道産ニシンを売っていた。旬だから、こんなものなのか。一匹398円は、なんだか、高い。子供ころを思い出して、ひどく食欲をそそるのだが、買うのは、ちゅうちょした。貧乏性だ。なさけない。

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わたしの場合、ニシンの塩焼きのまえに、生活を改善しなくては、イカン。

                                                    

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ルイス・ボンファとデオダート

きのうは、名曲「黒いオルフェ(カーニバルの朝)」の作曲家、ギタリスト、ルイス・ボンファのことを書いた。ボサノバに関して日本では、ジョアン・ジルベルトとトム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)のことは、いまでもよく知られている。もうひとり重要な人物、ルイス・ボンファのことも忘れないでね、とわたしは思う。

1960年代から70年代はじめ、日本でもルイス・ボンファのレコードが発売されて、わたしの、北海道・帯広のレコード店でもよく売れた。

Prelude

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ブラジルのミュージシャン、エウミール・デオダートが、ニューヨークに移り住んだのは、ルイス・ボンファといっしょに仕事をするためだった。1968年のことだ。

ルイス・ボンファは、1922年生まれ、デオダートは、1943年の生まれだ。ルイス・ボンファは、すでに「黒いオルフェ」の作曲家として世界的な名声があった。ニューヨークに住んで、ギタリストとしても、さまざまなミュージシャンと共演していた。

1968年。エウミール・デオダートは、ブラジルからニューヨークに移り住んだ。25才だ。大先輩、ルイス・ボンファをたよってアメリカにいったのだ。

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デオダートは、12才からアコーディオンを弾いて仕事をしていた。左のアコーディオンの少年がデオダートだ。この写真は、17才の頃らしい。

この話のつづきは、あしたにしようかな。でも、話しておきたいことは、クール&ザ・ギャングの世界的なヒットの「セレブレイション」は、プロデュースも、アレンジも、ブラジルからニューヨークへやってきた、エウミール・デオダートの仕事なのだ。

   クール&ザ・ギャング Celebration http://www.youtube.com/watch?v=3GwjfUFyY6M

  ツァラトゥストラはかく語りき http://www.youtube.com/watch?v=M-J9JAEhODs

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なぜか、寒いのに、「カーニバルの朝」

2010-01-13 | 日記・エッセイ・コラム

先日の新年会で、ボサノバのことをずい分話したせいか、ルイス・ボンファの「カーニバルの朝   Manhä de Carnaval 」が聴きたくなって、映像をさがした。(わたしたちの飲み会は、何時間も、ひたすら音楽の話をする。おたがい、人生の大半を、音楽にかかわることを職業にしてきた)。

   ルイス・ボンファ Manhã de Carnaval http://www.youtube.com/watch?v=qr12M8Ua_iA&feature=related

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ルイス・ボンファの「カーニバルの朝」は、映画「黒いオルフェ」(1959年)の挿入歌だ。いまでも、ボサノバの古典的名曲としてよく演奏される。あまにもポピュラーで、いまはもう、ルイス・ボンファの作品ということすら忘れられているようだが……。

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オリジナルの「カーニバルの朝」は、ポルトガル語だが、英語の歌詞がついて、"A Day in the Life of a Fool" としてもヒットした。ビートルズの曲に似たようなタイトルがあるが……

   バーデン・パウエル 「カーニバルの朝 Manhã de Carnaval」  http://www.youtube.com/watch?v=g8tyya8HPQc&feature=related

   アル・クルー、ジョージ・ベンソン、チェット・アトキンス 「カーニバルの朝 Manhã de Carnaval」 http://www.youtube.com/watch?v=cheL5LYrlDw&feature=related

       エリゼッチ・カルドーゾ、ルイス・ボンファ 「カーニバルの朝 Manhã de Carnaval」 http://www.youtube.com/watch?v=284497m__xo&feature=related

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ルイス・ボンファ(1922年~2001年)は、ブラジルの作曲家、ギタリストだ。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの友人で、1950年代にボサノバを創造したミュージシャン仲間だ。もっとも有名な曲は、映画『黒いオルフェ』のために書いた、「カーニバルの朝」。「黒いオルフェ」のタイトルでも有名なこの曲の、世界じゅうでのカバーは、ギネスブック級だろう。

1960年代はじめから1975年まで、ニューヨークに住んで、アメリカのミュージシャンたちと多くのレコードを残した。のちのフュージョンといわれるジャンルに大きな影響を与えたひとりだ。クインシー・ジョーンズやジョージ・ベンソンのアルバムにも参加している。

                                           

日本の安岡孝一さん、安岡素子さんのお二人が、ルイス・ボンファの詳細なディスコグラフィーを作っている。http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/Bonfa/ (日本語版もあるhttp://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/Bonfa/japan.html


「グラン・トリノ」を歌っているは、ジェイミー・カラム

2010-01-12 | 日記・エッセイ・コラム

とんでもなく寒い。八王子では、朝から雪、大手町はみぞれだという。あまりに寒くて、気分も冴えない。冷たい雨が降る外にでるのは、ヤメにして、一日じゅう部屋にこもって、ワープロを打っていた。

