タマルさんはナツメヤシ

タマルは女性の名。ナツメヤシの意味で多産を象徴。聖書には約束の地カナンは、蜜(ナツメヤシ)と乳(ヤギ)の流れる地とある。

祇園囃子と人波はいずこに

2020-07-17 21:12:59 | つれづれ
今日は祇園祭のはずでしたが、世界は新型コロナのせいですっかり変わってしまいましたね。

私は小学生の時に、初めて自分でレコードを買ったのですが、それが小柳ルミ子さんの祇園囃子でした。
私の母の父方は、京都市内で呉服屋をしていたのです。
その2代前は九州熊本の侍で、久留米藩に仕え、江戸末期に京都に上ってきたようです。
今年は明智光秀の話題で観光が復活するはずだったのですけれどね。
その娘のガラシャの嫁いだ先は細川家で、久留米藩にも縁が有るのですよ。

さて、タマル産の駐車場のラベンダーもピークを過ぎてしまいました。
ブログを更新していると、昨年の同日の投稿が表示されるのですが、昨年の7月17日もラベンダーの写真でしたよ。
まあ、続けることに意味が有るのでしょうね。
毎回、赤ちゃんが生まれるのをお手伝いし続けるのです。それが喜びなのですから。

今日はタマル産では3人目となった妊婦さんに、「先生はいつ寝ているのですか?」と尋ねられました。
よく夜中にお産が有るからでしょうね。
しかもよく昼間にもショッピングに出かけているところを目撃されているらしいのです。
だから寝る暇が無いのだろうと。
1日中クリニックに居ると運動不足になるので、私にとってはカミさんとショッピングに行くのが日課であり、息抜きなのです。
もっともショッピングの半分は本屋さんに居るので、あまり運動にはなっていないかもしれません。

学生時代はボート部とワンダーフォーゲル部を掛け持ちしていて、平日は琵琶湖で朝の5時半から船を浮かべるのです。
もっとも午前中の授業は居眠りの時間ですけれどね。
土日は近くの山に出かけます。
夜は家庭教師2件と、塾の講師をしていましたし、おまけに5回生の時には結婚もしましたよ。
家賃が1万円の市営住宅に住んでいましたが、かぐや姫の「赤ちょうちん」の歌の世界です。
それに比べて今の医学生さんは可哀想ですね。
授業は出欠を取られて身動きも取れません。
私など産婦人科の授業は最初の1時間しか出ずに、あと1年間は欠席しましたけれど、
本だけ読んでテストにさえ受かれば、それで良かった時代ですからね。

研修医ともなれば、お産ですから数日泊まりがけになることも多いのです。
子供の顔は寝顔くらいしか覚えていません。
生後3ヶ月の時に祇園祭に連れて行ったのですが、その夜は大泣きされてしまいました。
「祇園囃子と人波に押されて思わず泣きました」という小柳ルミ子の歌詞が思い出されます。

さらに医師ともなれば、昼間はブラブラしていても、夜中のお産に付き沿うこと数千人、よくやってきたものです。
今の若い先生は、医師も労働時間を守らなければいけないとかで、病院に何日も泊まり込むなんて許されませんよ。
産婦人科も少し前までは病院と言えども、1人か2人で回したものです。
ですが今は大勢の先生で勤務を交替して、休日もしっかり取って、学会にもちゃんと出かけるというのが鉄則です。
私などは天理よろずに居た4年間は、すべてのさかごの主治医をしましたが、今はそんな気概の有る先生は居られないでしょう。

だからみなさんも医者に、何でも期待してはいけません。
新型コロナが流行っても、前線に立って頑張れだとか、
産婦人科医なら休みも取らずにお産をし続けろとか、
お産で医療事故が有れば、それは医者のせいだとか。
時代は変わっているのですよ。
ネットで調べれば自分の病気のことなんてすぐに分かるのです。
治療方針だって自分で調べられます。
結果が悪いと言って、そんな時だけ医療者のせいにしてはいけません。
医療者はただみなさんの手助けをするだけなのです。

先日、医療専門の税理士さんに伺ったところ、
「昔の先生は働き者だ」というのが常識なのだそうです。
ですが、いつまでもそんな善意のボランティアに頼っていてはいけないし、もうそんな時代は過ぎ去ってしまったのですよ。

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