京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

福山雅治の写真の師・植田正治~日曜美術館

2013-12-14 06:45:22 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、久しぶりの写真で、『写真する幸せ~植田正治・UEDA-CHOの秘密~』です。
私のブログで写真家を紹介するのは、土門拳以来です。
植田正治(1913~2000)は、 出生地である鳥取県境港市を拠点に活動を行ってきた写真家です。




数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」は、よく知られています。
作品は人をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなど独特の演出写真に特徴があります。 その前衛的な演出写真 は「植田調」として知られ、写真誕生の地であるフランスでも日本語表記そのままに 「Ueda-cho」として紹介されています。

1994年、福山雅治の「HELLO」のCDジャケット写真を手がけたことから、福山雅治と親交を深め、写真を指導したことでも知られています。
福山さんは、音楽活動以外にも俳優、写真家としてもマルチな才能を発揮されています。


1980年代、植田の名前を世間で知らしめた「砂丘モード」
最新モードに身を包み、砂丘に立つモデル










父親から買ってもらったカメラで最初に懸賞写真に応募して初入選した作品
「浜の少年」1931





「近所の家族」1931





「少女四態」1939






植田の撮った家族写真
「パパとママとコドモたち」1949










「ボクのわたしのお母さん」1950





しかし、当時は、社会的リアリズム全盛の時代であり、被写体を絶対に演出してはいけないという風潮が蔓延していました。そのため、植田は自虐、失望を経験します。
そうしたなかで撮られたのが「童暦」です。


「童暦」の写真より






























フランスでも高い評価の植田作品
















さまざまチャレンジした作品











植田正治写真館






植田正治は2000年7月、87歳で亡くなりますが、没後の2005年には植田正治写真美術館にて福山雅治らによる『~オマージュ・植田正治に捧ぐ~』が開催されました。




















下鴨神社・糺の森の紅葉

2013-12-13 06:27:13 | 2013紅葉

今年の私の紅葉めぐりは、終えたつもりだったのですが、読者登録されている方のブログで、まだ下鴨神社・糺の森の紅葉が見頃と知りました。
昨日、下鴨の知人医師宅を訪れる途中で、神社前に車を止め、少しだけ写真撮影しました。
まだまだ見頃で、美しい紅葉に多くの人が、足を止め、私と同じようにに写真におさめていました。
12月も半ばとなり、あちこちで雪のたよりも聞こえるなか、まだ紅葉かとお叱りをうけかねないのですが、、、、、。
下鴨神社・糺の森は、紅葉も遅いのですが、その分、京都で一番遅くまで紅葉を楽しめる場所のようです。最近知ったところです。



















































夢の扉『ワクチンで癌を倒せ』

2013-12-12 06:20:19 | 科学・宇宙・歴史

少し前の「夢の扉」、『第4のがん治療法~ワクチン療法でがんと闘 う』について書きます。
ドリームメーカーは久留米大学がんワクチンセンターの伊東恭悟さん(65歳)です。





余命半年と告げられた胃がんを患った 60代の患者さんが、 宣告から1年7ヶ月が経った今も、なんの支障もない暮らしを続けています。患者さんが受けたのは、外科手術、抗がん剤などの化学療法、放射線療法 に次ぐ、第4の「がんワクチン療法」です。




伊東先生たちが開発した、がんワクチンの仕組みは、がん細胞だけを攻撃する免疫細胞 (キラーT細胞)を活性化させ、その結果、がん の増殖や再発を抑えるというものだそうです。
注目すべきは、それぞれの患者のがんに対し、最大限の効果が出るように、 一人ずつワクチンの中身を変える、テーラーメイド型ワクチンという点だそうです。
開発には大きな困難もありました。
患者に合わせて薬を変えるなんて、非効率的と資金が集まらない厳しい状況におかれます。研究続行のために、なんと、老後のためにと積み立てた、自らの貯金を切り崩して実用化に挑み続けてきたというのです。生活費にも困り、60歳から当直などのアルバイトで生計を支えたそうです。そうして、やっとワクチンが開発されたのです。

