読書日記

いろいろな本のレビュー

最高に贅沢なクラシック 許 光俊 講談社現代新書

2013-04-17 15:37:28 | Weblog
 この本は前書きと後書きが圧倒的に面白い。ある種の感動を覚えた。心で思っていても、表だって言うのが憚られることが堂々と書かれている。著者曰く、「電車に乗って通勤している人間には、クラシックはわからない。トヨタ車に乗って満足している人間には、クラシックはわからない。僕はこれが百パーセントの真実とまで強弁するつもりはない。だが、ほとんど真実だとは確信している。説明はよしておく。実際にやってごらんなさい。わかる人間にはわかる。美的な経験とは、芸術とは、そういうものだ。車は、現実的なところではBMWかアルフア・ロメオにするのがよい。もちろんポルシェやフエラーリもよいが、それを誰にでも勧めるわけにはいかない。ポルシェに乗るとベルリンフイルの感覚がよくわかる、フエラーリに乗ればオペラの快楽がわかる、と本当は言いたいのだけれど。云々」
 私はクラシックフアンだが、著者の定義ではクラシックが理解できていない人間に該当する。この部分だけを取ると、上流の資産家しかクラシックを味わえないのだと主張しているようだが、少し後に、日本ほど普通のミドルクラスの生活が貧しい先進国は無いと断じた上で、知的な、文化的な、高尚な楽しみなど無く、この国では豊かさとは結局物質のことだけだった。モラルとしての豊かさ、モラルとしての裕福な感覚がない。よって、日本で聴くクラシックはクラシックではないと、文明批判風の議論になって行く。
 そして、まとめは後書きの次の言葉だ。「クラシックは基本的には豊かな人の音楽である。あるいは豊かであろうとする人の音楽である。豊かでもなければ、豊かになろうともしていない人の音楽ではない。クラシックだけではない。日本の伝統芸能や芸術もそうした面を強く持っているはずだ。いわゆるハイカルチャーと呼ばれるものはみなそうであるはずだ。むろん、ここで、僕が言っている豊かさとは、経済的な余裕という意味だけではない。心の余裕、人間はこう生きるべきという倫理という側面も持っている。失われて久しい教養という概念もこの豊かさに含まれる。幸福と言い換えても間違いにはなるまい。」
 私はこの意見に大いに賛同するものである。本当に今の日本は教養が欠けている。テレビを見ればそれは明白だ。食べるか、クイズか、お笑かで、まったくロクなものではない。これは吉本隆明も言っていた。このテレビで名を売って出てきた某市長は、クラシックを誰でも楽しんで聞けるように工夫せよ、さもなければ補助金カットだと居丈高に脅しをかけてきた。クラシックがパトロンに支えられて発展してきた歴史を理解していない愚か者の発言である。許氏に言わせれば、クラシックを語る資格のない無教養の人間ということになる。文楽における発言も同様だ。こういう度しがたい人間を選んだ人間の質が問われる。あの市の民度はどうなっているのだろうか。
 本書はハイブロウな芸術鑑賞者である著者が、香港、オーストリア、イタリア、ドイツ、フランスを訪ね、コンサートに足を運んだ体験を綴ったもので、音楽のみならず、料理、ワイン、車の蘊蓄が披露される。ドイツ文学・音楽史専攻の慶應の教授だそうだが、相当の資産家と見た。教授の給料だけではヨーロッパを何度も行き来する生活は無理だ。貧乏人にはあの前書きは書けない。こちらは電車通勤の貧乏人だから、せめて高貴な美意識だけは持ち続けるべく日々学習に努めなければと考える次第である。

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