竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百八二 今週のみそひと歌を振り返る その二

2016年09月17日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百八二 今週のみそひと歌を振り返る その二

 今週、取り上げましたみそひと歌に、次のような組歌三首があります。標題に示すように持統六年(692)三月の伊勢御幸の折、藤原京造営のため飛鳥に留まった柿本人麻呂がその伊勢御幸での情景を想像して詠ったものです。
 最初に取り上げた歌群を紹介します。

幸干伊勢國時、留京柿本朝臣人麿作歌
標訓 伊勢国に幸(いでま)しし時に、京(みやこ)に留まれる柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌40 鳴呼之浦尓 船乗為良武 感嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香 (感は女+感の当字)
試訓 鳴呼見(あみ)し浦に船乗りすらむ官女(おとめ)らし珠裳の裾に潮(しほ)満つらむか
試訳 あみの浦で遊覧の船乗りをしているでしょう、その官女の人たちの美しい裳の裾に、潮の飛沫がかかってすっかり濡れているでしょうか。
裏訓 鳴呼(ああ)し心(うら)に船乗りすらむ官女(おとめ)らし珠裳の裾に潮(しほ)満つらむか
裏訳 「ああ」と声を上げるような心根を持って、男が乙女を抱こうとしている。その十二・三歳くらいの乙女は潮満ちて成女に成っているのでしょうか。

集歌41 釵著 手節乃埼二 今今毛可母 大宮人之 玉藻苅良哉
試訓 くしろ著(つ)く手節(たふせ)の崎に今今(いま)もかも大宮人し玉藻刈るらむ
試訳 美しいくしろを手首に着ける、その言葉のひびきのような手節の岬で、ただ今も、あの大宮人の麻續王が足を滑らせて玉藻を刈ったように、慣れない磯の岩に足を滑らせて玉藻を刈っているのでしょうか。
裏訳 美しいくしろを手首に着ける、その言葉のひびきのような手節の先に、ちょうどいま、大宮人は乙女の柔らかになびく和毛を押し分けているでしょうか。

集歌42 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
試訓 潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島(しま)辺(へ)漕ぐ船に妹し乗らむか荒き島廻(しまみ)を
試訳 潮騒の中で伊良湖水道の島の海岸を漕ぐ船に私の恋人は乗っているのでしょうか。あの波の荒い島のまわりを。
裏訓 潮際に 五十等兒の志摩辺 榜ぐ船か 妹し乗らむか 新(あら)き志摩身を
裏訳 成熟の証しの潮が満ちた、そのような年頃のたくさんの娘たちがいる志摩の国、その志摩の国で姿をさらす船のように、その船に乗るように乙女を抱いているのでしょうか。まだ若々しいその志摩の乙女たちに。

 さて、この歌群はどのような目的と場所で詠われたのでしょうか。この伊勢御幸が行われた時、都には広瀬王を筆頭に当麻真人智徳や紀朝臣弓張たちが留守官に任命され、その留守を預かっていました。標題からすると人麻呂もまた留守官の一人です。すると、人麻呂が詠うこの組歌三首は都で持たれた留守官たちが開く宴会の場で詠われたものかもしれません。標題からすれば伊勢の風景を想像したものであって、実際の場面を詠ったものではありません。
 この酔論、宴会での歌であり、想像の歌であるとしますと、集歌40の歌が気にかかります。歌は二句目で切れるのでしょうか、それとも三句目で切れるのでしょうか。下卑た酔論から二句目で切れるとしますと、船に乗るのは官女たちだけではないことになります。そして、伝承から漕ぎ手を男としますと、その漕ぎ手を乗せる船は女性の比喩となります。その時、歌の表記は「船乗為良武」ですから、その船(=女性)に乗る人は勇ましい武(つわもの)なのでしょう。
 こうした時、歌に比喩がありますと、夜伽の女を抱くのは「良武」と表記するように都からの良き武(つわもの)たちと云うことになります。そして、その夜伽の女はどのような女性かと云うと、都からの高貴な男たちのために国を挙げて準備された年若い乙女です。それが「珠裳乃須十二」と云う表現です。易経に「帰妹以須。反帰以弟(女偏+弟)」と云うものがあり、この「須」は「まつ=待つ」と訓じますが「体を許す女」と云う意味もあります。また、「帰妹」は「女から積極的に男の許に行く、結婚する」と云う意味合いの言葉です。およそ、「珠裳乃須十二」の意味合いは漢語からしますと年頃十二歳ぐらいの、嫌がらず男に体を許す乙女と云うことになります。一方、大和の風習では男女の仲が許されるのは成女だけで、童女は許されません。そこで乙女は潮が満ちた成女か、どうかと云うことが大切です。それが五句目「四寶三都良武香」です。さらにこの五句目を穿ちますと「文房四宝」と云う言葉があるように「四寶三都良武香」とは漢文や漢字に秀でた飛鳥浄御原宮、藤原宮、難波宮に勤める立派な官僚と云うことになるでしょうか。
 同じように集歌41の歌に遊びますと五句目「玉藻苅良哉」の「玉藻」が女性の和毛としますと二句目「手節乃埼二」の「埼」は「先」の意味ですし、「手節」は「指」と云う意味になります。つまり、今、指で愛撫をしていますかと意味合いになります。さらに、集歌42の歌で四句目「妹乗良六鹿」を「妹し乗るらむか」と訓じますと、「妹に乗っているのでしょうか」とも訳せます。また、三句目「榜船荷」の「榜」には船を進めると云う操船の意味と棒に書面を掲げ公布を天下に示すと云う意味があります。船が女性の比喩ですと「榜船」に美しい女性の姿を世にさらし見せると云う比喩を取ることが出来ます。そうしますと、あとは、下卑た酔論です。
 総合しますと、この歌三首は宴会更けて夜伽の女との出合い、夜床での様、そして、体を何度も重ねたのかと云う、バレ歌ですが物語の進行があります。推定で柿本人麻呂は天武天皇五年から六年頃に石見物語のような和歌群を詠っており、その評判を知る飛鳥の人々が御幸の留守番の中での宴会で、伊勢御幸を題材に物語歌を求めたのかもしれません。ただし、「四寶三都良武香」たる大夫でなければ、歌の裏に隠された楽しみは判らなかったと思います。
 補足事項として、日本書紀の雄略天皇紀の記事に因りますと雄略天皇は童女君と呼ばれる春日和珥臣深目女を初めて召した夜にその童女君と「七廻喚之」を為したと自己申告をしています。対して大宮人の「妹乗良六鹿」ですと、雄略天皇に対して一回不足することになります。ただしそれでも柿本人麻呂の感覚からしますと「荒嶋廻乎」と呼ぶように男にとって相当に体力を使う厳しい状況です。なお、人麻呂は春日和珥一族ですから雄略天皇と童女君との回数は知るべき伝承ですし、日本書紀に記事が載るように広瀬王を筆頭に当麻真人智徳や紀朝臣弓張たち留守官もまた知るべき民話です。

 今回もまた酔論からのバレ話を展開しました。みそひと歌には紹介しませんが、他の歌でも標準的な解釈とは違うものには、酔論ですがなんらかの背景を持ちます。


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