ワクチンを使用している65歳膵臓がんの患者さんのケース
抗がん剤とワクチン併用でがんを縮小させたそうです。患者さんは、「余命1年と宣告されたが、治療をはじめて元気に1年以上通ってこられている。」と喜んでいました。
このワクチンは、体内の免疫細胞を活用するため、副作用も少なく カラダに優しいという
効果があります。
一方課題もあり、体力、免疫力が著しく低下していると治療ができない。臨床試験中のため、保険がきかず、完全自費診療で1クール(6~8回)で約70万円という高額なお金が要するということです。それでも頼ってくる患者さんはあとを絶たないと言います。

やがて資金も集まり、今年7月、世界初のがんワクチンセンターが開設されました。そして、今挑んでいるのが、治療に困難を極める脳腫瘍の膠芽腫。5年生存率は6%,患者数は年間1200人だそうです。









現在ワクチンは、医薬品承認まであと一歩の段階まで来ているそうです。
最後に伊東先生は家族への感謝を表していました。先生は、「研究させてもらえるというのは一番贅沢なことをさせてもらっている。理由は好きなことをやっているから。だからお金が貯まることはない。家族に支えあって研究ができる。」と。

見終わり、伊東先生のやさしそうな人柄にホッコリしました。医薬品承認まであと一歩とということですが、早く承認されるといいですね。






『光の賛歌 印象派展』アートシーン

2013-12-11 06:21:12 | 美術・博物館

日曜美術館アートシーンです。
現在東京富士美術館で、『光の讃歌 印象派展』が開催されています。京都には来年3月に京都文化博物館で開催される予定だというなので、楽しみにしています。

印象派の画家たちが活躍した19世紀後半は、水辺が生活に潤いをもたらす余暇を過ごす場所としてクローズアップされた時代でもありました。
都市部の近代化にともない、市民のあいだに休日のレジャーが普及すると、アルジャン トゥイユやブージヴァルといったパリ近郊のセーヌ川沿いの町や村が、身近な 行楽地として人々を惹き付けました。
都会 の喧騒を離れた豊かな自然とともに、レジャー客でにぎわう行楽地の様子は、 同時代の市民生活を描き出した、印象派の画家たちの創作意欲を掻き立てる格好 のテーマとなりました。
展示会は、セーヌやノルマンディの「水辺」を舞台に 描かれた約80点の作品で、彼らが追い求めた「光の中の風景」に迫るというコンセプトです。


「アルフレッッド・シスレー サン=マメスの造船所」






カミーユピサロ「ポン=ヌフのテラス、アンリ四世広場、朝の雨」







カミューユ・ピサロ「小川で足を洗う女」







ウジューヌ・ブーダン「ドーヴィルの海辺」






クロード・モネ「プールヴイルの上げ潮」






クロード・モネ「ルエルの眺め」、モネ17歳の作品







クロード・モネ「睡蓮」






















『高齢者ほど肉を』クローズアップ現代を見て

2013-12-10 06:13:35 | 定年後生活


少し前のNHKクローズアップ現代で、『高齢者ほど肉を』が放送されました。
私は今年3月末に60歳で定年退職し、まだ働いている妻にかわり、4月から主夫見習いをしています。とは言っても大したことではなく、毎日の掃除機がけ、庭の水やり、買い物と晩御飯づくり、洗濯物の取り込みぐらいです。
食事は、朝は私の手作り減塩パンに気に入ったジャム、ヨーグルト、バナナ、コーヒーくらいが定番です。お昼は妻は弁当を作ってもって行き、私は麺類だったり、御飯だったりそれなりに作って食べます。外出先で外食することもありますが、外食は塩分が多いので可能な限り、自分で作るようにしています。夕食は妻が休みの日は妻がつくりますが、平日は私がつくります。妻が帰る前にメールしてもらい、帰宅したらすぐに食べれるようにしています。
でも最近は、休みの日でも、「晩御飯作って」とリクエストされることもあり、少なからず抵抗するようにしています。(苦笑)

献立は、退職前に考えた季節のレシピを中心に、その日の思い付きでつくりますが、妻が肉嫌いのため、肉料理は控えがちで、しかも私は乳製品が苦手なので、どうしてもタンパク質不足を懸念している矢先に、かかりつけの病院の医師から私の栄養不足を指摘され、反省しているところでした。
妻は肉、特に牛肉は獣臭が強いと言ってほとんど食べません。私は若い時は肉好きでしたが、50代以降はあまり肉を食べたいと思わなくなりました。また私は牛乳でお腹をすぐこわすので、ほとんど飲みません。総じてヨーグルト以外の乳製品も嫌いです。
従って、私の作る料理は、魚や野菜が多い献立となっていました。

