豆の育種のマメな話

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1月の葬儀

2022-02-07 18:15:29 | さすらい考

令和4年1月、三つの葬儀が重なった

一つは愛子叔母で享年93歳。父の末弟の奥さん。「青年団活動で知り合った」と二人の出会いを聞いたことがある。叔父は農業の傍ら土地家屋調査士の資格を得て仕事をしていたし、共済組合長など農協の役職も兼ねていた。この叔父は年齢が近かったこともあり、子供の頃よく勉強の面倒を見てもらった記憶がある。叔父が糖尿病を患い六十代で早逝した後も、叔母は矍鑠と農業を続けていた。叔母逝去の連絡を受けたのは1月4日。弔意を告げると従弟は「1年ほど前から施設に入所していたが、1月1日静かに息を引き取った」と言う。葬儀は1月10日に故郷下田のJA葬祭センターで行われた。

二つは義弟(妹の主人)明實さんで、1月19日に亡くなった。享年81歳。一昨年に脳梗塞を患い、昨年は骨折や心不全、年が明けてから腎不全からの多発性骨髄腫で入院、透析をしていると聞いていた。若い頃はがっちりした体躯で元気そのもの、晩年も山歩きやウオーキングなど健康には気を付けて過ごしていると聞いていたので突然の感があった。思わず「元気そうだったのに…」と呟いた。1月25日新板橋駅前ホールで葬儀が行われた。

この二つの葬儀は、新型コロナの感染拡大の時世を考慮して参列せず、北海道の地から冥福を祈った。

三つは義妹(妻の妹、五女)の厚ちゃん。1月7日逝去。享年73歳。腎疾患を患い5年ほど前から透析を続けていたが、すい臓がんが見つかり他臓器への転移も確認され入院していた。最期まで頑張っていたが治療の甲斐なく帰らぬ人となった。

厚ちゃんは、天使大学看護学科を卒業、看護師と助産師の資格を得て働きながら、日本女子大学大学院の通信教育で学び社会学修士の学位を取得、札幌医科大学医療学部の講師、助教授、准教授として研究と教育に尽力した。また、専門を生かしてフイリッピン、ミャンマー、ブータン、ベトナムなど海外協力にも携わった。専門は「母子看護学」「母子保健の海外協力」。日本母性衛生学会、日本助産学会、日本公衆衛生学会、日本看護科学学会、小児保健学会、日本地域福祉学会などに所属。「出産前後の女性の心理、家庭や社会との関り」「心身健康と性教育」「思春期の性」「国際協力と看護の役割」などをテーマに講演活動も多数に及んだ。

厚ちゃんの人生を振り返って見ると、目標を立て一人で決断し、努力する姿が見える。強い意志、頑張り屋だった。札幌医大では外様だったので何かと気苦労があったかも知れない。衛生環境の悪い海外で日の丸を背負っての活動は身を削るような苦労があったに違いない。晩年、体調を崩してからも、周りの人に面倒をかけまいと独り頑張る姿があった。頑張り屋の厚ちゃん、お疲れ様・・・安らかに。葬儀は1月30日広済寺でごく近しい親族のみで行った。

喪に服する冬の日々である。

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