Ommo's

古い曲が気になる

2019年のカレンダー

2018-09-28 | 日記・エッセイ・コラム

「今年も終盤だぁ‥‥‥‥」、100円ショップには、来年2019年のカレンダーが並んでる。2019年は、平成最後の年。

レコード屋をやっていたとき、年末発売の新譜注文は、9月末の今頃には終わっていた。

 


『チープ・スリル』から50年か‥‥‥

2018-09-19 | 日記・エッセイ・コラム

ジャニス・ジョプリンの名盤、『チープ・スリル』の50周年記念盤が12月5日に発売になるという(輸入盤のCDとLPの発売は11月30日)。タイトルが、『SEX,DOPE&CHEAP THRILLS』。https://www.musicman-net.com/artist/79298

50周年‥‥あれから50年もたったのか‥‥‥‥ジャニス・ジョプリンをフューチャーしたビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのLP『チープ・スリル』が発売になったのは、1968年。わたしはレコード屋になったばかりだった。コンパクト盤の「サマータイム」がよく売れた。コンパクト盤とは、シングル盤と同じサイズの17㎝で、回転速度がLPと同じ33回転のレコード。回転速度が遅いので45回転のシングル盤(EP盤)より長い曲を収録できる。『チープ・スリル』の「サマータイム」は、ライブレコーディングで4分以上あってシングル盤(EP盤)には収まらない。

      ジャニス・ジョプリン Summertime https://www.youtube.com/watch?v=guKoNCQFAFk

        ジャニス・ジョプリン Ball&Chain https://www.youtube.com/watch?v=X1zFnyEe3nE


ヘドバとダビデ、「ナオミの夢」

2018-09-13 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日早朝(9日)のテニスの全米オープン女子決勝は、衝撃の結末だった。二十歳の、大坂なおみの見事な勝利。まさに”スター誕生”の瞬間であった。だが一方、”女王”といわれたセリーナ・ウィリアムズの醜悪な振る舞いと、表彰式になってもなおブーたれる観客の下品さ、あれも、わたしには驚きだった。

 

”なおみ”というと、元レコード屋のわたしの場合、まず、ちあきなおみ、そして「ナオミの夢」を連想する。イスラエルのデュオグループ、ヘドバとダビデが日本語で歌った「ナオミの夢」(RCAレコード)は、1971年(昭和46年)1月25日発売のヒット曲だ。わたしの店でもよく売れた。

    ヘドバとダビデ ナオミの夢(日本語) https://www.youtube.com/watch?v=19kveFsgJAE

まず1970年(昭和45年)、日本武道館で開催された東京国際歌謡音楽祭でヘドバとダビデは「ナオミの夢」をヘブライ語で歌った。このときの映像がYouTubeにある。

    ヘドバとダビデ ナオミの夢(ヘブライ語) https://www.youtube.com/watch?v=3lumwVFvEYs

作曲は、イスラエルの作曲家デビッド・クリボシュ。ヘブライ語の作詞は、ティルザー・アタール。日本語の訳詞が、片桐和子。

 

ナオミは、ユダヤ教徒とキリスト教徒の女性によくある名前のようだ。ナオミは、旧約聖書の「ルツ記」に登場する。『ベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ』、こうして「ルツ記」は始まる。ナオミの夫と息子たちは死に、息子の嫁ルツは国に戻らずナオミのもとに残る。ルツは、ボアズの妻になり、男の子を産む。『ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。』 つまり、ダビデ王の祖父の育ての母が、ナオミだ。

 

日本で”なおみ”の名前が一般的になるのは、谷崎潤一郎のヒット小説「痴人の愛」の影響だろうか? 「痴人の愛」は、1924年(大正13年)3月から1925年7月に連載になった小説だが、主人公の名前が奈緒美なのだ。

『彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、或るとき私が聞いて見ると、本名は奈緒美と云うのでした。この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。「奈緒美」は素敵だ、NAOMI と書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議なもので名前がハイカラだとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧そうに見え、「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。
実際ナオミの顔だちは、(断って置きますが、私はこれから彼女の名前を片仮名で書くことにします。どうもそうしないと感じが出ないのです)活動女優のメリー・ピクフォードに似たところがあって、確かに西洋人じみていました。これは決して私のひいき眼ではありません。』(谷崎潤一郎「痴人の愛」より)

「痴人の愛」は、1949年(昭和24年)、1960年(昭和35年)、1967年(昭和42年)、3度も映画化されている。