今回、NHKクローズアップ現代で『高齢者ほど肉を』という番組が放送されるというので、参考に見させていただきました。




冒頭、飽食の時代と言われて久しい今、実は日本国民の栄養状態は終戦直後よりも悪化しているとあり、大変驚きました。
この間まで、国を上げてやれメタボ対策が大事だとさんざん言われ、その一方で、テレビではグルメ番組があふれ、あげくのはてには、超肥満者を劇的に痩せさせるちょっと野蛮な番組もよく見かけます。
ところが足元では、国民の栄養状態が悪化していたというのです。
一体どういうこと、と言いたくなりますが、これが現実のようです。





特に、栄養不足が即切実な健康問題に直結する高齢者の状況が深刻だとして、厚生労働省は 今年13年ぶりに健康づくりの指針を見直しています 。





健康寿命の延伸を最優先とし、肉などのた んぱく質を高齢者がしっかり食べるよう指導に 乗り出したのです。その背景には、栄養不足に よって筋力低下や脳梗塞の増加、認知症になりやすいなどのさまざまな影響が出ることがわかってきたことがあります。










しかし、従来のメタボ 対策との兼ね合いが難しく、栄養指導の現場では混乱も起きているそうです。下の図にあるように、65歳以降の栄養指導は、メタボ対策なのか、介護予防なのか指針がはっきりしていなかったのです。
一方、私もそうですが、だんだん年を重ねると、肉をあまり食べたいと思わなくなる傾向にあります。どちらかというと、魚が多くなり、肉は減っていきます。
高齢者のなかには、長年メタボを気にし「肉は体に悪い」と 信じて、肉をすすんで食べようとしないそうです。





その結果、一見元気な高齢者の見えないリスク、栄養失調が進行しているというのです。
そして、そのリスクを防ぐには、肉をできるだけ多く食べること、タンパク質の多い食事に心がけるというのが番組の内容でした。

私はまだ高齢者ではありませんが、今回放送を見て、私の御飯づくりの献立を見直すことにしました。
結論は妻は魚、私は肉料理を多くするという単純なものです。
少し調理に時間がかかりますが、私はいま退職者ですから、晩御飯をつくる時間はたっぷりあります。












『風景画の巨匠 ターナー』日曜美術館

2013-12-09 06:16:40 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、ターナーです。
英国絵画の地位を飛躍的に高めた風景画の巨匠として名高い、ターナー(1775~1851)は、ロンドンに生まれました。幼い頃から優れた画才を発揮し、10代で英国の風土や名所旧 跡を描く水彩画家となります。やがて油彩画にも取り組 み、弱冠26歳にして、当時英国の美術界で絶対的な権威 を誇っていた、ロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になりました。
ターナーは風景をどのように描くかを探究し続け、様々な 画風を展開しました。 自然の劇的な変化を描き出し、「崇 高」 の美を表現した壮年期の作品や、光と色彩があふれる 幻想的かつ詩情に満ちた晩年の作風から、ロマン主義を代 表する画家の一人と称されます。 その画風は、クロード・モネをはじめとする後のフランス 印象派の画家たちにも大きな影響を与えたとされます。日本では、英国留学経験のある明治の文豪、夏目漱石が愛した画家としても有名です。
今なお英国最大巨匠として絶大な人気を誇っています。

ターナーの代表作「雨・蒸気・速度」は、ターナーの集大成で、独創性と革新性が最も表れている作品と評価する美術専門家が多いのですが、実は、私はターナーの晩年の作品はあまり好きではありません。一目見て、何を描いているかわからないのは、苦手です。
私は、油彩より初期の水彩画家ターナーのほうが好きです。


ターナー自画像






チャイルド・ハロルドの巡礼






南西より望むオックスフォード
10代前半の作品





男性裸体の習作





ノラム城の水彩画スケッチ






水彩画スケッチ






バターミア湖、クロマックウオーターの一部、カンバーランド、にわか雨






グリゾン州の雪崩





「ヴァチカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」





「平和ー水葬」






「レグルス」






「吹雪ー港の沖の蒸気船」






「雨・蒸気・速度ーグレートウエスタン鉄道」






「湖に沈む夕陽」





























『木島櫻谷』日曜美術館アートシーン

2013-12-08 06:49:09 | 美術・博物館

一時、竹内栖鳳と並び評せされた、木島櫻谷(このしまおうこく)の展示会が、京都の泉屋博古館で開催され、私は見に行ってきました。そのことは、ブログでも紹介しましたが、その後、日曜美術館アートシーンでも紹介されましたので、画像を追加します。







