とだ九条の会blog

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憲法をポケットに ~『東京新聞」社説から~

2006年06月25日 | ニュース
今日6月25日の『東京新聞』社説に「憲法遵守の政治姿勢を問う」興味深い記事が出ていたとの「とだ九条の会」会員からの連絡がありましたので、以下に転用しご紹介します。


<憲法をポケットに 週のはじめに考える>

飾っておくだけでは役に立ちません。まして仕舞い込んではないも同然です。いつも持ち歩いて、絶えず意識し、現実と照合する。それが憲法を生かします。

憲法改正の国民投票法案、教育基本法改正案、防衛庁を省に昇格する法案…日本の将来を暗示する宿題を残して通常国会が閉会しました。ポスト小泉レースの結果によっては、三法案の先にある「憲法改正」が一層現実味を帯びてくるでしょう。
そんな折、米連邦議会の重鎮ロバート・バード上院議員(民主党)の在職が1万7327日を超え、歴代最長記録を更新しました。合衆国憲法の写しをいつもポケットに携帯し、イラク戦争に反対したリベラリストです。

■いつも持ち歩き読む
憲法の重さを身をもって知り、大切にしていた世代が次々引退している日本の現状と、つい照らし合わせてしまいます。
宮沢喜一元首相は、国会を離れてからも尻ポケットの手帳に日本国憲法が印刷された紙を挟んでいます。時々、取り出して読みます。宮沢さんの番組をつくったテレビプロデューサーが「新・調査情報」59号誌上で披露したエピソードです。
「この憲法についてはあまりよく知らないからです」「明治憲法は学校でさんざん習ったのです。でも、新憲法は学校で習ったことがないのでいつも持ち歩いています」
この言い方はシャイな宮沢さんらしい謙遜(けんそん)で、本当は「常に憲法を意識する」姿勢の表れでしょう。
宮沢さんの覚悟を知ると小泉純一郎首相をすぐ連想します。
憲法解釈は「常識で考えろ」で押し通し、「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、私に分かるわけがない」と開き直ってイラクに自衛隊を送り出しました。戦争指導者も祭られている靖国神社に首相が参拝することで心に痛みを感じる人には目もくれません。

■香りが漂ってこない
こんな首相が日常的に憲法を読み返しているとは思えません。
かつて日本による中国支配で重要な役割を担った人物を祖父に持ち、国際的なタカ派路線が評価されている安倍晋三内閣官房長官、中国や朝鮮半島の日本支配を肯定するかのような発言をした麻生太郎外相など、小泉後継の候補といわれる人たちの周辺からも“平和憲法の香り”は漂ってきません。
戦前からのエリートの血筋を受け継いだり、選挙地盤や財産を祖父、父から譲り受けた二世、三世の政治家、そうでなければ政治家養成学校で観念的な政治教育を受け、下積みの苦労を知らない若手議員たち…この国の政治権力は与野党を問わずこんな人たちの手中にあります。
共通点は「戦場に送られるかもしれない」という被統治者の不安に対する想像力の欠如です。「自分は死なない」という気楽さからか、国際政治や軍事をゲーム感覚で語ったりします。
戦後60年間、日本人が生き方を洗い直すために掲げてきた、憲法という旗印が降ろされようとしています。多くの国民がそれを許そうとしているようにも見えます。
テポドン、靖国をめぐる中韓両国との対立、石油を中心とする資源争奪戦などの現実を前にして、平和だけでは日本人の生活を守れない、平和を支える軍事力が必要、との意識が国民の間に育ちつつあります。
しかし、その意識の裏に、流血や人の死と無関係な軍事力があるかのような錯覚がないでしょうか。60年余も戦争に巻き込まれず戦死者ゼロという事実が、軍事力頼りに対する警戒感を弱めました。
日本では反戦平和論の多くが「悲惨な体験を繰り返したくない」と被害者の視点と文脈で語られます。その積み重ねが、「自分たちは負けない」「悲惨さが見えない」戦争、つまり日本から遠い地域での武力衝突に対する感受性を、いつの間にか鈍らせたようにも思えます。
改憲に積極的な論者はそこをついて一国平和主義と批判し、国際平和維持のために軍事的に貢献する必要性を強調します。でも、その人たちが、ともすれば犠牲者の出ることの想定抜きで軍事や戦争を語りがちなのも事実です。
日本国憲法を読めば、決して一国平和主義ではなく、非軍事的貢献で世界平和を構築することが日本の責務であると理解できます。
その責任を果たせずにいるのは、日本人が憲法を棚に飾るだけで、使いこなせなかったからでしょう。自民党政治による憲法棚上げを防げなかったのも同じ理由です。

