京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

福山雅治の写真の師・植田正治~日曜美術館

2013-12-14 06:45:22 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、久しぶりの写真で、『写真する幸せ~植田正治・UEDA-CHOの秘密~』です。
私のブログで写真家を紹介するのは、土門拳以来です。
植田正治(1913~2000)は、 出生地である鳥取県境港市を拠点に活動を行ってきた写真家です。




数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」は、よく知られています。
作品は人をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなど独特の演出写真に特徴があります。 その前衛的な演出写真 は「植田調」として知られ、写真誕生の地であるフランスでも日本語表記そのままに 「Ueda-cho」として紹介されています。

1994年、福山雅治の「HELLO」のCDジャケット写真を手がけたことから、福山雅治と親交を深め、写真を指導したことでも知られています。
福山さんは、音楽活動以外にも俳優、写真家としてもマルチな才能を発揮されています。


1980年代、植田の名前を世間で知らしめた「砂丘モード」
最新モードに身を包み、砂丘に立つモデル










父親から買ってもらったカメラで最初に懸賞写真に応募して初入選した作品
「浜の少年」1931





「近所の家族」1931





「少女四態」1939






植田の撮った家族写真
「パパとママとコドモたち」1949










「ボクのわたしのお母さん」1950





しかし、当時は、社会的リアリズム全盛の時代であり、被写体を絶対に演出してはいけないという風潮が蔓延していました。そのため、植田は自虐、失望を経験します。
そうしたなかで撮られたのが「童暦」です。


「童暦」の写真より






























フランスでも高い評価の植田作品
















さまざまチャレンジした作品











植田正治写真館






植田正治は2000年7月、87歳で亡くなりますが、没後の2005年には植田正治写真美術館にて福山雅治らによる『~オマージュ・植田正治に捧ぐ~』が開催されました。