「一夜の夢」




「寒月」

















「孔雀」




櫻谷の展示会は、来年1月東京でも開催されます。




櫻谷は京都市北区の等持院の近くに住居を構えていたのですが、今回その内部が特別公開されています。













西田幾多郎遺墨展 ー黙より出でて黙に帰すー

2013-12-07 06:25:28 | 美術・博物館


西田幾多郎遺墨展 ー黙より出でて黙に帰すー が、京大総合博物館で開催されていましたので、先日、展示会日程の終了直前に行ってきました。





西田幾多郎(1870~1945)は、日本近代哲学の礎を築いた哲学者であり、長年にわたって京大文学部の哲学講座を担当し、多くの弟子を育て、「京都学派」の祖と言われています。
西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた、「私の生涯は極めて簡単なものであっ た。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向 かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」という言葉は有名です。





しかし、代表作『善の研究』は非常に難解であり、また没後70年近い年月も加え、今では西田幾多郎と言えば、「哲学の道」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。西田幾多郎が思索して歩いた、琵琶湖疏水沿いの道は、「哲学の道」と呼ばれ、市民に親しまれています。この「哲学の道」は、特に桜の時期に多くの観光客で賑わいます。
私も桜と紅葉の時期に、この道を歩きます。

私は坐禅を始めて、禅に関する書物を読むなかで、西田幾多郎や、西田と高校の同級生だった鈴木大拙を知ることになりました。
私にとっては、西田幾多郎は、哲学者というより、禅の研究者というイメージの方が強いのです。実際、 西田は鈴木大拙の影響 で20代後半から十数年間、徹底的に禅に打ち込み、修学・ 修行しました。

今回の遺墨展ですが、西田幾多郎は、 哲学だけでなく、芸術の分 野にも深い関心を寄せ、自ら多くの短歌や漢詩、書を残しています。
私は書は全くの素人ですが、西田幾多郎の書は、実に自由に躍動するような筆づかいなのが印象に残りました。
会場でいただいたパンフレットから、二作品を紹介します。


「無我」






「百花春」





書は、漢詩、禅語もたくさんありました。

「任運自在」:何にもとらわれず、自由な境涯をさします。
「心即是佛、佛即是心、心佛如々、是古是新」:私たちが本来持っている心が、そのまま真理であり、悟りである。
「一日不作、一日不食」:一日なさざれば、ー日食らわず。百丈禅師の語。
「無位の真人」:臨済録 上堂


サブタイトルの 「黙より出でて黙に帰す」は、和辻哲郎宛の書簡にでてくる一節です。

また書の署名「寸心」は、西田幾多郎の居士号です。
私が坐禅で時々お邪魔している、妙心寺の霊雲院に、西田幾多郎の墓石があります。









『井戸茶碗』アートシーン

2013-12-06 06:19:53 | 美術・博物館


日曜美術館アートシーンです。
東京青山の根津美術館で開催されている『井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ』の紹介がありました。
私は以前のブログで書いたことがありますが、やきものは全くの素人ですが、見るのは好きです。美術館などで気に入ったやきものにであうと、幸せな気持ちになります。
井戸茶碗も楽茶碗同様好きなやきものです。





16世紀頃、朝鮮半島からもたらされ、数々の茶人や戦国武将に愛されたのが井戸茶碗です。小ぶりなのは小井戸、おおぶりなのは大井戸と呼ばれています。
枇杷色と呼ばれる薄い茶色は、一品一品微妙に異なります。
見所は、椀を支える足の部分、流れ落ちた釉薬が固まってできた海花皮(かいらぎ)と呼ばれるちぢれです。
井戸の名の由来は諸説あるようですが、単純に「井戸のように深い茶碗」の意とする説が有力のようです。
茶碗と言えば、楽茶碗も超有名です。楽は手びねりで削りだし、まさに造形という表現がぴったりします。本阿弥光悦の楽茶碗は、私のブログでも紹介しました
井戸は 熟練の陶工がろくろで生み出しますが、作り手の存在を感じさせない、自然な作りです。





