京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

西田幾多郎遺墨展 ー黙より出でて黙に帰すー

2013-12-07 06:25:28 | 美術・博物館


西田幾多郎遺墨展 ー黙より出でて黙に帰すー が、京大総合博物館で開催されていましたので、先日、展示会日程の終了直前に行ってきました。





西田幾多郎(1870~1945)は、日本近代哲学の礎を築いた哲学者であり、長年にわたって京大文学部の哲学講座を担当し、多くの弟子を育て、「京都学派」の祖と言われています。
西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた、「私の生涯は極めて簡単なものであっ た。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向 かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」という言葉は有名です。





しかし、代表作『善の研究』は非常に難解であり、また没後70年近い年月も加え、今では西田幾多郎と言えば、「哲学の道」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。西田幾多郎が思索して歩いた、琵琶湖疏水沿いの道は、「哲学の道」と呼ばれ、市民に親しまれています。この「哲学の道」は、特に桜の時期に多くの観光客で賑わいます。
私も桜と紅葉の時期に、この道を歩きます。

私は坐禅を始めて、禅に関する書物を読むなかで、西田幾多郎や、西田と高校の同級生だった鈴木大拙を知ることになりました。
私にとっては、西田幾多郎は、哲学者というより、禅の研究者というイメージの方が強いのです。実際、 西田は鈴木大拙の影響 で20代後半から十数年間、徹底的に禅に打ち込み、修学・ 修行しました。

今回の遺墨展ですが、西田幾多郎は、 哲学だけでなく、芸術の分 野にも深い関心を寄せ、自ら多くの短歌や漢詩、書を残しています。
私は書は全くの素人ですが、西田幾多郎の書は、実に自由に躍動するような筆づかいなのが印象に残りました。
会場でいただいたパンフレットから、二作品を紹介します。


「無我」






「百花春」





書は、漢詩、禅語もたくさんありました。

「任運自在」:何にもとらわれず、自由な境涯をさします。
「心即是佛、佛即是心、心佛如々、是古是新」:私たちが本来持っている心が、そのまま真理であり、悟りである。
「一日不作、一日不食」:一日なさざれば、ー日食らわず。百丈禅師の語。
「無位の真人」:臨済録 上堂


サブタイトルの 「黙より出でて黙に帰す」は、和辻哲郎宛の書簡にでてくる一節です。

また書の署名「寸心」は、西田幾多郎の居士号です。
私が坐禅で時々お邪魔している、妙心寺の霊雲院に、西田幾多郎の墓石があります。









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2 コメント

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Unknown (「へんちき論」管理人)
2013-12-08 05:30:37
おはようございます。
西田哲学を精神病理学に応用したのが、恩師の木村敏氏です。彼の論はきわめて難解なのですが、ヨーロッパでも有名です。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%95%8F
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Unknown (京都で定年後生活)
2013-12-08 12:39:51
先生、いつもありがとうございます。
西田哲学が精神病理学の分野で応用されたとは初めて知りました。でも全く想像できません。どのように生かされているのか、興味はあります。

京都で定年後生活より
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