ワープロソフトは、一太郎を使っているから、日本語入力には、ATOKを使っていた。だが、年末から、グーグルが公開した日本語入力ソフトを試しに使ってみている。これがなかなかサクサクと使いやすい。語彙の多さは抜群だ。古いロックのミュージシャンの固有名詞も豊富で驚く。

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ベトナムのモン族。

年末のニュースに、タイの難民キャンプから、モン族4000人が、ラオスへ強制送還された、とあった。クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラン・トリノ」に登場した隣人の東洋人たちが、モン族だ。日本では、かれらをミャオ族という。だが、ミャオ族(Meo)という言い方は、中国人(漢人)が使う蔑称なので、かれら自身はこれを嫌って、自分たちをモン族(Mon あるいはH'Mong)という。紀元前から漢族(中国人つまり支那人)と戦い、いまも迫害をうけている少数民族だ。中国南部からインドシナ半島全域に住んでいる。

インドシナ半島のラオス、ベトナムなどで、中国共産党に支援された共産主義者たちが台頭してアメリカと戦ったとき、戦闘的な山岳民族のモン族をアメリカ軍が使った。CIAが、モン族特殊部隊を作ったのだ。しかし、アメリカは、北ベトナムの共産軍に破れて、インドシナ半島から撤退してしまう。

残されたモン族は、ベトナムでも、ラオスでも、共産軍のすさまじい殺戮に遭う。難民は、インドシナ半島全域に散り、タイの難民キャンプにも収容された。アメリカ、ヨーロッパに逃れた人たちも多い。いま、アメリカではさまざまの都市に、コミニティをつくって暮らしている。

クリント・イーストウッドが、映画「グラン・トリノ」でテーマにしたのが、このボートピープルとしてアメリカに逃れたモン族のことだった。アメリカに協力して、共産主義者たちと戦ったがゆえに、祖先が暮らしたアジアの地を追われて、アメリカに亡命しなければならなかった、悲劇的な民族だ。

クリント・イーストウッドは、アメリカ軍がモン族を利用して、置き去りにして逃げた、とはっきり意識して、それを告発している。クリント・イーストウッドは、プロ中のプロの映画人だから、それを表面に出して臭い映画にしたりしない。そこがすごいところだ。静かな告発だ。

グラン・トリノ [DVD]

年末にニュースになっていたのが、ラオスの共産政権の殺戮から、タイに逃れていたモン族のことだ。タイ政府は、国際的な非難に関わらず、国内の難民キャンプにいるモン族4000人を、ラオスに強制送還したのだ。ラオスは、いまも、共産党独裁政権だ。パテト・ラオ支配の昔と変わらない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、モン族難民をラオスに送還すると、ラオス共産政府に殺害、迫害される、と強く反対していた。

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「グラン・トリノ」の三人。ビー・ヴァン、クリント・イーストウッド、アーニー・ハー。

映画「グラン・トリノ」のエンディングテーマを歌っているは、イギリスのジャズ・シンガーでピアニストのジェイミー・カラムだ。ただ、単にジャズというジャンルで括ることはできない、シンガーソングライター、ピアノプレイヤーだ。「雨に唄えば」を歌い、ジミ・ヘンドリックスの「風の中のマリー」を歌う。

ジェイミー・カラムは、1979年生まれ。若い。「グラン・トリノ」のテーマは、クリント・イーストウッドといっしょに曲を書いている。1999年に自費でつくったプライベート盤で注目され、メジャーのヴァーヴと超高額で契約して話題になった。この1月27日に新譜が発売される。

Twentysomething

  ジェイミー・カラム What A Difference A Day Made http://www.youtube.com/watch?v=F1r6GcPqFSo

The Pursuit

     ジェイミー・カラム Gran Torio http://www.youtube.com/watch?v=NoLc43YuuTw&feature=related

ピアノのまえに座って歌う映像をみて、グランドピアノと比較して、小柄な人だな、と思った。IMDb(インターネット・ムーヴィー・データ・ベース)で調べると、身長1m60とあった。そして、父親は、イギリス人、母は、ビルマ人とある。なるほど、東洋系の雰囲気を感じていたのは、その母親の血筋なのか。

   ジェイミー・カラム オフィシャルサイト http://www.jamiecullum.com/

   IMDb ジェイミー・カラムのバイオグラフィー http://www.imdb.com/name/nm1490226/bio

クリント・イーストウッドが、「グラン・トリノ」の音楽にジェイミー・カラムを使ったのは、かれのビルマ人の血にあるのだろうか? ビルマにも、モン族がたくさんいる。ジェイミー・カラムの母親は、イギリスに渡ったモン族なのだろうか? 気になる。わたしの好奇心が刺激される。

Pointless Nostalgic

  モン族に関する記事  http://www.news.janjan.jp/world/0708/0708030272/1.php

                http://www.news.janjan.jp/world/0708/0708281455/1.php

映画のタイトルになっている、グラン・トリノ・スポーツは、1972年製造の、フォードの車だ。8気筒、排気量、7020㏄。

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