わび茶にふさわしい素朴で、力強い個性が珍重され、戦国武将たちはこぞって、自分だけの井戸茶碗を手に入れようとしました。
信長、秀吉がもった茶碗ということで、まわりの 大名たちも自分たちの個性のある井戸茶碗を競ってもつようになっていきました。
武将にふさわしく大きく、毅然と立って いるような茶碗が好まれたのでしょうか。


小井戸茶碗 忘水






大井戸茶碗 越後






大井戸茶碗 銘 さかい






青井戸茶碗 銘 柴田
織田信長が柴田勝家に送ったもの






国宝 大井戸茶碗 銘 喜左衛門



















『ゴッホ・スーラー・モンドリアン』日曜美術館

2013-12-05 06:35:32 | 美術・博物館

今回御紹介する日曜美術館は、先月放送の『魂を見つめたコレクション、クレラー=ミュラー美術館・画家たちの色彩革命』です。
先月は、紅葉のブログ更新が忙しく、美術関係の投稿ができませんでした。





オランダにあるデ・ホーヘ・フェーリュウェ国立公園、その広大な自然の中に、世界中から美術ファンが足を運ぶ美術館があります。 ヨーロッパ屈指の美の殿堂と言われるクレラー=ミュラー美術館です。270点にのぼる世界最大規模のゴッホのコレクションを誇ります。
その美術館のコレクションが来日し、19世紀から20世紀初めてにかけて、色彩の革命に挑んだ画家たちの作品が日本で展示されています。






この美術館がオープンしたのは、1938年。印象派のルノワール、人間の内面を描いたルドン、そしてピカソなど1万点以上の作品があるそうです。














この美術館を作ったのは、一人の女性、ヘレーネ・クレラー=ミュラー夫人です。
資産家の夫から資金を得て、絵を買い集めたそうです。





そのコレクションには大きな特徴があり、19世紀から20 世紀初頭にかけて、美術界に革命をもたらした画家たちの作品が中心になっています。
黄色 と青を中心に激しい色彩で、感情や精神の高まりを表現したゴッホ、点描技法という革新的表 現で印象派の色彩に挑んだスーラ、そして色彩の抽象的リズムで独特の世界を築き上げたモンドリアン。
当時、まだ評価の定まっていなかった画家たちの斬新な表現に共感し、ヘレーネみ ずからも同時代の美術を研究、支援を続けました。
そんな画家たちの絵を番組は紹介していました。


まずはゴッホと作品です。
話は変わりますが、本年4月に京都市美術館で、『ゴッホ展 空白のパリを追う』が開催され、行ってきましたが、観客数の多さに驚きました。展示内容は小品が多く、物足りなかったのですが、日本人はゴッホ好きが多いとつくづく思いました。





「馬鈴薯を食べる人たち」1885年
貧しいながらも懸命に生きる人たちを画いています。




ゴッホは32歳のとき、パリにやってきます。そこで、印象派の画家たちの影響を受けます。その頃の作品です。
「レストランの内部」






「四本のひまわり」






有名な「ラングロワの橋(アルルの跳ね橋)」






これもよく知られてた「夜のカフェテラス」






「種まく人」





「麦束のある月の出の風景」







次は点描画のスーラと作品です。





「シャユ踊り」





「ポール=アン=ベッサンの日曜日」






最後にモンドリアンと作品です。
スーラの点描の影響も受け、20世紀初頭の抽象の世界を切り開いたと言われています。
私はモンドリアンのような抽象画は苦手です。率直に言って、どこがいいのかよくわかりません。