■総括のリトマス紙に
米国の一極支配をサポートし、自衛隊と米軍の事実上の一体化をこのまま進めるのか、それとも憲法の原点に戻って自立、自律の国際協調路線を目指すのか。これから秋にかけて小泉政治を総括し、ポスト小泉を大きな転機にしたいものです。
憲法をポケットに入れて肌身離さず携帯し、折に触れ読み返せば総括のリトマス試験紙になります。
(『東京新聞』2006年6月25日社説)



<東京新聞広告賞発表>
第19回東京新聞広告賞の優秀賞に「とだ九条の会」ホームページでもご紹介した岩波書店の『「憲法を変えて戦争へ行こう」という世の中にしないための18人の発言』《岩波ブックレットNo.657 定価:本体476円+税》が選ばれました。ご紹介します。


■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/


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男女平等への攻撃 ~憲法第24条を考える~(その3)

2006年06月25日 | 国際・政治
憲法第24条が誕生したのは、日本国憲法の制定過程を紹介したブログでも書いたとおり、1946年、GHQ(連合国総司令部)案が原型です。
その総司令部民政局の職員であったベアテ・シロタ・ゴードンさん(女性・当時22歳)が憲法の女性の条項を担当しました。
ベアテさんは著名なピアニストの娘として5歳から15歳まで日本で育った経験から、戦前の日本女性の過酷で悲惨な状況を知っていましたから、女性の役立つ憲法を作りたいと、6ヵ国語を話すという語学能力を生かして、ワイマール憲法や北欧の憲法など世界の憲法を調べて条文を作り上げました。それは今、見ても男女平等の精神など先駆的な内容が多々盛り込まれています。
しかし、民政局の運営委員会でベアテ案は細か過ぎるとの理由から縮小を余儀なくされて、今の第24条と第14条(性差別禁止規定)になりました。
当時の日本政府は、このベアテさん起草の総司令部案に対し、「女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」と抵抗したと言います。それは天皇条項と同じくらいの抵抗だったと言うのですから、それまでの「男性支配型の家族制度」が天皇制国家の重要な柱だったかが推測されます。

参考文献:『1945年のクリスマス――日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』ベアテ・シロタ・ゴードン著(柏書房)

<家族制度復活の策動は以前にもあった>
この憲法第24条を改正しようとする策動は、実は今回が初めてではありません。
1951年、与党は日本の美しい伝統を保持するとの口実から民法の改正を提案します。53年には、家族制度復活論が憲法改正の一つ柱として打ち出され、54年に自由党が「憲法改正案要綱」で、「天皇元首化」「再軍備」「基本的人権の制限」「家族制度復活」などを発表します。
家族制度復活論者の言い分は、「今の個人主義的な家の制度は、国家の制度をあまりに軽視している」というものでした。
今の自民党憲法調査会が発表した「論点整理」の考え方と全く同じではありませんか。
結局、この「憲法改正案要綱」は多くの女性団体や国民の反発にあい阻止されます。
そのとき、結成された「家族制度復活反対連絡協議会」では、
(1)わたしたちは、憲法で保障された基本的人権と男女の平等の地位を守るために、すべての力を結集します。
(2)わたしたちは、わたしたちの権利と地位を守るために、いかなる美名のもとになされた家族制度の復活の企てにも反対します。
(3)わたしたちは、家族制度復活を阻止し、同時に家庭や職場における封建制を一掃します。

と、決議文を採択しています。
そしてこの時、「家族制度復活を叫ぶ政党には一票を投じるな」の合言葉で、ついに自由党を追い詰めたということです。


自民党から「新憲法草案」が提示され、憲法改悪の策動が現実的になってきた現在、その改悪の主要な狙いが日本を再び「戦争する国」に戻すことであり、そのために憲法9条(特に第二項)が邪魔であること、同時にそうした「戦争をする国」を支える共同体の維持のために、戦前の封建的で非民主的な「家族制度復活」の野望があって、第24条の改変として企まれていた経過があったことをしっかりと見ておかなければならないと思います。


■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/


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