とだ九条の会blog

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九条がなかったら――イメージしてみてください。

2006年06月07日 | 国際・政治
九条がなかったら――イメージしてみたことありますか。
「憲法九条は理想主義だ」とか「現実的でない」「時代遅れだ」とか、憲法九条についてそういった批判をする人がいます。
果たしてそうでしょうか。
戦後60年間、日本人は九条のある憲法を変えないままで憲法とともに暮らしてきたのですが、平和の中で憲法九条のありがたみを忘れてしまったようです。
もし、九条がなかったらどうなっていたのだろうか――この問いに、このブログでも度々紹介している「九条の会」呼びかけ人の一人・加藤周一さんが2005年6月に京都で行われた講演会で話されています。その講演を参考に考えてみましょう。


<平和憲法――九条がなかったらどうなっていたか>
憲法制定後、朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発します。日本に駐留している米軍は日本の米軍基地から出撃していくわけですが、日本は少なくとも公然とは参戦していません。当時「警察予備隊」が作られていますが、それを朝鮮へ派遣することに当時の吉田茂首相は反対するのですが、その大きな支えとなったのが“憲法九条”でした。
だから憲法九条は、朝鮮戦争当時(1950年代前半)において、日本人が実際に外国人を殺し、殺されなかったということに非常に大きな役割を演じたわけです。

これと同じことはベトナム戦争についても言えます。その当時すでに警察予備隊は自衛隊となっていましたが、この時も米軍が日本の米軍基地からベトナムに出撃しても、自衛隊は参戦しなかったから犠牲者は出ていません。
また、湾岸戦争でも同じです。

このように戦後60年間に起こったいくつかの紛争や戦争に日本は直接的に参戦せず、巻き込まれてきませんでした。
もし、九条がなかったら――すぐ隣りの国で戦争をしていて、日本は米軍が“守って”いて、その米軍が戦争しているのですから、当然これら米国の戦争に日本は巻き込まれていたでしょう。


<これから改憲されて九条がなくなったら>
それでは、これからはどうでしょうか。
憲法九条は、第一項の“戦争の放棄”と第二項の“戦力の不保持・交戦権の否認”で一つです。その二項があってはじめて平和憲法として成り立つものです。
もし、この憲法九条が改定され、九条の精神が一つでもなくなったら――イメージしてみてください。
現在、米国はソ連崩壊後、つまり冷戦終結後、世界の保安官きどりで軍事費を増やし世界の米軍基地を増強して世界を押さえつけてきました。また9・11同時多発テロ以降、さらに新たな世界戦略にもとづいて米軍再編をプログラムしようとしています。
その世界戦略の中で、現在の在日米軍再編計画が実施されており、その実現のためにも米国は“邪魔”である憲法九条の変更を迫っているわけです。
自民党の『新憲法草案』ではこの米国の要求に応えて、第一項は残しつつも、第二項は削除し、まったく逆に自衛軍を明記しています。この自民党案に改憲させられてしまったら、どうなるでしょうか。
米軍再編は、単に日本にある米軍基地を移動するだけの話ではありません。米国の同盟国である日本に新たな役割を押しつけるものであり、イラクなど世界で米国が起こす戦争や紛争に、「国際貢献」と称して日本を巻き込むための編成替えなのです。
ですから、憲法で否定している「集団的自衛権」の行使も要求され、当然、日本の自衛隊は参戦させられるでしょう。それだけでなく「徴兵制」もしかれるかもしれません。「アメリカが血を流してまで、世界の平和を守るために国際貢献しているのだから…」と。

武力による解決は、何も生み出しません。イラクを見てもわかるように、憎しみの連鎖だけです。
「自衛のための先制攻撃」というのは偽りです。

私たち日本は、先の太平洋戦争の多くの犠牲のうえに、その戦争の反省から憲法九条を「人類普遍の原理」(前文)として手にし、世界に宣言してきました。
その平和の宣言を改憲することで裏切ってはいけないと思うのです。


■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/


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