20歳頃のデッサン、レンブラントを尊敬し、写実を重視する伝統的な絵画から出発しました。

「物書きをする少女」




「突堤の見えるドムブルクの浜辺」
30代半ば絵に大きな変化がでます。




「赤と黄と青のあるコンポジョン」





「コンポジョン NO.2」





「グリッドのあるコンポジョン5 菱形、色彩のコンポジョン」





























終い紅葉ー 南禅寺天授庵と南禅院

2013-12-04 06:12:38 | 2013紅葉

12月に入りましたので、私の終い紅葉にしようと 、南禅寺の塔頭天授庵と南禅院を訪れました。
ここは先月に一度来ていて、その時の紅葉状況は、ブログに書きました。
もう観光客も少なくなり、ゆっくりと散り紅葉の余韻に浸ろうと、散歩のついでに足をのばしたのですが、余韻どころか、観光客の多さに驚きです。
観光バスは門前の駐車場には入りきらず、境内参道に何台も数珠つなぎのように駐車しています。
長い間、京都の紅葉めぐりにお付き合いいただき、感謝申し上げます。
もう何ヵ所か訪れたいところはあったのですが、今年はこれで終わりにします。


天授庵
天授庵は、かなり散っていますが、まだ見頃も残っています。














































南禅院
南禅院は、前回訪れたときは、まだ見頃に早かったのですが、今回は見頃でした。



































南禅院前の水路閣です。






最後に南禅寺山門です。










以上です。









相国寺の紅葉

2013-12-03 06:36:15 | 2013紅葉

今日は、相国寺の紅葉を御紹介します。私の紅葉めぐりも最終版です。
予定では明日で京都の紅葉紹介を終わりにするつもりです。

相国寺は、京都市上京区にある臨済宗相国寺派の大本山の寺で、 開基は足利義満、開山は夢窓疎石です。 私は、最近御無沙汰しておりますが、以前、坐禅会でよくお世話になりました。
最近は、承天閣美術館の企画展にちょくちょく顔をだしています。現在『円山応挙展』が開催されています。応挙展は私のブログでも紹介しました。


法堂と紅葉です。









鐘楼の紅葉は真っ赤でした。






特別公開中の開山堂の庭園です。























承天閣美術館の通路です。ここも見頃できれいな色がでていました。

































東寺と西本願寺の紅葉

2013-12-02 06:33:20 | 2013紅葉

そろそろ京都の紅葉も終わりが近づいてきました。
今回は、世界遺産、東寺と西本願寺の紅葉を御紹介します。

東寺は京都市南区にある仏教寺院、 東寺真言宗の総本山で、「教王護国寺」とも呼ばれています。東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海に下賜され、真言密教の根本道場とし て栄えました。
五重塔(国宝)は日本最高の塔で、1643年に、徳川家光が再建奉納したものです。 講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻や金堂(国宝)、大師堂(国宝)、蓮花門(国宝)など見所も多く、いつも多くの観光客が訪れています。境内は史跡に指定されています。
もうひとつの顔は、東寺の境内で行われる縁日、「弘法さん」です。毎月21日、広い境内で露店が1200~1300立ち、毎月20万人ほどが訪れます。


東寺の宝藏です。




新幹線からも見える御存じの五重塔です。










イチョウの絨毯と金堂です。













外壁と五重塔です。











次は西本願寺です。イチョウが見頃となりました。
阿弥陀堂前の大イチョウです。















御影堂前の大イチョウです。
このイチョウは、御影堂建立の1636年頃に植栽されたと言われていますので、380歳になろうとしています。
京都市の指定天然記念物になっています。











最後は駐車場敷地の紅葉です。












建仁寺の紅葉

2013-12-01 06:57:37 | 2013紅葉

建仁寺の紅葉を御紹介します。
建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山寺院です。開山は栄西禅師です。
このお寺は、私のブログにときどきでてきます。日曜坐禅会などでちょくちょくお邪魔しているからです。

今回は拝観のため、庫裏に入ります。






本坊中庭にある『潮音庭』です。中央に三尊石、その東には坐禅石、まわりに紅葉を配置した禅庭で、私の好きな庭のひとつです。建仁寺は何度も訪れていますが、紅葉の見頃時期に来たことはなく、今回、思いきって足を運びました。





















方丈前庭です。





方丈の室内です。桃山時代、海北友松によって描かれた襖絵です。







方丈室内で坐禅会で使用します。






法堂の有名な天井画「双龍図」、 小泉淳作筆です 。






御存知、建仁寺の国宝、俵屋宗達の『風神雷神図』です。







境内の紅葉です。
















三門・望闕楼です。












雲水さんをみつけました。この方々は、早朝から広い境内の清掃をします。






帰りの道中、まねきが上がった恒例の顔見世興行の南座、昨日初日の幕が上がりました。










鴨川も晩秋初冬の景色です。